【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

山行記、山の思い出、限定
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】 
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
返信
sato
記事: 67
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by sato » 2020年2月13日(木) 17:03

【日付】   2020年2月3日
【山域】   奥美濃 蕎麦粒山
【コース】  大谷川二股地点⇔1000m蕎麦粒山湧谷山ジャンクション⇔蕎麦粒山 
【天候】   晴れのち曇りのち雨

ふいに山の声を感じる時がある。
最初は越前の山を考えていた。でも、天気予報を見ると雨の時間帯が。
どうしようかと迷っていると、見えない声が呼びかけてきた。
えっ?と一瞬たじろぐ。あの美しい雪庇には出会えないと分かっているのに。
チクリと胸に微かな痛みを覚える。
一昨年の冬に感じた小さな痛み。あの時、こころにしまった思いが甦ってくる。
訪れるべく日が来たのだと、山と私の声がひとつに重なりあう。

朝、目が覚めて外に出ると、瑠璃色の空にぽつぽつと星が瞬いていた。やっぱり今日なのだと、荷物を車に入れて家を出る。
坂内の道の駅に寄り、朝ご飯の休憩をとり、大谷川沿いの林道に向かう。
スキー場跡地の駐車スペースに車を置こうと停車したが、思い直し、奥まで進むことにする。
大谷川二股地点の駐車スペースに車を置くのは初めてだ。
里が雪で覆われ、風景そのものが息を潜めたような二月のしんとした季節のはずなのに、
目の前に広がるのは、初冬の、耳をすまして何かを聞こうとしているような思索にふける風景。
車から出て、私も何かを聞き取ろうと、真直ぐに立ち、ゆっくりと息を吸い、少し首をかしげる。
でも、聞こえてきたのは、「何かって?何があるの?」と言いたげに、冷たく流れる川音だけ。
「そうかぁ」と、ひとり頷き、準備を始める。
稜線に出たら雪はあるだろうと、スノーシューとピッケルもザックに括り付け出発する。

河原に降り、ストックでからだを支えながら、おそるおそる石の上に足を置き対岸に渡る。
ここから登ったのは何年前だろう。2012年の3月だった。今、私は三度目の蕎麦粒山を目の前にしている。
雪のない尾根に取り付くと、落ち葉の折り重なるしっかりとした杣道が続き、すたすたと足が進む。
周りの木々はか細く、少し前の時代まで山に人が入っていたのだと教えてくれる。
冬枯れの里山の情景がこころに訴えてくるものをかみしめる。

800mを過ぎる頃からうっすらと雪が現れ、標高930mの・839の尾根とぶつかったあたりでスノーシューを履く。
1000mの稜線に着いて時計を見ると8時50分。
山頂で少し早めのお昼ご飯かなと、ここまで順調に登れたことに気持ちが大きくなる。北を向き、勢いよく足を踏み出す。

蕎麦粒山が私のこころの内を察し、呼びかけたのか。私が蕎麦粒山に求めるものがあり、向かっているのか。
蕎麦粒山に、そして、私のこころに問いかける。

ササや灌木が私の行く手を邪魔し始めた。中途半端な雪がササに被さり、足を置くとズボッと潜り歩きにくい。
さらに灌木にピッケルやストックを掴まれ、からだや腕をゆすりながらの歩みとなる。思うように進めずため息をつく。
左を向き、木々の枝の向こうに目を凝らす。高丸の白い稜線が、少し霞んだ水色の空に清らかに輝き、その美しさに少し悲しくなる。
私の周りのさえない風景に、またもやため息が出る。
「止めるの?」と、こころに聞く。時間は余裕がある。疲れも出ていない。天気は下り坂の予報だけど夕方までは持ちそうだ。
引き返す理由は、私の気持ちに依るものだけ。ふと、私は、この光景を無意識に予想していたのだと気が付く。
「そうなんだ、そうなんだ」と意味の分からないことを呟き、前を向く。

