【台高】修行の尾根といとなみの稜線   寺谷周回

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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【台高】修行の尾根といとなみの稜線   寺谷周回

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2011年12月28日(水)
【山 域】台高
【コース】久瀬林道入口P7:30---9:17釣鐘堂跡---11:33P922---12:40寺高ノ高---久瀬林道入口P15:10
【メンバー】単独

 台高に興味を持ち始めたころに県立図書館で見かけた『奥熊野の民俗』という地元の民俗誌にある「寺谷周行」という文章が気になりコピーしてファイルにとじたままになっていた。台高南部の山に登った事が無かったので山域を含めピンとこなかったのだろう。前回、坊主揚げの古道を登った際に林道から寺谷周回コースの様子も見れたので行くことにした。ヤブコギ猿人で検索するとまたもやZIPPさんのレポがヒット。しかもZIPPさんも同じ文章を読んで登ろうと思ったようだ。ということで、前回に引き続きZIPPさんの後追い山行を決行することにした。

 紀北町海山の往古川は堆積した土砂を運び出す作業が続けられており、道路脇に駐車できない。久瀬谷林道入口の空地に駐車する。土砂におおわれ流れがほとんどない往古川を渡り尾根に取りつく。下草の刈られていない植林地を上って行くと朽ちた金網フェンスに突き当たった。フェンスごしに左にまいていくと古い溝道が下からの上ってきている。溝道の横には岩が意図的に集められたラインがあり、ヤブの無い岩のラインが真っ直ぐ上っている。これを使いながら上り、杣道が横切っている場所から杣道をたどった。この道は現役の杣道で、いいテンポで小尾根を上っていく。上りついた尾根には、青いペンキの腕章をつけた木が並ぶ新幹線が走っていた。ZIPPさんは、この新幹線を使ったようだ。しばらく行くと釣鐘堂跡に着いた。

 ここには広い平地が広がっている。その真ん中に5mの大杉が枝を広げて鎮座している。この大きさと存在感からして、ここには寺か何かがあったと考えていいように思う。少なくともここが特別な場所であったことは間違いない。少し奥には大きく腕を広げた4.5mの大木もあった。

釣鐘堂跡の主
釣鐘堂跡の主
 ここからは、岩尾根となり、最初の大岩は右に巻きながら上る。その後の大岩が尾根上に立ちはだかる場所は基本的に植林の右側を巻きながら上る。新幹線の木に向かって右から巻き上がったところがP489で、二本の太い杉があった。このあたりから番号のついた境界標石が現れだす。

 平岩谷左岸の一枚岩をながめつつZIPPさんいわく「足元をスースーしながら歩く岩稜」を歩く。境界標石のある尾根だけに道はしっかりはしている。ただ、何の落ち葉かわからないがよく滑るのと、テープはほとんど無いので巻く個所は自分で判断しなければならない。巻けない場所もあるが、道はしっかりしているので慎重に行けばよい。岩稜をすぎると尾根が太くなりブナの木が多くなりはじめたあたりで老杉があらわれるとP922は間近かだ。山頂からは県境稜線の山々が雪をかぶっているのが見える。

 こここから続く口坊主・奥坊主を坊主揚げと「寺谷周行」の著者は言っているが、違うように思う。

『奈良の川上村から大台ケ原を経て大杉谷に下り紀北町船津に至る土倉古道の事を調べていく内に、大杉谷から船津に至る道がそれ以前にあった事を知った。寛政元年(1789年)9月1日に行われた第51回の式年遷宮のために大杉谷源流の堂倉谷・粟谷・西谷ほか15か所で伐採がおこなわれた。式年遷宮というのは、伊勢神宮の外宮・内宮の二つの正殿、14の別宮、65棟の殿舎などを20年ごとに建て替える行事で、1万本以上のヒノキが使われる。天明(1781~88年)の初めごろ船津よりアザミ谷(堂倉小屋の西の谷)まで新墾の道を切り開き神宮御造営用材伐採の木本祭が執行され伐採が始められた。』
                                              (坊主揚げの古道を歩き雪の嘉茂助谷の頭へ)
木本祭をとりおこなう神官(坊主)と祭の準備のための物資や生活物資をアザミ谷まで運ぶ道にしては厳しすぎる。それにアザミ谷に向かうのにわざわざ遠回りして坊主尾根を使うというのも理に合わない。前回登った八町尾根が最短でアザミ谷にたどり着けるのと歩きやすさから考えて坊主揚げの道と考えいいだろう。

