【台高】蓮乾留第四・第五工場の人や物資は赤嵓滝谷左岸道から来ていた

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【台高】蓮乾留第四・第五工場の人や物資は赤嵓滝谷左岸道から来ていた

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2021年6月12日(土)
【山 域】台高
【コース】千石林道駐車場7:30---10:05赤嵓滝---15:00千石林道駐車場
【メンバー】単独

 三重木材乾留会社の蓮第四工場と蓮第五工場は赤嵓滝30mの滝上にある。第四工場・第五工場は共に対岸に飯場跡があり規模の大きさがうかがえる。「蓮の場合は山中の工場から人の背や肩により清瀬まで運んだ。」と搬出方法について飯高町郷土史に書かれている。大量の土管やレンガ等の資材をどうやって運んだのだろうかと思っていたところに「神戸鈴木の乾留工場のあった頃の開墾地」が谷の左岸にあることを知り以前に探索をした。


開墾地
開墾地

 千石平の北西に広がる緩やかな広い斜面が開墾地で石積みと乾留工場の土管が残されている。ここから左岸の水平道が続き、植林から自然林に代わり尾根を回り込みながら進んでいる。この先の赤嵓滝谷に流れ込む水線のある谷が抜け落ちており、以前ここで撤退した。

 先週ここを巻こうと岩尾根を上ったが、目的の尾根の上部は嵓が立っており厳しい。左岸の水平道は赤嵓滝の下部の嵓と尾根の上部の嵓の弱点を突くようにつけられているようだ。三重木材乾留会社を引き継いだ千秋社に勤めていた青田のオジヤンもこの道の事を知っていたので間違いないだろう。

 赤嵓滝を越える左岸道の核心部がそのまま残っているとは考えられないので、今日は赤嵓滝谷をつめて赤嵓滝を越えて左岸道の探索をすることにした。

 千石林道を終点まで歩き赤嵓滝谷に降りる。屈曲部に流木が詰まる最初の滝は右岸の小尾根から巻く。CS8m滝は右岸の岩場を木の根頼りに越える。ここは何度か来ており簡単に越えたように思うのだが、今日はいやらしい。乗越す地点にあるロープまで慎重にトラバースした。下部の足場が落ちて取りつきにくくなっている。この先に植林が千石平から下りてきているので、これを使えば巻きは回避できる。


赤嵓滝
赤嵓滝

 赤嵓滝が見える位置で右から支谷が来ている。これが開墾地の先の水線の谷で赤嵓滝は目と鼻の先である。赤嵓滝は右岸をトラバースしながら巻くので、ピンソールを付けた。

 倒木のある滝口に着いて、左岸を少し上ると道跡らしき筋が滝上を巻くようにつながっている。左岸道は開墾地からここにつながっていた。反対側の右岸にも上り返してみると瀬戸越に向かって獣道が続いていた。


赤嵓滝上の左岸道
赤嵓滝上の左岸道

 左岸の第四工場はすぐだ。ここは、土砂におおわれ、ほとんどの土管は割れている。石積みと窯の一部のレンガ、ダンパー等が残っており乾留工場であったことがわかる。ただ、このまま土砂崩れが進むと、数年で消えてしまいそうな感じだ。少し上流にある右岸の飯場には、サクラビール、カブトビール、大日本麦酒、三ツ矢印平野シャンペンサイダー等の瓶や食器等の生活痕が残っている。

蓮第四工場
蓮第四工場

 しばらく歩くと右岸に第五工場、左岸に飯場のあった三俣に着く。ここは三重木材乾留会社の乾留工場の中でも大正時代の工場の痕跡を最も残している。二窯三火床の岩本式木材乾留炭化装置に石垣や冷却用の土管などが当時のまま残っている。第四工場と第五工場を結ぶルートは両岸にあったようだ。

蓮第五工場
蓮第五工場

 オジヤンの言ったとおり、開墾地から赤嵓滝を越えて左岸の道はつながっていた。開墾地から第四工場まで最短でつないでおり20分もかからなかったんじゃないだろうか。大量の物資は仕事の早い左岸道を使って人の背で運んだようだ。とはいうものの1年で山中に11か所の乾留工場を作り生産にこぎつけたのだから、右岸の瀬戸越につながる道も当然使われたと思う。ただ、鈴木商店が開墾地を作った経緯を考えると左岸道が主力の運搬路として活用されたと考えるのが自然だと思う。

 当時の賃金体系を見ると、危険を伴なう筏流しの日雇い賃金が30銭、乾留工場が1円、手車引き(乾留関連)2円20銭が相場になっており破格の賃金であったことがわかる。

 第五工場から桧塚劇場に上り、第二劇場を過ぎたピークから南南西に伸びる急な尾根を下り開墾地経由で下山した。

グー(伊勢山上住人)
記事: 2223
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【台高】蓮乾留第四・第五工場の人や物資は赤嵓滝谷左岸道から来ていた

