ページ 11

【越前】杣木俣を囲む尾根を歩く 杉谷川右岸尾根から段ノ岳へ

Posted: 2025年12月24日(水) 21:39
by 山日和
【日 付】2025年12月19日(金)
【山 域】越前丹南地方 段ノ岳周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】杉谷8:10---10:10杣山からの尾根---10:55町境稜線---11:50 P677m13:10---13:35風吹峠---
     14:15段ノ岳14:35---15:40大坂---17:00白山神社---17:15杉谷

 数年前から越前の里山を歩くようになった。標高だけ見るとせいぜい700m~800mの低山だが、植林が主体だ
と思い込んでいた山々に思いもよらなかったブナ林が残されていることを知ったのだ。
胸のすくような展望を得られるわけではないが、そこに暮らす人との結びつきや古の宗教の遺物を肌で感じられ
る、味わい深い山旅を楽しむことができるのである。
 
 南越前町から池田町へ抜ける国道476号は杣木俣で途切れている。そこからは細い林道となって風吹峠を越えて
池田町魚見へ抜けられるのだが、国道は未完のままだ。
 杣木俣の手前、杉谷集落の入口に車を止めた。道端に立てられた集落の案内看板を見ると、意外なほど多くの
家がある。今朝は冷え込んで、霜が降りた田畑の奥に段ノ岳の山頂が朝日に輝いている。

P1001130_1.JPG

 集落の中ほどから杉谷川にかかる橋を渡って尾根に取り付く。末端は植林だが、すぐに雑木林となった。
懸念していたヤブもなく、しっかりした踏み跡がある。
大きな尾根に乗ると、あまりのいい道に401.2mの三角点小倉谷方向へ引き込まれてしまった。引き返して90度左折
する正しい尾根に乗る。こちらも踏み跡は明瞭で障害となるものはない。
杉谷川の向こうにはこれから辿る池田・南越前の町境稜線が横たわっている。
果たして予定通り歩き通せるだろうか。

 可もなく不可もない雑木の尾根を進む。出発前にはあれほど寒かったのに、日が当たりだすと汗ばむような陽気
だ。今日は場所によっては20℃近くまで気温が上がるらしい。
 送電鉄塔を過ぎたあたりから林相が変わり、ブナが目立ち始めた。斜面を登り切って杣山から続く尾根に合流す
ると、そこからは若いながらもほぼブナの純林と言える森が続いて驚かされた。
しかも尾根上には完全に道レベルの踏み跡があり、ヤブはまったく見られない。
まあ、歩けるだろうという程度の予想しかしていなかったが、これはうれしい大誤算である。
左手には金粕の山頂が見える。


P1001182_1.JPG
P1001188_1.JPG

 町境稜線のCa720mピークに着いた。2年前の冬、この北側斜面でランチタイムを楽しんでいる時にベルグラ山の
会の瓜生氏と出会ったことを思い出す。
 この周辺では一番高い775mピークから先は、北の池田町側が植林、南の南越前町側がブナ林という対照的な林相
を見せる。
 相変わらず明瞭な道を進む。鉄塔を過ぎると左手に白山の姿が見えた。手前の部子山はわずかに白いものが認め
られる程度だが、さすがに白山の白さは際立っている。
段ノ岳はまだ遠いが、適当なランチ場を探しながら歩く。

P1001219_1.JPG

 667mピークは疎林の広い台地となっており、おあつらえ向きのランチ場だ。
南に背を向け、倒木に腰かけると背中がポカポカと暖かい。今年ももうあと10日ばかりで終わりだというのに、年
の瀬を感じさせない陽気だ。
 食後は地形図に載っていない風吹峠へ向かう。峠の手前からはさすがにブナ林も切れ、殺伐とした切通しの林道
には風吹峠の開通記念の石碑があり、コンクリートの祠に祀られたお地蔵さまが何か場違いな感じで安置されていた。
 553mピークをトラバースして踏み跡は続いている。
段ノ岳山頂までは、食後の重い足を引きずりながらの標高差200mの我慢である。おまけに足元は滑りやすい土質で
踏ん張るのに疲れてしまう。


