【日 付】2023年11月3日(金)
【山 域】奥越 笹生川ダム周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】林道駐車地7:25---7:40蝿帽子川入渓点---9:00二俣---11:45蝿帽子嶺12:00---12:35蝿帽子峠13:55---
14:45二俣---16:20駐車地
水戸天狗党の武田耕雲斎一行が山越えしたことで知られる蝿帽子峠。越美国境稜線上にあるこの峠は、通常
美濃側から登られている。温見峠にほど近い大河原の集落跡から根尾川を渡るとすぐに尾根に取り付くことが
できるが、越前側は蝿帽子川を遡行しなければ峠道に取り付くことができない。
笹生川ダム湖のバックウォーター沿いに奥へ奥へと林道を走らせた。2ヶ月前に鍋又山に登った時、下山路に
使った若谷から林道入口まで歩いた。その時はずいぶん整備された林道だと思っていたが、車で走ってみると
結構デコボコが多く気を遣わされた。それでも現役の林道のようで、路面にはほとんど落石もなく、林道とし
ては走りやすい部類と言えるだろう。林道沿いの林はずっと自然林が続き、紅葉が美しい。
植林のためではなく、堰堤建設のために作られた林道なのかもしれない。
中高谷の手前に駐車して歩き出した。林道を直進すると中高谷へ誘導されてしまうので、右に分岐する道を
進むとほどなく終点となる。ここにある堰堤を越すことから蝿帽子川遡行が始まる。
堰堤の上に立つと水が干上がった大正池(ちょっと大げさか)のような風景が出迎えてくれた。水量が多い時は
ダム湖らしい風景になるのだろうか。
水際へ下り立つと、やはり普段は水の中なのか、露出した地肌が泥田のように足がずぶずぶと潜ってしまう。
satoさんは足が抜けなくなって身動きが取れず大騒ぎだ。
無事脱出して上流へ歩き出すと、広い谷はほとんど勾配もなく、自然林の中を蛇行しながらゆったりと流れる、
まさに「川」の風景が続いた。1メートルはおろか50センチの落差もない流れが延々と続く。
「穏やか」という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景である。
まだ日の届かない谷筋は少し暗いが、山肌を見上げると燃えるような紅葉に包まれている。
基本的に河原の左岸側に古道の跡と思われる踏み跡が続いており、大半は足を濡らさずに歩けるが、登山靴で
歩くには不適だし、第一面白くない。
ちょっとしたゴルジュ状の場所では左岸の広いバンドに明瞭な道が付けられて、流れを見下ろしながら歩くこと
ができて面白い。
思っていた以上に道型が残っていたおかげでいいペースで進むことができ、両岸にいくつかの支谷を見送って、
標高620mの二俣に着いた。この正面の尾根が下山のルートだ。
左俣の東カスミ谷へ入っても穏やかな渓相は変わらない。
甘い香りが漂ってきたと思ったら、大きなカツラの古木があった。ようやく谷に日差しが届くようになると、
体感温度が一気に上がってきた。今日は下界では季節外れの夏日の予想である。
右から最初に入る峠又谷が蝿帽子嶺への最短ルートだ。谷にはサワグルミが目立つようになってきた。
深く刻まれた谷に入ると再び日陰となる。小さなナメ滝が続いたがすぐに息切れして平凡な流れが続く。
Ca740mあたりで谷は少し活気づいてきた。5m程度の滝がいくつか現れるが簡単に直登できる。
但し、黒光りした岩はヌルヌルなので滑らないよう気を遣わされる。
水量が乏しく見栄えが悪いのが残念だ。岩が黒い上に逆光なので写真がうまく撮れない。
プチ連瀑帯が終わって、あとは坦々と詰め上がるだけかと思っていたら、意外にも谷芯は岩盤が発達してナメ
床が続いていた。時折2~3m程度の黒い滝も現れて、最後まで沢らしい表情を見せている。
まわりはいつの間にかブナの森に変わっていた。見上げる越美国境稜線はすぐそこに明るく輝いている。
よく踏まれた稜線に上がれば蝿帽子嶺はすぐそこだ。
小さく刈り開かれた山頂には三角点と、なぜか1307.3mと間違った標高の書かれた標識がある。
実際は1037.3mなのだが、3と0の順番を間違えてしまったのだろう。
1307mなら三国岳と美濃平家の間の越美国境稜線で6番目に高いピークということになってしまう。
展望はあまりいいとは言えないが、能郷白山と北側の岩谷山~御伊勢山の稜線を望むことができる。
日差しが強く、日なたではとてもランチタイムという気にならないので、蝿帽子峠へと向かった。
途中で4人パーティーとすれ違う。古道調査に来ているということだった。
どちらからと聞かれたので「福井県側から蝿帽子川を歩いて来ました」と答えると、いたく感心された。
峠越えの道なのだから福井県側からのアプローチも当然あるのだが、やはり一般的に認識されていないようだ。
峠への稜線は踏み跡はしっかりしているものの、枝が横向きに張り出して歩きにくい。しかし先々月の鍋又山
に比べれば10倍マシである。
蝿帽子峠に着いた。金属製の看板には蝿帽子峠の名前と並んで這法師峠の文字があった。
坊さんが這って歩くぐらい厳しい道ということだろうか。
峠の美濃側には柔和なお顔のお地蔵様が祀られていた。この峠を越える人々をずっと優しく見守ってきたのだろう。
暑いので越前側の日陰に陣取ってランチタイム。こちらには意外にはっきりとした道が山腹へ延びていた。
食後のコーヒータイムを楽しんでいると、真上の登山道から声がかかった。「峠の看板はどこですか」と聞か
れたので「すぐそこですよ」と答える。後ろから来た連れの女性が看板の前に立ったその姿に見覚えがある。
ひょっとしてと近付いて行くと、向こうの方から「山日和さん?」と声がかかる。かみちゃんだった。
ということは、さっきの男性は梨丸さんだ。久し振りの出会いを喜びあう。
こんなところでと言ってはみたが、逆にこんなところでしか会わないかもしれない。
大河原へ下って行く梨丸パーティーを見送って、越前側の古道探索にかかる。
駐車地から尾根末端の二俣まで1時間半ほどで来れたので、下山にはプラス1時間あれば十分だろう。
この蝿帽子峠越えの古道はどこまで痕跡が残っているのだろうと思っていたが、想像をはるかに超える素晴ら
しい道型が残されていた。
尾根の襞を忠実になぞって少しずつ高度を下げて行く道は、ほとんどヤブもなく、迷いようのない明瞭な踏み跡
が続く。そしてまわりを見わたせば360度錦繍の森が広がる。もみじの赤はほとんどないが、ブナとシロモジの
黄金色の輝きに顔まで染まってしまいそうである。
この道を歩くならこの季節だと決めていたが、思い描いていた通りの風景に頬が緩む。
山腹を巻いていた道は標高750mあたりで尾根に出る。この尾根芯に付けられた道型がまた素晴らしい。
最大傾斜線ではなく、うねうねと蛇行しながら最小の勾配で済むように付けられた古道の香りが漂う道である。
深く掘り込まれた古道には風格を感じると共に、美しい芸術作品を鑑賞しているような思いすら感じるのである。
