【野坂】妙芽谷〜大日岳〜能登郷〜大御影山☆新緑の桃源郷へ
Posted: 2021年5月11日(火) 20:55
【 日 付 】2021年5月3日(月曜日)〜4日(火曜日)
【 山 域 】野坂山地
【メンバー】山猫、家内
【 天 候 】二日ともに晴れ
【 ルート 】(1日目)能登又谷林道入口手前の広地12:07〜12:22妙芽谷出合〜12:53妙芽谷大滝13:22〜15:19大日岳15:23〜16:13能登郷〜17:38大日尾根分岐〜18:41大御影山〜18:48テン泊地
(二日目)テン泊地5:45〜大御影山5:56〜7:18松屋大権現岳〜7:58松屋大権現岳登山口〜8:25駐車地
今津の酒波寺から若狭の闇見(くらみ)に至る近江坂古道は、大御影山から江若国境尾根を辿って三重獄から北に伸びる稜線に登るが、その後は大日岳を経由する尾根伝いではなく、天増川の源流に一旦下ってから再び能登野越に登り返すというコースを辿っていたらしい。この天増川の源流域には能登郷と呼ばれる湿原が広がる一帯があり、かつては木地師達が生活を営む桃源郷のような集落があったという。このような漠然とした情報だけでも好奇心と憧憬を掻き立てられるには十分である。つい先日、グーさんによるrepがアップされたばかりではあるが、これまでにネット上でもここを訪れた山行記録は非常に少ない。
この能登郷を訪れたいと思いながらも、その機会を逃し続けていた。今年こそはと思い、新緑の季節が訪れるのを待っていただった。能登郷を訪れるなら日帰りで十分なのであるが、連休で二日続けての好天が約束されているようなので、敢えてテン泊山行を考える。
【1日目】
山行当日、夕方までに大御影山に到着すればいいので出発が少々遅くても・・と油断しているうちに、ついつい出発時間が遅くなり、京都の自宅を出発したのは9時前とかなり遅くなる。
美浜に到着するとまずは岡酒店で早瀬浦の「ひやし酒」を手に入れる。この酒店はもとは国道沿いの美浜駅のすぐ近くにあったものだが、駅前に新たに道の駅を作るとかで移転を余儀なくされたらしい。すぐ近くにある道の駅をわざわざ駅前に移転させる理由が全く理解不能ではあるが、閑散とした駅前には広い更地が出来ていた。駅の東にあるスーパーで食料を買い込み、登山口の松屋に向かうと既に正午近くになっていた。
能登又谷にかかる橋、白谷橋を渡ったところの林道沿いの広地に車を停めて出発する。まずは能登郷に至るのに大日岳を越えたいところである。大日岳から北東に走る送電線に沿ってつけられるいる巡視路を辿ることが一般的だが、今回は国土地理院の地図で能登又谷から大日岳の東麓の谷沿いに記されている破線ルートを辿ることを考える。
このルートを辿る山行記録も見当たらないが、下山後に調べてみると、数年前に兎夢さんらによる沢登りのrepがあり、お陰で妙芽谷と呼ばれる谷であることを知る。距離的には大日岳への最短ルートとなる筈ではあるが、余程良好に整備された一般登山道でない限り、距離が短いからと云って時間がかからないことはないということを思い知る羽目になるのだった。
妙芽谷に入ると右岸に明瞭な踏み跡が続いている。道沿いでは早速にも多くの一輪草や二輪草の花々が出迎えてくれる。谷を進むと左手の支谷の入口に新緑を纏う大きなカツラの大樹が目に入り表敬訪問する。
再び本谷に戻るとすぐに両岸が迫り、山の陰に入った谷は急に薄暗くなる。ところどころで不明瞭にはなるものの右岸には踏み跡が続いており、渡渉することなく谷沿いを進むことが出来る。
やがて踏み跡は沢を離れ、右岸の斜面をトラバース気味に登ってゆく。谷の二俣が近づいたところで目の前に広がる光景に息を呑むことになる。広々とした二俣にはいずれの谷にも滝がかかっている。特に右俣の滝は水量も多く、その落差はゆうに10mはあるだろう。
まずは滝下に降りてしばし休憩する。右俣の滝下に至ると冷たい水飛沫が飛んでくる。この美浜町には北側の雲谷山に屏風ヶ滝と呼ばれる滝が国土地理院の地図に記されているが、落差といい水量といい目の前に聳える大滝は屏風ヶ滝の比ではない。
地図を確認するとこの右俣の谷を越えていくことになっているが、この大滝は容易には越えられそうもないところだ。さらに滝の上流にも滝がかかっているのが見える。なんとかこの滝を越えたところで、その上流の滝を巻くのが難しければ万事休すだろう。下山後に読んで兎夢さんのrepでは滝を左から巻くのは容易とは書かれていたが、テン泊装備でこの滝を超えていく気には到底なれなかった。
