【湖北】己高山と十一面観音
Posted: 2012年3月28日(水) 20:01
【日 付】2012年3月27日(火)
【山 域】湖北
【コース】己高閣P7:25---9:54牛留---11:15己高山11:36---14:10己高閣P
【メンバー】単独
スノー衆で妙理山に行った時から己高山が気になっていた。己高山は都の鬼門の位置に当たり比叡山・己高山・白山が同一方向になり奈良時代より知られた存在だった。己高山には五ヶ寺とその別院六ヶ寺があり室町時代には僧房が百二十字あったようだ。しかし、江戸時代以降衰退し、現在は全て廃寺もしくは無住になっており、場所さえ特定できない寺もある。
己高山各寺の仏像が集められ保管されている己高閣に駐車する。中ノ谷林道を歩いていくと大岩の上から水が流れている。居張滝と言われ行者が身を清めた場所だ。工事中の堰堤を過ぎ橋を渡ると登山口の標識がある。仏供谷登山口の尾根コースを進むが、ここのところ誰も歩いていないようだ。上って行くと、登山道に寄り添うように大きな溝道が上ってきている。この溝道が昔からの参拝道のようで、伊吹山の西尾根の溝道に雰囲気が似ている。登山道には地元の高時小学校が設置した何合目という標識がある。卒業記念に登山道の標識をつけるとは、なかなか心がけの良い小学校である。谷コースの合流地点では尾根コースは高時小コースと記されていた。
[attachment=2]IMG_5115.jpg[/attachment]
昨日までの新雪の積もった山道を時たま膝まで踏み抜きながら行くと六地蔵に着いた。大きめの地蔵も含め六体あるようだが、一番大きな地蔵のみが少しだけ顔を出しているだけで後は雪の下に眠っている。岩ぽくなってくると六合目の牛留に到着する。牛は不浄の者とされていたので、ここまでは牛に荷物を運ばせ、ここから観音寺までは人力で運んだことが地名からわかる。琵琶湖が展望できる場所だが湖面は見えるもののその上には雲がたちこめている。
雪も深くなってきたのでスノーシューを着けた。このあたりからブナが出てくるが赤松の木も多くなってくる。植林地が始まるまで赤松の木々は続き、植林地の中にも赤松の木が何本か残っていた。本来は観音寺まで赤松は続いていたのだろう。赤松を神聖なものとして参道に配置したのだろう。
スノーシューがなければ苦労する雪の中を快適に上って行くと植林地に入る。ここからは木に黄色のビニールテープがつけられている。このテープは冬道用で、観音寺跡からトラバースするのではなく己高山山頂に直接向かっている。観音寺跡には石塔など残されているのだが、雪にうもれわからなかった。植林を上りきった所が頂上で、そこには予想していなかったブナの森が広がっていた。山頂からは金糞岳と白倉岳が、青空に映えて美しい。目の前には大きく横たわる奥山の尾根がかまえている。伊吹山は雲の中だ。しかも、山頂はサングラスをかけるぐらいの日差しで風もなく暖かい。里山のような近さでこれだけの雪とブナの森はなかなか味わえないだろうなと思いつつ一休み。
山頂からP778までの稜線は、ブナを中心とした自然林で展望がいい。スノーシューハイクにはもってこいの尾根だ。そして、時間がたつにしたがい伊吹山や湖西の山々も見えてきた。雲が重くのしかかっていた琵琶湖も雲がはれ竹生島がきれいに浮かんでいる。展望を満喫しつつ最高のひと時を味わった。しかも、独り占めである。
P778から西側の尾根に乗りしばらく進むと鉄塔の所で少し開け己高山が正面に見えた。快適だったスノーシューも高度を下げるにしたがって雪で重くなってきたので、P532の高尾寺跡分岐ではずした。これから石道寺に向けて尾根を下りて行く。北西に向かう尾根に乗りすぐに北東に向かう支尾根に乗り換え下りて行く。ややこしいのかなと思いきや、溝道が出てきた。後はこの道にそって行けば寺に着くはずだ。この道はとても大きな溝道で昔から使われていたのがわかる。登山道はその横を通ってる。溝道は登山道に寄り添うように登山口付近まで続いていた。この溝道も己高山への溝道と同じく平安時代以降、数知れない人たちが通った古道なのだろう。
石道寺の十一面観音堂に寄ってから飯福寺に行く。ここには両側に僧房が並んでいたであろう石段が残っており在りし日の繁栄をうかがわせる。駐車場のある古橋集落に向けて歩き、己高閣・世代閣の仏像を見に行った。
ここには、寺が廃れ、そこを追われた奈良・平安・鎌倉時代の仏たちが、傷めつけられながらも、なおも生き続けていた。大寺院が衰退し、それぞれの集落の氏仏として土地の人たちに守られてきた。己高山の山頂にあった観音寺の十一面観音像も安置されている。地元の人に聞くと寺が衰退後、昭和の初めまで山頂部の茅葺屋根のお堂に安置されていたそうだ。茅のふき替えに溝道の古道を使い己高山まで上っていたそうだ。それが、たまたま十一面観音像を里に降ろしている時に山頂のお堂が焼け落ち、難をのがれ、それ以降は里に安置されたとの事だった。
十一面観音は、人間の悲しみの表情から怒りや悪の表情などの相が十面その上に如来相を頭に乗せた観音で、人間の悩みから完全に脱していないようで私には親しみ深い仏様だ。
