【湖北】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

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sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【湖北】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

投稿記事 by sato »

【日 付】 2021年1月21日(木)
【山 域】 伊吹山
【天 候】 晴れ
【コース】 上平寺公民館P~△838・7~中尾根~山頂台地~南東尾根~△899~△794先のカーブ地点~
      △586・3~藤古川に架かる橋~P

伊吹神社にごあいさつをして登山口に向かう。雪で覆われた道の上には足跡が刻まれていた。
あんなに白い伊吹山と見つめ合ってしまったら、参らずにはいられなくなっちゃうものなぁ。
わたしと同じような思いでやって来たであろう誰かの足跡の上に、きゅっと足裏を重ねる。
白い山への畏れと憧れ。人を山へと駆り立てるもの。時代や国を超えてわたしたちのこころに宿るもの。
わたしのからだを流れる血の中に、とおいむかしから受け継いできた砂金のような熱い光を感じながら歩みを進めていく。

うっすらと雪を被った裸の木々を眺めていると、枝の先が橙色に煌めき、目に映る風景すべてが朱色に染まった。
振り向くと、谷の向こうのお山から真っ赤な太陽が顔を出しているところだった。
いつの時代も変わらぬ真冬の太陽。
雪の積もったしんとした朝、ここで暮らした人びとは、厳かに燃える太陽に何を見たのだろう。

ふわふわと浮かんでくる情景に思いを巡らせながら踏み跡を辿っていくうちに、
わたしはいったい誰の踏み跡を辿っているのだろう、と不思議な気持ちに包まれる。
戦国時代に生きた人の踏み跡か。もっと昔の人のものか。それとも、私が辿って来た道か。

ふっと、滑らかな雪の上に足を置く。心地よい音がからだに響き渡り、我に返る。
朝の冷え込みで雪はほどよく締まり、ふくらはぎの下ぐらいまでしか潜らない。
朱色から黄色へ、世界は柔らかな光で満ちあふれている。
よし、登るぞ。木々の間のまっさらな雪にわたしの足跡を刻んでいく。

つるりとした雪面にちいさな足跡を見つけ、わっ、としゃがみこむ。リスの足跡だ。
立ち上がると、名前の分からない潅木の枝先のぷくっと膨れた冬芽が目に飛び込む。
ちいさくておおきないのちの営みに溢れた世界。その、あらゆるいのちが、いのちの源の伊吹山を物語る。
無数の響きがわたしの鼓動と重なり合うのを感じる。

標高800m地点に着いた。わたしの伊吹山を感じる場所だ。今日も無意識のうちに手を合わせている。
s-DSC_1897.jpg
△838.7弥高山。
ぴりりとした冬の陽射しを受け、きらきらと煌めく、踏み跡のない滑らかな弥高尾根を眺めながら、
豪雪の冬、ワカンを履き膝が隠れるぐらい潜り、この尾根を辿った日のことを思い出す。
あの冬から、何回冬を過ごしたのだろう。
記憶の情景は、過ぎ去った時の長さと関係なく、私の中で同一線上に、円を描き並んでいる。

・881の尾根と合わさる。
ゆっくりと息を吐きながら、青い空と、そこに延びてゆく白く輝くひとすじの道を見つめる。
空と雪が出会う地には何があるのだろう。胸がきゅっとなる。

少し歩いては振り返り、遠くなっていく町を白い世界から眺め、どこまでも深く青い空に近づいていくよろこび。
昨日、息を呑んで見つめた、びわ湖の向こうの光り輝くお山に、今、わたしはいるのだ。
傾斜が増してきたが、雪質がよかったので、スノーシューのまま進む。
風が強くなってきた。パーカーを着て、ストックを短くし、尾根の左より、岩の間を縫って登っていく。

尾根がなだらかになり、左上に下ってくる人の姿が見えた。いよいよだ。
わたしは、何を見るのだろう。

山上台地。
青い空、宇宙を描くシュカブラ、透き通った聖なる地。その中にでんと建つ人間の思いの詰まった建物。
その光景を見て、うまく言えないがほっとした気持ちが湧き上がる。
聖なる地への旅は俗なるものから離れることではないのですね。
聖は俗を包み込み、俗なるものの中にも聖なる光があるのですね。
伊吹の女神さまに問いかけ、こころの中で手を合わせる。

