おそらくヤブネットの中でも群を抜いて勉強不足で冬山に対する知識がなく、条件のいい時の3000m級の山を数えられるほどしか(夏場富士山2回、御嶽山1回、11月初旬白山1回)登ったことがなく、今回の遭難状況を十分検証できる材料も持ち合わせているわけでも分析できる能力もない私が書き込むこと自体、僭越の誹りを免れないことなのでしょうが、近場で遭難事案(Nさんなど)が発生していることもあり、失礼します。
亡くなられた8人のうち、白馬岳付近の1グループ6人は主として60~70代のお医者さん、涸沢岳付近の1名は71歳男性で山岳会所属40年の登山歴を持つ方、爺ヶ岳付近の1名は単独、ツアー含め週一で15年ほどの登山歴のある62歳の女性のようです。
共通しているのは、風雪が大変厳しい状況であったこと、主稜線(尾根)沿いで亡くなっている、遠くから遠征している(順に北九州、福岡、大阪市)ことなどだろうか。
涸沢岳のケースは、福岡市6人グループのうちの一人が低体温症の症状が出始めたこともあり、中でもベテランの方が山荘へ救助要請しに行く途中で亡くなった様子。
グループ全員山岳会に入ってみえ、装備も十分だったとのこと。
推測だが、亡くなられた方は責任感が非常に強く、グループの生死は自分にすべてかかっている、這いずってでも山荘に辿りつかねばという悲壮な覚悟のもとの行動の末だったと考えられる。
残された5人の方はどのように風雪をしのがれたのだろう。雪洞やテントの中で発見されたという記事がないところをみると、直接風が当たらないところを選び、寄り添いツェルトをかぶり励ましあいながら一晩過ごされたのではないだろうか。
防寒装備は山岳会での知識や経験のもとしっかりあったのだろう。
爺ヶ岳のケースは、海外へ(キリマンジャロ)遠征した経験があるぐらいだから、山や気象、装備に関する勉強もし、自然の恐ろしさも認識していたと想像するが、メジャールートであること、5月に入っていること、前日までの良い天候などが、彼女をして油断させてしまったのだろうか。
携帯で山小屋に連絡が取れていたのに残念な結果になってしまった。
白馬岳のケースについては、記事によると装備に難があった様子。(TVニュースでは、すれ違った登山者の話では手袋さえもしていなかった方がいらっしゃった模様。)
3000m級のこの季節は天候急変により真冬の厳しさの中に放り込まれることもありうる。(3年前のトムラウシ遭難は7月。)
亡くなったメンバーはほとんど医者であり、低体温症に関する知識は素人の比ではないはず。
対処方法も知識の中では分かっていても装備が装備だけに如何ともしがたかったのだろう。
さて、今回の複数のケースで、テント、ツエルトがなくても雪洞という選択肢はなかったのだろうか?
山岳会に所属する方々のグループでもやらなかったわけだから、作業に困難な状況だったことは推測できる。
そもそも、私も雪洞という言葉は知っていても掘った経験がない以上どのくらい大変な作業なのかよくわからない。
まず、適地を探すのが容易ではない気がする。
適切な傾斜を持った斜面を利用するのが一般的なのだろうが、風雪厳しく目の前さえはっきりわからない中では無理だろう。
一方、竪穴式に掘り、有る程度の深さを掘ったところで水平方向に掘り進め居住空間を確保しようと思うと、30分、1時間程度ではできないだろう。
スコップもなく、強い風や降雪の中でやっていると急激な体力低下とともに低体温症への引き金にもなりかねないのではないか。
以上、今回生死を分けたのは、一番は装備、二番は寄り添い暖めあい励ましあえる仲間の存在というような気がしています。
願わくば、当日の天候状態を何らかの形で正確な情報として掴み、山行を控える英断をしていただきたかったが、長年の夢かないやっとの思いで遠くから来て、次にこれるかどうかもわからない中、やめる勇気を奮い立たせるのは容易なことではないのだろうか。
自分にあてはめてもせっかくここまできたのだからと無理することが結構あるので、宮指路さんの頂上を目の前にしての金糞岳撤退の勇気は素晴らしい(宮指路さん、引き合いに出してごめんなさい)と思うが、自分にはできないような気がする。
その代わり、単独行が多い私がいつも気にしているのは、一に天候、二に登山開始時間、三、四がなくて、五に体力。
最後にものを言うのは生命力というか体力と思っているので、体力維持は山屋にとって最も意識すべきことなのかなーと考えています。
とりとめなくなってしまいましたが、ヤブの皆さんが普段山行にあたり、最も意識してみえることがあれば教えて下さいませませ。
カッチャン