・1075ピーク。初めてここに立ち、周りを見渡した時の胸の高鳴りを思い出す。今日はただ無言で眺める私がいる。
ここから東に下っていくと、右に尾根が見えた。
地図で確認すると、尾根が三本に分かれている。真ん中の尾根を進み、窪地に出ると池のような地形が現れる。
雪が積もっているのでよく分からないが池なのだろう。周辺には形の良いブナの木々。
記憶に残っていない、あるいは見落としていた趣のある風景の展開に、暫しの間、ぼぉっとなる。

山頂まで標高差250mまで来た。ここからは急こう配になる。ストックを短くして木を掴みながら登っていく。
尾根芯はヤブがうるさいので斜面をトラバースしていくが、目の前の歩きやすい所を選んでいると、つい尾根から離れていってしまう。

DSC_1662_resized_20200213_055848738.JPG
山頂から見る湧谷山

どのくらい時間が経ったのだろう。ふっと勾配が緩やかになり、足元の雪面が広がり、
のそのそと進んでいくと、目の前に鉛色の空が広がった。
「山頂?」山頂だった。朝の青空は、とうに消えている。
予想と違い、今にもぽつりと来そうな重苦しい空を見上げ、ぐるりと四方を見渡して、気が付けば笑っていた。
空と同じ色の霧が、目の前の風景も、私のこころに描かれた風景をも塗り潰していた。
足元の先には、ヤブの上にまだらに雪の積もった、のっそりとした尾根が覗くだけ。
あの美しい雪庇の面影はもちろん、こころをくぎ付けにした奥美濃の山々も、何にもなかった。

のっそりとした蕎麦粒山が私を包み込む。そのなんともいえない温かさにじんとなる。
私は蕎麦粒山の一面しか見ていなかったのだなぁ、何にも知らなかったのだなぁと、しみじみと思う。
人は美しいものに惹かれるけれど、目に映る美しさとは一体何なのだろう。
美しさに限らず、あらゆるものの一面しか私は見ていない、感じていないのだなぁと、あらためて思う。

DSC_1657_resized_20200213_055848492.JPG
山頂からの小蕎麦粒

時計を見るとお昼の数分前。また笑いがこみ上げる。足元の雪を固め、お昼ちょうどの時間にパンを食べ始める。
すっと霧が流れ、恥ずかしげに小蕎麦粒山が顔を出す。来し方を向くと、でんとした湧谷山。
一昨年の、春の声を聞く少し前、あの山頂から、白く輝く蕎麦粒山をじっと眺め、
いつか訪れるべく時が来るのだと、訳もなく泣き出しそうな衝動をこころに閉じ込めたのだ。
「今日が訪れるべく日だったのね」と、あの日と違い、穏やかな目で湧谷山に微笑む。

下りも時間がかかるだろう。ぽつりと来る前に車に戻りたい。荷物を片付け、のっそりとした尾根を戻る。
1000mの分岐点に着き、湧谷山へのササの出た稜線を眺め「今日はここまで」と呟く。
ここからはさっさと下れると思ったその時、ぽつりと来た。またもや笑ってしまう。

冬時雨の山道を黙々と下っていく。
川を渡り終えると、雨脚が強くなってきた。小走りして車を目指す。
ずぶ濡れ寸前になってしまったけれど、こころはじんわり温かく穏やか。
雨さえも予期せぬ歓迎と思ってしまうほどだった。
濡れたものを片付け、車のエンジンをかけた時、
出かける前よりも、より蕎麦粒山を愛し、憧憬の念を抱いている私が、そこにいた。

sato

アオバ*ト
記事: 73
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by アオバ*ト » 2020年2月15日(土) 23:15

 satoさん、こんばんは!
一人で雪の山に出かけるなんて、すごいですね!

あの美しい雪庇には出会えないと分かっているのに。

会えないとわかっていても、会いに行ってしまいますよね!