目論見どおり、1時間足らずで二俣に着地。あとは元来た蝿帽子川の河原道を戻るだけだ。
帰りには明るく輝く蝿帽子川の姿を見られると思っていたが、谷間にはもう既に日差しが届かなくなっていた。
山日和
【奥越】錦繍の蝿帽子川から蝿帽子峠の古道を歩く
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
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【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
Re: 【奥越】錦繍の蝿帽子川から蝿帽子峠の古道を歩く
山日和さん、おはようございます。
山日和さんの投稿は、いったいどこなんだろうと思うことが多いのですが、ここはすぐにわかりました。
ヤマケイから出ている分県登山ガイド「岐阜県の山」に出ているからです。
能郷白山、冠山、金草岳、平家岳と越美国境の山に登っていいなあと思い、蠅帽子嶺にも登ろうかと思ったことがあります。
ガイドブックのコースは岐阜の大河原から福井の二俣までの峠越えの縦走になっているので、一人だとどちらからかの往復になるなとか考えていました。
水際へ下り立つと、やはり普段は水の中なのか、露出した地肌が泥田のように足がずぶずぶと潜ってしまう。
satoさんは足が抜けなくなって身動きが取れず大騒ぎだ。
あはっ、satoさんの姿を想像してしまいました。
無事脱出して上流へ歩き出すと、広い谷はほとんど勾配もなく、自然林の中を蛇行しながらゆったりと流れる、
まさに「川」の風景が続いた。1メートルはおろか50センチの落差もない流れが延々と続く。
「穏やか」という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景である。
まだ日の届かない谷筋は少し暗いが、山肌を見上げると燃えるような紅葉に包まれている。
穏やかな風景が想像できますね。
よく踏まれた稜線に上がれば蝿帽子嶺はすぐそこだ。
小さく刈り開かれた山頂には三角点と、なぜか1307.3mと間違った標高の書かれた標識がある。
実際は1037.3mなのだが、3と0の順番を間違えてしまったのだろう。
1307mなら三国岳と美濃平家の間の越美国境稜線で6番目に高いピークということになってしまう。
展望はあまりいいとは言えないが、能郷白山と北側の岩谷山~御伊勢山の稜線を望むことができる。
もっとメジャーな山なら誰かが正しい標高の標識を設置するんでしょうがね。
気にしてもわざわざ正しい標識を作って来ようという人はいないのかしら。
日差しが強く、日なたではとてもランチタイムという気にならないので、蝿帽子峠へと向かった。
途中で4人パーティーとすれ違う。古道調査に来ているということだった。
この人たち、標識を直すかしら?
蝿帽子峠に着いた。金属製の看板には蝿帽子峠の名前と並んで這法師峠の文字があった。
坊さんが這って歩くぐらい厳しい道ということだろうか。
本来は蠅帽子じゃなくて、這帽子だったんですね。
蠅帽子だと蠅がいっぱいいそうな名前ですものね。
峠の美濃側には柔和なお顔のお地蔵様が祀られていた。この峠を越える人々をずっと優しく見守ってきたのだろう。
本当に優しそうないいお顔のお地蔵様ですね。
尾根の襞を忠実になぞって少しずつ高度を下げて行く道は、ほとんどヤブもなく、迷いようのない明瞭な踏み跡
が続く。そしてまわりを見わたせば360度錦繍の森が広がる。もみじの赤はほとんどないが、ブナとシロモジの
黄金色の輝きに顔まで染まってしまいそうである。
この道を歩くならこの季節だと決めていたが、思い描いていた通りの風景に頬が緩む。
紅葉がドンピシャのタイミングになるのって難しいですね。
今回は見事でしたね。そろそろ紅葉も終わりでしょうか。いいときに登られましたね。
山腹を巻いていた道は標高750mあたりで尾根に出る。この尾根芯に付けられた道型がまた素晴らしい。
最大傾斜線ではなく、うねうねと蛇行しながら最小の勾配で済むように付けられた古道の香りが漂う道である。
深く掘り込まれた古道には風格を感じると共に、美しい芸術作品を鑑賞しているような思いすら感じるのである。
昔からの峠道、歩きやすいように考えられて作られた道なのでしょうか。
目論見どおり、1時間足らずで二俣に着地。あとは元来た蝿帽子川の河原道を戻るだけだ。
帰りには明るく輝く蝿帽子川の姿を見られると思っていたが、谷間にはもう既に日差しが届かなくなっていた。
オフ会で山日和さんにお会いしたので、今までよりも二人の歩くお姿を想像しながら読ませていただきました。
投稿には書かれていないお二人の会話とかも勝手に想像したりして楽しませていただきました。
やっぱり、オフ会に出て皆さんと直接お話できて良かったなあと思い返しています。
tsubo
山日和さんの投稿は、いったいどこなんだろうと思うことが多いのですが、ここはすぐにわかりました。
ヤマケイから出ている分県登山ガイド「岐阜県の山」に出ているからです。
能郷白山、冠山、金草岳、平家岳と越美国境の山に登っていいなあと思い、蠅帽子嶺にも登ろうかと思ったことがあります。
ガイドブックのコースは岐阜の大河原から福井の二俣までの峠越えの縦走になっているので、一人だとどちらからかの往復になるなとか考えていました。
水際へ下り立つと、やはり普段は水の中なのか、露出した地肌が泥田のように足がずぶずぶと潜ってしまう。
satoさんは足が抜けなくなって身動きが取れず大騒ぎだ。
あはっ、satoさんの姿を想像してしまいました。
無事脱出して上流へ歩き出すと、広い谷はほとんど勾配もなく、自然林の中を蛇行しながらゆったりと流れる、
まさに「川」の風景が続いた。1メートルはおろか50センチの落差もない流れが延々と続く。
「穏やか」という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景である。
まだ日の届かない谷筋は少し暗いが、山肌を見上げると燃えるような紅葉に包まれている。
穏やかな風景が想像できますね。
よく踏まれた稜線に上がれば蝿帽子嶺はすぐそこだ。
小さく刈り開かれた山頂には三角点と、なぜか1307.3mと間違った標高の書かれた標識がある。
実際は1037.3mなのだが、3と0の順番を間違えてしまったのだろう。
1307mなら三国岳と美濃平家の間の越美国境稜線で6番目に高いピークということになってしまう。
展望はあまりいいとは言えないが、能郷白山と北側の岩谷山~御伊勢山の稜線を望むことができる。
もっとメジャーな山なら誰かが正しい標高の標識を設置するんでしょうがね。
気にしてもわざわざ正しい標識を作って来ようという人はいないのかしら。
日差しが強く、日なたではとてもランチタイムという気にならないので、蝿帽子峠へと向かった。
途中で4人パーティーとすれ違う。古道調査に来ているということだった。
この人たち、標識を直すかしら?
