【台高】先人の知恵  樫山木馬道 こんな所に道が!

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わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【台高】先人の知恵  樫山木馬道 こんな所に道が!

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2016年1月10日(日)
【山 域】台高
【コース】銚子川第二発電所P7:20---10:35ツミバ---11:26樫山---13:42銚子川第二発電所P
【メンバー】単独

 大台ケ原の木を搬出するために紀北町相賀から山頂まで20kmの四日市製紙専用軌道(索道・インクライン含)が大正時代に敷設された。この最大の難所が、樫山から銚子川沿いにトロッコが来ている猪ノ谷までの区間だった。樫山は岩尾根だらけの天然の擁壁のような山で、かなり苦労したようだ。当初は樫山から建設費が安く済む木馬で木材を下せるところまでおろして、そこから架線で猪ノ谷に運ぼうとしたようだ。

 海山ICで下りて、相賀から銚子川沿いに進み木津。ここから林道を進み銚子川第二発電所駐車場に停めると、目の前に発電所のパイプが真っ直ぐに急斜面を駆け上がっていた。吊り橋を渡ると発電所で、ここからジグザグ道を進む。ブロックとセメントで作られているが下部はガレで埋め尽くされている所も多く、歩きにくい。昔は発電所用に使われていたみたいで、手すりがあったりする。おとなしめに石を落しながら猪の親子が5匹通りすぎて行った。

[attachment=2]IMG_0622.jpg[/attachment]
 発電所の貯水槽に着くと、突然ブーブーという警笛音が鳴りだした。すると水槽のチェーンが動きだし水を流し始めた。水を流す際の警告ブザーのようで、自然豊かな場所での機械音は違和感があり驚いた。このあたりまで木馬で下して、架線で猪ノ谷に下したようだ。

 水槽から左に向かう道は木馬道で石積みが残っている。しっかり残っており快適に進んで行くと大きな炭窯跡。その先の小谷で道は消えるが、このあたりでは珍しい対岸の杉の木を目当てに進んで行くと再び道があらわれた。その先の枯れた杉の大木からは二重三重に石積みがあり、ツヅラ折れで道は上っていく。尾根を回り込むとガレた谷に出て、その先には石積みの平坦地があった。zippさんの書いていた左岸の炭窯はガレで埋もれたようだ。

[attachment=3]IMG_0617.jpg[/attachment]
 石積みの道が続きだすと、突然青いビニールテープがあらわれる。ここまでの木馬道にはマーキングはまったく無いが、ここからビニールテープが続く。シュークリームさんはここを下りてえらい目にあったんだ。どうやら青テープ氏は、木馬道があるのをわかっていて木馬道につながるようにテープをつけたようだ。しかし、ここまでの木馬道側にはテープは無く、決してほめられたマーキングのつけ方ではない。

 ここからは立派な木馬道が大きなツヅラ折れを作りながら上って行く。木馬は路面に丸太を線路のように一定間隔に並べ、その上を木材を乗せたソリで運ぶ方法で当時は架線よりも安く建設できたようだ。ただ、軌道のようにレールがあるわけではないので、雨が降ると横滑りしてしまうため作業ができなかったり、人力で運ぶために運搬速度も遅く効率は良くなかったようだ。

[attachment=4]IMG_0122.jpg[/attachment]
 何度もツヅラ折れを繰り返す木馬道に飽きてきて、途中からショートカットして上っていく。石積みの木馬道が消えたあたりからは木の無いハーフパイプのような溝が頂上部に向かって真っすぐに伸びている。修羅にして木材を落したのだろうか。ここを上っていくと頂上部のツミバに着いた。当初は、樫山木馬道の起点の貯水槽あたりから二つの架線で木材を下していたが、効率を考えて大正7年にはツミバから貯水槽まで2つの架線を増設して合わせて4つの架線でツミバから猪ノ谷に下すようにしたそうだ。

