【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

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honma1957
記事: 8
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by honma1957 » 2019年6月06日(木) 00:19

始めに
三重県と奈良県の県境にある台高山脈の北部、明神岳(穂高明神)の東約1.6kmの所に標高1400m前後の山々がある。
このあたりの地名に「ヒキウス平」というのを、最近ネットで目にすることが多くなってきた。
私は25年ぐらい前からこのあたりを歩いているが、その頃はそんな地名は聞いたことが無かった。
昔からそんな地名があって私が知らないだけだったのか?
そんな気もあってこの辺りの山に詳しいある山岳会の昔の山行記録を調べてみた。
この記録は以前にも読んだことがあるが、そのときは地名の位置関係がよく解らなかった。
今回じっくりと読み直し、最近手に入れた新資料と照らし合わせてみると驚くべき事実が解ったのであった。

まず最初に地形図で現在の地名を確認する。
1桧塚奥峯付近地名.jpg
桧塚奥峯付近地名 等高線間隔10m
位置1は桧塚奥峯(1420m)、位置2は桧塚(1402.2m)、現在ネット等で云われている「ヒキウス平」の位置は、桧塚奥峯(位置1)より約590m南の1360m等高線のあたりの位置3である。

次にこれから参考にする山岳会の山行記録の紹介である。
この記事は、「松阪山岳会 会報 ⑦ ALPINIST 発行1962.12.21」のトップ記事として掲載されていて、題名は「桧塚奥峯 大西保夫 記」である。
1957年11月3日の登頂記録と思われる。
またこの会報によると大西さんは桧塚奥峯に1958年11月23日、1959年7月18日にも登られている。

以下「松阪山岳会 会報 ⑦」よりの引用です。
2桧塚奥峯概念図.JPG
桧塚奥峯概念図
(前略)
 新築を急ぐ蓮の小学校を右に下路を通り左岸のヌタハラ谷を過ぎると更に右岸に奥の平の谷と別れて、暫らくして左岸から水のあるカラ谷の右側を登る。
登り口の左に営林署のトタン葺で鉄柱の山林事務所がある。
千石谷も奥の平谷もその一体が最近に営林署所属となつた。
この小屋を眼下にしてカラ谷をやや登つて、千石谷左岸を西に西にと高巻く。
井戸谷を越えると千石平という平がある。
更にその上稍々狭いピキウス平と云うあり。
神戸鈴木の乾溜工場があつた頃の開墾地(注1)と云う桧林を北北東に覚つかない径を辿る。
左に赤ぐら滝が寿々響いてくる。
熊笹の小径をあえぎ登れば午前十時頃尾根に出る。
更に熊笹の尾根径を西方に赤ぐら山(注2)1400米峯の西肩に出づ。

見晴しは実に素晴らしい。北に桧塚あたりがよく見え、秋の装をこらし、南に奥のマヨイが勇姿を見せている。
折からの紅葉は見頃、この登行至る処に紅葉を楽しんだが、一層に此の所の眺望はよい。
此の所に早い昼食を喫す。
桧塚方面に廻るのは時間的にどうかと云う広一君を督して判官平を左手にして1440米A米峯に向う。
径らしいものもない広々とした二峯程を廻つて、1440米A峯即ち桧塚奥峯とも云うべき目的の山頂に遂に到達する。
今日は或は駄目かと思うた此の嶺に辿り得た此の喜び。
山頂は殆んど平で大樹が茂つていて眺望は殆んどきかない。
幸い南面に少し桧生い茂り、その内に桧の枯木あり、枯木に登つて素晴らしい眺めをほしいままにする。
局岳方面と迷岳方面とを夫々カラーにする。

広一君が少しく小手調べをして、ヌタハラ谷を下つたらと云う提案に同意する。
少し南方に降りかけて直ぐ東方に向う。
十分もせぬ内に桧の古木の茂り合うた所謂「桧塚」に至る。
桧塚は地図で見ると前述の桧塚奥峯の真東に添う1400米線の出張り位の所である。
桧塚から東方の枝谷に即ち1402.3米峯(三角点あり)のほんの下の谷間に達す。
此所から桧塚を見上げると三角錐の頂点に青緑の花冠つけた山少女と見立つべく、塚というべきか、冠と云うべきか姿よく見える。
是によつて見れば、桧塚と云うは蓮側にある名称で、青田側では全々考えられぬ名称であつて、1440米A峯は桧塚又は「桧塚奥峯」と称すべきものである。
1402.3米の三角点ある峯は無名にして、千秋社で名付けている「千秋峯」と云うは結構であると思われる。
(中略)
其後に青田側で千秋峯の東尾根の塊を桧塚と称うのを知つた。

