【日 付】 2020年6月15日(月曜日)
【山 域】 若狭
【天 候】 晴れのち曇り
【メンバー】Kさん、K.Aさん、T君、sato
【コース】 下根来~小栗山~・547尾根~上根来
「Kさんと話していて、T君希望の下根来から小栗山、桜谷山から木地山峠上根来の話が出ています。巡視と看板付けの合間をくぐって行きませんか」
K.Aさんからのメールが届く。
小栗!?トクンと胸が高鳴る。数年前の芽吹きの少し前の季節に出会って以来、私の中で光を放つ山。即座に「お願いします」と返事を打つ。
K.Aさんは、高島に越してきた年から学びの場となっている、巨木と水源の郷をまもる会の会長さん。
会の活動や観察会での山歩きはご一緒させていただいてきたが、プライベートの山歩きは、
日頃より山歩きの面白さ奥深さを教えていただいているKさんがリーダーで訪れた、先月末の粟柄古道~湯の花谷左岸尾根が初めてだった。
T君は会の星、木々の間を抜けるそよ風のように自由に山を駆けまわり、森の住民とお話が出来る、澄んだ目とこころを持つ17歳の少年。
湯の花谷左岸尾根では言葉を失うほどの大きなケヤキを見つけてくれた。
話が決まったら早い。数日後の月曜日、車二台で下根来に向かい、一台を上根来にデポして歩くことになった。
車から出ると、いのちの水をたっぷりと浴びた木々が、あくびをして吐き出した息のような、緑の匂いが溶け込むじわっとした空気が押し寄せてきた。
「歩く前から暑いなぁ」と言いながら八幡神社の階段を登る。「いってまいります」とご挨拶をして杉林の尾根に取りつく。
「わぁ、きれい」と四人の声。杉の落ち葉の上にまき散らされた、れもん色の花にうっとりとなる。
何の花だろう。草木に詳しいT君も首をかしげている。頭上を見上げ、花の持ち主を探すが見当たらない。
山の神様からの歓迎の花吹雪と勝手に想像する。
「もう、見えなくなっちゃった」とK.Aさん。気が付くと、KさんとT君の姿は木々の向こうに消えている。
前回もそうだった。それぞれマイペースの山歩き。Kさんは風景の先にあるものに思いを馳せ一歩一歩を踏みしめながら、
T君は木々の声に耳を澄まし右へ左へとぴょんぴょんと跳ねながら登っているのだろう。
距離が空きすぎると待ってくれるので、私たちも急がない。あれこれお話ししながら、ゆっくりと歩みを進めていく。
しばらくすると、今度は、足元が星の砂のようなちいさな白い花で覆われる。ソヨゴの花だ。
春から夏へと季節が移ろうひと時、山は淡い雪で飾られる。白く儚い花の雪に。
緑の海に、白い花の雪が散りばめられた6月の山の、透き通ったさみしさが、笑っている私の胸の奥に、そっと忍び込む。
喉の渇きを覚え小休憩を取る。荷物をおろし、何となく右の倒木に目をやると、根元に大きな蛇!?一瞬、からだが固まる。
よく見ると耳がある。なんと生まれたてのバンビだった。くるりと丸めた背中の斑点と、真ん中の黒い線が大きな蛇に見えたのだ。
まだ歩けないのか近づいても動かない。大きなうるんだ目は、瞬きもせず、じっと一点を見つめている。私たちには見えない母鹿を見ているのだろうか。
何も何も、ちいさきものはみなうつくし・・・ふっと、枕草子の一節が浮かび上がる。
木々が降らせた花の雪、芽吹いて間もないいろいろな形の葉っぱ、そして、目の前でうずくまるバンビ・・、
ちいさきものは、ほんとうに、なんてうつくしく、かなしく、こころをふるわせるのだろう。
少し前、今年は暖冬で、あちこちの山で鹿が増えていると話していたのに、バンビを見て、どうか猟師さんに見つかりませんようにと願う私たちがいた。
岩群が現れた。大きな岩の上には、あがりこのようなケヤキがそびえ立つ。K.Aさんが感嘆の声を上げる。
KさんとT君に追いつき、皆で、この不思議な風景に見入る。
小糠雨の中に浮かぶ岩とケヤキの幻想的な情景に出会った時は、どこかに迷い込んでしまったようなこころ細い気分になったが、
今日の、岩をつかんだ大きなケヤキは、初夏の陽射しを浴び、風に揺られ、無数の葉を煌めかせ、その清々しさに、私も感嘆の声を上げてしまう。
辺り一面は生の輝きに満ち溢れ、私たちもその輝きの中に包み込まれる。
