【日 付】2026年3月29日(日)
【山 域】高見山地
【コース】11:15 金毘羅登山口---11:50ひよどり城---13:35金毘羅登山口
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.483142/13 ... z0r0s0m0f1
本能寺の変に乗じて北畠氏再興をはかろうと最後の国司北畠具教の弟具親が五箇篠山城で兵を上げた。その出城として使われたのが櫛田川をはさんだひよどり城だった。グーさん別荘での闇天の帰りに教え子の職場訪問をすませ出かけた。
登山口を少し上ると鳥居の奥に金毘羅さんがある。海上交通の守り神として信仰されてきた金毘羅権現だが、出江が櫛田川水運の要衝であったことから祀られたのだろう。祠横には自然石が二つ置かれ、山の神のようだ。尾根道は自然林で明るく様々な木が生えている、田園を見渡せる稜線のナワシログミの木が印象的で、苗代を作る時期に実がなる。ひと上りで平坦な南砦で田古加山と呼ばれ、高野山で枝を束ねてほうきにしたコウヤボウキが茂っていた。
山頂(P265)のひよどり城は五箇篠山城の見張り城で、堀切やのろし穴が残されており事があれば狼煙で篠山城に知らせる役目だったと伝えられている。山頂からは丹生に抜ける五箇篠山城、白猪山・局ヶ岳が連なる川俣谷が開けており、伊勢本街道と和歌山街道が別れる交通の要衝であることがわかる。ここを整備している老夫婦によると山頂付近の木を伐採してもらっているおかげで、この景観が保たれ、富士山の見える場所に表示板を立てたそうだ。大台方面で大きく尾根を広げた三角の山が浅間山だと教えてもらう、七洞岳や獅子ヶ岳の名に押されて注目されない山がこんなに存在感があるとは思わなかった。
茅原道はすぐに鍛冶谷コースと別れ尾根を進み破線道が茅原に向かう所から境界線の尾根を下る。最後は棚田跡に下り道を上り返すと切通の峠で、津留の渡のある茅原と出江を結ぶ道だ。櫛田川に落ち込む斜面を削り整備した水平道は昔は生活道として多くの人が歩いた道のようだが、今は歩く人もなく荒れるがままになっている。下出江発電所を下に見て整備された耕作地に出てからが、わからない。扇状地にため池から水を引き整備された田畑と縦横に走る農道に鹿よけネットと、昔の面影は皆無でどこを歩いているのかわからない。山口池の方向に向かって農道を選びながら進むと周回道の看板が出てきて、駐車地に着いた。
天正10(1582)年五箇篠山城にかつて北畠家臣だった三瀬・大河内御所や坂内・長野氏の浪人と吉野・高野の僧兵が3000人集まった。千で城を固め、五百騎を根木峠、千五百を和歌山街道から東上させた。東上軍は大河内城の奪還を狙ったもののひよどり城の北西尾根にある和歌山街道の鳥羽見峠で激しい戦がくり広げられ、この谷間でしばしば折れた刀が掘り出された。峠横の台地には自然石を積んだ祠の中に小さな赤い鳥居が収められ鳥豆稲荷(とりばみさん)が祀られ、茅原により整備されている。篠山防御の第1線の鳥羽見峠・ひよどり城を落とされ、五箇篠山城も陥落した。北畠氏が軍事的抵抗を謀った最後の戦になる。
北畠家臣末裔の本居宣長は紀州への紀行文で「もる人もなき柿なれは 我もいさ枝高くとも とりはみのやま」と詠んでいる。
【高見山地】ひよどり城と鳥羽見峠の戦い
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