【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

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わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2012年5月27日(日)
【山 域】鈴鹿
【コース】朝明P6:50---8:55国位鉱山---10:00オフ会場13:00---14:15小峠---16:43青川P
【メンバー】単独+α

 オフ会の場所を見て、国位鉱山と高昌鉱山が近いので鉱山めぐりをセットにすることにした。
 本日の朝明駐車場は盛況で、7時前だがもう十台以上停まっている。到着したグーさんにあいさつをし、出発する。蛭よけの長そでを着ているせいか熱い。根の平峠でバンダナを絞ると汗が大量にしたたった。峠からは高昌山やクラシが良く見え、今日の天気を約束してくれている。

 千種街道の歩きやすい新緑の道が続いており、ようやく汗も引いてきた。雪山ではトラバースした斜面にもしっかりとした道があり、コクイ谷出合の手前には、冬には無かった神崎川を渡る橋がかけられていた。

 最初に国位鉱山に向かう。国位鉱山については、大正3年には操業が停止された事はわかっているがそれまでのくわしい経緯はわかっていない。PCで検索してもハリマオさんのレポが上がってくるのみだ。出合からコクイ谷登山道の右岸を進み左岸に渡り再び右岸に渡った場所に石積みがある。ここには、炭焼窯のような窯跡と鉱石の焼窯のような四角の石組が残されている。ここを上っていくと上部にも石積みがある。近づいてみるとただの石積みではなく、連なった焼窯だった。三鉱谷の三神谷口にある連なった鉱石を製錬する焼窯と同じだ。日ノ岡などにも連窯は残っているが、これだけしっかり残っているのは三神谷口とここだけだろう。四連の焼窯で、三神谷口より規模は小さいものの石組としてはこちらの方がしっかりしている。記録には残っていないが、ある程度の採石量を期待して精錬所を作ったようだ。少し上ると高台に石積みがあり、何らかの建物があったようだ。ここからは対岸の高昌山とP872のがよく見えた。上部を探るが、鉱山跡らしき物は見つけられずに焼窯に戻ると通風山さんが現れた。武平峠からみえたようで、焼窯を一緒に見てオフ会場に向かった。

[attachment=4]IMG_5401.jpg[/attachment]
 1時間前の到着だが、緑水さんをはじめ何人か来ており、初参加のカッチャンとのんくんも交えてプレオフ会の開催となった。そのままの流れでオフ会に突入した。今回は常連の皆さんに、初参加の雨子庵さんに直登さんにキャッシーさんを加えて和気藹々とした雰囲気でいつの間にやら時間がたってしまった。そういえば、キャッシー中島っていたなあ・・別人で「キャッシーでございます」のキャッシーもいたよなあ・・

 名残惜しいが、高昌鉱山に向かう。オフ会場の西側尾根から猪子谷に下りる。赤茶けた岩床を上るとすぐに鉱山の石積みが見えてきた。高昌鉱山のある猪子谷の採掘が記録として出てくるのは江戸時代末の慶応4年からで、明治4年の「近江国物産図説」には5か所の坑口と3つの建物が画かれている。明治25年には高昌鉱山精錬所の操業がはじまり87人が働いていた記述がある。明治時代にはここに小学校もあったようで、それなりの規模の鉱山として操業していたようだ。

[attachment=2]IMG_5411.jpg[/attachment]
 石積みを上って行くと、段々畑のように石段が続いている。上部には茶碗や一升瓶などの生活用具にトロッコの車輪が残されていた。この場所の谷側には精錬のさいに出るくず鉄(カラミ)をうず高く積み上げたボタ山があった。この横には国位鉱山のような連窯ではないが、四角に掘られた石積みのスペースがありここで精錬をしたようだ。そして、この上部には1本だけ大木が残されており、これが鉱山の鎮守の木なのだろう。

[attachment=3]IMG_5410.jpg[/attachment]
[attachment=1]IMG_5423.jpg[/attachment]
 この左手には石積みがなおも続き、住居跡がある。これまでの石積みとは違い、小屋のスペースに応じた小さな平地と石積みが何重にも続いている。右手のスペースに精錬所などの大規模な建物があり左手のスペースが住居となっていたようだ。新たなボタ山を見ながら住居跡を上っていくと最上部に大規模なかまどの跡がある。そういえばここの住居跡にはかまどの跡は無かった。どうやら最上部のかまどで一括して食事などを作っていたようだ。かまどの上には精錬の焼窯が残されていた。右手の精錬所跡と最上部の焼窯は時代が違うようで、最上部の焼窯の方が時代が新しくしっかりしていた。

