【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
【日 付】2011年11月20日(日)
【山 域】鈴鹿北部霊仙山(地形図、「彦根東部」「霊仙山」)
【メンバー】めずらしく単独
【天 候】曇り後一瞬晴れ後雨と濃霧のち雨時々曇り
【コース】上丹生-昼坂峠-お虎ヶ池-井戸谷源頭-お虎ヶ池-八坂神社-昼坂峠-上丹生
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
ということで、今回は地形図2枚(2.5万図)、エアリア(5万図)とコンパスに、保険と高度計代わりのGPS(ただし、地図は表示されないタイプ)を頼りに山中を彷徨するつもり。ただし、西尾本1巻のP110,130の地図のコピペを持ってき忘れたのが悔やまれるところであった。
前日に木津まで出るのでそのまま地道を走って彦根に向かう。彦根市内で買出しをし、上丹生を抜けて榑ヶ畑へ、しかし真っ暗な林道はなんとも心もとない。ということで林道を途中ですごすごと引き返し、上丹生のこぶとり地蔵前公園の大銀杏下の駐車場に車を止めた。
ここは、屋根つきのベンチに電灯と水洗トイレまであり便利な場所である。鍋とビールとボージョレヌーボーの夕食を採り、車中の宿とする。この日はシュラフに入らずとも寒くない快適な夜であったが、夜中の1時ごろに目が覚めると雨が激しく車の屋根をたたいている。
天気予報では雨は上がるはずであるがどうであろうか、はるばるここまで来てそのまま帰るわけには行かないがと心配していると、ザックカバーを忘れてきたことにふと気がついた。なにせ、合羽とザックカバーを準備するような登山はひさしぶりである。最悪雨が上がらなければ傘を差して廃村めぐりも悪くないかと思う。
翌朝雨は上がっていた。傘を持っていくか悩むが、急斜面のトラバには傘は邪魔であろう。上着は合羽と冬山で使うオーバー(いずれもゴア)と2着あることに気がついた。雨が降ればザックには合羽を着てもらえばよいことに気がついた。
7時丁度。駐車地を出発。丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
そのまま谷の左岸沿いに進み堰堤を巻くと植林の中真っ直ぐ続く道が現れた。Co235付近に二俣に出てここから左俣の右岸を戻るような方向に斜面を上がる道が続く、すぐに峠が見えてきたがなにやら雰囲気がおかしい。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、峠以外の旧道が無事であるのがせめてもの救いであった。 霊仙方面への道は林道をわずかに南に下りた地点に階段が設置されていた。遠く南の方角から乾いた銃声が2発、その後比較的近くでコーンコーンと斧を振るう音が響く。
道はしっかりしたよい道が続く、昔は榑ヶ畑の子供たちが上丹生の学校へ通っていたであろう、軽車両くらいは走れたのかもしれない。そんなことを考えながら進む。
8時20分榑ヶ畑分岐。ここには「鳥獣保護区滋賀県」の看板が立つ。ここへは一昨年の7月に来ている。そのときは霊仙より下山してここから榑ヶ畑に向かったのであった。この先(屏風岩対岸辺り)地形図では大きく北斜面を巻くように描かれているが実際の道は地形図よりもだいぶ南側を通っている。道は溝型で時折倒木が進路を塞ぐが溝から出れば難なく避けることが出来る。
遠くから汽笛が何度も聞こえてくる。この時期、米原-木之本間にはSL琵琶湖号としてC56が運行されているのだ。古道にSLの汽笛。なんだかタイムスリップした感覚。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。 分岐から暫くは良い道が続いたが、やがて踏み跡は怪しくなり獣道となる。小谷を一つ渡り、屏風岩対岸から出ている大きな谷までやってきたが踏み跡は全く判らなくなった。
このままトラバを続けるか、それともこの谷を登って頂上台地に出るかと思案したが、古道を辿らなければ今回の山行の意味が無い。では地形図に破線が残る逆側から辿ろうと潔く諦め往路を分岐まで引き返した。
帰って地形図をよく見ると反対側から延びている破線の標高がco650で踏み跡を失った地点の標高がco500と標高差150mであるので道は踏み跡が怪しくなった辺りから上部に続いていた可能性が高いことに気がついた。ブランクでだいぶ勘が鈍っているようだ。まあ、おかげで金色に輝く木を見つけられたことだし好しとしよう。
さて、戻った分岐からはお虎ヶ池方向を目指して登って行く。それにしても、目ぼしい太さのミズナラは全部枯れてしまっている。このあたりのキクイムシの被害は相当酷い状態のようだ。
稜線に出たところでこの日初めて青空がのぞいた、南西尾根には登山者が一人見える。掻き分けるほどもない笹原を踏み分けお虎ヶ池に向う。
11時35分。お虎ヶ池。青空は一瞬だけで雲が降り、風が舞いだした。何処でお昼にしようかと物色しながらすすむ。
以前に遠望で見つけていた池の脇をとおり風が当らず、適当に座れるカレンフェルトでもないかと探すが、なかなか良い位置にめぐり合えない。適当なところで妥協してビールを開ける。うどん鍋にさっき取ったナメコとエノキを少々放り込む。
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。当初の予定どおり人間がオーバーを着て、ザックに合羽を着てもらう。そんなことで慌しく食事を済ます。
12時20分。出発。さっきまで見えていた青空は何処へ行ったのか、ガスも出てきてあっという間に視界は50m程になってしまった。それでも、適当に方向に当りをつけて進む。踏み跡はわりかししっかりしているが、人の道なのか鹿の道なのか、どこに向うのかも定かでない。そのうち徐々に西に向っているようで地形図とコンパスをにらむ。 何かおかしいなあ???GPSを取り出し経度を確認すると思っているのよりだいぶ西の位置が掲示されている。???ここでやや混乱する。ガスは更に濃くなり視界は30m程度まで落ちている。(帰ってログを見るとそんなおかしな場所ではなかった。経度の位置を読み違えてた?キツネに化かされたか?)
ヤーメタ!こんなんじゃ古道探索は無理だよとまたまたあっさりと諦め来た道を戻る。途中から往路の跡も判らなくなったのでとりあえずコンパスを頼りに南進して登山道に向かう。
登山道に出ると雨は更に激しくなり眼鏡に水滴が付く。視界は更に悪くなる。こりゃあかんわと登山道を汗拭峠方向に降りることにした。再度お虎ヶ池前を通り、頂上台地から降りて標高を下げていくと雲の下に出たのか視界は開けた。ヤレヤレである。
この辺り紅葉の盛りでまずまずの雰囲気、目立つ黄色はだいたいウリハダカエデのようで、時折目立つ赤色は近付いてみるとこれはイロハモミジのようであった。ケヤキのオレンジもけっこう多い。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
この尾根はco640付近までは尾根幅も広く何処でも歩ける感じで道跡も判らないが、傾斜がきつくなるその先はしっかりした道跡が残っている。一部北側に回り込む箇所でやらしいトラバがあるものの概ね歩きやすい。踏み跡はCo540から南側の巻き込んで植林の中でやがて消えるが、あとは小谷を降りると榑ヶ畑の一つ北東側の谷に降り立つ。
(帰って西尾本を確認するとco540から下も真直ぐ北西に道が書いてあるのでそちらにも踏み跡があったのかもしれない。)
ここでザックに着せてあった合羽の上着がなくなっているのに気がついた。「うげっ」もう結構使っている合羽だけど、一応ゴアだしあっさり諦めるにはかなり高価なものだ。途中何度かは背中を確認していたのでそんなに遠くではないだろうと、降りてきたルートをGPSのトラックバックを頼りに引き返す。150mほど登り返した地点で落とした合羽を発見する。本日二回目の青空が無事の再会を祝福してくれた。 15時50分。八坂神社の参道下。あたりはかなり暗くなってきた。上丹生まで林道を行くか山道を行くか少し考えるも結局山道を選ぶ。
この先、旧道を辿り、朝通った“鳥獣保護区”の看板がある分岐を目指したが、夕闇と時間を気にする焦りから、殆ど道型を辿ることが出来ない。ずるずるすべる斜面をどろどろになりながら何とか朝通った道まで出るが左の谷に降りたくない心理が働くからであろう。“鳥獣保護区”の分岐よりもだいぶ上部に出てしまったがここまで来たら後は朝歩いている道なので一安心である。 16時55分昼坂峠。夕闇が更に降りていた。この先の植林の中は真っ暗である。ここでヘッデンを取り出し、闇下体制を整える。
登山道の闇下は経験があるが、廃道の闇下は初体験であった。ここまで降りてくれば、集落は目と鼻の先ではあるが、闇中の植林で一度道を見失うとおそらくは簡単には見つけることは出来ないだろう。ジグザグ道の折り返し地点は見落とさないように最新の注意を払う。
なんとか集落に降りるとサイレンを鳴らし消防車に迎えられた。集落全体が騒がしい。火事かと思ったが、どうやら防災訓練をしているようだった。
17時20分駐車地着。久しぶりの一人歩きだったが、地球の重力がいつもより15%ほど減るとまだまだ歩けることが確認できた一日でした。
あきたぬき
【山 域】鈴鹿北部霊仙山(地形図、「彦根東部」「霊仙山」)
【メンバー】めずらしく単独
【天 候】曇り後一瞬晴れ後雨と濃霧のち雨時々曇り
【コース】上丹生-昼坂峠-お虎ヶ池-井戸谷源頭-お虎ヶ池-八坂神社-昼坂峠-上丹生
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
ということで、今回は地形図2枚(2.5万図)、エアリア(5万図)とコンパスに、保険と高度計代わりのGPS(ただし、地図は表示されないタイプ)を頼りに山中を彷徨するつもり。ただし、西尾本1巻のP110,130の地図のコピペを持ってき忘れたのが悔やまれるところであった。
前日に木津まで出るのでそのまま地道を走って彦根に向かう。彦根市内で買出しをし、上丹生を抜けて榑ヶ畑へ、しかし真っ暗な林道はなんとも心もとない。ということで林道を途中ですごすごと引き返し、上丹生のこぶとり地蔵前公園の大銀杏下の駐車場に車を止めた。
ここは、屋根つきのベンチに電灯と水洗トイレまであり便利な場所である。鍋とビールとボージョレヌーボーの夕食を採り、車中の宿とする。この日はシュラフに入らずとも寒くない快適な夜であったが、夜中の1時ごろに目が覚めると雨が激しく車の屋根をたたいている。
天気予報では雨は上がるはずであるがどうであろうか、はるばるここまで来てそのまま帰るわけには行かないがと心配していると、ザックカバーを忘れてきたことにふと気がついた。なにせ、合羽とザックカバーを準備するような登山はひさしぶりである。最悪雨が上がらなければ傘を差して廃村めぐりも悪くないかと思う。
翌朝雨は上がっていた。傘を持っていくか悩むが、急斜面のトラバには傘は邪魔であろう。上着は合羽と冬山で使うオーバー(いずれもゴア)と2着あることに気がついた。雨が降ればザックには合羽を着てもらえばよいことに気がついた。
7時丁度。駐車地を出発。丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
そのまま谷の左岸沿いに進み堰堤を巻くと植林の中真っ直ぐ続く道が現れた。Co235付近に二俣に出てここから左俣の右岸を戻るような方向に斜面を上がる道が続く、すぐに峠が見えてきたがなにやら雰囲気がおかしい。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、峠以外の旧道が無事であるのがせめてもの救いであった。 霊仙方面への道は林道をわずかに南に下りた地点に階段が設置されていた。遠く南の方角から乾いた銃声が2発、その後比較的近くでコーンコーンと斧を振るう音が響く。
道はしっかりしたよい道が続く、昔は榑ヶ畑の子供たちが上丹生の学校へ通っていたであろう、軽車両くらいは走れたのかもしれない。そんなことを考えながら進む。
8時20分榑ヶ畑分岐。ここには「鳥獣保護区滋賀県」の看板が立つ。ここへは一昨年の7月に来ている。そのときは霊仙より下山してここから榑ヶ畑に向かったのであった。この先(屏風岩対岸辺り)地形図では大きく北斜面を巻くように描かれているが実際の道は地形図よりもだいぶ南側を通っている。道は溝型で時折倒木が進路を塞ぐが溝から出れば難なく避けることが出来る。
遠くから汽笛が何度も聞こえてくる。この時期、米原-木之本間にはSL琵琶湖号としてC56が運行されているのだ。古道にSLの汽笛。なんだかタイムスリップした感覚。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。 分岐から暫くは良い道が続いたが、やがて踏み跡は怪しくなり獣道となる。小谷を一つ渡り、屏風岩対岸から出ている大きな谷までやってきたが踏み跡は全く判らなくなった。
このままトラバを続けるか、それともこの谷を登って頂上台地に出るかと思案したが、古道を辿らなければ今回の山行の意味が無い。では地形図に破線が残る逆側から辿ろうと潔く諦め往路を分岐まで引き返した。
帰って地形図をよく見ると反対側から延びている破線の標高がco650で踏み跡を失った地点の標高がco500と標高差150mであるので道は踏み跡が怪しくなった辺りから上部に続いていた可能性が高いことに気がついた。ブランクでだいぶ勘が鈍っているようだ。まあ、おかげで金色に輝く木を見つけられたことだし好しとしよう。
さて、戻った分岐からはお虎ヶ池方向を目指して登って行く。それにしても、目ぼしい太さのミズナラは全部枯れてしまっている。このあたりのキクイムシの被害は相当酷い状態のようだ。
稜線に出たところでこの日初めて青空がのぞいた、南西尾根には登山者が一人見える。掻き分けるほどもない笹原を踏み分けお虎ヶ池に向う。
11時35分。お虎ヶ池。青空は一瞬だけで雲が降り、風が舞いだした。何処でお昼にしようかと物色しながらすすむ。
以前に遠望で見つけていた池の脇をとおり風が当らず、適当に座れるカレンフェルトでもないかと探すが、なかなか良い位置にめぐり合えない。適当なところで妥協してビールを開ける。うどん鍋にさっき取ったナメコとエノキを少々放り込む。
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。当初の予定どおり人間がオーバーを着て、ザックに合羽を着てもらう。そんなことで慌しく食事を済ます。
12時20分。出発。さっきまで見えていた青空は何処へ行ったのか、ガスも出てきてあっという間に視界は50m程になってしまった。それでも、適当に方向に当りをつけて進む。踏み跡はわりかししっかりしているが、人の道なのか鹿の道なのか、どこに向うのかも定かでない。そのうち徐々に西に向っているようで地形図とコンパスをにらむ。 何かおかしいなあ???GPSを取り出し経度を確認すると思っているのよりだいぶ西の位置が掲示されている。???ここでやや混乱する。ガスは更に濃くなり視界は30m程度まで落ちている。(帰ってログを見るとそんなおかしな場所ではなかった。経度の位置を読み違えてた?キツネに化かされたか?)