 ただ、この道にも多くの大木が残されており古くから使われてきたことがわかる。釣鐘堂跡や岩稜に口坊主・奥坊主もあることから修験者が修行を行った場ではないかと思う。修験者の拠点であった伊勢の朝熊山と熊野を結ぶ熊野古道から見える位置にあり、円空をはじめ多くの修験者が熊野古道を歩いていたことを考えると可能性の無い話ではない。それに関する歴史的な記録があればいいのだが・・・

修行の尾根
修行の尾根
 P922から寺谷の源流部を巻き黄色テープのある右の尾根を歩く。この尾根は太いので直進しそうになるが、寺谷ノ高へは途中で左折しなけれなならない。間違ってもおかしくない場所だが赤テープがつけられているのでわかる。

 最初の鞍部を越えたあたりの岩井谷側の稜線より少し下に道が通っている。Niuyamadaさんのブログで木馬道だろうと紹介されていた道だ。しばらく道をたどるが、稜線から離れだしたあたりで登山道にもどる。P825の手前に広いコバがあり動物たちが遊ぶ大きなヌタ場があった。P825と寺谷ノ高の鞍部には小屋跡の石組が残っている。5m×3mの石組の中に3m×1mの炉と思われる石組が配置されている。大部分が土に埋もれてはいるがきれいなしっかりした石組だ。小屋の前を木馬道が通り、その先はつづら折れの道になっている。木馬を運ぶ時の休憩場所としてこの小屋は使われていたのだろうか。この近くに湧水があるようだが、今日は流れていなかった。

小屋跡
小屋跡
 しばらく上ると寺谷ノ高に着く。ここで初めて、嘉茂助谷ノ頭と県境稜線に大台ケ原、千尋ノ高と北部台高の広く輝く山々が大パノラマとなって全貌を見せてくれる。しかも、雲ひとつない青空の下、雄大な熊野灘とリアス式海岸が手に取るように見える。この景色は何物にもかえがたい。
雄大な熊野灘
雄大な熊野灘
 この尾根には古い大木の切り株がいくつか見られる。同じような時期に伐採されたようだ。それと、人とのかかわりを示すように枝割れの木が多くなってくる。

 寺谷ノ高を右に巻きながら下り。P768を過ぎた鉄塔尾根を下る。テープを追って下って行くと途中で高山の鉄塔につながる巡視路に出会う。ここから次の鉄塔までは良い道だが、尾根上の地蔵さんのような大岩を巻ながらトラバースしていくあたりから怪しくなってくる。間違うことは無いと思うが、普通の巡視路と思って下るとかなり違和感があると思う。トラバースが終わり尾根に復帰すると普通の巡視路にもどり、今日歩いた寺谷周回の道を全部見せてくれる。

木馬道
木馬道
 寺谷ノ高の稜線は、木馬道に小屋跡、古木の切り株に枝割れの木と昔の人のいとなみを感じることのできる道だった。修行の尾根といとなみの稜線という二つの顔を見せてくれた寺谷周回だった。天候にも恵まれ良い〆の山行ができた。
緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

Re: 【台高】修行の尾根といとなみの稜線   寺谷周回

投稿記事 by 緑水 »

正月準備もチョッとできた感じ、チョッとパソ開けたらナンだこれわ。
なるほど、なんで天気悪いのに行ったの’に反応しましたか。

わりばし さんが書きました:【日 付】2011年12月28日(水)
【山 域】台高
【コース】久瀬林道入口P7:30---9:17釣鐘堂跡---11:33P922---12:40寺高ノ高---久瀬林道入口P15:10?。
なるほどなあ、よく判りました。判ったのは「寺谷周回」を検索したら、好いレポートがあがっておりました。
コース取りやポイントがよく判るのですたよ。

