【日 付】 2021年5月10日
【山 域】 丹後
【メンバー】 Kさん sato
【天 候】 晴れのち曇り、漁港に着くと同時に小雨
【ルート】 成生↔・168↔△213.4↔成生岬灯台
小さな入り江の漁港には、何艘もの漁船が勇ましく並んでいた。
その船を見守るように、海岸のわずかな平地にはがっしりとした家が立ち並び、
鬼瓦や鯱で飾られた屋根が初夏の陽射しを受けて煌めいていた。
車置き場と化しているが立派な舟屋も軒を連ねている。
舞鶴市成生。大浦半島のまん中、岩壁のギザギザした海岸線の中の、
小さな入り江にぽつんと存在する小さなちいさな集落。
背後には山が迫り平地はほとんどない。
半分以上が空き家の、しんと静まり返ったひなびた集落を想像していた。
この勢いを感じる空気は何なのだろうと、きょろきょろしてしまう。
ごぉーっとエンジン音を響かせて一艘の船が港に入ってきた。
青空を貫く快活な音に、漁業で潤っている集落なのだな、と感じる。
どんな魚が獲れるのだろう。
片づけを始めたおじさんと目が合った。
山登りの格好をした私たちを見て、えっ?というお顔をされている。
「こんにちは。灯台に行こうと思いまして。」Kさんがご挨拶されると、
「昔は道があったが、今はもう無い。30年間草刈りもしていない。行くのは無理だ。」
と首を振られた。
地図に記された岬の手前まで延びる道と点在する田畑の記号。
30年くらい前までは、この道を行き来し作物を育てていたそうだ。
「行けるところまで行って戻りますね。」とお伝えして裏の道に入る。
集落の北の草地の斜面には、柵で囲まれた小さな畑が並び、いくつかの畑には人の姿が見えた。
草取りをしていたおばさんも
「奥には村よりも大きな畑があったけど今は草に埋もれている。灯台になんか行けないよ。」
とおっしゃる。
道が駄目だったら尾根で行くと申し上げると、山の中も草ボーボーで、猪や猿、鹿だらけだと。
それでも、気を付けてね、と笑顔で送ってくださった。
植林の林道に入ると、道は荒れ始め、おっしゃった通りどこが道か分からなくなった。
Kさんと、田畑の跡を探しながら昔の道を辿り△213.4に登りましょうかと、
歩く前にお話ししていたが、・168に登り向かうことにした。
ひと登りすると、常緑樹と落葉樹が混生する稜線が視線の先に延びていた。
おばさんの予想とは異なり、下草はほとんどなく歩き易い。
アベマキやヤマザクラのうつくしい幹の模様に目を惹かれながら、
爽やかな緑の中を、登り下りを繰り返し岬へと向かっていく。
時折、きゅん!と鳴き声がして、斜面を鹿が駆けていく。
おばさん達が困るから村には下りないでね、と白いおしりに声をかける。
・166の北のピークから、ヤブニッケイの間を抜け痩せ尾根に出ると、
空いっぱいに枝を広げた大きな木に出迎えられた。
その先にはケヤキの大樹が数本続いていた。
こんなところにこんなに素晴らしい木々が、とびっくりする。
140mピークに着くと、青い空と青い海が目に飛び込んだ。
緑の海から青い海へ、風景がいきなり移った瞬間だった。
岩の上から荒々しい岩壁に打ちつける波を眺める。
どこまでも響き渡る波音と、どこまでも白い波飛沫がわたしを捕えた。
ざっぶん、という音の中に、ふぅっと吸い込まれていきそうになり、
あわてて視線を上にそらす。
青い海には親子のようなふたつの島が絶妙な間隔で浮かんでいた。
すぐ横の断崖には可憐な白い花が咲いていた。
大きいほうが冠島、小さいのが沓島。
白い花はシモツケの仲間で若狭、丹後の固有種のタンゴイワガサ、とKさんが教えてくださる。
向きを変えると、緑の木立の向こうから、湖のような海と双耳峰のうつくしい山が覗いていた。
内海湾と大立山、続けて教えてくださる。
小さな半島の山旅を重ねていらっしゃるKさんのお話はとても興味深い。
山の奥へ奥へと目が向いてしまうわたしは、
最近まで、海が入っている地図を広げても海岸線をじっくりと読んだことがなかった。
初めて半島の山旅のお話をお聞きし、ご一緒させていただいた時、
日本の自然、風土は、なんてうつくしく、ゆたかなのだろう、とどきどきし、
わたしはなんにも知らないのだなぁ、としみじみ感じた。
今日も目を見張る光景の連続だ。
さて、と前を向く。鮮やかな緑色に煌めく△213・4が目の前にそびえ立っていた。
200m余りのお山とは思えない存在感を放っている。
鞍部から急こう配の斜面を手をつきながら登っていく。
下りはズルズル滑りそう。低山侮るなかれだ。
青葉の間から差し込む柔らかな光に満ち溢れた山頂に着き、一息ついて、もうひと山越えると
鞍部で不思議な人口物にぶつかった。何かの建物の基礎とかまどのような形のもの。
一体何なのだろう。気になったが、先ずは灯台へと足を進める。
成生岬。両方の耳にそれぞれ響き渡っていた波音がひとつに合わさった。
木立が邪魔をして絶景とはいかないが、
この先は大海原、半島の端っこまで来たのだという感慨に包まれる。
お昼ご飯を頂き、鞍部に戻り建物の跡を見て回った。基礎は海の近くまで続いていた。
鉱山の跡ではなさそうだ。軍事施設の跡なのだろうか?何なのだろう?頭の中に疑問符が並ぶ。
この施設には船で来たのかな。道で来たのかな。
海を眺めながら考えていると、青い青い空と海がくすみ始めた。風も出てきた。天気は下り坂か。
さぁ、帰りましょうか。
時計を見ると13時前。集落に戻ったら、おばさんはまだ畑にいらっしゃるかな。
大変だよ、と笑いながら見送ってくれたおばさんのお顔が浮かび、
山中でのいくつもの「発見」をお伝えしたくなった。
*・*・*・*・*・*・*
家に戻り、ちょこっと調べると、
成生岬の人口物は、やはり軍事施設だった。
軍港だった舞鶴港沿岸には、ロシアの脅威に備え、数か所に要塞が設けられ、
成生岬要塞は昭和9年に築かれた。わたし達が見たのは、海軍防備隊の官舎と砲台の跡だった。
青い空と青い海・・・家族と離れここでお国を守っていた人の眼には、空と海は何色に見えたのだろう。
成生はブリ網漁で豊かな集落。立派な屋根の家々は「ブリ御殿」と呼ばれているそうだ。
明治時代には養蚕も盛んで、臨時の労働者を600人も雇っていたという。
漁港に戻ってきた時、数人の若い漁師さんが作業をされていた。
陽に焼けたお顔に、この地に生きる誇りのようなものを感じた。
山中で見た石積み、「奥に存在した、村よりも大きな畑」は、桑畑だったのかなぁ、と思ったりした。
いろいろな風景と出会い、何にも知らなかった自分を感じる。そして、いろいろなことを知りたくなる。
ちょこっと知ると、そこから広がっていくものを感じる。また、何にも知らない自分を感じる。
旅って面白いなぁとしみじみと思う。
sato