ヤーメタ!こんなんじゃ古道探索は無理だよとまたまたあっさりと諦め来た道を戻る。途中から往路の跡も判らなくなったのでとりあえずコンパスを頼りに南進して登山道に向かう。
登山道に出ると雨は更に激しくなり眼鏡に水滴が付く。視界は更に悪くなる。こりゃあかんわと登山道を汗拭峠方向に降りることにした。再度お虎ヶ池前を通り、頂上台地から降りて標高を下げていくと雲の下に出たのか視界は開けた。ヤレヤレである。
この辺り紅葉の盛りでまずまずの雰囲気、目立つ黄色はだいたいウリハダカエデのようで、時折目立つ赤色は近付いてみるとこれはイロハモミジのようであった。ケヤキのオレンジもけっこう多い。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
この尾根はco640付近までは尾根幅も広く何処でも歩ける感じで道跡も判らないが、傾斜がきつくなるその先はしっかりした道跡が残っている。一部北側に回り込む箇所でやらしいトラバがあるものの概ね歩きやすい。踏み跡はCo540から南側の巻き込んで植林の中でやがて消えるが、あとは小谷を降りると榑ヶ畑の一つ北東側の谷に降り立つ。
(帰って西尾本を確認するとco540から下も真直ぐ北西に道が書いてあるのでそちらにも踏み跡があったのかもしれない。)
ここでザックに着せてあった合羽の上着がなくなっているのに気がついた。「うげっ」もう結構使っている合羽だけど、一応ゴアだしあっさり諦めるにはかなり高価なものだ。途中何度かは背中を確認していたのでそんなに遠くではないだろうと、降りてきたルートをGPSのトラックバックを頼りに引き返す。150mほど登り返した地点で落とした合羽を発見する。本日二回目の青空が無事の再会を祝福してくれた。 15時50分。八坂神社の参道下。あたりはかなり暗くなってきた。上丹生まで林道を行くか山道を行くか少し考えるも結局山道を選ぶ。
この先、旧道を辿り、朝通った“鳥獣保護区”の看板がある分岐を目指したが、夕闇と時間を気にする焦りから、殆ど道型を辿ることが出来ない。ずるずるすべる斜面をどろどろになりながら何とか朝通った道まで出るが左の谷に降りたくない心理が働くからであろう。“鳥獣保護区”の分岐よりもだいぶ上部に出てしまったがここまで来たら後は朝歩いている道なので一安心である。 16時55分昼坂峠。夕闇が更に降りていた。この先の植林の中は真っ暗である。ここでヘッデンを取り出し、闇下体制を整える。
登山道の闇下は経験があるが、廃道の闇下は初体験であった。ここまで降りてくれば、集落は目と鼻の先ではあるが、闇中の植林で一度道を見失うとおそらくは簡単には見つけることは出来ないだろう。ジグザグ道の折り返し地点は見落とさないように最新の注意を払う。
なんとか集落に降りるとサイレンを鳴らし消防車に迎えられた。集落全体が騒がしい。火事かと思ったが、どうやら防災訓練をしているようだった。
17時20分駐車地着。久しぶりの一人歩きだったが、地球の重力がいつもより15%ほど減るとまだまだ歩けることが確認できた一日でした。
あきたぬき
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
たぬたんおはようさん、風がうなっとるワン、暖かいね。
もうだいぶ前の話だね、ヨメハンさっさと実家に帰ったてか 帰らせたじゃなくてあきたぬき さんが書きました:【日 付】2011年11月20日(日)
【コース】上丹生-昼坂峠-お虎ヶ池-井戸谷源頭-お虎ヶ池-八坂神社-昼坂峠-上丹生
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
タヌちゃんの先行きが見えるなあ。
事細かな心の癒し、ほんまもんの放浪者だよなあ。緑ちゃんの先生だ思うワン。上丹生のこぶとり地蔵前公園の大銀杏下の駐車場に車を止めた。
ここは、屋根つきのベンチに電灯と水洗トイレまであり便利な場所である。鍋とビールとボージョレヌーボーの夕食を採り、車中の宿とする。
ここの設備で泊るが正解だよ、その分早く行動に移すが好いね。緑チャンは3時起きダモンネ。
榑ヶ畑まで行かなかったのね、昼坂峠っていうのか、ビン坂何度も通った道だけど知らんかったわ。傘を持っていくか悩むが、7時丁度。駐車地を出発。丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
そのまま谷の左岸沿いに進み堰堤を巻くと植林の中真っ直ぐ続く道が現れた。
牛馬に物資を運ぶ、荷台にはチャッカリ子ども達が乗るんだ踏みしめた古道だよな。丹生から榑ヶ畑、落合、彦根への間道でしょう。番場の忠太郎関所破りモードかな。道はしっかりしたよい道が続く、昔は榑ヶ畑の子供たちが上丹生の学校へ通っていたであろう、軽車両くらいは走れたのかもしれない。そんなことを考えながら進む。
8時20分榑ヶ畑分岐。ここには「鳥獣保護区滋賀県」の看板が立つ。ここへは一昨年の7月に来ている。そのときは霊仙より下山してここから榑ヶ畑に向かったのであった。この先(屏風岩対岸辺り)地形図では大きく北斜面を巻くように描かれているが実際の道は地形図よりもだいぶ南側を通っている。道は溝型で時折倒木が進路を塞ぐが溝から出れば難なく避けることが出来る。
歩いてたですか、以前はスンナリの好い道だったんだけどな。畑地の跡がたくさん残ってるでしょう。
榑ヶ畑の人口は最盛期どれぐらい居たんだろうなあ思うよ、養い分しか住めないだろうから。
道は幾筋も有るよ、思う以上に広い畑があるよね、さ迷ったなあ。
タヌちゃんは汽車ポッポの想い出ないでしょう。遠くから汽笛が何度も聞こえてくる。この時期、米原-木之本間にはSL琵琶湖号としてC56が運行されているのだ。古道にSLの汽笛。なんだかタイムスリップした感覚。
緑ちゃんは子供のころ、亀山への汽車は二連中でね橋の上におると、スレスレに汽車が下を通るの。
そのときに煙突からの煙が身体にブワーって当るんだよな、それが二回もさ そこに入るの度胸がいるんだよ。:D
鉄橋の橋の上で汽車の来るの感じながらね、来た~って見えたら枕木の間に身体を入れてね。
汽車は蒸気を噴出すだろ、吹かれないように手を離して下の淵にドッポ~ンって落ちるのさ。
十代時の中央線は汽車だ、トンネル抜けるたびに煙で、窓閉めろ。
深夜便で、蒸気機関車を動かしてた人の話聞いたよ84歳だったかなあ、地図の奥村さん88歳かな、蒸気機関車の設計技師だ。
もうこお言う人は居なくなる、生の話聞くのもあと少しだよ。
先日、大井川に行った、千頭には古い車両が残されてた。又生きたいところだワン
コノ道は、霊仙寺への参拝古道ってコトでね。山人さん(辻涼一)さんのホムペ見るが好いよ。やり取りしましたよ、チョッと身体を壊したと風の便りで、元気だと良いけどな。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
分岐から暫くは良い道が続いたが、やがて踏み跡は怪しくなり獣道となる。小谷を一つ渡り、屏風岩対岸から出ている大きな谷までやってきたが踏み跡は全く判らなくなった。
道は谷のトラバースで完全にナイ、でも越えれば水平道につながり漆ケ谷からの道、小谷を上がれば井戸池だったかなあ。
この当りに霊仙寺が有っただろうと夢見てたのさ、谷を隔てて阿弥陀ガ峰池にも寺院が有るもんね。
ブランクでだいぶ勘が鈍っているようだ。まあ、おかげで金色に輝く木を見つけられたことだし好しとしよう。
何処でお昼にしようかと物色しながらすすむ。
妥協してビールを開ける。うどん鍋にさっき取ったナメコとエノキを少々放り込む。
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。当初の予定どおり人間がオーバーを着て、ザックに合羽を着てもらう。そんなことで慌しく食事を済ます。
山勘は確実に鈍るよな、緑チャンも長いこと孫と遊んだりボヘミでのグータラで鈍ってる感じるよ。
いまは立てないこ、環境を戻してるんだでも齢は戻らないのさ。
傘は持つべきだったでしょ、それと外周尾根で避難小屋はスグだったのにね。
コノあたりは縦横に仕事道が有ったんだろうなあ、方向さえ決まればどこかに出る。ヤーメタ!こんなんじゃ古道探索は無理だよとまたまたあっさりと諦め来た道を戻る。途中から往路の跡も判らなくなったのでとりあえずコンパスを頼りに南進して登山道に向かう。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
GPSのトラックバックはほんとにありがたいワン、色変えしないと前のとグチャグチャで迷うけどな
そうだワナ、そんなことで引っ込むおっさんじゃないもんな。であったら怖い創面かな?GPSログは安心感をもらえるもん。15時50分。八坂神社の参道下。あたりはかなり暗くなってきた。上丹生まで林道を行くか山道を行くか少し考えるも結局山道を選ぶ。
“鳥獣保護区”の分岐よりもだいぶ上部に出てしまったがここまで来たら後は朝歩いている道なので一安心である。
闇中の植林で一度道を見失うとおそらくは簡単には見つけることは出来ないだろう。ジグザグ道の折り返し地点は見落とさないように最新の注意を払う。
17時20分駐車地着。久しぶりの一人歩きだったが、地球の重力がいつもより15%ほど減るとまだまだ歩けることが確認できた一日でした。
闇中は不安だ、ちゃんとした装備を持たなければビバノンノンは出来ないし。
こうたろう15%の体重になりましたか。何とか対策セナね、亭主の威厳頑張ってくださいな。
もう一人仕込んで一年間素浪人になれば好いと思うけど
好いお正月をです、ああそうだ、ヨメとセガレを実家へお歳暮として届ければだね。ジイバアさんは喜ぶよ親孝行できるだよね。
[attachment=0]暮れが畑.JPG[/attachment]
孫と遊べなくなった緑ちゃん、チョッとお散歩に出てくるワンな。
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
おしさしぶりです、あきたぬきさん。
7時丁度。駐車地を出発。丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
そのまま谷の左岸沿いに進み堰堤を巻くと植林の中真っ直ぐ続く道が現れた。Co235付近に二俣に出てここから左俣の右岸を戻るような方向に斜面を上がる道が続く、すぐに峠が見えてきたがなにやら雰囲気がおかしい。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、峠以外の旧道が無事であるのがせめてもの救いであった。
四年目前に行った時には工事が始まっていました。
屏風岩駐車場のすぐ近くから上ってきています。
遠くから汽笛が何度も聞こえてくる。この時期、米原-木之本間にはSL琵琶湖号としてC56が運行されているのだ。古道にSLの汽笛。なんだかタイムスリップした感覚。
紀勢本線に普通列車で汽車が走っていたのを覚えています。D51でした。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
山人さんが探っていた道ですね。
ヤブコギ以前は、山人さんの本をよく読んでいました。
分岐から暫くは良い道が続いたが、やがて踏み跡は怪しくなり獣道となる。小谷を一つ渡り、屏風岩対岸から出ている大きな谷までやってきたが踏み跡は全く判らなくなった。
このままトラバを続けるか、それともこの谷を登って頂上台地に出るかと思案したが、古道を辿らなければ今回の山行の意味が無い。では地形図に破線が残る逆側から辿ろうと潔く諦め往路を分岐まで引き返した。
帰って地形図をよく見ると反対側から延びている破線の標高がco650で踏み跡を失った地点の標高がco500と標高差150mであるので道は踏み跡が怪しくなった辺りから上部に続いていた可能性が高いことに気がついた。ブランクでだいぶ勘が鈍っているようだ。まあ、おかげで金色に輝く木を見つけられたことだし好しとしよう。
さて、戻った分岐からはお虎ヶ池方向を目指して登って行く。それにしても、目ぼしい太さのミズナラは全部枯れてしまっている。このあたりのキクイムシの被害は相当酷い状態のようだ。
150mならそうかもしれませんね。
霊仙寺は末寺が麓にいくつかあるのに、本山の痕跡が見つかっていないので信仰の道としては、雨乞い以外ははっきりしませんね。
この古道は、丹生が彦根仏壇で有名ですから、材料調達のために谷山谷上部に行く仕事道として使われていた期間が長かったように感じます。
16時55分昼坂峠。夕闇が更に降りていた。この先の植林の中は真っ暗である。ここでヘッデンを取り出し、闇下体制を整える。
登山道の闇下は経験があるが、廃道の闇下は初体験であった。ここまで降りてくれば、集落は目と鼻の先ではあるが、闇中の植林で一度道を見失うとおそらくは簡単には見つけることは出来ないだろう。ジグザグ道の折り返し地点は見落とさないように最新の注意を払う。
林道をそのまま下って上丹生まで歩いたほうが早かったような。
17時20分駐車地着。久しぶりの一人歩きだったが、地球の重力がいつもより15%ほど減るとまだまだ歩けることが確認できた一日でした。
まあボチボチ歩いてください。
子どもとしっかりかかわれる時間もそう長くはないですから。
わりばし
7時丁度。駐車地を出発。丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
そのまま谷の左岸沿いに進み堰堤を巻くと植林の中真っ直ぐ続く道が現れた。Co235付近に二俣に出てここから左俣の右岸を戻るような方向に斜面を上がる道が続く、すぐに峠が見えてきたがなにやら雰囲気がおかしい。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、峠以外の旧道が無事であるのがせめてもの救いであった。
四年目前に行った時には工事が始まっていました。
屏風岩駐車場のすぐ近くから上ってきています。
遠くから汽笛が何度も聞こえてくる。この時期、米原-木之本間にはSL琵琶湖号としてC56が運行されているのだ。古道にSLの汽笛。なんだかタイムスリップした感覚。
紀勢本線に普通列車で汽車が走っていたのを覚えています。D51でした。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
山人さんが探っていた道ですね。
ヤブコギ以前は、山人さんの本をよく読んでいました。
分岐から暫くは良い道が続いたが、やがて踏み跡は怪しくなり獣道となる。小谷を一つ渡り、屏風岩対岸から出ている大きな谷までやってきたが踏み跡は全く判らなくなった。
このままトラバを続けるか、それともこの谷を登って頂上台地に出るかと思案したが、古道を辿らなければ今回の山行の意味が無い。では地形図に破線が残る逆側から辿ろうと潔く諦め往路を分岐まで引き返した。
帰って地形図をよく見ると反対側から延びている破線の標高がco650で踏み跡を失った地点の標高がco500と標高差150mであるので道は踏み跡が怪しくなった辺りから上部に続いていた可能性が高いことに気がついた。ブランクでだいぶ勘が鈍っているようだ。まあ、おかげで金色に輝く木を見つけられたことだし好しとしよう。
さて、戻った分岐からはお虎ヶ池方向を目指して登って行く。それにしても、目ぼしい太さのミズナラは全部枯れてしまっている。このあたりのキクイムシの被害は相当酷い状態のようだ。
150mならそうかもしれませんね。
霊仙寺は末寺が麓にいくつかあるのに、本山の痕跡が見つかっていないので信仰の道としては、雨乞い以外ははっきりしませんね。
この古道は、丹生が彦根仏壇で有名ですから、材料調達のために谷山谷上部に行く仕事道として使われていた期間が長かったように感じます。
16時55分昼坂峠。夕闇が更に降りていた。この先の植林の中は真っ暗である。ここでヘッデンを取り出し、闇下体制を整える。
登山道の闇下は経験があるが、廃道の闇下は初体験であった。ここまで降りてくれば、集落は目と鼻の先ではあるが、闇中の植林で一度道を見失うとおそらくは簡単には見つけることは出来ないだろう。ジグザグ道の折り返し地点は見落とさないように最新の注意を払う。
林道をそのまま下って上丹生まで歩いたほうが早かったような。
17時20分駐車地着。久しぶりの一人歩きだったが、地球の重力がいつもより15%ほど減るとまだまだ歩けることが確認できた一日でした。
まあボチボチ歩いてください。
子どもとしっかりかかわれる時間もそう長くはないですから。
わりばし
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
あきたぬきさん、こんばんわ。
霊仙山のビン坂峠道?は2008年に一度下った事があります。
その時の印象は植林多く、おまけに倒木だらけで歩き難く次は嫌だと思いました。
道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
そのまま谷の左岸沿いに進み堰堤を巻くと植林の中真っ直ぐ続く道が現れた。Co235付近に二俣に出てここから左俣の右岸を戻るような方向に斜面を上がる道が続く、すぐに峠が見えてきたがなにやら雰囲気がおかしい。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。
あの林道は森林基幹道上丹生柏原線の一部だそうで梓河内方面へ更に工事される模様です。
谷山谷登山口からの周回では林道通る事で歩き易く少しの時間短縮にはなりました、しかし必要性は少ないように思えますね。
ビン坂峠の標識も以前は無く、ここ1年程で付けられたようです。
本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
西尾本を持っていないのでなんとも分かりませんが、ビン坂峠道(破線の道)とは違うルートですか?
