【南伊勢】阿曽浦浅間山と八竈八幡神社
Posted: 2025年11月25日(火) 05:16
【日 付】2025年11月22日(土)
【山 域】南伊勢
【コース】阿曽浦8:30---8:55浦浅間山---9:40八竈八幡神社---10:20丸山---12:55里浅間山---13:25阿曽浦
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.267786/13 ... z0r0s0m0f1
南伊勢には、漁業を生業とする浦方集落と平家の落人伝説を持ち近世以前まで製塩を生業としていた竈方集落がある。阿曽浦、大方竈から丸山を経て海沿いを周回するコースを歩くことにした。
阿曽浦には2つの浅間山があり、内海側の浦の浅間山と外海側の里の浅間山がある。阿曽港より浦の浅間山の幣が二本見えており、集落の路地より北の斜面に出ると「避難所浅間山」の看板で、大津波が来た際のものだ。長い年月をかけ整備された石積み階段を九十九折に進んでいくと、木立が切り開かれ、二本の幣と石段の上に二体の大日如来が見える。仏教では私達が輪廻転生の輪から抜け出して悟りに向かうために、世の中の道理を正しく理解して見極める「智慧」があり、それを表す智拳印を結んだ金剛界大日如来が二体並んでいる。それぞれの仏像に小さな鳥居と御神酒が進ぜられ、神仏習合の大日如来を浅間山の本地仏として祀っている。大日如来は阿曽浦の外海を見つめるように置かれており、漁業の恵みの源泉であり、時には大津波を引き起こす熊野灘に語り掛けているようだ。
阿曽浦漁港のはずれに阿曽浦弁天の赤い社が浮かび、大方竈に入ると昭和東南海地震の際に3mを越える津波があったとする潮位板があり、集落すべてを飲み込んだようだ。集落の山側に八竈八幡神社があり、竈方集落に分祠が置かれた本社になる。竈方の氏寺の大智院も大方竈にあり、竈方集落には末寺があった。製塩の業を領主の愛洲氏や北畠氏から許可されたという「竈方文書」と目録を照らし合わせる儀式「竈方祭」が隔年1月5日に大方竈で行われている。南北朝時代南朝方に味方し、愛洲氏の下で竈方党として武功をたて、その恩賞として国司北畠氏より竈山を拝領したと伝えられている。竈方文書の多くは塩を焼くための竈山に関するものだった。神社には神木の大クスが横たわっており、津波もここまでは来ないようだ。
田んぼと桑畑の跡地を抜けるとため池に突き当たり、丸山に向け南東に上る尾根に乗る。ヤブにかかりそうになりながらも踏み跡は続き、kitayamaさんのプレートのある丸山に着いた。丸山からはウバメガシの目立つ常緑樹の道でしっかりしてくる。筆島の見える岬に立ち寄ると、島が正面に見える岬に石積みと崩れた社があり何かを祀っていたようだ。ここから急激に道は下り、筆島が正面に見える砂利浜に下りられた。
岬から周回道にトラバースしていく道があり、行きに使ったテープ道と違うものの上手につけられている。周回道から志戸ノ鼻に向かってトラバースしていく道もあり、急な斜面の道だが上下動の無い昔から使われてきた道だ。志戸ノ鼻の岬には小屋が立っていた石積みが残されており、魚見小屋だろうか。
志戸ノ鼻から周回道へのトラバース道には石積みで補強されている場所もあり、人の気配が強まった気がする。尾根が広がりだすと石積みがいくつもあらわれ、水溜の穴や水瓶があり段々畑の跡のようだ、平地の少ない場所だけに貴重な耕作地だったのだろう。瓦がいくつか落ちている場所にコンクリート造りの地蔵堂があるが、主は里に降ろされたようだ。実線道が行きかう場所は段々畑が広がっていた場所で石積みに沿って進むと行き詰り、何段もの上の畑跡から里の阿曽浦浅間山に向かった。二本の幣の下に木の祠と石灯籠のあり、こちらの大日如来は「すべての存在と一体になって心を安定させる」という意味の法界定印を結んだ胎蔵界大日如来だ。浦の浅間さんが金剛界大日如来で、里の浅間さんが胎蔵界大日如来でセットになっているのだろう。ここには防災倉庫があり、津波の避難場所になっている。
周期的に訪れる大津波の余波で、浅間さんや八竈八幡神社、大智院の高台にある寺社に歴史の記憶が残されているようだ。