[attachment=0]IMG_5429.jpg[/attachment]
 ここからは山の斜面を上り、しばらくすると尾根上に赤テープが見えた。P872の尾根にはたくさんの赤テープがつけられており、以前より多く歩かれているようだった。小峠から上水晶谷の出合に向かい、上りかえして根の平峠に着くとカサヤさんグループと中野さん夫婦がみえた。

 駐車場に着くと、グーさんの車のドアに鍵がささったままになっている。ワイルドだぜー。この状態で、朝から放置されていたようだ。ドアの鍵を運転席の上に置きドアを閉めておいた。グーさんすぐにわかりました?
添付ファイル
かまど跡
かまど跡
松竹梅のお猪口
松竹梅のお猪口
カラミのボタ山
カラミのボタ山
トロッコの車輪と生活用具
トロッコの車輪と生活用具
国位鉱山の焼窯
国位鉱山の焼窯
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通風山
管理人
記事: 942
登録日時: 2011年2月11日(金) 08:12
お住まい: 愛知県常滑市

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by 通風山 »

わりばしさん、こんばんは。
昨日は楽しい道中でした。
わりばし さんが書きました:鉱山跡らしき物は見つけられずに焼窯に戻ると通風山さんが現れた。武平峠からみえたようで、焼窯を一緒に見てオフ会場に向かった。
あそこの下を通るのは3回目ぐらいだったんですが、まさかあの石垣が焼き窯(溶鉱炉?)だったとは気づきませんでした。てっきり砂防か土留めか住居跡かと思って何気なく通り過ぎてしまってます。
わりばしさんにお会いしたことで、またひとつ鈴鹿のマニアックな部分に触れることができました。
地名についても面白いもので。「コクイ」は「国位」なんですか?
想像力豊かなぼくは、「地獄谷」もあるんだから「子喰谷」かなとか恐ろしく思っていました。
鉱山跡があると「国威谷」でもいいような気がしますね。
最近ではオゾ谷で焼き釜を見ましたが、あそこの釜も数が多いですね。穴もいっぱいあるし。
しかし、博学というかなんというか、おそれいりました。

おかげで楽しい道中になりました。ありがとうございました。
またいろいろ教えてくださいね。

         通風山
通風山
宮指路
記事: 1008
登録日時: 2011年2月27日(日) 21:13

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by 宮指路 »

わりばしさん、こんばんは

オフ会の場所を見て、国位鉱山と高昌鉱山が近いので鉱山めぐりをセットにすることにした。

さすがわりばしさん、この辺りに行くなら鉱山跡は外せません。
しかしコクイ鉱山跡は初めて耳にしました。

千種街道の歩きやすい新緑の道が続いており、ようやく汗も引いてきた。雪山ではトラバースした斜面にもしっかりとした道があり、

ここは2月に通過した時、テカテカに凍っていて下は滑り台のようで緊張しました。

 最初に国位鉱山に向かう。国位鉱山については、大正3年には操業が停止された事はわかっているがそれまでのくわしい経緯はわかっていない。PCで検索してもハリマオさんのレポが上がってくるのみだ。出合からコクイ谷登山道の右岸を進み左岸に渡り再び右岸に渡った場所に石積みがある。

そんな場所にあったんですね

ここには、炭焼窯のような窯跡と鉱石の焼窯のような四角の石組が残されている。ここを上っていくと上部にも石積みがある。近づいてみるとただの石積みではなく、連なった焼窯だった。三鉱谷の三神谷口にある連なった鉱石を製錬する焼窯と同じだ。
日ノ岡などにも連窯は残っているが、これだけしっかり残っているのは三神谷口とここだけだろう。四連の焼窯で、三神谷口より規模は小さいものの石組としてはこちらの方がしっかりしている。


こんなにしっかり窯が残っているのに記録がないのは不思議ですね。


記録には残っていないが、ある程度の採石量を期待して精錬所を作ったようだ。少し上ると高台に石積みがあり、何らかの建物があったようだ。ここからは対岸の高昌山とP872のがよく見えた。上部を探るが、鉱山跡らしき物は見つけられずに焼窯に戻ると通風山さんが現れた。武平峠からみえたようで、焼窯を一緒に見てオフ会場に向かった。

7人山からの通り道になっているのですね。

 1時間前の到着だが、緑水さんをはじめ何人か来ており、初参加のカッチャンとのんくんも交えてプレオフ会の開催となった。そのままの流れでオフ会に突入した。

どおりで早く出来あがっていた訳だ

今回は常連の皆さんに、初参加の雨子庵さんに直登さんにキャッシーさんを加えて和気藹々とした雰囲気でいつの間にやら時間がたってしまった。そういえば、キャッシー中島っていたなあ・・

お歳が知れますなぁ~

別人で「キャッシーでございます」のキャッシーもいたよなあ・・

Kasayaさんのお連れさんで、緑水さんのお目に適った美女のこと?

