【大和街道・伊賀街道】伊賀越道中双六の終焉 笠置から奈良へ

山行記、山の思い出、限定
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】 
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
返信する
シュークリーム
記事: 2188
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

【大和街道・伊賀街道】伊賀越道中双六の終焉 笠置から奈良へ

投稿記事 by シュークリーム »

昨年10月以来,奈良と東国を結ぶ大和街道を歩いている。大和街道は古い街道で,奈良に都があった頃には奈良と東国を結ぶ東海道であったらしい。7世紀の壬申の乱の時に,大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から美濃へ移動するためのルートとして使われたという。都が京都に移ると東海道は今の鈴鹿峠越えのルートになったらしい。

奈良から伊賀に抜ける道は一つではなく,幾つかのルートがあったらしい。例えば,柳生を抜けるルート(柳生街道),笠置に直接抜けるルート(笠置街道),加茂に抜けるルートなどである。伊賀から東に抜けるルートも一つではなく,伊賀から東海道関宿に抜けるルート(加太越奈良道)や伊勢の津に抜けるルート(伊賀街道)などがある。このように様々なルートがあるが,全てのルートで共通するのは伊賀上野を経由しているということである。したがって,ここでは大和街道・伊賀街道を統一的によぶ名称として「伊賀越えの道」という語を使うことにした。

伊賀上野は街道が集中する衢地(くち)であり,昔から様々な文化が流入し続けてきた地なのだろう。能の創始者である観阿弥,世阿弥や俳聖松尾芭蕉など日本を代表するような文化人を輩出したのは決して偶然ではなく,それをもたらすような地理的環境にあったことが一つの要因になっていたものと思われる。

余談だが,2025年は浄瑠璃作者近松半二の生誕300周年になるそうで,文楽や歌舞伎で半二の作品の上演が予定されているようだ。早速だが,正月の番組で「伊賀越道中双六」の沼津の段が放映されていた。これは,有名な荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ちを題材にした物語で,「伊賀越」という語が面白くて今回のタイトルに使わせてもらった。

ここでは大和街道・伊賀街道歩きの最終回となった1月8日の記録をレポするとともに,最後に歩きの全体の記録を書き出してみた。勝手な記録だが,自分なりの備忘録としてお許し願いたい。

【 日 付 】2025年1月8日(水) 歩行距離:20.1 km
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート】JR関駅 7:12 ---🚃--- 8:21 JR笠置駅 8:33 --- 8:42 遊歩道入口 --- 9:58 加茂町山田 --- 10:44 JR加茂駅 --- 14:05 JR奈良駅 14:20 ---🚃--- 15:59 JR関駅

前回,12月19日に笠置から笠置街道経由で奈良まで歩いたのだが,加茂からのルートがまだなので,加茂ルートを歩いてみることにした。奈良からの大和街道は加茂の北で木津川を左岸から右岸に渡っているらしい。その後は現在の国道163号線になるが,この道は交通量が激しく,歩道も整備されていないようなので,なるべく歩きたくない。
笠置駅前
笠置駅前
そこで,街道ではないが,前回見つけておいた笠置から山越えで加茂に至るルートを歩くことにした。JR笠置駅で降り,笠置街道を南に少し歩くと,「遊歩道 加茂駅まで8.5キロ」と書かれた案内板がある。この案内板に従って坂道を登っていく。道の脇には薬研掘と思われる人工の堀が散見される。この辺り一帯は南北朝時代の有名な笠置の古戦場なので,おそらくこの辺りの山一帯にこのような防御施設が築かれていたのだろう。
遊歩道入口
遊歩道入口
標高280mまで登ると目の前によく整備された茶畑が丘陵地帯一面に拡がっている。この辺りは宇治茶の産地なのだ。よく手入れされたお茶の棚が整然と並んでいる様子は美しく,このあたりの茶農家の熱心さが伝わってくる。
茶畑
茶畑
見渡す限りのお茶畑の間を散歩するのは気持ちよくて,国道歩きよりはずっといいと思った。お茶の丘陵地帯を過ぎると加茂町山田集落。昔の大和街道沿いの集落だが,今は主要な道路から外れていて,静かな山間の集落である。

加茂の街はかつての宿場町の風情が残っているらしいが,うっかりして通り過ぎてしまった。伊賀上野からの木津川は流れが緩やかで,京都や奈良からの物資の運搬に船を使っていたらしい。伊賀上野は山間の盆地であるが,孤立した存在ではなく,物資輸送の点からも京都や奈良と密接な関係にあったのだろう。

加茂から奈良までは一部の区間を除き,車道歩きとなった。それでも,消えかかった旧街道を歩く区間があったり,楽しい歩きだった。笠置の駅から約20キロ。1日の歩行距離としてはまあまあの距離を歩くことができた。
消えかかった古街道
消えかかった古街道
たまにはやぶこぎも
たまにはやぶこぎも
今回の歩きで,日帰りで歩くことのできる街道はほぼ歩きつくしたことになる。これからはまた山歩きに復帰しようか,どうしようか考えているところである。
季節外れのサクラ
季節外れのサクラ
以下に,伊賀越えの道で歩いた記録を抜き出してみた。今回の分を含めて総歩行距離は141キロになった。こんな記録を眺めながら自己満足に浸るのも悪くないと思った。歩きも楽しいが,今回は廃線の危機にある関西本線亀山〜加茂間のマッチ箱機関車にずいぶんお世話になった。路線存続のために微力は尽くせたかな?
関西本線のマッチ箱機関車
関西本線のマッチ箱機関車
【 日 付 】2024年10月17日(木) 歩行距離 18.0 km
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート】南2丁目バス停 8:03 ---🚌--- 平木 8:54 --- 9:23 長野宿東 --- 11:30 片田(昼食) 12:30 --- 13:43 谷川士清旧居 --- 13:51 自宅

