【日 付】2025年11月8日(土)
【山 域】奥越 平家岳周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】面谷登山口7:35---8:40巡視路尾根---9:50白山展望地10:15---10:45日ノ谷源流---12:00平家岳13:30---
15:20-尾根分岐---16:00登山口
平家岳に初めて登ったのは30数年前のことである。まだ越美国境稜線に特別な思い入れもなく、山頂から見
える多くの山々もほとんど未踏の頃だ。山と渓谷社から出ていたフルカラーのガイド本でその存在を知り興味
を持ったのだった。
他に登山者もいない登山道を歩いて行くと、前方から重装備のパーティーが現れて驚いたことを覚えている。
岐阜県側からテント泊で縦走しているパーティーだったようだが、その頃はこの山に岐阜県側から登れること
も知らなかったのだ。
その後、今日と同じ面谷鉱山跡から1回、北側の日ノ谷を遡行して1回、東面の荷暮川西ノ谷を遡行して1回と、
都合4回平家岳を訪れている。
1441mという標高は、石徹白の山を除く越美国境稜線の山々の中で、能郷白山、磯倉、美濃平家に次ぐ高さ
を誇る。実際には稜線から少し福井県側に入っており、厳密に言えば完全に福井県の山である。
国道158号から箱ヶ瀬橋を渡って九頭竜湖南岸の県道に入り、最初の面谷橋を渡るところから林道を進むと
面谷鉱山跡に出る。最盛期は3000人以上もの人が働いていたという鉱山跡は荒涼とした風景が広がり、あまり
の殺伐とした景観にノスタルジーを感じる余裕もない。
林道終点の手前から歩き出す。今朝は気温が下がって肌寒いが、日が当たり出せば暖かくなるだろう。
登山道はよく整備されており、送電線の尾根に向かってぐんぐん高度を上げていく。
見事なヒノキの大木があった。あちこちでヒノキの巨樹を見慣れているせいもあり、多少の巨木では驚かない
が、この木は大きさよりも立ち姿が良い。
狙っていた紅葉はまさにドンピシャで、豪華絢爛な紅葉絵巻の中を歩いて行く。
思えば去年の今頃は入院中で、一度も紅葉を愛でることができなかった。入院生活が2か月を過ぎたところで、
ようやく松葉杖を使って歩く練習を始めた頃だったか。1年前の自分の姿を思えばよく歩けるようになったものだ。
昨今のクマ騒ぎで、クマとの遭遇に備えて鈴とホイッスル、百均のピストルで武装して歩く。
これまでそれほどクマを恐いと思ったことはなかったのだが、最近は少し様子が違う。
山の中にいるヤツは里に出没する連中と違って臆病だと思っているのだが、どんな性格のヤツが潜んでいるのか
知るすべもない。
日ノ谷出合から続く主尾根に出てひと息入れる。この長い尾根には鉄塔巡視路が続いており、日ノ谷を遡行
した帰路に使ったのだが、行けども行けども終わりの見えない長さにうんざりしたものだ。
ここから方向を南に変えて主尾根を行くのだが、実際に尾根芯を歩く部分は少なく、斜面をトラバースする
ように道が付けられている。その谷側の景色は実に美しく、落ち葉が散り敷かれた道と相まってしっとりとした
景観を作り出していた。谷へ腕を大きく突き出したような太い枝を持つミズナラの大木が異彩を放っている。
木の間越しに5年前に訪れた猿塚が見えた。あちらの山肌も錦繍に彩られている。
ジグザクを切って緩やかに付けられた道を進むと樹林が切れ、ササと潅木の尾根上に立つ鉄塔と出合う。9月に
地元の山岳会の方々が草刈りをしてくれたようで、ササが被りそうな場所もきれいに刈り取られていたのがあり
がたい。Ca1390mの小ピークも小広く刈られて白山の大展望地となっていた。
今日は貸し切りだと思っていたら人の声が聞こえてきた。数人のパーティーのようだ。
1338m標高点のあたりから西側の谷に下る。足元は先ほどの展望地で渓流シューズに履き替えていた。
登山道をそのまま辿るのでは芸が無いので、ここから日ノ谷の源流へ下りて、平家岳山頂へダイレクトに突き上
げる谷を辿ろうというオプションだ。
ササをササをかき分けて70mほど駆け下れば日ノ谷左俣の穏やかな流れに下り立つ。
