【越美】スノー衆2021 赤樽山〜徳平山☆大展望のパノラマ尾根へ
Posted: 2021年3月08日(月) 21:31
【 日 付 】2021年3月7日(日曜日)
【 山 域 】越美
【メンバー】山日和、グー、oku, バーチャリ、biwaco、わりばし、kitayama-walk、わしたか、副館長、keikoku、雨子庵、あきんちょ、ちーたろー、しのやん、おど+、クロオ、山猫(敬称略);17名
【 天 候 】晴れのち曇り
【 ルート 】越美トンネル西側の除雪広場6:40〜8:40p951〜9:36赤樽山10:00〜10:56 p1156〜11:58 p1184〜12:13 ca1160m(ランチ休憩);13;45〜14:01徳平山14:10〜駐車地16:20
いよいよ待望のスノー衆なる雪山のオフ会の朝を迎える。今年の「スノー衆」は本来は1月の上旬に予定されていたのだが、その直前に緊急事態宣言が再発令され延期されることとなる。苦渋のご判断だったことと思われるが、山日和さんをはじめ晴れてこの日を迎えることが出来る参加者の喜びはひとしおだろう。先々週の上谷山にて偶然にもkitayama-walkさんやkeikokuさんにお会いしたお陰で知らないメンバーがいなくなり、初参加の緊張感が和らいだ。
美濃白鳥の古い旅館を薄暗い早朝に出発すると凛とした空気の中に春風の気配を感じる。長良川にかかる橋を渡ると集合場所の道の駅「清流の里しろとり」まではわずか10分とかからない距離だ。白鳥の古い街並みを歩き始めた時はまだ薄暗かったが、道の駅が近づくにつれ急速に夜の帳が上がってゆく。
空には刷毛で掃いたような巻雲がわずかに見られるばかり、今日は絶好の好天が期待されそうだ。振り返ると街の北側には大日ヶ岳がすっきりと姿を見せている。六時前になると山日和さんを中心にメンバーの輪が出来る。
5台の車に分乗して、出発することになる。出発の前にわりばしさんが山日和さんを呼び止める「ピッケル要るんですか?」
山日和さん「持ってきていない」。
すかさず、グーさんが横から突っ込む「要項にピッケルって書いてあったで〜」
県境の下、越美トンネルを潜って福井県側に入ると、途端に低い雲の下に入り、周囲の山々の上の方は雲の中だ。「おかしい、こんな筈ではなかったのに」と山日和さんが呟く。
林道に入ると橋のたもとでスノーシューを装着する。出発の準備を整えられたグーさんは早速にも一人で橋を渡ってゆく。橋の手前ではbiwa爺さんがスノーシューを抱えてお困りのようだ。ビンディングの部分が帯状の紐で止めるタイプのスノーシューなのだが、留め具から紐が外れてしまったらしく、留め具との間に非常に細い隙間に紐を通すのに苦労されておられる。何とか無事に留め具に紐を通すお手伝いをさせて頂くと、全員揃っていざ出発である。
九頭竜川を見下ろす林道の脇には我々を歓迎するかのように大きく枝ぶりを広げるトチノキの大樹が現れる。「食糧難の時代にはトチノミは貴重な食材だったんで、樹を切らずに残したんですよね」と後ろでkeikokuさんがあきんちょさんに説明されているのを私も拝聴する。
林道は九十九折に急斜面を登ってゆくが、ショートカットで雪の斜面を登ってゆく。ただ一人、林道を忠実に辿られるグーさんを除いては。それまで、先頭を歩いていたグーさんを皆が一気に追い抜かすことになった。
ここから急登です。オド+さんが軽々と登っていかれ、数人がその後を追う。雪が緩んでざれていたら登りにくかったかもしれないが、十分に締まっている。この日はトレースの跡を追って歩くことが出来るのがとても有難い。というのも昨日の山行で両側のゲイターがズタズタに敗れてしまい、この日はゲイターなしでの登山になるのであった。急斜面をストックなしで飄々と登っていかれるのはokuさんとあきんちょさんだ。どうやら雲が上がり始めたようだ。九頭竜川の対岸の斜面では雲が上がったばかりの斜面に霧氷が付いているのが見える。