P1001236_1.JPG

 なんとか登り切った山頂だが、お世辞にも登った甲斐があったとはとても言えない山頂である。半分植林、半分
灌木で展望もない。ここまで来ても距離的にはまだ3分の1が残っているのでのんびりしてはいられない。
 来た道を少し戻ったところで今度は南東へ延びる尾根に入る。少し瘦せた尾根を200mあまりの急降下だ。
この下りではまたブナが戻ってきた。
 下り着いた鞍部には左右から掘り込まれた道が上がって来ているが、ここは大坂ではない。少し登り返すと582m
の広大な台地が広がる。この疎林の伸びやかな台地も素晴らししい。3年前に東俣から段ノ岳を訪れた時のランチ場
である。


P1001259_1.JPG
P1001263_1.JPG

 そこから下ったところのあまり峠らしくない鞍部にお地蔵さまがひっそりと安置されていた。
地形図の大坂はまだ先だ。もうひとつ小さなピークを越えた鞍部が地形図上の大坂だ。
この峠は昔、勝山平泉寺の宗徒や水戸天狗党の一団が越えたと言われている要所だったらしい。
今はその面影すら思い浮かべることも困難な平凡な峠だ。
ここまでの3つの峠については「U字倶楽部」というHPが詳しく研究されている。

IMG_20251219_170934_1.jpg

 いい加減歩き疲れてきたら杣木俣へ下る尾根へ逃げようと思っていたが、ここまで来たら距離的にもたいして変
わらないので当初の計画通り、485.3mの三角点大平を経由する尾根を行くことにする。
但し、日没まであまり時間が残されていないので急がなければならない。
 この尾根はほとんど勾配のない快適な尾根だった。踏み跡も明瞭で迷うこともない。
終盤で地図にない林道が現れたが、右へ折り返すように下って行った。さらに尾根を辿ると集落の灯りが見え、
やがて左下に神社の祠が現れた。白山神社の奥宮である。
 急な階段を下って防獣ゲートを開けると白山神社の境内に着地。駐車地までまだ車道歩きが残っているが、なん
とか闇下にならずに済んだようだ。
まわりには宵闇が迫ってきたが、瀬戸の集落越しに見えた権現山あたりの山稜にはまだ明るさが残っていた。

          山日和

Re: 【越前】杣木俣を囲む尾根を歩く 杉谷川右岸尾根から段ノ岳へ

Posted: 2025年12月25日(木) 23:19
by ふ~さん
こんばんは。

このエリアは奥美濃側は歩いていても、越前側は添又谷や白倉谷あたりの土地カンしかないので、語れないのですが、杣木俣周辺の集落の歴史には惹かれて、現地の図書館の、ほこり臭い書棚を探った覚えがあります。芋が平・瀬戸・高倉などの来歴は時代の流れを写して山村の悲哀を感じると共に、どこか憧憬じみた感情にも包まれました。

現在の大坂峠は、私は未踏ですが、踏み跡も薄く、ただの鞍部に見えるかもしれませんね。しかし、平泉寺宗徒の往来や天狗党の峠ごえ、といった歴史の断片を重ねると、峠の風景が一気に厚みを帯びてきます。

山行中にふと現れるお地蔵さまの存在も、こうした歴史の往来を静かに物語っているようで、地域史の奥行きを感じさせますね。

ここは、白山信仰の拠点、平泉寺の勢力圏だったし、越前と飛騨美濃方面を結ぶ山間ルートでした。戦乱期には軍勢の移動路にもなり得ただろうし、大坂峠は「地形図では平凡でも、歴史の中では重要な通路」であったことが見えてきます。