この源流はナメが連続する心癒される場所だ。東面の西ノ谷を遡行した時も登山道を辿らず、一旦ここへ下りて
遡行したものだ。
ナメのあまりの心地良さに山頂へ向かう谷をやり過ごしてしまったがこれもご愛嬌である。
ナメを余分に味わえたので良しとしよう。
戻って山頂ダイレクト谷に入る。水流は細いがこちらもナメがどこまでも続く素敵な谷だ。
周りの樹林も素晴らしく、青空の下、燃えるような紅葉に包まれている。
源流の水でコーヒーを淹れようと水を汲んで行く。
最後はさすがにヤブ無しとは行かず、潅木とササのミックスヤブに突入。少しずれて山頂から20mほど南側の
登山道に飛び出した。ピンポイントで山頂ダイレクトを逃してしまったが、誤差の範囲内というところだろう。
意外にも先ほどのパーティーの姿がなかった。ちょうど山頂でランチタイムも真っ最中だと思っていたので、
どこから来たんですかという質問の答えを考えていたのだが拍子抜けである。美濃平家の方へ向かったのだろう
か。平家岳の山頂は北側だけがヤブで遮られているが、あとは展望全開だ。
白山と奥越の山々、北アルプス、越美国境と奥美濃の山々。これまで足跡を残してきた愛しき山たちが目に飛び
込んできた。日差しは暖かいというより暑いぐらいだ。こんな最高の日に貸し切りの山頂を楽しめる僥倖を噛み
しめる。
下りが一般道というのは気楽なもので、時間が読めるのでゆったりと流れる山頂の時間を味わった。
下山は一旦下って井岸山へ。西ノ谷遡行の下山でこのあたりで強烈な足の攣りに襲われ、しばらく動けなくな
ったことを思い出す。あの時は秘薬の入ったポーチを落としてしまい、水分を摂るしか手がなかったのだが、
両足の太もも、ふくらはぎが順番に攣って行き、あまりの痛さに七転八倒していたのだ。
なんとか回復したものの、長い下山路は沢絡みのバリルートで、途中から闇下となってしまい、登って来た踏み
跡も判然とせず、少し焦った苦い思い出がある。
白山展望地で最後の展望を楽しむ。天気はやや下り坂のようで雲が増えてきた。
白山にも少し雲がかかって朝のような澄んだ視界は得られない。
枇杷鞍山から木無山、赤兎山、経ヶ岳、荒島岳から縫ヶ原山といった山々に別れを告げる。
日が翳って少し寒くなってきた。朝に見た景色も時間が経てば光の方向も視線の方向も逆になって新鮮だ。
名残を惜しむように何度も立ち止まり、振り返りながら、登山口への道を下って行った。
下山後、代々灰塚や面谷鉱山の歴史を刻んだ石碑、鉱山跡などを見学する。
箱ヶ瀬橋まで戻ってきて驚いた。なんと大勢の人が橋の上でたむろしているではないか。
橋の真ん中でジャンプして写真を撮っている若者までいる。これはいったい何なのだろう。
国道側の橋の袂には10台以上の車が駐車していた。この橋は「夢のかけ橋」とも呼ばれ、瀬戸大橋の試作として
作られたことで有名だ。観光案内では紅葉スポットとしても紹介されているとは言え、もう5時前だというのに
この人出である。
静寂の山旅最後の最後でびっくりさせられた錦繍の平家岳山行だった。
山日和
【奥越】錦繍の平家岳 日ノ谷源流に遊ぶ
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
Re: 【奥越】錦繍の平家岳 日ノ谷源流に遊ぶ
山日和さん、錦秋の平家、お疲れ様でした(^_-)-☆
オフ会明けのプライベート山行、存分に楽しまれたことでしょう!
びわ爺は平家岳は2回行ったと思っておりました。ところが記憶はいい加減なもので、山の記録を見ると1回しか出てきません。でもその1回こっきり(18年6月)の記憶は結構鮮明なものでした。急斜面でウサギさんに追い抜かれたり、芸術祭ストリートかと思うような奇枯木の稜線、激藪の美濃平家山頂と草原の小山のような平家岳山頂とのギャップ…そんなことを思い出しながら読ませてもらいました。
そうそう、中部縦貫道が全線開通したら有料になりますね(@_@。 高山や飛騨が遠く(高く)なるなあ(>_<)
~びわ爺
オフ会明けのプライベート山行、存分に楽しまれたことでしょう!