 ツミバからは尾根の岩井谷側に岩井谷軌道が設けられトロッコが走っていたようなので追っていくが、いまいちはっきりしない感じだった。飯場跡によるとビンや茶碗などのかけらがたくさん落ちていた。その中でも、便ノ山と相賀と書かれた貧乏徳利が印象的だった。紀北町の便ノ山と相賀の酒屋で日本酒を買って飯場まで運んできた証拠で嬉しくなった。樫山に向かう道すがら不動谷側を通っていた岩井谷木馬道の痕跡を探したがよくわからなかった。

[attachment=1]IMG_0645.jpg[/attachment]
 広い山頂部から少し下った地点にある樫山に到着。三角点には錆びたちょうなの先が落ちていた。大台山林事業が大正11年に中止になるので、ツミバからの架線が開通してから4年間で終わりをつげることになる。当時、現役だった岩井谷軌道がはっきりせず、木材搬出という目的からはずされた樫山木馬道がしっかりと残っているのは皮肉と言える。それだけに樫山木馬道が地形をうまく使いしっかりと作られているということなのだろう。

[attachment=0]IMG_0667.jpg[/attachment]
 コンパスを合わせて南尾根を下りると、すぐにテープが出てきた。薄暗い常緑樹の尾根を750mぐらいまでは南に下り、それ以降は南東方向に尾根は向きをかえる。テープがしっかりついているので尾根芯さえはずさなければ迷うことはない。500m地点に石垣があり400mで古道が横切る。古道を横切るとすぐに右側に植林が出てくるので植林との境目を下って行くと荒れ果てた銚子川の堰堤上部に着く。水の無い河原を歩き対岸をひと上りで林道、あとは駐車地まで歩くだけだ。林道からは樫山が見えるが、岩尾根だらけでまともに取りつける所など無い感じだ。取りつけるのは上った発電所の尾根と下った南尾根ぐらいだろう。それにしてもよくこんな所に木馬道を作ったもんだと、思わずにはいられなかった。
添付ファイル
樫山周辺
樫山周辺
飯場跡の貧乏徳利
飯場跡の貧乏徳利
樫山木馬道
樫山木馬道
炭窯跡
炭窯跡
木馬
木馬
シュークリーム
記事: 2062
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】先人の知恵  樫山木馬道 こんな所に道が!

投稿記事 by シュークリーム »

わりばしさん、こんばんは。
最近は順調に山歩きをしていますね。
私はこのところ家の用事があったり、山に雪がなかったりで、山へのモチベーションがちょっと下降気味です。
この連休は雪が恋しくてスキーに行ったら、腰痛が再発しました :?


 海山ICで下りて、相賀から銚子川沿いに進み木津。ここから林道を進み銚子川第二発電所駐車場に停めると、目の前に発電所のパイプが真っ直ぐに急斜面を駆け上がっていた。吊り橋を渡ると発電所で、ここからジグザグ道を進む。ブロックとセメントで作られているが下部はガレで埋め尽くされている所も多く、歩きにくい。昔は発電所用に使われていたみたいで、手すりがあったりする。おとなしめに石を落しながら猪の親子が5匹通りすぎて行った。

樫山へ行かれましたか。発電所前の林道から眺めるとあんなところに道があるなんてとても信じられませんが、中に入ってみると昔の生活の匂いがプンプンしていますよね。
発電所のあたりはイノシシ天国みたいで、いつもぷっくりと肥えたイノシシにあいます。ウリ坊は可愛いですよね。


 水槽から左に向かう道は木馬道で石積みが残っている。しっかり残っており快適に進んで行くと大きな炭窯跡。その先の小谷で道は消えるが、このあたりでは珍しい対岸の杉の木を目当てに進んで行くと再び道があらわれた。その先の枯れた杉の大木からは二重三重に石積みがあり、ツヅラ折れで道は上っていく。尾根を回り込むとガレた谷に出て、その先には石積みの平坦地があった。zippさんの書いていた左岸の炭窯はガレで埋もれたようだ。

一体に、このあたりの炭焼き窯は大きくて立派ですね。この辺りも備長炭を焼いていたんだろうか。

 石積みの道が続きだすと、突然青いビニールテープがあらわれる。ここまでの木馬道にはマーキングはまったく無いが、ここからビニールテープが続く。シュークリームさんはここを下りてえらい目にあったんだ。