斜面の上部にひときわ大きな樹が現れる。皆、樹の下で立ち止まってはその大きさに驚嘆する。山日和導師にお伺いするとミズナラの樹であることを教えて下さる。樹が大きくて普段見慣れているヒビ割れ状のナラの樹肌とまるで様相が異なる。導師によると下山の尾根にはもっと大きな樹があるとのこと。
尾根に乗ると、ブナの樹林。「この山はミズナラと檜が多いんです」とのこと。
わずかに登るとすぐに南側に展望が開け、蒼穹の下に霧氷を纏った稜線が視界に入ると皆一様に驚嘆の声を上げる。標高わずかに1200m前後の山とは思えぬ壮麗な雰囲気だ。東側にはわずかに雲を纏った徳平山も朝陽に輝いている。
「ここからは好きなところを自由に歩いて下さい。」と山日和さん。広々とした尾根にはいく筋もの襞が広がる。「影が綺麗だなぁ〜」とわしたかさんの声が聞こえてた。雪の上に朝の光が落とす樹々のシルエットが斜面の緩やかな起伏を示している。
考えてみれば大人数のパーティーでの登山は高校時代のワンゲル部の山行以来だが、隊列を崩して各人が樹林の中を気儘に歩く自由などは考えられない事態だ。思い思いに朝陽の差し込む広々とした疎林の中にトレースを刻んでゆく様はそれだけでも眺めていて愉しくなる光景だ。
やがて尾根が一本に収束すると別の歓声を上げることになる。早くも霧氷が始まったのである。雪庇の反対側に霧氷を纏った樹々が整列する様はまるで霧氷の並木道だ。山日和さんを始め数人は尾根のすぐ直下の緩やかな谷筋を登られるが、なだらかにカールした谷筋も気持ち良さそうだ。
登るにつれて、霧氷は厚さを増し、朝陽に照らされた尾根周囲の樹々が悉く白銀に輝いている。「こんなに素晴らしい霧氷に出会えるとは!」と次々に感嘆の聲が聞こえる。
霧氷の回廊の中を一人、先陣を切って力強く尾根芯を登っていかれたのはkeikokuさんだ。keikokuさんとは二週間前、上谷山で登山口の広野浄水場から偶然にもご一緒することになり、その時も腰痛でしんどいと云うことを仰っておられたが、腰痛を感じさせない力強い登りだ。
赤樽山の山頂から北に伸びる尾根に真っ先に到達されたkeikokuさんが「オォーッ!」と雄たけびのような歓声をあげたかと思うと、続いて「素晴らしい」と嘆息のような一言が聞こえてきた。
keikokuさんの立つ北尾根に向かって思わず歩みを速める。真っ先に視界に飛び込んできたのは霧氷越しに青碧色の水を讃える九頭竜湖の彼方に荒島岳とそのすぐ左手に縫いヶ原山、銀杏峰が雲薄い雲に浮かぶ光景だ。
そして振り返った瞬間、クリームをかけたかのような限りない純白の白山の姿に歓声を上げることになる。右手には朝陽に煌めく徳平山の左手で御嶽山が雲海の上に浮かび上がっている。
鷲ヶ岳、昨日は朝を除いていは1日中、雲が取れることがなかったのだが、この赤樽山から見ると山頂部が意外に長く、縦走意欲のかき立てられるところだ。そして左の肩からは穂高岳が覗き、北アルプスの槍ヶ岳、笠ヶ岳、薬師岳へと銀嶺が続いている。槍ヶ岳は雪がつかないから黒々として見える」とkitayama-walkさんが仰るが、確かに白い山脈の中で一点のみ鏃のような色合いを見せている。
赤樽山の山頂に向かって尾根を登り詰めると霧氷のクライマックスを迎える。雲一つない蒼穹を背景に煌めく霧氷の枝を見上げる。風もほとんどないが、はらりとはらりと霧氷が落ち始める。しかし、山頂にたどり着く瞬間、歓声と共に眺めることになるのは霧氷よりも南側に広がる滝波山から平家岳へと続く越美国境稜線の山々だ。「こんなに眺望がいいとは!」と喜びの聲が各所から聞こえる。
