望みをかけて・御池岳捜索
Posted: 2012年2月28日(火) 02:37
望みをかけて・御池岳捜索
2011年2月19日(日)
山域<鈴鹿>
お天気・・・晴れ 風弱し
同行者 K隊長、ハリマオさん、とっちゃん(都津茶女)
コース 国道306犬帰し橋(8:35)―犬帰し谷―(9:10)犬帰し大滝―大滝巻きー尾根上―(11:15)犬帰し谷へ復帰―大滝付近まで下る(ピストン)-荷ガ岳―丸尾―906北尾根―国道306(3:50)
2月12日(日)に、藤原岳~御池岳テント泊のNさんの遭難があったことを、何も知らないでいた。そして、自分がNさんの捜索に参加させていただくことになるということも。
何も予定のない時は、何一つもないのに、重なる時は重なるもので、今週は、山日和さんの第二回上谷スノーシューハイクと、土日での長野でのスキーとが重なっていたが身はひとつ。参加表明していた、スノーシューハイクが、前日17日金曜の午前中決定となっていたので、水曜の夜にすでに延期メールが来ていたとは思いもよらず、また、同じ頃にK隊長から、日曜日は天気が良さそうなので捜索したい旨、パソコンメールが来ていたのも気がついていなかったのだ。
予定していた山行が延期になり、土日とも、ぽっかりと空いてしまった。単独での雪山は避けたい。予定が合う山仲間がいれば、雪山に入りたいと思うが、今から予定を合わすのが難しい。こんなシナリオが、今まで経験したことがなかった世界へ自分を連れていってくれるのだから、人生の行方はあんがいおもしろいものなのかもしれない。白紙にもっどった日記に、そこから新しい道が生まれる。
そんな時、ハリマオさんから、「御池岳に行けば捜索のお役にたつかもしれないから行こうと思う。」、K隊長からは、「遭難捜索に参加する。」。お二人からのメールが、ほぼ同時に携帯に着いた。
今まで、遭難の捜索は、ただ新聞やニュースで読み聞きするだけで、自分が捜索に加わるということが、現実的でなかった。しかし、二人のメールで、参加する意思が、即、決まった。
土曜日は、南部に属する自宅周辺でも10cm程度の雪が降った。滋賀県北部にある御池岳の降雪は多かったのではないかと思われ、もしかしたら吹きだまった谷は、ラッセルが必要かと想像していたが、三重県は雪が降っていなかったようで、新雪の量が予測できなかった。
K隊長から、冬山一般装備に加えて、ヘルメット・ハーネス・ロープ・無線等の装備を持参するとの連絡である。私は、その装備にさらに加えて、念のため雪山の基本装備と言われているスコップ・ゾンデ棒なども持参することにした。
K隊長とは、朝7時、藤原岳登山口の大貝戸休息所に設けられた遭難対策本部に集合と決まった。深夜になってから眠りについたが、朝4時半の起床まで、寝たり起きたりで3時間も眠れただろうか。自宅付近の積雪から、早朝の道の凍結が心配で、余裕をみて出発したので、まだ明けやらぬうちに、ハリマオさんとの集合場所に着いた。
乗り合わせて大貝戸休憩所に着くが、駐車場は、すでに満車となっていて、沢山の山仲間達が集まっていた。ふと見るとTOORUさんの姿がある。何年ぶりだろうか、お元気そうで安心した。RINちゃんTOORUさんご夫婦は、三重岳連として団体で、捜索に参加するとのことである。
三重岳連、日本山岳会東海支部、愛知、岐阜からと、各山岳会関係の方々・鈴鹿アルパインクラブなどの団体、Nさんの職場の方々、地元警察と一般有志を含め、総勢100名位が揃って、これまでの経過や遭難された方の服装などを聞く。今日は、ビーコン捜査もされるとのこと。
服装は、黒と黄緑色のアウターである。ビーコンは、空箱が自宅に残っていることから、持っていかれたようである。GPSは自宅に残っていたとの説明であった。しかし、下山後対策本部に寄った時、それは古い方で、新しい方は箱から出されているので持参されていたのではないかということだったが確証はないようだ。
