【伊那】六夜さまと、桑沢山
Posted: 2025年12月22日(月) 21:24
道の駅木曽日義で仮眠した早朝。気温はマイナス9度。高貴な生まれで、ぬくぬく育った私には、身にしみる寒さだ。ところが権兵衛トンネルを抜けて伊那谷に出た瞬間、お日様がさんさんと射し込み、気温もマイナス4度まで上がった。
転石に注意しながらダートへと車を乗り入れる。登山口からキノコ山の留山テープに脅されつつ、十六ノ尾根に乗る。なんと登山者が歩いて行くのが見える。六夜様で彼に合流する。「ここで人に会ったのは初めてですよ」と驚かれる。さらに、私が愛知から来たと知って、彼はさらに目を丸くした。
彼はながた荘に車を置き、直登尾根で桑沢山へ。そこから稜線をたどって、ここに来たようだ。樹間からは八ヶ岳の全貌や霧ヶ峰が見える。「手前に見えるのが守屋山ですよ」と指を差して教えてくれる。「16年前はもっと展望が良かったんだけどね」だって。楡沢山までのルートを尋ねられたので、知る限りを教えてあげる。
さて、六夜様。上伊那・諏訪・木曽に見られる信仰だ。ここには石仏が一体、石碑が二基。かつては村人たちが「病気平癒・五穀豊穣・子孫繁栄・村境の守り」を願って集まる月待信仰の場だったのか。
右の合掌する柔和な表情の石仏が「二十六夜待(六夜待)」のご本尊の「勢至菩薩」らしい。中央はその附属碑。左端は碑文からすると、後世に追加建立されたものだ。安政五年(江戸末期)とある。行力不動(ぎょうりきふどう)と刻んであるから、これは月待塔ではなく、不動明王像だ。修行や山伏の行者が修行の安全を祈願するものと思われる。
桑沢山へ向かう。雪道の笹をもしゃもしゃと分け、倒木をまたぎ、起伏を縫うように歩く。山頂直前には「山神社」と書かれた祠があった。雪の綿帽子をかぶっている。山頂からは真正面に仙丈ヶ岳と甲斐駒。山稜は塩見岳を経て奥茶臼山まで静かにつながっていく。
登山口まで下山すると、聞き覚えのある熊鈴の音。さっきの彼だ。林道経由で楡沢山に行ってきたのだろう。どこの山が面白いかと聞いたら、「小式部城山から花戸屋」と返ってきた。
静かな山域での一期一会。冬の冷気と陽光が、今日の山歩きをいっそう味わい深いものにしてくれた。
ふ~さん
転石に注意しながらダートへと車を乗り入れる。登山口からキノコ山の留山テープに脅されつつ、十六ノ尾根に乗る。なんと登山者が歩いて行くのが見える。六夜様で彼に合流する。「ここで人に会ったのは初めてですよ」と驚かれる。さらに、私が愛知から来たと知って、彼はさらに目を丸くした。
彼はながた荘に車を置き、直登尾根で桑沢山へ。そこから稜線をたどって、ここに来たようだ。樹間からは八ヶ岳の全貌や霧ヶ峰が見える。「手前に見えるのが守屋山ですよ」と指を差して教えてくれる。「16年前はもっと展望が良かったんだけどね」だって。楡沢山までのルートを尋ねられたので、知る限りを教えてあげる。
さて、六夜様。上伊那・諏訪・木曽に見られる信仰だ。ここには石仏が一体、石碑が二基。かつては村人たちが「病気平癒・五穀豊穣・子孫繁栄・村境の守り」を願って集まる月待信仰の場だったのか。
右の合掌する柔和な表情の石仏が「二十六夜待(六夜待)」のご本尊の「勢至菩薩」らしい。中央はその附属碑。左端は碑文からすると、後世に追加建立されたものだ。安政五年(江戸末期)とある。行力不動(ぎょうりきふどう)と刻んであるから、これは月待塔ではなく、不動明王像だ。修行や山伏の行者が修行の安全を祈願するものと思われる。
桑沢山へ向かう。雪道の笹をもしゃもしゃと分け、倒木をまたぎ、起伏を縫うように歩く。山頂直前には「山神社」と書かれた祠があった。雪の綿帽子をかぶっている。山頂からは真正面に仙丈ヶ岳と甲斐駒。山稜は塩見岳を経て奥茶臼山まで静かにつながっていく。
登山口まで下山すると、聞き覚えのある熊鈴の音。さっきの彼だ。林道経由で楡沢山に行ってきたのだろう。どこの山が面白いかと聞いたら、「小式部城山から花戸屋」と返ってきた。
静かな山域での一期一会。冬の冷気と陽光が、今日の山歩きをいっそう味わい深いものにしてくれた。
ふ~さん