少し尾根を西側に辿ると平家岳の右手に白い山が見えるようになる。果たして屏風ヶ岳か能郷白山だろうか。kitayama-walkさんがその右手の白い山が姥ヶ岳であることを教えて下さる。尾根の先からはわずかに部子山の山頂がわずかに頭を覗かせている。
尾根の南側斜面にはだだっ広い雪原が広がっているように思われたが、足を踏み入れると早速にもkitayama-walkさんが深々と踏み抜かれる。簡単にはスノーシューが抜けないようであったが足元の雪を少し掘り出すのをお手伝いする。雪の下には濃密な藪が埋まっているようだった。直後、あきんちょも踏み抜いたようだ。すぐ近くに雨子庵さんがいらしたので心配ないだろう。
山頂に戻ると見慣れたタイプの真新しい山名標が架けられているのに気がつく。その山名標はまるで以前からそこにあって我々の到着を歓迎してくれているかのようにも思われた。山頂の周囲では霧氷の落下する速度が急激に加速し始める。樹々からはバサバサと音を立てて、まさに雨霰のごとく一気に落下してゆく。
いよいよ徳平山にかけての縦走路へと入る。赤樽山に到着した時点では霧氷の回廊が続いているように見えたが、降り注ぐ陽光に照らされた稜線上はどこでも同じ現象が起こっているのだろう。尾根上の霧氷は瞬く間に姿を消してゆく。
北側には北アルプス、大日ヶ岳、白山から経ヶ岳へと至る稜線、南には先述の越美国境の山々という贅沢な眺望を望みながら尾根を東へと進む。尾根上にはいくつもの小ピークが連綿と続いているが、ピークに達する度に主のように大きな異形の檜の樹が現れる。芦生杉のよう横に大きく広がった幹からは垂直に支幹が何本も出ている。京都の北山では芦生杉の大樹はよく見かけるが、台杉ならぬ台檜と呼ぶのか、このような檜の樹は見たことがなく、その存在感に圧倒される。ピーク毎に檜の大樹が立っているのは偶然ではなく、長い歳月における人々の記憶を残そうと先人の願いを込めた結果なのかもしれない。通常は茶褐色一色であるはずの檜の樹肌は陽光に照らされて印象派の絵画のような流麗かつ豊潤な色彩を放つのだった。
尾根の中間のピークp1156へと登ると、荒島岳、縫いヶ原山、部子山と山並みが続いたとkeikokuさんが喜んでおられる。誰かが「ここがp1156ですね」というと、すかさず「なるほど、メシにいいころか」・・・と山日和導師。しかし、本来のランチの予定場所はもう少し先だ。ここでグーさんが差し入れて下さるぶどうがなんとも美味しい。
東の方角には徳平山が見えるが、尾根は一度、大きく南に迂回することになる。鞍部に下ると繊細な樹影のブナの林が広がった。「このあたりは一度、伐採されてすべて禿山になったところなんです」とおど+さんが解説して下さる。ブナの若木が広がっているが、大樹が見られないのはそういうことか。
徳平山の手前のピークp1184が当初のランチの予定だったらしい。確かに数字からしても「いい場所」だ。縦走路ではしばらく北側の展望に恵まれなかったが、再び正面に白山の展望が広がっている。大人数で囲むテーブルを作るには少し狭いようだ。
グーさんはここでのランチを主張したが、山頂から少し降った台地状のなだらかなピークがランチ場に決定される。樹間から望む北アルプスは赤樽山から見えていた槍、穂高や笠ヶ岳は鷲ヶ岳の左肩に姿を隠し、その代わりに薬師岳から立山に至る稜線の先に鋭い剱岳が見える。槍ヶ岳と同様に白くないのは急峻な斜面に雪が積もらないからであろう。鷲ヶ岳の右肩には別の純白の山が顔を覗かせている。乗鞍岳だ。
スコップを持参している人が意外にも多く、瞬く間にテーブルが出来あがる。早速にも雪のテーブルを囲んでランチの時間が始まる。幸いにも風もなく、相変わらずの好天が続く。日差しを背後から受ける側に座った人々は背中が暑く感じられたかもしれない。