奥様からの言葉少なの挨拶に、早く見つかって欲しいとの願いと、どう語ることも辛いだろう心境を感じ、今日こそ見つかりますようにと、捜索に加わった誰もが、そんな心境でいっぱいだった。
K隊長が段取りをしてくれた、一般参加の私達は、山岳会関係団体のように、山域割り当てがないので、地図の捜索済み地域を除いた場所を申告して捜索することが可能であった。犬帰し谷は、捜索地図では、まだ誰も入っていない状態で、ぽっかりと空いていた。
三人とも、ほぼ同じ思いで、危険度の高いこの谷に入ることを決めた。この谷に入った経験のあるハリマオさんもいる。このメンバーと装備なら二次遭難や事故をさけて捜索が可能と判断した。
捜索のグループは、無線を持っているかの確認があり、無線で本部や他のグループとの連絡を交し合うことになっており、本日の捜索で交信する無線の周波数がホワイトボードに書かれ、K隊長と私の2台無線の周波数をセットした。
K隊長の車を藤原パーキングに移動させて、ハリマオさんの車1台で行くことにする。パーキングで乗り換えの時、緑水さんに出会った。緑ちゃんも、今日はこの辺りに入るそうである。鈴鹿を縦横無尽に歩きつくしている緑ちゃんなら、私達にも思いつかない場所も候補にあるのかもしれない。
緑ちゃんも、犬帰し谷が怪しいとのこと。空振りであるかもしれないけれど、入る価値はあると思った。
306号線、ゲートを開けてくださるのを待って、ハリマオさんの車で入る。道路上の雪が残っていて、スダットレスタイヤは滑っている。「ハリさん、いったい何年使ってるの。経年劣化ちゃうん?」「タイヤの溝はちゃんとある。」とか。
犬帰し橋手前の空き地で準備していると警察車両が止まって「ここがコグルミ谷ですか?」と訪ねられた時は、ちょっと肩すかしをくったような気がしたが、普段山に入ったことがない方々が捜索してくださるのだからしかたがない。また、別の車の方は、遭難された方の顔の写真を取りに戻ると言って引き返された。皆さんそれぞれに、がんばってくださっている。
赤く塗られた橋が、注意を喚起しているようにも思える犬帰し谷。この谷を他の谷と間違えることがない象徴のようだ。大きな高度差をロープを伝って下りる。大石がゴロゴロする谷芯は、中途半端な積雪で、どこに足を置くか注意しなければ踏み抜いてしまう。途中、ペットボトルが一つ落ちていたが、遭難者らしき方の姿はなかった。
やがて大滝が見えてきた。この大滝は、登れるのだろうか。垂直の岩の壁が行く手をさえぎっているが、ハリマオさんが左からチャレンジする。しかし、下から見たより厳しいとのこと。雪がもっと深ければちがうのかもしれないが。ハーケン・カムを隊長も今回持参していないということで、無理はせず巻くことに一致した。
しかし、戻って巻くも難儀な巻きで、K隊長トップで雪の付いたルンゼを途中まで登るが、急傾斜の途中で雪が少なくなり、アイゼンが必要と判断。いったいこの斜面のどこで、つけるの~っていうような場所で、岩の下の僅かな棚で装着する。
ここからハリマオさんがトップでスタスタ登って行くが、こんなところで怪我をしていては、お話にならない。隊長が、安全確保のため30Mロープを出す。しかし、ワンピッチで抜けるには、ロープの長さも足りず、直登も難しい。より雪の少ない上部はアイゼンが効かず厄介で、ここから再び隊長先頭で、2ピッチ目のロープを出し左にトラバースして支尾根にとり着いた。二番手のハリマオさんは、ロープ無でも行けるだろうが、安全のためプルージックで登る。最後私が支点回収をした。ロープは、ここまで。しかし、その先もまだ気の抜けない登りが続く。休めそうな場所があったら休憩してと声をかける。見晴らしのいいテラスから下を望むが、時間ばかりかかって、まだちっとも進んでないなぁと三人で顔を見合わせる。喉を潤し先へと進む。
一旦、尾根まで巻き上がりながら、三人横に分散して、幅広く捜索する。650m付近からトラバースしつつ下降点を探る。ハリマオさんは、念仏ハゲ大滑走をしたりする人だからいいけど、この斜面下るんかいなぁ。ロープを出した方が安全じゃない?と言ったが、ハリマオさんは、すでにピッケルでうまくブレーキをかけながら滑り下りていく。こちらは、一歩一歩注意しながら下るも、突然穴に左足を突っ込んで転倒。もうすこしで、足首を強くねじるところだった。