それにしても、天狗党。800名あまりの大集団で、幕府軍に追われながらの行軍でした。そのため、主要街道ではなく、山間の峠道を選んだ可能性は高く、地域に伝わる「大坂峠越え」の伝承は、なるほど歴史的な背景とも一致しますね。

それにしても、毎週あんな距離を動き回って山歩きしてるなんて、本当にタフですね。
いっそ杣木俣あたりに小屋がけして、山ごもり生活はじめちゃいますか。
そのときは晩酌セット持って遊びに行きますよ。


     ふ~さん

Re: 【越前】杣木俣を囲む尾根を歩く 杉谷川右岸尾根から段ノ岳へ

Posted: 2025年12月26日(金) 17:23
by sato
山日和さま

こんにちは。
今日は待望の雪。でも、時雨になったりして、我が家の周りは薄っすらと雪化粧しているくらいです。
これから積もっていくのかもしれませんが。お山は数十センチ積もったかな。

増永廸男さんの『福井の山150』から始まった越前の里山歩き。
山日和さんとの山旅は、2021年、唐木岳日野山周回から始まりました。
段ノ岳は、2023年の1月に、東俣から途中で終わる国道476が走る魚見川上流の谷を囲む尾根を辿る雪山旅で訪れましたね。
その時、大坂峠を通り、町境の稜線から南越前町を見下ろし、次は杣木俣から訪れたいと思いました。
昨秋、Kさんと杣木俣から大坂ともうひとつの峠、風吹峠の探索に出かけ、さまざまな風景に出会い、
田倉川上流の山と村への興味はより深まりました。

今回は、杉谷から登り、瀬戸に下る大回りのコース。
この日は、冬に入り一番の冷え込みだったそうですね。まっ白に凍った田んぼに目を見張りました。
杉谷の集落は思ったより大きくて、住んでいる家も多いように感じました。
調べたら、2020年の統計ですが19世帯62人でした。(ちなみに杣木俣は0人。瀬戸は15世帯28人)

尾根も稜線も、濃いヤブはないだろうと思っていましたが、予想以上に歩きやすかったですね。標高500mくらいからはブナ林。
青空の下の葉っぱの落ちきった若いブナの林は、からりと明るく、爽やかで、木々の向こうに佇む金粕山のお姿は麗しく、
うれしくて笑みがこぼれっぱなしでした。

720m小ピークは、瓜生康二さんとお会いした思い出の地ですね。
あの日は、もう少し高い山に行っていたら見事な霧氷に出会えたであろう降雪直後のきんきんに冷え込んだ日でした。
登り始めと途中でヤブにつかまり、雪まみれになり、こんなに素晴らしい雪景色の日に何をしているのだろうと思いつつ、
何をしているのだろうと思う自分を面白がって登っていました。
瓜生康二さんとの出会いによって、この日の雪山旅は、より鮮やかな思い出となりこころに刻まれています。

・775からは、池田町側はところどころ植林でしたが、南越前側はブナ林で、気持ちいい尾根歩きが続いていきましたね。
・667は、昨秋訪れて、わぁ、と感激した地。昨秋はここから杣木俣に下りました。
今回は、木立の間からまっ白な白山も望めて、よろこびもひとしおでした。

風吹峠の林道は、2019年に開通したそうです。
新しいお地蔵さまの静かなお姿は、かつてここに杣木俣と魚見を結ぶ大切な道があったことを忘れないでほしいという、
この道を行き来した人びとの思いを物語っているように感じました。

ここから段ノ岳へは、ズルズルの急斜面となりますが、辿り着いた山頂は、私はほっとこころが和らぐ山頂だなぁと思いました。
前回も、その前も。地味だけど、その地味さが心地いいような。