左俣の滝は右岸から巻くのはさほど難しそうだ。この左俣の滝は迫力という点で右俣の大滝に比べると明らかに見劣りするのだが、特筆すべきは滝を見下ろすかのように右岸に屹立するトチノキの大樹だ。大樹の秀麗な佇まいと滝と相俟って一幅の掛物のような光景を広げているのだった。
(※ 後の山日和さんのrepによるどどうもカツラの樹だったようです)
さて、いざ滝の右岸の斜面をトラバースしようとすると、右岸の上の方にピンク・テープがはためいているのが目に入る。ピンク・テープのあるところまで登ると足元にあるのは鹿道と思しき踏み跡があるばかりではあるが、その薄い踏み跡を辿って滝を越える。
滝上からは平流が続いているので、沢沿いに進む。気がつくとピンクテーブは対岸の急斜面へと誘導している。明瞭な踏み跡があるわけでもないのだが、ピンクテープを追って滑りやすい左岸の尾根を慎重に登る。尾根は地図では広々とした台地状の尾根のように記されてはいるが、二重尾根となっておりその間を細い沢が流れている。ピンク・テープを頼りに二重尾根の間を歩くが、そのテープも忽然となくなる。北側の尾根から下生えの少ない山毛欅の樹林が広がる斜面を下って妙芽谷の右俣へと下降するのに躊躇はない。
沢沿いのなだらかな河岸段丘には大きなカツラやトチノキ、そして苔むした炭焼き窯の跡が次々と現れる。広々とした谷には下流に大滝があることが信じられいほどに平和な渓相が続き、まるでワンダーランドと呼びたくなるところだ。甲森谷のようにカツラの大樹がめくるめく現れる訳ではないものの、その谷相の美しさは甲森谷に勝らずとも劣らぬように思われる。眩いほどの新緑の美しさもあって、先に進んでしまうのが勿体なく感じられる。
やがて沢は三俣に分かれる。真ん中の谷が最も流れが細いように思われたが、コンパスで確認すると大日岳に向かうのは確かにこの谷だ。谷の左岸には薄いながらも明らかに踏み跡が続いている。上流に進むと、再び広々とした谷が広がり、ここでも目を疑いたくなるようなカツラの巨樹が現れる。ここでも対岸には、苔むした炭焼き窯が連綿と現れる。
いつしか谷の周囲はブナの樹林が広がり始める。谷の流れも細くなったところで谷を離脱して左岸に登る。所々に現れるユズリハやアセビの藪を避けながら尾根を進むと、突然、送電線の下の伐採斜面に出る。斜面を登ると、雲ひとつない蒼空の下で正面には大見影山、左手には三国岳の展望が広がった。
伐採地から左手の樹林に入るとすぐに送電線巡視路に合流した。巡視路を大日岳の方に向かって歩くと、周囲のリョウブやブナの樹々にすべからくテープが巻かれている。伐採前のマーキングに思われるが、まさかこれらの樹々を全て伐採するつもりなのだろうか・・・すぐにその真相を知ることになる。
大日岳の山頂のすぐ手前で男性五人のパーティーとすれ違う。しんがりを務めておられたリーダー格と思しき男性に「こんな遅い時間にどちらまで?」と聞かれるので「大御影山でテン泊の予定」とお答えすると、「それなら安心だ」と仰るのは、さすがに心配して聞いて下さったようだ。パーティーの方達はこの大日岳から大御影山へのピストン往復とのこと。大御影山には多くの登山者がおられたが、ビラデスト今津の家族旅行村からのピストンの方達ばかりだったとのこと。ちなみにこのパーティーが今回の山行で唯一、出遭った人達であった。
パーティーとお別れして大日岳の山頂に出ると唖然とする光景が広がっていた。昨年の初夏に大日岳の山頂を踏んだ時にも山頂周囲は伐採されていたが、今回は山頂一帯が広く伐採され、多くの資材が散財している。さらにユンボなどの重機がいくつも見られる。伐採地の周辺はロープが巻かれ、「送電線鉄塔の付け替え工事中、立ち入り禁止」と書かれた赤い垂れ幕が掛けられている。そうは云っても迂回路がわざわざ作られている訳ではない。休日で工事が休止しているのを幸いに山名標と三角点のみは確認しに行く。
伐採地ではつい最近、伐られたものと思われる山毛欅の切り株が何とも痛々しい。切り株の真新しさからするとグーさんが訪れた時よりもさらに最近、伐採が進んだのではないかと思われる。切り株の太さを見るに、どれほどの大きなブナを伐採されたことかと思うと哀しみを覚える他ない。しかし、新たに送電線を架けることになると、送電線下の樹林も根こそぎ伐採されるのだろう。ここで先ほどの巡視路の周囲の樹々に伐採のマーキングを施されていた理由を理解するのだった。