注1 開墾地の墾は原文では懇となっているが、誤植で墾が正しいと思われる。
注2 「赤ぐら山」は概念図と同じ「赤嵓山」だが、「嵓」の活字が無かったため「ぐら」になったのではないか。

以上引用終わり。

honma1957
記事: 8
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その2

投稿記事 by honma1957 » 2019年6月06日(木) 00:46

山行記録を読み解く。

さて山行記録の内容であるが、現在の蓮ダムの奥にあった蓮集落から千石谷沿いに登行し、桧塚奥峯を回りヌタハラ谷沿いに下降して蓮に帰ったのであった。
添付の「桧塚奥峯概略図」は大雑把で解り難く、当時の印刷技術 (活字と手書きが混在)では正確な位置が解かりづらい。
しかし地図だけ見ると解かりづらいが、文章を読みながら追っていくとある程度解ってくる。
現在の地図を見ながら経路を辿って見た。
3現在地形図.jpg
現在地形図 等高線間隔10m
A.新築を急ぐ蓮の小学校を右に下路を通り
B.左岸のヌタハラ谷を過ぎると
C.更に右岸に奥の平の谷と別れて
D.左岸から水のあるカラ谷の右側を登る。
E.井戸谷を越えると
F.千石平という平がある。
 今はあるかどうかわからないが、以前このあたりの千石林道に「火の用心」の横断幕と千石平国有林の看板があった。
そして今でも地図の破線道には道が残っていると思う。
ここまでの位置は間違いないだろう。

G.更にその上稍々狭いピキウス平と云うあり。

この「ピキウス平」がネットで云われているヒキウス平なのだろうか?
そして問題は読み方である。ピキウス平かヒキウス平かである。
4文字拡大.JPG
文字拡大
ピキウスの活字をよく見ると「ヒ」ではなく「ピ」のように見える。
私は「ピキウス平」が正しいのではないかと思う。
そして概念図には「ひきす平」とあるが、これは誤植で「ピキウス平」が正しいのではないだろうか?
本文の文章は校正されているはずだし、「懇」の誤植以外は間違いが無いので「ピキウス平」のほうが信頼性は高い。
5桧塚奥峯概念図部分.JPG
桧塚奥峯概念図部分
概念図の「ひきす平」(文章のピキウス平と同じと思う)の位置は稜線の近くにあるが、これは地図の記入スペースの問題でこの位置に書かれたのではないか?
いずれにしろ稜線より千石谷側(南)であることは間違いない。
私はピキウス平の位置を「G」に推定した。
なぜこのGの位置かと言うと後のH,I の記述があるからである。
後述Hの記述からピキウス平の付近に開墾地があったのである。
そして開墾地は山の上ではなく谷に近いほうと考えたほうがいいのではないか?
つまり千石平があり、次にピキウス平があり、そして開墾地があったのである。
それとIの記述の「熊笹の小径をあえぎ登れば午前十時頃尾根に出る。」とある。
開墾地よりさらに登って尾根に出たのである。

H.神戸鈴木の乾溜工場があつた頃の開墾地
 この後の記述に「左に赤ぐら滝が寿々響いてくる。」とある。
 私もこの辺りを何度か歩いたことがあるが確かに滝の音が聞こえる。
 