ロープを持っていたんで、つい降りて行ってしまいました。ロープがなければ元の道に引き返すところなんですけどね。あそこらへんは岩嵓が多くて、下手するとロープでも降りられない可能性があるので、あまり褒められた行動ではないですね。

林道からは樫山が見えるが、岩尾根だらけでまともに取りつける所など無い感じだ。取りつけるのは上った発電所の尾根と下った南尾根ぐらいだろう。それにしてもよくこんな所に木馬道を作ったもんだと、思わずにはいられなかった。

ほんとにね。あんなところによく木馬道をつけたもんだと思います。
大台ケ原から南側は、稜線に上がるまでは人を寄せ付けない大渓谷や岩嵓が連なっていますが、一旦稜線に上がって仕舞えばなだらかで、のんびり歩くにはいいところです。私はこのあたりが好きで何度かテント泊をしました。樫山に至る稜線も大好きですね。

昨年10月に銚子川第二発電所から光谷に至る白倉林道を歩きましたが、あんな急峻な岩嵓地帯を素掘りのトンネルを掘りながら林道を通すなんてすごいと思いました。当時は木材の価値がそれだけ高かったんでしょうね。今では考えられないことです。
銚子川第二発電所から奥もわりばしさんにとって色々面白いと思うので、機会があったらまた歩いてくださいませ。
                         @シュークリーム@
zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】先人の知恵  樫山木馬道 こんな所に道が!

投稿記事 by zipp »


 わりばしさん、こんばんは。

ここから林道を進み銚子川第二発電所駐車場に停めると、目の前に発電所のパイプが真っ直ぐに急斜面を駆け上がっていた。
 わりばしさん、白倉林道に入るのは初めてかな?
 水力発電所の遺物にトロッコ道の遺物がここまででも散見できたでしょう。

ここからジグザグ道を進む。ブロックとセメントで作られているが下部はガレで埋め尽くされている所も多く、歩きにくい。昔は発電所用に使われていたみたいで、手すりがあったりする。おとなしめに石を落しながら猪の親子が5匹通りすぎて行った。
 この道、一切整備放棄していますねぇ、中部電力。
そしてこの界隈、ホンマイノシシが多い。樫やシイの実が豊富ですもんね。

 発電所の貯水槽に着くと、突然ブーブーという警笛音が鳴りだした。すると水槽のチェーンが動きだし水を流し始めた。水を流す際の警告ブザーのようで、自然豊かな場所での機械音は違和感があり驚いた。
 違法侵入者の警告音じゃなくって良かったですね~ :mrgreen:
ここまで登らずとも、ジグザグ道から道が派生していますよ。

その先の小谷で道は消えるが、このあたりでは珍しい対岸の杉の木を目当てに進んで行くと再び道があらわれた。
 小谷の手前から例の青ビニール紐氏が上にマーキングしてたのを思い出しました。

尾根を回り込むとガレた谷に出て、その先には石積みの平坦地があった。zippさんの書いていた左岸の炭窯はガレで埋もれたようだ。
 この平坦地はしゅくしゃでもあったんかな?茶碗とか落ちてと思ったけど。
この谷筋も荒れたんですね。

 何度もツヅラ折れを繰り返す木馬道に飽きてきて、途中からショートカットして上っていく。
木馬道をショーッとカットする道もあったでしょ?
また、途中で終わってしまったような木馬道もあったと思う。

石積みの木馬道が消えたあたりからは木の無いハーフパイプのような溝が頂上部に向かって真っすぐに伸びている。修羅にして木材を落したのだろうか。
 修羅でしょうね。

当初は、樫山木馬道の起点の貯水槽あたりから二つの架線で木材を下していたが、効率を考えて大正7年にはツミバから貯水槽まで2つの架線を増設して合わせて4つの架線でツミバから猪ノ谷に下すようにしたそうだ。
 貯水槽から岩尾根を登るとその跡らしきものも追えますよ(^^)。

 ツミバからは尾根の岩井谷側に岩井谷軌道が設けられトロッコが走っていたようなので追っていくが、いまいちはっきりしない感じだった。
 ん?トロッコ道は14年に辿っているけど、はっきりしてたよ。
ただ、はじめて辿った時より、谷筋二ヵ所で大きく崩壊してましたが。架線場までは辿れるはずです。