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

わりばしさん、おはよう。
乾溜工場の検証も最終段階になりましたね。

尾根を回り込みながら進んでいる。
この先の赤嵓滝谷に流れ込む水線のある谷が抜け落ちており


谷地に付けられた道は崩落してしまいますよね。
尾根の部分はよく残っていることが多いですが。

左岸の水平道は赤嵓滝の下部の嵓と尾根の上部の嵓の弱点を突くようにつけられているようだ。

滝の上から抜け落ちた谷までの検証はぜひやって欲しいな。
谷地でなかったら残っている個所があると思います。
(けしかけたけど滑落事故はしないでね)

CS8m滝は右岸の岩場を木の根頼りに越える。今日はいやらしい。

グーも登山靴で1回、沢靴で1回越えたけど厳しくなっているようですね。

 倒木のある滝口に着いて、左岸を少し上ると道跡らしき筋が滝上を巻くようにつながっている。

想定通りでしたね。

ダンパー等が残っており乾留工場であったことがわかる。

ダンパーは持ち帰らないの?

 第五工場から桧塚劇場に上り、

このルートはなかなか雰囲気のあるグーも好きなルートです。
紅葉の季節にまた行きたいな。

                 グー(伊勢山上住人)
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】蓮乾留第四・第五工場の人や物資は赤嵓滝谷左岸道から来ていた

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、グーさん。

尾根を回り込みながら進んでいる。
この先の赤嵓滝谷に流れ込む水線のある谷が抜け落ちており


谷地に付けられた道は崩落してしまいますよね。
尾根の部分はよく残っていることが多いですが。


尾根は残りやすいですね。
とはいうものの台高の嵓地帯の残り方はなかなか微妙でしょうね。


赤嵓滝左岸の嵓
赤嵓滝左岸の嵓

左岸の水平道は赤嵓滝の下部の嵓と尾根の上部の嵓の弱点を突くようにつけられているようだ。

滝の上から抜け落ちた谷までの検証はぜひやって欲しいな。
谷地でなかったら残っている個所があると思います。
(けしかけたけど滑落事故はしないでね)


赤嵓滝左岸の嵓の上を探索する気にはなりませんね。
水線の谷と滝口まで目と鼻の先なので検証としては充分でしょう。 :mrgreen:

CS8m滝は右岸の岩場を木の根頼りに越える。今日はいやらしい。

グーも登山靴で1回、沢靴で1回越えたけど厳しくなっているようですね。

いやらしいイメージが無かったので
登ってみてオイオイでした。


 倒木のある滝口に着いて、左岸を少し上ると道跡らしき筋が滝上を巻くようにつながっている。

想定通りでしたね。

ありがとうございます。
これ見たさに二週連ちゃんで来ましたから。
グーさんも右岸の獣道を探索してみてはどうですか。


ダンパー等が残っており乾留工場であったことがわかる。

ダンパーは持ち帰らないの?

何に使います。
かまどの灰出し口ですか?


ダンパー
ダンパー

 第五工場から桧塚劇場に上り、

このルートはなかなか雰囲気のあるグーも好きなルートです。
紅葉の季節にまた行きたいな。


私も好きはルートです。
下山に使ったルートもいい感じでした。

帰りにスーパー香肌の路地を曲がってすぐの「いいたか BOOK JAZZ カフェ」に立ち寄りました。
明治に建てられた元庄屋さんの家で、千秋社の管理人さんも住んでいたようです。

いいたか BOOK JAZZ カフェ
いいたか BOOK JAZZ カフェ

追伸
八町滝の右岸の岩壁が落ちましたね。
42号からでも落ちた壁の白さが確認できます。

                 
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【台高】蓮乾留第四・第五工場の人や物資は赤嵓滝谷左岸道から来ていた

投稿記事 by アオバ*ト »

わりばしさん、こんばんは。

反応が遅くてすみません。

>「蓮の場合は山中の工場から人の背や肩により清瀬まで運んだ。」と搬出方法について飯高町郷土史に書かれている。
大量の土管やレンガ等の資材をどうやって運んだのだろうか

こんなにきびしいところを人の背で運んだなんて、にわかに信じられないような話ですが、
昔の人って、今では考えられないくらいすごかったのですね。

>千石平の北西に広がる緩やかな広い斜面が開墾地で石積みと乾留工場の土管が残されている。
この開墾地、グーさんのレポを頼りに
いちばん最初に千石林道を探検しに行ったときに、立ち寄りました。雨量計があるとろですよね。

>CS8m滝は右岸の岩場を木の根頼りに越える。ここは何度か来ており簡単に越えたように思うのだが、今日はいやらしい。
乗越す地点にあるロープまで慎重にトラバースした。下部の足場が落ちて取りつきにくくなっている。

私はいったいどうやって乗り越えたのか。この二つ目の滝を巻くのも、赤グラ滝を巻くのもとてもコワかったです。
もういっぺん行くよと言われてももう行けないかもです。

>赤嵓滝が見える位置で右から支谷が来ている。これが開墾地の先の水線の谷で赤嵓滝は目と鼻の先である。
赤グラ滝がすぐ先に見える二股は、とても美しいところだったように記憶しています。
この写真は、たぶんその二股で撮ったような気がするのですが、これがその右からの支谷?
左岸道って、この右俣の支谷のどこかを横断していたのでしょうか。
16237623682610.jpg
>第五工場から桧塚劇場に上り、
私もすっかり気に入ってます。
「わりばしさんのタイムマシンルート」と密かに呼んでます。