びわ爺は平家岳は2回行ったと思っておりました。ところが記憶はいい加減なもので、山の記録を見ると1回しか出てきません。でもその1回こっきり(18年6月)の記憶は結構鮮明なものでした。急斜面でウサギさんに追い抜かれたり、芸術祭ストリートかと思うような奇枯木の稜線、激藪の美濃平家山頂と草原の小山のような平家岳山頂とのギャップ…そんなことを思い出しながら読ませてもらいました。
爺の場合、箱ケ瀬橋を渡ったのは明けたばかりの6時前で、ガスが漂う林道は荒涼風景と重なって「どこまで上がれるやろ?」と不安になりました。国道158号から箱ヶ瀬橋を渡って九頭竜湖南岸の県道に入り、最初の面谷橋を渡るところから林道を進むと面谷鉱山跡に出る。最盛期は3000人以上もの人が働いていたという鉱山跡は荒涼とした風景が広がり、あまりの殺伐とした景観にノスタルジーを感じる余裕もない。
オフ会でも披露された百均のピストル、わが市内のDストアにありました。ところが肝心の「弾」が置いてなくて、これでは試し撃ちもできません。(@_@。 仕方なくネットで購入したところ、なんと8連発の弾が12ピースも入っていて96発も撃てます! もうクマさんの出るような山にはなかなか行けないのに、これどこで消化(消火?)しましょう…(@_@。昨今のクマ騒ぎで、クマとの遭遇に備えて鈴とホイッスル、百均のピストルで武装して歩く。
これまでそれほどクマを恐いと思ったことはなかったのだが、最近は少し様子が違う。
山の中にいるヤツは里に出没する連中と違って臆病だと思っているのだが、どんな性格のヤツが潜んでいるのか知るすべもない。
なるほど、70ⅿ下って150ⅿほど登り返すんですね。井岸との鞍部へ詰めあがるってのはどう?1338m標高点のあたりから西側の谷に下る。足元は先ほどの展望地で渓流シューズに履き替えていた。
登山道をそのまま辿るのでは芸が無いので、ここから日ノ谷の源流へ下りて、平家岳山頂へダイレクトに突き上げる谷を辿ろうというオプションだ。
最後はさすがにヤブ無しとは行かず、潅木とササのミックスヤブに突入。少しずれて山頂から20mほど南側の登山道に飛び出した。ピンポイントで山頂ダイレクトを逃してしまったが、誤差の範囲内というところだろう。
苦い思い出は明日への肥やしですね。私のように苦い思い出ばかりじゃあ命取りですが(@_@。長い下山路は沢絡みのバリルートで、途中から闇下となってしまい、登って来た踏み跡も判然とせず、少し焦った苦い思い出がある。
そんな有名な橋とは知りませんでした。まあ、クマさんがジャンプしてるよりはマシですね。箱ヶ瀬橋まで戻ってきて驚いた。なんと大勢の人が橋の上でたむろしているではないか。
橋の真ん中でジャンプして写真を撮っている若者までいる。これはいったい何なのだろう。
国道側の橋の袂には10台以上の車が駐車していた。この橋は「夢のかけ橋」とも呼ばれ、瀬戸大橋の試作として作られたことで有名だ。観光案内では紅葉スポットとしても紹介されているとは言え、もう5時前だというのにこの人出である。
そうそう、中部縦貫道が全線開通したら有料になりますね(@_@。 高山や飛騨が遠く(高く)なるなあ(>_<)
~びわ爺
Re: 【奥越】錦繍の平家岳 日ノ谷源流に遊ぶ
biwa爺さん、どうもです。
びわ爺は平家岳は2回行ったと思っておりました。ところが記憶はいい加減なもので、山の記録を見ると1回しか出てきません。でもその1回こっきり(18年6月)の記憶は結構鮮明なものでした。急斜面でウサギさんに追い抜かれたり、芸術祭ストリートかと思うような奇枯木の稜線、激藪の美濃平家山頂と草原の小山のような平家岳山頂とのギャップ…そんなことを思い出しながら読ませてもらいました。
もう1回は登ったけど意識朦朧、心神喪失状態だったのでは?
美濃平家とダブルでしたか。元気だったんですね~
爺の場合、箱ケ瀬橋を渡ったのは明けたばかりの6時前で、ガスが漂う林道は荒涼風景と重なって「どこまで上がれるやろ?」と不安になりました。
帰りは闇下で真っ暗だったとか?
オフ会でも披露された百均のピストル、わが市内のDストアにありました。ところが肝心の「弾」が置いてなくて、これでは試し撃ちもできません。(@_@。 仕方なくネットで購入したところ、なんと8連発の弾が12ピースも入っていて96発も撃てます! もうクマさんの出るような山にはなかなか行けないのに、これどこで消化(消火?)しましょう…(@_@。
町内会の運動会ででも使って下さい。
まだクマの前で使ったことないので効果のほどは不明ですが。
なるほど、70ⅿ下って150ⅿほど登り返すんですね。井岸との鞍部へ詰めあがるってのはどう?
谷の形からすればそれが一番魅力的なんですけどね。前の2回は途中まで上がって山頂への支谷をチョイスしました。
苦い思い出は明日への肥やしですね。私のように苦い思い出ばかりじゃあ命取りですが(@_@。
苦い思い出を思い出せるだけマシですね。
そんな有名な橋とは知りませんでした。まあ、クマさんがジャンプしてるよりはマシですね。
これは結構有名な話ですよ。
そうそう、中部縦貫道が全線開通したら有料になりますね(@_@。 高山や飛騨が遠く(高く)なるなあ(>_<)
えーっ、そうなの!?