調理を始める。わりばしさんの加圧式のストーヴから勢いよく炎が上がる。気がつけばシリコンのまな板まで燃えている。一瞬、驚いたが、どうも周囲の人たちは(またか・・・)という目で眺めている。どうもスノー衆のランチでは恒例の光景らしい。
私は昨夜、地元のスーパーで購入した鶏ちゃんを調理すべく、野菜を切るのに忙しい。持参した野菜やキノコ類が多すぎて、2回目の鍋が出来た時にはほとんどの人はランチが終了し、満腹状態であった。瞬く間に楽しい時は過ぎる。
気がつくとスノーシューがずらりと並べられている。同じ色、モデルのライトニング・エクスプローラーが三艘ある。グーさんは好きなものを履いて帰ればいいと仰るが、果たしてスノーシューが持ち主のところに無事に帰るかどうか心配だ。スノーシューを前に記念撮影を行うと、三々五々に下山の準備を始める。
空ではいつしか急に南から流れてきた雲が広がり始め、太陽が雲に隠れる。まさしく春風と呼ぶべき穏やかな南風が吹いているが、南の方角は雲が多く、急速に空気が湿りはじめているようだ。
下山の準備が整うと徳平山に向かっていざ出発である。徳平山からはあまり展望がないとはおど+さんからお伺いしてはいたが、白山から赤兎山への稜線の展望は拝むことが出来る。白山の手前に見える木無山はかつてのスノーシューの想い出の山らしい。是非ともその軌跡を辿りたくなった。北東側にも鷲ヶ岳と北アルプスの展望が広がり、北アルプスの上空では依然として全く雲は見られない。
好展望はここで終わり、下山はブナの立ち並ぶ尾根を下降してゆく。やがて遠目にもそれとわかる大樹が尾根の中央に現れる。これが噂のミズナラの大樹のようだ。樹の中には洞が形成されており、その中を覗き込むとまるで祠の中に祀られたお地蔵様のように氷荀が鎮座しているのだった。長い氷荀の一本が折れてしまっていたので、立て直してみる。
ミズナラの大樹に訣れを告げて、尾根を下る。自然林が続く尾根では随所に均整のとれたブナの樹が随所に現れる。ミズナラの樹を目にした後で樹影のインパクトがないように思われるかもしれないが、目を楽しませてくれるには十分に思われた。私が大きく踏み抜くとすぐ先を歩いておられたバーチャリさんがケタケタと笑って一言「山猫も樹から落ちる!(笑・・・)」。
細尾根では早くも雪が切れて地面が露出する。早くもスノーシューを脱ぐ指令が伝わる。細尾根が終わると尾根には再び雪が現れるが、ここでも頻繁に踏み抜きが生じる。keikokuさんが頻繁に身を屈めて背中の筋肉をストレッチされておられる。腰痛には堪えるのだろうか。
尾根の末端ではすぐ左手に植林を見ながら自然林の中を下降してゆく。すぐに林道に出る。今日はアトラクションがなかったと山日和さんは仰るが「アトラクションいらんいらん」とちーたろーさん 。同感である。
再びスノーシューを装着して九頭竜川を見下ろしながら林道を歩くと「3年前にこの山を辿った時はあそこを渡渉したんです」と山日和さんが川面を指差す。川を見るとどう見ても容易に渡渉できるようなところではなく、膝まで水に浸かることは免れそうもない。当時の地図にはこのあたりに橋が記されていたにも関わらず、実際には橋がなかったらしい。改めて情報の少ない山のルートを開拓して来られた山日和導師の苦労を垣間見る気がした。
林道を出ると車を停めた除雪広場まではすぐである。続々と駐車場に帰着すると「いいところだったな〜」「・・・でしたね〜」という満悦の聲が聞こえる。自然林の広々とした尾根、霧氷の回廊、パノラマの稜線、そしてミズナラや檜を初めとした大樹の数々に充足感を憶えぬ者はいないだろう。
「あれだけのんびりとしてこんな時間に下山するとは」・・・と山日和さんは仰るが、充分すぎるほど魅力が凝集された山行だろう。そして私にとっては多くの見知らぬ山への憧憬を抱くと共に、高校時代以来の久しぶりのパーティー登山の新鮮な愉しさを感じさせてくれる山行であった。