名残惜しいが、高昌鉱山に向かう。オフ会場の西側尾根から猪子谷に下りる。赤茶けた岩床を上るとすぐに鉱山の石積みが見えてきた。高昌鉱山のある猪子谷の採掘が記録として出てくるのは江戸時代末の慶応4年からで、明治4年の「近江国物産図説」には5か所の坑口と3つの建物が画かれている。明治25年には高昌鉱山精錬所の操業がはじまり87人が働いていた記述がある。明治時代にはここに小学校もあったようで、それなりの規模の鉱山として操業していたようだ。

さすが、良く調べられていますね
小学校があったのは御池鉱山跡の方ではなかったでしょうか

 石積みを上って行くと、段々畑のように石段が続いている。上部には茶碗や一升瓶などの生活用具にトロッコの車輪が残されていた。この場所の谷側には精錬のさいに出るくず鉄(カラミ)をうず高く積み上げたボタ山があった。

これは目立ちますね。治田鉱山跡よりはかなり新しいと感じられます。
そう言えば日曜日の22時に四日市CTYの「メモリー記憶帳をつくる旅」という番組で治田鉱山の特集をやっていました。


この横には国位鉱山のような連窯ではないが、四角に掘られた石積みのスペースがありここで精錬をしたようだ。そして、この上部には1本だけ大木が残されており、これが鉱山の鎮守の木なのだろう。

この枯れた大きな木も目立ちます。

新たなボタ山を見ながら住居跡を上っていくと最上部に大規模なかまどの跡がある。そういえばここの住居跡にはかまどの跡は無かった。どうやら最上部のかまどで一括して食事などを作っていたようだ。かまどの上には精錬の焼窯が残されていた。右手の精錬所跡と最上部の焼窯は時代が違うようで、最上部の焼窯の方が時代が新しくしっかりしていた。

プロは見るところが違いますね
DSC02147.JPG
DSC02152.JPG

 駐車場に着くと、グーさんの車のドアに鍵がささったままになっている。ワイルドだぜー。この状態で、朝から放置されていたようだ。ドアの鍵を運転席の上に置きドアを閉めておいた。グーさんすぐにわかりました?

私これと同じことを一回やったことがあります。
さらに言うなら助手席側の窓ガラスを全部下ろしたまま2日間放置したこともあります。
それ以来、出発する時は必ず確認するようにしました。

                                                        宮指路

                            
アバター
わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、通風山さん。
司会に企画ありがとうございました。


あそこの下を通るのは3回目ぐらいだったんですが、まさかあの石垣が焼き窯(溶鉱炉?)だったとは気づきませんでした。てっきり砂防か土留めか住居跡かと思って何気なく通り過ぎてしまってます。
わりばしさんにお会いしたことで、またひとつ鈴鹿のマニアックな部分に触れることができました。

ただの石積みに見えますもんね。
焼窯は鉱石を精錬した場所ですので溶鉱炉です。
運びやすくするために精錬したんですね。
とはいうものの純度は高くないので、大規模な精錬所で再度精錬していました。

緑水さんいわく神崎川沿いで山師の幽霊に遭遇したようです。
女郎屋ももう少し下流にあったようですね。


地名についても面白いもので。「コクイ」は「国位」なんですか?
想像力豊かなぼくは、「地獄谷」もあるんだから「子喰谷」かなとか恐ろしく思っていました。
鉱山跡があると「国威谷」でもいいような気がしますね。
国位鉱山の焼窯の口
国位鉱山の焼窯の口
役所に提出された文書には国位と書かれています。
どうも「コクイ」という呼び名の当て字のようです。
日清・日露戦争に突入したあたりの時代なので、国威発揚って感じだったんだろうけど採掘量はいまいちだったようです。

国位鉱山の高台の石積み
国位鉱山の高台の石積み
最近ではオゾ谷で焼き釜を見ましたが、あそこの釜も数が多いですね。穴もいっぱいあるし。

オゾ谷は通った事があるのですが、ちゃんと見てないなあ。
時代が同じだからそれなりの規模の焼窯もあったんでしょうね。
次回のオフ会を楽しみにしています。
たんぽぽ
記事: 709
登録日時: 2011年2月20日(日) 11:54

