【台高】「柳ノ谷のりゅうの物語」又口道(尾鷲道)~龍辻~出口峠道

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アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

【台高】「柳ノ谷のりゅうの物語」又口道(尾鷲道)~龍辻~出口峠道

投稿記事 by アオバ*ト »

【日程】2020年2月23日~24日
【山域】台高・又口道(尾鷲道)~龍辻(P1260)~出口峠道
【メンバー】Tさん、アオバ*ト
【天候】両日とも晴れ
【ルート】23日 又口橋9:30、林道終点10:30、渡渉点11:00、
県境復帰点(支流の二俣)12:40~13:00、県境稜線乗越点14:20、
北山索道古和谷駅跡14:40、県境稜線と古道の合流点15:35、
1170南東尾根乗越(テント場)16:00
24日 テント場7:00、又口辻8:30(SDカード探しで20分ロス)、
龍辻(P1260)9:10~10:10、出口峠12:30、駒の滝展望台14:05、
支流の滝渡渉点14:30、朽ちた吊り橋14:50、送水管の尾根下降点へ戻る15:30、
林道終点16:30、又口橋17:20


 昨年の春に歩いた尾鷲道。今まで歩いたどんな縦走路よりもすばらしかった。
今回は、密かに楽しみにしていたその続きの物語。

 物語の続きは、尾鷲の北のはずれ、又口の集落跡から県境の柳ノ谷を遡る。
「土井氏が大台教会に寄進した本来の尾鷲道は又口道である。」ということを知ったのは、2016年1月のzippさんのレポ。北山索道の駅跡と絡めていつか行ってみたいと思っていた。そしてもう一つ、武四郎翁が歩いたという又口辻から新木組峠までの稜線にある「龍辻」という1260のピーク。昨年尾鷲道を歩いた時は、あえてこの区間の稜線は通らなかった。
ここはあらためて訪れたいと思っていたから。
 お正月に天狗倉山に行った帰り、又口まで車で行ってみた。国道が大きくカーブするところで橋を渡って柳ノ谷の右岸に林道が続いていた。いよいよここに行く時期が来たのだと思った。
 月が変わって2月の二週目のお天気に恵まれた土曜日、林道終点から古道に入り、途中から尾根に乗ってP1112経由で古和谷駅跡に行った。わたしたちには思いの外ハードな道のりで、龍辻までは行けなかった。翌日曜日、橡山林道を車で上がり地蔵峠から龍辻へ登ろうと試みた。町は朝からポカポカと暖かい日差しに包まれていたが、空気は冷たく山は雪雲に覆われ大風が吹きつけ、わたしたちを寄せつけなかった。
 Tさんが、次回は上北山村の坂本ダムのほうから行ってみようと言う。調べてみたら、東ノ川の出口の集落跡から木津への行商の道があったようだ。木組峠からも荒れてはいるがダムへ下れそうだ。となれば、出口橋から出口峠経由で龍辻に上がり、木組峠でテント泊して帰ってこようと。再び二週間後の今回、又口からさらに国道を進んで県境を越えようとしたが国道は通行止めだった。そういえば、奈良県側へは抜けられないと書いてあったのに、相も変わらず間抜けなわたしたち。で、結局又口に戻ってきた。
 やっぱり「りゅう」が、ここから行けと言っているのだと思った。
「りゅう」というのは、これから語るわたしの物語に登場する可愛くて愛しいヤツだ。
林道を歩きながら、Tさんにでまかせ話を物語る。
 昔々ね、又口の柳ノ谷ね、「りゅう」が棲んでたの。「りゅう」って「竜」だよ。
昔々、又口の柳ノ谷の「りゅう」は、異形であるがゆえに周りの魚たちから仲間外れにされていた。それで誰にも相手にされなかったので、谷を遡り国境を越えて東ノ川から山の上まで遊びに行っていた。ある時、稜線直下で日向ぼっこしていたら、東ノ川から天秤竿を担いだ人間がやって来た。よく見ると小柄な娘だった。引本港から東ノ川の集落へ魚を売りに行ってその帰りだと言う。自分の体重の倍ほどもある魚やら乾物やらを両端にぶら下げて山道を往来するこの娘も、ある意味異形だった。気さくな娘は、ひとりぼっちのりゅうの良い話し相手となり、りゅうにとってはしあわせな日々が続いた。しかしある日を境として、娘は来なくなった。りゅうは来る日も来る日も、出会いの辻で待ち続けた。そして待ちくたびれたりゅうは、出会いの辻から少し登ったてっぺんで山になった。龍辻のてっぺん。ここからは、娘がやってきた尾鷲の町と海がよく見えた。悲しくなったら目がかすんで見えなくなった。
りゅうの涙は柳ノ谷を流れていつか海へ注いだ。
 「それ、アオバ*トちゃんのオリジナル?なんかせつない話だなあ。」
「そう、たわけた話かもしれないけどさ。美しいものは切ないのさ。」
わたしは、「龍辻」にまだ登ったことがない。でもきっと、切ないほどに美しい眺めが広がっているすてきな場所だと思うのだ。