【 山 域 】越美
【メンバー】山日和、グー、oku, バーチャリ、biwaco、わりばし、kitayama-walk、わしたか、副館長、keikoku、雨子庵、あきんちょ、ちーたろー、しのやん、おど+、クロオ、山猫(敬称略);17名
【 天 候 】晴れのち曇り
【 ルート 】越美トンネル西側の除雪広場6:40〜8:40p951〜9:36赤樽山10:00〜10:56 p1156〜11:58 p1184〜12:13 ca1160m(ランチ休憩);13;45〜14:01徳平山14:10〜駐車地16:20
いよいよ待望のスノー衆なる雪山のオフ会の朝を迎える。今年の「スノー衆」は本来は1月の上旬に予定されていたのだが、その直前に緊急事態宣言が再発令され延期されることとなる。苦渋のご判断だったことと思われるが、山日和さんをはじめ晴れてこの日を迎えることが出来る参加者の喜びはひとしおだろう。先々週の上谷山にて偶然にもkitayama-walkさんやkeikokuさんにお会いしたお陰で知らないメンバーがいなくなり、初参加の緊張感が和らいだ。
美濃白鳥の古い旅館を薄暗い早朝に出発すると凛とした空気の中に春風の気配を感じる。長良川にかかる橋を渡ると集合場所の道の駅「清流の里しろとり」まではわずか10分とかからない距離だ。白鳥の古い街並みを歩き始めた時はまだ薄暗かったが、道の駅が近づくにつれ急速に夜の帳が上がってゆく。
空には刷毛で掃いたような巻雲がわずかに見られるばかり、今日は絶好の好天が期待されそうだ。振り返ると街の北側には大日ヶ岳がすっきりと姿を見せている。六時前になると山日和さんを中心にメンバーの輪が出来る。
5台の車に分乗して、出発することになる。出発の前にわりばしさんが山日和さんを呼び止める「ピッケル要るんですか?」
山日和さん「持ってきていない」。
すかさず、グーさんが横から突っ込む「要項にピッケルって書いてあったで〜」
県境の下、越美トンネルを潜って福井県側に入ると、途端に低い雲の下に入り、周囲の山々の上の方は雲の中だ。「おかしい、こんな筈ではなかったのに」と山日和さんが呟く。
林道に入ると橋のたもとでスノーシューを装着する。出発の準備を整えられたグーさんは早速にも一人で橋を渡ってゆく。橋の手前ではbiwa爺さんがスノーシューを抱えてお困りのようだ。ビンディングの部分が帯状の紐で止めるタイプのスノーシューなのだが、留め具から紐が外れてしまったらしく、留め具との間に非常に細い隙間に紐を通すのに苦労されておられる。何とか無事に留め具に紐を通すお手伝いをさせて頂くと、全員揃っていざ出発である。
九頭竜川を見下ろす林道の脇には我々を歓迎するかのように大きく枝ぶりを広げるトチノキの大樹が現れる。「食糧難の時代にはトチノミは貴重な食材だったんで、樹を切らずに残したんですよね」と後ろでkeikokuさんがあきんちょさんに説明されているのを私も拝聴する。
林道は九十九折に急斜面を登ってゆくが、ショートカットで雪の斜面を登ってゆく。ただ一人、林道を忠実に辿られるグーさんを除いては。それまで、先頭を歩いていたグーさんを皆が一気に追い抜かすことになった。
ここから急登です。オド+さんが軽々と登っていかれ、数人がその後を追う。雪が緩んでざれていたら登りにくかったかもしれないが、十分に締まっている。この日はトレースの跡を追って歩くことが出来るのがとても有難い。というのも昨日の山行で両側のゲイターがズタズタに敗れてしまい、この日はゲイターなしでの登山になるのであった。急斜面をストックなしで飄々と登っていかれるのはokuさんとあきんちょさんだ。どうやら雲が上がり始めたようだ。九頭竜川の対岸の斜面では雲が上がったばかりの斜面に霧氷が付いているのが見える。