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by たんぽぽ »

わりばしさん、こんばんは。

オフ会の場所を見て、国位鉱山と高昌鉱山が近いので鉱山めぐりをセットにすることにした。
鉱山めぐりとはわりばしさん〇△×怪獣みたいに何か鉱物食べて大きくなってんの?
鉱山ではナニ採ってたんやろ、漫癌でも採れたんやろかねェ。

次は紅葉の鈴鹿の森でお会いしましょう!
お疲れさまでした。
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わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、宮指路さん。

オフ会の場所を見て、国位鉱山と高昌鉱山が近いので鉱山めぐりをセットにすることにした。

さすがわりばしさん、この辺りに行くなら鉱山跡は外せません。
しかしコクイ鉱山跡は初めて耳にしました。

国位鉱山は、高昌鉱山と比べて操業されていた期間が短かったのであまり知られていないのかもしれません。

千種街道の歩きやすい新緑の道が続いており、ようやく汗も引いてきた。雪山ではトラバースした斜面にもしっかりとした道があり、

ここは2月に通過した時、テカテカに凍っていて下は滑り台のようで緊張しました。

宮指路さんも同じように感じましたか。
道ってすごいですよね。


 最初に国位鉱山に向かう。国位鉱山については、大正3年には操業が停止された事はわかっているがそれまでのくわしい経緯はわかっていない。PCで検索してもハリマオさんのレポが上がってくるのみだ。出合からコクイ谷登山道の右岸を進み左岸に渡り再び右岸に渡った場所に石積みがある。

そんな場所にあったんですね

ハリマオさんのレポを読んで追っかけていきました。

ここには、炭焼窯のような窯跡と鉱石の焼窯のような四角の石組が残されている。ここを上っていくと上部にも石積みがある。近づいてみるとただの石積みではなく、連なった焼窯だった。三鉱谷の三神谷口にある連なった鉱石を製錬する焼窯と同じだ。
日ノ岡などにも連窯は残っているが、これだけしっかり残っているのは三神谷口とここだけだろう。四連の焼窯で、三神谷口より規模は小さいものの石組としてはこちらの方がしっかりしている。


こんなにしっかり窯が残っているのに記録がないのは不思議ですね。

日清・日露戦争の国威発揚の時期ですから、イケイケどんどんで精錬所を作ったんじゃないかな?
掘ってみたら、あんまり出てこなかったって事なのかな?


記録には残っていないが、ある程度の採石量を期待して精錬所を作ったようだ。少し上ると高台に石積みがあり、何らかの建物があったようだ。ここからは対岸の高昌山とP872のがよく見えた。上部を探るが、鉱山跡らしき物は見つけられずに焼窯に戻ると通風山さんが現れた。武平峠からみえたようで、焼窯を一緒に見てオフ会場に向かった。

7人山からの通り道になっているのですね。

武平峠からのコクイ谷登山道です。通風山さんは三人組とは分かれてオフ会場に向かっていました。

 1時間前の到着だが、緑水さんをはじめ何人か来ており、初参加のカッチャンとのんくんも交えてプレオフ会の開催となった。そのままの流れでオフ会に突入した。

どおりで早く出来あがっていた訳だ。

ハハハ・・懐かしい面々にあって気分が高揚しておりました。 :lol:

今回は常連の皆さんに、初参加の雨子庵さんに直登さんにキャッシーさんを加えて和気藹々とした雰囲気でいつの間にやら時間がたってしまった。そういえば、キャッシー中島っていたなあ・・

お歳が知れますなぁ~

別人で「キャッシーでございます」のキャッシーもいたよなあ・・

Kasayaさんのお連れさんで、緑水さんのお目に適った美女のこと?

そうです、緑水さん好みのkasayaさんの同級生です。 :!:
「キャッシーでございます」のキャッシーは、佐良 直美がらみのキャッシーで、変○コンビなら知ってるんじゃないかな?

