【南伊勢】いにしえ人の歩いた笠木越
Posted: 2025年12月18日(木) 05:17
【日 付】2025年12月13日(土)
【山 域】南伊勢
【コース】もみじ茶屋8:40---10:55笠木山---11:55笠木峠---13:10もみじ茶屋
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.323697/13 ... z0r0s0m0f1
行者山の山ふところの崎は、熊野街道が通り昔から交通の要衝として栄えた。笠木を越え宮川筋に出て大和につながる起点になり、ここより錦につながる錦越の道、古和浦につながる古和越の道、神崎浦につながる桧尾越の道が派生している。中世には笠木越の先に北畠氏の薗御所、錦に南朝方の外宮の御厨、神崎浦に薬師山城、起点の崎に崎城が置かれた。これらの道は鉄道が敷設される大正時代までは現役の道として歩かれ、戦時中には美杉の若宮八幡宮に参り武運長久を願って柏崎から美杉まで山道を日帰りで通った。
朝日に照らされた行者山を見ながら笠木川に沿って上り、もみじ館に駐車する。笠木渓谷の対岸には大きな嵓の間から笠木山が見え、鳥居をくぐり狭い谷筋に入ると笠木不動滝雄滝(40m)が緑の岩壁を一筋に切り裂いていた。滝肩の祠には享保7(1722)年4月と刻まれた武骨な不動明王像が祀られており、滝口には不動明王像の設置跡と思われる石積がある。雌滝に向かうと渓流沿いには三方を石積で守られた巨大な祠跡があり、ここで祈りの儀式をしていたのだろう。雌滝(30m)は水量が少なめで女性的な趣があると言われており、不動明王像は山崎三星が建立し文化3(1816)年に山崎守徳・覚丸が再建したもので洗練された小ぶりな石像だ。山崎氏は北畠氏の家臣として崎城を守っていた一族で、北畠氏滅亡後も地士として残り紀州藩から流域の管理を任されていた。山崎三星が不動明王像を建立した背景のひとつには幹線道笠木越の無事への願いがあっただろう。
嵓に出会うと林道に出て、林道が笠木川を越えた所で中道登山道に入る。植林の尾根を進み嵓が目立ち始めると明るい常緑樹の道になっていく。二つの大きな嵓は左から巻くように道はつけられ、これがないと苦労する岩尾根だ。嵓の上からは柏崎の町並みとひと山越えた熊野灘が光り輝いている。笠木山(726m)から笠木高(678m)への稜線も嵓のある明るい岩尾根で、いくつも出てくる嵓は右から巻く道がつけられている。植林の道を覚悟していただけに、アトラクション満載の自然林の道は、昔の景色を思い出させてくれる。薗が眼下に見えると笠木高で、東尾根の600m付近の広くなった所にある笠木峠に向かう。
笠木峠を越える山道は薗の呼び名が笠木越で、笠木の呼び名が薗越になるが、地図にある薗越とは場所が違っていて、地図の方は新しい時代になってからの薗越になる。笠木峠は古代より使われてきた峠で、縄文時代の大和二上山のサヌカイト製石鏃や古墳時代に大和で作られた須恵器が見つかっている。今は植林の平坦地だが石槍を持った縄文人が歩いていたと思うと見え方も違い、峠には天保14(1843)年の峠地蔵が微笑んでいる。
植林の広い谷を笠木川に向かって下っていくと林道に出る。笠木集落までの道の中ほどにシバガミの祠が祀られ、笠木越の人々の安全を祈願している。芝折社とも呼ばれるように通行人が芝を折って供えることで、狸・山犬・ノッコなどの妖怪につかれないとされており、崎村地士の山崎権太夫が建立した。
【山 域】南伊勢
【コース】もみじ茶屋8:40---10:55笠木山---11:55笠木峠---13:10もみじ茶屋
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.323697/13 ... z0r0s0m0f1
行者山の山ふところの崎は、熊野街道が通り昔から交通の要衝として栄えた。笠木を越え宮川筋に出て大和につながる起点になり、ここより錦につながる錦越の道、古和浦につながる古和越の道、神崎浦につながる桧尾越の道が派生している。中世には笠木越の先に北畠氏の薗御所、錦に南朝方の外宮の御厨、神崎浦に薬師山城、起点の崎に崎城が置かれた。これらの道は鉄道が敷設される大正時代までは現役の道として歩かれ、戦時中には美杉の若宮八幡宮に参り武運長久を願って柏崎から美杉まで山道を日帰りで通った。
朝日に照らされた行者山を見ながら笠木川に沿って上り、もみじ館に駐車する。笠木渓谷の対岸には大きな嵓の間から笠木山が見え、鳥居をくぐり狭い谷筋に入ると笠木不動滝雄滝(40m)が緑の岩壁を一筋に切り裂いていた。滝肩の祠には享保7(1722)年4月と刻まれた武骨な不動明王像が祀られており、滝口には不動明王像の設置跡と思われる石積がある。雌滝に向かうと渓流沿いには三方を石積で守られた巨大な祠跡があり、ここで祈りの儀式をしていたのだろう。雌滝(30m)は水量が少なめで女性的な趣があると言われており、不動明王像は山崎三星が建立し文化3(1816)年に山崎守徳・覚丸が再建したもので洗練された小ぶりな石像だ。山崎氏は北畠氏の家臣として崎城を守っていた一族で、北畠氏滅亡後も地士として残り紀州藩から流域の管理を任されていた。山崎三星が不動明王像を建立した背景のひとつには幹線道笠木越の無事への願いがあっただろう。
嵓に出会うと林道に出て、林道が笠木川を越えた所で中道登山道に入る。植林の尾根を進み嵓が目立ち始めると明るい常緑樹の道になっていく。二つの大きな嵓は左から巻くように道はつけられ、これがないと苦労する岩尾根だ。嵓の上からは柏崎の町並みとひと山越えた熊野灘が光り輝いている。笠木山(726m)から笠木高(678m)への稜線も嵓のある明るい岩尾根で、いくつも出てくる嵓は右から巻く道がつけられている。植林の道を覚悟していただけに、アトラクション満載の自然林の道は、昔の景色を思い出させてくれる。薗が眼下に見えると笠木高で、東尾根の600m付近の広くなった所にある笠木峠に向かう。
笠木峠を越える山道は薗の呼び名が笠木越で、笠木の呼び名が薗越になるが、地図にある薗越とは場所が違っていて、地図の方は新しい時代になってからの薗越になる。笠木峠は古代より使われてきた峠で、縄文時代の大和二上山のサヌカイト製石鏃や古墳時代に大和で作られた須恵器が見つかっている。今は植林の平坦地だが石槍を持った縄文人が歩いていたと思うと見え方も違い、峠には天保14(1843)年の峠地蔵が微笑んでいる。
植林の広い谷を笠木川に向かって下っていくと林道に出る。笠木集落までの道の中ほどにシバガミの祠が祀られ、笠木越の人々の安全を祈願している。芝折社とも呼ばれるように通行人が芝を折って供えることで、狸・山犬・ノッコなどの妖怪につかれないとされており、崎村地士の山崎権太夫が建立した。
もみじ茶屋