蕎麦粒山が私のこころの内を察し、呼びかけたのか。私が蕎麦粒山に求めるものがあり、向かっているのか。
蕎麦粒山に、そして、私のこころに問いかける。


satoさんは、蕎麦粒山が大好きなんですね。
本にも、「尖った山に魅かれる。」と書いてありました。
わたしは蕎麦粒山には数年前残雪の頃一度行っただけですが、しんどかった記憶しかなくて、
尖った山は眺めるだけで十分といつも思ってしまいます。

どのくらい時間が経ったのだろう。ふっと勾配が緩やかになり、足元の雪面が広がり、
のそのそと進んでいくと、目の前に鉛色の空が広がった。
「山頂?」山頂だった。朝の青空は、とうに消えている。
予想と違い、今にもぽつりと来そうな重苦しい空を見上げ、ぐるりと四方を見渡して、気が付けば笑っていた。
空と同じ色の霧が、目の前の風景も、私のこころに描かれた風景をも塗り潰していた。
足元の先には、ヤブの上にまだらに雪の積もった、のっそりとした尾根が覗くだけ。
あの美しい雪庇の面影はもちろん、こころをくぎ付けにした奥美濃の山々も、何にもなかった。
のっそりとした蕎麦粒山が私を包み込む。そのなんともいえない温かさにじんとなる。
私は蕎麦粒山の一面しか見ていなかったのだなぁ、何にも知らなかったのだなぁと、しみじみと思う。
人は美しいものに惹かれるけれど、目に映る美しさとは一体何なのだろう。
美しさに限らず、あらゆるものの一面しか私は見ていない、感じていないのだなぁと、あらためて思う。

わたしが行った時も、こんなのっそりした山頂でした。
わたしはまだ蕎麦粒山のごく一面しか知らないだけなのですね。

出かける前よりも、より蕎麦粒山を愛し、憧憬の念を抱いている私が、そこにいた。

このsatoさんの最後の一文、satoさんの詩的な感性と、わたしの子どもじみた心が感じるところと、
意味することが違っているかもしれないのですが、
いつもは近づき難い人も、実は優しくて楽しい人だったんだ、みたいな、
次会う時はきっと、もっと愛着心を持って接することができるような、
わたしは今シーズンの寡雪の山を歩いて、そんなことを思いました。

 アオバ*ト

sato
記事: 67
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by sato » 2020年2月17日(月) 16:25

アオバ*トさま

こんにちは!
コメントありがとうございます。
からだ全体で山を楽しみ、そのよろこびを、躍動感あふれるレポで表現するアオバトさんって素敵だなぁと思っています。
お話ししたいなぁと思いつつ、気が付くと日にちが経っていてコメントしそびれています。スミマセン・・・。

ひとりの山は、ゆっくりと味わいたいなぁと出かける時もあるのですが、
自分の中に何かを感じたり、感じたものが何なのか知りたかったり、ごちゃごちゃした気持ちを整理したくなった時、
衝動に駆られ、向かっていたりしています(笑)。

蕎麦粒山は、何故なのか分からないのですが、こころを奪われてしまいました。
だから、何度も何度も登りたいという山ではなく、「登る時」に登る山という感じです。
あの日は、雪庇に会えないと分かっていたから、雪庇がないからこそ、訪れたのですね。
のっそりとした蕎麦粒山が物語る声を、のっそりとした蕎麦粒山を歩く私を感じたかったのですね。
尖った山は大好きです(笑)。
高い低いに関わらず、尖った山が目に入ると、こころが震え、ただただ無心で眺める私がいます。

アオバトさんの「いつもは近づき難い人も、実は楽しい人だったんだ、みたいな・・・」
そう、そうなんです。

山を歩きながら、私が、見ているのは、私のこころが映し出された風景なのか、
風景に私のこころが呼応しているのかと、ふと考えていたりするのですが、そんな時、
「世界は感情的であり自分の心の中の感情も世界全体の感情の一つの前景にすぎない」という言葉が浮かんできます。
世界は常に流動している。そして、今、目に映っているのは、そのもののほんの一面。その一面を見てあれこれ思う私がいる。
目に映るそのものの本質(ちょっと大げさ(汗))を知ることは出来ない。
でも、感じること、想像することは出来るんだって思います。
山も人もいろんな面を持っているから面白く、発見もあるのですね。