 林道から眺める柳ノ谷はのどかな雰囲気が漂い、荒々しさは微塵もない。しかしこの林道と古道がなかったら、わたしたちのような者には到底近づけない奥深い谷だ。林道終点から古和谷駅跡まで辿るのは2回目だけど、前回は途中から尾根に乗ってP1112経由で駅跡に降りたので、今日は忠実に古道を辿って行きたい。それにしても、こんなにすばらしい石積みの古道が残されているなんて思いもしなかった。昨年春に又口辻から下った古和谷道にはトロッコの軌道やインクライン跡があったけど、こんなにすごい石積みの道は無かった。ただ、又口道も柳ノ谷の本流を離れて尾根を回り込んで支流沿いにトラバースして県境を越えるまでは、かなり崩れて荒れていた。県境を越えるポイントは奈良県側から辿るとよくわかったが、前回古和谷駅跡から上がって来た時は、ここで道がないと言って大騒ぎした。地形図の破線と実際の巻道が大幅にずれているのだった。
 もうひとつ驚いたことがある。二週間前のわたしたちの入山のすぐ直前にどなたかが道を整備されていたということだ。邪魔な枝は払われ、マーキングが付けられ、難儀なところには真新しいトラロープが掛けられていた。渡れなくなった朽ちた橋のところにも、谷底に降りるための、また対岸にあがるための真新しいトラロープがあった。このトラロープが無かったら、きっとわたしたちはここで引き返していたと思う。
1581688866055(谷底へ降りる).jpg
 県境稜線を乗越してから古和谷駅跡に降りる道は不明瞭だった。ほんの少しの区間だけど、植林地帯のかなり急斜面をトラバースすることになった。今日は駅跡は写真を撮るだけで通過する。駅跡より上部も道がどこにあるのかわからなかった。左岸に石垣が見えたので道かと思ったら窯跡だった。たぶん道は右岸の高いところにあるような気がしたけど、この上のブナの森に早く会いたくて、今夜の水を汲んだら適当に詰め上がった。谷の上部には狭いながらもテント適地もあり、Tさんは谷中でテント張って焚火したげだったが、わたしは県境1170から南東への小尾根を乗越したすぐ横の楕円のピークで幕営できないだろうかと思っていた。
 地形図のこの谷中の破線が間違っているということと、稜線に出るか出ないかのところですぐ右手にトラバース道があるということをzippさんのレポで読んでいなかったら、きっと右往左往したことだろう。レポ通り、辺りは自然林の美しい道型が残っていた。ここが今日いちばんのハイライトだった。それなのに、
1582726226418(又口乗越へ).jpg
たくさん写真を撮ったのに、SDカードを入れ忘れていて空のままシャッターを押し続けていた。気が付いたのは翌日になってからだった。乗越のすぐ横にはテントを二張り程度張れるちょうど良い空間があった。北側は植林だけど南はブナの疎林で展望が開けていた。ここから正面に見える山が、「龍の高塚(P1167)」だということは、帰ってから知った。
1582726285865(テント場から龍の高塚).jpg
 この時期風さえなければテント泊は快適だ。虫はいないし、汗でベタベタして眠れないということもない。ごはん食べてウィスキー飲んで、テントの中は暖かくて極楽だった。もう眠くなってきた頃、Tさんが、「明日、龍辻に登ったあとのルートだけど・・・」と話し始めた。もともと東ノ川側から周回のつもりをしていたので、帰りのルートをまだ考えていなかったのだ。出口峠経由ということまでは頭に入ったけれど、そのあとは地形図に道があるなら行けるでしょと、地形図すら見ないで寝てしまった。わたしたちは、と言うか特にわたしは、恐るべき「出口峠道」のことを、この時何も知らなかった。
 明けて翌朝、清々しい空気の中、又口辻に向かった。山側の木の枝につかまったり、崩壊地帯を通過したり、道が流れた斜面に張り付いたり、かなりワイルドなトラバース道だったが、石積みも所々に残り、途中からは植林地帯も抜け、又口辻に着いた時はとても懐かしかった。
1582726335689(又口道上部).jpg