蝿帽子峠に着いた。金属製の看板には蝿帽子峠の名前と並んで這法師峠の文字があった。
坊さんが這って歩くぐらい厳しい道ということだろうか。
本来は蠅帽子じゃなくて、這帽子だったんですね。
蠅帽子だと蠅がいっぱいいそうな名前ですものね。
峠の美濃側には柔和なお顔のお地蔵様が祀られていた。この峠を越える人々をずっと優しく見守ってきたのだろう。
本当に優しそうないいお顔のお地蔵様ですね。
尾根の襞を忠実になぞって少しずつ高度を下げて行く道は、ほとんどヤブもなく、迷いようのない明瞭な踏み跡
が続く。そしてまわりを見わたせば360度錦繍の森が広がる。もみじの赤はほとんどないが、ブナとシロモジの
黄金色の輝きに顔まで染まってしまいそうである。
この道を歩くならこの季節だと決めていたが、思い描いていた通りの風景に頬が緩む。
紅葉がドンピシャのタイミングになるのって難しいですね。
今回は見事でしたね。そろそろ紅葉も終わりでしょうか。いいときに登られましたね。
山腹を巻いていた道は標高750mあたりで尾根に出る。この尾根芯に付けられた道型がまた素晴らしい。
最大傾斜線ではなく、うねうねと蛇行しながら最小の勾配で済むように付けられた古道の香りが漂う道である。
深く掘り込まれた古道には風格を感じると共に、美しい芸術作品を鑑賞しているような思いすら感じるのである。
昔からの峠道、歩きやすいように考えられて作られた道なのでしょうか。
目論見どおり、1時間足らずで二俣に着地。あとは元来た蝿帽子川の河原道を戻るだけだ。
帰りには明るく輝く蝿帽子川の姿を見られると思っていたが、谷間にはもう既に日差しが届かなくなっていた。
オフ会で山日和さんにお会いしたので、今までよりも二人の歩くお姿を想像しながら読ませていただきました。
投稿には書かれていないお二人の会話とかも勝手に想像したりして楽しませていただきました。
やっぱり、オフ会に出て皆さんと直接お話できて良かったなあと思い返しています。
tsubo
Re: 【奥越】錦繍の蝿帽子川から蝿帽子峠の古道を歩く
tsuboさん、どうもです。
ガイドブックのコースは岐阜の大河原から福井の二俣までの峠越えの縦走になっているので、一人だとどちらからかの往復になるなとか考えていました。
そうなんですか。でも現実的には不可能に近いコースですよね。福井県側に下りたら、そこからどうするんでしょう?
>satoさんは足が抜けなくなって身動きが取れず大騒ぎだ。
あはっ、satoさんの姿を想像してしまいました。
もがいてる姿が面白かったです。
>「穏やか」という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景である。
まだ日の届かない谷筋は少し暗いが、山肌を見上げると燃えるような紅葉に包まれている。
穏やかな風景が想像できますね。
ホントに「穏やか」を絵に描いたような風景でした。
もっとメジャーな山なら誰かが正しい標高の標識を設置するんでしょうがね。
気にしてもわざわざ正しい標識を作って来ようという人はいないのかしら。
そうでしょうねえ。1枚だけあった標識が標高間違いというのもオツなものです。
>途中で4人パーティーとすれ違う。古道調査に来ているということだった。
この人たち、標識を直すかしら?
直さないでしょう。古道と標高は関係ないですから。
本来は蠅帽子じゃなくて、這帽子だったんですね。
蠅帽子だと蠅がいっぱいいそうな名前ですものね。
這「法師」ですね。本来かどうかはわかりませんが、またの名をというところでしょうか。
帽子にいっぱい蝿がたかったのかも。
本当に優しそうないいお顔のお地蔵様ですね。
これまで見たお地蔵さんの中で、一番優しいお顔だったかもしれません。
紅葉がドンピシャのタイミングになるのって難しいですね。
今回は見事でしたね。そろそろ紅葉も終わりでしょうか。いいときに登られましたね。
そうなんです。もうそろそろと思ったら早過ぎたり、最盛期だと思ったら終わってたり。
もう1週後の方がいいかなと思ってましたが、今回はドンピシャでした。
昔からの峠道、歩きやすいように考えられて作られた道なのでしょうか。
登山のための道ではなく、生活の道ですからね。
オフ会で山日和さんにお会いしたので、今までよりも二人の歩くお姿を想像しながら読ませていただきました。
投稿には書かれていないお二人の会話とかも勝手に想像したりして楽しませていただきました。
ろくなことしゃべってないですけどね。
やっぱり、オフ会に出て皆さんと直接お話できて良かったなあと思い返しています。
やぶこぎメンバーに一層親しみが湧いたのではないでしょうか。
山日和
ガイドブックのコースは岐阜の大河原から福井の二俣までの峠越えの縦走になっているので、一人だとどちらからかの往復になるなとか考えていました。
そうなんですか。でも現実的には不可能に近いコースですよね。福井県側に下りたら、そこからどうするんでしょう?