高昌鉱山の住居跡
高昌鉱山の住居跡
名残惜しいが、高昌鉱山に向かう。オフ会場の西側尾根から猪子谷に下りる。赤茶けた岩床を上るとすぐに鉱山の石積みが見えてきた。高昌鉱山のある猪子谷の採掘が記録として出てくるのは江戸時代末の慶応4年からで、明治4年の「近江国物産図説」には5か所の坑口と3つの建物が画かれている。明治25年には高昌鉱山精錬所の操業がはじまり87人が働いていた記述がある。明治時代にはここに小学校もあったようで、それなりの規模の鉱山として操業していたようだ。

さすが、良く調べられていますね
小学校があったのは御池鉱山跡の方ではなかったでしょうか

時代としては、御池鉱山より高昌鉱山の方が古く明治時代まではここに鉱山小学校はあったようです。
大正になって御池鉱山に移ったようです。


 石積みを上って行くと、段々畑のように石段が続いている。上部には茶碗や一升瓶などの生活用具にトロッコの車輪が残されていた。この場所の谷側には精錬のさいに出るくず鉄(カラミ)をうず高く積み上げたボタ山があった。

これは目立ちますね。治田鉱山跡よりはかなり新しいと感じられます。
そう言えば日曜日の22時に四日市CTYの「メモリー記憶帳をつくる旅」という番組で治田鉱山の特集をやっていました。

時代的には治田鉱山の最盛期は江戸時代で高昌鉱山の最盛期は大正時代になります。
CTYで特集をしていましたか、こちらはZTVですから見れませんね。残念・・


この横には国位鉱山のような連窯ではないが、四角に掘られた石積みのスペースがありここで精錬をしたようだ。そして、この上部には1本だけ大木が残されており、これが鉱山の鎮守の木なのだろう。

この枯れた大きな木も目立ちます。
高昌鉱山の鎮守の木
高昌鉱山の鎮守の木
新たなボタ山を見ながら住居跡を上っていくと最上部に大規模なかまどの跡がある。そういえばここの住居跡にはかまどの跡は無かった。どうやら最上部のかまどで一括して食事などを作っていたようだ。かまどの上には精錬の焼窯が残されていた。右手の精錬所跡と最上部の焼窯は時代が違うようで、最上部の焼窯の方が時代が新しくしっかりしていた。

プロは見るところが違いますね

またまた、好きなだけですよ。 :mrgreen:  
高昌鉱山最上部の焼窯
高昌鉱山最上部の焼窯
                                                        
ハリマオ
記事: 465
登録日時: 2011年8月31日(水) 14:06

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by ハリマオ »

わりばしさん こにちは
オフ会でのわりばしさんのテンションの高さには驚きました。
普段家でよほど抑圧されているのでしょうか(^◇^)
それとも100パーセント酒のせい?
根の平峠でバンダナを絞ると汗が大量にしたたった。 千種街道の歩きやすい新緑の道が続いており、ようやく汗も引いてきた。
愛知川は根ノ平峠まで来たら着いたようなもんですわ。
 最初に国位鉱山に向かう。国位鉱山については、大正3年には操業が停止された事はわかっているがそれまでのくわしい経緯はわかっていない。
国位鉱山については資料が少ないですね。
ここを上っていくと上部にも石積みがある。近づいてみるとただの石積みではなく、連なった焼窯だった。三鉱谷の三神谷口にある連なった鉱石を製錬する焼窯と同じだ。日ノ岡などにも連窯は残っているが、これだけしっかり残っているのは三神谷口とここだけだろう。
ここを初めて見たときは興奮しました。けっこうしっかりしてるし。
上部を探るが、鉱山跡らしき物は見つけられずに焼窯に戻ると通風山さんが現れた。
私も穴を探したことがありますが発見に至りません。
キャッシー中島っていたなあ・・
テキサス刑事の奥さんですね。激太りしてたような。
別人で「キャッシーでございます」のキャッシーもいたよなあ・・
これ知らんわ
 この左手には石積みがなおも続き、住居跡がある。これまでの石積みとは違い、小屋のスペースに応じた小さな平地と石積みが何重にも続いている。右手のスペースに精錬所などの大規模な建物があり左手のスペースが住居となっていたようだ。
高昌は大規模でけっこうしっかりと残っていますね。石積みなんか見事なもんです。
石積みの技術は現在も伝承されているのかな?

坑口もいくつか見つけました。
中島さんの本で、鉱山の尋常小学校の先生を探す話は面白かったですね。
私の近所に向山鉱山に居たお爺さんが住んでいます。
無論昭和の話で、小学校の話は全く知らないということでした。
小峠から上水晶谷の出合に向かい、上りかえして根の平峠に着くとカサヤさんグループと中野さん夫婦がみえた。
中野さん夫妻は私たちの前を歩いてみえましたが、上水晶で分かれました。
こちらには誰も来んやろと思ったらグーさんが追いついてきて、そのあと緑ちゃんも。
その先はまた思い思いに散って行きました。タダでは帰らん人ばかりやなあ。
 駐車場に着くと、グーさんの車のドアに鍵がささったままになっている。ワイルドだぜー。
ワイルド過ぎるわ(^◇^)  大人物?は鷹揚なところがありますね。
さすがにドアに鍵までぶらさがっていると、泥棒さんが来ても警戒して近づけないでしょう。