I.熊笹の小径をあえぎ登れば午前十時頃尾根に出る。
J.更に熊笹の尾根径を西方に赤ぐら山1400米峯の西肩に出づ。

この「赤ぐら山1400米峯」が難解であった。
最初K地点のP1394ではないかと考えた。
なぜなら標高1400mに近い山はこの付近ではここしかなく、ここは赤嵓滝谷の源流にもあたるからである。
しかし、この後の記述に「北に桧塚あたりがよく見え」とくる。
K地点から桧塚(M,N)方面は北ではなく東北東である。
概念図を見ても簡略ながら、赤ぐら山の北に桧塚が書かれている。
概念図と記述はほぼ一致しているのに現実は違っているのだ。
もしかしたら大西さんは現在とは違う別の地図を使っていたのではないかと思い、そこで古い地図に何かのヒントがないかと調べてみた。
これが新資料の明治の地形図である。
6明治地形図.jpg
明治地形図 等高線間隔20m
この地図を見て今までの疑問がすべて解決した。
概念図は明治の地形図を写したと思うぐらいよく似ていて、これを基にして作られたものに違いない。
やはり大西さんはこの地図を使っていたのだ。
そして「赤ぐら山1400米峯」は、現在ヒキウス平と呼ばれているJ地点に指定すると、概念図や記述とよく合うのである。
明治の地形図では、この位置は確かに等高線1390m以上あるし、桧塚(M,N)はほぼ北にある。
概念図ではこの南に「嵓」と記入してあり、エアリアマップでは「赤嵓」と書かれているから、このJ地点を赤ぐら山(概念図では赤嵓山)と呼んでもなんら不思議はないのである。

L.判官平を左手にして
M.1440米A峯即ち桧塚奥峯とも云うべき目的の山頂に遂に到達する。

概念図で1440峯となっている地点である。
桧塚奥峯は現在1420mになっているが、何年か前のプレートの標高が1440mになっていた。このあたりに詳しい長い登山経験のある人に聞いても1440mで間違いないと言っていた。
この疑問も明治の地形図を見て解けた。明治の地形図には1440mの等高線があったのだ。
 
N.桧塚は地図で見ると前述の桧塚奥峯の真東に添う1400米線の出張り位の所である。
P.1402.3米の三角点ある峯は無名にして、千秋社で名付けている「千秋峯」と云うは結構であると思われる。
Q.其後に青田側で千秋峯の東尾根の塊を桧塚と称うのを知つた。

こうして「桧塚奥峯 大西保夫 記」を読んでみると、すべての記述(文章)は正確で完璧なものであることが解った。
その結果ネットでヒキウス平と云われている所は「赤ぐら山(赤嵓山)」であったのだ。
7千石林道GE.jpg
千石林道GE
8桧塚GE.jpg
桧塚GE

honma1957
記事: 8
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その3

投稿記事 by honma1957 » 2019年6月06日(木) 00:53

最後に「千秋峯」の謎。

謎といえば大袈裟かもしれないが、私には謎であった。
私は千秋峯=桧塚奥峯(またはこの付近の稜線)と理解していた。
この辺りに詳しい山の経験者に聞くとそのように言っていたからである。
千秋峯に登ってきたとか、そういう言い方をしていたのである。
それとエアリアマップに記載されている千秋峯の文字の位置が影響してか、稜線の北側の笹の斜面(位置O)を千秋峯と思っている登山者が多い気がする。
これも大まかにいえば間違っていないとは思うが厳密にいえば違うと思う。
それともっとややこしいのが昔(10年ぐらい前)桧塚の東のP1186(位置R)に千秋峯のプレートがあったのである。
それが大西さんの記述で、現在の1402.2mの三角点がある桧塚が、千秋峯であることか解った。
千秋社で名付けている「千秋峯」と云っているように、千秋社の名称である。
その名称の意味は千秋社の事務所跡に行くとよくわかる。
事務所跡から眺める自社の持山の、奥の一番高い山が千秋峯なのである。
ピンポイントでいえば桧塚(1402.2m)=千秋峯なのである。
広義でいえば、桧塚から桧塚奥峯あたりまで入るかもしれない。
P1186(位置R)方向は、現在植林で遮られていてよく見えないが、グーグルアースの画像で見通しを検証すると、頂上部は見えないことが解った。
P1186の山も千秋社の所有であると思うが千秋峯では有り得ないと思う。
9千秋社から見た千秋峯.JPG
千秋社から見た千秋峯
P1186見通しGE.jpg
P1186見通しGE

シュークリーム
記事: 1687
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
住所: 三重県津市

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by シュークリーム » 2019年6月07日(金) 10:15

honma1957さん、はじめまして。シュークリームと言います。それほど頻繁ではありませんが、私もあの界隈は何度か歩いていますので、興味深く拝読いたしました。確かに、ヒキウス平は赤嵓滝谷の源頭部に当たりますので、あのピークを赤嵓山と呼ぶのは当を得ていると思います。千秋峰の位置については地元の古老と親しいあめちゃんが詳細に考察しているのとほぼ一致しており、その通りかと思います。