登りが 修行の尾根で下りが、いとなみの稜線ってとこですか。
緑ちゃんこれ読んだときにピンときたよ、先に登った坊主尾根のp966から先の口坊主、奥坊主が修験者の本宮でしょう。
ココに書かれてるお寺が泊り場なんだろうな。
高丸山からズーッと尾根通しの道が有るよ思うけどなあ。高丸山に何か有るんじゃないかなあ?。

往古川を渡り尾根に取りつく。下草の刈られていない植林地を上って行くと朽ちた金網フェンスに突き当たった。フェンスごしに左にまいていくと古い溝道が下からの上ってきている。溝道の横には岩が意図的に集められたラインがあり、ヤブの無い岩のラインが真っ直ぐ上っている。これを使いながら上り、杣道が横切っている場所から杣道をたどった。この道は現役の杣道で、いいテンポで小尾根を上っていく。上りついた尾根には、青いペンキの腕章をつけた木が並ぶ新幹線が走っていた。ZIPPさんは、この新幹線を使ったようだ。しばらく行くと釣鐘堂跡に着いた。
なるほど取り付きは間違いないようだけど、なぞるような後追いはチョッとね。杣道の登り口はドコなんだろな。
 ここからは、岩尾根となり、最初の大岩は右に巻きながら上る。その後の大岩が尾根上に立ちはだかる場所は基本的に植林の右側を巻きながら上る。新幹線の木に向かって右から巻き上がったところがP489で、二本の太い杉があった。このあたりから番号のついた境界標石が現れだす。
この新幹線っうのはナンですか?広い道らしきが有るのでしょうか。
 平岩谷左岸の一枚岩をながめつつZIPPさんいわく「足元をスースーしながら歩く岩稜」を歩く。境界標石のある尾根だけに道はしっかりはしている。ただ、何の落ち葉かわからないがよく滑るのと、テープはほとんど無いので巻く個所は自分で判断しなければならない。巻けない場所もあるが、道はしっかりしているので慎重に行けばよい。
チョッと怖そうな感じですね、持つ立木が有れば好いんですけどね。


岩稜をすぎると尾根が太くなりブナの木が多くなりはじめたあたりで老杉があらわれるとP922は間近かだ。山頂からは県境稜線の山々が雪をかぶっているのが見える。
 こここから続く口坊主・奥坊主を坊主揚げと「寺谷周行」の著者は言っているが、違うように思う。

                                              (坊主揚げの古道を歩き雪の嘉茂助谷の頭へ)
木本祭をとりおこなう神官(坊主)と祭の準備のための物資や生活物資をアザミ谷まで運ぶ道にしては厳しすぎる。それにアザミ谷に向かうのにわざわざ遠回りして坊主尾根を使うというのも理に合わない。前回登った八町尾根が最短でアザミ谷にたどり着けるのと歩きやすさから考えて坊主揚げの道と考えいいだろう。
 

いろいろ想像逞しくするとオモシロいね。尾根から河原小屋谷へ降りて地池谷に乗り越すはどうですか。近いよ。
鈴鹿でもいろいろ見てきたけど、基点と目的地を定規で引くのそして歩き良いところを巧く道が付けられてるあります。
修験者の拠点であった伊勢の朝熊山と熊野を結ぶ熊野古道から見える位置にあり、円空をはじめ多くの修験者が熊野古道を歩いていたことを考えると可能性の無い話ではない。それに関する歴史的な記録があればいいのだが・
意外とあるカモ

P825と寺谷ノ高の鞍部には小屋跡の石組が残っている。5m×3mの石組の中に3m×1mの炉と思われる石組が配置されている。大部分が土に埋もれてはいるがきれいなしっかりした石組だ。小屋の前を木馬道が通り、その先はつづら折れの道になっている。木馬を運ぶ時の休憩場所としてこの小屋は使われていたのだろうか。この近くに湧水があるようだが、今日は流れていなかった。[/color]