芽吹き、紅葉、冬枯れ・・光の中にかつてここで見た風景が映し出される。
世の中で何が起ころうとも、私たちが何を思おうとも、時は移ろい、季節は巡るのだ。
むかしむかしから変わらぬ自然の律動と胸の鼓動とが重なり合う。
尾根が細くなり水の音が聞こえてくる。あの風景が近づいてきた。先を歩くKさんとT君は谷が近づいた辺りで斜面を下っていく。
私は先ず、あの場所からあの風景をと思い、K.Aさんと尾根を進んでいく。黒い影が見えた。4mを超えるケヤキだ。
この木のたもとから谷の風景を一緒に味わいたかったのだ。
Kさんが上がってきた。ケヤキから一段下りた斜面に腰掛け、落ち葉の折り重なる柔らかな弧を描く谷を見下ろす。
谷の真ん中に浮かぶ炭焼き窯の石積み、その向こうの岩の間から落ちる一筋の清冽な流れ。
地図からは想像も出来ない絶妙な風景をただただ見つめる。
対岸の右の方に目をやると、昨年訪れた時、倒れてしまっていたケヤキの大樹の幹にはつる草が絡まっている。
何百年もの間、岩の上に立ち、静かに谷を見守っていたケヤキはその役目を終え、次の世代へといのちを繋げている最中だ。
いのちの源の水の音と、若いT君の落ち葉を踏む音が、谷間に響き渡る。その透明な音に耳を傾ける、もう若くない私たち。
過去と現在、此処と何処か、そして、未来が包容された、あるいはそういう概念をも超越した、ちいさくておおきな輝きをこころが捉える。
T君も上がってきて、お昼ご飯にする。お腹とこころが満たされので、桜谷山は次の機会に、
小栗から少し進んで西に、・547経由の上根来に延びる尾根を下ることにする。
落ち葉を踏み分けながら、思い思いに山頂に向かう。山上の池の傍らに佇むヤマボウシの花の白さに目が吸い寄せられる。
お三方も立ち止まり写真を撮られていた。
小栗の山頂に到着する。クリのイガとエゴの花が散りばめられた台地をふらふらしていると、うっすらと霧が流れてきた。
霧に促されるように、私たちも南に向かう。
・547の尾根はKさんも私も初めてだ。下草のない健やかなブナ林に笑みがこぼれる。
K.Aさんとのんびり歩いていると「おーい」とお二人の声。「えっ?尾根を外した?」地図で確認するが間違っていない。
どこから呼んでいるのだろう。耳を傾けると、上からだ。振り返るとお二人の姿が。T君がトチの巨木を見つけたとおっしゃる。
後に続いていくと、太い枝を広げたトチが目に飛び込んだ。
「素晴らしいね」と言いながら上部を見ると、クマのような巨木が。うれしくなって目指していくと、「向こうに、もっと大きなトチがある」とT君。
緩やかな谷の源頭の落ち葉の積もった斜面にしゃがみこみ、トチを見上げる。
いったい、いつの時代に発芽し、どれほどの年月、谷を見つめてきたのだろう。
何百年も見続けてきた風景に、今、私たち四人の姿が重なるのだと思うと胸が熱くなる。
おおきなおおきなトチを見ていると、私たちは、なんてちいさな存在なのだろうと感じる。でも、そのちいさな存在が、無性にいとおしくなる。
そして、このトチも最初はクリほどの実だったのだと思うと、ますますちいさきものへの思いが募っていく。
巨木となったトチも山の中ではちいさな点。日本、地球、宇宙となると、もう分からない。
その、おおきくてちいさなトチが、光を放ち、真実を伝えている。
花の雪も、葉っぱも、バンビも、私たちも、トチも、山も、そして地球も、ちいさくておおきな、おおきくてちいさな、尊い存在。
ちいさきものは、ほんとうに、なんてうつくしく、かなしいのだろう。あらためて思う。
私の眼に、私たちを見つめるトチが映っている。Kさん、K.Aさん、T君の眼にも、私の眼に映ったおおきなトチが映っている。
眼だけではない、こころにも同じトチが映っているのだ。幸せだなぁと感じる。
後ろ髪を引かれつつ、尾根に戻る。お二人はまた消えてしまった。最後、尾根が右に曲がるところに着いても姿が見えない。
どこに行ったのだろう?暫く待っていると、「4mのケヤキを見つけた」とニコニコしながら下ってきた。
「T君はほんとうに山を見る目を持っているのね。木の気配を感じることが出来るのね」お二人に負けずニコニコ笑うK.Aさんと私だった。
sato