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【北アルプス】槍ヶ岳で播隆祭

Posted: 2025年9月14日(日) 11:47
by むらまさ
【日付】  2025年9月5日~7日
【山域】  北アルプス 槍ヶ岳
【メンバー】 むらまさ・O氏
【天候】  台風一過~晴天~強風ガス~晴天
【ルート】 上高地~横尾~槍沢ロッジ~播隆窟~槍ヶ岳山荘~槍ヶ岳~槍ヶ岳山荘~ヒュッテ大槍~横尾~上高地

 毎年9月の第一土曜日(今年は9月6日)に槍ヶ岳山荘で開かれている、第47回播隆祭に参加して来ました。  
 槍沢ロッジでも前夜祭が行われました。

 5日の朝は、台風15号の雨で上高地から徳沢までカッパ着てビショビショに。
 徳沢から槍沢ロッジまでは雨上がりの晴れになりました。
 横尾から一ノ俣までの間で20m位先で1.5m位のクマが沢から山に移動して行きました。 
 初めてクマ見ました!見れました!もう少し小さかったかも?

 途中播隆上人らが、参籠したという播隆窟(坊主の岩小屋)に寄り、
 播隆石造(若かった上条嘉門治が担ぎあげた)と中の祠を参拝しました。

 
播隆窟(坊主の岩小屋)
播隆窟(坊主の岩小屋)
 
播隆石造(明治三十▢年八月)
播隆石造(明治三十▢年八月)
 
播隆窟内部の祠
播隆窟内部の祠
 ウエストン等の初期の槍ヶ岳登山者は皆ここを利用しているそうです。
 ババ平の下流にも赤沢の岩小屋が有るのですが、行きは暗くて帰りも入口や標識は見つけられませんでした。

 
槍沢森林限界からの槍ヶ岳
槍沢森林限界からの槍ヶ岳
 12時前に槍ヶ岳山荘着でチェックインしてからサブザックで槍ヶ岳登頂しました。
 登りは人が少なく、途中休む暇がありませんでした。
 山頂の祠の扉は残念な程傷んでました!中の仏像はどうなったのでしょうか?

 
槍ヶ岳山頂の祠(扉片側と裏板が破損で貫通していた)
槍ヶ岳山頂の祠(扉片側と裏板が破損で貫通していた)
 19時から食堂で、1ドリンク槍ヶ岳山荘グループ穂苅社長のサービスです。
 穂苅三寿雄さんがガラス乾板で撮影された装業80周年記念のフォトカードを頂きました。
 4代目社長穂苅大輔さんの挨拶の後、播隆上人に乾杯しました。
 播隆上人は槍ヶ岳を開山された念仏僧で、ゆかりの松本市玄光寺の副住職から播隆上人のお話を聞きました。

 
槍ヶ岳山荘食堂奥の播隆上人像
槍ヶ岳山荘食堂奥の播隆上人像
 又特別ゲストで松本協立病院で登山者検診をされている市川智英先生から、山の遭難第3位の心筋梗塞の詳しいお話を聞きました。
 TVマウンテンドクターの医療監修をされたといわれてました。

 翌朝も天気良ければ登ろうと起きたら強風とガスで、山の天気は判らないですね。
 帰りは東鎌尾根をヒュッテ大槍経由で下山しました。O氏は中岳・天狗池経由で風が強かったと。
 横尾から上高地までの林道が疲れた足にこたえました。
 ひらゆの森で汗を流し、新しく繋がった東海環状自動車道で養老IC~大桑で帰って来ました。


 皆さんは山のベテランなので、ご存じだとは思いますが、私がネットや本で読んだ播隆上人関係の史実を記します。

 ● 5月10日に新平湯温泉村上神社播隆塔の前で北アルプス飛騨側開山祭の播隆祭が行われる。
   播隆塔の中の仏像は盗難防止の為に笠ヶ岳から降ろされた厨子入阿弥陀仏である

 ● JR松本駅の播隆造(1979年)前で7月中旬に播隆祭が行われる。

 ● 槍ヶ岳山荘では、9月の第1土曜日に播隆祭が行われる。

 ● 現在でも播隆上人の教えの念仏講・念仏供養・念仏行事等が行われている。

 ● 各地 特に岐阜を中心にゆかりの寺院・播隆六字名号碑・名号軸・修行場跡が残っている。

 
 播隆上人の伝記・記録 (槍ヶ岳開山 播隆「穂刈三寿雄・貞夫」・黒野こうき随筆監修博物館資料より)

