【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる沢納め 幾里谷・藪ヶ谷
Posted: 2021年11月17日(水) 20:33
【日 付】2021年11月15日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】幾里林道入口駐車場7:05---11:30藪谷峠------13:00藪ヶ滝---15:00幾里林道駐車場
【メンバー】michiさん、わりばし
時山集落をはさんで北から流れ込む大きな支流が二つある。幾里谷と藪ヶ谷でその間にソドノ北尾根が続いている。この長い支流をつなぎ、あわよくばナメコが採取できたらとmichiさんと出かけた。
幾里林道の入口に駐車し林道を歩く。長い谷だけに林道で距離をかせぎたい。林道は途中で崩れ実線の終点まで続いていた。水力発電所の跡が残っており壁にスプレーアートでドカヘルの親父が描かれていた。なかなか情景とマッチしている。
南紀で集落用の小規模な水力発電所跡は見たことがあるが、ここの水力発電は規模が大きい。山頂部から巨大な導水管で水を流しタービンを回す形で、地区限定の発電所には似つかわしくない。調べてみると、隣のいなべ市藤原町にあった白石工業の鉱山・工場に電気を送るために作られた時山第二発電所跡で、県道近くに第一発電所もあったようだ。白石工業は石灰石を採掘して炭酸カルシュウムに関わる製品を作っていた。藤原岳や御池岳の尾根筋で見かける「白石」の標柱の会社だ。三重・滋賀・岐阜にまたがるカルスト台地の大きさを感じずにはいられない。
道は無くなり植林を沢づたいに進む。石積みの道や区画された平地などがある。ここから「こえど」と言われる峠を越えて上石津町多良につないでいた。植林には窯跡の石の小山がいくつも残っている。このあたりはムラから場所を借りて炭焼きをしていたので、植林にする際に窯跡の撤去を求められたのかもしれない。植林を過ぎるとすぐに窯跡があらわれた。炭窯に住居用の四角い石積みのある典型的な時山の形だ。冬に炭焼きをする際に、雪深い地域では雪の入り込みを防ぐために石積みを積むようだ。暖かい地域では見ない形だ。
この形の窯跡が延々と出てきて炭焼きの谷だったことがわかる。
ゴルジュぽくなったりしながらも自然林の明るい谷を進んでいく。谷を藪谷峠に向けて詰めると全身ずぶぬれにならなければ突破できない滝とゴルジュが出てくる。朝は4度しかなく、水も冷たかったので回避。ナメコ探しのために破線のある右俣に入った。沢づたいにナメコを探すが、元気に群生しているのはナラタケばかり。幼菌から傘の開いたのまでたくさん見かけるが、毒があってはしょうがない。結局この日は、ナメコに巡り合えなかった。
右俣を詰めて植林から林道に上がった。現在も使われている林道で轍も新しい。ひとつ奥の右俣なら良かったのだが、早く入りすぎたおかげで、長い林道歩きが待っていた。昔は炭焼き地帯だけあって自然林が続いていたようだが、この林道により植林地に変えられてしまった。
林道から霊仙避難小屋が見えるあたりにひとつ奥の右俣がきている。カレンフェルトの石灰岩が散在している明るい源頭で、霊仙の山域だということを感じさせてくれる。谷山が近づき、鹿あそびからソドノにつながる尾根が正面に見える分岐を下ると藪谷峠に着く。
峠と言ってもGPSで場所がわかる状態で、以前のような風情はない。ここから植林の尾根を破線道が降りているので、これを追い谷に降りることにした。植林といっても枝が伸び放題の放置植林で歩きにくい。溝道が時たま出てくるが枝の廃棄場所になっており追えないので、尾根を外さないように下る。まったく歩かれていないような道なのに尾根芯には新しいテープが続いている。真新しい鹿よけネットまで、テープは続いていたのでネット設置の際の目印だったようだ。急斜面に張られたネットは数か所で落ちており役に立っていない。その前に、枝の伸び放題の放置植林に突入する鹿はいない。林道といい鹿よけネットといい意味のない工事は辞めてほしいものだ。