それなら全線開通しない方がいいなあ。
山日和
びわ爺は平家岳は2回行ったと思っておりました。ところが記憶はいい加減なもので、山の記録を見ると1回しか出てきません。でもその1回こっきり(18年6月)の記憶は結構鮮明なものでした。急斜面でウサギさんに追い抜かれたり、芸術祭ストリートかと思うような奇枯木の稜線、激藪の美濃平家山頂と草原の小山のような平家岳山頂とのギャップ…そんなことを思い出しながら読ませてもらいました。もう1回は登ったけど意識朦朧、心神喪失状態だったのでは?
美濃平家とダブルでしたか。元気だったんですね~
爺の場合、箱ケ瀬橋を渡ったのは明けたばかりの6時前で、ガスが漂う林道は荒涼風景と重なって「どこまで上がれるやろ?」と不安になりました。帰りは闇下で真っ暗だったとか?
オフ会でも披露された百均のピストル、わが市内のDストアにありました。ところが肝心の「弾」が置いてなくて、これでは試し撃ちもできません。(@_@。 仕方なくネットで購入したところ、なんと8連発の弾が12ピースも入っていて96発も撃てます! もうクマさんの出るような山にはなかなか行けないのに、これどこで消化(消火?)しましょう…(@_@。町内会の運動会ででも使って下さい。
まだクマの前で使ったことないので効果のほどは不明ですが。
なるほど、70ⅿ下って150ⅿほど登り返すんですね。井岸との鞍部へ詰めあがるってのはどう?谷の形からすればそれが一番魅力的なんですけどね。前の2回は途中まで上がって山頂への支谷をチョイスしました。
苦い思い出は明日への肥やしですね。私のように苦い思い出ばかりじゃあ命取りですが(@_@。苦い思い出を思い出せるだけマシですね。
そんな有名な橋とは知りませんでした。まあ、クマさんがジャンプしてるよりはマシですね。これは結構有名な話ですよ。
そうそう、中部縦貫道が全線開通したら有料になりますね(@_@。 高山や飛騨が遠く(高く)なるなあ(>_<)えーっ、そうなの!?
それなら全線開通しない方がいいなあ。
山日和
Re: 【奥越】錦繍の平家岳 日ノ谷源流に遊ぶ
山日和さま
こんばんは。
感動の錦繡の平家岳山旅。火曜日にレポを投稿してくださったのに感想が遅くなってしまいすみません。
山日和さんは、今回、5回目の平家岳だったのですね。
私は、4年前、山日和さんと荷暮川西ノ谷右俣を遡行して訪れたのが初めてでした。
西ノ谷右俣のふたつの源頭と日ノ谷源頭の3つの谷の源頭を味わった印象に残る沢山旅でした。
深い森を縫う透き通った穏やかな流れ、大きな岩の間から噴き出すように落ちる滝とその横に静かに佇むトチの巨木、
動と静の妙なる調和の世界を感じる西ノ谷も忘れ難いですが、
いつまでもぽけっとしたくなる山頂の空気も忘れられず、紅葉真っ盛りの時に、気になっている面谷鉱山跡から再訪したいなと思っていました。
丁度いい頃かなと思った11月8日。天気は晴れ。最近、天気予報の急変が多いのでほっとしました。
クマが気になるので、私はヘルメットを被って出発。
歩き始めから鮮やかな紅葉に包まれましたね。主尾根との合流地は息を呑む色彩でした。
素通りすることは不可能でした。
ここからは送電線が伸びる尾根ですが、道は自然林の中につけられていて、
落ち葉で埋め尽くされたしっとりとした道から眺める錦繍の森にこころは震えっぱなしでした。
おおきな腕を突き出したようなミズナラの大木は森の中で存在感を放っていましたね。
森を抜け、灌木とササの尾根に出ると、セピア色の山並みの向こうに雪化粧した白山が。
ありがたい気持ちに包まれ、思わず手を合わせていました。
足元の葉っぱもきれいでしたね。霜でうつくしく飾られていて見入ってしまいました。
1390mの小ピークは、きれいに刈り払いしてくださっていて、腰を下ろして白山を眺められました。
草刈りしなければササとススキのヤブ。草刈りしてくださった方々に感謝ですね。
・1338先の鞍部からは、楽しみにしていた日ノ谷へ。日ノ谷源頭のうつくしい風景もこころに刻まれています。
下から遡ると、谷も帰りの尾根も長くて大変だけど(ここを山日和さん日帰りで歩かれたとは)
こんなふうに谷の源頭を楽しめるのだとドキドキしました。
4年前は紅葉し始めでしたが、今回は、燃えるような紅葉。
うつくしいナメ床にも誘われてゆらゆらとお散歩。そう、ここのお水は、ほんとうに透明ですね。