どうやら横道の途中より谷筋を登るように思えますが?
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
この道も知りません、というか古道があったとは驚きです。
15時50分。八坂神社の参道下。あたりはかなり暗くなってきた。上丹生まで林道を行くか山道を行くか少し考えるも結局山道を選ぶ。
林道歩きは退屈ですが分かり難い山道も難儀ですね、私なら迷わず林道を選んでしまいますわ。
夕方まで長時間の山歩きお疲れ様でした。
霊仙山のビン坂峠道?は2008年に一度下った事があります。
その時の印象は植林多く、おまけに倒木だらけで歩き難く次は嫌だと思いました。
道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
そのまま谷の左岸沿いに進み堰堤を巻くと植林の中真っ直ぐ続く道が現れた。Co235付近に二俣に出てここから左俣の右岸を戻るような方向に斜面を上がる道が続く、すぐに峠が見えてきたがなにやら雰囲気がおかしい。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。
あの林道は森林基幹道上丹生柏原線の一部だそうで梓河内方面へ更に工事される模様です。
谷山谷登山口からの周回では林道通る事で歩き易く少しの時間短縮にはなりました、しかし必要性は少ないように思えますね。
ビン坂峠の標識も以前は無く、ここ1年程で付けられたようです。
本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
西尾本を持っていないのでなんとも分かりませんが、ビン坂峠道(破線の道)とは違うルートですか?
どうやら横道の途中より谷筋を登るように思えますが?
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
この道も知りません、というか古道があったとは驚きです。
15時50分。八坂神社の参道下。あたりはかなり暗くなってきた。上丹生まで林道を行くか山道を行くか少し考えるも結局山道を選ぶ。
林道歩きは退屈ですが分かり難い山道も難儀ですね、私なら迷わず林道を選んでしまいますわ。
夕方まで長時間の山歩きお疲れ様でした。
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
緑水さん おはようございます
もうだいぶ前の話だね、ヨメハンさっさと実家に帰ったてか 帰らせたじゃなくて
タヌちゃんの先行きが見えるなあ。
虫歯が出来たから行きつけの歯医者に行くだって。わけわかめ。
ここの設備で泊るが正解だよ、その分早く行動に移すが好いね。緑チャンは3時起きダモンネ。
ですね。でも夜雨で眠れず。出遅れでした。
榑ヶ畑まで行かなかったのね、昼坂峠っていうのか、ビン坂何度も通った道だけど知らんかったわ。
昼坂と書いてビンサカですね、現地の道標にもでてました。
牛馬に物資を運ぶ、荷台にはチャッカリ子ども達が乗るんだ踏みしめた古道だよな。丹生から榑ヶ畑、落合、彦根への間道でしょう。番場の忠太郎関所破りモードかな。
私のイメージはエンジン付で牛馬のイメージはもってなかったですが確かにそのイメージかも。
歩いてたですか、以前はスンナリの好い道だったんだけどな。畑地の跡がたくさん残ってるでしょう。
榑ヶ畑の人口は最盛期どれぐらい居たんだろうなあ思うよ、養い分しか住めないだろうから。
道は幾筋も有るよ、思う以上に広い畑があるよね、さ迷ったなあ。
前来た時にかなやのおじいちゃんに聞きましたね。あの石垣は何ですかって。田んぼの跡だって言ってました。
西尾本には元禄8年で369人、昭和13年で259人とありますね。今畑とかと比べると畑地は広かったんじゃないかなあ思います。
タヌちゃんは汽車ポッポの想い出ないでしょう。
それが一度だけ鮮明に覚えている記憶があるんですよ。
多分、幼稚園か小学校入りたてくらいだと思うんだけど、夜の門司の駅のホームに機関車が入ってきたのを見たんです。S48頃だと思うの。でも記録見るとこの時期にSL走ってないんですよね。あれは何だったのかいまだに不思議です。
先日、大井川に行った、千頭には古い車両が残されてた。又生きたいところだワン
今日は梅小路蒸気機関車館に行ってきました本日はD51が動いてました。ここは季節によって、C62とC61も走ります。今は全国でもけっこうSL走ってますよ。阿蘇に行けば86、山口線ではC57、琵琶湖でC56、東では大井、秩父、真岡、磐越、北海道で季節運行してます。
コノ道は、霊仙寺への参拝古道ってコトでね。山人さん(辻涼一)さんのホムペ見るが好いよ。
山人氏のホムペは昔よく見てましたが、当時は霊仙に興味がなかったんで(遠かったから)御池情報を仕入れてましたが、今日見直しました。霊仙情報満載じゃないですか、気がつかなかった。
山勘は確実に鈍るよな、緑チャンも長いこと孫と遊んだりボヘミでのグータラで鈍ってる感じるよ。
傘は持つべきだったでしょ、それと外周尾根で避難小屋はスグだったのにね。
山勘もさることながら文勘も戻りません。レポ書くのにえらい時間がかかって。
いや、傘は持っていってたら確実にぶっ壊してた思います。車に積んでたのは折りたたみじゃないから畳めないんで。
避難小屋はしゃあないですね。火を点けたあとではどうにもなりませんわ。
コノあたりは縦横に仕事道が有ったんだろうなあ、方向さえ決まればどこかに出る。
GPSのトラックバックはほんとにありがたいワン、色変えしないと前のとグチャグチャで迷うけどな
でしょうね。この道は西尾本に紹介されている霊仙への15ルートのひとつなので押さえとかにゃいかんと思ってたのでした。
色変えなんか出来るのですか?確かにいつもグチャグチャでわけわかりません。これで御池にピッケル探しに行ったけど見つかんなかったし。
そうだワナ、そんなことで引っ込むおっさんじゃないもんな。であったら怖い創面かな?GPSログは安心感をもらえるもん。
林道じゃつまらんし、わくわくどきどきの刺激が時には必要ですね。GPSログの保険は足後の手段になりますし。
闇中は不安だ、ちゃんとした装備を持たなければビバノンノンは出来ないし。
朝歩いた道でしたんでね。ログも残ってるし。初ルートでは山日和さんのようにはいきませんね。
好いお正月をです、ああそうだ、ヨメとセガレを実家へお歳暮として届ければだね。ジイバアさんは喜ぶよ親孝行できるだよね。
盆の嫁実家ならそれもありですが、正月のうちの実家じゃそんなん無理ですね。正月は休み無しみたいなものです。
あきたぬき
もうだいぶ前の話だね、ヨメハンさっさと実家に帰ったてか 帰らせたじゃなくて
タヌちゃんの先行きが見えるなあ。
虫歯が出来たから行きつけの歯医者に行くだって。わけわかめ。
ここの設備で泊るが正解だよ、その分早く行動に移すが好いね。緑チャンは3時起きダモンネ。
ですね。でも夜雨で眠れず。出遅れでした。
榑ヶ畑まで行かなかったのね、昼坂峠っていうのか、ビン坂何度も通った道だけど知らんかったわ。
昼坂と書いてビンサカですね、現地の道標にもでてました。
牛馬に物資を運ぶ、荷台にはチャッカリ子ども達が乗るんだ踏みしめた古道だよな。丹生から榑ヶ畑、落合、彦根への間道でしょう。番場の忠太郎関所破りモードかな。
私のイメージはエンジン付で牛馬のイメージはもってなかったですが確かにそのイメージかも。
歩いてたですか、以前はスンナリの好い道だったんだけどな。畑地の跡がたくさん残ってるでしょう。
榑ヶ畑の人口は最盛期どれぐらい居たんだろうなあ思うよ、養い分しか住めないだろうから。
道は幾筋も有るよ、思う以上に広い畑があるよね、さ迷ったなあ。
前来た時にかなやのおじいちゃんに聞きましたね。あの石垣は何ですかって。田んぼの跡だって言ってました。
西尾本には元禄8年で369人、昭和13年で259人とありますね。今畑とかと比べると畑地は広かったんじゃないかなあ思います。
タヌちゃんは汽車ポッポの想い出ないでしょう。
それが一度だけ鮮明に覚えている記憶があるんですよ。
多分、幼稚園か小学校入りたてくらいだと思うんだけど、夜の門司の駅のホームに機関車が入ってきたのを見たんです。S48頃だと思うの。でも記録見るとこの時期にSL走ってないんですよね。あれは何だったのかいまだに不思議です。
先日、大井川に行った、千頭には古い車両が残されてた。又生きたいところだワン
今日は梅小路蒸気機関車館に行ってきました本日はD51が動いてました。ここは季節によって、C62とC61も走ります。今は全国でもけっこうSL走ってますよ。阿蘇に行けば86、山口線ではC57、琵琶湖でC56、東では大井、秩父、真岡、磐越、北海道で季節運行してます。
コノ道は、霊仙寺への参拝古道ってコトでね。山人さん(辻涼一)さんのホムペ見るが好いよ。
山人氏のホムペは昔よく見てましたが、当時は霊仙に興味がなかったんで(遠かったから)御池情報を仕入れてましたが、今日見直しました。霊仙情報満載じゃないですか、気がつかなかった。
山勘は確実に鈍るよな、緑チャンも長いこと孫と遊んだりボヘミでのグータラで鈍ってる感じるよ。
傘は持つべきだったでしょ、それと外周尾根で避難小屋はスグだったのにね。
山勘もさることながら文勘も戻りません。レポ書くのにえらい時間がかかって。
いや、傘は持っていってたら確実にぶっ壊してた思います。車に積んでたのは折りたたみじゃないから畳めないんで。
避難小屋はしゃあないですね。火を点けたあとではどうにもなりませんわ。
コノあたりは縦横に仕事道が有ったんだろうなあ、方向さえ決まればどこかに出る。
GPSのトラックバックはほんとにありがたいワン、色変えしないと前のとグチャグチャで迷うけどな
でしょうね。この道は西尾本に紹介されている霊仙への15ルートのひとつなので押さえとかにゃいかんと思ってたのでした。
色変えなんか出来るのですか?確かにいつもグチャグチャでわけわかりません。これで御池にピッケル探しに行ったけど見つかんなかったし。
そうだワナ、そんなことで引っ込むおっさんじゃないもんな。であったら怖い創面かな?GPSログは安心感をもらえるもん。
林道じゃつまらんし、わくわくどきどきの刺激が時には必要ですね。GPSログの保険は足後の手段になりますし。
闇中は不安だ、ちゃんとした装備を持たなければビバノンノンは出来ないし。
朝歩いた道でしたんでね。ログも残ってるし。初ルートでは山日和さんのようにはいきませんね。
好いお正月をです、ああそうだ、ヨメとセガレを実家へお歳暮として届ければだね。ジイバアさんは喜ぶよ親孝行できるだよね。
盆の嫁実家ならそれもありですが、正月のうちの実家じゃそんなん無理ですね。正月は休み無しみたいなものです。
あきたぬき
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
おはようございます、いま目覚めだワン。タヌちゃんとお話しするが楽しく勉強になるからもう一話オジャマシマスね。切捨てOKだよ
おなごの歯垢って自分本位ダモンな、おかげさまと微笑みちゃったんだご馳走様でした。あきたぬき さんが書きました:虫歯が出来たから行きつけの歯医者に行くだって。わけわかめ。
コノ朝の一時間差が帰りの闇下なんだ、予定どうり想定ナイだな。ここの設備で泊るが正解だよ、その分早く行動に移すが好いね。緑チャンは3時起きダモンネ。
ですね。でも夜雨で眠れず。出遅れでした。
榑ヶ畑まで行かなかったのね、昼坂峠っていうのか、ビン坂何度も通った道だけど知らんかったわ。
昼坂と書いてビンサカですね、現地の道標にもでてました。
これまた賢くなったデス、昼がビンなら夜はカメかな。朝酒に夜チューってトコロかな
緑ちゃん小学校の通学には、荷駄ひく馬引きとか、たんぼへの肥やし運ぶ牛車が通っていたよ。牛馬に物資を運ぶ、荷台にはチャッカリ子ども達が乗るんだ踏みしめた古道だよな。丹生から榑ヶ畑、落合、彦根への間道でしょう。番場の忠太郎関所破りモードかな。