斜面の上部にひときわ大きな樹が現れる。皆、樹の下で立ち止まってはその大きさに驚嘆する。山日和導師にお伺いするとミズナラの樹であることを教えて下さる。樹が大きくて普段見慣れているヒビ割れ状のナラの樹肌とまるで様相が異なる。導師によると下山の尾根にはもっと大きな樹があるとのこと。
尾根に乗ると、ブナの樹林。「この山はミズナラと檜が多いんです」とのこと。
わずかに登るとすぐに南側に展望が開け、蒼穹の下に霧氷を纏った稜線が視界に入ると皆一様に驚嘆の声を上げる。標高わずかに1200m前後の山とは思えぬ壮麗な雰囲気だ。東側にはわずかに雲を纏った徳平山も朝陽に輝いている。
「ここからは好きなところを自由に歩いて下さい。」と山日和さん。広々とした尾根にはいく筋もの襞が広がる。「影が綺麗だなぁ〜」とわしたかさんの声が聞こえてた。雪の上に朝の光が落とす樹々のシルエットが斜面の緩やかな起伏を示している。
考えてみれば大人数のパーティーでの登山は高校時代のワンゲル部の山行以来だが、隊列を崩して各人が樹林の中を気儘に歩く自由などは考えられない事態だ。思い思いに朝陽の差し込む広々とした疎林の中にトレースを刻んでゆく様はそれだけでも眺めていて愉しくなる光景だ。
やがて尾根が一本に収束すると別の歓声を上げることになる。早くも霧氷が始まったのである。雪庇の反対側に霧氷を纏った樹々が整列する様はまるで霧氷の並木道だ。山日和さんを始め数人は尾根のすぐ直下の緩やかな谷筋を登られるが、なだらかにカールした谷筋も気持ち良さそうだ。
登るにつれて、霧氷は厚さを増し、朝陽に照らされた尾根周囲の樹々が悉く白銀に輝いている。「こんなに素晴らしい霧氷に出会えるとは!」と次々に感嘆の聲が聞こえる。
霧氷の回廊の中を一人、先陣を切って力強く尾根芯を登っていかれたのはkeikokuさんだ。keikokuさんとは二週間前、上谷山で登山口の広野浄水場から偶然にもご一緒することになり、その時も腰痛でしんどいと云うことを仰っておられたが、腰痛を感じさせない力強い登りだ。
赤樽山の山頂から北に伸びる尾根に真っ先に到達されたkeikokuさんが「オォーッ!」と雄たけびのような歓声をあげたかと思うと、続いて「素晴らしい」と嘆息のような一言が聞こえてきた。
keikokuさんの立つ北尾根に向かって思わず歩みを速める。真っ先に視界に飛び込んできたのは霧氷越しに青碧色の水を讃える九頭竜湖の彼方に荒島岳とそのすぐ左手に縫いヶ原山、銀杏峰が雲薄い雲に浮かぶ光景だ。
そして振り返った瞬間、クリームをかけたかのような限りない純白の白山の姿に歓声を上げることになる。右手には朝陽に煌めく徳平山の左手で御嶽山が雲海の上に浮かび上がっている。
鷲ヶ岳、昨日は朝を除いていは1日中、雲が取れることがなかったのだが、この赤樽山から見ると山頂部が意外に長く、縦走意欲のかき立てられるところだ。そして左の肩からは穂高岳が覗き、北アルプスの槍ヶ岳、笠ヶ岳、薬師岳へと銀嶺が続いている。槍ヶ岳は雪がつかないから黒々として見える」とkitayama-walkさんが仰るが、確かに白い山脈の中で一点のみ鏃のような色合いを見せている。
赤樽山の山頂に向かって尾根を登り詰めると霧氷のクライマックスを迎える。雲一つない蒼穹を背景に煌めく霧氷の枝を見上げる。風もほとんどないが、はらりとはらりと霧氷が落ち始める。しかし、山頂にたどり着く瞬間、歓声と共に眺めることになるのは霧氷よりも南側に広がる滝波山から平家岳へと続く越美国境稜線の山々だ。「こんなに眺望がいいとは!」と喜びの聲が各所から聞こえる。