道は縦横に付けられてたと思うよ、河原小屋谷からの巨木の運び出しはどうするの?岩井谷は険しいからこの尾根に上げると思うよ。
運び出しの尾根と見たね。


 しばらく上ると寺谷ノ高に着く。ここで初めて、嘉茂助谷ノ頭と県境稜線に大台ケ原、千尋ノ高と北部台高の広く輝く山々が大パノラマとなって全貌を見せてくれる。しかも、雲ひとつない青空の下、雄大な熊野灘とリアス式海岸が手に取るように見える。この景色は何物にもかえがたい。
良かったですね、好いお天気にいけてね。太平洋の眺めは伊勢湾とはチャウよね。

 この尾根には古い大木の切り株がいくつか見られる。同じような時期に伐採されたようだ。それと、人とのかかわりを示すように枝割れの木が多くなってくる。
トラバースが終わり尾根に復帰すると普通の巡視路にもどり、今日歩いた寺谷周回の道を全部見せてくれる。
これが好いんですよね、自分の歩いた後が回顧できるのがね。

 寺谷ノ高の稜線は、木馬道に小屋跡、古木の切り株に枝割れの木と昔の人のいとなみを感じることのできる道だった。修行の尾根といとなみの稜線という二つの顔を見せてくれた寺谷周回だった。天候にも恵まれ良い〆の山行ができた。
あた項目がひとつ増えましたですワン。

紀伊半島のど真ん中、果無山脈の冷水山に登ったこと有るよ。ココも歴史ある所遣り残しもあるんだ。
五条~新宮への鉄道、五新腺跡が見たいのだ。

                          緑水

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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】修行の尾根といとなみの稜線   寺谷周回

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、緑水さん。
[/color]
わりばし さんが書きました:【日 付】2011年12月28日(水)
【山 域】台高
【コース】久瀬林道入口P7:30---9:17釣鐘堂跡---11:33P922---12:40寺高ノ高---久瀬林道入口P15:10?。
なるほどなあ、よく判りました。判ったのは「寺谷周回」を検索したら、好いレポートがあがっておりました。
コース取りやポイントがよく判るのですたよ。

登りが 修行の尾根で下りが、いとなみの稜線ってとこですか。
緑ちゃんこれ読んだときにピンときたよ、先に登った坊主尾根のp966から先の口坊主、奥坊主が修験者の本宮でしょう。
ココに書かれてるお寺が泊り場なんだろうな。
高丸山からズーッと尾根通しの道が有るよ思うけどなあ。高丸山に何か有るんじゃないかなあ?。


修験者にとっては口坊主、奥坊主がメインでしょうね。鉾とか祠とか何か残っていなかったのかな?

高丸山からの尾根通しの道を歩いて修行をするっていうのもあるかもしれませんね。

往古川を渡り尾根に取りつく。下草の刈られていない植林地を上って行くと朽ちた金網フェンスに突き当たった。フェンスごしに左にまいていくと古い溝道が下からの上ってきている。溝道の横には岩が意図的に集められたラインがあり、ヤブの無い岩のラインが真っ直ぐ上っている。これを使いながら上り、杣道が横切っている場所から杣道をたどった。この道は現役の杣道で、いいテンポで小尾根を上っていく。上りついた尾根には、青いペンキの腕章をつけた木が並ぶ新幹線が走っていた。ZIPPさんは、この新幹線を使ったようだ。しばらく行くと釣鐘堂跡に着いた。
なるほど取り付きは間違いないようだけど、なぞるような後追いはチョッとね。杣道の登り口はドコなんだろな。

ZIPPさんが取り付いた杣道の登り口は、寺谷の出会い付近のように思います。
 ここからは、岩尾根となり、最初の大岩は右に巻きながら上る。その後の大岩が尾根上に立ちはだかる場所は基本的に植林の右側を巻きながら上る。新幹線の木に向かって右から巻き上がったところがP489で、二本の太い杉があった。このあたりから番号のついた境界標石が現れだす。
この新幹線っうのはナンですか?広い道らしきが有るのでしょうか。