>satoさんは足が抜けなくなって身動きが取れず大騒ぎだ。
あはっ、satoさんの姿を想像してしまいました。
もがいてる姿が面白かったです。
>「穏やか」という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景である。
まだ日の届かない谷筋は少し暗いが、山肌を見上げると燃えるような紅葉に包まれている。
穏やかな風景が想像できますね。
ホントに「穏やか」を絵に描いたような風景でした。
もっとメジャーな山なら誰かが正しい標高の標識を設置するんでしょうがね。
気にしてもわざわざ正しい標識を作って来ようという人はいないのかしら。
そうでしょうねえ。1枚だけあった標識が標高間違いというのもオツなものです。
>途中で4人パーティーとすれ違う。古道調査に来ているということだった。
この人たち、標識を直すかしら?
直さないでしょう。古道と標高は関係ないですから。
本来は蠅帽子じゃなくて、這帽子だったんですね。
蠅帽子だと蠅がいっぱいいそうな名前ですものね。
這「法師」ですね。本来かどうかはわかりませんが、またの名をというところでしょうか。
帽子にいっぱい蝿がたかったのかも。
本当に優しそうないいお顔のお地蔵様ですね。
これまで見たお地蔵さんの中で、一番優しいお顔だったかもしれません。
紅葉がドンピシャのタイミングになるのって難しいですね。
今回は見事でしたね。そろそろ紅葉も終わりでしょうか。いいときに登られましたね。
そうなんです。もうそろそろと思ったら早過ぎたり、最盛期だと思ったら終わってたり。
もう1週後の方がいいかなと思ってましたが、今回はドンピシャでした。
昔からの峠道、歩きやすいように考えられて作られた道なのでしょうか。
登山のための道ではなく、生活の道ですからね。
オフ会で山日和さんにお会いしたので、今までよりも二人の歩くお姿を想像しながら読ませていただきました。
投稿には書かれていないお二人の会話とかも勝手に想像したりして楽しませていただきました。
ろくなことしゃべってないですけどね。
やっぱり、オフ会に出て皆さんと直接お話できて良かったなあと思い返しています。
やぶこぎメンバーに一層親しみが湧いたのではないでしょうか。
山日和
Re: 【奥越】錦繍の蝿帽子川から蝿帽子峠の古道を歩く
山日和さま
こんばんは。
今日は、寒い一日でしたね。夕方前、湖西道路を走っている時、比良のお山を包んでいた雲がさぁっと流れて、
まっ白な稜線が目に飛び込んできました。蓬莱山周辺の初冠雪。ドキドキ胸を高鳴らせながら運転していました。
普段はこころの奥に仕舞われているけれど、忘れられない風景や想い描いている山旅があります。
そして、その風景、山旅は、ふっとした時、色鮮やかに脳裏に浮かんできたりします。
9月の初めに憧れの鍋又山を訪れた帰り、若谷を下り終え、満ち満ちた気持ちと安堵感に包まれながら蝿帽子林道に出て、
ひと息ついて歩き始める前に川の上流の方を眺めた時でした。
やわらかなお顔をしたお地蔵さまが祀られた錦繍の蝿帽子峠と、廃村秋生からの峠道探索の旅が、
胸に微かな痛みを伴いながら呼びかけてきました。
夕闇迫る蝿帽子林道を歩きながら、紅葉の頃、またここに来て、今度は蝿帽子川を遡り峠道を探しながら下りましょう、
とお話しましたね。
この日と思った11月3日。暖かな晴れのお天気でほっとしました。
夢見た山旅が今シーズンの沢納めにもなるので。越前と揖斐川上流の村々を結ぶ蝿帽子峠道。
廃村秋生から林道終点少し手前までは車に乗り楽をさせていただきました。落石の多い未舗装道。
万一の時のために重いスペアタイヤを積んできてくださりありがとうございました。
歩き始めが550m弱で二俣が620m。1時間半かけて70mの登り。
「『穏やか』という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景」
まさにおっしゃる通り、穏やかな風景が続いていきました。岸辺には古道の跡がうっすらと残っていてうれしかったです。
左俣のカスミ谷に入っても、しばらくは穏やかでしたね。
今年の紅葉は今ひとつのようですが、赤や黄に彩られた谷はほんとうにうつくしかったです。
風景との出会いは一期一会。この日に決めてよかったとしみじみと思いました。
25cmくらいの大きなイワナにも出会えました。
標高740m辺りから現れた滝。やっぱり滝を見るとうれしくなりますね。滝は結構上流まで続いていって楽しかったです。
ヌメヌメした岩が多く緊張しましたが。
最後は溝状になりヤブの中を詰め上がって行くのだろうな、と思っていましたが、
稜線に出るまですっきりとした谷。素敵な谷でした。
蝿帽子嶺の山頂からは、昨年の3月にご一緒させていただいた岩谷山から御伊勢山の稜線に目が吸い込まれていきました。
以前眺めた時には、ピンとこなかった山やま。奥越のお山は、山日和さんにたくさん教えていただきました。
この山頂は山日和さんにとっても忘れられない想い出の場所ですね。
根尾大河原からコワタビ谷を遡ってきた山日和さんと峠道を登ってきた洞吹さんがお会いした。
山頂から峠までの稜線は、すっと歩いていったような記憶なのですが、草木が邪魔をしていましたね。