私のイメージはエンジン付で牛馬のイメージはもってなかったですが確かにそのイメージかも。
その後ろにソロット乗るのさ、馬車は荷台が胸の位置まで高いから、飛び乗るのに敏捷が居るよ。肥桶積んだ牛車は荷台が低いけど臭いから乗らんかったけど。
馬のウンコを投げつけやいっこしたり、ナンでも遊び道具にしたもんだワン。
前来た時にかなやのおじいちゃんに聞きましたね。あの石垣は何ですかって。田んぼの跡だって言ってました。
西尾本には元禄8年で369人、昭和13年で259人とありますね。今畑とかと比べると畑地は広かったんじゃないかなあ思います。
緑ちゃんけっこう読んでたんだけど忘れてる。
養マス場からの裏山から男鬼界隈はタヌちゃん好みのいいフイルドだ、話に乗れマッセ。ココはスッパカブでも走り詳しい所だワンよ。
それとね、霊仙山は七つの尾根に七つの谷で修験者は修行して、里に散らばる七つのお寺ここも尋ねるといいよ。
西尾本もコノあたりを一番実地調査してる、自分の目で見てるんだが判るね、二昔も前の調査だから再調査はタヌちゃんかな
そうなんだ、大和んちゅーってホンマにすごい民だよなあ。究極美まで行っちゃうんだから。先日、大井川に行った、千頭には古い車両が残されてた。又生きたいところだワン[/color]
今日は梅小路蒸気機関車館に行ってきました本日はD51が動いてました。ここは季節によって、C62とC61も走ります。今は全国でもけっこうSL走ってますよ。阿蘇に行けば86、山口線ではC57、琵琶湖でC56、東では大井、秩父、真岡、磐越、北海道で季節運行してます。
原発だけは辞めて欲しいよな、悪魔に魂売り飛ばしたんだ。
日本の世界遺産昨夜見たけど、御先祖様に申しわけない思わなくっちゃね。
緑ちゃん尋ね歩きましたね、今度は余裕をもって行くつもりだワン。その前に体力の回復をだなよ
御池にピッケルおっこってますか、探しにいこうかな。名前書いてあるの?山勘もさることながら文勘も戻りません。レポ書くのにえらい時間がかかって。
色変えなんか出来るのですか?確かにいつもグチャグチャでわけわかりません。これで御池にピッケル探しに行ったけど見つかんなかったし。
軌跡図は上げられないね、ナイショは隠せだもんね。
昨日は気に成る物件探しでした、おまけは楽しかったワン
緑水
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
わりばしさん どうもです
[quote="わりばし"]>おしさしぶりです、あきたぬきさん。
子連れレポ以外のこの手のレポ書くのはたぶん2年ぶりくらいです。
>四年目前に行った時には工事が始まっていました。
屏風岩駐車場のすぐ近くから上ってきています。
山人氏のHP見ると、2004年5月(6年半前)で既に工事が始まっていたようですね。
林道は榑ヶ畑側から上がってきていると思ってましたが、丹生川側まで繋がっているんですか。それではいよいよ何のための林道か意味不明ですね。林業や砂防が目的ならば、片道で十分、通して繋げる必要はありませんからね。まったく、どうしようもないなあ。
>紀勢本線に普通列車で汽車が走っていたのを覚えています。D51でした。
緑水さんへのレスで書きましたが、私のSLの記憶はかなり曖昧です。まあ世代ギャップですね。
ただ最近は幸太郎がSL好きなんで、BSとかでやっているSLの動画を結構集めまたり、図鑑で調べたりでSLにはかなり詳しくなりました。D51という形式名称は昭和になってからのものでDは動輪が4つ。50番台以降からはテンダー型機関車ってことになります。Cは動輪が3つで、タンク式機関車は10番台から。
>山人さんが探っていた道ですね。
ヤブコギ以前は、山人さんの本をよく読んでいました。
これも緑水さんへのレスに書きましたが、霊仙の山行記はあんまり読んでなかったです。山人氏は巻道をたどれたのでしょうか。
>150mならそうかもしれませんね。
この古道は、丹生が彦根仏壇で有名ですから、材料調達のために谷山谷上部に行く仕事道として使われていた期間が長かったように感じます。
現地に行く前に、地形図でよおく、想像ルートを検証しておくべきでした。
そうですか、丹生は仏壇が有名なのですか。確かに、仏壇屋がありました。こんなところの仏壇屋は既に商売にならんやろうなあと思ったりして。
私的には仏壇といえば広島です。かなりの全国シェアだったはず。繁華街で有名な流川と交差して、飲屋街のド真中に仏壇通ってのがあります。以前この通りにある飲み屋さんで清原(当時巨人)に遭遇したことがあります。関係ない話ですが。
>林道をそのまま下って上丹生まで歩いたほうが早かったような。
屏風岩駐車場方面に降りるのなら早いってことはないでしょう。旧道だと殆ど最短距離ですから。
>まあボチボチ歩いてください。
ボチボチだと年1回いけるかどうかになりますわ。
最近子供連れて比良、鈴鹿、台高って行きましたけど、やっぱり2歳児に片道2時間越えの移動はきついみたいですね。暫くは生駒山系でおとなしく遊びます。私的にはあんまし面白くないんだけど。
あきたぬき
[quote="わりばし"]>おしさしぶりです、あきたぬきさん。
子連れレポ以外のこの手のレポ書くのはたぶん2年ぶりくらいです。
>四年目前に行った時には工事が始まっていました。
屏風岩駐車場のすぐ近くから上ってきています。
山人氏のHP見ると、2004年5月(6年半前)で既に工事が始まっていたようですね。
林道は榑ヶ畑側から上がってきていると思ってましたが、丹生川側まで繋がっているんですか。それではいよいよ何のための林道か意味不明ですね。林業や砂防が目的ならば、片道で十分、通して繋げる必要はありませんからね。まったく、どうしようもないなあ。
>紀勢本線に普通列車で汽車が走っていたのを覚えています。D51でした。
緑水さんへのレスで書きましたが、私のSLの記憶はかなり曖昧です。まあ世代ギャップですね。
ただ最近は幸太郎がSL好きなんで、BSとかでやっているSLの動画を結構集めまたり、図鑑で調べたりでSLにはかなり詳しくなりました。D51という形式名称は昭和になってからのものでDは動輪が4つ。50番台以降からはテンダー型機関車ってことになります。Cは動輪が3つで、タンク式機関車は10番台から。
>山人さんが探っていた道ですね。
ヤブコギ以前は、山人さんの本をよく読んでいました。
これも緑水さんへのレスに書きましたが、霊仙の山行記はあんまり読んでなかったです。山人氏は巻道をたどれたのでしょうか。
>150mならそうかもしれませんね。
この古道は、丹生が彦根仏壇で有名ですから、材料調達のために谷山谷上部に行く仕事道として使われていた期間が長かったように感じます。
現地に行く前に、地形図でよおく、想像ルートを検証しておくべきでした。
そうですか、丹生は仏壇が有名なのですか。確かに、仏壇屋がありました。こんなところの仏壇屋は既に商売にならんやろうなあと思ったりして。
私的には仏壇といえば広島です。かなりの全国シェアだったはず。繁華街で有名な流川と交差して、飲屋街のド真中に仏壇通ってのがあります。以前この通りにある飲み屋さんで清原(当時巨人)に遭遇したことがあります。関係ない話ですが。
>林道をそのまま下って上丹生まで歩いたほうが早かったような。
屏風岩駐車場方面に降りるのなら早いってことはないでしょう。旧道だと殆ど最短距離ですから。
>まあボチボチ歩いてください。
ボチボチだと年1回いけるかどうかになりますわ。
最近子供連れて比良、鈴鹿、台高って行きましたけど、やっぱり2歳児に片道2時間越えの移動はきついみたいですね。暫くは生駒山系でおとなしく遊びます。私的にはあんまし面白くないんだけど。
あきたぬき
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
玉子さんどうも
>霊仙山のビン坂峠道?は2008年に一度下った事があります。
その時の印象は植林多く、おまけに倒木だらけで歩き難く次は嫌だと思いました。
これは、お虎ヶ池付近から屏風岩対岸付近まで(ビン坂尾根)を降りてきたってこと?
それとも上丹生から榑ヶ畑の間を歩いたってこと?
後者は確かに植林だらけだけど、前者の榑ヶ畑分岐より上部は植林なんてほとんど無い感じでした。倒木も溝から出れば殆ど苦にならないと思うけど。
人によってイメージが違うモンですね。 >あの林道は森林基幹道上丹生柏原線の一部だそうで梓河内方面へ更に工事される模様です。
>谷山谷登山口からの周回では林道通る事で歩き易く少しの時間短縮にはなりました、しかし必要性は少ないように思えますね。
なんですかそれ。梓河内まで繋げるんですか。上丹生から梓河内への道は梓河内道の周回で一度歩こうと思ってたんですけど、それはえらいこっちゃです。
だれか蓮舫に教えてあげて。
>ビン坂峠の標識も以前は無く、ここ1年程で付けられたようです。
確かに標識は新しいように感じました。ここは藪谷峠みたいにネットで仕切られてないだけましですね。
>西尾本を持っていないのでなんとも分かりませんが、ビン坂峠道(破線の道)とは違うルートですか?
本文にも書いてますが、ビン坂峠道(ビン坂峠からお虎ヶ池に真直ぐ登る地形図の破線(途中で消滅)の道)のco500から東に延びて行きます。
繋がる先は・609北東300m付近まで延びている破線道(横道?)になるはずです。
>どうやら横道の途中より谷筋を登るように思えますが?
この道は谷川谷の左岸をほぼ水平にトラバースしていくルートなので、西尾氏も「登山道としての利用価値はない」とばっさり書かれています。
>この道も知りません、というか古道があったとは驚きです。
西尾本などに紹介されているかどうかというのはありますが、鈴鹿山中(鈴鹿に限らずですが)には幾らでも知られざる古道っていうのはありますよ。地形図に一切載っていない道もありますし、過去の地形図には載っていたけど、今の地形図には載っていないっていうのもあるでしょう。
地形図と現地の地形から歩けるところを好きなように歩くってのもよいものですが、あえて古(いにしえ)の道を求めるってのもおつなものです。これはわりばしさんにだいぶ影響されたでしょうか。 温泉玉子さん。鈴鹿がホームグランドならば、「鈴鹿の山と谷、著 西尾寿一」は購入されることをお勧めします。“日本の古本屋”で今検索したら9000円/5巻(1巻足りないけど)ですね。私はも少し安くゲットできました。ここの皆さんも鈴鹿ホームの人はだいたいお持ちのようですよ。
>林道歩きは退屈ですが分かり難い山道も難儀ですね、私なら迷わず林道を選んでしまいますわ。
日没後はそれが無難ですけど、正直、林道がどこに降りてるのか知らんかったんで、朝歩いた道を選択したっちゅうだけですわ。
よい古道探索をです。
あきたぬき
>霊仙山のビン坂峠道?は2008年に一度下った事があります。
その時の印象は植林多く、おまけに倒木だらけで歩き難く次は嫌だと思いました。
これは、お虎ヶ池付近から屏風岩対岸付近まで(ビン坂尾根)を降りてきたってこと?
それとも上丹生から榑ヶ畑の間を歩いたってこと?
後者は確かに植林だらけだけど、前者の榑ヶ畑分岐より上部は植林なんてほとんど無い感じでした。倒木も溝から出れば殆ど苦にならないと思うけど。
人によってイメージが違うモンですね。 >あの林道は森林基幹道上丹生柏原線の一部だそうで梓河内方面へ更に工事される模様です。
>谷山谷登山口からの周回では林道通る事で歩き易く少しの時間短縮にはなりました、しかし必要性は少ないように思えますね。
なんですかそれ。梓河内まで繋げるんですか。上丹生から梓河内への道は梓河内道の周回で一度歩こうと思ってたんですけど、それはえらいこっちゃです。
だれか蓮舫に教えてあげて。
>ビン坂峠の標識も以前は無く、ここ1年程で付けられたようです。
確かに標識は新しいように感じました。ここは藪谷峠みたいにネットで仕切られてないだけましですね。
>西尾本を持っていないのでなんとも分かりませんが、ビン坂峠道(破線の道)とは違うルートですか?