県警のヘリが上空を通過していく。
谷芯にザックをデポし、巻いた部分を戻って見に行った。途中、しっかりとした炭焼き窯があり、ケルンが積んでいた。ここから下部の犬帰し大滝までは特に険悪なのに、左岸に炭焼き窯があるのが不思議だ。この谷は、水が流れているので炭焼きが行われていたようだが、炭はどのルートで降ろしたのだろう。雪がなければ、杣道が確認できるのだろうか。
滝の上部まであと少しであるが、下降が難しく、見晴らせる場所から眺めてみることになった。何となく、そのわずかな間が、抜けてしまうのが納得しがたくもあったが、それらしき気配もなく、また、ザックの場所まで戻ることになった。
ちょっと手前で待っているハリマオさんが、雪の上に文字を書いていた。○の中に、は、○の中に金、○の中にと、という文字が書いてある。これ、何?というと、はりまおの、は、なのだそうだ。「ここに来た印?」なのかはわからないが、雪山では、よく書いているそうで、こどもの時、砂に文字を書いたのを思い出した。
谷沿いに歩きやすい場所を探すが、だんだん谷の傾斜がついて、寝不足と仕事疲れの疲労が出てきてくたびれモードだ。右岸斜面をトラバースしながら谷を眺める。夏に来たならまた感想がちがうのかもしれないけれど、何度も、この谷に来るとは、ハリマオさんは、やっぱり物好きだなぁと思う。
なんだかお腹が空いてきたよ~。しかし、ほとんど、休憩できそうな場所が見当たらない。やっと、3人がようやく座れる場所を見つけ昼食とする。食後は、元気が出たような、かえってしんどいような。
詰めの斜面、ハリマオさんと隊長は、さっさと登っていくように見えるが、私は、マイペースでゆっくり登る。トラバースが高度を上げてきていて、谷がだんだんと下の方に見える。もっと谷芯を歩こうよと言い出すだけの元気がもう出なかった。
ようやく荷ガ岳直下の丸尾に出たが、すでに二人に姿はない。県境稜線まで休まずに行ったのだ。県境稜線まで出て、やっと一息ついた。残念ながら、犬帰し谷左俣は、空振りであったが、今日は、もう他の支流を捜索する余裕がなかった。
無線を聴いていても、どこの隊もカラ振りのようだ。ほんとうに、いったい遭難者はどこにおられるのか不思議である。
線の幅が細かったり太かったりはするだろうけれど、私達を含め捜索隊が歩けるのは線である。また、あんがい見ているつもりでも見ていないということもある。
どういう見方をすれば、見えてくるのか、どういう思考をすれば予想できるのだろうか。全く違った発想をした時、おられる場所が分かるのかもしれない。
帰路は、丸尾・906から磁北に伸びる尾根を下ることになった。
杣人さんと、みるきーアンパン山行で下った丸尾「。ここを覚えている?。」っと、ハリマオさん。皆でランチしたのがここだったのか。あの日、丸尾の末端近く、猟銃で撃たれ死んでいたカモシカを見たことが、心に深く残っていて、楽しかったはずのランチ場所のことは記憶から抜け落ちていた。
大きな雪庇が東側に張り出し谷に崩れ落ちた場所が何箇所かあり目視し、雪の下が溶けている所では踏み込んで穴に半分落ちそうになったりしながらも、快調に新雪を踏んで下っていった。今日は、晴天となり、北部の山々の山並みも綺麗に見える。
大滝巻きで一部上がった尾根に私達の踏み跡がある。
丸尾を下った場合、迷い込む可能性はあるけれど、遭難したNさんが、はたして丸尾に入るだろうか。Nさんの遭難した12日、山日和さんが、丸尾を歩いて寒山まで登っているが、この日は、新雪が10CM程度積もっていて、下は固く締まって歩きやすかったということだ。Nさんが、迷っていない限りは、快適に歩けて距離も伸ばすことができただろう。
迷いか事故か。