秋の澄み渡った空のよう。切なくなるくらい、きらきらした水。
4年前のひとつ下の山頂に向かう谷も、きらきらした水がやさしく流れるナメ床が続き、しあわせを噛みしめながらの歩み。
最後も、ヤブと分かっていたので楽しめました。
GPSを見たら、左にずれていて、山日和さんちょっとくやしそうでしたね。
辿り着いた山頂で、山日和さんは、グループの方を驚かせたかったようですが、私は誰もいなくてうれしかったです。
あたたかな陽気の中、ぽけっと至福の時間を味わえました。
4年前は、ここからの下りで足攣りのアクシデントが起こったのですね。一時はビバークも考えてしまいました。
私は幸いまだ山を歩いている時に足を攣ったことはないのですが、中学生の頃から夜中に攣ることがあり、
足攣りの痛さは知っているので、両足の太もも、ふくらはぎ全部攣るなんて怖ろしくて身震いします。
同じ道も、登りと下りでは時間も視線も異なるので楽しいです。
ほんとうにうつくしくて、去ってしまうのが名残惜しくて、何度も立ち止まり振り返っていました。
想い出の平家岳にふたたび訪れ、日ノ谷源頭もゆらゆら楽しみ、素晴らしき秋の風景にであえてうれしかったです。
今回も感動の平家岳でした。ありがとうございました。
昨秋は、山日和さんと紅葉を楽しむことができなかったので、紅葉に酔いしれ、笑顔で歩くことができ感慨もひとしおでした。
面谷鉱山跡の殺伐とした光景には気持ちが重くなりました。
明治の時代に、本格的鉱山事業が始まり、最盛期には600戸3000人もの人が暮らしていたのですね。
大野町にはまだ電気が無い頃、面谷には電気や電話もあり、「穴馬の銀座」とも呼ばれたそうです。
でも、第一次世界大戦後、銅需要の減少と安価な輸入銅に押されて採算が取れないようになり、
大正11年に完全閉山となり、全住民面谷を離れたそうです。
岩や土がむき出したギョッとする荒々しい斜面は、鉱山によって痛められ崩れた跡なのですね。
石垣は住宅地の跡。家は無くなっても、お墓は残っている。お墓にはお酒がお供えされていました。。
故郷がなくなっても、故郷への思い、その地に生きた人への思いは続いていく。
こういう時代があり、こういう暮らしがあったことを知っていきたい、と思いました。
sato
こんばんは。
感動の錦繡の平家岳山旅。火曜日にレポを投稿してくださったのに感想が遅くなってしまいすみません。
山日和さんは、今回、5回目の平家岳だったのですね。
私は、4年前、山日和さんと荷暮川西ノ谷右俣を遡行して訪れたのが初めてでした。
西ノ谷右俣のふたつの源頭と日ノ谷源頭の3つの谷の源頭を味わった印象に残る沢山旅でした。
深い森を縫う透き通った穏やかな流れ、大きな岩の間から噴き出すように落ちる滝とその横に静かに佇むトチの巨木、
動と静の妙なる調和の世界を感じる西ノ谷も忘れ難いですが、
いつまでもぽけっとしたくなる山頂の空気も忘れられず、紅葉真っ盛りの時に、気になっている面谷鉱山跡から再訪したいなと思っていました。
丁度いい頃かなと思った11月8日。天気は晴れ。最近、天気予報の急変が多いのでほっとしました。
クマが気になるので、私はヘルメットを被って出発。
歩き始めから鮮やかな紅葉に包まれましたね。主尾根との合流地は息を呑む色彩でした。
素通りすることは不可能でした。
ここからは送電線が伸びる尾根ですが、道は自然林の中につけられていて、
落ち葉で埋め尽くされたしっとりとした道から眺める錦繍の森にこころは震えっぱなしでした。
おおきな腕を突き出したようなミズナラの大木は森の中で存在感を放っていましたね。
森を抜け、灌木とササの尾根に出ると、セピア色の山並みの向こうに雪化粧した白山が。
ありがたい気持ちに包まれ、思わず手を合わせていました。
足元の葉っぱもきれいでしたね。霜でうつくしく飾られていて見入ってしまいました。
1390mの小ピークは、きれいに刈り払いしてくださっていて、腰を下ろして白山を眺められました。
草刈りしなければササとススキのヤブ。草刈りしてくださった方々に感謝ですね。
・1338先の鞍部からは、楽しみにしていた日ノ谷へ。日ノ谷源頭のうつくしい風景もこころに刻まれています。
下から遡ると、谷も帰りの尾根も長くて大変だけど(ここを山日和さん日帰りで歩かれたとは)