大日岳からはまずはかつての電波塔があったピークに向かう。わずかにブナの樹林が残ってはいるが、こちらの尾根沿いの樹々もすべからくテープが巻かれている。登山道沿いにはすぐにモノレールが現れ、電波塔ピークに向かっているようだ。
電波塔に向かって登山道を進むと、周囲の樹々の伐採のマーキングのテープも延々と続く。まさか、この尾根沿いの樹を全て伐り倒すつもりなのだろうか? 下山後にグーさんのrepを読み直すと、大日岳の山頂に至るまで林道を延伸するらしいとの情報が記されていた。この尾根上の樹のマーキングは林道を通すために伐採するつもりのようだ。
かつてのNTTの電波塔が設置されていた広々としたピークに出ると、西側の展望が一気に広がる。午後の西陽に光り輝く小浜湾の彼方では秀麗な青葉山の双耳峰がそのシルエットを浮かびがらせるている。景色のいいところではあるが、雑然と並べられた送電線鉄塔の建築資材が広場の景色を殺風景なものにしていた。西側から向かう林道には真新しい砂利が敷き詰められており、どうやらこの林道を通って資材が運びこまれたのだろう。
電波塔からは尾根の南のリョウブの樹林の中を下降する。数年前の雪深い時期に辿った時には尾根から好展望が広がっていたのだが、リョウブの樹林が全て雪に埋もれていたからであったことを今更ながらに知る。尾根の南の鞍部で天増川林道と交差すると、いよいよ能登郷に向かって林道を下る。
先ほどの電波塔ピークまでこの林道を通って資材を運んだものかと思ったが、一向に整備されている気配はない。ということは先ほどの電波塔ピークには他の林道を経由して資材が運搬されているようだ。林道を下降するとすぐに左手に天増川の源流域が広がるようになり、林道から小さな谷に沿って広々とした源流域に降り立つ。
沢沿いには黄色い菊科の花が数多く咲いている。サワオグルマ(沢小車)の花らしい。広々とした河岸段丘には新緑を纏って直立したハンノキの樹々が見られる。谷に差し込む午後の斜陽のせいで新緑は柔らかな色合いを帯びている。穏やかな平流がコポコポと囁くような音を立てる。この日の前半に辿った谷の景とは全く異なるが、ここも確かに桃源郷と呼びたくなるような景色だ。
足元は確かに泥濘んだ湿原が広がっており、慎重に歩く場所を選ばないと泥濘に足をとられることになりそうだ。サワオグルマが咲き乱れる沢を渡渉を繰り返しながら下ってゆく。やがて、広い谷の左岸に明瞭な古道が現れた。かつての近江坂古道の名残だろうか。古道に導かれるがままに平坦な谷を下ってゆく。
長閑な湿原の白昼夢のような光景は左岸の尾根に突如として出現した伐採地と重機によって寸断されることになる。どうやら湿原のすぐ近くの左岸尾根に大日岳の山頂から続く新たな送電線のの鉄塔を建設しているようだ。左岸に現れた送電線巡視路のプラスチック階段を登ると、すぐに建設現場に到着する。伐採された現場には大日岳で見たものと全く同じステンレス・パイプの櫓が組まれていた。さすがにここは登山者が来ることを想定していないのだろう。周囲をロープで囲むことはされていない。
送電線巡視路を辿って尾根を登るとすぐにも既存の送電線鉄塔が現れる。好展望の鉄塔広場からは天増谷を俯瞰することが出来るが、下流の対岸に、そして上流の右岸にも同様の鉄塔の建設作業が行われているようで、いずれの作業地においても伐採された斜面に重機が見える。それらはこの自然を蝕む新たな感染症の病巣のようにも見えるのだった。
送電線鉄塔を過ぎると新緑のブナの樹林に飛び込む。稜線が近づくにつれブナの大樹が目立つようになり、壮麗な森が広がるようになる。この大日岳からの稜線に再び合流すると、緩やかな尾根では西陽がブナの樹肌を明るく輝かせている。この区間はブナの樹林に関しては白眉とも云うべきところだろう。
大御影山への尾根の分岐に入ると鞍部にかけてなだらかにブナの回廊を下ってゆく。北側には雲谷山や庄部谷山の展望が広がるが、庄部谷山はすっかり雲の中だ。尾根には多数のカタクリを見かけるが、多くの花が閉じているのは時間が遅いせいだろうか。ここも斜面にはブナの大樹がまばらに生えているが、さすがに大御影山の山頂に到着する時間がきになるところで、ゆっくりとブナの樹々を鑑賞してしている余裕がなくなってきた。夕陽が紅く斜面を染める中を山頂への深い掘割の古道を辿る。