看板が見えた時にはドキドキしました。
石垣の中に祀られた、おおきなお姿でやさしいお顔をした鼻の下が欠けたお地蔵さま。峠の標高は約960m。
初めてお会いした時、この峠道を行き来した人々の切なる思いのようなものを感じて胸が熱くなりました。
蝿帽子峠道は、古くから越前と美濃を結ぶ主要路で、様々な時代に様々な人が様々な目的で越えた道。
江戸時代から一時期途絶えたものの昭和の時代まで、鯖江の浄土真宗誠照寺の御使僧が美濃檀家廻りで美濃へと越えた歴史、
幕末には、女性を含む1000人ともいわれる水戸天狗党浪士たちが、一橋慶喜を通じて朝廷へ尊王攘夷の志を伝えようと、
雪の中、大砲や馬を引きながら、根尾大河原から秋生へと越えた歴史はこころに訴えかけてきます。
美濃側は、山を歩く人の負担が軽くなるよう、尾根を横切りながら緩やかに道が延びていました。
ところどころ石組も残っていて、この石組は人々の願いや思いを支え続けてきたのだと、
しみじみとした思いに包まれながら歩いていました。
真名川ダム、笹生川ダム建設により、真名川上流の街道の村々は廃村となり、ダムの下に沈み、
越前側の峠道は、もはや土に埋もれているかもと思いましたが、いつか辿りたいと思いました。
越前側の道の始まりは、美濃側よりはっきりとしていましたね。
想い描いた古道探索へのその前に、お昼の休憩をしていたら梨丸ご夫妻が。うれしい出会いでしたね。
蝿帽子峠道は、美濃側も越前側もほんとうに素晴らしい道でした。
ほとんど土に埋もれていると思った越前側も、うつくしい道跡が残っていましたね。
最初は尾根ではなく、黄金色に煌めくブナとシロモジの森が続く山腹を縫っていました。
尾根が二つに分かれる標高850mで、道はすぅっと右の尾根に。
尾根に乗ると、堀割道となり尾根芯をうねうねと横切りながら緩やかに下っていきました。
人々の道への思い、山への思いを感じる造形。
錦繍の山をうつくしい線を描きながら延びていく道を辿りながら、感動に震えていました。
秋の谷間は15時には日陰に。少し愁いを帯びたようなしっとりとした光を放つ紅葉を眺めながら、
うつりゆく時の中で、山が谷が道が見てきた風景に思いを巡らせていました。
切実な思いを胸に峠を越えていった人々の姿が浮かんできて、近代日本の成り立ち、
そして世界のあちこちで起こっている紛争について考えてしまいました。
想い描いた山旅は、とても感慨深い山旅でした。ありがとうございました。
sato
こんばんは。
今日は、寒い一日でしたね。夕方前、湖西道路を走っている時、比良のお山を包んでいた雲がさぁっと流れて、
まっ白な稜線が目に飛び込んできました。蓬莱山周辺の初冠雪。ドキドキ胸を高鳴らせながら運転していました。
普段はこころの奥に仕舞われているけれど、忘れられない風景や想い描いている山旅があります。
そして、その風景、山旅は、ふっとした時、色鮮やかに脳裏に浮かんできたりします。
9月の初めに憧れの鍋又山を訪れた帰り、若谷を下り終え、満ち満ちた気持ちと安堵感に包まれながら蝿帽子林道に出て、
ひと息ついて歩き始める前に川の上流の方を眺めた時でした。
やわらかなお顔をしたお地蔵さまが祀られた錦繍の蝿帽子峠と、廃村秋生からの峠道探索の旅が、
胸に微かな痛みを伴いながら呼びかけてきました。
夕闇迫る蝿帽子林道を歩きながら、紅葉の頃、またここに来て、今度は蝿帽子川を遡り峠道を探しながら下りましょう、
とお話しましたね。
この日と思った11月3日。暖かな晴れのお天気でほっとしました。
夢見た山旅が今シーズンの沢納めにもなるので。越前と揖斐川上流の村々を結ぶ蝿帽子峠道。
廃村秋生から林道終点少し手前までは車に乗り楽をさせていただきました。落石の多い未舗装道。
万一の時のために重いスペアタイヤを積んできてくださりありがとうございました。
歩き始めが550m弱で二俣が620m。1時間半かけて70mの登り。
「『穏やか』という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景」
まさにおっしゃる通り、穏やかな風景が続いていきました。岸辺には古道の跡がうっすらと残っていてうれしかったです。
左俣のカスミ谷に入っても、しばらくは穏やかでしたね。
今年の紅葉は今ひとつのようですが、赤や黄に彩られた谷はほんとうにうつくしかったです。
風景との出会いは一期一会。この日に決めてよかったとしみじみと思いました。
25cmくらいの大きなイワナにも出会えました。
標高740m辺りから現れた滝。やっぱり滝を見るとうれしくなりますね。滝は結構上流まで続いていって楽しかったです。
ヌメヌメした岩が多く緊張しましたが。
最後は溝状になりヤブの中を詰め上がって行くのだろうな、と思っていましたが、
稜線に出るまですっきりとした谷。素敵な谷でした。
蝿帽子嶺の山頂からは、昨年の3月にご一緒させていただいた岩谷山から御伊勢山の稜線に目が吸い込まれていきました。
以前眺めた時には、ピンとこなかった山やま。奥越のお山は、山日和さんにたくさん教えていただきました。
この山頂は山日和さんにとっても忘れられない想い出の場所ですね。
根尾大河原からコワタビ谷を遡ってきた山日和さんと峠道を登ってきた洞吹さんがお会いした。
