【山域】大峰山脈・前鬼〜釈迦ヶ岳〜弥山
【山行日】2023年5月3日〜5日
【天候】3日間とも概ね晴れ
【メンバー】タイラ、アオバ*ト
【ルート】
5/3(309号線90番標識に車1台デポ)前鬼ゲート、小仲坊、太古の辻、深仙の宿(テント泊)
5/4深仙の宿〜釈迦ヶ岳〜弥山(テント泊)
5/5弥山〜一ノ垰〜90番標識
今年のゴールデンウィークは、早くから温めていたプランがあった。
大峯奥駈道の一部を歩いてみようというものだ。
きっかけとなったエピソードがあるのだが、それは最後に記したい。
険しい修行の道なので小屋を使って極力軽装備で歩こうと思い、一ヶ月前に弥山小屋と下山口に使う前鬼の小仲坊の予約を取った。
ところが1週間前の天気予報は3日間ともまとまった雨。泣く泣くキャンセルの電話を入れた。
それがキャンセルした途端に予報は再び好転した。お天気の崩れるタイミングが先にどんどん延びて行った。
でももう小屋の予約は無い。自力で行けと言う事か。
2台の車を使って1台を前鬼のゲート前にデポし、309号線の90番の階段から奥駈道に上がり一泊で縦走してる人たちの記録が目についた。
速攻連休初めの4/29日、90番の標識から登るタイタン尾根の下見に行った。
1時間ほどで奥駈道まで上がれることがわかった。
国道に降りてさらに前鬼のゲートまでも行ってみた。デポにかかる時間もわかった。自分の車で入れることもわかった。
せっかく好転したこのお天気を棒に振りたくない。テント背負って行くことを決めた。
タイタン尾根の様子がわかったので、歩いたことのない前鬼から登ることにした。
奥駈道に上がったら、すぐに水場のある深仙の宿がある。色々調べてみるとここは特別にすばらしい場所のようだ。
足の遅い私たちには丁度良いコースタイム、むしろ少し時間が余るくらいかもしれないが、
この聖なる場所に心ゆくまで浸りたいと思った。
前鬼は初めて訪れる場所ではなかった。15年ほど前、当時所属していた山の会の沢登りで連れてきてもらったことがあった。
でもその時は、役行者と鬼たちのファンタジーよりファンタスティックな1300年のリアルをまだ知らなかった。
当初宿泊の予約をするのに電話をかけたら「五鬼助です」と名乗られた。本当に「五鬼助」という名字なのだった。
五鬼継、五鬼熊、五鬼上、五鬼童、そして五鬼助の5人の鬼の子どもたちの最後の末裔、五鬼助義之さん。
お守り代わりに背負って行くので御朱印下さいとお願いすると快く書いて下さった。
書かれた文字は「神変大菩薩」。
お守りは役行者さま。なんとありがたいのだろう。
小仲坊には、何人かのハイカーたちが寛いでいたが、これから登ろうというパーティは私たちと、
ご夫婦と思しきもう一組だけだった。大きなザックを背負われていて、私たちと同じテント泊であることが伺われた。
ゲートまでは、どなたかに送ってもらったようだ。弥山まで抜きつ抜かれつとなった。
山道に入り、かつての宿坊跡や住居跡の石積みの横を通り抜け、踏み跡と目印を拾いながら芽吹きの谷を上がって行った。
緑色に染まったばかりの谷の上空は雲一つない青空。まさかこんなお天気になるなんて。
広々とした谷はトチノキの森だった。巨木があるようだ。でも登山道から少し外れている。ザック置いて見に行った。
すごい!今までいろんなトチノキに出会ってきたけど、この子は間違いなくいちばん大きかった。
階段道があるというのを、私は調べ損ねていた。タイラさんが、さぁ853段の階段始まるよ〜!と言うので、
えぇっ!と、半月ほど前の弥山川のはしご地獄を思い出した。でもここのは垂直ではなかったので、ホッとした。
木の階段、雨でなくて良かった。階段になったり、土の道になったり。
途中の水場で、今晩炊くお米を浸水させた。ナルゲンボトルに入れて、何時間か浸水させて置くと、すぐにおいしく炊けるのだ。
けっこうな急勾配の中、日帰りの若者パーティが軽快に追い抜いて行く。
「山と道」のウェアやザックがカッコよかった。
谷から離れると奇石群が現れた。なんて摩訶不思議な世界なんだろう。
奥駈道稜線直下、見上げると笹原の中のブナやオオイタヤメイゲツが超絶美しかった。
振り返ると、あっ竜口尾根!あっ尾鷲道!すぐ右手には岩峰、大日岳が聳え立っていた。
奥駈道太古の辻。笹原と岩峰、幾重にも重なる十津川の山々、鮮やかなピンクの躑躅の花、そして青空。
さらに嬉しかったのは、時間がまだお昼を回ったばかりだったことだ。
いまから深仙の宿でテントを張る。もちろん、歩くことも楽しいのだが、ここでゆったり過ごす時間を思うと、ワクワクするのだった。
奥駈道を北上すると、十津川方面から上がってくるたおやかな草稜が見えてきた。