尾根と谷の波が幾重にも重なり、その重なり以上に、源流では行く筋にも分かれていく谷。数えきれない谷の支流のどこかにおられるのかもしれない。それも、今眺めている方向だけでなく、御池岳から四方八方に向けて尾根と谷がある。そう思うと、雲をつかむような気持ちになった。
遭難対策本部に報告のため立ち寄ると、奥様がノートを持って、お礼にきてくださった。今日捜索に入った皆さんに、そのようにして、住所・氏名を書いてもらっておられるのだ。何かてがかりでも見つけられたらよかったけれど、言葉にならず、ありきたりの言葉をかけるしかなかった。また、ご家族・ご親族・職場の方々らしき方が捜索をした方々に接待をされている姿もあった。
それぞれの立場の方々、山仲間の心が一つになって、動く。その素晴らしいさも教えていただいた。また、参加させてもらった私達は、自分の山行をあらためて振り返り、学ばせていただく機会ともなった。
今までは、義務のように感じて書いていた登山届(計画書)作成の本来の意義や、昔は三種の神器と言われ、今は、雪山標準装備と考えられるビーコン・ゾンデ・スコップを持つことの意味もあらためて思い知らされた。これらは、同行の仲間の命を助けるための物であると同時に、単独であっても、自らの命を守る道具でもあること。登山届には、山行のあらゆる情報が書かれている。そのことが、捜索を進める上でも貴重な情報となることも。
今回は、登山届がされていなかったのか、遭難されてから数日たって、ビーコンを持参されていたらしいことが分かったらしい。ビーコンの種類によるが、電池については、国産電池であればマイナス世界でも10日以上発信することが確認されているそうである。そして、県警ヘリは電源が入っておれば電波をキャッチできるとのこと。低空飛行ができる所
では低空飛行をして、ヘリからもビーコンによる捜索もされた。また、ビーコンを持って、歩いての捜索もされたが、受信することができなかったようだ。電源が入っていなかったのか、それとも、新品の電池でなく、すでに電池が切れていたのかもしれない。
ハリマオさん・なっきいさん・たえちゃんと三重県の山の取材山行に行った時、別の山に行ったつうさんと無線で交信した。その時、場所によっては、通信できなくて、これじゃ携帯と変わらないじゃないの?っと思った。1月に雪山講習会があった時、そのことを質問した。無線は、自分が話そうと思う人には届かなくても、受信した誰かがそれを、聞いていてくれる可能性がある。そういわれればそうだ。通信手段としての無線の有効性をその時に納得した。
今日も皆の願いが実を結ぶことがなかった。
けれど、望みを捨てないで、一日も早くNさんが見つかって欲しいと切に願う。
帰宅後、今日の捜索のログを遭難対策委員の方にメールで送った。ログを地図に埋めていくことで、捜索の場所が少しづつでも狭まって行く。
御池岳はドリーネだけでなくバリエーションでは、捜索にも危険が伴う竪穴などの場所ももあることを心して、また機会を作って捜索に加われたらと思った。
御池岳テント泊の事前の1月の末に、Nさんが国道を歩いて鞍掛峠から鈴北の尾根の途中まで行かれたレポートを読ませていただいた。
・・・・そのレポに書かれていることから、Nさんの山に向かう姿勢がうかがわれた。
こんなに慎重で、しっかり装備も持ちながらどこに行ってしまわれたのだろう。この日は、登山届を出し忘れて出発されてしまったのだろうか。
「登山ポストは、コグルミ谷登山道入口と、鞍掛峠登山道の入り口の2か所あること。この時期は特に下山届も忘れないように。」「鞍掛峠で登山届けを投函。」「コグルミ谷は、危険箇所あり。」「風くバラクラバとゴーグル装着。」「テントの入口前を掘り下げ、土間を作り、大きなゴミ袋に貯めた綺麗な雪をコンロで融かす。」「ゾンデで積雪をチェック。264cm。」「雪を切り出しハンドテストで弱層をチェック。」「下山届けを投函。」などなど・・・・・・・・・・・・・・・
そして、文末に書かれていた、「もうすこし、峠まで近いといいんだけれどなあ・・・。
でも楽しかった。」と書かれた言葉が、心に残った。
