【奥美濃】笠羽湿原 山上の別天地と地獄のヤブ漕ぎと花の回廊
Posted: 2021年6月08日(火) 22:21
【日 付】2021年6月5日(土)
【山 域】奥美濃 石徹白周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】大杉登山口7:20---8:35笠羽谷入渓点---11:15林道出合---12:45笠羽湿原14:20---15:45 P1784m---16:05銚子ヶ峰
16:20---16:50神鳩避難小屋---18:00登山口
思い出は美化されがちである。いい印象の強い思い出は、その前後の苦しかった記憶を薄めてしまうのだ。
今回の山行はまさにそれで、昔の記憶を忘れて最初から楽勝ムードを漂わせていた。
石徹白大杉の登山口にはすでに数台の車が止まっていた。全員が銚子ヶ峰や三ノ峰、あるいは別山まで足を延ばすのだ
ろう。少なくとも林道を奥に進む登山者はまずいない。
昨日の大雨のおかげで、登山口までの舗装林道上も川のように水が流れているところが多かった。
笠羽谷へ向かう道もジュクジュクで、最初から沢靴を履いていて正解だ。
大滝の手前あたりから荒れが酷くなり、もはや林道の体をなしていない。笠羽橋の入口も分からないような状態で、か
つては車で走れる道だったとはとても思えない。
登山道よりも酷いレベルの薄い踏み跡を辿って入渓点に到着。10数年前に2度この道を歩いているが、もう復活すること
もなく、荒れるに任せるだけだろう。
笠羽谷はやや増水気味だが、遡行が困難というほどではない。ただ、できるだけ浸かりたくないので、岸に踏み跡があ
る部分は水を避けて距離を稼ぐ。
以前遡行した時にはなかった異変が目の前に現れた。夥しい流倒木が谷を埋めている。
近年の水害の傷跡はここにもあったのだ。笠羽谷は沢登りとしてはとりたてて特徴もない、坦々と遡行できる易しい谷だ
が、流れは美しいというのが取り柄だった。しかしこの倒木の山はその美点を消し去ってしまった。
どこから攻めるか頭をフル回転させて、フィールドアスレチックの弱点を探る。ここまででずいぶん時間を食ってしまった。
倒木地帯が終わり、ようやく普通に歩ける状態になった。しかし今度は別の意味でペースが落ちてしまうようになる。
次々に現れる花に、つい足を止めることを余儀なくされるのだ。
ふと見上げた右岸の枯れ谷にサンカヨウの群落を発見。先は長いがここを素通りするわけにはいかない。サンカヨウは私
のもっとも好きな花のひとつなのだ。
この後も、スミレの類は当然として、リュウキンカやミズバショウ、ツバメオモト、ミゾホオズキ、エンレイソウといっ
た花達が先を急がせてくれない。
正面に見える岩壁から落ちる大きな滝は、右岸の支流のものだ。初めて訪れた時は、えっ、本流こんな大滝があったの
かと驚いたものだ。
谷の真ん中の岩にあり得ないものが引っ掛かっていた。スノボである。積雪期に笠羽湿原周辺を滑っていて、足から外
れて谷へサヨナラしてしまったのか。はたまた谷に迷い込んだボーダーの遭難の痕跡か・・・・
思ったより時間が経過しているが、Ca1460mの林道出合まで行けば後は楽勝・・・と決めつけていた。
一旦林道に上がって行程を稼いでと思っていたのだが、この林道も荒れ放題。10数年前の記憶とはまったく違っていた。
林道上で激ヤブ漕ぎをするのもたまらず、再度谷筋へ下りる。
ここから先は地形図通りの平流が続く。すっかり少なくなった水流をチャプチャプと歩くだけならいいのだが、左右か
ら被る潅木が鬱陶しい。スッキリした部分とヤブを漕ぎながらの沢歩きが交互に現れ、時間だけが経過して行く。
もう越美国境稜線とはほとんど高低差がないぐらいの高度まで来ているのに、なかなか近付かない。