古田の森だ。歩いたことあるのにすっかり忘れていた。こんなに美しい尾根だったのか。
大日岳を巻き終わると眼下の広い鞍部が深仙の宿だった。なんて美しい場所だろう。
まだお昼を過ぎたばっかりなのに、もういくつもテントがあった。
私と同じこと考える人たち、他にもいるんだな。
どこにテント張ろうか逡巡していると、ここ一等地だよとお堂の前の広場を勧めてくれたおじさんがいた。
おじさんの勧めに従いテントを張り、お堂の前に腰掛けて寛ぐ。
水を汲みに行ってくれたタイラさんも戻り、ウィスキーの水割りを作って歓談する。水が甘いのに驚く。
おじさんによると、この水は香精水と言い、奥駈道の湧き水の中でも最も聖なる水なのだそうだ。
このお堂は灌頂堂、特別に大事な儀式のためのお堂だそうだ。
前鬼からの道中、三井寺の道標は、この灌頂堂を指すようだった。
釈迦ヶ岳の東斜面に見える大きな岩は四天石。
見るもの、感じるもの、全てが新鮮ですばらしかった。
おじさんは和歌山の人で、毎年この時期古田の森から上がってきてここでテントを張り、
昼間は西側の谷に降りて遊び、2日間ほど過ごすのだと話された。西の谷はすごくいいからいっぺん行ってごらんと言う。
夜、テントの中で調べてみたら、西の谷とは滝川、上部は赤井谷のことだった。
またしてもすっかり忘れていたのだが、赤井谷にも深仙の宿にも、かつて連れてきてもらったことがあった。
何かが私を再びここに導いてきてくれた。なんてありがたいことなのだろう。
夕方近くになると、若いハイカーたちが、釈迦ヶ岳から続々と降りてきた。
ほとんどの人たちがみんなソロで、ほとんどの人たちがみんな吉野から歩いてきて熊野まで縦走するらしかった。
夕闇迫る頃、二人連れが降りてきた。「あとから女の子たちも来るんだけど、まだ場所ありますか」と言う。
みんなソロだけど途中で仲良くなり場所取りを頼まれたという。でもここではこんなに込み合っていても、
みんなお互い譲り合い、上手にテント張っていた。
おじさんが、土曜日から雨だぞと言うと、
「なんか一日くらい雨に降られないと奥駈じゃないみたいな気もするんすよね」と笑った。
たくさんテントが立てられた。
こんなに賑わうなんて、役行者さまも驚いていらっしゃるかもしれないと思った。
1300年の時空を軽く越えそうな熱気がそこら中に満ちていた。
朝、2時半頃起きた。朝からまたご飯を炊いて、テントを撤収していると、瞬く間に時間は過ぎた。
昨日の夜は星はほとんど出てなくて、お月さまがぼんやり浮かんでいるだけだった。ご来光は眺められるだろうか。
昨日は、こんな急なところ、直登するのは嫌だなしんどいなと思っていたが、気が付くと無心に直登していた。
都津門に着くと空が明るくなってきた。
頂上までは、まだもう少し時間がかかる。巻き道に入ると東の空はすっかり山に隠れた。
スタートが遅すぎたなと少し後悔したが、それでも無心に登っていると、笹原の中の樹林の美しさが凄みを増してきた。
後で調べると、この辺りにはダケカンバも自生しているようだった。
頂上に着くと、やはりお日様はもう上がった後で再び雲の中に隠れていた。
先に山頂にいた若者たちががこんなだったですよと映像を見せてくれた。
しばらくして登って来たタイラさんによると、ちょうど都津門でご来光を眺められたらしい。
お釈迦さまは日頃の行ないをちゃんとご存知なのかもしれなかった。
神妙にお釈迦さまに手を合わせて諸々を慚愧する。そしてこれから歩く縦走路を眺めた。
八経ヶ岳はあんなに遠い。果たしてたどり着けるのだろうか。
いきなり岩場の激下り。荷物も大きいし、どんくさいのでサクサク降りられない。
チンタラ、チンタラ。すごいガレ。落ちたら地獄に真っ逆さま。あっ、こんなところに不動明王さまが。
降りたと思ったら、また登り。一つの段差がハンパない。足が攣りませんようにと祈る。
タイラさんがオオミネコサグラを見つけた。とんでもない岩場にひっそりと咲いているのだった。
東側の谷底を覗きこんだと思ったら、
やっとのどかなところに来た。途端に足が上がらなくなった。今のが孔雀覗きだったのか。
タイラさんが孔雀岳のピークを踏みたいと行っていたが、登りたくない深層心理が勝手に巻き道を進んでいた。
孔雀岳の少し先では、水が湧いていた。地図を見ると「鳥の水 枯れるときもある」とあったが、今日はコンコンと湧いていた。
さらに少し先に中々良さげなテント場もあった。
孔雀岳をスルーしてしまったことが、自分としても少し心残りだったので、仏生ヶ岳は登ることにした。
トウヒやシラビソの枝がとんがり、特に何があるでもないが、ここはお釈迦さまが生まれたところだと、