【山 域】南伊勢
【コース】阿曽浦8:30---8:55浦浅間山---9:40八竈八幡神社---10:20丸山---12:55里浅間山---13:25阿曽浦
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.267786/13 ... z0r0s0m0f1
南伊勢には、漁業を生業とする浦方集落と平家の落人伝説を持ち近世以前まで製塩を生業としていた竈方集落がある。阿曽浦、大方竈から丸山を経て海沿いを周回するコースを歩くことにした。
阿曽浦には2つの浅間山があり、内海側の浦の浅間山と外海側の里の浅間山がある。阿曽港より浦の浅間山の幣が二本見えており、集落の路地より北の斜面に出ると「避難所浅間山」の看板で、大津波が来た際のものだ。長い年月をかけ整備された石積み階段を九十九折に進んでいくと、木立が切り開かれ、二本の幣と石段の上に二体の大日如来が見える。仏教では私達が輪廻転生の輪から抜け出して悟りに向かうために、世の中の道理を正しく理解して見極める「智慧」があり、それを表す智拳印を結んだ金剛界大日如来が二体並んでいる。それぞれの仏像に小さな鳥居と御神酒が進ぜられ、神仏習合の大日如来を浅間山の本地仏として祀っている。大日如来は阿曽浦の外海を見つめるように置かれており、漁業の恵みの源泉であり、時には大津波を引き起こす熊野灘に語り掛けているようだ。
阿曽浦漁港のはずれに阿曽浦弁天の赤い社が浮かび、大方竈に入ると昭和東南海地震の際に3mを越える津波があったとする潮位板があり、集落すべてを飲み込んだようだ。集落の山側に八竈八幡神社があり、竈方集落に分祠が置かれた本社になる。竈方の氏寺の大智院も大方竈にあり、竈方集落には末寺があった。製塩の業を領主の愛洲氏や北畠氏から許可されたという「竈方文書」と目録を照らし合わせる儀式「竈方祭」が隔年1月5日に大方竈で行われている。南北朝時代南朝方に味方し、愛洲氏の下で竈方党として武功をたて、その恩賞として国司北畠氏より竈山を拝領したと伝えられている。竈方文書の多くは塩を焼くための竈山に関するものだった。神社には神木の大クスが横たわっており、津波もここまでは来ないようだ。
田んぼと桑畑の跡地を抜けるとため池に突き当たり、丸山に向け南東に上る尾根に乗る。ヤブにかかりそうになりながらも踏み跡は続き、kitayamaさんのプレートのある丸山に着いた。丸山からはウバメガシの目立つ常緑樹の道でしっかりしてくる。筆島の見える岬に立ち寄ると、島が正面に見える岬に石積みと崩れた社があり何かを祀っていたようだ。ここから急激に道は下り、筆島が正面に見える砂利浜に下りられた。
岬から周回道にトラバースしていく道があり、行きに使ったテープ道と違うものの上手につけられている。周回道から志戸ノ鼻に向かってトラバースしていく道もあり、急な斜面の道だが上下動の無い昔から使われてきた道だ。志戸ノ鼻の岬には小屋が立っていた石積みが残されており、魚見小屋だろうか。
志戸ノ鼻から周回道へのトラバース道には石積みで補強されている場所もあり、人の気配が強まった気がする。尾根が広がりだすと石積みがいくつもあらわれ、水溜の穴や水瓶があり段々畑の跡のようだ、平地の少ない場所だけに貴重な耕作地だったのだろう。瓦がいくつか落ちている場所にコンクリート造りの地蔵堂があるが、主は里に降ろされたようだ。実線道が行きかう場所は段々畑が広がっていた場所で石積みに沿って進むと行き詰り、何段もの上の畑跡から里の阿曽浦浅間山に向かった。二本の幣の下に木の祠と石灯籠のあり、こちらの大日如来は「すべての存在と一体になって心を安定させる」という意味の法界定印を結んだ胎蔵界大日如来だ。浦の浅間さんが金剛界大日如来で、里の浅間さんが胎蔵界大日如来でセットになっているのだろう。ここには防災倉庫があり、津波の避難場所になっている。
周期的に訪れる大津波の余波で、浅間さんや八竈八幡神社、大智院の高台にある寺社に歴史の記憶が残されているようだ。
【南伊勢】阿曽浦浅間山と八竈八幡神社