そして、期待していた、期待を超えた風景がその先にあった。
暫しの間立ち尽くし、そう、始まりの地から眺めようと、誰もいない山上台地を東に向かう。
s-DSC_1905.jpg
江美国境稜線に立ち、北尾根から続く峰々、白山へと続く白い道を目で追う。
わたしの辿った道を追う。憧れの道を追う。
すべてが繋がり、くるくる回り、今、わたしはここに立っているのだと胸が熱くなる。

いつまでも眺めていたかったが、寒さを覚え、出発しようと時計を見る。
まだ10時を回ったところ。天気も申し分ない。憧れの尾根を辿ろう。
雪の南東尾根に憧れ、美濃側の春日川合の古屋からの周回を想い描いていた。
でも、やっぱり最初は近江側からかなと思ったのだった。

ようこそ、と優しく微笑む、丸みを帯びた稜線に足を踏み込む。陽当たりがよく風も弱いので、早くも雪はべちゃべちゃだ。
スノーシューの刃が滑るので横向きで下る。
一段下がったところで腰をおろし、白山と能郷白山を眺めながら、少し早いお昼ごはんにする。
でも、やっぱり、白く輝く峰みねを眺めながら歩きたくなり、残りのパンとコーヒーは次の休憩でいただこうと立ち上がる。
s-DSC_1908.jpg
1170mのブナ林に入ると、とげとげの雪面が現れた。昨日は霧氷で飾られていたのだろう。
確かに存在した、見ることのなかった風景を想像する。
こんもりと雪の積もった車道に出る。少し進み、振り返るとまっ白な道路と光り輝くお山。

なんてうつくしく気高いお姿なのだろうと思う。
人間の欲により、開発され、斜面を削り取られ、痛々しい姿になっても、
なおも、いや、すべてを超えて、気高く屹立する伊吹山。
ここで、ゆっくりとお山の時間を過ごそう。白山、能郷白山もくっきりと望める。
路肩なのだろうか。こんもりとした雪の台地で二度目のお昼ご飯にする。
s-DSC_1910.jpg
1月とは思えないポカポカした陽気にまぶたが重くなる。
ごろりと横になって伊吹山、奥美濃の山やま、その奥の白山を細くなった目で眺める。
今日辿ってきた道、これから辿る道を追っていく。
わたしの中に感じる煌めく山やま。数かずの記憶。そして様ざまな感情。
すべてが繋がり、くるくる回り、わたしが在るのだなぁと、ぼんやりしてきた頭で再び思う。

sato
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【伊吹山】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、satoさん。

白い山への畏れと憧れ。人を山へと駆り立てるもの。時代や国を超えてわたしたちのこころに宿るもの。
わたしのからだを流れる血の中に、とおいむかしから受け継いできた砂金のような熱い光を感じながら歩みを進めていく。

ヤマトタケルが初めて戦いに敗れた地です。
伊吹の神の化身「白い大猪」と大氷雨にやられたんです。
ヤマトタケルは侵略軍だと思うので、それを打ち負かした「白い大猪」を山頂に祀るほうがいいように思いますが。 :mrgreen:

ちなみに私の住んでいる「三重」というのは重症のヤマトタケルが体を三重に折れるようにして坂を登ったところからきています。
結局、亀山で亡くなって白鳥になって大和に飛んでいきます。


雪の積もったしんとした朝、ここで暮らした人びとは、厳かに燃える太陽に何を見たのだろう。
ふわふわと浮かんでくる情景に思いを巡らせながら踏み跡を辿っていくうちに、
わたしはいったい誰の踏み跡を辿っているのだろう、と不思議な気持ちに包まれる。
戦国時代に生きた人の踏み跡か。もっと昔の人のものか。それとも、私が辿って来た道か。