山頂から峠までの稜線は、すっと歩いていったような記憶なのですが、草木が邪魔をしていましたね。
看板が見えた時にはドキドキしました。
石垣の中に祀られた、おおきなお姿でやさしいお顔をした鼻の下が欠けたお地蔵さま。峠の標高は約960m。
初めてお会いした時、この峠道を行き来した人々の切なる思いのようなものを感じて胸が熱くなりました。
蝿帽子峠道は、古くから越前と美濃を結ぶ主要路で、様々な時代に様々な人が様々な目的で越えた道。
江戸時代から一時期途絶えたものの昭和の時代まで、鯖江の浄土真宗誠照寺の御使僧が美濃檀家廻りで美濃へと越えた歴史、
幕末には、女性を含む1000人ともいわれる水戸天狗党浪士たちが、一橋慶喜を通じて朝廷へ尊王攘夷の志を伝えようと、
雪の中、大砲や馬を引きながら、根尾大河原から秋生へと越えた歴史はこころに訴えかけてきます。
美濃側は、山を歩く人の負担が軽くなるよう、尾根を横切りながら緩やかに道が延びていました。
ところどころ石組も残っていて、この石組は人々の願いや思いを支え続けてきたのだと、
しみじみとした思いに包まれながら歩いていました。
真名川ダム、笹生川ダム建設により、真名川上流の街道の村々は廃村となり、ダムの下に沈み、
越前側の峠道は、もはや土に埋もれているかもと思いましたが、いつか辿りたいと思いました。
越前側の道の始まりは、美濃側よりはっきりとしていましたね。
想い描いた古道探索へのその前に、お昼の休憩をしていたら梨丸ご夫妻が。うれしい出会いでしたね。
蝿帽子峠道は、美濃側も越前側もほんとうに素晴らしい道でした。
ほとんど土に埋もれていると思った越前側も、うつくしい道跡が残っていましたね。
最初は尾根ではなく、黄金色に煌めくブナとシロモジの森が続く山腹を縫っていました。
尾根が二つに分かれる標高850mで、道はすぅっと右の尾根に。
尾根に乗ると、堀割道となり尾根芯をうねうねと横切りながら緩やかに下っていきました。
人々の道への思い、山への思いを感じる造形。
錦繍の山をうつくしい線を描きながら延びていく道を辿りながら、感動に震えていました。
秋の谷間は15時には日陰に。少し愁いを帯びたようなしっとりとした光を放つ紅葉を眺めながら、
うつりゆく時の中で、山が谷が道が見てきた風景に思いを巡らせていました。
切実な思いを胸に峠を越えていった人々の姿が浮かんできて、近代日本の成り立ち、
そして世界のあちこちで起こっている紛争について考えてしまいました。
想い描いた山旅は、とても感慨深い山旅でした。ありがとうございました。
sato
Re: 【奥越】錦繍の蝿帽子川から蝿帽子峠の古道を歩く
satoさん、どうもです。お疲れさまでした。
今日は、寒い一日でしたね。夕方前、湖西道路を走っている時、比良のお山を包んでいた雲がさぁっと流れて、まっ白な稜線が目に飛び込んできました。蓬莱山周辺の初冠雪。ドキドキ胸を高鳴らせながら運転していました。
比良も伊吹も初冠雪だったようですね。先週まで夏日で暑いと言ってたのがウソのような気温でした。体が付いて行けません。
9月の初めに憧れの鍋又山を訪れた帰り、若谷を下り終え、満ち満ちた気持ちと安堵感に包まれながら蝿帽子林道に出て、ひと息ついて歩き始める前に川の上流の方を眺めた時でした。
夕闇迫る蝿帽子林道を歩きながら、紅葉の頃、またここに来て、今度は蝿帽子川を遡り峠道を探しながら下りましょう、とお話しましたね。
蝿帽子を歩くなら紅葉の時期と決めていました。この時までそれほど強い思い入れがあったわけではないんだけど、若谷の下りで意外な森の素晴らしさに触れて、蝿帽子川もきっと同じようなんだろうという思いが湧いてきました。
落石の多い未舗装道。
万一の時のために重いスペアタイヤを積んできてくださりありがとうございました。
せっかく持ってるのに積んでおらず、2回もバーストでJAFのお世話になりましたからね。3回同じことをやったらアホです。
歩き始めが550m弱で二俣が620m。1時間半かけて70mの登り。
「『穏やか』という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景」
まさにおっしゃる通り、穏やかな風景が続いていきました。岸辺には古道の跡がうっすらと残っていてうれしかったです。
想定通りの緩やかな谷でしたが、これほど自然度が高いとは思いませんでしたよ。
古道の跡でだいぶ楽をさせてもらえました。
今年の紅葉は今ひとつのようですが、赤や黄に彩られた谷はほんとうにうつくしかったです。
風景との出会いは一期一会。この日に決めてよかったとしみじみと思いました。
この日以外はないと言うぐらい最高の日に歩けましたね。目論み通りでした。エッヘン。
25cmくらいの大きなイワナにも出会えました。
手づかみに失敗したのが残念!!
標高740m辺りから現れた滝。やっぱり滝を見るとうれしくなりますね。滝は結構上流まで続いていって楽しかったです。
ヌメヌメした岩が多く緊張しましたが。
あの程度の滝でよかったですわ。鍋又みたいだったら闇下必至です。
最後は溝状になりヤブの中を詰め上がって行くのだろうな、と思っていましたが、
稜線に出るまですっきりとした谷。素敵な谷でした。
これはルート取りの勝利と言わざるを得ないでしょう。