源流で1本手前の支流に入る。ここまで来ると溝の中をヤブ漕ぎしている状態だ。すると小さく開けた場所が現れた。
ミズバショウも咲いている。ここは以前「第二笠羽湿原」と名付けたミニ湿原だ。ここまで来れば笠羽湿原は近い。
北
東に向かってササを漕いで行く。
やがてササの向こうにポッカリと広がる平地に飛び出した。これが真正の笠羽(笠場)湿原である。
かつては一面に広がる池塘にミズバショウが群生する、まさに天上の楽園と呼ぶに相応しい場所だった。(私はその頃を
知らないが、20年ほど前まではそうだったらしい)
今は裸地が進み、池塘の面積もずいぶん小さくなってしまった。おまけにミズバショウの姿もほとんど見られない。
以前、白山の写真家の木村芳文氏にメールで問い合わせた時の話では、2002年頃にイノシシの仕業でこうなってしまった
のではということだった。これも自然の摂理ならしょうがないことだが、いかにも残念である。
往時の姿は失われたとは言え、三ノ峰と願教寺山を望む山上の別天地であることに変わりはない。
ほとんどがササで覆われたこの山稜上に、奇跡のように存在するオアシスなのだ。
積雪期にこの上を通過する登山者は多いが、無雪期にこの風景を眺めた人は数少ないだろう。
この極上のレストランでのんびりとランチタイムを楽しんだ。
帰路の美濃禅定道まで標高差200mばかり。道はないがそれほど苦労した記憶はない。(と勘違いしていた)
腰を上げてササの海へ漕ぎ出した。ササの背丈の低いところ、生え方の薄いところを選んで進もうとするが、なかなか
そんな具合のいい場所はない。とにかく方向を決めてひたすら泳ぐしかないのである。
考えてみれば、以前と言っても10数年前。自分もまだ50歳そこそこだった。ヤブを漕ぐにしてもパワーが違う。
昔の記憶と違うのはあたり前なのだ。
一段上がった1600mの台地には「つなぎぶしのひのき」と呼ばれる桧の密叢がある。1本の桧が横に根を張り、高く伸
びずに背丈ほどの高さに蟠った怪木である。右手の方にチラッと視界に入ったが、見物に行く心の余裕もなく、目の前に
広がる雪田にホッとひと息ついた。
ここから先はやや傾斜が強まる。右手でかき分けたササをガッチリ掴み、次に左手で同じ動作をした後、足場を決めてグ
ッと体を引き上げる。その繰り返しが続いた。
やがて傾斜がなくなると、1784mピークに到着。目の前には高速道路のような美濃禅定道があった。
道というのはこんなにも楽なものなのかと実感させられる瞬間だ。
ここまで来れば下山したも同然である。また花を楽しみながらのんびりと歩く。ミツバオウレンの絨毯が続き、ミヤマ
キンポウゲやキンキマメザクラ、ムラサキヤシオ、ツボスミレなどが目を楽しませてくれる。
展望も最高で、別山から日照岳へと続く長い稜線、石徹白川両岸の願教寺、日岸、薙刀、野伏、丸山、芦倉、奥越の赤兎、
大長、経ヶ岳、荒島、そして越美国境稜線の山々に加えて、御嶽、乗鞍、穂高の山々まで、一望のもとだ。
銚子ヶ峰を出発したのは4時を回っていた。早足で下山を開始したが、足元を見るとスピードが落ちて足が止まってしま
う。ツバメオモト、イワナシ、タムシバ、ウワミズザクラ、マイズルソウ、ユキザサと、途切れることなく花は続き、最
後はブナ林へ突入。仕上げに石徹白大杉を見て濃厚な一日を終えた。
余談だが、下山後、営業を再開したしろとり温泉で汗を流した。
昨年の3月で営業をを休止していたのたが、経営が変わって再び白鳥町内で温泉に入れるようになったのだ。
驚いたことに、以前と同じだったのは建物(外観は改装しているが)だけで、中の施設、エントランスから食堂、休憩室は
もちろん、浴室まですべて生まれ変わっていた。相当カネがかかっているだろう。