本文にも書いてますが、ビン坂峠道(ビン坂峠からお虎ヶ池に真直ぐ登る地形図の破線(途中で消滅)の道)のco500から東に延びて行きます。
繋がる先は・609北東300m付近まで延びている破線道(横道?)になるはずです。
>どうやら横道の途中より谷筋を登るように思えますが?
この道は谷川谷の左岸をほぼ水平にトラバースしていくルートなので、西尾氏も「登山道としての利用価値はない」とばっさり書かれています。
>この道も知りません、というか古道があったとは驚きです。
西尾本などに紹介されているかどうかというのはありますが、鈴鹿山中(鈴鹿に限らずですが)には幾らでも知られざる古道っていうのはありますよ。地形図に一切載っていない道もありますし、過去の地形図には載っていたけど、今の地形図には載っていないっていうのもあるでしょう。
地形図と現地の地形から歩けるところを好きなように歩くってのもよいものですが、あえて古(いにしえ)の道を求めるってのもおつなものです。これはわりばしさんにだいぶ影響されたでしょうか。 温泉玉子さん。鈴鹿がホームグランドならば、「鈴鹿の山と谷、著 西尾寿一」は購入されることをお勧めします。“日本の古本屋”で今検索したら9000円/5巻(1巻足りないけど)ですね。私はも少し安くゲットできました。ここの皆さんも鈴鹿ホームの人はだいたいお持ちのようですよ。
>林道歩きは退屈ですが分かり難い山道も難儀ですね、私なら迷わず林道を選んでしまいますわ。
日没後はそれが無難ですけど、正直、林道がどこに降りてるのか知らんかったんで、朝歩いた道を選択したっちゅうだけですわ。
よい古道探索をです。
あきたぬき
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
あきたぬさん、こんばんは。
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
これはラッキー?でしたね。久し振りの独身を満喫してください。
前日に木津まで出るのでそのまま地道を走って彦根に向かう。彦根市内で買出しをし、上丹生を抜けて榑ヶ畑へ、しかし真っ暗な林道はなんとも心もとない。
あきたぬさんは暗所恐怖症?私は真っ暗でないと寝られません。
なにせ、合羽とザックカバーを準備するような登山はひさしぶりである。
そりゃそうですわな。コブ付きでは雨の中を歩こうという気も起らんでしょう。だいいちコブがかわいそう。
7時丁度。駐車地を出発。丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
私は何で見たのか15番の橋をすぐに渡りました。11年前の話。
ところが途中で外してしまい、なぜか峠西のCa410mピークに立っていました。(^_^;)
しかしビン坂峠は「昼坂峠」って書くんですね。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。
黙ってたらだれも教えてくれんでしょう。私も一昨年度肝を抜かれましたが。
道はしっかりしたよい道が続く、昔は榑ヶ畑の子供たちが上丹生の学校へ通っていたであろう、軽車両くらいは走れたのかもしれない。そんなことを考えながら進む。
このあたりは実に幅広のしっかりした道ですね。
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。
にっちもさっちもいかん状況ですね。土砂降りにならなくてよかったじゃないですか。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
この尾根は去年歩きました。特別よくもないけど悪くもない尾根でしたね。
15時50分。八坂神社の参道下。あたりはかなり暗くなってきた。上丹生まで林道を行くか山道を行くか少し考えるも結局山道を選ぶ。
この時間なら普通素直に林道を選びますけどねえ。
登山道の闇下は経験があるが、廃道の闇下は初体験であった。ここまで降りてくれば、集落は目と鼻の先ではあるが、闇中の植林で一度道を見失うとおそらくは簡単には見つけることは出来ないだろう。ジグザグ道の折り返し地点は見落とさないように最新の注意を払う。
尾根下りじゃないだけマシかもね。単独行と闇下は避けましょう。\(^o^)/
山日和
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
これはラッキー?でしたね。久し振りの独身を満喫してください。
前日に木津まで出るのでそのまま地道を走って彦根に向かう。彦根市内で買出しをし、上丹生を抜けて榑ヶ畑へ、しかし真っ暗な林道はなんとも心もとない。
あきたぬさんは暗所恐怖症?私は真っ暗でないと寝られません。
なにせ、合羽とザックカバーを準備するような登山はひさしぶりである。
そりゃそうですわな。コブ付きでは雨の中を歩こうという気も起らんでしょう。だいいちコブがかわいそう。
7時丁度。駐車地を出発。丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
私は何で見たのか15番の橋をすぐに渡りました。11年前の話。
ところが途中で外してしまい、なぜか峠西のCa410mピークに立っていました。(^_^;)
しかしビン坂峠は「昼坂峠」って書くんですね。
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。
黙ってたらだれも教えてくれんでしょう。私も一昨年度肝を抜かれましたが。
道はしっかりしたよい道が続く、昔は榑ヶ畑の子供たちが上丹生の学校へ通っていたであろう、軽車両くらいは走れたのかもしれない。そんなことを考えながら進む。
このあたりは実に幅広のしっかりした道ですね。
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。
にっちもさっちもいかん状況ですね。土砂降りにならなくてよかったじゃないですか。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
この尾根は去年歩きました。特別よくもないけど悪くもない尾根でしたね。
15時50分。八坂神社の参道下。あたりはかなり暗くなってきた。上丹生まで林道を行くか山道を行くか少し考えるも結局山道を選ぶ。
この時間なら普通素直に林道を選びますけどねえ。
登山道の闇下は経験があるが、廃道の闇下は初体験であった。ここまで降りてくれば、集落は目と鼻の先ではあるが、闇中の植林で一度道を見失うとおそらくは簡単には見つけることは出来ないだろう。ジグザグ道の折り返し地点は見落とさないように最新の注意を払う。
尾根下りじゃないだけマシかもね。単独行と闇下は避けましょう。\(^o^)/
山日和
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
たぬちゃん こんにちは
2011年11月20日(日)
わしが馬の背へいっていた日やね。
鎌はほとんど降らなかったけど、さすが北部ですね。
【山 域】鈴鹿北部霊仙山(地形図、「彦根東部」「霊仙山」)
霊仙山強化月間、あるいは強化年を作ろうと思って、いつもくじけます。サメガイ遠杉。
未だに霊仙山は鈴鹿と違った新鮮さを感じます。
この新鮮な感覚を保つためには頻繁に通わない方がいいかもと思ったり。
【天 候】曇り後一瞬晴れ後雨と濃霧のち雨時々曇り
何でも正確に記録するという気性が出てるね。
気象を細かく書く気性は希少
【コース】上丹生-昼坂峠-お虎ヶ池-井戸谷源頭-お虎ヶ池-八坂神社-昼坂峠-上丹生
昼はビンと読めませんが、訛ったのでしょうか。また昼にどういう意味を見い出すか。
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
嬉しさを隠しきれませんね (^◇^)
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、
そんなことになっていますか。柾板峠方面も林道ができていますね。
霊仙山は四周林道がどんどん伸びて地図が追い付きません。
都会で吸い上げた税金を農山村にばらまきます。山奥は無駄なことやっていても誰も気がつかない。
失業対策、土建屋対策、選挙対策という流れになるのかな。
8時20分榑ヶ畑分岐。この先(屏風岩対岸辺り)地形図では大きく北斜面を巻くように描かれているが実際の道は地形図よりもだいぶ南側を通っている。
ここは何故北を巻く必要があったのでしょうね。尾根通しの方が楽な気がしますが。
500mあたりの勾配が急と言えば急ですが。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
復活したヨコミチとつながるのでしょうか。西尾さんは曖昧に書いているので正確に辿れてないのかな。
適当なところで妥協してビールを開ける。うどん鍋にさっき取ったナメコとエノキを少々放り込む。
ナメコまだ食べられる状態でしたか。私が12/4、御池で見つけたやつはミイラ化していました。
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。当初の予定どおり人間がオーバーを着て、ザックに合羽を着てもらう。そんなことで慌しく食事を済ます。
私は12/4、御池でときおり時雨れる中、ツエルトを張って温々とお昼を食べてましたで。(雨が)多い日も安心
散歩だから急ぐ必要もなく、北杜夫追悼記念に手垢のついた文庫本読んでいました。
ここでやや混乱する。ガスは更に濃くなり視界は30m程度まで落ちている。
ヤーメタ!こんなんじゃ古道探索は無理だよとまたまたあっさりと諦め来た道を戻る。
まあ弱気になるのも分ります。こういうことは秋のもう少し早い時期にやらなあかんね。
それか日の長い春先。ヤマヒルと落葉と日の長さのタイミングが難しい。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
帰るには近くて一石二鳥ですね。
ここでザックに着せてあった合羽の上着がなくなっているのに気がついた。
ザック自体が防水ならば余計な苦労もないと思うけど、何で浸水するのでしょうね。
本でゴアのザックを見たような気がするけど、透湿である必要まではないわね。
16時55分昼坂峠。夕闇が更に降りていた。この先の植林の中は真っ暗である。ここでヘッデンを取り出し、闇下体制を整える。
たいへんやったね。今はすぐ暗くなるからかなわんね。
私も霊仙いきたくなりました。でももう雪が降るからね。
以前は雪が降るのが待ち遠しかったけど、雪は何もかも隠してしまいます。
冬は探し物には向きませんね。
ハリマオ
2011年11月20日(日)
わしが馬の背へいっていた日やね。
鎌はほとんど降らなかったけど、さすが北部ですね。
【山 域】鈴鹿北部霊仙山(地形図、「彦根東部」「霊仙山」)
霊仙山強化月間、あるいは強化年を作ろうと思って、いつもくじけます。サメガイ遠杉。
未だに霊仙山は鈴鹿と違った新鮮さを感じます。
この新鮮な感覚を保つためには頻繁に通わない方がいいかもと思ったり。
【天 候】曇り後一瞬晴れ後雨と濃霧のち雨時々曇り
何でも正確に記録するという気性が出てるね。
気象を細かく書く気性は希少
【コース】上丹生-昼坂峠-お虎ヶ池-井戸谷源頭-お虎ヶ池-八坂神社-昼坂峠-上丹生
昼はビンと読めませんが、訛ったのでしょうか。また昼にどういう意味を見い出すか。
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
嬉しさを隠しきれませんね (^◇^)
7時45分。峠に上がるとなんと、林道(しかも舗装路)が峠をぶち抜いていた。こんな話は聞いていなかったのでかなり驚いた。このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、
そんなことになっていますか。柾板峠方面も林道ができていますね。
霊仙山は四周林道がどんどん伸びて地図が追い付きません。
都会で吸い上げた税金を農山村にばらまきます。山奥は無駄なことやっていても誰も気がつかない。
失業対策、土建屋対策、選挙対策という流れになるのかな。
8時20分榑ヶ畑分岐。この先(屏風岩対岸辺り)地形図では大きく北斜面を巻くように描かれているが実際の道は地形図よりもだいぶ南側を通っている。
ここは何故北を巻く必要があったのでしょうね。尾根通しの方が楽な気がしますが。
500mあたりの勾配が急と言えば急ですが。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
復活したヨコミチとつながるのでしょうか。西尾さんは曖昧に書いているので正確に辿れてないのかな。
適当なところで妥協してビールを開ける。うどん鍋にさっき取ったナメコとエノキを少々放り込む。
ナメコまだ食べられる状態でしたか。私が12/4、御池で見つけたやつはミイラ化していました。
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。当初の予定どおり人間がオーバーを着て、ザックに合羽を着てもらう。そんなことで慌しく食事を済ます。
私は12/4、御池でときおり時雨れる中、ツエルトを張って温々とお昼を食べてましたで。(雨が)多い日も安心
散歩だから急ぐ必要もなく、北杜夫追悼記念に手垢のついた文庫本読んでいました。
ここでやや混乱する。ガスは更に濃くなり視界は30m程度まで落ちている。
ヤーメタ!こんなんじゃ古道探索は無理だよとまたまたあっさりと諦め来た道を戻る。
まあ弱気になるのも分ります。こういうことは秋のもう少し早い時期にやらなあかんね。
それか日の長い春先。ヤマヒルと落葉と日の長さのタイミングが難しい。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
帰るには近くて一石二鳥ですね。
ここでザックに着せてあった合羽の上着がなくなっているのに気がついた。
ザック自体が防水ならば余計な苦労もないと思うけど、何で浸水するのでしょうね。
本でゴアのザックを見たような気がするけど、透湿である必要まではないわね。
16時55分昼坂峠。夕闇が更に降りていた。この先の植林の中は真っ暗である。ここでヘッデンを取り出し、闇下体制を整える。
たいへんやったね。今はすぐ暗くなるからかなわんね。