雪の時感激した・582周辺は、落ち葉の季節も素晴らしいですね。
ゆらりゆらりと歩きたかったのですが、時間が気になり、早足になってしまったのが残念でした。

そして、今回山日和さんと是非確認したかった大坂峠。
お地蔵さまの祀られている鞍部の両側には、きれいに彫られた道が残っていて、
スタンフォード大学が公開している100年前に測量された日本地図にも、5万、2.5万地形図に記された破線ではなく、
この鞍部に道が通っているので、江戸時代末期には、大坂峠道はここだったと、私は思ってしまいます。

杣木俣は、かつて曽博郷と呼ばれ、(杣木は曽博の転化と考えられているそうです)、現在の池田町池田谷一帯と同じ郷に属していて、
大坂峠、風吹峠は、ひんぱんに人が行き来し、池田側の東俣には関所もあったそうです。
『越前・若狭 峠のルーツ』には、大坂峠には、むかし鳥居があり鳥居峠ともいわれたと書かれています。
杣木俣の白山神社が曽博郷の総社で、池田側の人びとは、峠を越えて白山神社にお参りしていたそうです。
江戸時代には、大野、池田の人びとが、伊勢神宮や本願寺参詣の時、近道であるこの峠を通ったとか。
時代により主に歩かれる道は、変わったりもしたのでしょうね。

ふ~さんもおっしゃっていますが、地形図では平凡でも、歴史の中では重要な通路だったのですね。
道は、目的があり作られ、維持される。
平安時代末期には、源平合戦で活躍した木曽義仲に加勢した平泉寺の千騎余りの僧兵が通り、
幕末には、幕府軍によって進路を阻まれた水戸天狗党1000人が、
中山道を進むのを諦め、根尾谷を詰め、蝿帽子峠を越え、笹又、大野、池田を経て通った大坂道。
時代の大きなうねり転換期の歴史を作った道でもあり、名も無きあまたの人の歴史が折り重なった道でもあるのですね。
お地蔵さまが安置されたのは昭和9年。昭和の初めは、まだこの道は歩かれていたのですね。
今はしんと静まり返った山、無人となった杣木俣の村がみてきた風景を想像してしまいます。

瀬戸へと向かう下りの尾根は、昨秋大坂峠道を探していた時に少し歩き、広い道が残っているのを見て、気になっていました。
ゆるゆると広い尾根が続いていき気持ちよさそうと思いましたが、ここも、想像を超える素敵な尾根でした。
夕暮れが迫ってきて、急がなければと思うのですが、何度も振り返ってしまう。山日和さんは、何枚も写真を撮っていましたね。
下部ではユズリハが出てきましたが、杣道があったので落ち着いて歩けました。

降り立った場所は、白山神社。ありがとうございました。感謝の気持ちに包まれました。

今回も、さまざまな風景に出会えた深い山旅でした。ありがとうございました。
これからも越前の里山旅は続いていきますね。よろしくお願いします。

sato

Re: 【越前】杣木俣を囲む尾根を歩く 杉谷川右岸尾根から段ノ岳へ

Posted: 2025年12月26日(金) 23:59
by 山日和
ふ~さん、どうもです。

このエリアは奥美濃側は歩いていても、越前側は添又谷や白倉谷あたりの土地カンしかないので、語れないのですが、杣木俣周辺の集落の歴史には惹かれて、現地の図書館の、ほこり臭い書棚を探った覚えがあります。芋が平・瀬戸・高倉などの来歴は時代の流れを写して山村の悲哀を感じると共に、どこか憧憬じみた感情にも包まれました。

登山の対象としてはほとんど顧みられないエリアなので、それも郁子なるかなですね。
芋ヶ平には蓮如上人の旧蹟もあって興味深いです。

現在の大坂峠は、私は未踏ですが、踏み跡も薄く、ただの鞍部に見えるかもしれませんね。しかし、平泉寺宗徒の往来や天狗党の峠ごえ、といった歴史の断片を重ねると、峠の風景が一気に厚みを帯びてきます。