今のシステムでは「雑談コーナー」の記事を読む人は少ないので、「山のフォーラム」に移動されてはいかがかと思います。山に関するこのような考察は「山のフォーラム」でも十分に範囲内かと思います。
                         @シュークリーム@

honma1957
記事: 8
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by honma1957 » 2019年6月08日(土) 23:15

シュークリームさん、こちらこそはじめまして。
この投稿は私が事実と思ったことを書いただけで、多くの皆さんに検証していただき、誤りがあれば、ご指摘いただければ幸いと思っています。

「山のフォーラム」とのことですが、
まだまだ投稿も不慣れですので、このカテゴリーで十分です。
コメント有難うございました。

雨子庵
記事: 442
登録日時: 2011年10月12日(水) 19:40
住所: 名古屋(ときどき青田(飯高))

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by 雨子庵 » 2019年6月09日(日) 19:18

honma1957さん はじめまして
あめちゃんといいます

『虫の知らせ、じゃなくて、天の声・・これだと今流行りの山ちゃんになってしまうけど、まあいいか、が届いて、千秋峰のことが出てるよ、と』 :mrgreen:

楽しく読ませていただきました。かくいう私も「ヒキウス平?それってどこ?」で過ごしていました・・・。 :D

私のトモダチに青田に住んでいた「オジヤン」という人がいます(今はダムで立ち退き)。「オジヤン」とは、青田の辺りでは尊称で、山のことに一番造詣が深い人をそう呼びます。
さっそくオジヤンにいくつか確認してきました。
ただ、その人の山との接し方にはイロイロあります。林業、猟、趣味の山歩きetc・・・。
基本的にはオジヤンは千秋社で働いていて、地元の猟友会の会長も務めていた、山が生活の場だった人です(青田で暮らす人でも、桧塚など稜線を歩く人はあんまりいなかったと思います、そこが職場でない限り)。そんなオジヤンに確認の意味も込めて直撃インタビュー(オジヤンは90近いので私が通訳となりますが、通訳が優秀でないのでご勘弁を)。
●ヒキウス平という名前を聞いたことや使ったことがあるか?
答えは、『否』でした。
これにはいくつか理由がありますが、一番大きな理由は、それが「蓮側」にあることかなとも思います。モチロンオジヤンもその界隈は歩いているのですが、集落が違えば領地からはずれます。じゃあ、桧塚奥峰から蓮側を見おろしたときの目の前のなだらかなところは何て呼んでたの?(二人でよく見てた風景です)と聞きましたが、これといった名称は無かったそうです。ちなみに「判官平」も看板が出たからあめちゃんとの会話でも使うようになった、的な感じでした。普段オジヤンと使用する地名に関しては、割とピンポイントのものは多いいのですが、全体を指すものは、尾根くらいかなぁ。特定地名は待ち合わせやら集合やら待ち伏せで使ってたんでしょうね、キット。
●P1394に名前はあったの?
特には無い。ただあそこは迷いやすいところ。明神からきて右に折れると千石とかの源流方面に行くから気を付けなければいけない。
今回その先の「赤グラ」の話するの忘れてました
●千秋峰とはどこのこと?
三角点のある桧塚のこと。
ムカシ、千秋社初代所長の服部こういち(紘一?・・要確認)さん(安城農林学校からこられたそうです)が、千秋社事務所から見えた山(桧塚)に名づけた。左から「口桧(あそこから実際は見えません)」「桧塚」「桧塚奥峰(実際は手前の肩しか見えません)」と位置し、左右に山を従えていて見栄えも良いことなどもあるそうです。・・・この事務所、たまたま重機で壊している日にワタシ行き当たりました。業者のヒトに重要性などかなりキツク言ってしまい「あなた、千秋社の関係者の方?」と聞かれました・・・

オジヤンから学んだ地名は、千秋社&乾留(青田では鈴木ヨネの会社(工場)をそう呼んでいます)が付けたものが多いと感じます。それが理解できて初めて青田の皆さんと会話ができたような気がします。 ;)
正直、地名は、それを引き継ぐ人がいないと廃れてしまいます。 :(
そうならないように私も微力ながら頑張っていきたいと思います。・・・といいつつ、いつも酔っ払ってばかりです :oops:
また何か興味深いトピックをお待ちしています。 :P