西尾根を登った時立派な溝道に出会いました。
こうした道が多くの寺院をつないでいたのでしょう。
修行僧の一人が円空です。


標高800m地点に着いた。わたしの伊吹山を感じる場所だ。今日も無意識のうちに手を合わせている。

私もここの景色は好きです。
青空に映える伊吹はすべてを包み込むような山容でいいです。


少し歩いては振り返り、遠くなっていく町を白い世界から眺め、どこまでも深く青い空に近づいていくよろこび。
昨日、息を呑んで見つめた、びわ湖の向こうの光り輝くお山に、今、わたしはいるのだ。
傾斜が増してきたが、雪質がよかったので、スノーシューのまま進む。
風が強くなってきた。パーカーを着て、ストックを短くし、尾根の左より、岩の間を縫って登っていく。

8合目あたりにくると平等岩が見えるでしょ。
円空が修行した場です。
円空仏には基本的に刻銘はないのですが
北海道に渡って初めて掘った仏には「江州伊吹山平等岩僧内 円空」と唯一書かれています。


聖は俗を包み込み、俗なるものの中にも聖なる光があるのですね。
伊吹の女神さまに問いかけ、こころの中で手を合わせる。

女神さまで良かった。
ヤマトタケルが死にかけて目覚めた清水で正気にもどった所が「醒ヶ井」です。


江美国境稜線に立ち、北尾根から続く峰々、白山へと続く白い道を目で追う。
わたしの辿った道を追う。憧れの道を追う。
すべてが繋がり、くるくる回り、今、わたしはここに立っているのだと胸が熱くなる。

こんな天気の伊吹にここのところ行けてないなあ。


1月とは思えないポカポカした陽気にまぶたが重くなる。
ごろりと横になって伊吹山、奥美濃の山やま、その奥の白山を細くなった目で眺める。
今日辿ってきた道、これから辿る道を追っていく。
わたしの中に感じる煌めく山やま。数かずの記憶。そして様ざまな感情。
すべてが繋がり、くるくる回り、わたしが在るのだなぁと、ぼんやりしてきた頭で再び思う。

伊吹山の静かな山歩きでしたね。
ドライブウェイ側から周回するとは思ってもみませんでした。
私は平等岩から眺める琵琶湖が好きなので気がつきませんでした。
土日に天気が良いとありがたいのですが
なかなかそうはいきません。

大昔のレポです :oops:

http://old.yabukogi.net/forum/28014.html#28014


                 わりばし


sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【伊吹山】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

投稿記事 by sato »

わりばしさま

こんにちは。
コメントありがとうございます。わたしも伊吹山の山頂に辿り着き、でんと立つヤマトタケルを見ると、
伊吹の女神さまのお気持ちを想像してしまいます。(わたしにとってのお山の神様は女神です(笑))
伊吹山寺の陰にひっそりと白い猪が祀られていますね。

「三重はヤマトタケルが体を三重に折れるようにして坂を登ったところから」
「死にかけて目覚めた清水で正気にもどった所が「醒ヶ井」」
そうかぁ。面白い。
周辺の地にはヤマトタケルの伝説がいろいろと伝えられているのですね。
伊吹山は山岳修験の場として平安時代から山中に寺院が建てられていたそうですね。
織田信長の時代には薬草園も作られました。
わたしたちは、いろんな時代に生きたひとびとの痕跡を、今という視点から、同時に眺めているのですね。

わりばしさんのコメントから、いろんなことが気になり「伊吹山を知るやさしい山とひと学の本」を読み直しました。
このちいさな本はとっても分かりやすく伊吹山のことが書かれていて気に入っています。
ふりがながふられていますのでお子さんも読めます。

わたしは、草川啓三さんの「伊吹山案内」を読み、伊吹山というお山への興味が募りました。
そして、まだちょこっとですが伊吹山の道を辿り、ひとびとの山への思いを感じ、山とひとの歴史に思いを馳せ、
わたしの伊吹山はどんどんと大きく深くなっています。
西尾根は辿りたいと思い続けている尾根です。太平寺の集落跡も訪れたくて。
でも、今は砕石場なので大丈夫かなぁと心配で。平等岩は眺めるだけでした。

わりばしさんも、伊吹山への思いがおありなのですね。
「円空の世界に遊ぶ」は興味深く読ませていただきました。
ジョイ伊吹から歩かれたところにわりばしさんのこころを感じました。