                           ハリマオ
たそがれ
記事: 64
登録日時: 2011年5月15日(日) 22:59

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by たそがれ »

わりばしさん こんにちは
先日は楽しいお話などありがとうございました。
 

オフ会の場所を見て、国位鉱山と高昌鉱山が近いので鉱山めぐりをセットにすることにした。

オフ会のあの場所をねらったとても計画的かつ実用的なものですね。
日頃から調べていることと、どこを歩くとそれらがつながるか、さすがに読みが鋭い。
 

 千種街道の歩きやすい新緑の道が続いており、ようやく汗も引いてきた。雪山ではトラバースした斜面にもしっかりとした道があり、コクイ谷出合の手前には、冬には無かった神崎川を渡る橋がかけられていた。

冬だけ外されていたのでしょうか、あの丸太たばね橋は便利です。
というのも、コクイ谷出合の渡渉は慣れた人には楽でも、平凡人には置き石の位置がすぐに変わって苦労します。
ついこの前、橋ではなく出合を渡るとき、ぽんと跳んで乗った石が、ずりっと動いて肝を冷やしました。

以下、国位鉱山の解説、とてもためになりました。
それまで、その存在も知らずにハリマオさんの茶碗の出所でボケ質問してました。
また、西尾本でのコクイ谷の記述で、暗い谷で首吊り小屋の話があって敬遠していました。
なにせ、コクイ谷道を一度も歩いたこともないのに、レポを読んでいてもさっぱり想像出来るわけありません。
でも、最近、通ることは通ったのでようやくわりばしさんのレポも少し理解できました。
近くまで行った所、まだまだ追求が足りなかった所もあり、悔しいですわ。

キャシーさん部分、おおいに賛成。

次の高昌鉱山ですが、未だに行ったことがありません。
記述から、絶対良さそうですので、秋にはいきます。
その時、おそらくわりばしさんやハリマオさんのレポの一端にようやく触れられそうです。

最後のグーさん部分、ワイルドがソフトバンクに通じるといいのですが。

         たそがれ
アバター
わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、たんぽぽさん。

オフ会の場所を見て、国位鉱山と高昌鉱山が近いので鉱山めぐりをセットにすることにした。
鉱山めぐりとはわりばしさん〇△×怪獣みたいに何か鉱物食べて大きくなってんの?

牛乳でないことは確かですね。
牛乳が嫌いだったので、大きくなった時期には1滴も飲んでおりませんでした。
牛乳を飲むと大きくなるというのは嘘です。
:mrgreen:

鉱山ではナニ採ってたんやろ、漫癌でも採れたんやろかねェ。

このあたりの鉱山は、銅です。
銀も含んでいたようですが、産出量は1%以下です。
:ugeek:
高昌鉱山の岩肌
高昌鉱山の岩肌
二日連チャンの登山お疲れ様でした。
次回会える時を楽しみにしています。
アバター
わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by わりばし »

こんばんは、ハリマオさん。

オフ会でのわりばしさんのテンションの高さには驚きました。

ハリマオさんの隣だったからですよ。

普段家でよほど抑圧されているのでしょうか(^◇^)
それとも100パーセント酒のせい?

ムムム・・・お主やるな・・・・ :lol:
 最初に国位鉱山に向かう。国位鉱山については、大正3年には操業が停止された事はわかっているがそれまでのくわしい経緯はわかっていない。
国位鉱山については資料が少ないですね。

不思議といえば不思議ですよね。
ここを上っていくと上部にも石積みがある。近づいてみるとただの石積みではなく、連なった焼窯だった。三鉱谷の三神谷口にある連なった鉱石を製錬する焼窯と同じだ。日ノ岡などにも連窯は残っているが、これだけしっかり残っているのは三神谷口とここだけだろう。
ここを初めて見たときは興奮しました。けっこうしっかりしてるし。

たしかに。
予想していなかった場所での連窯は、驚きですよね。

マニアックな会話だな・・
国位鉱山の連窯
国位鉱山の連窯
上部を探るが、鉱山跡らしき物は見つけられずに焼窯に戻ると通風山さんが現れた。
私も穴を探したことがありますが発見に至りません。