あめちゃん

グー(伊勢山上住人)
記事: 1743
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
連絡を取る:

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) » 2019年6月09日(日) 23:12

20190609-16.jpg


honma1957さん、こんばんは。
1957は生まれた年ですか?だとするとグーの6つ下ですね。

私は25年ぐらい前からこのあたりを歩いている
この投稿は私が事実と思ったことを書いた


グーは山を歩きだしたのが16年前からです。honmaさんはかなり先輩です。
かなり深く読み込みされて、綿密に考察されています。
「松阪山岳会 会報 ⑦ ALPINIST 発行1962.12.21」トップ記事「桧塚奥峯 大西保夫 記」
についての読解はグーも「事実」だと思いますし、素晴らしく論理的です。
ただ大西保夫さんの山行記録の内容が「事実」かどうかには問題点が無いわけではありません。

この辺りに詳しい山の経験者に聞くとそのように言っていたからである。

大西保夫さんが「ピキウス平」の名前を付けて、広く定着されたのではないと思うからです。
大西保夫さんも詳しい方に聞き取りをされ、もしくは先人の記録を読んで使用しているはずです。
大西保夫さんが千石平の次に「ピキウス平」と認識しているにすぎないかもしれません。
この名前を付けた方の記録にまで遡らないことには「真実」と言い切れません。

井戸谷を越えると千石平という平がある。
更にその上稍々狭いピキウス平と云うあり。


それに「稍々狭い」が気になります。ちっとも狭くないですよ。

そして概念図には「ひきす平」とあるが、これは誤植で「ピキウス平」が正しいのではないだろうか?
本文の文章は校正されているはずだし、「懇」の誤植以外は間違いが無いので「ピキウス平」のほうが信頼性は高い。


拡大図を見ると「。」と「ヒ」の重なったように見えます。
「ピ」の活字が無くなった場合、植字工が作成すると思いますが、トップ記事で活字が枯渇するとは思えません。
その会報の他のページで「ピ」の字を探してみてください。同じ字でしょうか?
概念図も校正していると思いますが「黒流」になっています。

「ピキウス平」を命名した人はどのような意味を込めたのでしょうか?
「ヒキウス」は「碾き臼」が頭に浮かび、ほぼ同じ高さの稜線に囲まれたなだらかな低地の真ん中からアザミ滝・ネコ滝に落ち込んでいるさまを的確にとらえた命名だとグーは感服していました。
以上がグーの感じたことです。

1957年11月3日の登頂記録。
赤ぐら山(注2)1400米峯の西肩に出づ。見晴しは実に素晴らしい。北に桧塚、南に奥のマヨイが勇姿。
1440米A峯即ち桧塚奥峯。山頂は殆んど平で大樹が茂つていて眺望は殆んどきかない。
桧の古木の茂り合うた所謂「桧塚」に至る。


60年前、赤ぐら山はすでに皆伐され、桧塚奥峰辺りはまだ大樹の森だったとの記録ですね。
大木の切り株が散見されますが、宝の山だったのでしょう。

ヌタハラ谷を下つたらと云う提案に同意する。少し南方に降りかけて直ぐ東方に向う。

桧塚奥峰下のトラバース道はグーも一時よく歩きました。
概念図は桧塚西の鞍部からヌタハラ谷左岸の山腹道を下っていますが、
今日、その山腹道の整備に行ってきました。

台高の住人がヤブネットで絶滅危惧種になっています。
honma1957さんの活発な投稿をお待ちしています。


                    グー(伊勢山上住人)

honma1957
記事: 8
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by honma1957 » 2019年6月10日(月) 00:06