残念なことに、コロナによる営業時間短縮で、新装なったレストランで夕食を取れなかったのが心残りである。
山日和
【山 域】奥美濃 石徹白周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】大杉登山口7:20---8:35笠羽谷入渓点---11:15林道出合---12:45笠羽湿原14:20---15:45 P1784m---16:05銚子ヶ峰
16:20---16:50神鳩避難小屋---18:00登山口
思い出は美化されがちである。いい印象の強い思い出は、その前後の苦しかった記憶を薄めてしまうのだ。
今回の山行はまさにそれで、昔の記憶を忘れて最初から楽勝ムードを漂わせていた。
石徹白大杉の登山口にはすでに数台の車が止まっていた。全員が銚子ヶ峰や三ノ峰、あるいは別山まで足を延ばすのだ
ろう。少なくとも林道を奥に進む登山者はまずいない。
昨日の大雨のおかげで、登山口までの舗装林道上も川のように水が流れているところが多かった。
笠羽谷へ向かう道もジュクジュクで、最初から沢靴を履いていて正解だ。
大滝の手前あたりから荒れが酷くなり、もはや林道の体をなしていない。笠羽橋の入口も分からないような状態で、か
つては車で走れる道だったとはとても思えない。
登山道よりも酷いレベルの薄い踏み跡を辿って入渓点に到着。10数年前に2度この道を歩いているが、もう復活すること
もなく、荒れるに任せるだけだろう。
笠羽谷はやや増水気味だが、遡行が困難というほどではない。ただ、できるだけ浸かりたくないので、岸に踏み跡があ
る部分は水を避けて距離を稼ぐ。
以前遡行した時にはなかった異変が目の前に現れた。夥しい流倒木が谷を埋めている。
近年の水害の傷跡はここにもあったのだ。笠羽谷は沢登りとしてはとりたてて特徴もない、坦々と遡行できる易しい谷だ
が、流れは美しいというのが取り柄だった。しかしこの倒木の山はその美点を消し去ってしまった。
どこから攻めるか頭をフル回転させて、フィールドアスレチックの弱点を探る。ここまででずいぶん時間を食ってしまった。
倒木地帯が終わり、ようやく普通に歩ける状態になった。しかし今度は別の意味でペースが落ちてしまうようになる。
次々に現れる花に、つい足を止めることを余儀なくされるのだ。
ふと見上げた右岸の枯れ谷にサンカヨウの群落を発見。先は長いがここを素通りするわけにはいかない。サンカヨウは私
のもっとも好きな花のひとつなのだ。
この後も、スミレの類は当然として、リュウキンカやミズバショウ、ツバメオモト、ミゾホオズキ、エンレイソウといっ
た花達が先を急がせてくれない。
正面に見える岩壁から落ちる大きな滝は、右岸の支流のものだ。初めて訪れた時は、えっ、本流こんな大滝があったの
かと驚いたものだ。
谷の真ん中の岩にあり得ないものが引っ掛かっていた。スノボである。積雪期に笠羽湿原周辺を滑っていて、足から外
れて谷へサヨナラしてしまったのか。はたまた谷に迷い込んだボーダーの遭難の痕跡か・・・・
思ったより時間が経過しているが、Ca1460mの林道出合まで行けば後は楽勝・・・と決めつけていた。
一旦林道に上がって行程を稼いでと思っていたのだが、この林道も荒れ放題。10数年前の記憶とはまったく違っていた。
林道上で激ヤブ漕ぎをするのもたまらず、再度谷筋へ下りる。
ここから先は地形図通りの平流が続く。すっかり少なくなった水流をチャプチャプと歩くだけならいいのだが、左右か
ら被る潅木が鬱陶しい。スッキリした部分とヤブを漕ぎながらの沢歩きが交互に現れ、時間だけが経過して行く。
もう越美国境稜線とはほとんど高低差がないぐらいの高度まで来ているのに、なかなか近付かない。
源流で1本手前の支流に入る。ここまで来ると溝の中をヤブ漕ぎしている状態だ。すると小さく開けた場所が現れた。