☆~~とっちゃん(都津茶女)~☆
2011年2月19日(日)
山域<鈴鹿>
お天気・・・晴れ 風弱し
同行者 K隊長、ハリマオさん、とっちゃん(都津茶女)
コース 国道306犬帰し橋(8:35)―犬帰し谷―(9:10)犬帰し大滝―大滝巻きー尾根上―(11:15)犬帰し谷へ復帰―大滝付近まで下る(ピストン)-荷ガ岳―丸尾―906北尾根―国道306(3:50)
2月12日(日)に、藤原岳~御池岳テント泊のNさんの遭難があったことを、何も知らないでいた。そして、自分がNさんの捜索に参加させていただくことになるということも。
何も予定のない時は、何一つもないのに、重なる時は重なるもので、今週は、山日和さんの第二回上谷スノーシューハイクと、土日での長野でのスキーとが重なっていたが身はひとつ。参加表明していた、スノーシューハイクが、前日17日金曜の午前中決定となっていたので、水曜の夜にすでに延期メールが来ていたとは思いもよらず、また、同じ頃にK隊長から、日曜日は天気が良さそうなので捜索したい旨、パソコンメールが来ていたのも気がついていなかったのだ。
予定していた山行が延期になり、土日とも、ぽっかりと空いてしまった。単独での雪山は避けたい。予定が合う山仲間がいれば、雪山に入りたいと思うが、今から予定を合わすのが難しい。こんなシナリオが、今まで経験したことがなかった世界へ自分を連れていってくれるのだから、人生の行方はあんがいおもしろいものなのかもしれない。白紙にもっどった日記に、そこから新しい道が生まれる。
そんな時、ハリマオさんから、「御池岳に行けば捜索のお役にたつかもしれないから行こうと思う。」、K隊長からは、「遭難捜索に参加する。」。お二人からのメールが、ほぼ同時に携帯に着いた。
今まで、遭難の捜索は、ただ新聞やニュースで読み聞きするだけで、自分が捜索に加わるということが、現実的でなかった。しかし、二人のメールで、参加する意思が、即、決まった。
土曜日は、南部に属する自宅周辺でも10cm程度の雪が降った。滋賀県北部にある御池岳の降雪は多かったのではないかと思われ、もしかしたら吹きだまった谷は、ラッセルが必要かと想像していたが、三重県は雪が降っていなかったようで、新雪の量が予測できなかった。
K隊長から、冬山一般装備に加えて、ヘルメット・ハーネス・ロープ・無線等の装備を持参するとの連絡である。私は、その装備にさらに加えて、念のため雪山の基本装備と言われているスコップ・ゾンデ棒なども持参することにした。
K隊長とは、朝7時、藤原岳登山口の大貝戸休息所に設けられた遭難対策本部に集合と決まった。深夜になってから眠りについたが、朝4時半の起床まで、寝たり起きたりで3時間も眠れただろうか。自宅付近の積雪から、早朝の道の凍結が心配で、余裕をみて出発したので、まだ明けやらぬうちに、ハリマオさんとの集合場所に着いた。
乗り合わせて大貝戸休憩所に着くが、駐車場は、すでに満車となっていて、沢山の山仲間達が集まっていた。ふと見るとTOORUさんの姿がある。何年ぶりだろうか、お元気そうで安心した。RINちゃんTOORUさんご夫婦は、三重岳連として団体で、捜索に参加するとのことである。
三重岳連、日本山岳会東海支部、愛知、岐阜からと、各山岳会関係の方々・鈴鹿アルパインクラブなどの団体、Nさんの職場の方々、地元警察と一般有志を含め、総勢100名位が揃って、これまでの経過や遭難された方の服装などを聞く。今日は、ビーコン捜査もされるとのこと。
服装は、黒と黄緑色のアウターである。ビーコンは、空箱が自宅に残っていることから、持っていかれたようである。GPSは自宅に残っていたとの説明であった。しかし、下山後対策本部に寄った時、それは古い方で、新しい方は箱から出されているので持参されていたのではないかということだったが確証はないようだ。
奥様からの言葉少なの挨拶に、早く見つかって欲しいとの願いと、どう語ることも辛いだろう心境を感じ、今日こそ見つかりますようにと、捜索に加わった誰もが、そんな心境でいっぱいだった。