 播隆上人は江戸時代後期の念仏行者で伊吹山禅定・笠ヶ岳再興・槍ヶ岳開山・穂高岳登拝を行った

 1786年(天明6年)    現富山県富山市河内に生まれる

 1804年(文化元年・19才)尾張国(名古屋市)の尋盛寺の性誉上人に弟子入り・大和国(奈良県)阿辺ヶ峰の見仏上人の弟子となる

 1814年(文化11年・29才)江戸本所の霊山寺で浄土宗の正式な僧となる

 1818年(文政元年・33才)山城国(京都市)の蝎誉上人の元で修行する

 1821年(文政4年・36才) 飛騨国杓子の岩屋で山籠修行する

 1823年(文政6年・38才) 初めて笠ヶ岳に登る

      〃      3回目は18人の同行者と共に登る(御来迎を見る)。発願からわずか50日で登拝道を開く

             笠ヶ岳は文永年間(1264~1275)本覚寺を再興した道泉が開山、元禄年間(1688~1704)に円空が大日如来を、
            1782年南裔が阿弥陀・薬師・不動の3尊を安置、北洲・古林・嶺州等多くの僧侶が登っています。

 1824年(文政7年・39才) 4回目は66人の同行者と登拝道に道標の石仏を、頂上に阿弥陀仏を安置し笠ヶ岳を再興(この時も御来迎を)

          笠ヶ岳頂上で見た、御来迎(ブロッケン現象)を見て、槍ヶ岳開山を決心したのではないかと

 1825年(文政8年・40才) 伊吹山の岩屋や草庵(播隆屋敷)で修行する
 
 1826年(文政9年・41才) 播隆上人 槍ヶ岳初登頂(小倉村の中田又重の案内)

           槍ヶ岳へのルートは、小倉村~冷沢~鍋冠山~大滝山北峰~蝶ヶ岳~山葵沢の北尾根~槍沢でした。
            今は横尾に降るルートしか無いですが、歩いてみたいです。

 1828年(文政11年・43才)2回目の槍ヶ岳登頂 阿弥陀、観音、文殊の3像を安置し開山

      〃     穂高岳に南無阿弥陀仏と記した名号碑を安置(場所・所在不明)

 
播隆作「槍ヶ岳絵図」(富山市の播隆生家蔵)
播隆作「槍ヶ岳絵図」(富山市の播隆生家蔵)
 1830年(天保元年・45才)美濃国(岐阜県揖斐揖斐川町)に播隆開山の一心寺を建立

 1833年(天保4年・48才) 3回目の槍ヶ岳登頂

 1834年(天保5年・49才) 4回目の登頂 山頂付近に藁縄と木鈎で作った善の綱を設置する

             播隆窟に53日も籠り、念仏を唱える

 1835年(天保6年・50才)  5回目の登頂 小屋掛を図るが大雪のため、足の指二本を凍傷で失う

 1839年(天保10年・54才) 下総国(千葉県市川市)の徳願寺で加行し、浄土律宗和上となる

 1840年(天保11年・55才) 槍の頂きに鉄鎖の善の綱を掛ける
          
     〃 10月21日  中山道太田宿で大往生する 行年55歳


 現代

 1910年(明治43年) 発行 小島鳥水著『日本アルプス』2巻の第3回槍ヶ岳登山の記事中に「右の肩へ出ると、小さな
          木祠があって、小さな木像1個と青さびた小指くらいの銅像が3個、はめ込まれてある」としてある

 1914年(大正3年)  穂苅三寿雄が登山したときは、参拝したのみで祠の中は見なかった

 1919年(大正8年)   〃  に登った際は、小祠は破損していて、阿弥陀仏の銅像が1体ころがっていた。
          仏像をはめ込んだ木は半ば朽ちていたが、丸い丸太を割って、穴をあけて彫り込んであったという
          木箱を作らせて銅像を収めて置いたが、翌年登ってみると、盗まれてなくなっていたと

 1926年(大正15年・昭和元年) 槍ヶ岳山荘創立(穂苅三寿雄)

 1963年(昭和38年) 槍ヶ岳山荘創立40周年記念 槍岳開祖播隆 (穂苅三寿雄著 私家版)

 1968年6月     槍ヶ岳開山 フィクション(新田次郎著)史実とはまったくかけ離れたものである

          新田次郎の書いた出家の動機が、百姓一揆にまきこまれ、誤って自分の妻を槍で刺し殺してしまって、呵責の
          念から出家したというもので、これを読んだ寺院の方々は「殺人をおかして出家とはとんでもないことだ、
          念仏行者の播隆は生涯独身であったから妻も存在し得ないことだ」と大変立腹されたと
          ある寺院の方は直接抗議の手紙を出されたそうです

 1982年9月     初版 槍ヶ岳開山 播隆(穂苅三寿雄・穂苅貞夫著)

 1997年9月     増訂版   〃   《槍ヶ岳開山170年》

 1999年       ネットワーク播隆(播隆研究)代表黒野こうき 播隆シンポジウム開催・会報誌発行(毎年)