少し尾根を西側に辿ると平家岳の右手に白い山が見えるようになる。果たして屏風ヶ岳か能郷白山だろうか。kitayama-walkさんがその右手の白い山が姥ヶ岳であることを教えて下さる。尾根の先からはわずかに部子山の山頂がわずかに頭を覗かせている。
尾根の南側斜面にはだだっ広い雪原が広がっているように思われたが、足を踏み入れると早速にもkitayama-walkさんが深々と踏み抜かれる。簡単にはスノーシューが抜けないようであったが足元の雪を少し掘り出すのをお手伝いする。雪の下には濃密な藪が埋まっているようだった。直後、あきんちょも踏み抜いたようだ。すぐ近くに雨子庵さんがいらしたので心配ないだろう。
山頂に戻ると見慣れたタイプの真新しい山名標が架けられているのに気がつく。その山名標はまるで以前からそこにあって我々の到着を歓迎してくれているかのようにも思われた。山頂の周囲では霧氷の落下する速度が急激に加速し始める。樹々からはバサバサと音を立てて、まさに雨霰のごとく一気に落下してゆく。
いよいよ徳平山にかけての縦走路へと入る。赤樽山に到着した時点では霧氷の回廊が続いているように見えたが、降り注ぐ陽光に照らされた稜線上はどこでも同じ現象が起こっているのだろう。尾根上の霧氷は瞬く間に姿を消してゆく。
北側には北アルプス、大日ヶ岳、白山から経ヶ岳へと至る稜線、南には先述の越美国境の山々という贅沢な眺望を望みながら尾根を東へと進む。尾根上にはいくつもの小ピークが連綿と続いているが、ピークに達する度に主のように大きな異形の檜の樹が現れる。芦生杉のよう横に大きく広がった幹からは垂直に支幹が何本も出ている。京都の北山では芦生杉の大樹はよく見かけるが、台杉ならぬ台檜と呼ぶのか、このような檜の樹は見たことがなく、その存在感に圧倒される。ピーク毎に檜の大樹が立っているのは偶然ではなく、長い歳月における人々の記憶を残そうと先人の願いを込めた結果なのかもしれない。通常は茶褐色一色であるはずの檜の樹肌は陽光に照らされて印象派の絵画のような流麗かつ豊潤な色彩を放つのだった。
尾根の中間のピークp1156へと登ると、荒島岳、縫いヶ原山、部子山と山並みが続いたとkeikokuさんが喜んでおられる。誰かが「ここがp1156ですね」というと、すかさず「なるほど、メシにいいころか」・・・と山日和導師。しかし、本来のランチの予定場所はもう少し先だ。ここでグーさんが差し入れて下さるぶどうがなんとも美味しい。
東の方角には徳平山が見えるが、尾根は一度、大きく南に迂回することになる。鞍部に下ると繊細な樹影のブナの林が広がった。「このあたりは一度、伐採されてすべて禿山になったところなんです」とおど+さんが解説して下さる。ブナの若木が広がっているが、大樹が見られないのはそういうことか。
徳平山の手前のピークp1184が当初のランチの予定だったらしい。確かに数字からしても「いい場所」だ。縦走路ではしばらく北側の展望に恵まれなかったが、再び正面に白山の展望が広がっている。大人数で囲むテーブルを作るには少し狭いようだ。
グーさんはここでのランチを主張したが、山頂から少し降った台地状のなだらかなピークがランチ場に決定される。樹間から望む北アルプスは赤樽山から見えていた槍、穂高や笠ヶ岳は鷲ヶ岳の左肩に姿を隠し、その代わりに薬師岳から立山に至る稜線の先に鋭い剱岳が見える。槍ヶ岳と同様に白くないのは急峻な斜面に雪が積もらないからであろう。鷲ヶ岳の右肩には別の純白の山が顔を覗かせている。乗鞍岳だ。
スコップを持参している人が意外にも多く、瞬く間にテーブルが出来あがる。早速にも雪のテーブルを囲んでランチの時間が始まる。幸いにも風もなく、相変わらずの好天が続く。日差しを背後から受ける側に座った人々は背中が暑く感じられたかもしれない。