蝿帽子嶺の山頂からは、昨年の3月にご一緒させていただいた岩谷山から御伊勢山の稜線に目が吸い込まれていきました。
以前眺めた時には、ピンとこなかった山やま。奥越のお山は、山日和さんにたくさん教えていただきました。
積雪期のあの稜線は素晴らしいですね。無雪期はどんな感じなんだろうと興味が湧きます。
この山頂は山日和さんにとっても忘れられない想い出の場所ですね。
根尾大河原からコワタビ谷を遡ってきた山日和さんと峠道を登ってきた洞吹さんがお会いした。
あの時は私が外人のクマになりすまして、ヤブの中から「ハロー」と声を掛けたのでした。
山頂から峠までの稜線は、すっと歩いていったような記憶なのですが、草木が邪魔をしていましたね。
このあたり、まったく記憶なし。
石垣の中に祀られた、おおきなお姿でやさしいお顔をした鼻の下が欠けたお地蔵さま。峠の標高は約960m。
初めてお会いした時、この峠道を行き来した人々の切なる思いのようなものを感じて胸が熱くなりました。
ホントにやさしい顔のお地蔵さまでしたね。よく来たと歓迎してくれているようでした。
蝿帽子峠道は、古くから越前と美濃を結ぶ主要路で、様々な時代に様々な人が様々な目的で越えた道。
江戸時代から一時期途絶えたものの昭和の時代まで、鯖江の浄土真宗誠照寺の御使僧が美濃檀家廻りで美濃へと越えた歴史、幕末には、女性を含む1000人ともいわれる水戸天狗党浪士たちが、一橋慶喜を通じて朝廷へ尊王攘夷の志を伝えようと、雪の中、大砲や馬を引きながら、根尾大河原から秋生へと越えた歴史はこころに訴えかけてきます。
あの峠道を1000人もの集団が、しかも冬に歩いたなんて信じられませんね。昔の人は凄いなあと思います。峠を越えてからも蝿帽子川、笹生川、真名川と歩いて大野まで行くんですからね。
真名川の下流は険しいので、当時は若生子(わかご)坂や笹又峠を越えたようです。
越前側の道の始まりは、美濃側よりはっきりとしていましたね。
想い描いた古道探索へのその前に、お昼の休憩をしていたら梨丸ご夫妻が。うれしい出会いでしたね。
あの道型を見てモチベーションがぐっと上がりました。
蝿帽子峠道は、美濃側も越前側もほんとうに素晴らしい道でした。
ほとんど土に埋もれていると思った越前側も、うつくしい道跡が残っていましたね。
最初は尾根ではなく、黄金色に煌めくブナとシロモジの森が続く山腹を縫っていました。
尾根が二つに分かれる標高850mで、道はすぅっと右の尾根に。
尾根に乗ると、堀割道となり尾根芯をうねうねと横切りながら緩やかに下っていきました。
人々の道への思い、山への思いを感じる造形。
錦繍の山をうつくしい線を描きながら延びていく道を辿りながら、感動に震えていました。
いやー、素晴らしい峠越えの古道でしたね。
道そのものが素晴らしい上に、紅黄葉の舞台装置が加わって、古道歩きを一層充実したものにしてくれました。
秋の谷間は15時には日陰に。少し愁いを帯びたようなしっとりとした光を放つ紅葉を眺めながら、うつりゆく時の中で、山が谷が道が見てきた風景に思いを巡らせていました。
もう少し光が欲しかったけど、高揚した心のクールダウンにはちょうどよかったかもね。
山日和
今日は、寒い一日でしたね。夕方前、湖西道路を走っている時、比良のお山を包んでいた雲がさぁっと流れて、まっ白な稜線が目に飛び込んできました。蓬莱山周辺の初冠雪。ドキドキ胸を高鳴らせながら運転していました。
比良も伊吹も初冠雪だったようですね。先週まで夏日で暑いと言ってたのがウソのような気温でした。体が付いて行けません。
9月の初めに憧れの鍋又山を訪れた帰り、若谷を下り終え、満ち満ちた気持ちと安堵感に包まれながら蝿帽子林道に出て、ひと息ついて歩き始める前に川の上流の方を眺めた時でした。
夕闇迫る蝿帽子林道を歩きながら、紅葉の頃、またここに来て、今度は蝿帽子川を遡り峠道を探しながら下りましょう、とお話しましたね。
蝿帽子を歩くなら紅葉の時期と決めていました。この時までそれほど強い思い入れがあったわけではないんだけど、若谷の下りで意外な森の素晴らしさに触れて、蝿帽子川もきっと同じようなんだろうという思いが湧いてきました。
落石の多い未舗装道。
万一の時のために重いスペアタイヤを積んできてくださりありがとうございました。
せっかく持ってるのに積んでおらず、2回もバーストでJAFのお世話になりましたからね。3回同じことをやったらアホです。
歩き始めが550m弱で二俣が620m。1時間半かけて70mの登り。
「『穏やか』という言葉を風景にすればこんな姿になるのだろうと思わせるような平和な風景」
まさにおっしゃる通り、穏やかな風景が続いていきました。岸辺には古道の跡がうっすらと残っていてうれしかったです。
想定通りの緩やかな谷でしたが、これほど自然度が高いとは思いませんでしたよ。
古道の跡でだいぶ楽をさせてもらえました。
今年の紅葉は今ひとつのようですが、赤や黄に彩られた谷はほんとうにうつくしかったです。
風景との出会いは一期一会。この日に決めてよかったとしみじみと思いました。
この日以外はないと言うぐらい最高の日に歩けましたね。目論み通りでした。エッヘン。
25cmくらいの大きなイワナにも出会えました。
手づかみに失敗したのが残念!!