飯場跡によるとビンや茶碗などのかけらがたくさん落ちていた。その中でも、便ノ山と相賀と書かれた貧乏徳利が印象的だった。紀北町の便ノ山と相賀の酒屋で日本酒を買って飯場まで運んできた証拠で嬉しくなった。
 この飯場跡の遺物は拾って集められてたでしょ。当時のモルヒネなどを含有していた藍色の神薬小瓶が結構ありました。酒屋の貸徳利を「貧乏徳利」と云うのを初めて知りましたよ。

樫山に向かう道すがら不動谷側を通っていた岩井谷木馬道の痕跡を探したがよくわからなかった。
 この飯場の近くを通ってたんじゃなかったかな?

 広い山頂部から少し下った地点にある樫山に到着。三角点には錆びたちょうなの先が落ちていた。
新版の国土地理院の地図には、この三角点が抹消されている(^^;。

当時、現役だった岩井谷軌道がはっきりせず、木材搬出という目的からはずされた樫山木馬道がしっかりと残っているのは皮肉と言える。それだけに樫山木馬道が地形をうまく使いしっかりと作られているということなのだろう。
 トロッコ道はハッキリしてますよ。これは、もう一度わりばしさんは、岩尾根から行ってもらわないといけないなぁ :lol:

500m地点に石垣があり400mで古道が横切る。
 この古道、仁井田長群が木津の案内人を雇い大台ケ原に登った道、武四郎翁が最初に大台ケ原に登った時下りに使おうとしたが、少々迷いつつも使った道ではないかと推測しています。

植林との境目を下って行くと荒れ果てた銚子川の堰堤上部に着く。水の無い河原を歩き
 この不動谷左岸の二の俣林鉄跡を少しでも探ればいいものを :roll:

林道からは樫山が見えるが、岩尾根だらけでまともに取りつける所など無い感じだ。取りつけるのは上った発電所の尾根と下った南尾根ぐらいだろう。
 是非今度は、岩井軌道を見に発電所の岩尾根を登られたし :D

[attachment=0]ZIPP1234_800.jpg[/attachment]
添付ファイル
石積みされた岩井軌道。
石積みされた岩井軌道。
   zipp
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わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】先人の知恵  樫山木馬道 こんな所に道が!

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、シュークリームさん。

私はこのところ家の用事があったり、山に雪がなかったりで、山へのモチベーションがちょっと下降気味です。
この連休は雪が恋しくてスキーに行ったら、腰痛が再発しました :?


1年間フル稼働でしたから、休養期間ということかな? :mrgreen:

 海山ICで下りて、相賀から銚子川沿いに進み木津。ここから林道を進み銚子川第二発電所駐車場に停めると、目の前に発電所のパイプが真っ直ぐに急斜面を駆け上がっていた。吊り橋を渡ると発電所で、ここからジグザグ道を進む。ブロックとセメントで作られているが下部はガレで埋め尽くされている所も多く、歩きにくい。昔は発電所用に使われていたみたいで、手すりがあったりする。おとなしめに石を落しながら猪の親子が5匹通りすぎて行った。

樫山へ行かれましたか。発電所前の林道から眺めるとあんなところに道があるなんてとても信じられませんが、中に入ってみると昔の生活の匂いがプンプンしていますよね。
発電所のあたりはイノシシ天国みたいで、いつもぷっくりと肥えたイノシシにあいます。ウリ坊は可愛いですよね。


今回も2回会いました。全部で10頭以上かな。
少し大きめのウリ坊でした。

 水槽から左に向かう道は木馬道で石積みが残っている。しっかり残っており快適に進んで行くと大きな炭窯跡。その先の小谷で道は消えるが、このあたりでは珍しい対岸の杉の木を目当てに進んで行くと再び道があらわれた。その先の枯れた杉の大木からは二重三重に石積みがあり、ツヅラ折れで道は上っていく。尾根を回り込むとガレた谷に出て、その先には石積みの平坦地があった。zippさんの書いていた左岸の炭窯はガレで埋もれたようだ。