カメラにSDカードが入っていないことに気が付いたのは、このワイルドなトラバース道の途中だった。最初は落としてしまったのだと一面探し回った。そして昨日の写真を撮りためたSDカードは、この危ないトラバース道の通行手形だったのだとあきらめたが、実はなんのことはない、最初から入っていなかったのだった。
 又口辻でひと休みしたら、稜線ルートで龍辻に向かう。自然林の緩やかな稜線を登って行くと、アセビの繁みの向こうに海が見えてくる。ピークはブナの疎林が美しかった。そして、尾鷲の海と町を眺める。言葉が出ないほど、美しすぎた。
DSC08447(龍辻P1260).jpg
DSC08466(尾鷲2).jpg
 一瞬、柳ノ谷がどこにあるのかわからなくなった。「りゅう」が、「ぼくは、ここにいる。」とボソッと呟いた。そうか、柳ノ谷は県境を越えて反対側から上がって来ているのだった。
店開きしてコーヒーを淹れる。わたしがあまりに眺めに見とれているから、きょうはTさんが淹れてくれた。
 「りゅう」と「娘」の出会いの辻に下りて、出口峠に向かう。
DSC08473(出会いの辻から2).jpg
出口峠まではおおむね標高差の少ない尾根だが、けっこう距離はある。行商の人たちはここで休んだのであろうすてきな小場があったり、痩せ尾根があったり、エメラルドグリーンのダム湖が垣間見えたり、今までの道のりとは雰囲気が変わった。お気楽なわたしたちは、この先どんな難儀なことが待ち受けているのか全く無知だった。
 出口峠には、道標も何も無かった。東ノ川へ向かう巻き道は美しい自然林に被われていた。又口方向は植林だったが、しっかりした道が続いていた。これだけしっかりしていたら、このまま又口まで問題なく帰れるだろうと思ったのは浅はかだった。植林の中のトラバース道は、しばらくして消えた。仕方なくヤブの覆い被さる急な尾根芯を下るしかなくなった。こんなの古道じゃない帰れなくなったらどうするのさと、Tさんに悪態をつき始めた頃、再び古道が現れた。それもすごい石積み道だった。所々崩れたりしながらも延々と続いていた。しばらく歩いて振り返ると、そこに見えるのは断崖絶壁で、断崖絶壁の中に水平道が造られているのだった。
1582726576495(出口峠道).jpg
いったいどうやってこんなところにこんなすごい道を造ったのか信じがたいほどだった。途中で柳ノ谷本流上部に滝が流れているのが見えた。駒の滝だった。「りゅう」はこんなところで人知れず優美な姿を見せているのだった。道の先には枝沢から滝が流れてきて道がそこを横切るところには、流れの中にも石が敷き詰められていた。道の様子は次第に凄みを増し、大きく崩れて通過するにもかなり危険を伴うところも出てきた。こんな日に限ってわたしたちはロープを持っていなかった。「無謀なことをするものよ。」山の神が怒っているのがわかった。それでも先に進むのを止められなかった。背丈ほどもあろうかという大岩が道を完全に塞いでいた。もう進めないと思ったが、それも乗り越えた。そしてとうとうこんどは本当に進めなくなった。深く切れ込んだ枝沢に朽ちた吊り橋が掛かっていたのだ。往路で本流の谷底に下りた時のような、そんな生易しい様子ではない。「帰れないやんか!」と叫ぶと、Tさんはわたしと違い落ち着いていて、戻って送水管の尾根を下ろうと言った。ちゃんとエスケープルートは確認していたのだった。そうだった。出口峠でその話していたのにすっかり忘れて進むことに夢中になり過ぎた。送水管の尾根はヤブに被われていたが、切り株に金属を打ち付けた跡があり、仕事道であることが見て取れた。良かった、帰れる。1時間もかからず往路の古道の最初の切り返しのところに下りてきた。
「りゅう」の声が聞こえた。「お帰り。無事に帰って来れたね。」そう言って再び谷を舞い上がって行った。金属パイプの桟橋を渡り最後の階段を上って林道終点で振り返る。
ここから龍辻は見えない。町に下りて高台に上がったら、きみの姿は見えるだろうか。