出たのは藪ヶ谷までつながる急な斜面で、へたをするとどこまででも落ちていきそう。鹿よけネットでトラバースして、どうにか降りれそうな小尾根に取りつき谷まで降りた。谷から見て、無事に降りられるのはここしかなかった。昔はここに巻くように道がつけられていた。光さす気持ちのいい錦秋の源頭で、ここで昼食休憩を取る。林道は風が吹いていたが、ここは静かで温かい。
下り始めると、すぐに窯跡がある。炭焼き窯と四角い居住スペースの石積みのあるやつだ。その先には、「時山⇔霊仙山」のプラスチックプレートに赤ペンキがあった。以前登山道だったころの名残だが、ここに登山道は降りてきている。藪谷峠から林道を進みコルから谷筋を下るようにつけられていた。破線道よりこの登山道跡を歩いたほうが安全だと思う。
立派な窯跡が出てきて、前方が明るく開けた。藪ヶ滝10mで、右岸に巻き道があるが危うい。懸垂下降で下りることにした。michiさんと私のロープをつなぎ、木に通す。結び目を木から外し、ロープの引っ掛かりの危険性を少なくする。結び目の下にある私の赤ロープを引くようにした。michiさんに「赤引きで」と言われて、すぐにわからなかったが、こういうことだ。
ヌメヌメの滝を難なく二人が懸垂で下りて、ロープを引いて回収するときにロープが踊り結ばってしまった。michiさんが巻き道から登りロープの結び目をほどいて二度目の懸垂下降をすることになった。巻き道には下部にロープがあり、バンドが滝口につながっているように下からは見える。ただ、バンドが上部で落ちていて気が置けない。これを上部から見て懸垂下降したのに申し訳ない。今度は、慎重にロープを引っ張り回収した。
炭窯が次から次へと出てくる。登山道は、炭焼きの杣道を利用したのだろう。人はほとんど入っていないようで、赤ペンキ上にある踏み跡もあやしい。現在は獣たちしか使っていない状態で、危なっかしい。しかも、登山道跡を追っても途中で崩れていることもしばしばで、その都度、状況判断していくしかない。こんな状況なので、登山靴でくれば苦労すると思う。
前が明るくなり堰堤の上に出ると、林道終点だ。林道からは、現役の炭窯が5か所残っており炭焼きの里だとあらためて感じさせてくれる。県道に出ると地元のおばちゃんとおばあさんが渋柿を竹の先に引っかけて採っていた。そろそろ干し柿づくりの季節だ、時山の民家の軒先にも干し柿がつるしてあった。
【山 域】鈴鹿
【コース】幾里林道入口駐車場7:05---11:30藪谷峠------13:00藪ヶ滝---15:00幾里林道駐車場
【メンバー】michiさん、わりばし
時山集落をはさんで北から流れ込む大きな支流が二つある。幾里谷と藪ヶ谷でその間にソドノ北尾根が続いている。この長い支流をつなぎ、あわよくばナメコが採取できたらとmichiさんと出かけた。
幾里林道の入口に駐車し林道を歩く。長い谷だけに林道で距離をかせぎたい。林道は途中で崩れ実線の終点まで続いていた。水力発電所の跡が残っており壁にスプレーアートでドカヘルの親父が描かれていた。なかなか情景とマッチしている。
南紀で集落用の小規模な水力発電所跡は見たことがあるが、ここの水力発電は規模が大きい。山頂部から巨大な導水管で水を流しタービンを回す形で、地区限定の発電所には似つかわしくない。調べてみると、隣のいなべ市藤原町にあった白石工業の鉱山・工場に電気を送るために作られた時山第二発電所跡で、県道近くに第一発電所もあったようだ。白石工業は石灰石を採掘して炭酸カルシュウムに関わる製品を作っていた。藤原岳や御池岳の尾根筋で見かける「白石」の標柱の会社だ。三重・滋賀・岐阜にまたがるカルスト台地の大きさを感じずにはいられない。
道は無くなり植林を沢づたいに進む。石積みの道や区画された平地などがある。ここから「こえど」と言われる峠を越えて上石津町多良につないでいた。植林には窯跡の石の小山がいくつも残っている。このあたりはムラから場所を借りて炭焼きをしていたので、植林にする際に窯跡の撤去を求められたのかもしれない。植林を過ぎるとすぐに窯跡があらわれた。炭窯に住居用の四角い石積みのある典型的な時山の形だ。冬に炭焼きをする際に、雪深い地域では雪の入り込みを防ぐために石積みを積むようだ。暖かい地域では見ない形だ。
この形の窯跡が延々と出てきて炭焼きの谷だったことがわかる。