私がたどってきた杣道と比べると格段に立派な杣道に見えました。
新幹線の腕章
新幹線の腕章
 平岩谷左岸の一枚岩をながめつつZIPPさんいわく「足元をスースーしながら歩く岩稜」を歩く。境界標石のある尾根だけに道はしっかりはしている。ただ、何の落ち葉かわからないがよく滑るのと、テープはほとんど無いので巻く個所は自分で判断しなければならない。巻けない場所もあるが、道はしっかりしているので慎重に行けばよい。
チョッと怖そうな感じですね、持つ立木が有れば好いんですけどね。

持つ立木もありますので、慎重に行けば問題ないかと思います。

ただ、下りに使うのはどうかと思います。


岩稜をすぎると尾根が太くなりブナの木が多くなりはじめたあたりで老杉があらわれるとP922は間近かだ。山頂からは県境稜線の山々が雪をかぶっているのが見える。
 こここから続く口坊主・奥坊主を坊主揚げと「寺谷周行」の著者は言っているが、違うように思う。

                                              (坊主揚げの古道を歩き雪の嘉茂助谷の頭へ)
木本祭をとりおこなう神官(坊主)と祭の準備のための物資や生活物資をアザミ谷まで運ぶ道にしては厳しすぎる。それにアザミ谷に向かうのにわざわざ遠回りして坊主尾根を使うというのも理に合わない。前回登った八町尾根が最短でアザミ谷にたどり着けるのと歩きやすさから考えて坊主揚げの道と考えいいだろう。
 

いろいろ想像逞しくするとオモシロいね。尾根から河原小屋谷へ降りて地池谷に乗り越すはどうですか。近いよ。
鈴鹿でもいろいろ見てきたけど、基点と目的地を定規で引くのそして歩き良いところを巧く道が付けられてるあります。


そういう見方もありましたか。参考になります。
昔の人のすごさですね。

修験者の拠点であった伊勢の朝熊山と熊野を結ぶ熊野古道から見える位置にあり、円空をはじめ多くの修験者が熊野古道を歩いていたことを考えると可能性の無い話ではない。それに関する歴史的な記録があればいいのだが・
意外とあるカモ

ちょっと探してみます。
釣鐘堂跡のイヌグス
釣鐘堂跡のイヌグス
P825と寺谷ノ高の鞍部には小屋跡の石組が残っている。5m×3mの石組の中に3m×1mの炉と思われる石組が配置されている。大部分が土に埋もれてはいるがきれいなしっかりした石組だ。小屋の前を木馬道が通り、その先はつづら折れの道になっている。木馬を運ぶ時の休憩場所としてこの小屋は使われていたのだろうか。この近くに湧水があるようだが、今日は流れていなかった。[/color]

道は縦横に付けられてたと思うよ、河原小屋谷からの巨木の運び出しはどうするの?岩井谷は険しいからこの尾根に上げると思うよ。
運び出しの尾根と見たね。


木馬道がどう続いているかがヒントになるんでしょうね。
 しばらく上ると寺谷ノ高に着く。ここで初めて、嘉茂助谷ノ頭と県境稜線に大台ケ原、千尋ノ高と北部台高の広く輝く山々が大パノラマとなって全貌を見せてくれる。しかも、雲ひとつない青空の下、雄大な熊野灘とリアス式海岸が手に取るように見える。この景色は何物にもかえがたい。
良かったですね、好いお天気にいけてね。太平洋の眺めは伊勢湾とはチャウよね。

そうですね、御殿場の浜が見える伊勢湾と違い、太平洋はさえぎるものもなく広がっていますから。
太平洋
太平洋
この尾根には古い大木の切り株がいくつか見られる。同じような時期に伐採されたようだ。それと、人とのかかわりを示すように枝割れの木が多くなってくる。
トラバースが終わり尾根に復帰すると普通の巡視路にもどり、今日歩いた寺谷周回の道を全部見せてくれる。
これが好いんですよね、自分の歩いた後が回顧できるのがね。

周回したという実感が持てます。
 寺谷ノ高の稜線は、木馬道に小屋跡、古木の切り株に枝割れの木と昔の人のいとなみを感じることのできる道だった。修行の尾根といとなみの稜線という二つの顔を見せてくれた寺谷周回だった。天候にも恵まれ良い〆の山行ができた。
あた項目がひとつ増えましたですワン。