こんなふうに谷の源頭を楽しめるのだとドキドキしました。
4年前は紅葉し始めでしたが、今回は、燃えるような紅葉。
うつくしいナメ床にも誘われてゆらゆらとお散歩。そう、ここのお水は、ほんとうに透明ですね。
秋の澄み渡った空のよう。切なくなるくらい、きらきらした水。
4年前のひとつ下の山頂に向かう谷も、きらきらした水がやさしく流れるナメ床が続き、しあわせを噛みしめながらの歩み。
最後も、ヤブと分かっていたので楽しめました。
GPSを見たら、左にずれていて、山日和さんちょっとくやしそうでしたね。
辿り着いた山頂で、山日和さんは、グループの方を驚かせたかったようですが、私は誰もいなくてうれしかったです。
あたたかな陽気の中、ぽけっと至福の時間を味わえました。
4年前は、ここからの下りで足攣りのアクシデントが起こったのですね。一時はビバークも考えてしまいました。
私は幸いまだ山を歩いている時に足を攣ったことはないのですが、中学生の頃から夜中に攣ることがあり、
足攣りの痛さは知っているので、両足の太もも、ふくらはぎ全部攣るなんて怖ろしくて身震いします。
同じ道も、登りと下りでは時間も視線も異なるので楽しいです。
ほんとうにうつくしくて、去ってしまうのが名残惜しくて、何度も立ち止まり振り返っていました。
想い出の平家岳にふたたび訪れ、日ノ谷源頭もゆらゆら楽しみ、素晴らしき秋の風景にであえてうれしかったです。
今回も感動の平家岳でした。ありがとうございました。
昨秋は、山日和さんと紅葉を楽しむことができなかったので、紅葉に酔いしれ、笑顔で歩くことができ感慨もひとしおでした。
面谷鉱山跡の殺伐とした光景には気持ちが重くなりました。
明治の時代に、本格的鉱山事業が始まり、最盛期には600戸3000人もの人が暮らしていたのですね。
大野町にはまだ電気が無い頃、面谷には電気や電話もあり、「穴馬の銀座」とも呼ばれたそうです。
でも、第一次世界大戦後、銅需要の減少と安価な輸入銅に押されて採算が取れないようになり、
大正11年に完全閉山となり、全住民面谷を離れたそうです。
岩や土がむき出したギョッとする荒々しい斜面は、鉱山によって痛められ崩れた跡なのですね。
石垣は住宅地の跡。家は無くなっても、お墓は残っている。お墓にはお酒がお供えされていました。。
故郷がなくなっても、故郷への思い、その地に生きた人への思いは続いていく。
こういう時代があり、こういう暮らしがあったことを知っていきたい、と思いました。
sato
Re: 【奥越】錦繍の平家岳 日ノ谷源流に遊ぶ
satoさん、どうもです。お疲れさまでした。
私は、4年前、山日和さんと荷暮川西ノ谷右俣を遡行して訪れたのが初めてでした。
西ノ谷右俣のふたつの源頭と日ノ谷源頭の3つの谷の源頭を味わった印象に残る沢山旅でした。
深い森を縫う透き通った穏やかな流れ、大きな岩の間から噴き出すように落ちる滝とその横に静かに佇むトチの巨木、動と静の妙なる調和の世界を感じる西ノ谷も忘れ難いですが、
いつまでもぽけっとしたくなる山頂の空気も忘れられず、紅葉真っ盛りの時に、気になっている面谷鉱山跡から再訪したいなと思っていました。
西ノ谷は4年前が3回目でした。初めて訪れた時は登山靴でしたが、前回下った谷の途中で体調不良でギブアップ。素晴らしい樹林に今度は沢靴を履いて再訪しようと誓ったのでした。2回目は越美国境稜線まで上がって美濃平家を往復。平家まで足を延ばす気力は残ってませんでした。(前日栗ヶ谷から籾糠と猿ヶ馬場を往復して体力をすり減らしてました)
クマが気になるので、私はヘルメットを被って出発。
歩き始めから鮮やかな紅葉に包まれましたね。主尾根との合流地は息を呑む色彩でした。
素通りすることは不可能でした。
まずはクマ除けピストルを一発ぶっぱなしましたね。
青空の下の紅葉にモチベーションアゲアゲでした。
ここからは送電線が伸びる尾根ですが、道は自然林の中につけられていて、
落ち葉で埋め尽くされたしっとりとした道から眺める錦繍の森にこころは震えっぱなしでした。
おおきな腕を突き出したようなミズナラの大木は森の中で存在感を放っていましたね。
道の付け方がまた素晴らしい。こころ癒される落ち着いた森でした。
森を抜け、灌木とササの尾根に出ると、セピア色の山並みの向こうに雪化粧した白山が。