私も霊仙いきたくなりました。でももう雪が降るからね。
以前は雪が降るのが待ち遠しかったけど、雪は何もかも隠してしまいます。
冬は探し物には向きませんね。
ハリマオ
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
あきたぬきさん、こんばんわ。
2008年秋に歩いた下山ルートはお虎ヶ池より西北西~北西寄りに尾根を下り、ビン坂峠より上丹生という感じです。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/wat ... deaf0ad1d9
本文にも書いてますが、ビン坂峠道(ビン坂峠からお虎ヶ池に真直ぐ登る地形図の破線(途中で消滅)の道)のco500から東に延びて行きます。
繋がる先は・609北東300m付近まで延びている破線道(横道?)になるはずです。
大体分かりました、調べると山人さんのページにも書いてました。
温泉玉子さん。鈴鹿がホームグランドならば、「鈴鹿の山と谷、著 西尾寿一」は購入されることをお勧めします。“日本の古本屋”で今検索したら9000円/5巻(1巻足りないけど)ですね。私はも少し安くゲットできました。ここの皆さんも鈴鹿ホームの人はだいたいお持ちのようですよ。
天気次第で鈴鹿と比良と選り好みしてますので鈴鹿がホームグランドとも言えず。
西尾寿一氏の本はamazon.co.jpなら新品でも買える模様ですが高くて厳しいですね。
2008年秋に歩いた下山ルートはお虎ヶ池より西北西~北西寄りに尾根を下り、ビン坂峠より上丹生という感じです。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/wat ... deaf0ad1d9
本文にも書いてますが、ビン坂峠道(ビン坂峠からお虎ヶ池に真直ぐ登る地形図の破線(途中で消滅)の道)のco500から東に延びて行きます。
繋がる先は・609北東300m付近まで延びている破線道(横道?)になるはずです。
大体分かりました、調べると山人さんのページにも書いてました。
温泉玉子さん。鈴鹿がホームグランドならば、「鈴鹿の山と谷、著 西尾寿一」は購入されることをお勧めします。“日本の古本屋”で今検索したら9000円/5巻(1巻足りないけど)ですね。私はも少し安くゲットできました。ここの皆さんも鈴鹿ホームの人はだいたいお持ちのようですよ。
天気次第で鈴鹿と比良と選り好みしてますので鈴鹿がホームグランドとも言えず。
西尾寿一氏の本はamazon.co.jpなら新品でも買える模様ですが高くて厳しいですね。
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
やまびよりさん おはようございます
昨日は睡魔に勝てませんでした
>これはラッキー?でしたね。久し振りの独身を満喫してください。
ラッキー以外のなにものでもありません。
よい子のわたくちにはもっとこうゆう機会がもっとあってもよいと思うのだけど
両方のジジババが200kmと450kmの遠方でなかなか役にたちません。
みなさんあきたぬきはなんで山に行けないのかと不思議に思ってるようですけど、ジジババが遠いと孤立無援状態になるんです。加えて山まで遠くなったもんだから、長谷川さんの作戦も使えないの。ドコデモドアが欲しい~。ってそんなもんあったら登山ちゅうもの自体が無意味になってしまいますが。
>あきたぬさんは暗所恐怖症?私は真っ暗でないと寝られません。
寝るのは暗くてもいいですけど、寝るまでに鍋食べたり色々あるじゃないですか。雨も降ってたし。なれないことでランタンも忘れてきたし。
皆さんのように前夜泊のキャリアが浅いってことですわ。
>そりゃそうですわな。コブ付きでは雨の中を歩こうという気も起らんでしょう。だいいちコブがかわいそう。
そういうことです。普段山に行くときは降水確率0%に限りなく近くなければ行けないのです。この条件は意外に厳しい。
>私は何で見たのか15番の橋をすぐに渡りました。11年前の話。
あれだけ橋があると最初は少し焦りますよね。
後で気づきましたが、山人氏のHPや西内本では17番橋となっています。こちらが正規ルートのようですね。
>ところが途中で外してしまい、なぜか峠西のCa410mピークに立っていました。(^_^;)
それはまたどえりゃー外し方ですね。“あの”山日和さんでも外しましたか。それでは決してガイドなどで紹介してはいけないルートということになりますね。
>黙ってたらだれも教えてくれんでしょう。私も一昨年度肝を抜かれましたが。
そりゃそうだ。だけど、毎度山に行くたんびに「どがいなってますか」って聞いて廻るわけにもいきませんし。
と、昔のレポ読み返してたら、JINさんにもらったレスに「ビン坂は林道が」って書いてありました。忘れていただけでした。そういえばJINさん最近見かけませんね。
>このあたりは実に幅広のしっかりした道ですね。
ほんとに。本文で貼った橋台跡なんか見るとオート三輪くらいは走ってたのではないかと想像してます。
>にっちもさっちもいかん状況ですね。土砂降りにならなくてよかったじゃないですか。
そうですね、何事も最悪の事態よりはよいと、天に感謝せねばなりません。
>この尾根は去年歩きました。特別よくもないけど悪くもない尾根でしたね。
そう書いてしまえばしまいですがな。まあ季節にもよるでしょう。今回はこの尾根では1年でもっともいい時期(紅葉のピーク)だったと思います。
>この時間なら普通素直に林道を選びますけどねえ。
これは山日和さんの言葉とは思えない。まだ15時代なんですけど。それに林道はグルット周るんで結構遠回りになりますよ。
それはさておきこの時点で完全闇下は予想できていませんでした。この辺りも山勘が鈍っている証拠。毎週山に行ってないと日没時刻さえきちんと把握できなくなります。
>尾根下りじゃないだけマシかもね。単独行と闇下は避けましょう。\(^o^)/
そうですね。またしばらくは二人で明るい時間に歩きます。 いつぞやの池探しで最後に見つけた池17。
あきたぬき
昨日は睡魔に勝てませんでした
>これはラッキー?でしたね。久し振りの独身を満喫してください。
ラッキー以外のなにものでもありません。
よい子のわたくちにはもっとこうゆう機会がもっとあってもよいと思うのだけど
両方のジジババが200kmと450kmの遠方でなかなか役にたちません。
みなさんあきたぬきはなんで山に行けないのかと不思議に思ってるようですけど、ジジババが遠いと孤立無援状態になるんです。加えて山まで遠くなったもんだから、長谷川さんの作戦も使えないの。ドコデモドアが欲しい~。ってそんなもんあったら登山ちゅうもの自体が無意味になってしまいますが。
>あきたぬさんは暗所恐怖症?私は真っ暗でないと寝られません。
寝るのは暗くてもいいですけど、寝るまでに鍋食べたり色々あるじゃないですか。雨も降ってたし。なれないことでランタンも忘れてきたし。
皆さんのように前夜泊のキャリアが浅いってことですわ。
>そりゃそうですわな。コブ付きでは雨の中を歩こうという気も起らんでしょう。だいいちコブがかわいそう。
そういうことです。普段山に行くときは降水確率0%に限りなく近くなければ行けないのです。この条件は意外に厳しい。
>私は何で見たのか15番の橋をすぐに渡りました。11年前の話。
あれだけ橋があると最初は少し焦りますよね。
後で気づきましたが、山人氏のHPや西内本では17番橋となっています。こちらが正規ルートのようですね。
>ところが途中で外してしまい、なぜか峠西のCa410mピークに立っていました。(^_^;)
それはまたどえりゃー外し方ですね。“あの”山日和さんでも外しましたか。それでは決してガイドなどで紹介してはいけないルートということになりますね。
>黙ってたらだれも教えてくれんでしょう。私も一昨年度肝を抜かれましたが。
そりゃそうだ。だけど、毎度山に行くたんびに「どがいなってますか」って聞いて廻るわけにもいきませんし。
と、昔のレポ読み返してたら、JINさんにもらったレスに「ビン坂は林道が」って書いてありました。忘れていただけでした。そういえばJINさん最近見かけませんね。
>このあたりは実に幅広のしっかりした道ですね。
ほんとに。本文で貼った橋台跡なんか見るとオート三輪くらいは走ってたのではないかと想像してます。
>にっちもさっちもいかん状況ですね。土砂降りにならなくてよかったじゃないですか。
そうですね、何事も最悪の事態よりはよいと、天に感謝せねばなりません。
>この尾根は去年歩きました。特別よくもないけど悪くもない尾根でしたね。
そう書いてしまえばしまいですがな。まあ季節にもよるでしょう。今回はこの尾根では1年でもっともいい時期(紅葉のピーク)だったと思います。
>この時間なら普通素直に林道を選びますけどねえ。
これは山日和さんの言葉とは思えない。まだ15時代なんですけど。それに林道はグルット周るんで結構遠回りになりますよ。
それはさておきこの時点で完全闇下は予想できていませんでした。この辺りも山勘が鈍っている証拠。毎週山に行ってないと日没時刻さえきちんと把握できなくなります。
>尾根下りじゃないだけマシかもね。単独行と闇下は避けましょう。\(^o^)/
そうですね。またしばらくは二人で明るい時間に歩きます。 いつぞやの池探しで最後に見つけた池17。
あきたぬき
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
ハリマオさん こんばんは
>わしが馬の背へいっていた日やね。
>鎌はほとんど降らなかったけど、さすが北部ですね。
さすがといえばさすがの猿飛。主題歌は伊藤さやかだって、私はけっこう好きだったな、伊藤さやか。陽だまり良好とか。
>霊仙山強化月間、あるいは強化年を作ろうと思って、いつもくじけます。サメガイ遠杉。
それではそれほど遠杉無い藪谷をしこしこと登るしかありますまい。
>未だに霊仙山は鈴鹿と違った新鮮さを感じます。
>この新鮮な感覚を保つためには頻繁に通わない方がいいかもと思ったり。
緑水さんによると七つの尾根と七つの谷があるそうですから、往復違うルートを使ったとしても最低7回は新鮮さを味わえます。西尾本にも15ルートも書いてあるし。
>何でも正確に記録するという気性が出てるね。
>気象を細かく書く気性は希少
その希少さを記念して記章した徽章でもいただければ嬉しく思います。(ちょっと無理がある)
>昼はビンと読めませんが、訛ったのでしょうか。また昼にどういう意味を見い出すか。
カタカナで“ヒ〃ン”と“ヒル”を比較するとなんか似てませんかね。
崩れた字体でヒルと書いたのがビンに変ったのでは(又はその逆)ちゅうのが私の説です。
これは我ながらなかなかナイスな推理だと思うのですが、滅多に生活に関与しない山奥の地名ならいざ知らず、上丹生集落すぐ上の生活に密着した地名(口頭で伝承される)でこうゆうことが起こりうるのか?っちゅうのが謎ではあります。
>嬉しさを隠しきれませんね (^◇^)
やっぱり判りますか。嫁さんにも「なんでそんなに嬉しそうなん」とズバリ指摘されました。
>そんなことになっていますか。柾板峠方面も林道ができていますね。
>霊仙山は四周林道がどんどん伸びて地図が追い付きません。
藪谷峠は言うに及ばず、笹峠も目前まで林道が迫ってましたし、なんとか無事そうなのは汗かき峠だけになります。もし、あそこまで林道が通ると、汗かき峠で汗を拭うという霊仙正統派登山の伝統も滅んでしまいます。
>都会で吸い上げた税金を農山村にばらまきます。山奥は無駄なことやっていても誰も気がつかない。
>失業対策、土建屋対策、選挙対策という流れになるのかな。
吸い上げた税金を使うぶんにはまだよい(よくないけど)としても、借金までして無駄なことをするのはやめて欲しい。民主党に期待した私がバカだったのでしょうか。
こないだTVで若者が申しておりました。子供手当ては、子供におねだりして親がお小遣いもらっているようなものだと。だから橋下に期待するのだと。頭をガツンと殴られたような言葉でした。
>ここは何故北を巻く必要があったのでしょうね。尾根通しの方が楽な気がしますが。
>500mあたりの勾配が急と言えば急ですが。
いや、だから地形図とちがい実際の道は尾根通しにあって、そのco500辺りから北側に巻いてますの。地形図の位置にも道跡があるか否か!?これは白船峠と同様に検証必要課題ではあります。
>復活したヨコミチとつながるのでしょうか。西尾さんは曖昧に書いているので正確に辿れてないのかな。
山人さんおHPにも正確に辿った記載はないような。入口が立派なのと地形図に東側の破線(横道?)があるので、想像だけの世界の可能性がなきにしもあらず。
でもやっぱり繋がっていると考えるのが普通。やっぱり気になるなあ。私はたぶん暫くいけないから誰か行ってもらってもいいんだけど。
そうそう、郡界尾根直下のco900付近にも東へトラバしていくよい道(明らかに獣道ではない)がありました。これは井戸谷方面へと繋がっていると想像します。
>ナメコまだ食べられる状態でしたか。私が12/4、御池で見つけたやつはミイラ化していました。
まだ食べられるどころか、私的にはかつて鈴鹿で出会った中では柄も太くて一番立派でした。zippさん的には「こんな幼菌は美味しくないから取らない」って範疇だと思いますが。
>私は12/4、御池でときおり時雨れる中、ツエルトを張って温々とお昼を食べてましたで。(雨が)多い日も安心
>散歩だから急ぐ必要もなく、北杜夫追悼記念に手垢のついた文庫本読んでいました。
なんか青い雨を想像してしまいました。
そうですか、散歩ですか。散歩の定義は如何に?孫でもおぶっていたのですか?ってなわけないですね。
>まあ弱気になるのも分ります。こういうことは秋のもう少し早い時期にやらなあかんね。
それか日の長い春先。ヤマヒルと落葉と日の長さのタイミングが難しい。
それに残雪も考えてって、そんな限定されたタイミングと、1年に1回あるかないかのチャンスを計るのは不可能ですがな。
>帰るには近くて一石二鳥ですね。
しかし、最初に降りた時はまだしも、忘れ物回収後の2回目の降りではなんで真直ぐ丹生方向に降りなかったのか不思議。やっぱり山勘はだいぶ衰えてます。
>ザック自体が防水ならば余計な苦労もないと思うけど、何で浸水するのでしょうね。
>本でゴアのザックを見たような気がするけど、透湿である必要まではないわね。