大御影山の山頂にたどり着くと辿ってきた大日岳の方向に夕陽が落ちてゆく。南西の三重獄の方向への展望は開けるが夕陽が沈む方向への展望が開ける箇所はない。山頂から野呂尾の高の方へと少し東に向かうと稜線の北側から沈み行く夕陽を眺めることが出来るが、生憎、夕陽は西の空にかかる雲の影に隠れてしまう。弱い西風が吹いているので、稜線の南東側の緩斜面の草地の上にテントを張ることにする。琵琶湖の対岸では長浜から米原、彦根の街明かりが徐々に輝き始めていた。
テントに入り込みビールで乾杯すると料理に取り掛かる。緩い斜面にワンポール・テントを張ったせいで傾いたポールを直そうとした瞬間、家内のビールの入ったマグカップをひっくり返してしまう。山の上でビールをひっくり返すのは何とも虚しいものだ。何のために重たい思いをして担ぎ上げてきたのだろうか。しかし、この日は早瀬浦が十分にあるのが救いだった。
【二日目】
早朝に目が醒めると、南の空にかかる下弦の月のせいであたりが明るい。空が霞んでいるせいか、東の空は橙色に染まることなく、ブルーのモノトーンのまま急速に明るくなってゆく。長浜や彦根の市街の明かりも一斉に消灯したかのように急に見えなくなった。東の金糞岳の左手から太陽が昇り始めると、彼方に御嶽山のシルエットが浮かび上がる。
まずはテントの中でコーヒーを淹れようと鍋で湯を沸かす。気がつくと鍋の縁を茶色の点が動いている。マダニだった。行動食で簡単に朝食を済ますとテントを撤収する。出発の前に再び大御影山の山頂から三重獄から眺める。光の加減のせいだろう、朝陽を浴びて明るく輝く三重獄は黄昏に眺めたシルエットとは異なり驚くほど近くに感じられる。
山頂を後にすると野呂尾の高に向かって灌木と草原の広がる広々とした尾根を北東に進む。そういえば大御影山の三角点名は野呂尾であるが、この野呂尾とは大御影山から北東に伸びる尾根の名称なのだろうか。
野呂尾の高は山頂部の一角だけにブナの叢林が広がり、新緑のブナ林の中に入ると鎮守の森に入ったかのように雰囲気が一変する。ここのブナ林も何とも素晴らしいところだが、林に差し込む朝陽がブナ林の清々しさを際立たせてくれているようだ。
尾根を先に辿るとブナが疎らに生える灌木帯となり、正面には雲谷山、庄部谷山、野坂岳、東側に大谷山から赤坂山、三国岳へと至る江若国境の山々のパノラマを見ながら尾根を緩やかに下ってゆく。積雪期に歩いた時には一面の雪原が広がるところだが、その下に低木や灌木があったとは知る由もない。
尾根を北に辿り、斜度が増すとブナの樹林となる。尾根の下部では杉の樹が多くなるが杉林の中にも新緑のブナの大樹が目を惹く。鞍部から登り返すとなだらかな山頂台地が広がる松屋大権現至る。この樹々が疎らに生える草原状の山頂も独特の雰囲気のあるところだ。樹々の多くは黄色くおぼろげな花を数多くつけている。クロモジの樹だろう。
ところでクロモジといえば爪楊枝であるが、この山頂一帯の堂々としたクロモジの樹々を見ていると、果たして割り箸と共に入っている爪楊枝が果たして必要なのかと云う疑問が今更ながらに沸き起こる。ちなみに割り箸に入っている安価な爪楊枝はクロモジではなく白樺から作られるらしい。
松屋大権現の北斜面からは再び正面に庄部谷山を眺めると、所々でユズリハが密生する斜面を下ってゆく。積雪期は尾根芯を辿ってきたが、登山道は斜面をトラバース気味に下降してゆく。やがてユズリハの密生が現れるが、切り払いがされているので、通行には全くといってもいいほど支障はない。このあたりになると自然林の中にホオノキの大樹が目立つようになる。最後は斜面をつづら折りに下って神社の裏手に降りたつ。
あとは能登又川沿いの林道を歩いて駐車地に戻る。林縁にはイチリンソウ、キケマン、ムラサキケマン、クサイチゴ、スミレなど数多くの花が咲いており、飽きることがない。ヒメウツギも薄紅色の花を咲かせ始めていた。
川沿いの広い河岸段丘には砂利が敷き詰められて綺麗に整地されていると思えば、ここでも「送電線鉄塔付け替え工事のため立入禁止」と記されたシートがロープに掛けられている。能登郷から大日岳を経由する新たな送電線はここに至るらしい。新たに庄部谷山から芦谷山の稜線で建設が進められる風力発電で発生した電力を送電するためのものだろうか・・・と考えるとますます陰鬱になるのだった。