 アオバ*ト
最後に編集したユーザー アオバ*ト [ 2020年3月02日(月) 12:17 ], 累計 1 回
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】「柳ノ谷のりゅうの物語」又口道(尾鷲道)~龍辻~出口峠道

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、アオバトさん。

【ルート】23日 又口橋9:30、林道終点10:30、渡渉点11:00、
県境復帰点(支流の二俣)12:40~13:00、県境稜線乗越点14:20、
北山索道古和谷駅跡14:40、県境稜線と古道の合流点15:35、
1170南東尾根乗越(テント場)16:00
24日 テント場7:00、又口辻8:30(SDカード探しで20分ロス)、
龍辻(P1260)9:10~10:10、出口峠12:30、駒の滝展望台14:05、
支流の滝渡渉点14:30、朽ちた吊り橋14:50、送水管の尾根下降点へ戻る15:30、
林道終点16:30、又口橋17:20

花粉症で二の足を踏んでいる間に先をこされちゃいましたね。 :mrgreen:

 「土井氏が大台教会に寄進した本来の尾鷲道は又口道である。」ということを知ったのは、2016年1月のzippさんのレポ。北山索道の駅跡と絡めていつか行ってみたいと思っていた。そしてもう一つ、武四郎翁が歩いたという又口辻から新木組峠までの稜線にある「龍辻」という1260のピーク。

明治19年に武四郎が歩いた道ですね。
武四郎の文にはこの地蔵さんも登場します。
「左 出口 右 木組」


IMG_0783.JPG

 もうひとつ驚いたことがある。二週間前のわたしたちの入山のすぐ直前にどなたかが道を整備されていたということだ。邪魔な枝は払われ、マーキングが付けられ、難儀なところには真新しいトラロープが掛けられていた。渡れなくなった朽ちた橋のところにも、谷底に降りるための、また対岸にあがるための真新しいトラロープがあった。このトラロープが無かったら、きっとわたしたちはここで引き返していたと思う。

へえそうなんだ、いい情報ありがとうございます。

 又口辻でひと休みしたら、稜線ルートで龍辻に向かう。自然林の緩やかな稜線を登って行くと、アセビの繁みの向こうに海が見えてくる。ピークはブナの疎林が美しかった。そして、尾鷲の海と町を眺める。言葉が出ないほど、美しすぎた。

きれいですよね。熊野灘の碧さもやさしく感じます。

 出口峠には、道標も何も無かった。東ノ川へ向かう巻き道は美しい自然林に被われていた。又口方向は植林だったが、しっかりした道が続いていた。これだけしっかりしていたら、このまま又口まで問題なく帰れるだろうと思ったのは浅はかだった。植林の中のトラバース道は、しばらくして消えた。仕方なくヤブの覆い被さる急な尾根芯を下るしかなくなった。こんなの古道じゃない帰れなくなったらどうするのさと、Tさんに悪態をつき始めた頃、再び古道が現れた。それもすごい石積み道だった。所々崩れたりしながらも延々と続いていた。しばらく歩いて振り返ると、そこに見えるのは断崖絶壁で、断崖絶壁の中に水平道が造られているのだった。