>第二劇場を過ぎたピークから南南西に伸びる急な尾根を下り開墾地経由で下山した。
下りに使われたルートは、私には急斜面のようにしか見えません。

わりばしさんが、この探索をされた日、私たちは奥山谷に行ってました。
帰りに、青田第一工場跡を探してみようと思ったのですが、
「取水ダム」自体がどこなのかわかりませんでした。
ワサビ谷手前第四工場跡は、木漏れ陽が一面に降り注いで、ここは何度来てもすてきでした。
第五では、こんな黒焦げが転がっていました。「KINJO」は初めて見ました。
16242858505880(黒煉瓦)2.jpg
というか今までは刻印まで気にして見ていませんでしたが、気にし始めると、やはり文字というのはインパクト強いですね。

 アオバ*ト
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】蓮乾留第四・第五工場の人や物資は赤嵓滝谷左岸道から来ていた

投稿記事 by わりばし »

アオバトさん、おはようございます。

>「蓮の場合は山中の工場から人の背や肩により清瀬まで運んだ。」と搬出方法について飯高町郷土史に書かれている。
大量の土管やレンガ等の資材をどうやって運んだのだろうか

こんなにきびしいところを人の背で運んだなんて、にわかに信じられないような話ですが、
昔の人って、今では考えられないくらいすごかったのですね。

当時は千石林道は無かったから谷に近いトラバース道だったのでしょう。
大八車は使えなかったようです。
所々に痕跡が残っています。

>千石平の北西に広がる緩やかな広い斜面が開墾地で石積みと乾留工場の土管が残されている。
この開墾地、グーさんのレポを頼りに
いちばん最初に千石林道を探検しに行ったときに、立ち寄りました。雨量計があるとろですよね。

雨量計のあるのが千石平で、小谷を越えた先が開墾地です。

>CS8m滝は右岸の岩場を木の根頼りに越える。ここは何度か来ており簡単に越えたように思うのだが、今日はいやらしい。
乗越す地点にあるロープまで慎重にトラバースした。下部の足場が落ちて取りつきにくくなっている。

私はいったいどうやって乗り越えたのか。この二つ目の滝を巻くのも、赤グラ滝を巻くのもとてもコワかったです。
もういっぺん行くよと言われてももう行けないかもです。

巻き道も足場ひとつでいやらしくなりますもんね。
ここの巻きだけなら植林を使えば回避できますよ。 :mrgreen:

>赤嵓滝が見える位置で右から支谷が来ている。これが開墾地の先の水線の谷で赤嵓滝は目と鼻の先である。
赤グラ滝がすぐ先に見える二股は、とても美しいところだったように記憶しています。
この写真は、たぶんその二股で撮ったような気がするのですが、これがその右からの支谷?
左岸道って、この右俣の支谷のどこかを横断していたのでしょうか。

この支谷の1000mあたりを赤嵓滝口に向けてトラバースしています。

>第五工場から桧塚劇場に上り、
私もすっかり気に入ってます。
「わりばしさんのタイムマシンルート」と密かに呼んでます。

あらまあ素敵な名前をありがとうございます。
サディスティックミカバンドもびっくりです。
:lol:

>第二劇場を過ぎたピークから南南西に伸びる急な尾根を下り開墾地経由で下山した。
下りに使われたルートは、私には急斜面のようにしか見えません。

嵓にはロープの設置してある所があり、ここなら難なく下れます。

下山路の嵓
下山路の嵓

わりばしさんが、この探索をされた日、私たちは奥山谷に行ってました。
帰りに、青田第一工場跡を探してみようと思ったのですが、
「取水ダム」自体がどこなのかわかりませんでした。

千秋林道沿いの取水施設はここしかないので通っているはずですが・・ :mrgreen:

青田第1工場の木酸液貯蔵槽跡
青田第1工場の木酸液貯蔵槽跡

ワサビ谷手前第四工場跡は、木漏れ陽が一面に降り注いで、ここは何度来てもすてきでした。
第五では、こんな黒焦げが転がっていました。「KINJO」は初めて見ました。
というか今までは刻印まで気にして見ていませんでしたが、気にし始めると、やはり文字というのはインパクト強いですね。

「KINJO.F.B」が時代を特定する貴重な煉瓦です。

会社名   金城耐火煉瓦(合資)
操業時期  大正5年2月~大正7年
所在地   愛知県愛知郡千種町

会社名   金城耐火煉瓦(株)
操業時期  大正8年5月~大正10年
所在地   神奈川県橘樹郡町田村

蓮第4工場の飯場跡にあった「KINJO.F.B」
蓮第4工場の飯場跡にあった「KINJO.F.B」

大正バブルの申し子のような会社で、わずか5年しか操業していません。
乾留の時代、鬼滅の刃とピッタリ重なります。

 
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