現場を見ると「こんなところを?」と思うような場所です。

ここは、白山信仰の拠点、平泉寺の勢力圏だったし、越前と飛騨美濃方面を結ぶ山間ルートでした。戦乱期には軍勢の移動路にもなり得ただろうし、大坂峠は「地形図では平凡でも、歴史の中では重要な通路」であったことが見えてきます。

木曾義仲に加勢するために大挙してこの峠を越えたようですが、平氏に言いくるめられて裏切ったそうです。


地形図の大坂の手前の峠 お地蔵さまはここにあります
地形図の大坂の手前の峠 お地蔵さまはここにあります

それにしても、天狗党。800名あまりの大集団で、幕府軍に追われながらの行軍でした。そのため、主要街道ではなく、山間の峠道を選んだ可能性は高く、地域に伝わる「大坂峠越え」の伝承は、なるほど歴史的な背景とも一致しますね。

1000人を超す集団だったようです。それにしても真冬に蝿帽子峠を越えて、さらにいくつもの峠を越えて敦賀に入る手前で幕府の軍門に下ったとは哀し過ぎますね。

それにしても、毎週あんな距離を動き回って山歩きしてるなんて、本当にタフですね。
いっそ杣木俣あたりに小屋がけして、山ごもり生活はじめちゃいますか。
そのときは晩酌セット持って遊びに行きますよ。


いやいや、肩は痛いわ、ヒザは痛いわで満身創痍ですわ。
それに私は基本的にシティボーイなので山ごもりは無理です。
近くにコンビニがないと。 :mrgreen:

                     山日和

Re: 【越前】杣木俣を囲む尾根を歩く 杉谷川右岸尾根から段ノ岳へ

Posted: 2025年12月29日(月) 10:22
by 山日和
satoさん、どうです。

今日は待望の雪。でも、時雨になったりして、我が家の周りは薄っすらと雪化粧しているくらいです。
これから積もっていくのかもしれませんが。お山は数十センチ積もったかな。


10年に1度の暖かさという予報はいつの間にか10年に1度の厳しい寒さへと変わりましたね。

段ノ岳は、2023年の1月に、東俣から途中で終わる国道476が走る魚見川上流の谷を囲む尾根を辿る雪山旅で訪れましたね。

大小屋山~大曾地の翌週でした。北のほうがあまり天気が良くない予報だったので選んだ山域でしたが、ハマりましたね。

P1001126_1.JPG

杉谷の集落は思ったより大きくて、住んでいる家も多いように感じました。
調べたら、2020年の統計ですが19世帯62人でした。(ちなみに杣木俣は0人。瀬戸は15世帯28人)


すぐに調べるところがさすがですね。あの近辺で一番大きな集落だったんですね。

青空の下の葉っぱの落ちきった若いブナの林は、からりと明るく、爽やかで、木々の向こうに佇む金粕山のお姿は麗しく、うれしくて笑みがこぼれっぱなしでした。

この予想外のブナ尾根歩きは格別でした。

720m小ピークは、瓜生康二さんとお会いした思い出の地ですね。
あの日は、もう少し高い山に行っていたら見事な霧氷に出会えたであろう降雪直後のきんきんに冷え込んだ日でした。

そうそう。部子山や金草岳は見事な霧氷に飾られてましたね。
当初は桐ヶ平~岳ノ谷へ行く予定を急遽変更したのでした。

瓜生康二さんとの出会いによって、この日の雪山旅は、より鮮やかな思い出となりこころに刻まれています。

変更したおかげで瓜生さんと出会えて豊かな一日になりましたね。


P1001194_1.JPG

・775からは、池田町側はところどころ植林でしたが、南越前側はブナ林で、気持ちいい尾根歩きが続いていきましたね。
・667は、昨秋訪れて、わぁ、と感激した地。昨秋はここから杣木俣に下りました。
今回は、木立の間からまっ白な白山も望めて、よろこびもひとしおでした。


