【台高】木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道を歩く 戦前の山旅に思いをはせ
Posted: 2015年11月01日(日) 13:57
【日 付】2015年10月31日(土)
【山 域】台高
【コース】駐車場7:45---9:35白滝---11:40南タワ---13:30駐車場
【メンバー】単独
グーさんが見つけたトロッコ軌道跡が昭和16年版「近畿の山と谷」住友山岳会編に載っている。私もこの本を持っているのだが、読んだ記憶がない。確認すると私のは昭和11年版で木梶方面を歩いた記録は無く、16年版で新たに付け加わった箇所のようだ。kzoさんがかかわってみえる「三重県の森林鉄道」に16年版の記載があるので、これを頼りに木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道の探索に出かけた。
木梶林道のゲートは以前は閉まっていたが、今日は開いている。工事が終了したのだろうか。ラッキーと思いつつ木梶山直登谷出合に下りる林道分岐先の空き地に駐車する。月初めにも来ているのだが、帰ってからkzoさんのHPを見ると架線場までのトロ道を見逃しているのがわかり再度歩きにきた。
以前直登谷を登った時に出合の橋の石積みが立派なのと、橋の丸太が細くなりつつも残っているのが印象に残っている。トロッコがわたる頑強な橋だとわかり納得した。出合の左岸の飯場跡にはグーさんが並べたビンやビール瓶がいくつかころがっている。その中に「NIPPON BEER」と書かれたビール瓶があった。現在のサッポロビールが昭和24年から32年まで使っていた商標で、戦後間もなくの物のようだ。
橋の反対側の右岸には石積みのトロ道が終点のベニア板製造工場跡まで続いている。石積みの台地には土管や鉄枠などが残っていた。来た道を戻り飯場への橋を過ぎると道は林道で寸断されてしまう。
林道に沿ってトロ道は進み林道の傾斜がきつくなりかけたあたりでガレ場を下りる。大きな岩が重なった下にトロッコレールを発見。川床にも落ちている。このあたりはレールは残っていたものの山抜けで土砂に埋もれるか流された感じだが、トロ道に間違いない。しばらくするとグーさんが発見した小尾根を巻く軌道が残っている場所に着く。ここからはトロ道はしっかり残っており山道として歩ける状態になる。
[attachment=4]IMG_0155.jpg[/attachment]
トロ道にはトロッコレールがそこかしこに放置されているものの当時の軌道の状態のまま残っていたのは小尾根を巻く地点だけだった。トロ道は途中から三本に分かれる。上部のトロ道は標高を維持しながら切通しの先で山抜けして切れている。対岸の植林の中に石積みやレールも残されておりトロ道だとわかるものの不明瞭でわからなくなる。
中段の道は排水施設のような構造物まで続いている。
下段の道は、上段と中段が分岐したその先で石積みを使いながら分かれている。下段はすぐに木梶川沿いまで下りていく。ここには、規模の大きな石積みが広範囲に広がっており建物があったのかもしれない。また、ワイヤーが対岸に渡されておりトロッコの車輪が残っていた。
[attachment=3]IMG_0169.jpg[/attachment]
架線場に続くトロ道は上段や中段のトロ道と比べ物にならないくらい規模の大きなしっかりとした石積みが多用されており、木梶川トロッコ道の中心となる道であることがわかる。立派なトロ道を歩いていくと石垣に守られた広場に到着し、ここが終点の架線場になる。下から見ると山城を思わせる二段の石積みを設けて広場を作っている。手積みのこれだけ立派な架線場の石積みは初めて見た。この広場にもレールが残されておりトロッコがここまで来ていたことがわかる。
[attachment=2]IMG_0182.jpg[/attachment]
戦前に住友山岳会は、この架線場からベニア板製造工場まで下段のトロ道を歩いている。この架線場までのルートを確かめるために架線場の尾根を下るとすぐに杣道になり木梶川に降り立った。白滝の落ち口で、ここに木梶三滝登山道の白滝コースが来ており、杣道には赤い矢印つきの「別ルート気をつけて」という木製看板までつけてあった。どうやら、白滝コースは昔からの道を転用したようで、住友山岳会はこの道を使い白滝の落ち口まできて尾根を上りトロ道を辿ったようだ。白滝を見に行った後、住友山岳会と同じ経路でもどった。
[attachment=1]IMG_0191.jpg[/attachment]
架線場の木材は南タワを経由して奈良県側の杉谷に降ろしたようだ。そこで、駐車地から鳴滝駐車場まで歩き、ここから南タワに向かう。植林を上がって行くと稜線手前でトロ道に出会う。これは加賀山事務所が管轄していた加賀山トロッコ道で、主稜線東側の950m付近の破線道がこれに当たる。とりあえず南タワに向かう。隧道があったとされる場所は、落ちていて切通しになっている。奈良県側に出るとトロ道は少し続くが植林で消える。ここから杉谷へは架線で下したのだろう。
[attachment=0]IMG_0213.jpg[/attachment]
カステラに羊羹をはさんだ「シベリア」を食べながら休憩。真正面に見える木梶山がきれいに色づいている。
ここから破線道をハッピノタウを巻き南東方向に下って行く。何カ所かわかりにくい所があるがしっかり続いている。植林地では現役の杣道として使われており歩きやすいのだが、伐採地になると道も不明瞭になるしイバラだらけで歩きにくいことこの上ない。二ヵ所の伐採地を通過してへきへきして、地蔵谷手前の伐採地はパスして植林から下りた。とはいうものの南タワからのびる加賀山トロ道はほとんど辿れた。