伊吹山文化資料館に置かれた持ち帰りできる資料は、読みごたえのある内容の数々で素晴らしいですね。
春照観音堂の円空仏、十一面観音さまには、まだお会いできていません。
お山の帰り、車に乗ると家に向かっていて。木曜日は時間があったのでお訪ねしたらよかったと後悔。

わりばしさんのレポを拝読し、弥高尾根から山頂に向かい、平等岩から円空の見たびわ湖を眺め、
大根畑に向かって下り、トラバースして中尾根に戻る伊吹山詣での旅が描かれました。
いつになるのかは分かりませんが、まっしろな伊吹山の女神さまと目があった時に参ります。

sato
yamaneko0922
記事: 539
登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
お住まい: 京都市左京区

Re: 【湖北】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

投稿記事 by yamaneko0922 »

satoさん こんばんは

久しぶりに先ほどrepをアップしたのですが、satoさんが伊吹に登られた同じ日、私は琵琶湖の上に果てし無く広がる雲海の彼方で白銀に輝く伊吹山を見つめておりました。

>朱色から黄色へ、世界は柔らかな光で満ちあふれている。

確かに、柔らかい朝陽の色の移ろいに権現山で魅了されておりました。
この日、比良では雪がかなり少なかったのですが、伊吹山は流石の積雪量ですね。

satoさんの態の違いに愕然とします。伊吹山の南尾根は幾度か下降しているのですが、改めて雪の多い時に訪れたいと思いながらも果たせていないのでした。

>標高800m地点に着いた。わたしの伊吹山を感じる場所だ。

私もこの南尾根から仰ぎ見る伊吹の山容が非常に好きです。急峻な南斜面の山肌に刻み込まれた谷筋の深さを感じますし、何よりも瑕疵のような西側の砕石の斜面が目に入らないのがいいのかもしれません。

>1170mのブナ林に入ると、とげとげの雪面が現れた。昨日は霧氷で飾られていたのだろう。
確かに存在した、見ることのなかった風景を想像する。


不思議な山毛欅の森ですよね。biwa爺さんのrepのお陰で知ったのですが、ここだけ別世界のような・・・
その昔、南東尾根に人の手が入る前はこういう山毛欅の森がもっと広がっていたのかと想像するのですが

satoさんの今回のコースの逆周回をbiwa爺さんのトレッキング・ポールを探しに出掛けたのだが、丁度一年前のこの時期でした。その時と比べてあまりにも雪の状態の違いに愕然とします。伊吹山の南尾根は幾度か下降しているのですが、改めて雪の多い時に訪れたいと思いながらも果たせていないのでした。伊吹山を訪れる意を新たにいたしました。真っ白な伊吹の女神様と目があった時に

一年前のrepです。
http://yabukogi.net/viewtopic.php?p=281 ... 144#p28134
山猫 🐾
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【湖北】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

投稿記事 by sato »

山猫さま

こんばんは。
コメントありがとうございます。
わたしが、朱色に染まった世界の中で、厳かに燃える太陽を、息を呑み、見上げていたその時、
山猫さんは権現山のてっぺんで、雲海に浮かぶ鈴鹿の山からお顔を出した太陽を見つめていらっしゃったのですね。
びわ湖のあっちとこっちで、同じ時間、太陽を見つめ、こころを震わせていたのですね。
ほんとうに、うつくしい朝でした。

南東尾根を歩いている時、びわ爺さんと山猫さんもここを歩かれたのだなぁ、と、おふたりのレポの断片が頭に浮かびました。
山猫さんは昨年の1月18日に登られていたのですね。
レポをあらためて拝読し、そうだ、そうだ、昨冬は茶色い伊吹山ばかり拝んでいたなぁ、と思い出しました。

南尾根から伊吹山を仰ぎ見た時、気の遠くなるようなむかしから、ひとびとの目に映ってきたお山のお姿が、
今、わたしの目にも映っているのだと胸が熱くなります。
どんな思いを胸にお山を見つめたのだろう・・・わたしの知らない誰かに思いを馳せてしまいます。

山猫さんは、下りに歩かれていらっしゃったのですね。
わたしも、下界に飛び込んでいくようなあの急な斜面が好きです。
雪の季節、まっ白な急斜面を登り、空に近づき、まっ白な急斜面を下り、日常へと戻っていく、その時間が好きです。