確かにザック自体が防水ならこんな失態もおきないのに。でも、ビンボーな私はゴアのザックなんて高価そうなものは買えないでしょう。せいぜいゴアのザックカバーが関の山って、これは意味ないですね。
>たいへんやったね。今はすぐ暗くなるからかなわんね。
八坂神社で15時50分。まだまだ余裕やと思ったんですけどね。
>私も霊仙いきたくなりました。でももう雪が降るからね。
>以前は雪が降るのが待ち遠しかったけど、雪は何もかも隠してしまいます。
>冬は探し物には向きませんね。
雪を探しに霊仙に行けばよろしいかと。
私も今年の冬は1回くらいわがまま言うて、雪を踏みたいです。ただし、車が四駆じゃなくなったんで、皆様のようにスタットレスなんて買うお小遣いがあろうはずもなく、下界に雪がなくて山に雪があるときじゃないと駄目ですが。
これまたタイミングが難しい。
あきたぬき
>わしが馬の背へいっていた日やね。
>鎌はほとんど降らなかったけど、さすが北部ですね。
さすがといえばさすがの猿飛。主題歌は伊藤さやかだって、私はけっこう好きだったな、伊藤さやか。陽だまり良好とか。
>霊仙山強化月間、あるいは強化年を作ろうと思って、いつもくじけます。サメガイ遠杉。
それではそれほど遠杉無い藪谷をしこしこと登るしかありますまい。
>未だに霊仙山は鈴鹿と違った新鮮さを感じます。
>この新鮮な感覚を保つためには頻繁に通わない方がいいかもと思ったり。
緑水さんによると七つの尾根と七つの谷があるそうですから、往復違うルートを使ったとしても最低7回は新鮮さを味わえます。西尾本にも15ルートも書いてあるし。
>何でも正確に記録するという気性が出てるね。
>気象を細かく書く気性は希少
その希少さを記念して記章した徽章でもいただければ嬉しく思います。(ちょっと無理がある)
>昼はビンと読めませんが、訛ったのでしょうか。また昼にどういう意味を見い出すか。
カタカナで“ヒ〃ン”と“ヒル”を比較するとなんか似てませんかね。
崩れた字体でヒルと書いたのがビンに変ったのでは(又はその逆)ちゅうのが私の説です。
これは我ながらなかなかナイスな推理だと思うのですが、滅多に生活に関与しない山奥の地名ならいざ知らず、上丹生集落すぐ上の生活に密着した地名(口頭で伝承される)でこうゆうことが起こりうるのか?っちゅうのが謎ではあります。
>嬉しさを隠しきれませんね (^◇^)
やっぱり判りますか。嫁さんにも「なんでそんなに嬉しそうなん」とズバリ指摘されました。
>そんなことになっていますか。柾板峠方面も林道ができていますね。
>霊仙山は四周林道がどんどん伸びて地図が追い付きません。
藪谷峠は言うに及ばず、笹峠も目前まで林道が迫ってましたし、なんとか無事そうなのは汗かき峠だけになります。もし、あそこまで林道が通ると、汗かき峠で汗を拭うという霊仙正統派登山の伝統も滅んでしまいます。
>都会で吸い上げた税金を農山村にばらまきます。山奥は無駄なことやっていても誰も気がつかない。
>失業対策、土建屋対策、選挙対策という流れになるのかな。
吸い上げた税金を使うぶんにはまだよい(よくないけど)としても、借金までして無駄なことをするのはやめて欲しい。民主党に期待した私がバカだったのでしょうか。
こないだTVで若者が申しておりました。子供手当ては、子供におねだりして親がお小遣いもらっているようなものだと。だから橋下に期待するのだと。頭をガツンと殴られたような言葉でした。
>ここは何故北を巻く必要があったのでしょうね。尾根通しの方が楽な気がしますが。
>500mあたりの勾配が急と言えば急ですが。
いや、だから地形図とちがい実際の道は尾根通しにあって、そのco500辺りから北側に巻いてますの。地形図の位置にも道跡があるか否か!?これは白船峠と同様に検証必要課題ではあります。
>復活したヨコミチとつながるのでしょうか。西尾さんは曖昧に書いているので正確に辿れてないのかな。
山人さんおHPにも正確に辿った記載はないような。入口が立派なのと地形図に東側の破線(横道?)があるので、想像だけの世界の可能性がなきにしもあらず。
でもやっぱり繋がっていると考えるのが普通。やっぱり気になるなあ。私はたぶん暫くいけないから誰か行ってもらってもいいんだけど。
そうそう、郡界尾根直下のco900付近にも東へトラバしていくよい道(明らかに獣道ではない)がありました。これは井戸谷方面へと繋がっていると想像します。
>ナメコまだ食べられる状態でしたか。私が12/4、御池で見つけたやつはミイラ化していました。
まだ食べられるどころか、私的にはかつて鈴鹿で出会った中では柄も太くて一番立派でした。zippさん的には「こんな幼菌は美味しくないから取らない」って範疇だと思いますが。
>私は12/4、御池でときおり時雨れる中、ツエルトを張って温々とお昼を食べてましたで。(雨が)多い日も安心
>散歩だから急ぐ必要もなく、北杜夫追悼記念に手垢のついた文庫本読んでいました。
なんか青い雨を想像してしまいました。
そうですか、散歩ですか。散歩の定義は如何に?孫でもおぶっていたのですか?ってなわけないですね。
>まあ弱気になるのも分ります。こういうことは秋のもう少し早い時期にやらなあかんね。
それか日の長い春先。ヤマヒルと落葉と日の長さのタイミングが難しい。
それに残雪も考えてって、そんな限定されたタイミングと、1年に1回あるかないかのチャンスを計るのは不可能ですがな。
>帰るには近くて一石二鳥ですね。
しかし、最初に降りた時はまだしも、忘れ物回収後の2回目の降りではなんで真直ぐ丹生方向に降りなかったのか不思議。やっぱり山勘はだいぶ衰えてます。
>ザック自体が防水ならば余計な苦労もないと思うけど、何で浸水するのでしょうね。
>本でゴアのザックを見たような気がするけど、透湿である必要まではないわね。
確かにザック自体が防水ならこんな失態もおきないのに。でも、ビンボーな私はゴアのザックなんて高価そうなものは買えないでしょう。せいぜいゴアのザックカバーが関の山って、これは意味ないですね。
>たいへんやったね。今はすぐ暗くなるからかなわんね。
八坂神社で15時50分。まだまだ余裕やと思ったんですけどね。
>私も霊仙いきたくなりました。でももう雪が降るからね。
>以前は雪が降るのが待ち遠しかったけど、雪は何もかも隠してしまいます。
>冬は探し物には向きませんね。
雪を探しに霊仙に行けばよろしいかと。
私も今年の冬は1回くらいわがまま言うて、雪を踏みたいです。ただし、車が四駆じゃなくなったんで、皆様のようにスタットレスなんて買うお小遣いがあろうはずもなく、下界に雪がなくて山に雪があるときじゃないと駄目ですが。
これまたタイミングが難しい。
あきたぬき
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
あっきい、こんばんは~。
【日 付】2011年11月20日(日)
【山 域】鈴鹿北部霊仙山(地形図、「彦根東部」「霊仙山」)
【メンバー】めずらしく単独
【天 候】曇り後一瞬晴れ後雨と濃霧のち雨時々曇り
【コース】上丹生-昼坂峠-お虎ヶ池-井戸谷源頭-お虎ヶ池-八坂神社-昼坂峠-上丹生
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
またまた、どんだけぶりの単独?って、キノコちゃんに出会った御池も単独やったっけ?
ああ、1年半ぶるなんやね~。その言葉を聴いた瞬間、羽根が生えてました?心に。
前日に木津まで出るのでそのまま地道を走って彦根に向かう。
木津から、どんだけくらいかかる?上丹生までの時間。
彦根市内で買出しをし、上丹生を抜けて榑ヶ畑へ、しかし真っ暗な林道はなんとも心もとない。ということで林道を途中ですごすごと引き返し、上丹生のこぶとり地蔵前公園の大銀杏下の駐車場に車を止めた。
ここは、屋根つきのベンチに電灯と水洗トイレまであり便利な場所である。鍋とビールとボージョレヌーボーの夕食を採り、車中の宿とする。この日はシュラフに入らずとも寒くない快適な夜であったが、夜中の1時ごろに目が覚めると雨が激しく車の屋根をたたいている。
そういう目で見てないから、覚えてないけど、なかなかいい場所があったのね。途中で雨が降っても。夕ご飯。朝食も食べられるし。
天気予報では雨は上がるはずであるがどうであろうか、はるばるここまで来てそのまま帰るわけには行かないがと心配していると、ザックカバーを忘れてきたことにふと気がついた。なにせ、合羽とザックカバーを準備するような登山はひさしぶりである。
なんだか、何もかもが新鮮ね~。
丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
初めてのとこに行くと、取り付きを見つけるのが一番難しい気がしちゃいます。私。
このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、峠以外の旧道が無事であるのがせめてもの救いであった。
これだけは、残して欲しい。心ばかりの配慮かしら。
霊仙方面への道は林道をわずかに南に下りた地点に階段が設置されていた。遠く南の方角から乾いた銃声が2発、その後比較的近くでコーンコーンと斧を振るう音が響く。
そういえば、猟期に入ってるんだね。山の生活の音だけど、銃声は、あんまりいただけないなぁ。
この先(屏風岩対岸辺り)地形図では大きく北斜面を巻くように描かれているが実際の道は地形図よりもだいぶ南側を通っている。道は溝型で時折倒木が進路を塞ぐが溝から出れば難なく避けることが出来る。
遠くから汽笛が何度も聞こえてくる。この時期、米原-木之本間にはSL琵琶湖号としてC56が運行されているのだ。古道にSLの汽笛。なんだかタイムスリップした感覚。
よく知ってるね。SLに乗ってきて、山を歩けば、もっと風情があったかも。もし一緒なら、息子ちゃんも喜んだかも。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
分岐から暫くは良い道が続いたが、やがて踏み跡は怪しくなり獣道となる。小谷を一つ渡り、屏風岩対岸から出ている大きな谷までやってきたが踏み跡は全く判らなくなった。
このままトラバを続けるか、それともこの谷を登って頂上台地に出るかと思案したが、古道を辿らなければ今回の山行の意味が無い。では地形図に破線が残る逆側から辿ろうと潔く諦め往路を分岐まで引き返した。
なんだか楽しいですね。古道の探査。ビン坂峠巻道、興味が湧きます。
ハリマオ式でハチマキのトラバ覚悟で行ってみるのもいいかも。
帰って地形図をよく見ると反対側から延びている破線の標高がco650で踏み跡を失った地点の標高がco500と標高差150mであるので道は踏み跡が怪しくなった辺りから上部に続いていた可能性が高いことに気がついた。ブランクでだいぶ勘が鈍っているようだ。まあ、おかげで金色に輝く木を見つけられたことだし好しとしよう。
勘とういか、その時、固定観念に縛られた?
黄金色の、秋を楽しめたようで、ちゃんと駄賃はあるものですね。
さて、戻った分岐からはお虎ヶ池方向を目指して登って行く。それにしても、目ぼしい太さのミズナラは全部枯れてしまっている。このあたりのキクイムシの被害は相当酷い状態のようだ。
そうなんや・・・。それは、残念。
残念とは反対に、ミズナラなら、マイタケちゃんを見つけて舞い上がってはいなかった?
稜線に出たところでこの日初めて青空がのぞいた、南西尾根には登山者が一人見える。青空は一瞬だけで雲が降り、風が舞いだした。適当なところで妥協してビールを開ける。うどん鍋にさっき取ったナメコとエノキを少々放り込む。
一瞬でも、はっとする青空に出会えて感謝ね。
天然エノキは見分け難しくない?
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。当初の予定どおり人間がオーバーを着て、ザックに合羽を着てもらう。そんなことで慌しく食事を済ます。
あらまぁ・・。予定通りザックが合羽着られて、よかったのか悪かったのか。良いわけないよね~。
何かおかしいなあ???GPSを取り出し経度を確認すると思っているのよりだいぶ西の位置が掲示されている。???ここでやや混乱する。ガスは更に濃くなり視界は30m程度まで落ちている。(帰ってログを見るとそんなおかしな場所ではなかった。経度の位置を読み違えてた?キツネに化かされたか?)
霊仙で、雪のシーズンに一歩先も分からないほどの濃霧に出会ったことがあります。怖かった~。キツネに化かされた絵本の世界かな。
この辺り紅葉の盛りでまずまずの雰囲気、目立つ黄色はだいたいウリハダカエデのようで、時折目立つ赤色は近付いてみるとこれはイロハモミジのようであった。ケヤキのオレンジもけっこう多い。
紅葉は、バッチリ楽しめたようね。ここは、外れが多かった今年の紅葉から外れていたようで、よかったじゃない。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
満足度をこれで、何パーセントかアップね。
この先、旧道を辿り、朝通った“鳥獣保護区”の看板がある分岐を目指したが、夕闇と時間を気にする焦りから、殆ど道型を辿ることが出来ない。ずるずるすべる斜面をどろどろになりながら何とか朝通った道まで出るが左の谷に降りたくない心理が働くからであろう。“鳥獣保護区”の分岐よりもだいぶ上部に出てしまったがここまで来たら後は朝歩いている道なので一安心である。
[17時20分駐車地着。久しぶりの一人歩きだったが、地球の重力がいつもより15%ほど減るとまだまだ歩けることが確認できた一日でした。
まだまだ、お若いたむちゃんですから、重力を15%かけて、山の通えるのは、ありがたい体力トレーニングにもなり、息子孝行にもなる一石二鳥、いいことずくめじゃないかと。
闇下に味をしめて、闇下王にならないでね~。
久々の、単独の山、疲れも心地よくリフレッシュできましたか?
☆~~とっちゃん(都津茶女)~☆
【日 付】2011年11月20日(日)
【山 域】鈴鹿北部霊仙山(地形図、「彦根東部」「霊仙山」)
【メンバー】めずらしく単独
【天 候】曇り後一瞬晴れ後雨と濃霧のち雨時々曇り
【コース】上丹生-昼坂峠-お虎ヶ池-井戸谷源頭-お虎ヶ池-八坂神社-昼坂峠-上丹生
土曜日に会社のイベントがあると伝えたら嫁さんは子供共にさっさと実家に帰ってしまった。
それではと久しぶり(ほぼ1年半ぶり)に一人で出かけることとした。
またまた、どんだけぶりの単独?って、キノコちゃんに出会った御池も単独やったっけ?