寡雪の山は味わい深いですね!
あ~でも、明日、雪が積もりますように。

sato

アオバ*ト
記事: 73
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by アオバ*ト » 2020年2月18日(火) 12:14

 satoさん、
レス返ありがとうございました!
今朝は、うちの家の周りでもうっすら雪景色に包まれていました。
satoさんの “熱い心” が届いたかのようでした!
  アオバ*ト

biwaco
記事: 1002
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
住所: 滋賀県近江八幡市

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by biwaco » 2020年2月18日(火) 14:45

satoさん、こんにちは♪
久し振りに雪が降りました。朝起きると家の周り、田んぼや畑が白くなっており、散歩に出たワンコはいつもと違う世界に戸惑いながら、それでもいつもより興奮気味に雪を蹴散らしていました。
その雪もお昼過ぎにはすっかり消えてしまい、あれは夢だったのか?と自分の頭を疑ぐったりしております。

蕎麦粒山…、2月初めといえば、「立春」の声を聞いた冬将軍が跳び起きて、あわてて存在感をアピールした時でしたね。
satoさんも「山の声」に叩き起こされたんでしょうか(^_-)
河原に降り、ストックでからだを支えながら、おそるおそる石の上に足を置き対岸に渡る。
この山にはいつ行ったんだろう? 記録を見ると9年前の春。山の記憶は鮮明に残っているのに、日付や足取りなどは怪しいもんです。やはり、写真やトラックログと一緒に【記録】に残しておくと、頼りないアタマに頼らなくて済む。
でも、この渡渉については、はっきり記憶が残っておりました。架かっていた木の橋が真ん中からV字に折れていて、しかも雪解け水の飛沫が凍りついていて、とても渡れる状態じゃなかったのです。
スタート地点でのハードル、諦めるわけにもいかず、どうしたと思います? 答えは私のブログに載ってますので、めっちゃ興味あれば、暇な時にでも探してみてください。(^_-)
雪のない尾根に取り付くと、落ち葉の折り重なるしっかりとした杣道が続き、すたすたと足が進む。
周りの木々はか細く、少し前の時代まで山に人が入っていたのだと教えてくれる。
このルート、広瀬の造園屋さんが数年がかりで整備してくれたそうです。帰りに橋を直しに来た造園屋ご夫婦に駐車場で出会い、話を聞きました。
それまでは左岸の林道で奥まで入るのが通常ルートだったようです。
山頂まで標高差250mまで来た。ここからは急こう配になる。ストックを短くして木を掴みながら登っていく。
尾根芯はヤブがうるさいので斜面をトラバースしていくが、目の前の歩きやすい所を選んでいると、つい尾根から離れていってしまう。
最後の難所ですね。尾根の右側は切り立ってますから、逃げるのは左側ですね。一応切り開き道がありましたが、今はどうでしょう? 雪がヤブを押さえてくれてたら登りやすいのですが…(@_@。
のっそりとした蕎麦粒山が私を包み込む。そのなんともいえない温かさにじんとなる。
私は蕎麦粒山の一面しか見ていなかったのだなぁ、何にも知らなかったのだなぁと、しみじみと思う。
たちこめるガスは、蕎麦粒山が「しっかり私だけを見つめるのよ」と撒き散らした煙幕なのかも。周りの山と比べる前に、目の前の対象をしっかり見つめること。つい周りに目を奪われて、なかなかできません。
たった一度、9年前に踏みしめた山頂ですが、いま記録写真を見ても「記憶」はおぼろげなままです。(^_-)