南東尾根の標高1170mの台地のブナ林はしみじみとしたものを感じますね。
「無言で語りかけてくる山毛欅の樹々の聲が聞こえてくるような気がして思わず歩みを止める」
わたしも歩みが止まっていました。
ドライブウェイの開通する前の4月に、おふたりとは違う尾根から取り付き(・342の南の尾根)、
南東尾根を登ったのですが、その時に出会ったこの台地の情景がこころに刻まれ、
いつか出会うであろう、まっ白な雪の中、静かに佇むブナを想い描いていました。
そう、「山毛欅の樹々の聲が聞こえてくるような情景」を。
この日は、「ぶなの木々の鼻歌が聞こえてくるような情景」でした。

たっぷり雪の積もった車道歩きも不思議な感じがして楽しかったです。
△586.3の尾根も味わい深かったです。雪庇も出来ていました。
最後尾根の末端に向かったのですが、
前回登った尾根か、おふたりが辿られた尾根を下ったほうがよかったなぁと思いました。
雪の積もった倒木の多い植林は踏み抜きの連続でした。

いつか、まっ白な伊吹の女神さまと目が合い、お山に向かったら、
そこには山猫さんもいらっしゃった。そんな光景を想像しています。

sato
biwaco
記事: 1422
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
お住まい: 滋賀県近江八幡市

Re: 【湖北】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

投稿記事 by biwaco »

satoさん、ご無沙汰です。
伊吹山レポ、気になりながら、あとでじっくり読ませてもらお…と放置してました。(ゴメン) 
よくあるやないですか、「美味しいものは最後にじっくり!」っての。ところが、他のレポが続々! なかなか「最後」になりません。さすがに雪が降るとレポも増えるもんです。雨が降っても桶屋は儲かりませんけど…(゜o゜)
焦って読み返してたら、わりばしさんやyamaneko先生のレスにもハマり込んでしまい、刻は過ぎ去るばかり。伊吹の女神かヤマトタケルの霊術から逃れるには炭治郎に来てもらうしかないのかもしれません。

こんな戯言ばかり書いてるからレスポンスも送信レスになって、届くまでに消滅してしまうのかもしれないですね。本題に入りましょう。(^^♪
藤古川~ドライブウエーからの左回りでなく、右の弥高尾根からの周回ですね。
同じような思いでやって来たであろう誰かの足跡の上に、きゅっと足裏を重ねる。
靴跡からパワーが欲しくなるのか、(時間は離れていても)同行者としての安心ロープを繋ぎたくなるのか…? 祈るような気持ちでそっと足を降ろします。
雪面にちいさな足跡を見つけ、わっ、としゃがみこむ。リスの足跡だ。
リスって、よくわかりますね! さすがです。小動物に樹木の枝先、赤から白へと輝きを変える陽射し。独りなのに、命ある者たちと会話しながら歩いている気持ちになってしまいます。
△838.7弥高山。
ぴりりとした冬の陽射しを受け、きらきらと煌めく、踏み跡のない滑らかな弥高尾根を眺めながら、豪雪の冬、ワカンを履き膝が隠れるぐらい潜り、この尾根を辿った日のことを思い出す