能登又谷川のほとりで清流と新緑を眺めながらソーセージとマフィンとを温め、のんびりと朝食を摂るうちに気分も一新される気がするのであった。
【 山 域 】野坂山地
【メンバー】山猫、家内
【 天 候 】二日ともに晴れ
【 ルート 】(1日目)能登又谷林道入口手前の広地12:07〜12:22妙芽谷出合〜12:53妙芽谷大滝13:22〜15:19大日岳15:23〜16:13能登郷〜17:38大日尾根分岐〜18:41大御影山〜18:48テン泊地
(二日目)テン泊地5:45〜大御影山5:56〜7:18松屋大権現岳〜7:58松屋大権現岳登山口〜8:25駐車地
今津の酒波寺から若狭の闇見(くらみ)に至る近江坂古道は、大御影山から江若国境尾根を辿って三重獄から北に伸びる稜線に登るが、その後は大日岳を経由する尾根伝いではなく、天増川の源流に一旦下ってから再び能登野越に登り返すというコースを辿っていたらしい。この天増川の源流域には能登郷と呼ばれる湿原が広がる一帯があり、かつては木地師達が生活を営む桃源郷のような集落があったという。このような漠然とした情報だけでも好奇心と憧憬を掻き立てられるには十分である。つい先日、グーさんによるrepがアップされたばかりではあるが、これまでにネット上でもここを訪れた山行記録は非常に少ない。
この能登郷を訪れたいと思いながらも、その機会を逃し続けていた。今年こそはと思い、新緑の季節が訪れるのを待っていただった。能登郷を訪れるなら日帰りで十分なのであるが、連休で二日続けての好天が約束されているようなので、敢えてテン泊山行を考える。
【1日目】
山行当日、夕方までに大御影山に到着すればいいので出発が少々遅くても・・と油断しているうちに、ついつい出発時間が遅くなり、京都の自宅を出発したのは9時前とかなり遅くなる。
美浜に到着するとまずは岡酒店で早瀬浦の「ひやし酒」を手に入れる。この酒店はもとは国道沿いの美浜駅のすぐ近くにあったものだが、駅前に新たに道の駅を作るとかで移転を余儀なくされたらしい。すぐ近くにある道の駅をわざわざ駅前に移転させる理由が全く理解不能ではあるが、閑散とした駅前には広い更地が出来ていた。駅の東にあるスーパーで食料を買い込み、登山口の松屋に向かうと既に正午近くになっていた。
能登又谷にかかる橋、白谷橋を渡ったところの林道沿いの広地に車を停めて出発する。まずは能登郷に至るのに大日岳を越えたいところである。大日岳から北東に走る送電線に沿ってつけられるいる巡視路を辿ることが一般的だが、今回は国土地理院の地図で能登又谷から大日岳の東麓の谷沿いに記されている破線ルートを辿ることを考える。
このルートを辿る山行記録も見当たらないが、下山後に調べてみると、数年前に兎夢さんらによる沢登りのrepがあり、お陰で妙芽谷と呼ばれる谷であることを知る。距離的には大日岳への最短ルートとなる筈ではあるが、余程良好に整備された一般登山道でない限り、距離が短いからと云って時間がかからないことはないということを思い知る羽目になるのだった。
妙芽谷に入ると右岸に明瞭な踏み跡が続いている。道沿いでは早速にも多くの一輪草や二輪草の花々が出迎えてくれる。谷を進むと左手の支谷の入口に新緑を纏う大きなカツラの大樹が目に入り表敬訪問する。
再び本谷に戻るとすぐに両岸が迫り、山の陰に入った谷は急に薄暗くなる。ところどころで不明瞭にはなるものの右岸には踏み跡が続いており、渡渉することなく谷沿いを進むことが出来る。
やがて踏み跡は沢を離れ、右岸の斜面をトラバース気味に登ってゆく。谷の二俣が近づいたところで目の前に広がる光景に息を呑むことになる。広々とした二俣にはいずれの谷にも滝がかかっている。特に右俣の滝は水量も多く、その落差はゆうに10mはあるだろう。
まずは滝下に降りてしばし休憩する。右俣の滝下に至ると冷たい水飛沫が飛んでくる。この美浜町には北側の雲谷山に屏風ヶ滝と呼ばれる滝が国土地理院の地図に記されているが、落差といい水量といい目の前に聳える大滝は屏風ヶ滝の比ではない。
地図を確認するとこの右俣の谷を越えていくことになっているが、この大滝は容易には越えられそうもないところだ。さらに滝の上流にも滝がかかっているのが見える。なんとかこの滝を越えたところで、その上流の滝を巻くのが難しければ万事休すだろう。下山後に読んで兎夢さんのrepでは滝を左から巻くのは容易とは書かれていたが、テン泊装備でこの滝を超えていく気には到底なれなかった。