一昨年の、春の声を聞く少し前、あの山頂から、白く輝く蕎麦粒山をじっと眺め、いつか訪れるべく時が来るのだと、訳もなく泣き出しそうな衝動をこころに閉じ込めたのだ。
satoさんの蕎麦粒山の1週間後、大ダワへの稜線からその鋭鋒を眺めていました。「いつか訪れるべく時…」が近いかな?と同様の感慨を覚えたのですが、やはりそっと「閉じ込めた」のでした。
P2090037.jpg
冬時雨の山道を黙々と下っていく。
川を渡り終えると、雨脚が強くなってきた。小走りして車を目指す。
ずぶ濡れ寸前になってしまったけれど、こころはじんわり温かく穏やか。
この時期ずぶ濡れでもこころは温か…とは(@_@。
よほどこころを燃やさせた山になったんですね。
帰り道で温泉にでも浸かって下さい。風邪にご注意。

今回の雪で少しは溜まったでしょうか? いつか奥美濃のヤブ山で~♪

             ~びわ爺

sato
記事: 67
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by sato » 2020年2月18日(火) 21:48

アオバトさま

アオバトさんも白い妖精に出会えたのですね。
つかの間の美しい夢を見させてくれました。

平地の雪ほとんど消えてしまったけれど、
明日、白く浮かぶ比良の山が見られることを期待して。

sato

sato
記事: 67
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by sato » 2020年2月18日(火) 21:56

琵琶爺さま

こんばんは。
コメントありがとうございます。
東(仕事場の方々は湖東地方を「ひがし」と呼びます)も朝、雪が積もったのですね。
こちらも10センチぐらい積もっていました。うれしくて、家を出る時、わんちゃんのようにちょこっと駆け回りたくなりました(笑)。
でも、お昼にはほとんど溶けてしまいました。

琵琶爺さんは9年前に蕎麦粒山を訪れたのですね。
私も最初に訪れた時、雪解け水で水量が多く、渡渉場所を探してうろうろしました。
今回は雪不足で水量も少なく、少し靴を濡らすくらいで渡ることが出来ました。
琵琶爺さんのブログ?拝見したいです!どのように探したらよいのでしょう??こそっとアドレス教えてください(笑)。

杣道だと思った道は、登山道として整備された道なのですね。
若い木が多く、炭焼窯跡も見られたので、昭和の中頃までは山仕事の道として使われていたのかもしれませんが、
一旦埋もれた道を個人のお力で整備されるとは、ご夫婦の蕎麦粒山への熱い想いに頭が下がります。
稜線に出てからは雪で覆われていたため、道は分かりませんでしたが、所々くぼんでいた箇所がありましたので、そこが道だったのですね。

途中から霧に包まれてしまったのも、蕎麦粒山が「しっかりと私だけを見つめるのよ」ということだったのですね。
私と蕎麦粒山のかけがえのないひと時を過ごすことが出来ました。私の蕎麦粒山を感じました。
だから、雨に降られても「これも私よ」と蕎麦粒山が笑いかけてくれたような気がしました。

琵琶爺さんの「大ダワ」のレポ、わぁ、大変そうと拝見していました。
同じコースを歩いたことがありますが、こんなにもヤブがうるさい尾根なのですね。
琵琶爺さんが蕎麦粒山を見つめていた場所で、私も同じように見つめていたのだなぁと、歩いた記憶が甦ってきました。

帰りに藤橋の湯でしょうか?私は八草トンネルを抜けてきますので、藤橋の湯は通らないのですが、何度か入ったことがあります。
お財布に優しいお値段でいいお湯ですね。レストランのほのぼのとした平和な雰囲気も好きです。

今も時雨れています。山の上は雪だとうれしいのですが。
近くの山で雪を楽しみたいですよね。

sato

アバター
山日和
記事: 2867
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
住所: 大阪府箕面市