初めて弥高山へは西側の悉地院から急な巡視路を辿りました。まさにヤブ山ですね!でも山頂からは踏み跡があり、co850平坦部からの伊吹山は素晴らしい!
傾斜が増してきたが、雪質がよかったので、スノーシューのまま進む。
5合目へのトラバース分岐あたりから、直登は急傾斜になりますね。もう少し登ってco1050くらいから左へ移動してスキー場の6合目の上くらいに出ました。なのでこの時も山頂までは行かずリターンでした。
その光景を見て、うまく言えないがほっとした気持ちが湧き上がる。
聖なる地への旅は俗なるものから離れることではないのですね。
分かる気がします。たとえば「ハヤブサ」だって、未知の天体から聖なる砂粒を俗なる地球に持ち帰った時点で、人間との交流が始まるんですね。異次元のモノどうしの出会いと融合。それは人間の歴史そのものなのかもしれません。
いつまでも眺めていたかったが、寒さを覚え、出発しようと時計を見る。まだ10時を回ったところ。天気も申し分ない。憧れの尾根を辿ろう。
吹きっ曝しの山上台地は寒いでしょうね! (たぶん)誰もいない、トレースの痕跡も無い稜線が待っていそうです。
1170mのブナ林に入ると、とげとげの雪面が現れた。昨日は霧氷で飾られていたのだろう。
昨季はここまでで退却しました。南東からの伊吹山が目の前。北には白山までクッキリでした。
1月とは思えないポカポカした陽気にまぶたが重くなる。
ごろりと横になって伊吹山、奥美濃の山やま、その奥の白山を細くなった目で眺める。
P1062692.jpg
そのままよ 月もたのまし 伊吹山
ドライブウエーの途中パーキングに芭蕉の句碑があります。
雪の白さで月明かりも要らないくらいだ…と、雪の伊吹山を賛美している句でしょうか?
ずっと眺めていたくなりますね。日が暮れるかも(^^♪
わたしの中に感じる煌めく山やま。数かずの記憶。そして様ざまな感情。
すべてが繋がり、くるくる回り、わたしが在るのだなぁと、ぼんやりしてきた頭で再び思う。
私の脳内はすでにカオス状態(>_<) 助けて~、炭治郎!

          ~びわ爺
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【湖北】わたしの伊吹 わたしの煌めく山やま すべてが繋がりくるくる回りわたしが在る

投稿記事 by sato »

びわ爺さま

こんばんは。
コメントありがとうございます。でも、気になさらないでください。
言葉を紡ぎたい衝動に駆られ書き綴ったものですので。
わたしも、みなさまのレポや、コメントを楽しませていただき、お話ししたいなぁと思いつつ、
躊躇ってしまったり、時間が経ってしまったり・・コメントを書けません。

いつも感じるのですが、琵琶爺さんのコメントは、春の陽気に包まれた日の太平洋の波のようですね。
ざぁっぶん、ざぁっぶん、と、ここちよい響き。ぱっとこころが明るくなり、愉快な気持ちになります。
でも、炭次郎って何?鬼滅の刃のキャラクターなのですね。世間の話題に疎すぎるわたしです(汗)。

さて、本題に(笑)。
「右(まわり)の弥高尾根からの周回」、ちょっと違って、上平寺尾根からの周回です。
川戸谷をくるりと囲む尾根を辿りました。
足跡の上に足裏を重ねたのは、気持ちの切り替えでしょうか。踏み跡が無いのを期待していましたので。
重ねた瞬間、ひとのからだには、白い山への畏れと憧れ、山へと駆り立てるものが刻まれているのだと感じました。
踏み跡があったおかげで、このような感情が湧き上がり、
やぶこぎネットに投稿して、こうして、今、琵琶爺さんとお話しすることが出来ました。

リスの足跡は一度覚えたら忘れません。かわいいですよ。ちっちゃくて。
爪としっぽの跡を見ているとしあわせな気持ちになります。

弥高尾根は巡視路から登られたのですね。どこからなのでしょう。わたしは、弥高百坊跡からの眺めが好きです。
6合目あたりにあるトラバース道。この道は仕事道だったのだろうな、と思ったりします。
伊吹山の山中に延びていた薬草採り、炭焼きの道にも興味があります。
川戸谷から阿弥陀ヶ崩れに向かう尾根を登った時、かなり上部で道形、炭焼き窯跡に出会いました。

わたしのこころに浮かんだ聖なるものと俗なるものの融合、同居、
それに対する琵琶爺さんのコメントにそうかぁと頷きました。なるほどと思いました。

南東尾根こそ踏み跡は無いと向かいましたが、前日?の足跡が残っていました。
でも、南東尾根は広いのでこころのままにまっさらな雪に足跡を刻みながら下っていきました。
足跡は笹又の方に続いていました。

「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」
気高く屹立する伊吹山、そのお姿はお月様を必要としないほど美しい・・・
そう、雪の白さで月明かりも要らないくらい。
ずっと眺めていたかったというか、お山の中に溶け込んでいきそうでした。
さぁ、帰らなければと自分にムチを入れました(笑)。

sato
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