下北山村のHPには、想像を掻き立てるようなことが色々書いてあった。
すれ違った若者から、水湧いてましたか?と聞かれたので、いっぱい湧いてたよと言うと良かった〜と嬉しそうに飛んで行った。
些細な事だけと、役立つ情報を教えてあげられて良かった。
楊枝の宿の避難小屋は可愛らしい小さな避難小屋だ。当初はここで泊まろうかと思っていたのだか、
いちにち目一杯歩かなければいけないし、それほど広くないということが調べてわかったので、候補から外した。
水場が少し離れるというのも難点だった。
楊枝の宿を過ぎると、しばらく天国的な雰囲気となる。・1693を巻いて下った広いのどかな鞍部でひと休みした。
舟の垰を過ぎ、西の谷底に見える気持ち良さげな広々とした河原が気になった。
谷はカラハッソウ谷。広場は神仙平と言うらしかった。覗
き込めば覗き込むほどに行ってみたくなるのだったが、一度降りたら二度と帰ってこれなさそうだった。
いよいよ明星ヶ岳が近づく。稜線の西側はかなりガレている。だんだん崩れて来ているようだ。
ほとんど垂直に見える岩場の下に来て一瞬たじろいだ。これ登らなくちゃいけないのか。
危険地帯を通過しつつも今度はなんともユーモラスな猫耳の双耳峰が気になった。七面山と言うらしい。
危険地帯を過ぎて、見覚えのある場所に出た。右にひと登りしたら明星ヶ岳だった。ここからは、もう知ってる場所。
もうすぐ弥山だと思うと、単純に嬉しかった。八経ヶ岳のピークに立ち、歩いて来た稜線を眺めた。
よく歩いて来たなと思ったが、私たちが歩いた距離なんて、縦走している若者たちに比べたらほんの僅かな距離だった。
タイラさんにゆっくり来てねと伝えて、最後は走った。無性に走りたかったのだ。
荷物を置いて、奥宮にお参りする。隣の行者堂にも手を合わせる。ここまで無事に歩いて来れたことをただただ感謝するのだった。
昨日は、南へ向かうソロの縦走者が多かったが、今夜の弥山のテント場は、おそらくもう南へ向かう人は少数だろう。
一泊だけのテント泊を愉しんでいるカップルも多くて、ほほえましかった。
私たちは、ビールとコーラと水を買って、また慎ましくごはんを炊いた。
テント泊と言っても、極力軽くしなければ、こんなに険しい道は歩けないと思ったので、いつものような贅沢品は持って来れなかった。
それでも、ビールとウィスキーと少量の嗜好品と炊きたてのご飯とフリーズドライのお味噌汁があれば、大満足だった。
早く起きたつもりだったが、あれこれチンタラしているうちに、明るくなってきた。
今日も見逃してしまったかと思いつつ、国見八方覗きに走って行った。
誰も私のようにバタバタしている人はなくて、みんなゆったりと自分時間を過ごしているようだった。
みんなもう見終わっちゃったのか。さらに走った。
覗きの先端にはサンダル履きのおじさん二人組が、私とほぼ同時に寝ぼけまなこでやって来た。
そして思わず3人で顔を見合わせた。「すごい!」
今まで見たこともないような信じられないような光景が広がっていたのだ。
一面の雲海だった。3人でしばし呆然と立ち尽くした。
先に奥宮に行くと言ったタイラさんを慌てて呼びに行った。
再びこんどはタイラさんと二人で立ち尽くした。
私たちは、今、神さまに限りなく近い場所にいるのかもしれなかった。
テントをたたんで帰路に着く。しばらく下っても、雲海はなおも泰然ともくもくと湧き上がってくるようだった。
弁天の森近くに差し掛かると次々と日帰りハイカーの人たちが登ってきたが、西口の分岐を過ぎるとまた途端に静かになった。
森はブナやカエデやヒメシャラやシロヤシオの広葉樹の美しい森になった。
西口の分岐から行者還岳の間のこのすばらしい森は、以前歩いたことをよく覚えていた。
一ノ垰に差し掛かる辺りで若い女性のハイカーとすれ違った。
昨日柏木から登ってきたけれど、あまりに熱くてバテてしまったので、今日は川合に降りるのだと。
いつかきっと歩き通せますよと後ろ姿にエールを送った。
一ノ垰を過ぎると再び弥山がよく眺められた。大町桂月という歌人の句を知った。
「目に近く 弥山を見つつ 峯々を 終日越ゆる 奥駈の道」
この歌そのままに気高くて美しい道が続いていた。
追記:
昨年夏、いいたかBOOKJAZZカフェのマスターのKさんに天河神社の話を伺った。
このことが発端となり、春になったら、天河神社の奥宮のある弥山に登ろうと思い、
弥山川から弥山に登ってみた。
さらに八経ヶ岳と明星ヶ岳まで行ってみた。
こんどは、この先を歩いてみたいと思った。
こんなにすばらしい冒険にチャレンジするきっかけを作って下さったKさんに、心よりお礼を申し上げたい。
アオバ*ト