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by 山日和 » 2020年2月19日(水) 22:30

satoさん、こんばんは。

ふいに山の声を感じる時がある。
最初は越前の山を考えていた。でも、天気予報を見ると雨の時間帯が。
どうしようかと迷っていると、見えない声が呼びかけてきた。
えっ?と一瞬たじろぐ。あの美しい雪庇には出会えないと分かっているのに。

satoさんには山の声が聞こえるんですね。
私には、私の内なる声しか聞こえません。 :lol:

スキー場跡地の駐車スペースに車を置こうと停車したが、思い直し、奥まで進むことにする。
大谷川二股地点の駐車スペースに車を置くのは初めてだ。

2月にここまで車で入れること自体が異常です。

目の前に広がるのは、初冬の、耳をすまして何かを聞こうとしているような思索にふける風景。
車から出て、私も何かを聞き取ろうと、真直ぐに立ち、ゆっくりと息を吸い、少し首をかしげる。
でも、聞こえてきたのは、「何かって?何があるの?」と言いたげに、冷たく流れる川音だけ。

こういう感性はsatoさんならではですね。一人で歩いてる時だけ湧きあがる想いなのかな?
私と一緒に歩いている時はまったく見えない素振りですが。 :mrgreen:

800mを過ぎる頃からうっすらと雪が現れ、標高930mの・839の尾根とぶつかったあたりでスノーシューを履く。
1000mの稜線に着いて時計を見ると8時50分。
山頂で少し早めのお昼ご飯かなと、ここまで順調に登れたことに気持ちが大きくなる。北を向き、勢いよく足を踏み出す。

なかなか快調に登ってきましたね。ほとんど雪がなかったから当然か。 :lol:

ササや灌木が私の行く手を邪魔し始めた。中途半端な雪がササに被さり、足を置くとズボッと潜り歩きにくい。
さらに灌木にピッケルやストックを掴まれ、からだや腕をゆすりながらの歩みとなる。思うように進めずため息をつく。

と思ったら、そうは問屋が卸さないってとこですね。

「止めるの?」と、こころに聞く。時間は余裕がある。疲れも出ていない。天気は下り坂の予報だけど夕方までは持ちそうだ。
引き返す理由は、私の気持ちに依るものだけ。ふと、私は、この光景を無意識に予想していたのだと気が付く。
「そうなんだ、そうなんだ」と意味の分からないことを呟き、前を向く。

このためらいは、私もよくあることです。行けないわけじゃないけど、「行っても仕方ない」とか、止める理由を探し始めてしまう。
後は気持ちの強さだけですよね。

地図で確認すると、尾根が三本に分かれている。真ん中の尾根を進み、窪地に出ると池のような地形が現れる。
雪が積もっているのでよく分からないが池なのだろう。周辺には形の良いブナの木々。
記憶に残っていない、あるいは見落としていた趣のある風景の展開に、暫しの間、ぼぉっとなる。

ここはとてもいいところ。右端の尾根を選ぶのも良し、窪地の真ん中を進むも良しです。

山頂まで標高差250mまで来た。ここからは急こう配になる。ストックを短くして木を掴みながら登っていく。
尾根芯はヤブがうるさいので斜面をトラバースしていくが、目の前の歩きやすい所を選んでいると、つい尾根から離れていってしまう。

左斜面しか歩けないですね。尾根芯はシャクナゲ地獄だし。登山道も左側を巻いて付けられています。

どのくらい時間が経ったのだろう。ふっと勾配が緩やかになり、足元の雪面が広がり、
のそのそと進んでいくと、目の前に鉛色の空が広がった。
「山頂?」山頂だった。朝の青空は、とうに消えている。
予想と違い、今にもぽつりと来そうな重苦しい空を見上げ、ぐるりと四方を見渡して、気が付けば笑っていた。

頑張りましたね。期待していたものは得られなかったけど、自分の心が満たされればそれで良しですよね。

のっそりとした蕎麦粒山が私を包み込む。そのなんともいえない温かさにじんとなる。
私は蕎麦粒山の一面しか見ていなかったのだなぁ、何にも知らなかったのだなぁと、しみじみと思う。
人は美しいものに惹かれるけれど、目に映る美しさとは一体何なのだろう。
美しさに限らず、あらゆるものの一面しか私は見ていない、感じていないのだなぁと、あらためて思う。