【 日 付 】2024年10月23日(木) 歩行距離 26.1 km
【メンバー】単独
【 天 候 】曇り
【 ルート】津 8:03 ---🚌--- 平木 9:45 --- 10:35 長野峠 --- 11:48 平松宿 --- 14:16 平田宿 --- 16:25 伊賀鉄道広小路駅 16:34 ---🚃--- 18:00 近鉄津新町駅

【 日 付 】2024年10月31日(木) 歩行距離 25.9 km
【メンバー】単独
【 天 候 】うす曇り
【 ルート】道の駅関 6:49 --- 13:51 JR佐那具駅14:26 ---🚃--- 14:59 JR関駅

【 日 付 】2024年11月6日(水) 歩行距離 17.6 km
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ一時雨
【 ルート】JR佐那具駅7:23 ---🚃--- 7:38 JR島ヶ原駅 7:50 --- 10:26 鍵屋の辻 --- 11:05 伊賀上野城 11:59 --- 昼食 13:00 --- 14:38 JR佐那具駅

【 日 付 】2024年11月13日(水) 歩行距離 15.6 km
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート】JR佐那具駅7:23 ---🚃--- 7:38 JR島ヶ原駅 7:58 --- 8:48 伊賀・山城国境 --- 11:13 昼食休憩 11:45 --- 12:43 JR笠置駅 12:48 --- 13:25 JR佐那具駅

【 日 付 】2024年12月19日(木) 歩行距離 17.8 km
【メンバー】単独
【 天 候 】曇り時々晴れ,一時小雨
【 ルート】JR佐那具駅7:23 ---🚃--- 7:59 JR笠置駅 8:14 --- 12:24 東大寺 --- 12:45 昼食 13:15 --- 13:30 国立奈良博物館 15:20 --- 15:45 JR奈良駅 15:50 ---🚃--- 16:59 JR佐那具駅
                         @シュークリーム@
アバター
わりばし
記事: 1902
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【大和街道・伊賀街道】伊賀越道中双六の終焉 笠置から奈良へ

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、シュークリームさん。

昨年10月以来,奈良と東国を結ぶ大和街道を歩いている。大和街道は古い街道で,奈良に都があった頃には奈良と東国を結ぶ東海道であったらしい。7世紀の壬申の乱の時に,大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から美濃へ移動するためのルートとして使われたという。都が京都に移ると東海道は今の鈴鹿峠越えのルートになったらしい。

海路では明応の地震(1498年)までは安濃津(洞津)、それ以降は大湊が東国を結ぶ玄関口でした。

伊賀上野は街道が集中する衢地(くち)であり,昔から様々な文化が流入し続けてきた地なのだろう。能の創始者である観阿弥,世阿弥や俳聖松尾芭蕉など日本を代表するような文化人を輩出したのは決して偶然ではなく,それをもたらすような地理的環境にあったことが一つの要因になっていたものと思われる。

能も俳句もそうですもんね。


道の脇には薬研掘と思われる人工の堀が散見される。この辺り一帯は南北朝時代の有名な笠置の古戦場なので,おそらくこの辺りの山一帯にこのような防御施設が築かれていたのだろう。

南北朝時代のきっかけになった戦いですね。

加茂の街はかつての宿場町の風情が残っているらしいが,うっかりして通り過ぎてしまった。伊賀上野からの木津川は流れが緩やかで,京都や奈良からの物資の運搬に船を使っていたらしい。伊賀上野は山間の盆地であるが,孤立した存在ではなく,物資輸送の点からも京都や奈良と密接な関係にあったのだろう。

昔は川沿いの手間のかかる道より山越えの道が主流でしたからなおのことです。

今回の歩きで,日帰りで歩くことのできる街道はほぼ歩きつくしたことになる。これからはまた山歩きに復帰しようか,どうしようか考えているところである。

山にもいろんな楽しみ方があるので面白いと思いますが。

以下に,伊賀越えの道で歩いた記録を抜き出してみた。今回の分を含めて総歩行距離は141キロになった。こんな記録を眺めながら自己満足に浸るのも悪くないと思った。歩きも楽しいが,今回は廃線の危機にある関西本線亀山〜加茂間のマッチ箱機関車にずいぶんお世話になった。路線存続のために微力は尽くせたかな?

お疲れさまでした。
貴重な記録だと思います。
興味を持ったものにこだわるのが若さの秘訣かな?

                        わりばし
シュークリーム
記事: 2188
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【大和街道・伊賀街道】伊賀越道中双六の終焉 笠置から奈良へ

投稿記事 by シュークリーム »

わりばしさん,こんにちは。レスありがとうございます。

わりばしさんの影響で中上健次のことを知ることができ,熊野古道大辺路や伊勢路の歩きがより興味深くなりました。街道歩きを始めたのもわりばしさんの影響が多少あるのかもしれませんね。
今,これまでに歩いた行程を思い出しながら,自分なりに街道歩きの意味を問いかけ直しています。わりばしさんのようなマニアックな歩きはできませんが,自分なりに紀伊半島という土地の成り立ちについて歩きながら考えてみたいと思っています。


山にもいろんな楽しみ方があるので面白いと思いますが。

そうですね。グーさんみたいに山に寝に行くことはしたいと思っています。昔よくやってましたけど。

興味を持ったものにこだわるのが若さの秘訣かな?

新しいことにチャレンジすることは大事ですね。


                        
                         @シュークリーム@
返信する