入口が岩盤か水抜きぐらいじゃないと穴も残っていないような感じでした。
キャッシー中島っていたなあ・・
テキサス刑事の奥さんですね。激太りしてたような。

ピンポン :idea:
別人で「キャッシーでございます」のキャッシーもいたよなあ・・
これ知らんわ

こちらの方がマニアックで、吉本新喜劇に出ていた時のせりふです。
 この左手には石積みがなおも続き、住居跡がある。これまでの石積みとは違い、小屋のスペースに応じた小さな平地と石積みが何重にも続いている。右手のスペースに精錬所などの大規模な建物があり左手のスペースが住居となっていたようだ。
高昌は大規模でけっこうしっかりと残っていますね。石積みなんか見事なもんです。
石積みの技術は現在も伝承されているのかな?

穴太衆の末裔が「粟田建設」という会社で活動しており技術は守られているみたいです。
地震の際、コンクリートと比べて石積みの方が1.5倍の強度があるようで、引っ張りだこのようです。


坑口もいくつか見つけました。

私は坑口はわからなかったですね。
高昌鉱山最上部の四角の窯跡
高昌鉱山最上部の四角の窯跡
私の近所に向山鉱山に居たお爺さんが住んでいます。
無論昭和の話で、小学校の話は全く知らないということでした。

伊勢からの方が便利ですもんね。
小峠から上水晶谷の出合に向かい、上りかえして根の平峠に着くとカサヤさんグループと中野さん夫婦がみえた。
中野さん夫妻は私たちの前を歩いてみえましたが、上水晶で分かれました。
こちらには誰も来んやろと思ったらグーさんが追いついてきて、そのあと緑ちゃんも。
その先はまた思い思いに散って行きました。タダでは帰らん人ばかりやなあ。

この持たれあわない個性的な集団というのも、日本では珍しいと思います。
鉱山跡からの東雨乞
鉱山跡からの東雨乞
 駐車場に着くと、グーさんの車のドアに鍵がささったままになっている。ワイルドだぜー。
ワイルド過ぎるわ(^◇^)  大人物?は鷹揚なところがありますね。
さすがにドアに鍵までぶらさがっていると、泥棒さんが来ても警戒して近づけないでしょう。

ちなみにワイルドだぜーは、今ブレイクしている愛知出身のお笑い芸人「スギちゃん」のフレーズです。                          
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わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、シネマ王のたそがれさん。

オフ会の場所を見て、国位鉱山と高昌鉱山が近いので鉱山めぐりをセットにすることにした。

オフ会のあの場所をねらったとても計画的かつ実用的なものですね。
日頃から調べていることと、どこを歩くとそれらがつながるか、さすがに読みが鋭い。
 

治田鉱山に魅かれてしまって、機会が無いとなかなか行けないなあと思っていた所でした。

 千種街道の歩きやすい新緑の道が続いており、ようやく汗も引いてきた。雪山ではトラバースした斜面にもしっかりとした道があり、コクイ谷出合の手前には、冬には無かった神崎川を渡る橋がかけられていた。

冬だけ外されていたのでしょうか、あの丸太たばね橋は便利です。
というのも、コクイ谷出合の渡渉は慣れた人には楽でも、平凡人には置き石の位置がすぐに変わって苦労します。
ついこの前、橋ではなく出合を渡るとき、ぽんと跳んで乗った石が、ずりっと動いて肝を冷やしました。


昔とは橋の場所が違うので、橋が流されたのでつけ直したって感じがします。
冬の七人山・雨乞・イブクラの帰りには、めんどくさくなって登山靴のまま駆け抜けました。


以下、国位鉱山の解説、とてもためになりました。
それまで、その存在も知らずにハリマオさんの茶碗の出所でボケ質問してました。
また、西尾本でのコクイ谷の記述で、暗い谷で首吊り小屋の話があって敬遠していました。
なにせ、コクイ谷道を一度も歩いたこともないのに、レポを読んでいてもさっぱり想像出来るわけありません。
でも、最近、通ることは通ったのでようやくわりばしさんのレポも少し理解できました。
近くまで行った所、まだまだ追求が足りなかった所もあり、悔しいですわ。

キャシーさん部分、おおいに賛成。

さすがにこの分野には強いですね。 :ugeek:
高昌鉱山
高昌鉱山
次の高昌鉱山ですが、未だに行ったことがありません。
記述から、絶対良さそうですので、秋にはいきます。
その時、おそらくわりばしさんやハリマオさんのレポの一端にようやく触れられそうです。