K隊長が段取りをしてくれた、一般参加の私達は、山岳会関係団体のように、山域割り当てがないので、地図の捜索済み地域を除いた場所を申告して捜索することが可能であった。犬帰し谷は、捜索地図では、まだ誰も入っていない状態で、ぽっかりと空いていた。
三人とも、ほぼ同じ思いで、危険度の高いこの谷に入ることを決めた。この谷に入った経験のあるハリマオさんもいる。このメンバーと装備なら二次遭難や事故をさけて捜索が可能と判断した。
捜索のグループは、無線を持っているかの確認があり、無線で本部や他のグループとの連絡を交し合うことになっており、本日の捜索で交信する無線の周波数がホワイトボードに書かれ、K隊長と私の2台無線の周波数をセットした。
K隊長の車を藤原パーキングに移動させて、ハリマオさんの車1台で行くことにする。パーキングで乗り換えの時、緑水さんに出会った。緑ちゃんも、今日はこの辺りに入るそうである。鈴鹿を縦横無尽に歩きつくしている緑ちゃんなら、私達にも思いつかない場所も候補にあるのかもしれない。
緑ちゃんも、犬帰し谷が怪しいとのこと。空振りであるかもしれないけれど、入る価値はあると思った。
306号線、ゲートを開けてくださるのを待って、ハリマオさんの車で入る。道路上の雪が残っていて、スダットレスタイヤは滑っている。「ハリさん、いったい何年使ってるの。経年劣化ちゃうん?」「タイヤの溝はちゃんとある。」とか。
犬帰し橋手前の空き地で準備していると警察車両が止まって「ここがコグルミ谷ですか?」と訪ねられた時は、ちょっと肩すかしをくったような気がしたが、普段山に入ったことがない方々が捜索してくださるのだからしかたがない。また、別の車の方は、遭難された方の顔の写真を取りに戻ると言って引き返された。皆さんそれぞれに、がんばってくださっている。
赤く塗られた橋が、注意を喚起しているようにも思える犬帰し谷。この谷を他の谷と間違えることがない象徴のようだ。大きな高度差をロープを伝って下りる。大石がゴロゴロする谷芯は、中途半端な積雪で、どこに足を置くか注意しなければ踏み抜いてしまう。途中、ペットボトルが一つ落ちていたが、遭難者らしき方の姿はなかった。
やがて大滝が見えてきた。この大滝は、登れるのだろうか。垂直の岩の壁が行く手をさえぎっているが、ハリマオさんが左からチャレンジする。しかし、下から見たより厳しいとのこと。雪がもっと深ければちがうのかもしれないが。ハーケン・カムを隊長も今回持参していないということで、無理はせず巻くことに一致した。
しかし、戻って巻くも難儀な巻きで、K隊長トップで雪の付いたルンゼを途中まで登るが、急傾斜の途中で雪が少なくなり、アイゼンが必要と判断。いったいこの斜面のどこで、つけるの~っていうような場所で、岩の下の僅かな棚で装着する。
ここからハリマオさんがトップでスタスタ登って行くが、こんなところで怪我をしていては、お話にならない。隊長が、安全確保のため30Mロープを出す。しかし、ワンピッチで抜けるには、ロープの長さも足りず、直登も難しい。より雪の少ない上部はアイゼンが効かず厄介で、ここから再び隊長先頭で、2ピッチ目のロープを出し左にトラバースして支尾根にとり着いた。二番手のハリマオさんは、ロープ無でも行けるだろうが、安全のためプルージックで登る。最後私が支点回収をした。ロープは、ここまで。しかし、その先もまだ気の抜けない登りが続く。休めそうな場所があったら休憩してと声をかける。見晴らしのいいテラスから下を望むが、時間ばかりかかって、まだちっとも進んでないなぁと三人で顔を見合わせる。喉を潤し先へと進む。
一旦、尾根まで巻き上がりながら、三人横に分散して、幅広く捜索する。650m付近からトラバースしつつ下降点を探る。ハリマオさんは、念仏ハゲ大滑走をしたりする人だからいいけど、この斜面下るんかいなぁ。ロープを出した方が安全じゃない?と言ったが、ハリマオさんは、すでにピッケルでうまくブレーキをかけながら滑り下りていく。こちらは、一歩一歩注意しながら下るも、突然穴に左足を突っ込んで転倒。もうすこしで、足首を強くねじるところだった。