左俣の滝は右岸から巻くのはさほど難しそうだ。この左俣の滝は迫力という点で右俣の大滝に比べると明らかに見劣りするのだが、特筆すべきは滝を見下ろすかのように右岸に屹立するトチノキの大樹だ。大樹の秀麗な佇まいと滝と相俟って一幅の掛物のような光景を広げているのだった。
(※ 後の山日和さんのrepによるどどうもカツラの樹だったようです)
さて、いざ滝の右岸の斜面をトラバースしようとすると、右岸の上の方にピンク・テープがはためいているのが目に入る。ピンク・テープのあるところまで登ると足元にあるのは鹿道と思しき踏み跡があるばかりではあるが、その薄い踏み跡を辿って滝を越える。
滝上からは平流が続いているので、沢沿いに進む。気がつくとピンクテーブは対岸の急斜面へと誘導している。明瞭な踏み跡があるわけでもないのだが、ピンクテープを追って滑りやすい左岸の尾根を慎重に登る。尾根は地図では広々とした台地状の尾根のように記されてはいるが、二重尾根となっておりその間を細い沢が流れている。ピンク・テープを頼りに二重尾根の間を歩くが、そのテープも忽然となくなる。北側の尾根から下生えの少ない山毛欅の樹林が広がる斜面を下って妙芽谷の右俣へと下降するのに躊躇はない。
沢沿いのなだらかな河岸段丘には大きなカツラやトチノキ、そして苔むした炭焼き窯の跡が次々と現れる。広々とした谷には下流に大滝があることが信じられいほどに平和な渓相が続き、まるでワンダーランドと呼びたくなるところだ。甲森谷のようにカツラの大樹がめくるめく現れる訳ではないものの、その谷相の美しさは甲森谷に勝らずとも劣らぬように思われる。眩いほどの新緑の美しさもあって、先に進んでしまうのが勿体なく感じられる。
やがて沢は三俣に分かれる。真ん中の谷が最も流れが細いように思われたが、コンパスで確認すると大日岳に向かうのは確かにこの谷だ。谷の左岸には薄いながらも明らかに踏み跡が続いている。上流に進むと、再び広々とした谷が広がり、ここでも目を疑いたくなるようなカツラの巨樹が現れる。ここでも対岸には、苔むした炭焼き窯が連綿と現れる。
いつしか谷の周囲はブナの樹林が広がり始める。谷の流れも細くなったところで谷を離脱して左岸に登る。所々に現れるユズリハやアセビの藪を避けながら尾根を進むと、突然、送電線の下の伐採斜面に出る。斜面を登ると、雲ひとつない蒼空の下で正面には大見影山、左手には三国岳の展望が広がった。
伐採地から左手の樹林に入るとすぐに送電線巡視路に合流した。巡視路を大日岳の方に向かって歩くと、周囲のリョウブやブナの樹々にすべからくテープが巻かれている。伐採前のマーキングに思われるが、まさかこれらの樹々を全て伐採するつもりなのだろうか・・・すぐにその真相を知ることになる。
大日岳の山頂のすぐ手前で男性五人のパーティーとすれ違う。しんがりを務めておられたリーダー格と思しき男性に「こんな遅い時間にどちらまで?」と聞かれるので「大御影山でテン泊の予定」とお答えすると、「それなら安心だ」と仰るのは、さすがに心配して聞いて下さったようだ。パーティーの方達はこの大日岳から大御影山へのピストン往復とのこと。大御影山には多くの登山者がおられたが、ビラデスト今津の家族旅行村からのピストンの方達ばかりだったとのこと。ちなみにこのパーティーが今回の山行で唯一、出遭った人達であった。
パーティーとお別れして大日岳の山頂に出ると唖然とする光景が広がっていた。昨年の初夏に大日岳の山頂を踏んだ時にも山頂周囲は伐採されていたが、今回は山頂一帯が広く伐採され、多くの資材が散財している。さらにユンボなどの重機がいくつも見られる。伐採地の周辺はロープが巻かれ、「送電線鉄塔の付け替え工事中、立ち入り禁止」と書かれた赤い垂れ幕が掛けられている。そうは云っても迂回路がわざわざ作られている訳ではない。休日で工事が休止しているのを幸いに山名標と三角点のみは確認しに行く。
伐採地ではつい最近、伐られたものと思われる山毛欅の切り株が何とも痛々しい。切り株の真新しさからするとグーさんが訪れた時よりもさらに最近、伐採が進んだのではないかと思われる。切り株の太さを見るに、どれほどの大きなブナを伐採されたことかと思うと哀しみを覚える他ない。しかし、新たに送電線を架けることになると、送電線下の樹林も根こそぎ伐採されるのだろう。ここで先ほどの巡視路の周囲の樹々に伐採のマーキングを施されていた理由を理解するのだった。