ゴルジュぽくなったりしながらも自然林の明るい谷を進んでいく。谷を藪谷峠に向けて詰めると全身ずぶぬれにならなければ突破できない滝とゴルジュが出てくる。朝は4度しかなく、水も冷たかったので回避。ナメコ探しのために破線のある右俣に入った。沢づたいにナメコを探すが、元気に群生しているのはナラタケばかり。幼菌から傘の開いたのまでたくさん見かけるが、毒があってはしょうがない。結局この日は、ナメコに巡り合えなかった。
右俣を詰めて植林から林道に上がった。現在も使われている林道で轍も新しい。ひとつ奥の右俣なら良かったのだが、早く入りすぎたおかげで、長い林道歩きが待っていた。昔は炭焼き地帯だけあって自然林が続いていたようだが、この林道により植林地に変えられてしまった。
林道から霊仙避難小屋が見えるあたりにひとつ奥の右俣がきている。カレンフェルトの石灰岩が散在している明るい源頭で、霊仙の山域だということを感じさせてくれる。谷山が近づき、鹿あそびからソドノにつながる尾根が正面に見える分岐を下ると藪谷峠に着く。
峠と言ってもGPSで場所がわかる状態で、以前のような風情はない。ここから植林の尾根を破線道が降りているので、これを追い谷に降りることにした。植林といっても枝が伸び放題の放置植林で歩きにくい。溝道が時たま出てくるが枝の廃棄場所になっており追えないので、尾根を外さないように下る。まったく歩かれていないような道なのに尾根芯には新しいテープが続いている。真新しい鹿よけネットまで、テープは続いていたのでネット設置の際の目印だったようだ。急斜面に張られたネットは数か所で落ちており役に立っていない。その前に、枝の伸び放題の放置植林に突入する鹿はいない。林道といい鹿よけネットといい意味のない工事は辞めてほしいものだ。
出たのは藪ヶ谷までつながる急な斜面で、へたをするとどこまででも落ちていきそう。鹿よけネットでトラバースして、どうにか降りれそうな小尾根に取りつき谷まで降りた。谷から見て、無事に降りられるのはここしかなかった。昔はここに巻くように道がつけられていた。光さす気持ちのいい錦秋の源頭で、ここで昼食休憩を取る。林道は風が吹いていたが、ここは静かで温かい。
下り始めると、すぐに窯跡がある。炭焼き窯と四角い居住スペースの石積みのあるやつだ。その先には、「時山⇔霊仙山」のプラスチックプレートに赤ペンキがあった。以前登山道だったころの名残だが、ここに登山道は降りてきている。藪谷峠から林道を進みコルから谷筋を下るようにつけられていた。破線道よりこの登山道跡を歩いたほうが安全だと思う。
立派な窯跡が出てきて、前方が明るく開けた。藪ヶ滝10mで、右岸に巻き道があるが危うい。懸垂下降で下りることにした。michiさんと私のロープをつなぎ、木に通す。結び目を木から外し、ロープの引っ掛かりの危険性を少なくする。結び目の下にある私の赤ロープを引くようにした。michiさんに「赤引きで」と言われて、すぐにわからなかったが、こういうことだ。
ヌメヌメの滝を難なく二人が懸垂で下りて、ロープを引いて回収するときにロープが踊り結ばってしまった。michiさんが巻き道から登りロープの結び目をほどいて二度目の懸垂下降をすることになった。巻き道には下部にロープがあり、バンドが滝口につながっているように下からは見える。ただ、バンドが上部で落ちていて気が置けない。これを上部から見て懸垂下降したのに申し訳ない。今度は、慎重にロープを引っ張り回収した。
炭窯が次から次へと出てくる。登山道は、炭焼きの杣道を利用したのだろう。人はほとんど入っていないようで、赤ペンキ上にある踏み跡もあやしい。現在は獣たちしか使っていない状態で、危なっかしい。しかも、登山道跡を追っても途中で崩れていることもしばしばで、その都度、状況判断していくしかない。こんな状況なので、登山靴でくれば苦労すると思う。
前が明るくなり堰堤の上に出ると、林道終点だ。林道からは、現役の炭窯が5か所残っており炭焼きの里だとあらためて感じさせてくれる。県道に出ると地元のおばちゃんとおばあさんが渋柿を竹の先に引っかけて採っていた。そろそろ干し柿づくりの季節だ、時山の民家の軒先にも干し柿がつるしてあった。