県警のヘリが上空を通過していく。
谷芯にザックをデポし、巻いた部分を戻って見に行った。途中、しっかりとした炭焼き窯があり、ケルンが積んでいた。ここから下部の犬帰し大滝までは特に険悪なのに、左岸に炭焼き窯があるのが不思議だ。この谷は、水が流れているので炭焼きが行われていたようだが、炭はどのルートで降ろしたのだろう。雪がなければ、杣道が確認できるのだろうか。
滝の上部まであと少しであるが、下降が難しく、見晴らせる場所から眺めてみることになった。何となく、そのわずかな間が、抜けてしまうのが納得しがたくもあったが、それらしき気配もなく、また、ザックの場所まで戻ることになった。
ちょっと手前で待っているハリマオさんが、雪の上に文字を書いていた。○の中に、は、○の中に金、○の中にと、という文字が書いてある。これ、何?というと、はりまおの、は、なのだそうだ。「ここに来た印?」なのかはわからないが、雪山では、よく書いているそうで、こどもの時、砂に文字を書いたのを思い出した。
谷沿いに歩きやすい場所を探すが、だんだん谷の傾斜がついて、寝不足と仕事疲れの疲労が出てきてくたびれモードだ。右岸斜面をトラバースしながら谷を眺める。夏に来たならまた感想がちがうのかもしれないけれど、何度も、この谷に来るとは、ハリマオさんは、やっぱり物好きだなぁと思う。
なんだかお腹が空いてきたよ~。しかし、ほとんど、休憩できそうな場所が見当たらない。やっと、3人がようやく座れる場所を見つけ昼食とする。食後は、元気が出たような、かえってしんどいような。
詰めの斜面、ハリマオさんと隊長は、さっさと登っていくように見えるが、私は、マイペースでゆっくり登る。トラバースが高度を上げてきていて、谷がだんだんと下の方に見える。もっと谷芯を歩こうよと言い出すだけの元気がもう出なかった。
ようやく荷ガ岳直下の丸尾に出たが、すでに二人に姿はない。県境稜線まで休まずに行ったのだ。県境稜線まで出て、やっと一息ついた。残念ながら、犬帰し谷左俣は、空振りであったが、今日は、もう他の支流を捜索する余裕がなかった。
無線を聴いていても、どこの隊もカラ振りのようだ。ほんとうに、いったい遭難者はどこにおられるのか不思議である。
線の幅が細かったり太かったりはするだろうけれど、私達を含め捜索隊が歩けるのは線である。また、あんがい見ているつもりでも見ていないということもある。
どういう見方をすれば、見えてくるのか、どういう思考をすれば予想できるのだろうか。全く違った発想をした時、おられる場所が分かるのかもしれない。
帰路は、丸尾・906から磁北に伸びる尾根を下ることになった。
杣人さんと、みるきーアンパン山行で下った丸尾「。ここを覚えている?。」っと、ハリマオさん。皆でランチしたのがここだったのか。あの日、丸尾の末端近く、猟銃で撃たれ死んでいたカモシカを見たことが、心に深く残っていて、楽しかったはずのランチ場所のことは記憶から抜け落ちていた。
大きな雪庇が東側に張り出し谷に崩れ落ちた場所が何箇所かあり目視し、雪の下が溶けている所では踏み込んで穴に半分落ちそうになったりしながらも、快調に新雪を踏んで下っていった。今日は、晴天となり、北部の山々の山並みも綺麗に見える。
大滝巻きで一部上がった尾根に私達の踏み跡がある。
丸尾を下った場合、迷い込む可能性はあるけれど、遭難したNさんが、はたして丸尾に入るだろうか。Nさんの遭難した12日、山日和さんが、丸尾を歩いて寒山まで登っているが、この日は、新雪が10CM程度積もっていて、下は固く締まって歩きやすかったということだ。Nさんが、迷っていない限りは、快適に歩けて距離も伸ばすことができただろう。
迷いか事故か。