大日岳からはまずはかつての電波塔があったピークに向かう。わずかにブナの樹林が残ってはいるが、こちらの尾根沿いの樹々もすべからくテープが巻かれている。登山道沿いにはすぐにモノレールが現れ、電波塔ピークに向かっているようだ。
電波塔に向かって登山道を進むと、周囲の樹々の伐採のマーキングのテープも延々と続く。まさか、この尾根沿いの樹を全て伐り倒すつもりなのだろうか? 下山後にグーさんのrepを読み直すと、大日岳の山頂に至るまで林道を延伸するらしいとの情報が記されていた。この尾根上の樹のマーキングは林道を通すために伐採するつもりのようだ。
かつてのNTTの電波塔が設置されていた広々としたピークに出ると、西側の展望が一気に広がる。午後の西陽に光り輝く小浜湾の彼方では秀麗な青葉山の双耳峰がそのシルエットを浮かびがらせるている。景色のいいところではあるが、雑然と並べられた送電線鉄塔の建築資材が広場の景色を殺風景なものにしていた。西側から向かう林道には真新しい砂利が敷き詰められており、どうやらこの林道を通って資材が運びこまれたのだろう。
電波塔からは尾根の南のリョウブの樹林の中を下降する。数年前の雪深い時期に辿った時には尾根から好展望が広がっていたのだが、リョウブの樹林が全て雪に埋もれていたからであったことを今更ながらに知る。尾根の南の鞍部で天増川林道と交差すると、いよいよ能登郷に向かって林道を下る。
先ほどの電波塔ピークまでこの林道を通って資材を運んだものかと思ったが、一向に整備されている気配はない。ということは先ほどの電波塔ピークには他の林道を経由して資材が運搬されているようだ。林道を下降するとすぐに左手に天増川の源流域が広がるようになり、林道から小さな谷に沿って広々とした源流域に降り立つ。
沢沿いには黄色い菊科の花が数多く咲いている。サワオグルマ(沢小車)の花らしい。広々とした河岸段丘には新緑を纏って直立したハンノキの樹々が見られる。谷に差し込む午後の斜陽のせいで新緑は柔らかな色合いを帯びている。穏やかな平流がコポコポと囁くような音を立てる。この日の前半に辿った谷の景とは全く異なるが、ここも確かに桃源郷と呼びたくなるような景色だ。
足元は確かに泥濘んだ湿原が広がっており、慎重に歩く場所を選ばないと泥濘に足をとられることになりそうだ。サワオグルマが咲き乱れる沢を渡渉を繰り返しながら下ってゆく。やがて、広い谷の左岸に明瞭な古道が現れた。かつての近江坂古道の名残だろうか。古道に導かれるがままに平坦な谷を下ってゆく。
長閑な湿原の白昼夢のような光景は左岸の尾根に突如として出現した伐採地と重機によって寸断されることになる。どうやら湿原のすぐ近くの左岸尾根に大日岳の山頂から続く新たな送電線のの鉄塔を建設しているようだ。左岸に現れた送電線巡視路のプラスチック階段を登ると、すぐに建設現場に到着する。伐採された現場には大日岳で見たものと全く同じステンレス・パイプの櫓が組まれていた。さすがにここは登山者が来ることを想定していないのだろう。周囲をロープで囲むことはされていない。
送電線巡視路を辿って尾根を登るとすぐにも既存の送電線鉄塔が現れる。好展望の鉄塔広場からは天増谷を俯瞰することが出来るが、下流の対岸に、そして上流の右岸にも同様の鉄塔の建設作業が行われているようで、いずれの作業地においても伐採された斜面に重機が見える。それらはこの自然を蝕む新たな感染症の病巣のようにも見えるのだった。
送電線鉄塔を過ぎると新緑のブナの樹林に飛び込む。稜線が近づくにつれブナの大樹が目立つようになり、壮麗な森が広がるようになる。この大日岳からの稜線に再び合流すると、緩やかな尾根では西陽がブナの樹肌を明るく輝かせている。この区間はブナの樹林に関しては白眉とも云うべきところだろう。
大御影山への尾根の分岐に入ると鞍部にかけてなだらかにブナの回廊を下ってゆく。北側には雲谷山や庄部谷山の展望が広がるが、庄部谷山はすっかり雲の中だ。尾根には多数のカタクリを見かけるが、多くの花が閉じているのは時間が遅いせいだろうか。ここも斜面にはブナの大樹がまばらに生えているが、さすがに大御影山の山頂に到着する時間がきになるところで、ゆっくりとブナの樹々を鑑賞してしている余裕がなくなってきた。夕陽が紅く斜面を染める中を山頂への深い掘割の古道を辿る。