すばらしい出口道に合流ですね。

いったいどうやってこんなところにこんなすごい道を造ったのか信じがたいほどだった。途中で柳ノ谷本流上部に滝が流れているのが見えた。駒の滝だった。「りゅう」はこんなところで人知れず優美な姿を見せているのだった。道の先には枝沢から滝が流れてきて道がそこを横切るところには、流れの中にも石が敷き詰められていた。道の様子は次第に凄みを増し、大きく崩れて通過するにもかなり危険を伴うところも出てきた。こんな日に限ってわたしたちはロープを持っていなかった。「無謀なことをするものよ。」山の神が怒っているのがわかった。それでも先に進むのを止められなかった。背丈ほどもあろうかという大岩が道を完全に塞いでいた。もう進めないと思ったが、それも乗り越えた。そしてとうとうこんどは本当に進めなくなった。深く切れ込んだ枝沢に朽ちた吊り橋が掛かっていたのだ。往路で本流の谷底に下りた時のような、そんな生易しい様子ではない。「帰れないやんか!」と叫ぶと、Tさんはわたしと違い落ち着いていて、戻って送水管の尾根を下ろうと言った。ちゃんとエスケープルートは確認していたのだった。そうだった。出口峠でその話していたのにすっかり忘れて進むことに夢中になり過ぎた。送水管の尾根はヤブに被われていたが、切り株に金属を打ち付けた跡があり、仕事道であることが見て取れた。良かった、帰れる。1時間もかからず往路の古道の最初の切り返しのところに下りてきた。
「りゅう」の声が聞こえた。「お帰り。無事に帰って来れたね。」そう言って再び谷を舞い上がって行った。金属パイプの桟橋を渡り最後の階段を上って林道終点で振り返る。

Tさんのいいアシストが入って良かったですね。
出口道もここ数年の雨でけっこうやられているんですね。
早く行かないと繋げなくなるかな?


ここから龍辻は見えない。町に下りて高台に上がったら、きみの姿は見えるだろうか。

人間臭い人の営みの中に心洗われる物語を見出すものなのかもしれません。

                     わりばし

 
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【台高】「柳ノ谷のりゅうの物語」又口道(尾鷲道)~龍辻~出口峠道

投稿記事 by アオバ*ト »

 わりばしさん、こんばんは。
レス下さり、ありがとうございます。


花粉症で二の足を踏んでいる間に先をこされちゃいましたね。

 今年は雪がないし暖かいので、こんなことするにはちょうど良いかなと思って行きました。
でも、出口峠道を歩けたのは、偶然のたまものです。
前もって調べていたら、たぶん怖気づいて行ってなかったと思います。
 


明治19年に武四郎が歩いた道ですね。
武四郎の文にはこの地蔵さんも登場します。
「左 出口 右 木組」


こんどこのお地蔵さん見に行きたいなと思っています。
武四郎翁のことももっと知りたいなと思いました。



きれいですよね。熊野灘の碧さもやさしく感じます。

龍辻のピークは、龍辻自体も眺めも、ほんとうに美しいですね。
海を間近で眺めるのももちろん素敵ですが、
龍辻から海までのこの距離感がなんとも切なくて、堪りませんでした。



すばらしい出口道に合流ですね。

zippさんがこんなふうに書かれていたこと、帰ってから知りました。
「明治の頃にここに住んだ人々の素晴らしい労作の結晶として残しておきたい道なんだ。」
こんなふうに思われる気持がわかりました。


Tさんのいいアシストが入って良かったですね。
出口道もここ数年の雨でけっこうやられているんですね。
早く行かないと繋げなくなるかな?


出口峠道、崩れているところもありますが、又口道よりしっかり残っているように思いました。
100年も経っているのに、すごいなと思いました。
わたしたちはのろまなのでテントでしたが、わりばしさんなら日帰りで行けますね。
1582726523966.jpg
人間臭い人の営みの中に心洗われる物語を見出すものなのかもしれません。

誰もいないこんなところを歩いていると、日々の煩わしいことみんな忘れて、
ほんとうに心洗われますね。

 アオバ*ト
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