ヤブ山は、雪がたっぷり積もった時に歩けばもちろん楽しいですが、それは山の表情のひとつを見ているだけに過ぎません。
尾根から、谷から、季節を変えて歩かなければ、その山の本質に迫ることはできないですね。

一昨年の、春の声を聞く少し前、あの山頂から、白く輝く蕎麦粒山をじっと眺め、
いつか訪れるべく時が来るのだと、訳もなく泣き出しそうな衝動をこころに閉じ込めたのだ。
「今日が訪れるべく日だったのね」と、あの日と違い、穏やかな目で湧谷山に微笑む。

大ケガの後、自分の思い通りに動かない足に悲しい思いをしながら眺めたんですね。

下りも時間がかかるだろう。ぽつりと来る前に車に戻りたい。荷物を片付け、のっそりとした尾根を戻る。
1000mの分岐点に着き、湧谷山へのササの出た稜線を眺め「今日はここまで」と呟く。
ここからはさっさと下れると思ったその時、ぽつりと来た。またもや笑ってしまう。

冬山で一番いやな雨が来ても、舌打ちせずに笑ってしまうsatoさんは強いですね。 :D

ずぶ濡れ寸前になってしまったけれど、こころはじんわり温かく穏やか。
雨さえも予期せぬ歓迎と思ってしまうほどだった。
濡れたものを片付け、車のエンジンをかけた時、
出かける前よりも、より蕎麦粒山を愛し、憧憬の念を抱いている私が、そこにいた。

自分でマイナス思考と言ってる割に、すごいプラス思考ですねえ。 :mrgreen:
今度は夏に沢からどうぞ。 :D

                   山日和



SHIGEKI
記事: 856
登録日時: 2011年7月25日(月) 18:30

Re: 【奥美濃】天地有情 憧憬の蕎麦粒山と私

投稿記事 by SHIGEKI » 2020年2月19日(水) 23:39

satoさん こんばんは。


ふいに山の声を感じる時がある。
最初は越前の山を考えていた。でも、天気予報を見ると雨の時間帯が。
どうしようかと迷っていると、見えない声が呼びかけてきた。
えっ?と一瞬たじろぐ。あの美しい雪庇には出会えないと分かっているのに。
チクリと胸に微かな痛みを覚える。
一昨年の冬に感じた小さな痛み。あの時、こころにしまった思いが甦ってくる。
訪れるべく日が来たのだと、山と私の声がひとつに重なりあう。

山の声は、自らの想いをこだまして返ってきているものかもしれませんね?


のっそりとした蕎麦粒山が私を包み込む。そのなんともいえない温かさにじんとなる。
私は蕎麦粒山の一面しか見ていなかったのだなぁ、何にも知らなかったのだなぁと、しみじみと思う。
人は美しいものに惹かれるけれど、目に映る美しさとは一体何なのだろう。
美しさに限らず、あらゆるものの一面しか私は見ていない、感じていないのだなぁと、あらためて思う。

例の本に書いておられる 心を釘づけにした尖り の先に?感じるものがあったんでしょうか?

不肖Sは10年前に沢から登ったきり、例の本を拝読して、今季、その尖りを目指していたのですが・・・

来季への楽しみができました。

ちなみにその10年前の更に8年前には、お誘い頂きながらD,Y,y、Q氏の山行を傍観してました。

http://old.yabukogi.net/patio/read.cgi? ... ast&no=378

http://www.komachans.com/hp2/yama/somugi.htm

暇つぶしにどうぞ :mrgreen:


出かける前よりも、より蕎麦粒山を愛し、憧憬の念を抱いている私が、そこにいた。

山への想いは 姿 形や美しさ以外にもいろいろあるもんなんでしょうね。

      SHIGEKI

返信