紀伊半島のど真ん中、果無山脈の冷水山に登ったこと有るよ。ココも歴史ある所遣り残しもあるんだ。
五条~新宮への鉄道、五新腺跡が見たいのだ。


なかなか興味深い山域でした。

五新腺跡ですか。
鉄道が産業振興の象徴だった時期がありましたから。
おもしろそうですね。
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zipp
記事: 1165
登録日時: 2011年3月09日(水) 22:49

Re: 【台高】修行の尾根といとなみの稜線   寺谷周回

投稿記事 by zipp »


 わりばしさん、こんばんは!です。

 寺谷ノ高でしたか。
嘉茂助谷ノ頭に行った折には、すでに登られるつもりだったのですね。

久瀬谷林道入口の空地に駐車する。土砂におおわれ流れがほとんどない往古川を渡り尾根に取りつく。下草の刈られていない植林地を上って行くと朽ちた金網フェンスに突き当たった。
 わりばしさんは、久瀬谷対岸の尾根に取付いたんかな?
「下草の刈られていない」って、ウラジロシダの中を登ったの?そうならダニいっぱい付いたのでは!?


上りついた尾根には、青いペンキの腕章をつけた木が並ぶ新幹線が走っていた。ZIPPさんは、この新幹線を使ったようだ。
そう。寺谷出合から左岸尾根には、この青ラインが続いていました。

 ここには広い平地が広がっている。その真ん中に5mの大杉が枝を広げて鎮座している。この大きさと存在感からして、ここには寺か何かがあったと考えていいように思う。少なくともここが特別な場所であったことは間違いない。少し奥には大きく腕を広げた4.5mの大木もあった。
 ですよね。平地に大木が幾つかある。寺があったとしてもおかしくないところ。
茶碗か何か落ちていないかと、帰りに探すつもりだったんだけど…。

 平岩谷左岸の一枚岩をながめつつZIPPさんいわく「足元をスースーしながら歩く岩稜」を歩く。境界標石のある尾根だけに道はしっかりはしている。
 ただ一か所、乗り越えがたい段差のある岩が無かったですか?わたしが行ったときは、木が掛けられていてそれを利用しましたが。
 大岩が割れたところには行かれませんでした?眺望抜群でしたよ(…て、わたしが云った日は眺望がない日でしたが)。

ただ、何の落ち葉かわからないがよく滑るのと
 照葉樹林の山はよく滑ります。
今日は、断崖絶壁の海崖の道を通ってましたが、滑る滑る…(^^;


 こここから続く口坊主・奥坊主を坊主揚げと「寺谷周行」の著者は言っているが、違うように思う。
 これは、あり得ませんね。先日の樋ヶ谷中尾が、坊主揚げの道です。
確か、この著者は、武四郎翁に関しても間違ったことを書いていたように思います。

 ただ、この道にも多くの大木が残されており古くから使われてきたことがわかる。釣鐘堂跡や岩稜に口坊主・奥坊主もあることから修験者が修行を行った場ではないかと思う。修験者の拠点であった伊勢の朝熊山と熊野を結ぶ熊野古道から見える位置にあり、円空をはじめ多くの修験者が熊野古道を歩いていたことを考えると可能性の無い話ではない。それに関する歴史的な記録があればいいのだが・・・
 面白いですね。
 旧大内山村には、行者山・真弓行者山があって役小角が奉られてます。これより以南は、大峰詣でがあったようです。
寺谷ノ高近くで役小角が奉られているのは、どこだろう?天狗倉山にあったろうか?

P922から寺谷の源流部を巻き黄色テープのある右の尾根を歩く。この尾根は太いので直進しそうになるが、寺谷ノ高へは途中で左折しなけれなならない。間違ってもおかしくない場所だが赤テープがつけられているのでわかる。
 ここは、ちょっとわかりづらい場所でした。

木馬を運ぶ時の休憩場所としてこの小屋は使われていたのだろうか。この近くに湧水があるようだが、今日は流れていなかった。
 この日は水は流れてなかったようですが、ここは休憩所というより、水は貴重ですから住居・飯場としてあったんでしょう。

しばらく上ると寺谷ノ高に着く。ここで初めて、嘉茂助谷ノ頭と県境稜線に大台ケ原、千尋ノ高と北部台高の広く輝く山々が大パノラマとなって全貌を見せてくれる。しかも、雲ひとつない青空の下、雄大な熊野灘とリアス式海岸が手に取るように見える。この景色は何物にもかえがたい。
 嘉茂助あたりも見えましたか。
先日の嘉茂助では、眺望が果たせなかったですから、良かったですね~。


それと、人とのかかわりを示すように枝割れの木が多くなってくる。
 枝割れの木って、どんな木を云うのでしょう?