ミズバショウも咲いている。ここは以前「第二笠羽湿原」と名付けたミニ湿原だ。ここまで来れば笠羽湿原は近い。
北
東に向かってササを漕いで行く。
やがてササの向こうにポッカリと広がる平地に飛び出した。これが真正の笠羽(笠場)湿原である。
かつては一面に広がる池塘にミズバショウが群生する、まさに天上の楽園と呼ぶに相応しい場所だった。(私はその頃を
知らないが、20年ほど前まではそうだったらしい)
今は裸地が進み、池塘の面積もずいぶん小さくなってしまった。おまけにミズバショウの姿もほとんど見られない。
以前、白山の写真家の木村芳文氏にメールで問い合わせた時の話では、2002年頃にイノシシの仕業でこうなってしまった
のではということだった。これも自然の摂理ならしょうがないことだが、いかにも残念である。
往時の姿は失われたとは言え、三ノ峰と願教寺山を望む山上の別天地であることに変わりはない。
ほとんどがササで覆われたこの山稜上に、奇跡のように存在するオアシスなのだ。
積雪期にこの上を通過する登山者は多いが、無雪期にこの風景を眺めた人は数少ないだろう。
この極上のレストランでのんびりとランチタイムを楽しんだ。
帰路の美濃禅定道まで標高差200mばかり。道はないがそれほど苦労した記憶はない。(と勘違いしていた)
腰を上げてササの海へ漕ぎ出した。ササの背丈の低いところ、生え方の薄いところを選んで進もうとするが、なかなか
そんな具合のいい場所はない。とにかく方向を決めてひたすら泳ぐしかないのである。
考えてみれば、以前と言っても10数年前。自分もまだ50歳そこそこだった。ヤブを漕ぐにしてもパワーが違う。
昔の記憶と違うのはあたり前なのだ。
一段上がった1600mの台地には「つなぎぶしのひのき」と呼ばれる桧の密叢がある。1本の桧が横に根を張り、高く伸
びずに背丈ほどの高さに蟠った怪木である。右手の方にチラッと視界に入ったが、見物に行く心の余裕もなく、目の前に
広がる雪田にホッとひと息ついた。
ここから先はやや傾斜が強まる。右手でかき分けたササをガッチリ掴み、次に左手で同じ動作をした後、足場を決めてグ
ッと体を引き上げる。その繰り返しが続いた。
やがて傾斜がなくなると、1784mピークに到着。目の前には高速道路のような美濃禅定道があった。
道というのはこんなにも楽なものなのかと実感させられる瞬間だ。
ここまで来れば下山したも同然である。また花を楽しみながらのんびりと歩く。ミツバオウレンの絨毯が続き、ミヤマ
キンポウゲやキンキマメザクラ、ムラサキヤシオ、ツボスミレなどが目を楽しませてくれる。
展望も最高で、別山から日照岳へと続く長い稜線、石徹白川両岸の願教寺、日岸、薙刀、野伏、丸山、芦倉、奥越の赤兎、
大長、経ヶ岳、荒島、そして越美国境稜線の山々に加えて、御嶽、乗鞍、穂高の山々まで、一望のもとだ。
銚子ヶ峰を出発したのは4時を回っていた。早足で下山を開始したが、足元を見るとスピードが落ちて足が止まってしま
う。ツバメオモト、イワナシ、タムシバ、ウワミズザクラ、マイズルソウ、ユキザサと、途切れることなく花は続き、最
後はブナ林へ突入。仕上げに石徹白大杉を見て濃厚な一日を終えた。
余談だが、下山後、営業を再開したしろとり温泉で汗を流した。
昨年の3月で営業をを休止していたのたが、経営が変わって再び白鳥町内で温泉に入れるようになったのだ。
驚いたことに、以前と同じだったのは建物(外観は改装しているが)だけで、中の施設、エントランスから食堂、休憩室は
もちろん、浴室まですべて生まれ変わっていた。相当カネがかかっているだろう。
残念なことに、コロナによる営業時間短縮で、新装なったレストランで夕食を取れなかったのが心残りである。
山日和