標高740m辺りから現れた滝。やっぱり滝を見るとうれしくなりますね。滝は結構上流まで続いていって楽しかったです。
ヌメヌメした岩が多く緊張しましたが。
あの程度の滝でよかったですわ。鍋又みたいだったら闇下必至です。
最後は溝状になりヤブの中を詰め上がって行くのだろうな、と思っていましたが、
稜線に出るまですっきりとした谷。素敵な谷でした。
これはルート取りの勝利と言わざるを得ないでしょう。
蝿帽子嶺の山頂からは、昨年の3月にご一緒させていただいた岩谷山から御伊勢山の稜線に目が吸い込まれていきました。
以前眺めた時には、ピンとこなかった山やま。奥越のお山は、山日和さんにたくさん教えていただきました。
積雪期のあの稜線は素晴らしいですね。無雪期はどんな感じなんだろうと興味が湧きます。
この山頂は山日和さんにとっても忘れられない想い出の場所ですね。
根尾大河原からコワタビ谷を遡ってきた山日和さんと峠道を登ってきた洞吹さんがお会いした。
あの時は私が外人のクマになりすまして、ヤブの中から「ハロー」と声を掛けたのでした。
山頂から峠までの稜線は、すっと歩いていったような記憶なのですが、草木が邪魔をしていましたね。
このあたり、まったく記憶なし。
石垣の中に祀られた、おおきなお姿でやさしいお顔をした鼻の下が欠けたお地蔵さま。峠の標高は約960m。
初めてお会いした時、この峠道を行き来した人々の切なる思いのようなものを感じて胸が熱くなりました。
ホントにやさしい顔のお地蔵さまでしたね。よく来たと歓迎してくれているようでした。
蝿帽子峠道は、古くから越前と美濃を結ぶ主要路で、様々な時代に様々な人が様々な目的で越えた道。
江戸時代から一時期途絶えたものの昭和の時代まで、鯖江の浄土真宗誠照寺の御使僧が美濃檀家廻りで美濃へと越えた歴史、幕末には、女性を含む1000人ともいわれる水戸天狗党浪士たちが、一橋慶喜を通じて朝廷へ尊王攘夷の志を伝えようと、雪の中、大砲や馬を引きながら、根尾大河原から秋生へと越えた歴史はこころに訴えかけてきます。
あの峠道を1000人もの集団が、しかも冬に歩いたなんて信じられませんね。昔の人は凄いなあと思います。峠を越えてからも蝿帽子川、笹生川、真名川と歩いて大野まで行くんですからね。
真名川の下流は険しいので、当時は若生子(わかご)坂や笹又峠を越えたようです。
越前側の道の始まりは、美濃側よりはっきりとしていましたね。
想い描いた古道探索へのその前に、お昼の休憩をしていたら梨丸ご夫妻が。うれしい出会いでしたね。
あの道型を見てモチベーションがぐっと上がりました。
蝿帽子峠道は、美濃側も越前側もほんとうに素晴らしい道でした。
ほとんど土に埋もれていると思った越前側も、うつくしい道跡が残っていましたね。
最初は尾根ではなく、黄金色に煌めくブナとシロモジの森が続く山腹を縫っていました。
尾根が二つに分かれる標高850mで、道はすぅっと右の尾根に。
尾根に乗ると、堀割道となり尾根芯をうねうねと横切りながら緩やかに下っていきました。
人々の道への思い、山への思いを感じる造形。
錦繍の山をうつくしい線を描きながら延びていく道を辿りながら、感動に震えていました。
いやー、素晴らしい峠越えの古道でしたね。
道そのものが素晴らしい上に、紅黄葉の舞台装置が加わって、古道歩きを一層充実したものにしてくれました。
秋の谷間は15時には日陰に。少し愁いを帯びたようなしっとりとした光を放つ紅葉を眺めながら、うつりゆく時の中で、山が谷が道が見てきた風景に思いを巡らせていました。
もう少し光が欲しかったけど、高揚した心のクールダウンにはちょうどよかったかもね。
山日和
Re: 【奥越】錦繍の蝿帽子川から蝿帽子峠の古道を歩く
山日和さん、こんにちは。
すっかりご無沙汰してしまい、返信の仕方も忘れてました(^^;)
先日の蠅帽子峠では、誰も居ないだろうと思い山頂からヤブ漕いで、そろそろ峠だろうと思っていたところに人影を見たので思わずお声掛けしましたが、その人影がまさか山日和さんとsatoさんだっとは、正にまさかのバッタリに嬉しいビックリでした。
道中の紅葉も見事で、終始ワハハガハハがとまりませんでしたよ!
福井県側のルートにも興味津々でしたが、けっこう明瞭なルートが残ってるんですね。
いつか、そのルートも歩いてみたいもんです。
また、どこかの山中でのバッタリを期待してます。
ありがとうございました。
すっかりご無沙汰してしまい、返信の仕方も忘れてました(^^;)
先日の蠅帽子峠では、誰も居ないだろうと思い山頂からヤブ漕いで、そろそろ峠だろうと思っていたところに人影を見たので思わずお声掛けしましたが、その人影がまさか山日和さんとsatoさんだっとは、正にまさかのバッタリに嬉しいビックリでした。
道中の紅葉も見事で、終始ワハハガハハがとまりませんでしたよ!
福井県側のルートにも興味津々でしたが、けっこう明瞭なルートが残ってるんですね。
いつか、そのルートも歩いてみたいもんです。
また、どこかの山中でのバッタリを期待してます。
ありがとうございました。
Re: 【奥越】錦繍の蝿帽子川から蝿帽子峠の古道を歩く
梨丸さん、どうもです。久しぶりですね~
すっかりご無沙汰してしまい、返信の仕方も忘れてました(^^;)
ホントですよ。たまには顔を出してもらわないと。
先日の蠅帽子峠では、誰も居ないだろうと思い山頂からヤブ漕いで、そろそろ峠だろうと思っていたところに人影を見たので思わずお声掛けしましたが、その人影がまさか山日和さんとsatoさんだっとは、正にまさかのバッタリに嬉しいビックリでした。
こちらも尾根をやって来た人がまさか梨丸さんとかみちゃんだとは・・・
まあ、会う時には会うもんですね~
道中の紅葉も見事で、終始ワハハガハハがとまりませんでしたよ!
福井県側のルートにも興味津々でしたが、けっこう明瞭なルートが残ってるんですね。
いつか、そのルートも歩いてみたいもんです。
美濃側もタイミングバッチリだったでしょうね。
越前側も素晴らしかったです。
ヤマレコに古道調査の人たちのレポがアップされてましたが、人に会ったことは触れてませんでしたね。
日本山岳会東海支部のようです。
また、どこかの山中でのバッタリを期待してます。
私に会いそうな山に登って下さいね。
山日和
すっかりご無沙汰してしまい、返信の仕方も忘れてました(^^;)
ホントですよ。たまには顔を出してもらわないと。
先日の蠅帽子峠では、誰も居ないだろうと思い山頂からヤブ漕いで、そろそろ峠だろうと思っていたところに人影を見たので思わずお声掛けしましたが、その人影がまさか山日和さんとsatoさんだっとは、正にまさかのバッタリに嬉しいビックリでした。
こちらも尾根をやって来た人がまさか梨丸さんとかみちゃんだとは・・・
まあ、会う時には会うもんですね~
道中の紅葉も見事で、終始ワハハガハハがとまりませんでしたよ!
福井県側のルートにも興味津々でしたが、けっこう明瞭なルートが残ってるんですね。
いつか、そのルートも歩いてみたいもんです。
美濃側もタイミングバッチリだったでしょうね。
越前側も素晴らしかったです。
ヤマレコに古道調査の人たちのレポがアップされてましたが、人に会ったことは触れてませんでしたね。
日本山岳会東海支部のようです。
また、どこかの山中でのバッタリを期待してます。
私に会いそうな山に登って下さいね。
山日和