戦前に住友山岳会が歩いた木梶川トロッコと加賀山トロッコ道を辿れたことに感慨深いものを感じつつ帰路についた。
【山 域】台高
【コース】駐車場7:45---9:35白滝---11:40南タワ---13:30駐車場
【メンバー】単独
グーさんが見つけたトロッコ軌道跡が昭和16年版「近畿の山と谷」住友山岳会編に載っている。私もこの本を持っているのだが、読んだ記憶がない。確認すると私のは昭和11年版で木梶方面を歩いた記録は無く、16年版で新たに付け加わった箇所のようだ。kzoさんがかかわってみえる「三重県の森林鉄道」に16年版の記載があるので、これを頼りに木梶川トロッコ道と加賀山トロッコ道の探索に出かけた。
木梶林道のゲートは以前は閉まっていたが、今日は開いている。工事が終了したのだろうか。ラッキーと思いつつ木梶山直登谷出合に下りる林道分岐先の空き地に駐車する。月初めにも来ているのだが、帰ってからkzoさんのHPを見ると架線場までのトロ道を見逃しているのがわかり再度歩きにきた。
以前直登谷を登った時に出合の橋の石積みが立派なのと、橋の丸太が細くなりつつも残っているのが印象に残っている。トロッコがわたる頑強な橋だとわかり納得した。出合の左岸の飯場跡にはグーさんが並べたビンやビール瓶がいくつかころがっている。その中に「NIPPON BEER」と書かれたビール瓶があった。現在のサッポロビールが昭和24年から32年まで使っていた商標で、戦後間もなくの物のようだ。
橋の反対側の右岸には石積みのトロ道が終点のベニア板製造工場跡まで続いている。石積みの台地には土管や鉄枠などが残っていた。来た道を戻り飯場への橋を過ぎると道は林道で寸断されてしまう。
林道に沿ってトロ道は進み林道の傾斜がきつくなりかけたあたりでガレ場を下りる。大きな岩が重なった下にトロッコレールを発見。川床にも落ちている。このあたりはレールは残っていたものの山抜けで土砂に埋もれるか流された感じだが、トロ道に間違いない。しばらくするとグーさんが発見した小尾根を巻く軌道が残っている場所に着く。ここからはトロ道はしっかり残っており山道として歩ける状態になる。
[attachment=4]IMG_0155.jpg[/attachment]
トロ道にはトロッコレールがそこかしこに放置されているものの当時の軌道の状態のまま残っていたのは小尾根を巻く地点だけだった。トロ道は途中から三本に分かれる。上部のトロ道は標高を維持しながら切通しの先で山抜けして切れている。対岸の植林の中に石積みやレールも残されておりトロ道だとわかるものの不明瞭でわからなくなる。
中段の道は排水施設のような構造物まで続いている。
下段の道は、上段と中段が分岐したその先で石積みを使いながら分かれている。下段はすぐに木梶川沿いまで下りていく。ここには、規模の大きな石積みが広範囲に広がっており建物があったのかもしれない。また、ワイヤーが対岸に渡されておりトロッコの車輪が残っていた。
[attachment=3]IMG_0169.jpg[/attachment]
架線場に続くトロ道は上段や中段のトロ道と比べ物にならないくらい規模の大きなしっかりとした石積みが多用されており、木梶川トロッコ道の中心となる道であることがわかる。立派なトロ道を歩いていくと石垣に守られた広場に到着し、ここが終点の架線場になる。下から見ると山城を思わせる二段の石積みを設けて広場を作っている。手積みのこれだけ立派な架線場の石積みは初めて見た。この広場にもレールが残されておりトロッコがここまで来ていたことがわかる。
[attachment=2]IMG_0182.jpg[/attachment]
戦前に住友山岳会は、この架線場からベニア板製造工場まで下段のトロ道を歩いている。この架線場までのルートを確かめるために架線場の尾根を下るとすぐに杣道になり木梶川に降り立った。白滝の落ち口で、ここに木梶三滝登山道の白滝コースが来ており、杣道には赤い矢印つきの「別ルート気をつけて」という木製看板までつけてあった。どうやら、白滝コースは昔からの道を転用したようで、住友山岳会はこの道を使い白滝の落ち口まできて尾根を上りトロ道を辿ったようだ。白滝を見に行った後、住友山岳会と同じ経路でもどった。
[attachment=1]IMG_0191.jpg[/attachment]
架線場の木材は南タワを経由して奈良県側の杉谷に降ろしたようだ。そこで、駐車地から鳴滝駐車場まで歩き、ここから南タワに向かう。植林を上がって行くと稜線手前でトロ道に出会う。これは加賀山事務所が管轄していた加賀山トロッコ道で、主稜線東側の950m付近の破線道がこれに当たる。とりあえず南タワに向かう。隧道があったとされる場所は、落ちていて切通しになっている。奈良県側に出るとトロ道は少し続くが植林で消える。ここから杉谷へは架線で下したのだろう。
[attachment=0]IMG_0213.jpg[/attachment]
カステラに羊羹をはさんだ「シベリア」を食べながら休憩。真正面に見える木梶山がきれいに色づいている。
ここから破線道をハッピノタウを巻き南東方向に下って行く。何カ所かわかりにくい所があるがしっかり続いている。植林地では現役の杣道として使われており歩きやすいのだが、伐採地になると道も不明瞭になるしイバラだらけで歩きにくいことこの上ない。二ヵ所の伐採地を通過してへきへきして、地蔵谷手前の伐採地はパスして植林から下りた。とはいうものの南タワからのびる加賀山トロ道はほとんど辿れた。
戦前に住友山岳会が歩いた木梶川トロッコと加賀山トロッコ道を辿れたことに感慨深いものを感じつつ帰路についた。