あれあれ、いつの間にか「山のフォーラム」に変わっちゃいましたね。

雨子庵さん、はじめまして。
「オジヤン」さんて千秋社の方で猟友会の会長さんでしたか?
たぶん二度ほどお会いしたことがあるかもしれません。
もう10年以上前のことだと思うけど、蓮ダムの赤橋から池杉山に登ってアマゴ養殖場に降りてきたとき、トラックの荷台に猟銃をのせて、アマゴ養殖場で買い物をしていた人に赤橋まで乗せてもらったことがありました。
だぶんそれは1月か2月の頃で(アマゴの産卵期だった)、その年の4月にダム湖の桜祭りでお会いしたときお礼を言った覚えがあります。猟友会の会長さんて何人もいないですよね、Oさん?
それと千秋社の関係者でもう一人お世話になった方がいます。
私はこの桧塚あたりには最初奈良県の大又から入っていました。
月に3回ぐらい明神平、笹ヶ峰、桧塚あたりに来ていました。
そのうち三重県側からも登れることを聞き、マナコ谷の下のコンクリートの林道から登っていました。
どこかに楽に登れる道はあることは聞いていましたが分かりませんでした。
ある時千秋橋の近くに止めていた軽トラックの人に登山道を聞くと、親切にマナコ谷まで案内して下さいました。
たぶん千秋社の人ではないのかなと思いました。痩せ身のかたでした。

●ヒキウス平という
ヒキウス平付近には何回もいったけど、そんな名前は思いもしなかったです。

●P1394に名前はあったの?
確かに明神岳方面から来るとP1394から自然と南に入っていました。
下りきると長さ10m 幅5mほどの眺めのいい原があって、そこで食事をし満足して帰ってくることも多かったです。
そもそもその当時は笹がすごくて、踏跡をはずしてヤブに入ることは出来ませんでした。

●千秋峰とはどこのこと?
口桧ですか? P1186でしょうか?
千秋峯はっきりして、すっきりしました。

●オジヤンから学んだ地名は、千秋社&乾留・・・
千秋社&乾留の影響が大きかったのですね。
木屋谷の登山道に乾留の跡地みたいなのがありますね。
千石谷上流、キヘイ小屋谷の植林の中に大量の土管がありました。

それと省略しましたが、大西さんの山行記録の前半に桧塚奥峯に登るいきさつが書かれていまして、
要約すると、その年の9月に今西錦司氏を池小屋山に案内した夜の談話で、来年の春一緒に桧塚奥峯に登ろうということになったが、大西さんは我慢できず、その年に登ったと書かれています。そのときの談話で地元蓮の人から道や地名を聞いたのではないかと思います。

●何か興味深いトピックを・・・
まだまだ教えていただきたいことがありますので、こちらこそよろしくお願いします。

アバター
わりばし
記事: 1331
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
住所: 三重県津市

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by わりばし » 2019年6月10日(月) 06:33

はじめまして、honmaさん。
地名関係は雨子庵さんのオジヤン情報にまかせるとして。

登り口の左に営林署のトタン葺で鉄柱の山林事務所がある。
千石谷も奥の平谷もその一体が最近に営林署所属となつた。
この小屋を眼下にしてカラ谷をやや登つて、千石谷左岸を西に西にと高巻く。
井戸谷を越えると千石平という平がある。
更にその上稍々狭いピキウス平と云うあり。
神戸鈴木の乾溜工場があつた頃の開墾地(注1)と云う桧林を北北東に覚つかない径を辿る。
左に赤ぐら滝が寿々響いてくる。

開墾地が左岸にあったのか。
ということは蓮の第4工場に左岸からつながる道もあったのかもしれません。
説明が長くなりそうなのでレポを読んでください。

viewtopic.php?f=4&t=4077

●オジヤンから学んだ地名は、千秋社&乾留・・・
千秋社&乾留の影響が大きかったのですね。
木屋谷の登山道に乾留の跡地みたいなのがありますね。
千石谷上流、キヘイ小屋谷の植林の中に大量の土管がありました。

青田に6つの乾留工場、蓮(千石)に5つの乾留工場を持っていた。当時無尽蔵といわれた豊富な原生林を使い木材乾留し、出てきた溶液に石灰を入れ酢酸石灰として出荷した。蓮には千石谷右岸に本社がありここに第1工場、喜平小屋谷出合に第3工場、赤嵓滝谷の赤嵓滝上に第4工場、赤嵓滝谷奥の三俣に第5工場があり第5工場が最大だと思われる。

とレポに書いたのですが勘違いで
蓮の第2工場が喜平小屋谷出合で第3工場が喜平小屋谷二俣付近の植林の中です。
青田の6つの工場も場所は特定されています。

第1工場 取水ダム右岸、第2工場 千秋社事務所のあったあたり、第3工場 万歳橋、第4工場 ワサビ谷手前、第5工場 奥山谷出合、第6工場 奥山谷奥の二俣です。 

いい刺激になりました。
今後ともよろしくお願いします。


                     わりばし


honma1957
記事: 8
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by honma1957 » 2019年6月10日(月) 22:53