一体に、このあたりの炭焼き窯は大きくて立派ですね。この辺りも備長炭を焼いていたんだろうか。

たしかに高くて立派な窯でした。
索道で炭も運んだようなので、けっこうは生産量だったのでしょうね。
木馬道
木馬道
 石積みの道が続きだすと、突然青いビニールテープがあらわれる。ここまでの木馬道にはマーキングはまったく無いが、ここからビニールテープが続く。シュークリームさんはここを下りてえらい目にあったんだ。
ロープを持っていたんで、つい降りて行ってしまいました。ロープがなければ元の道に引き返すところなんですけどね。あそこらへんは岩嵓が多くて、下手するとロープでも降りられない可能性があるので、あまり褒められた行動ではないですね。

林道から見ると息詰まる危険性もあったような。
銚子川第二発電所
銚子川第二発電所
林道からは樫山が見えるが、岩尾根だらけでまともに取りつける所など無い感じだ。取りつけるのは上った発電所の尾根と下った南尾根ぐらいだろう。それにしてもよくこんな所に木馬道を作ったもんだと、思わずにはいられなかった。

ほんとにね。あんなところによく木馬道をつけたもんだと思います。
大台ケ原から南側は、稜線に上がるまでは人を寄せ付けない大渓谷や岩嵓が連なっていますが、一旦稜線に上がって仕舞えばなだらかで、のんびり歩くにはいいところです。私はこのあたりが好きで何度かテント泊をしました。樫山に至る稜線も大好きですね。

昨年10月に銚子川第二発電所から光谷に至る白倉林道を歩きましたが、あんな急峻な岩嵓地帯を素掘りのトンネルを掘りながら林道を通すなんてすごいと思いました。当時は木材の価値がそれだけ高かったんでしょうね。今では考えられないことです。
銚子川第二発電所から奥もわりばしさんにとって色々面白いと思うので、機会があったらまた歩いてくださいませ。


樫山より先は歩いていないので、また行ってみたいな。
高速で近くなったし、なかなか楽しめそうな所です。
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わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】先人の知恵  樫山木馬道 こんな所に道が!

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、zippさん。

ここから林道を進み銚子川第二発電所駐車場に停めると、目の前に発電所のパイプが真っ直ぐに急斜面を駆け上がっていた。
 わりばしさん、白倉林道に入るのは初めてかな?
 水力発電所の遺物にトロッコ道の遺物がここまででも散見できたでしょう。

白倉林道は初めてです。
林道に古和谷林道と同じくトロッコレールのふたがありました。
レール製のふた
レール製のふた
ここからジグザグ道を進む。ブロックとセメントで作られているが下部はガレで埋め尽くされている所も多く、歩きにくい。昔は発電所用に使われていたみたいで、手すりがあったりする。おとなしめに石を落しながら猪の親子が5匹通りすぎて行った。
 この道、一切整備放棄していますねぇ、中部電力。
そしてこの界隈、ホンマイノシシが多い。樫やシイの実が豊富ですもんね。

この日だけで、10頭以上見ました。
鹿は2頭だけでした。

尾根を回り込むとガレた谷に出て、その先には石積みの平坦地があった。zippさんの書いていた左岸の炭窯はガレで埋もれたようだ。
 この平坦地はしゅくしゃでもあったんかな?茶碗とか落ちてと思ったけど。
この谷筋も荒れたんですね。

ここの谷筋は荒れていてzippさんが行った時とは雰囲気が違うんじゃないかな。

 何度もツヅラ折れを繰り返す木馬道に飽きてきて、途中からショートカットして上っていく。
木馬道をショーッとカットする道もあったでしょ?
また、途中で終わってしまったような木馬道もあったと思う。

途中で終わってしまったような木馬道はありました。
ショートカットする道がいまいちはっきりしなかったんです。


石積みの木馬道が消えたあたりからは木の無いハーフパイプのような溝が頂上部に向かって真っすぐに伸びている。修羅にして木材を落したのだろうか。
 修羅でしょうね。

ここだけは見事に木が生えていませんでした。

当初は、樫山木馬道の起点の貯水槽あたりから二つの架線で木材を下していたが、効率を考えて大正7年にはツミバから貯水槽まで2つの架線を増設して合わせて4つの架線でツミバから猪ノ谷に下すようにしたそうだ。
 貯水槽から岩尾根を登るとその跡らしきものも追えますよ(^^)。