 寺谷ノ高を右に巻きながら下り。P768を過ぎた鉄塔尾根を下る。
 高山までは行ってないんですね。「寺谷周行」のルートなんだ。

ここから次の鉄塔までは良い道だが、尾根上の地蔵さんのような大岩を巻ながらトラバースしていくあたりから怪しくなってくる。
 えっ、そんなに怪しい巡視路ですか(^^;。
今回のレポ、わりばしさん結構丁寧に案内されているけど…(^^;

 寺谷ノ高の稜線は、木馬道に小屋跡、古木の切り株に枝割れの木と昔の人のいとなみを感じることのできる道だった。修行の尾根といとなみの稜線という二つの顔を見せてくれた寺谷周回だった。天候にも恵まれ良い〆の山行ができた。
 この山域、おもしろい山域ですよね。岩もあって眺望もいいし。
歴史については、尾鷲・相賀の庄屋文書が読み解かれると新たな発見があるかもしれません。
 わりばしさん、いい年〆の山行でしたね。
いろいろとお世話になりました。また来る年もよろしくお願いします。

南伊勢の海崖から寺谷ノ高方面を望む
南伊勢の海崖から寺谷ノ高方面を望む
   zipp
アバター
わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】修行の尾根といとなみの稜線   寺谷周回

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、ZIPPさん。

 寺谷ノ高でしたか。
嘉茂助谷ノ頭に行った折には、すでに登られるつもりだったのですね。

そうです。以前から気にはなっていましたから。

久瀬谷林道入口の空地に駐車する。土砂におおわれ流れがほとんどない往古川を渡り尾根に取りつく。下草の刈られていない植林地を上って行くと朽ちた金網フェンスに突き当たった。
 わりばしさんは、久瀬谷対岸の尾根に取付いたんかな?
「下草の刈られていない」って、ウラジロシダの中を登ったの?そうならダニいっぱい付いたのでは!?

久瀬谷の対岸の尾根の少し下流から取り付きました。

岩が集められたラインが上に伸びていて、これを使いました。

シダの中を上のラインまで上りましたが、ダニは大丈夫でした。

岩のライン
岩のライン
上りついた尾根には、青いペンキの腕章をつけた木が並ぶ新幹線が走っていた。ZIPPさんは、この新幹線を使ったようだ。
そう。寺谷出合から左岸尾根には、この青ラインが続いていました。

 ここには広い平地が広がっている。その真ん中に5mの大杉が枝を広げて鎮座している。この大きさと存在感からして、ここには寺か何かがあったと考えていいように思う。少なくともここが特別な場所であったことは間違いない。少し奥には大きく腕を広げた4.5mの大木もあった。
 ですよね。平地に大木が幾つかある。寺があったとしてもおかしくないところ。
茶碗か何か落ちていないかと、帰りに探すつもりだったんだけど…。

何か史料が残ってないんですかね?

 平岩谷左岸の一枚岩をながめつつZIPPさんいわく「足元をスースーしながら歩く岩稜」を歩く。境界標石のある尾根だけに道はしっかりはしている。
 ただ一か所、乗り越えがたい段差のある岩が無かったですか?わたしが行ったときは、木が掛けられていてそれを利用しましたが。
 大岩が割れたところには行かれませんでした?眺望抜群でしたよ(…て、わたしが云った日は眺望がない日でしたが)。

無理やり段差を上がったところがあったような。

大岩の割れたところは気がつかなかったなあ。
大岩がいっぱい
大岩がいっぱい
ただ、何の落ち葉かわからないがよく滑るのと
 照葉樹林の山はよく滑ります。
今日は、断崖絶壁の海崖の道を通ってましたが、滑る滑る…(^^;