P667mは実にいいところでしたね。その先はあまりてて場所がなかったので、あそこでランチにして正解でした。

風吹峠の林道は、2019年に開通したそうです。
新しいお地蔵さまの静かなお姿は、かつてここに杣木俣と魚見を結ぶ大切な道があったことを忘れないでほしいという、この道を行き来した人びとの思いを物語っているように感じました。

あそこにも古い峠道があったのか。
風吹峠というのはあの近辺の峠の名付け方(大坂、宅良坂、魚見坂等々)からすると、あんまりそぐわない感じがしますが。

P1001235_1.JPG

ここから段ノ岳へは、ズルズルの急斜面となりますが、辿り着いた山頂は、私はほっとこころが和らぐ山頂だなぁと思いました。
前回も、その前も。地味だけど、その地味さが心地いいような。

うーん、地味なのはいいけど北側の植林がね。

雪の時感激した・582周辺は、落ち葉の季節も素晴らしいですね。
ゆらりゆらりと歩きたかったのですが、時間が気になり、早足になってしまったのが残念でした。


もう少しランチタイムと段ノ岳の休憩時間を詰めればよかったですね。 :mrgreen:


P1001257_1.JPG

そして、今回山日和さんと是非確認したかった大坂峠。
お地蔵さまの祀られている鞍部の両側には、きれいに彫られた道が残っていて、
スタンフォード大学が公開している100年前に測量された日本地図にも、5万、2.5万地形図に記された破線ではなく、この鞍部に道が通っているので、江戸時代末期には、大坂峠道はここだったと、私は思ってしまいます。


なるほど、そうかもしれませんね。
パソコンを替えたらスタンフォード大学の地図が見られなくなってしまいました。 :oops:

杣木俣は、かつて曽博郷と呼ばれ、(杣木は曽博の転化と考えられているそうです)、現在の池田町池田谷一帯と同じ郷に属していて、大坂峠、風吹峠は、ひんぱんに人が行き来し、池田側の東俣には関所もあったそうです。
『越前・若狭 峠のルーツ』には、大坂峠には、むかし鳥居があり鳥居峠ともいわれたと書かれています。
杣木俣の白山神社が曽博郷の総社で、池田側の人びとは、峠を越えて白山神社にお参りしていたそうです。


杣木俣のことは私も「峠のルーツ」で読みました。その中の地図では風吹峠には道はあったけど、峠の名前は書いてませんでしたね。satoさんは何で見たのでしょう?

平安時代末期には、源平合戦で活躍した木曽義仲に加勢した平泉寺の千騎余りの僧兵が通り、幕末には、幕府軍によって進路を阻まれた水戸天狗党1000人が、中山道を進むのを諦め、根尾谷を詰め、蝿帽子峠を越え、笹又、大野、池田を経て通った大坂道。
時代の大きなうねり転換期の歴史を作った道でもあり、名も無きあまたの人の歴史が折り重なった道でもあるのですね。


あの山中をそんなにも大勢の人が、しかも天狗党は冬に越えたというのが信じられないですね。昔の人は凄かった。

お地蔵さまが安置されたのは昭和9年。昭和の初めは、まだこの道は歩かれていたのですね。

お地蔵さまがそんなに古いものではないのが意外です。


P1001273_1.JPG

瀬戸へと向かう下りの尾根は、昨秋大坂峠道を探していた時に少し歩き、広い道が残っているのを見て、気になっていました。
ゆるゆると広い尾根が続いていき気持ちよさそうと思いましたが、ここも、想像を超える素敵な尾根でした。


実に歩きやすい尾根でしたね。いつまで経っても標高が下がらないのが難点ですが。

降り立った場所は、白山神社。ありがとうございました。感謝の気持ちに包まれました。

最後が白山神社というのが我々らしくていいですね。 :D


                山日和

IMG_20251219_170401_1.jpg