ありがたい気持ちに包まれ、思わず手を合わせていました。
足元の葉っぱもきれいでしたね。霜でうつくしく飾られていて見入ってしまいました。
1390mの小ピークは、きれいに刈り払いしてくださっていて、腰を下ろして白山を眺められました。
草刈りしなければササとススキのヤブ。草刈りしてくださった方々に感謝ですね。
さっきまでのしっとりした道とは打って変わって、開放的な展望の尾根になりましたね。
あの白山大展望地は素晴らしかったです。草刈り隊には感謝しかありません。
・1338先の鞍部からは、楽しみにしていた日ノ谷へ。日ノ谷源頭のうつくしい風景もこころに刻まれています。
下から遡ると、谷も帰りの尾根も長くて大変だけど(ここを山日和さん日帰りで歩かれたとは)こんなふうに谷の源頭を楽しめるのだとドキドキしました。
ええとこ取りってヤツですね。下流の連瀑帯も簡単で楽しめる谷ですが、この日はナメ歩きが目的でした。
4年前は紅葉し始めでしたが、今回は、燃えるような紅葉。
うつくしいナメ床にも誘われてゆらゆらとお散歩。そう、ここのお水は、ほんとうに透明ですね。
秋の澄み渡った空のよう。切なくなるくらい、きらきらした水。
まったく緊張感のない沢歩きもいいもんですね。
4年前のひとつ下の山頂に向かう谷も、きらきらした水がやさしく流れるナメ床が続き、しあわせを噛みしめながらの歩み。
最後も、ヤブと分かっていたので楽しめました。
GPSを見たら、左にずれていて、山日和さんちょっとくやしそうでしたね。
このダイレクト谷が初見なので、一番の目的でした。もっとスッキリしたナメが続くと思ってたのでやや期待外れでしたが。
最後の最後で外してしまったのは残念です。
辿り着いた山頂で、山日和さんは、グループの方を驚かせたかったようですが、私は誰もいなくてうれしかったです。
あたたかな陽気の中、ぽけっと至福の時間を味わえました。
いなきゃいないでその方がよかったんだけどね。
4年前は、ここからの下りで足攣りのアクシデントが起こったのですね。一時はビバークも考えてしまいました。
私は幸いまだ山を歩いている時に足を攣ったことはないのですが、中学生の頃から夜中に攣ることがあり、足攣りの痛さは知っているので、両足の太もも、ふくらはぎ全部攣るなんて怖ろしくて身震いします。
これは慣れが大きいですね。初めてあの状態になったらパニくって救助要請するかもね。
同じ道も、登りと下りでは時間も視線も異なるので楽しいです。
ほんとうにうつくしくて、去ってしまうのが名残惜しくて、何度も立ち止まり振り返っていました。
この道は往復でも十分満足できましたね。
昨秋は、山日和さんと紅葉を楽しむことができなかったので、紅葉に酔いしれ、笑顔で歩くことができ感慨もひとしおでした。
去年のこの頃は、入院以来初めての散髪でした。伸びた髪を出張散髪で切ってもらってスッキリしたのを思い出します。
面谷鉱山跡の殺伐とした光景には気持ちが重くなりました。
明治の時代に、本格的鉱山事業が始まり、最盛期には600戸3000人もの人が暮らしていたのですね。
石垣は住宅地の跡。家は無くなっても、お墓は残っている。お墓にはお酒がお供えされていました。。
故郷がなくなっても、故郷への思い、その地に生きた人への思いは続いていく。
こういう時代があり、こういう暮らしがあったことを知っていきたい、と思いました。
土倉鉱山もそうだし、高時川沿いの余呉の廃村やダム湖に沈んだ徳山の村々も、なにか切ない思いを起こさせますね。
山日和
私は、4年前、山日和さんと荷暮川西ノ谷右俣を遡行して訪れたのが初めてでした。西ノ谷右俣のふたつの源頭と日ノ谷源頭の3つの谷の源頭を味わった印象に残る沢山旅でした。
深い森を縫う透き通った穏やかな流れ、大きな岩の間から噴き出すように落ちる滝とその横に静かに佇むトチの巨木、動と静の妙なる調和の世界を感じる西ノ谷も忘れ難いですが、
いつまでもぽけっとしたくなる山頂の空気も忘れられず、紅葉真っ盛りの時に、気になっている面谷鉱山跡から再訪したいなと思っていました。
西ノ谷は4年前が3回目でした。初めて訪れた時は登山靴でしたが、前回下った谷の途中で体調不良でギブアップ。素晴らしい樹林に今度は沢靴を履いて再訪しようと誓ったのでした。2回目は越美国境稜線まで上がって美濃平家を往復。平家まで足を延ばす気力は残ってませんでした。(前日栗ヶ谷から籾糠と猿ヶ馬場を往復して体力をすり減らしてました)