調理を始める。わりばしさんの加圧式のストーヴから勢いよく炎が上がる。気がつけばシリコンのまな板まで燃えている。一瞬、驚いたが、どうも周囲の人たちは(またか・・・)という目で眺めている。どうもスノー衆のランチでは恒例の光景らしい。
私は昨夜、地元のスーパーで購入した鶏ちゃんを調理すべく、野菜を切るのに忙しい。持参した野菜やキノコ類が多すぎて、2回目の鍋が出来た時にはほとんどの人はランチが終了し、満腹状態であった。瞬く間に楽しい時は過ぎる。
気がつくとスノーシューがずらりと並べられている。同じ色、モデルのライトニング・エクスプローラーが三艘ある。グーさんは好きなものを履いて帰ればいいと仰るが、果たしてスノーシューが持ち主のところに無事に帰るかどうか心配だ。スノーシューを前に記念撮影を行うと、三々五々に下山の準備を始める。
空ではいつしか急に南から流れてきた雲が広がり始め、太陽が雲に隠れる。まさしく春風と呼ぶべき穏やかな南風が吹いているが、南の方角は雲が多く、急速に空気が湿りはじめているようだ。
下山の準備が整うと徳平山に向かっていざ出発である。徳平山からはあまり展望がないとはおど+さんからお伺いしてはいたが、白山から赤兎山への稜線の展望は拝むことが出来る。白山の手前に見える木無山はかつてのスノーシューの想い出の山らしい。是非ともその軌跡を辿りたくなった。北東側にも鷲ヶ岳と北アルプスの展望が広がり、北アルプスの上空では依然として全く雲は見られない。
好展望はここで終わり、下山はブナの立ち並ぶ尾根を下降してゆく。やがて遠目にもそれとわかる大樹が尾根の中央に現れる。これが噂のミズナラの大樹のようだ。樹の中には洞が形成されており、その中を覗き込むとまるで祠の中に祀られたお地蔵様のように氷荀が鎮座しているのだった。長い氷荀の一本が折れてしまっていたので、立て直してみる。
ミズナラの大樹に訣れを告げて、尾根を下る。自然林が続く尾根では随所に均整のとれたブナの樹が随所に現れる。ミズナラの樹を目にした後で樹影のインパクトがないように思われるかもしれないが、目を楽しませてくれるには十分に思われた。私が大きく踏み抜くとすぐ先を歩いておられたバーチャリさんがケタケタと笑って一言「山猫も樹から落ちる!(笑・・・)」。
細尾根では早くも雪が切れて地面が露出する。早くもスノーシューを脱ぐ指令が伝わる。細尾根が終わると尾根には再び雪が現れるが、ここでも頻繁に踏み抜きが生じる。keikokuさんが頻繁に身を屈めて背中の筋肉をストレッチされておられる。腰痛には堪えるのだろうか。
尾根の末端ではすぐ左手に植林を見ながら自然林の中を下降してゆく。すぐに林道に出る。今日はアトラクションがなかったと山日和さんは仰るが「アトラクションいらんいらん」とちーたろーさん 。同感である。
再びスノーシューを装着して九頭竜川を見下ろしながら林道を歩くと「3年前にこの山を辿った時はあそこを渡渉したんです」と山日和さんが川面を指差す。川を見るとどう見ても容易に渡渉できるようなところではなく、膝まで水に浸かることは免れそうもない。当時の地図にはこのあたりに橋が記されていたにも関わらず、実際には橋がなかったらしい。改めて情報の少ない山のルートを開拓して来られた山日和導師の苦労を垣間見る気がした。
林道を出ると車を停めた除雪広場まではすぐである。続々と駐車場に帰着すると「いいところだったな〜」「・・・でしたね〜」という満悦の聲が聞こえる。自然林の広々とした尾根、霧氷の回廊、パノラマの稜線、そしてミズナラや檜を初めとした大樹の数々に充足感を憶えぬ者はいないだろう。
「あれだけのんびりとしてこんな時間に下山するとは」・・・と山日和さんは仰るが、充分すぎるほど魅力が凝集された山行だろう。そして私にとっては多くの見知らぬ山への憧憬を抱くと共に、高校時代以来の久しぶりのパーティー登山の新鮮な愉しさを感じさせてくれる山行であった。