ああ、1年半ぶるなんやね~。その言葉を聴いた瞬間、羽根が生えてました?心に。
前日に木津まで出るのでそのまま地道を走って彦根に向かう。
木津から、どんだけくらいかかる?上丹生までの時間。
彦根市内で買出しをし、上丹生を抜けて榑ヶ畑へ、しかし真っ暗な林道はなんとも心もとない。ということで林道を途中ですごすごと引き返し、上丹生のこぶとり地蔵前公園の大銀杏下の駐車場に車を止めた。
ここは、屋根つきのベンチに電灯と水洗トイレまであり便利な場所である。鍋とビールとボージョレヌーボーの夕食を採り、車中の宿とする。この日はシュラフに入らずとも寒くない快適な夜であったが、夜中の1時ごろに目が覚めると雨が激しく車の屋根をたたいている。
そういう目で見てないから、覚えてないけど、なかなかいい場所があったのね。途中で雨が降っても。夕ご飯。朝食も食べられるし。
天気予報では雨は上がるはずであるがどうであろうか、はるばるここまで来てそのまま帰るわけには行かないがと心配していると、ザックカバーを忘れてきたことにふと気がついた。なにせ、合羽とザックカバーを準備するような登山はひさしぶりである。
なんだか、何もかもが新鮮ね~。
丹生川には沢山の橋がかかっているが昼坂峠へはどの橋を渡ればよいのか。道標は出ていないがコンクリートで出来た他よりやや立派な15番の橋を渡り、迷路のような路地を進むと「昼坂峠至る」の道標が現れた。
初めてのとこに行くと、取り付きを見つけるのが一番難しい気がしちゃいます。私。
このあたりの林道の造成はよくもまあ予算がつくなあとあきれるばかりであるが、峠以外の旧道が無事であるのがせめてもの救いであった。
これだけは、残して欲しい。心ばかりの配慮かしら。
霊仙方面への道は林道をわずかに南に下りた地点に階段が設置されていた。遠く南の方角から乾いた銃声が2発、その後比較的近くでコーンコーンと斧を振るう音が響く。
そういえば、猟期に入ってるんだね。山の生活の音だけど、銃声は、あんまりいただけないなぁ。
この先(屏風岩対岸辺り)地形図では大きく北斜面を巻くように描かれているが実際の道は地形図よりもだいぶ南側を通っている。道は溝型で時折倒木が進路を塞ぐが溝から出れば難なく避けることが出来る。
遠くから汽笛が何度も聞こえてくる。この時期、米原-木之本間にはSL琵琶湖号としてC56が運行されているのだ。古道にSLの汽笛。なんだかタイムスリップした感覚。
よく知ってるね。SLに乗ってきて、山を歩けば、もっと風情があったかも。もし一緒なら、息子ちゃんも喜んだかも。
8時40分巻道分岐。本日のメインテーマは西尾本P129にある「(12)ビン坂峠巻道」を辿ることであった。ここの分岐は地形図破線道のco500付近にある。二年前にこの分岐を確認して依頼、何時か歩こうと決めていたのだ。
分岐から暫くは良い道が続いたが、やがて踏み跡は怪しくなり獣道となる。小谷を一つ渡り、屏風岩対岸から出ている大きな谷までやってきたが踏み跡は全く判らなくなった。
このままトラバを続けるか、それともこの谷を登って頂上台地に出るかと思案したが、古道を辿らなければ今回の山行の意味が無い。では地形図に破線が残る逆側から辿ろうと潔く諦め往路を分岐まで引き返した。
なんだか楽しいですね。古道の探査。ビン坂峠巻道、興味が湧きます。
ハリマオ式でハチマキのトラバ覚悟で行ってみるのもいいかも。
帰って地形図をよく見ると反対側から延びている破線の標高がco650で踏み跡を失った地点の標高がco500と標高差150mであるので道は踏み跡が怪しくなった辺りから上部に続いていた可能性が高いことに気がついた。ブランクでだいぶ勘が鈍っているようだ。まあ、おかげで金色に輝く木を見つけられたことだし好しとしよう。
勘とういか、その時、固定観念に縛られた?
黄金色の、秋を楽しめたようで、ちゃんと駄賃はあるものですね。
さて、戻った分岐からはお虎ヶ池方向を目指して登って行く。それにしても、目ぼしい太さのミズナラは全部枯れてしまっている。このあたりのキクイムシの被害は相当酷い状態のようだ。
そうなんや・・・。それは、残念。
残念とは反対に、ミズナラなら、マイタケちゃんを見つけて舞い上がってはいなかった?
稜線に出たところでこの日初めて青空がのぞいた、南西尾根には登山者が一人見える。青空は一瞬だけで雲が降り、風が舞いだした。適当なところで妥協してビールを開ける。うどん鍋にさっき取ったナメコとエノキを少々放り込む。
一瞬でも、はっとする青空に出会えて感謝ね。
天然エノキは見分け難しくない?
しかし、ここで雨が降り出した。避難小屋まで行くべきだったかと後悔するも、ぐつぐつ煮えている鍋は今更どうすることも出来ない。当初の予定どおり人間がオーバーを着て、ザックに合羽を着てもらう。そんなことで慌しく食事を済ます。
あらまぁ・・。予定通りザックが合羽着られて、よかったのか悪かったのか。良いわけないよね~。
何かおかしいなあ???GPSを取り出し経度を確認すると思っているのよりだいぶ西の位置が掲示されている。???ここでやや混乱する。ガスは更に濃くなり視界は30m程度まで落ちている。(帰ってログを見るとそんなおかしな場所ではなかった。経度の位置を読み違えてた?キツネに化かされたか?)
霊仙で、雪のシーズンに一歩先も分からないほどの濃霧に出会ったことがあります。怖かった~。キツネに化かされた絵本の世界かな。
この辺り紅葉の盛りでまずまずの雰囲気、目立つ黄色はだいたいウリハダカエデのようで、時折目立つ赤色は近付いてみるとこれはイロハモミジのようであった。ケヤキのオレンジもけっこう多い。
紅葉は、バッチリ楽しめたようね。ここは、外れが多かった今年の紅葉から外れていたようで、よかったじゃない。
天気もすこし落ち着いたみたいである。このままでは今日の収穫が少なすぎると思い西尾本にあった八坂神社裏道を歩いてみることにする。確か・729から北西に降りる尾根だったはずと登山道を外しそちらへ向う。
満足度をこれで、何パーセントかアップね。
この先、旧道を辿り、朝通った“鳥獣保護区”の看板がある分岐を目指したが、夕闇と時間を気にする焦りから、殆ど道型を辿ることが出来ない。ずるずるすべる斜面をどろどろになりながら何とか朝通った道まで出るが左の谷に降りたくない心理が働くからであろう。“鳥獣保護区”の分岐よりもだいぶ上部に出てしまったがここまで来たら後は朝歩いている道なので一安心である。
[17時20分駐車地着。久しぶりの一人歩きだったが、地球の重力がいつもより15%ほど減るとまだまだ歩けることが確認できた一日でした。
まだまだ、お若いたむちゃんですから、重力を15%かけて、山の通えるのは、ありがたい体力トレーニングにもなり、息子孝行にもなる一石二鳥、いいことずくめじゃないかと。
闇下に味をしめて、闇下王にならないでね~。
久々の、単独の山、疲れも心地よくリフレッシュできましたか?
☆~~とっちゃん(都津茶女)~☆
Re: 【鈴鹿】霊仙山の古道を歩く
とっちゃんどうも 返事遅くなりませいてすみません。もう終わってたと思ってた。
>またまた、どんだけぶりの単独?って、キノコちゃんに出会った御池も単独やったっけ?
御池って何のことか?御池には久しく行ってないですよ。最後に行ったのは何時か覚えてないくらい。
>木津から、どんだけくらいかかる?上丹生までの時間。
けっこうかかりましたね。3時半くらいに出て、7時過ぎだったような。
>そういう目で見てないから、覚えてないけど、なかなかいい場所があったのね。途中で雨が降っても。夕ご飯。朝食も食べられるし。
あの場所は便利でいいですね。藤原簡易PAみたいな感じでしょうか。綺麗なトイレがあるからね。女子にはよいと思いますよ。
>初めてのとこに行くと、取り付きを見つけるのが一番難しい気がしちゃいます。私。
まあそれも楽しいといえば楽しいのかも・
>これだけは、残して欲しい。心ばかりの配慮かしら。
そんな配慮ないでしょう。計画上たまたまですよ。でも、榑ヶ畑側への取り付きには階段が設置して有りました。これは、道路工事者とは別の人の配慮かもね。
>そういえば、猟期に入ってるんだね。山の生活の音だけど、銃声は、あんまりいただけないなぁ。
増えすぎた鹿は間引いてもらわんとしょうがないでしょう。そういえば去年の大雪でだいぶ鹿が死んでるのとか。今回も大きな群れには会いませんでした。
>よく知ってるね。SLに乗ってきて、山を歩けば、もっと風情があったかも。もし一緒なら、息子ちゃんも喜んだかも。
最近は相当なSLマニアかも。 >なんだか楽しいですね。古道の探査。ビン坂峠巻道、興味が湧きます。
ハリマオ式でハチマキのトラバ覚悟で行ってみるのもいいかも。
霊仙のハチマキは確かに面白いかもね。でも、霊仙はやっぱり古道にこだわるべきでしょう。
>勘とういか、その時、固定観念に縛られた?黄金色の、秋を楽しめたようで、ちゃんと駄賃はあるものですね。
黄金色の秋ってとっちゃんたちが、湖北で食べそびれたやつですよ。ちゃんと通じてるのかなあ。
>そうなんや・・・。それは、残念。
残念とは反対に、ミズナラなら、マイタケちゃんを見つけて舞い上がってはいなかった?
マイタケは時期的にもう終わってますよ。北部鈴鹿の被害は相当酷そうですね。たぶん五僧峠に向かう道にあるミズナラとかはもうやられちゃってると思うの。
>一瞬でも、はっとする青空に出会えて感謝ね。天然エノキは見分け難しくない?
柄の下のほうが黒くなってるのが特徴です。
>あらまぁ・・。予定通りザックが合羽着られて、よかったのか悪かったのか。良いわけないよね~。
良いわけないですよ。しかも勝手に脱ぎよるし。
>霊仙で、雪のシーズンに一歩先も分からないほどの濃霧に出会ったことがあります。怖かった~。キツネに化かされた絵本の世界かな。
雪山のホワイトアウトは怖いですね。御池では経験ありますが。タヌキを化かすのはキツネしかおらんでしょう、やっぱり。
>紅葉は、バッチリ楽しめたようね。ここは、外れが多かった今年の紅葉から外れていたようで、よかったじゃない。
今年の紅葉は近所の里山のコナラのオレンジが一番綺麗だったような。何故かしら河内地方ではナラ枯れは出ていません。不思議。
>久々の、単独の山、疲れも心地よくリフレッシュできましたか?
私は暫く冬眠でしょうか。とっちゃんは今年も山スキーですか。無理せんように楽しんでくださいです。
みなさまもう完全に冬モードなのに、季節はずれレポ失礼しました。 あきたぬき
>またまた、どんだけぶりの単独?って、キノコちゃんに出会った御池も単独やったっけ?
御池って何のことか?御池には久しく行ってないですよ。最後に行ったのは何時か覚えてないくらい。
>木津から、どんだけくらいかかる?上丹生までの時間。
けっこうかかりましたね。3時半くらいに出て、7時過ぎだったような。
>そういう目で見てないから、覚えてないけど、なかなかいい場所があったのね。途中で雨が降っても。夕ご飯。朝食も食べられるし。
あの場所は便利でいいですね。藤原簡易PAみたいな感じでしょうか。綺麗なトイレがあるからね。女子にはよいと思いますよ。
>初めてのとこに行くと、取り付きを見つけるのが一番難しい気がしちゃいます。私。
まあそれも楽しいといえば楽しいのかも・
>これだけは、残して欲しい。心ばかりの配慮かしら。
そんな配慮ないでしょう。計画上たまたまですよ。でも、榑ヶ畑側への取り付きには階段が設置して有りました。これは、道路工事者とは別の人の配慮かもね。
>そういえば、猟期に入ってるんだね。山の生活の音だけど、銃声は、あんまりいただけないなぁ。
増えすぎた鹿は間引いてもらわんとしょうがないでしょう。そういえば去年の大雪でだいぶ鹿が死んでるのとか。今回も大きな群れには会いませんでした。
>よく知ってるね。SLに乗ってきて、山を歩けば、もっと風情があったかも。もし一緒なら、息子ちゃんも喜んだかも。
最近は相当なSLマニアかも。 >なんだか楽しいですね。古道の探査。ビン坂峠巻道、興味が湧きます。
ハリマオ式でハチマキのトラバ覚悟で行ってみるのもいいかも。
霊仙のハチマキは確かに面白いかもね。でも、霊仙はやっぱり古道にこだわるべきでしょう。
>勘とういか、その時、固定観念に縛られた?黄金色の、秋を楽しめたようで、ちゃんと駄賃はあるものですね。
黄金色の秋ってとっちゃんたちが、湖北で食べそびれたやつですよ。ちゃんと通じてるのかなあ。
>そうなんや・・・。それは、残念。
残念とは反対に、ミズナラなら、マイタケちゃんを見つけて舞い上がってはいなかった?
マイタケは時期的にもう終わってますよ。北部鈴鹿の被害は相当酷そうですね。たぶん五僧峠に向かう道にあるミズナラとかはもうやられちゃってると思うの。
>一瞬でも、はっとする青空に出会えて感謝ね。天然エノキは見分け難しくない?
柄の下のほうが黒くなってるのが特徴です。
>あらまぁ・・。予定通りザックが合羽着られて、よかったのか悪かったのか。良いわけないよね~。
良いわけないですよ。しかも勝手に脱ぎよるし。
>霊仙で、雪のシーズンに一歩先も分からないほどの濃霧に出会ったことがあります。怖かった~。キツネに化かされた絵本の世界かな。
雪山のホワイトアウトは怖いですね。御池では経験ありますが。タヌキを化かすのはキツネしかおらんでしょう、やっぱり。
>紅葉は、バッチリ楽しめたようね。ここは、外れが多かった今年の紅葉から外れていたようで、よかったじゃない。
今年の紅葉は近所の里山のコナラのオレンジが一番綺麗だったような。何故かしら河内地方ではナラ枯れは出ていません。不思議。
>久々の、単独の山、疲れも心地よくリフレッシュできましたか?
私は暫く冬眠でしょうか。とっちゃんは今年も山スキーですか。無理せんように楽しんでくださいです。
みなさまもう完全に冬モードなのに、季節はずれレポ失礼しました。 あきたぬき