大御影山の山頂にたどり着くと辿ってきた大日岳の方向に夕陽が落ちてゆく。南西の三重獄の方向への展望は開けるが夕陽が沈む方向への展望が開ける箇所はない。山頂から野呂尾の高の方へと少し東に向かうと稜線の北側から沈み行く夕陽を眺めることが出来るが、生憎、夕陽は西の空にかかる雲の影に隠れてしまう。弱い西風が吹いているので、稜線の南東側の緩斜面の草地の上にテントを張ることにする。琵琶湖の対岸では長浜から米原、彦根の街明かりが徐々に輝き始めていた。
テントに入り込みビールで乾杯すると料理に取り掛かる。緩い斜面にワンポール・テントを張ったせいで傾いたポールを直そうとした瞬間、家内のビールの入ったマグカップをひっくり返してしまう。山の上でビールをひっくり返すのは何とも虚しいものだ。何のために重たい思いをして担ぎ上げてきたのだろうか。しかし、この日は早瀬浦が十分にあるのが救いだった。
【二日目】
早朝に目が醒めると、南の空にかかる下弦の月のせいであたりが明るい。空が霞んでいるせいか、東の空は橙色に染まることなく、ブルーのモノトーンのまま急速に明るくなってゆく。長浜や彦根の市街の明かりも一斉に消灯したかのように急に見えなくなった。東の金糞岳の左手から太陽が昇り始めると、彼方に御嶽山のシルエットが浮かび上がる。
まずはテントの中でコーヒーを淹れようと鍋で湯を沸かす。気がつくと鍋の縁を茶色の点が動いている。マダニだった。行動食で簡単に朝食を済ますとテントを撤収する。出発の前に再び大御影山の山頂から三重獄から眺める。光の加減のせいだろう、朝陽を浴びて明るく輝く三重獄は黄昏に眺めたシルエットとは異なり驚くほど近くに感じられる。
山頂を後にすると野呂尾の高に向かって灌木と草原の広がる広々とした尾根を北東に進む。そういえば大御影山の三角点名は野呂尾であるが、この野呂尾とは大御影山から北東に伸びる尾根の名称なのだろうか。
野呂尾の高は山頂部の一角だけにブナの叢林が広がり、新緑のブナ林の中に入ると鎮守の森に入ったかのように雰囲気が一変する。ここのブナ林も何とも素晴らしいところだが、林に差し込む朝陽がブナ林の清々しさを際立たせてくれているようだ。
尾根を先に辿るとブナが疎らに生える灌木帯となり、正面には雲谷山、庄部谷山、野坂岳、東側に大谷山から赤坂山、三国岳へと至る江若国境の山々のパノラマを見ながら尾根を緩やかに下ってゆく。積雪期に歩いた時には一面の雪原が広がるところだが、その下に低木や灌木があったとは知る由もない。
尾根を北に辿り、斜度が増すとブナの樹林となる。尾根の下部では杉の樹が多くなるが杉林の中にも新緑のブナの大樹が目を惹く。鞍部から登り返すとなだらかな山頂台地が広がる松屋大権現至る。この樹々が疎らに生える草原状の山頂も独特の雰囲気のあるところだ。樹々の多くは黄色くおぼろげな花を数多くつけている。クロモジの樹だろう。
ところでクロモジといえば爪楊枝であるが、この山頂一帯の堂々としたクロモジの樹々を見ていると、果たして割り箸と共に入っている爪楊枝が果たして必要なのかと云う疑問が今更ながらに沸き起こる。ちなみに割り箸に入っている安価な爪楊枝はクロモジではなく白樺から作られるらしい。
松屋大権現の北斜面からは再び正面に庄部谷山を眺めると、所々でユズリハが密生する斜面を下ってゆく。積雪期は尾根芯を辿ってきたが、登山道は斜面をトラバース気味に下降してゆく。やがてユズリハの密生が現れるが、切り払いがされているので、通行には全くといってもいいほど支障はない。このあたりになると自然林の中にホオノキの大樹が目立つようになる。最後は斜面をつづら折りに下って神社の裏手に降りたつ。
あとは能登又川沿いの林道を歩いて駐車地に戻る。林縁にはイチリンソウ、キケマン、ムラサキケマン、クサイチゴ、スミレなど数多くの花が咲いており、飽きることがない。ヒメウツギも薄紅色の花を咲かせ始めていた。
川沿いの広い河岸段丘には砂利が敷き詰められて綺麗に整地されていると思えば、ここでも「送電線鉄塔付け替え工事のため立入禁止」と記されたシートがロープに掛けられている。能登郷から大日岳を経由する新たな送電線はここに至るらしい。新たに庄部谷山から芦谷山の稜線で建設が進められる風力発電で発生した電力を送電するためのものだろうか・・・と考えるとますます陰鬱になるのだった。
能登又谷川のほとりで清流と新緑を眺めながらソーセージとマフィンとを温め、のんびりと朝食を摂るうちに気分も一新される気がするのであった。