【山 域】湖北
【コース】己高閣P7:25---9:54牛留---11:15己高山11:36---14:10己高閣P
【メンバー】単独
スノー衆で妙理山に行った時から己高山が気になっていた。己高山は都の鬼門の位置に当たり比叡山・己高山・白山が同一方向になり奈良時代より知られた存在だった。己高山には五ヶ寺とその別院六ヶ寺があり室町時代には僧房が百二十字あったようだ。しかし、江戸時代以降衰退し、現在は全て廃寺もしくは無住になっており、場所さえ特定できない寺もある。
己高山各寺の仏像が集められ保管されている己高閣に駐車する。中ノ谷林道を歩いていくと大岩の上から水が流れている。居張滝と言われ行者が身を清めた場所だ。工事中の堰堤を過ぎ橋を渡ると登山口の標識がある。仏供谷登山口の尾根コースを進むが、ここのところ誰も歩いていないようだ。上って行くと、登山道に寄り添うように大きな溝道が上ってきている。この溝道が昔からの参拝道のようで、伊吹山の西尾根の溝道に雰囲気が似ている。登山道には地元の高時小学校が設置した何合目という標識がある。卒業記念に登山道の標識をつけるとは、なかなか心がけの良い小学校である。谷コースの合流地点では尾根コースは高時小コースと記されていた。
[attachment=2]IMG_5115.jpg[/attachment]
昨日までの新雪の積もった山道を時たま膝まで踏み抜きながら行くと六地蔵に着いた。大きめの地蔵も含め六体あるようだが、一番大きな地蔵のみが少しだけ顔を出しているだけで後は雪の下に眠っている。岩ぽくなってくると六合目の牛留に到着する。牛は不浄の者とされていたので、ここまでは牛に荷物を運ばせ、ここから観音寺までは人力で運んだことが地名からわかる。琵琶湖が展望できる場所だが湖面は見えるもののその上には雲がたちこめている。
雪も深くなってきたのでスノーシューを着けた。このあたりからブナが出てくるが赤松の木も多くなってくる。植林地が始まるまで赤松の木々は続き、植林地の中にも赤松の木が何本か残っていた。本来は観音寺まで赤松は続いていたのだろう。赤松を神聖なものとして参道に配置したのだろう。
スノーシューがなければ苦労する雪の中を快適に上って行くと植林地に入る。ここからは木に黄色のビニールテープがつけられている。このテープは冬道用で、観音寺跡からトラバースするのではなく己高山山頂に直接向かっている。観音寺跡には石塔など残されているのだが、雪にうもれわからなかった。植林を上りきった所が頂上で、そこには予想していなかったブナの森が広がっていた。山頂からは金糞岳と白倉岳が、青空に映えて美しい。目の前には大きく横たわる奥山の尾根がかまえている。伊吹山は雲の中だ。しかも、山頂はサングラスをかけるぐらいの日差しで風もなく暖かい。里山のような近さでこれだけの雪とブナの森はなかなか味わえないだろうなと思いつつ一休み。
山頂からP778までの稜線は、ブナを中心とした自然林で展望がいい。スノーシューハイクにはもってこいの尾根だ。そして、時間がたつにしたがい伊吹山や湖西の山々も見えてきた。雲が重くのしかかっていた琵琶湖も雲がはれ竹生島がきれいに浮かんでいる。展望を満喫しつつ最高のひと時を味わった。しかも、独り占めである。
P778から西側の尾根に乗りしばらく進むと鉄塔の所で少し開け己高山が正面に見えた。快適だったスノーシューも高度を下げるにしたがって雪で重くなってきたので、P532の高尾寺跡分岐ではずした。これから石道寺に向けて尾根を下りて行く。北西に向かう尾根に乗りすぐに北東に向かう支尾根に乗り換え下りて行く。ややこしいのかなと思いきや、溝道が出てきた。後はこの道にそって行けば寺に着くはずだ。この道はとても大きな溝道で昔から使われていたのがわかる。登山道はその横を通ってる。溝道は登山道に寄り添うように登山口付近まで続いていた。この溝道も己高山への溝道と同じく平安時代以降、数知れない人たちが通った古道なのだろう。
石道寺の十一面観音堂に寄ってから飯福寺に行く。ここには両側に僧房が並んでいたであろう石段が残っており在りし日の繁栄をうかがわせる。駐車場のある古橋集落に向けて歩き、己高閣・世代閣の仏像を見に行った。
ここには、寺が廃れ、そこを追われた奈良・平安・鎌倉時代の仏たちが、傷めつけられながらも、なおも生き続けていた。大寺院が衰退し、それぞれの集落の氏仏として土地の人たちに守られてきた。己高山の山頂にあった観音寺の十一面観音像も安置されている。地元の人に聞くと寺が衰退後、昭和の初めまで山頂部の茅葺屋根のお堂に安置されていたそうだ。茅のふき替えに溝道の古道を使い己高山まで上っていたそうだ。それが、たまたま十一面観音像を里に降ろしている時に山頂のお堂が焼け落ち、難をのがれ、それ以降は里に安置されたとの事だった。
十一面観音は、人間の悲しみの表情から怒りや悪の表情などの相が十面その上に如来相を頭に乗せた観音で、人間の悩みから完全に脱していないようで私には親しみ深い仏様だ。