尾根と谷の波が幾重にも重なり、その重なり以上に、源流では行く筋にも分かれていく谷。数えきれない谷の支流のどこかにおられるのかもしれない。それも、今眺めている方向だけでなく、御池岳から四方八方に向けて尾根と谷がある。そう思うと、雲をつかむような気持ちになった。
遭難対策本部に報告のため立ち寄ると、奥様がノートを持って、お礼にきてくださった。今日捜索に入った皆さんに、そのようにして、住所・氏名を書いてもらっておられるのだ。何かてがかりでも見つけられたらよかったけれど、言葉にならず、ありきたりの言葉をかけるしかなかった。また、ご家族・ご親族・職場の方々らしき方が捜索をした方々に接待をされている姿もあった。
それぞれの立場の方々、山仲間の心が一つになって、動く。その素晴らしいさも教えていただいた。また、参加させてもらった私達は、自分の山行をあらためて振り返り、学ばせていただく機会ともなった。
今までは、義務のように感じて書いていた登山届(計画書)作成の本来の意義や、昔は三種の神器と言われ、今は、雪山標準装備と考えられるビーコン・ゾンデ・スコップを持つことの意味もあらためて思い知らされた。これらは、同行の仲間の命を助けるための物であると同時に、単独であっても、自らの命を守る道具でもあること。登山届には、山行のあらゆる情報が書かれている。そのことが、捜索を進める上でも貴重な情報となることも。
今回は、登山届がされていなかったのか、遭難されてから数日たって、ビーコンを持参されていたらしいことが分かったらしい。ビーコンの種類によるが、電池については、国産電池であればマイナス世界でも10日以上発信することが確認されているそうである。そして、県警ヘリは電源が入っておれば電波をキャッチできるとのこと。低空飛行ができる所
では低空飛行をして、ヘリからもビーコンによる捜索もされた。また、ビーコンを持って、歩いての捜索もされたが、受信することができなかったようだ。電源が入っていなかったのか、それとも、新品の電池でなく、すでに電池が切れていたのかもしれない。
ハリマオさん・なっきいさん・たえちゃんと三重県の山の取材山行に行った時、別の山に行ったつうさんと無線で交信した。その時、場所によっては、通信できなくて、これじゃ携帯と変わらないじゃないの?っと思った。1月に雪山講習会があった時、そのことを質問した。無線は、自分が話そうと思う人には届かなくても、受信した誰かがそれを、聞いていてくれる可能性がある。そういわれればそうだ。通信手段としての無線の有効性をその時に納得した。
今日も皆の願いが実を結ぶことがなかった。
けれど、望みを捨てないで、一日も早くNさんが見つかって欲しいと切に願う。
帰宅後、今日の捜索のログを遭難対策委員の方にメールで送った。ログを地図に埋めていくことで、捜索の場所が少しづつでも狭まって行く。
御池岳はドリーネだけでなくバリエーションでは、捜索にも危険が伴う竪穴などの場所ももあることを心して、また機会を作って捜索に加われたらと思った。
御池岳テント泊の事前の1月の末に、Nさんが国道を歩いて鞍掛峠から鈴北の尾根の途中まで行かれたレポートを読ませていただいた。
・・・・そのレポに書かれていることから、Nさんの山に向かう姿勢がうかがわれた。
こんなに慎重で、しっかり装備も持ちながらどこに行ってしまわれたのだろう。この日は、登山届を出し忘れて出発されてしまったのだろうか。
「登山ポストは、コグルミ谷登山道入口と、鞍掛峠登山道の入り口の2か所あること。この時期は特に下山届も忘れないように。」「鞍掛峠で登山届けを投函。」「コグルミ谷は、危険箇所あり。」「風くバラクラバとゴーグル装着。」「テントの入口前を掘り下げ、土間を作り、大きなゴミ袋に貯めた綺麗な雪をコンロで融かす。」「ゾンデで積雪をチェック。264cm。」「雪を切り出しハンドテストで弱層をチェック。」「下山届けを投函。」などなど・・・・・・・・・・・・・・・
そして、文末に書かれていた、「もうすこし、峠まで近いといいんだけれどなあ・・・。
でも楽しかった。」と書かれた言葉が、心に残った。
☆~~とっちゃん(都津茶女)~☆