場所的にそうでしょうね。

 ツミバからは尾根の岩井谷側に岩井谷軌道が設けられトロッコが走っていたようなので追っていくが、いまいちはっきりしない感じだった。
 ん?トロッコ道は14年に辿っているけど、はっきりしてたよ。
ただ、はじめて辿った時より、谷筋二ヵ所で大きく崩壊してましたが。架線場までは辿れるはずです。

辿れるんですが、石積みのような明確な構造物が見つけられなかったんです。
トロッコ道
トロッコ道
飯場跡によるとビンや茶碗などのかけらがたくさん落ちていた。その中でも、便ノ山と相賀と書かれた貧乏徳利が印象的だった。紀北町の便ノ山と相賀の酒屋で日本酒を買って飯場まで運んできた証拠で嬉しくなった。
 この飯場跡の遺物は拾って集められてたでしょ。当時のモルヒネなどを含有していた藍色の神薬小瓶が結構ありました。酒屋の貸徳利を「貧乏徳利」と云うのを初めて知りましたよ。

目立つ神薬の瓶はかけらだけで、形のあるものは無かったです。

樫山に向かう道すがら不動谷側を通っていた岩井谷木馬道の痕跡を探したがよくわからなかった。
 この飯場の近くを通ってたんじゃなかったかな?

そうなんです。
でもはっきりしなかったですね。

 広い山頂部から少し下った地点にある樫山に到着。三角点には錆びたちょうなの先が落ちていた。
新版の国土地理院の地図には、この三角点が抹消されている(^^;。

そうなんですか。
まあ、変わった場所の三角点ですが・・

当時、現役だった岩井谷軌道がはっきりせず、木材搬出という目的からはずされた樫山木馬道がしっかりと残っているのは皮肉と言える。それだけに樫山木馬道が地形をうまく使いしっかりと作られているということなのだろう。
 トロッコ道はハッキリしてますよ。これは、もう一度わりばしさんは、岩尾根から行ってもらわないといけないなぁ :lol:

トロッコ道は今後のお楽しみに取っておきます。
岩尾根を押しますねえ。 :mrgreen:

500m地点に石垣があり400mで古道が横切る。
 この古道、仁井田長群が木津の案内人を雇い大台ケ原に登った道、武四郎翁が最初に大台ケ原に登った時下りに使おうとしたが、少々迷いつつも使った道ではないかと推測しています。

歴史が古いだけに、おもしろそうですね。
古道
古道
植林との境目を下って行くと荒れ果てた銚子川の堰堤上部に着く。水の無い河原を歩き
 この不動谷左岸の二の俣林鉄跡を少しでも探ればいいものを :roll:

そうか、ここを通っていたのだった。 :oops:

林道からは樫山が見えるが、岩尾根だらけでまともに取りつける所など無い感じだ。取りつけるのは上った発電所の尾根と下った南尾根ぐらいだろう。
 是非今度は、岩井軌道を見に発電所の岩尾根を登られたし :D

岩尾根を押しますねえ・・・ :lol:
アバター
わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】先人の知恵  樫山木馬道 こんな所に道が!

投稿記事 by わりばし »

樫山の飯場跡で桃とトンボのエンボスの入った小瓶を持ち帰りました。
調べてみると、大阪の桃谷順天館の証であることがわかりました。

[attachment=0]IMG_0689.jpg[/attachment]
[attachment=1]IMG_0682.jpg[/attachment]
どうやら大正3年発売の桃谷順天館「白色(はくしょく)美顔水」もしくは「肌色美顔水」か同年代に出された「ユーマー」という化粧品のようです。
この会社は当時ニキビ取り薬で儲けたようで、大正時代の飯場の若者もお肌には気を使っていたようです。
添付ファイル
小瓶
小瓶
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桃とトンボのエンボス
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