また行ってみてください。
新東宝はありませんが大蔵鉱山もありますので。
:lol:
高昌鉱山の住居跡
高昌鉱山の住居跡
最後のグーさん部分、ワイルドがソフトバンクに通じるといいのですが。

ここは無理かなと思っています。
愛知県出身なのにねえ。
ちなみに三重県出身は、「ほれてまうやろぅー」のチャンカワイに「(筋肉)カッチカチやぞ」のザブングル加藤です。
       
緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by 緑水 »

わりばしさん こんばんわ。縛り輪さんのが好いかなのキャラですね。

緑ちゃん商標が飛び交いますね、一言言っておこうかな。

会場案内の拡大図をよくよく見るとオモシロいことに気づきますでしょ。

まずこの地形図は合っていますよ。
破線の道が昔の道のようですね。

昔はこのように道がつけられてた、仕事場は小峠からのトラバース道で見たとうり。
広場の建てや跡は飯場かな?夜昼無しに生産してた、穴中は昼に関係ないもんね。
イノコ谷へ上がりましたか?、そこの採掘坑口は幾つも有ります。

地形図で気がついたことは、谷の斜面に同色の横バーがついてるでしょ。
コレってね、採掘坑口につけられた鉱物の引き出しのようです。
このところから山斜面に道が水平でつけられて、お池鉱山の方へつながってるよ。
何本か確認してます。

対岸の小峠尾根のドテッパラ、岩壁の真ん中にも坑口が有ります。
尾根の反対側から抜けてるようです、そこはいつも休憩するによいところでした。

火薬を保管してたレンガ作りの小屋は、トラバース今の道で乗り越し、その尾根を下がった所にあったですよ。
記憶が正しければのコトですけどね。

この破線みちはいつの資料から引きずり出したんだろう?
オモシロい界隈ですよ。
写真有るはずなんだけど、どこに有るか判らないのさ(--)

御活躍をです。

                     緑水
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わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鉱山めぐりとオフ会と

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、緑水さん。

緑ちゃん商標が飛び交いますね、一言言っておこうかな。

緑水さんはヤブコギには無くてはならない人ですから。
会場に到着して私と通風山さんが発した第一声は「緑水さん来てくれたんだ」「良かったねえ」でした。


会場案内の拡大図をよくよく見るとオモシロいことに気づきますでしょ。

まずこの地形図は合っていますよ。
破線の道が昔の道のようですね。

なるほど昔道ですか。一番楽に小峠を越えるルートになりますね。

昔はこのように道がつけられてた、仕事場は小峠からのトラバース道で見たとうり。
広場の建てや跡は飯場かな?夜昼無しに生産してた、穴中は昼に関係ないもんね。

思ったよりも規模が大きかったです。
猪子谷が明治までは採掘の中心だったようです。
それから徐々に滋賀県側に移っていったんですね。


イノコ谷へ上がりましたか?、そこの採掘坑口は幾つも有ります。

かまど跡からは尾根に向かいました。
そのまま谷を詰めた方が坑口を見れたようですね。


地形図で気がついたことは、谷の斜面に同色の横バーがついてるでしょ。
コレってね、採掘坑口につけられた鉱物の引き出しのようです。

この横バーがあったので、この近辺でここが最初に採掘されたのでしょうね。
なにせ月夜に光る場所を掘れという時代ですから。


このところから山斜面に道が水平でつけられて、お池鉱山の方へつながってるよ。
何本か確認してます。

最後のあたりは、高昌鉱山で精錬せずに鉱石を御池鉱山まで運んで精錬したようです。
その時の道ですね。
トロッコはこの時に使われたんでしょうか?

トロッコの車輪
トロッコの車輪
対岸の小峠尾根のドテッパラ、岩壁の真ん中にも坑口が有ります。
尾根の反対側から抜けてるようです、そこはいつも休憩するによいところでした。

尾根の両側からですね。
このあたりは、治田鉱山と同じですね。


火薬を保管してたレンガ作りの小屋は、トラバース今の道で乗り越し、その尾根を下がった所にあったですよ。
記憶が正しければのコトですけどね。

レンガ作りの小屋があるんですか。
また、小々峠とセットにして行ってみます。
女郎屋さんは小々峠を下った所でしたね。

いろんなものを見てきた神崎川
いろんなものを見てきた神崎川
この破線みちはいつの資料から引きずり出したんだろう?
オモシロい界隈ですよ。
写真有るはずなんだけど、どこに有るか判らないのさ(--)
御活躍をです。

ありがとうございます。
いろいろ教えて下さい。
鈴鹿の事を誰よりも知っている方ですから。
                    
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