【台高】崩落の谷・野江俣を見にゆく。
Posted: 2012年1月24日(火) 22:47
昨年9月3日、台風12号・タラスによる豪雨は、大規模災害に見舞われた十津川や熊野だけでなく、この地においてもいくつもの土石流を発生させた。
ナンノキ平北西斜面の土石流の爪痕もその一つだ・・・。
野江俣谷がどうなっているのかと、谷を辿った。
【 日 付 】2012年01月22日
【 山 域 】台高東部 野江俣谷
【メンバー】zipp
【 天 候 】晴天
【 ルート 】《江馬小屋林道-野江俣谷-崩壊地-杣道-江馬小屋林道》
10:45 江馬小屋橋南詰駐車地--- 11:00~11:05 江馬小屋林道終点--- 11:25~11:40 不動滝ゴルジュ前--- 12:15 鶴小屋滝--- 12:25 杣道の橋--- 12:55~13:40 岩壁に掛かる10m(昼食)--- 14:10~14:20 崩壊地--- 15:10 杣道の橋--- 15:50 駐車地
「釣りか?」
橋の袂で準備をしているとおっちゃんが近づいてきて話しかける。振り向くと肩に銃を掛けていてびっくり。おっちゃんはよく猟師が身に着けている赤いベストや帽子など付けず、普段着のままなのだ。
野江俣谷に行くこと告げると「ごしょが滝はええ滝やぞ」という。地元の方ですかと尋ねると、この先の蓮に生まれたとおっしゃる。これはいい機会やと思い、同じ江馬小屋谷の夫婦滝のことを尋ねた。
おっちゃん曰く、炭焼き道の通る横にある支流の滝のことを云う。その炭焼き道は、いまは落ちてしまって無いが桟橋で奥へ繋がっていたと。
それでか~。いまは岩をちょっと登らな行けませんね?と云うと「簡単に登れるやろ」と云う。
で、わかったこと。地形図では「五ヶ所滝」の表記だが、「五所ヶ滝」が正しい。夫婦滝は本流の滝ではなく、炭焼き道が近くを通る支流の二筋の滝のことだ。
他にも聞きたいことがあったがすぐには思い浮かばない。すぐそこの木地師の墓が9月の台風で流されちゃいましたよ。ろくろ回しの墓ですと云うが、合点の行かない様子のおっちゃん。「墓?山の神ならあったけどの」「昔はこの谷の向こう岸に集落があったんや」。そして、「あんたようこの界隈のこと知っとるの」と褒められてしまった。
[attachment=3]野江俣谷出合_925.jpg[/attachment]
いまだに、江馬小屋林道を入ってすぐの倒れこんだ杉が片付けられていない。
林道は崩落個所多く、途中の広場も半分ほど削り取られている。また、昔集落があった場所へ渡る鉄橋も流されてしまった。
林道終点も削り取られて、鉄橋はなんとか流されずに残ってはいるものの、鉄橋までが遠い。
昨晩まで降り続いた雨と雪解け水で水量が多いのではないかと思ったがそれほどでもない。江馬小屋谷の水流に濁りがないが、野江俣谷は笹濁りだ。もしかして、土砂ダムができてやしないだろうな?
そして、出合から見る江馬小屋谷が以前と変わらぬ佇まいなのに、野江俣谷は記憶に無い谷に変わってしまった。
随分な高さまで水流で磨かれた岩。灌木や苔をみな根こそぎ剥ぎ取られて光る岩壁の中、谷の傾斜が増して大岩積み重なるところ、以前来た時と岩の重なり具合が変わったようだ。
不動滝のゴルジュを前に、ザックを降ろす。随分土砂が溜まったゴルジュを少し入り、岩に登って不動滝上部を写す。
ゴルジュの磨かれた岩壁から想像するに、水量が多かった時は、不動滝は滝とはならず、ゴルジュいっぱいになって瀑流が流れていたようだ。その光景を想像すると戦慄を覚えた。
[attachment=2]不動滝_800.jpg[/attachment]
少し戻って、上の杣道に登り、また谷にに戻った。小滝のかかるところだ(川崎実氏の「秘瀑」では、「野江俣谷廊下の小滝」というタイトルの滝だ)。
ここから先は、以前の谷の姿を知らないのでどう変わったのかは、判然としないが、磨かれた岩や削り取られた川岸に、土砂・流木が瀑流の凄さを語っている。
釜は埋まったであろうが、きれいな鶴小屋滝は健在だ。半円筒状に水流が削り取った岩肌を滑るように回り込み流れるきれいな滝だ。水流脇左の岩を登って落口に立つ。
両岸迫った岩の間から正面に見える枝谷の滝、岩を抜けると本谷は鋭角に折れ曲がり、ミニ鶴小屋滝と云っていいような滝が現れた。この本谷の曲がり具合にはびくっりさせられる。
そして次に現れたのは、末広5mの滝。この滝は右岸の杣道から見える滝なのだが、滝前に凄まじい土砂が堆積していて、すぐにはその滝だとはわからなかった。水流横の岩を登れば、すぐで杣道の丸木橋のあった所だ。橋は当然のように無く、流木が二本挟まっている。