クマが気になるので、私はヘルメットを被って出発。歩き始めから鮮やかな紅葉に包まれましたね。主尾根との合流地は息を呑む色彩でした。
素通りすることは不可能でした。
まずはクマ除けピストルを一発ぶっぱなしましたね。
青空の下の紅葉にモチベーションアゲアゲでした。
ここからは送電線が伸びる尾根ですが、道は自然林の中につけられていて、落ち葉で埋め尽くされたしっとりとした道から眺める錦繍の森にこころは震えっぱなしでした。
おおきな腕を突き出したようなミズナラの大木は森の中で存在感を放っていましたね。
道の付け方がまた素晴らしい。こころ癒される落ち着いた森でした。
森を抜け、灌木とササの尾根に出ると、セピア色の山並みの向こうに雪化粧した白山が。ありがたい気持ちに包まれ、思わず手を合わせていました。
足元の葉っぱもきれいでしたね。霜でうつくしく飾られていて見入ってしまいました。
1390mの小ピークは、きれいに刈り払いしてくださっていて、腰を下ろして白山を眺められました。
草刈りしなければササとススキのヤブ。草刈りしてくださった方々に感謝ですね。
さっきまでのしっとりした道とは打って変わって、開放的な展望の尾根になりましたね。
あの白山大展望地は素晴らしかったです。草刈り隊には感謝しかありません。
・1338先の鞍部からは、楽しみにしていた日ノ谷へ。日ノ谷源頭のうつくしい風景もこころに刻まれています。下から遡ると、谷も帰りの尾根も長くて大変だけど(ここを山日和さん日帰りで歩かれたとは)こんなふうに谷の源頭を楽しめるのだとドキドキしました。
ええとこ取りってヤツですね。下流の連瀑帯も簡単で楽しめる谷ですが、この日はナメ歩きが目的でした。
4年前は紅葉し始めでしたが、今回は、燃えるような紅葉。うつくしいナメ床にも誘われてゆらゆらとお散歩。そう、ここのお水は、ほんとうに透明ですね。
秋の澄み渡った空のよう。切なくなるくらい、きらきらした水。
まったく緊張感のない沢歩きもいいもんですね。
4年前のひとつ下の山頂に向かう谷も、きらきらした水がやさしく流れるナメ床が続き、しあわせを噛みしめながらの歩み。最後も、ヤブと分かっていたので楽しめました。
GPSを見たら、左にずれていて、山日和さんちょっとくやしそうでしたね。
このダイレクト谷が初見なので、一番の目的でした。もっとスッキリしたナメが続くと思ってたのでやや期待外れでしたが。
最後の最後で外してしまったのは残念です。
辿り着いた山頂で、山日和さんは、グループの方を驚かせたかったようですが、私は誰もいなくてうれしかったです。あたたかな陽気の中、ぽけっと至福の時間を味わえました。
いなきゃいないでその方がよかったんだけどね。
4年前は、ここからの下りで足攣りのアクシデントが起こったのですね。一時はビバークも考えてしまいました。私は幸いまだ山を歩いている時に足を攣ったことはないのですが、中学生の頃から夜中に攣ることがあり、足攣りの痛さは知っているので、両足の太もも、ふくらはぎ全部攣るなんて怖ろしくて身震いします。
これは慣れが大きいですね。初めてあの状態になったらパニくって救助要請するかもね。
同じ道も、登りと下りでは時間も視線も異なるので楽しいです。ほんとうにうつくしくて、去ってしまうのが名残惜しくて、何度も立ち止まり振り返っていました。
この道は往復でも十分満足できましたね。
昨秋は、山日和さんと紅葉を楽しむことができなかったので、紅葉に酔いしれ、笑顔で歩くことができ感慨もひとしおでした。去年のこの頃は、入院以来初めての散髪でした。伸びた髪を出張散髪で切ってもらってスッキリしたのを思い出します。
面谷鉱山跡の殺伐とした光景には気持ちが重くなりました。明治の時代に、本格的鉱山事業が始まり、最盛期には600戸3000人もの人が暮らしていたのですね。
石垣は住宅地の跡。家は無くなっても、お墓は残っている。お墓にはお酒がお供えされていました。。
故郷がなくなっても、故郷への思い、その地に生きた人への思いは続いていく。
こういう時代があり、こういう暮らしがあったことを知っていきたい、と思いました。
土倉鉱山もそうだし、高時川沿いの余呉の廃村やダム湖に沈んだ徳山の村々も、なにか切ない思いを起こさせますね。
山日和