グー(伊勢山上住人)さん、はじめまして。

>1957は生まれた年ですか?だとするとグーの6つ下ですね。
数字は生まれ年とは関係ありませんよ~。

>グーは山を歩きだしたのが16年前からです。honmaさんはかなり先輩です。
年数とかは関係ないと思いますけどね~。
グー(伊勢山上住人)さんが山登りを始められた頃は、ヒキウス平と呼ばれていましたか?

>ただ大西保夫さんの山行記録の内容が「事実」かどうかには問題点が無いわけではありません。
もちろんそうです。が私はこの投稿をするにあたって大西さんの他の記事をいくつか読みました。
それらを判断して、記事の内容、人格等信用できる人だなあと思いましたけど。

>大西保夫さんが「ピキウス平」の名前を付けて、広く定着されたのではないと思うからです。
>大西保夫さんも詳しい方に聞き取りをされ、もしくは先人の記録を読んで使用しているはずです。
それにほぼ間違いないでしょう。事前の情報収集の大切さを他の山行記録で書いています。

>大西保夫さんが千石平の次に「ピキウス平」と認識しているにすぎないかもしれません。
実際は通らずに近くを通過しただけと? 確認はしていないと云うことですか?
もしそうであっても千石平、ピキウス平、開墾地、の順序は変わらないと思います。
大西さんの文章の書き方は、断りがない限り順番に書いています。
これは複数の山行記録で確認しました。

>この名前を付けた方の記録にまで遡らないことには「真実」と言い切れません。
おお~ぅ そうだその通りです。ヒキウス平も明神平もそうです。開き直りですね。

>それに「稍々狭い」が気になります。ちっとも狭くないですよ。
広い狭いは相対的な表現で、広い場所のある一部分かもしれないです。

>拡大図を見ると「。」と「ヒ」の重なったように見えます。
そうですよね。私もどちらか悩みました。他のページでは確かに別の活字が使用されていました。よくご存じでしたね、会報読まれましたか?
「ヒ」でもいいんですけどね。「ヒキウス平」は別の場所であったにすればいいだけで、だけど「ヒ」にすると「更にその上稍々狭い。」「ヒキウス平と云うあり。」で文章にならないのです。
それと文字は一行29字にきちんとおさまっています。「ピ」は一文字分に「。」と「ヒ」を意図的に詰め込んであります。
普通の句読点はきっちり一文字分とられています。
参考画像をご覧ください。
参考画像.JPG
参考画像
>概念図も校正していると思いますが「黒流」になっています。
そうです、概念図には間違いが3箇所あります。
絵馬屋谷--> 江馬小屋谷
黒流------> 黒滝
ひきす平--> ピキウス平、ヒキウス平
これは私の想像ですけど(想像で言ってもらっては困ると言われればどうしようもないけど)
大西さんは正確に手書きした概念図を作っていたが、印刷の編集過程で間違えたのではないか?
そして文章と概念図を別々に校正したか、あるいは概念図は別人がチェックしたかなどではないでしょうか。
ようするに正確な手書きの概念図が何らかの理由で反映されなかった。

>「ピキウス平」を命名した人はどのような意味を込めたのでしょうか?
どのように命名されたかは分かりません。


>「ヒキウス」は「碾き臼」が頭に浮かび、ほぼ同じ高さの稜線に囲まれたなだらかな低地の真ん中からアザミ滝・ネコ>滝に落ち込んでいるさまを的確にとらえた命名だとグーは感服していました。
>以上がグーの感じたことです。
なるほど美しい描写ですね。
感じ方は人それぞれですけど、私でしたら「ヌタハラ」と感じます(美しくないです)。ヌタハラ谷の語源かも知れないなと思ったりします。

>桧塚奥峰下のトラバース道はグーも一時よく歩きました。
>概念図は桧塚西の鞍部からヌタハラ谷左岸の山腹道を下っていますが、
>今日、その山腹道の整備に行ってきました。
最近、山はよく荒れていますね。
登山道整備お疲れさまでした。
今後ともよろしくお願いします。

honma1957

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