へつって、次の滝を登る。水流際に赤茶色い泥が目立つようになってきた。
岩を流れる二筋の小滝の下には、レンガのような赤色チャート。そして不思議なことに下部は水色をしたチャートだ。
水の濁りも増し、残雪が所々に付きはじめた。右岸に大量の土砂が溜まって、それを左から超えると、切り立った岩壁上部、U字の滝口から落ちる10m。大巻きするしかなさそうだ。
[attachment=1]10m滝前で。_800.jpg[/attachment]
滝前で遅くなった昼食をとることにした。少々濁っても問題ないだろうと谷の水を汲む。きょうの火器は、通さんのストーブトピに反応して、久々に野外に連れ出したファイヤージェットちゃん。しかし、ライターでは火を着け難い。
そもそも白ガスには嫌な記憶がある。---山のように集めたごみを燃やそうとして白ガスをかけた。太陽が輝く晴天の日中だ。
火をつけようとライターを付けた途端ボワッ!と火炎に包まれ、前毛と眉毛が一瞬にして灰となったのだ。---
ザックにマッチを入れてたはずだと探し出して、火を付ける。今度は風に揺られてジェネレーターを温めることなく消えてしまった。風防を付けてやっとこさ燃焼。
湯を沸かしインスタントラーメン(マルちゃんの正麺が最近のお気に入り)を投入。
おっ、湯が吹きこぼれると火力を落とそうとダイヤルを落とせば、火が消えた。
結局火力調整は、鍋を持って炎から遠ざけるしかないことを改めて知る(^^;。
左岸を大巻きしていると、滝上の谷は土砂が溜り荒涼たる光景が広がっている。崩落地が近いのだろう。谷中に一本のサワグルミが仁王立ちだ。樹皮は痛々しく剥がれているが、この樹は春には再び芽吹くのだろうか?
谷いっぱいに埋め尽くした土砂と流木の中を水流がくねるように続く。すでに積雪は10㎝を越えて歩き難い。積雪の無い谷の流れに沿って辿って行く。
滝を巻き終えてから、土石流を起こした崩落地までは、20分かかっている。その間、谷は土砂で埋め尽くされているのだ。以前の谷風景を想像することすらできない。
青空の中、見上げる広い崩落地は雪が付ききれいにも見えるが、凄まじい土砂の量である。
そして崩落地の対岸は、目測で最大50m程まで、樹木が無くなり岩が露出している。土石流はそこまで駆け上がったのだろう。
木梶・女滝、千石谷・井戸谷、ヌタハラ谷・夫婦滝前の土石流現場を見たが、この野江俣の崩壊はその何倍、いや何十倍もの大規模なものであろう。
[attachment=0]崩落現場を見上げる_925.jpg[/attachment]
こういう光景を見ると、以前の落ちついた野江俣谷を見たくなって、さらに上流に足を運ぼうと廊下に入った。積雪と入り口部分は両岸土砂も被り、足を置くところもよくわから無い中入ると、石がコロンコロンと廊下に落ちてくる。凍った斜面が陽に照らされ崩落しているのだろう。そして次には握りこぶしほどの石がすぐ横に落ちてきた。退却!である。
帰路は、しばらく土砂で埋め尽くされた谷を引き返し、左岸斜面に取ついた。やがて植林があらわれ、杣道があるはずなのだが、間伐材と小規模な土砂崩れが連続し、歩き難いことこの上ない。結局杣道を辿ることができたのは植林が終わってからだった。
木橋が無くなっているので谷降りるところを探すと、年季の入ったロープが付けられていて、強度を確かめて利用する。右岸に登るのは簡単だ。
右岸の杣道を辿りながら、こんなに谷近くに道が付けられていたろうか?と不思議に思う。たぶん谷沿いの木が流され、見通しが良くなったからそう思うんだろう。
帰宅後、以前の野江俣谷との違いを比較しようと、野江俣谷の遡行記録を検索していたら、思いもよらないことがわかった。
京都府立大ワンゲルの記録だ。彼らは2011年の7月30/31日に野江俣谷を遡行している。
その記録には、すでに7月の末で、土石流が発生して、谷が土砂で埋めつくされていことが記録されていたのだ。
つまり、最大規模の台風6号・マーゴンが7月20日に徳島に上陸し、この地にも雨を降らせて、この土石流を起こしていたのだ。そしてさらに9月の大雨台風タラスによって、さらなる崩落が起こり、大量の水流と土砂によって、江馬小屋谷出合から下流部を崩壊させたのだ。
ここヤブコギには、6月に野江俣谷を遡行したレポ「沢【台高】蓮川・野江股谷からナンノ木平」が矢問さんによりアップされているが、参加された方たちは幸運な遡行だったなぁとつくづく思う。
新たな情報です。