岩場と照葉樹の落葉の取り合わせの悪さを初めて実感しました。

 こここから続く口坊主・奥坊主を坊主揚げと「寺谷周行」の著者は言っているが、違うように思う。
 これは、あり得ませんね。先日の樋ヶ谷中尾が、坊主揚げの道です。
確か、この著者は、武四郎翁に関しても間違ったことを書いていたように思います。

そうです。

松浦武四郎は、樋ヶ谷中尾を坊主揚げの道とちゃんと記述しています。

それを、勘違いしたのだろうと書いていますね。


 ただ、この道にも多くの大木が残されており古くから使われてきたことがわかる。釣鐘堂跡や岩稜に口坊主・奥坊主もあることから修験者が修行を行った場ではないかと思う。修験者の拠点であった伊勢の朝熊山と熊野を結ぶ熊野古道から見える位置にあり、円空をはじめ多くの修験者が熊野古道を歩いていたことを考えると可能性の無い話ではない。それに関する歴史的な記録があればいいのだが・・・
 面白いですね。
 旧大内山村には、行者山・真弓行者山があって役小角が奉られてます。これより以南は、大峰詣でがあったようです。
寺谷ノ高近くで役小角が奉られているのは、どこだろう?天狗倉山にあったろうか?

修験道に関しては何が出てきてもおかしくない伊勢と熊野を結ぶ地域ですから興味はつきないですね。

木馬を運ぶ時の休憩場所としてこの小屋は使われていたのだろうか。この近くに湧水があるようだが、今日は流れていなかった。
 この日は水は流れてなかったようですが、ここは休憩所というより、水は貴重ですから住居・飯場としてあったんでしょう。

そうでしょうね。炉もあったようですから。

しばらく上ると寺谷ノ高に着く。ここで初めて、嘉茂助谷ノ頭と県境稜線に大台ケ原、千尋ノ高と北部台高の広く輝く山々が大パノラマとなって全貌を見せてくれる。しかも、雲ひとつない青空の下、雄大な熊野灘とリアス式海岸が手に取るように見える。この景色は何物にもかえがたい。
 嘉茂助あたりも見えましたか。
先日の嘉茂助では、眺望が果たせなかったですから、良かったですね~。

風も無く、いい眺望でした。

山からはなかなか見れない景色です。


それと、人とのかかわりを示すように枝割れの木が多くなってくる。
 枝割れの木って、どんな木を云うのでしょう?

炭に使われたようなアガリコみたいな木です。
枝割れの木
枝割れの木
 寺谷ノ高を右に巻きながら下り。P768を過ぎた鉄塔尾根を下る。
 高山までは行ってないんですね。「寺谷周行」のルートなんだ。

そうです。寺谷周行の逆コースです。

ここから次の鉄塔までは良い道だが、尾根上の地蔵さんのような大岩を巻ながらトラバースしていくあたりから怪しくなってくる。
 えっ、そんなに怪しい巡視路ですか(^^;。
今回のレポ、わりばしさん結構丁寧に案内されているけど…(^^;

大岩を巻くあたりは怪しかったですね。

なかなかいろいろ楽しめたコースだったので、いつもより長めになってしまいました。


 寺谷ノ高の稜線は、木馬道に小屋跡、古木の切り株に枝割れの木と昔の人のいとなみを感じることのできる道だった。修行の尾根といとなみの稜線という二つの顔を見せてくれた寺谷周回だった。天候にも恵まれ良い〆の山行ができた。
 この山域、おもしろい山域ですよね。岩もあって眺望もいいし。
歴史については、尾鷲・相賀の庄屋文書が読み解かれると新たな発見があるかもしれません。
 わりばしさん、いい年〆の山行でしたね。
いろいろとお世話になりました。また来る年もよろしくお願いします。

庄屋文章ですか。

それ以前に、昔の字が読めないと難しいなあ・・・

こちらこそ、たくさん遊ばせていただきありがとうございうました。

来年もよろしくおねがいします。
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