 2016年1月     岳人 特集ニッポン開山物語 P10~P23
          播隆上人は文政6年に、笠ヶ岳を再興し登拝道を拓いていたが、
          現在その道は幻の登山道といわれ、ルートは解明されていない。
          設置された一里塚8体の内4体を探しに、登山家の服部文祥が探索するという内容
          服部文祥は笠谷本流沿いを探索したが、発見には至らなかった。
          見つかった一里塚はレプリカに取り替えられ、石仏本体は「上宝ふるさと歴史館」に保管されている。
          下から①山の神、②長者屋敷、③瀬畑、④横平、⑤不明、⑥不明、⑦不明、⑧笠ヶ岳南西尾根(1972年神岡営林署の方が発見し
          盗難防止のためにうつ伏せにしておいたが所在不明となり、2001年に上宝歴史研究会のメンバーが再発見される。
          ⑤、⑥、⑦の一里塚は尾根沿いにあるのではないかという。
          岳人では興味のある方には、編集部が持っている情報はすべて提供しますと書かれていました。
          ①の山の神くらいは訪れてみたいと考えています。

 
岳人2016年1月 特集ニッポン開山物語P13 笠ヶ岳登拝路調査地図
岳人2016年1月 特集ニッポン開山物語P13 笠ヶ岳登拝路調査地図
 
 2018年7月    南無の紀行 播隆上人覚え書(黒野こうき〈ネットワーク播隆代表〉)《播隆上人槍ヶ岳開山190年》

 2018年8月    日本山岳会富山支部播隆研究会の方が、ネットワーク播隆の世話人、上宝歴史研究会の方の案内で、
          笠ヶ岳南西尾根の⑧石仏に来訪(CBC同行取材)富山新聞にも掲載

 2018年10月   日本山岳会富山支部播隆研究会の方が、ネットワーク播隆の世話人、富山市大山歴史民俗資料館の方と
          笠ヶ岳西側の葛山発電所取水口の林道から一理塚②長者屋敷、③瀬畑、④横平の登拝道確認

          この記事以降ネット検索しても記事なし。

 2028年 9月(3年後) 播隆上人槍ヶ岳開山200年 第50回播隆祭(参加予定?) 

 
 展覧会博物館等

 2005年 6月    播隆・槍への道程ー善の綱をたどれば(市立大町山岳博物館 企画展)監修・協力 黒野こうき

          https://www.omachi-sanpaku.com/display/ ... ry-102.php
          この中の資料が一番詳しいです。興味のある方は是非。

 2007年 5月    松本市政100周年の時に、冊子播隆発行 執筆/写真 黒野こうき

 2008年 5月    播隆展 (松本市立博物館)・第9回播隆シンポジウム「山の播隆」黒野こうき

 2013年10月    伊吹山と播隆 (米原市教育委員会)随筆/黒野こうき
 
        本を手にしたのが遅かったので走り読みしたので、改めてゆっくり読んでみたいと思います。
  
 

Re: 【北アルプス】槍ヶ岳で播隆祭

Posted: 2025年9月16日(火) 13:55
by 山日和
むらまささん、こんにちは。

槍ヶ岳は高校の夏合宿以来53年も登ってません。 :mrgreen:

 横尾から一ノ俣までの間で20m位先で1.5m位のクマが沢から山に移動して行きました。 
 初めてクマ見ました!見れました!もう少し小さかったかも?

最近はアルプスでもよく見られるようですね。こないだは鹿島槍の山頂付近にも現れたそうです。
相手がクマだとシャッター押してと頼むわけにもいきませんね。 :lol:

 途中播隆上人らが、参籠したという播隆窟(坊主の岩小屋)に寄り、
 播隆石造(若かった上条嘉門治が担ぎあげた)と中の祠を参拝しました。

服装も装備も貧弱だった時代に、まだ道なき道の槍ヶ岳に向かうという執念が凄いですね。
体力不足で行動不能になって救助要請する人が頻発する今日この頃、昔の人は強いです。

 12時前に槍ヶ岳山荘着でチェックインしてからサブザックで槍ヶ岳登頂しました。
 登りは人が少なく、途中休む暇がありませんでした。
 山頂の祠の扉は残念な程傷んでました!中の仏像はどうなったのでしょうか?


混雑してる方が休み休み登れるということ?すんなり行ける方が精神衛生上いいじゃないですか。 :lol:
祠はずいぶん傷んでますね。修理するまで仏像はどこかへ移動されたのかな?

 19時から食堂で、1ドリンク槍ヶ岳山荘グループ穂苅社長のサービスです。
 帆苅三寿雄さんがガラス乾板で撮影された装業80周年記念のフォトカードを頂きました。

穂苅が帆苅になってますよ。下の方もほぼ帆苅になってるので修正しといて下さいね。

 又特別ゲストで松本協立病院で登山者検診をされている市川智英先生から、山の遭難第3位の心筋梗塞の詳しいお話を聞きました。
 TVマウンテンドクターの医療監修をされたといわれてました。

そうなんですか。知らなかった。マウンテンドクターでも山小屋の大将が心筋梗塞で倒れてましたね。

 翌朝も天気良ければ登ろうと起きたら強風とガスで、山の天気は判らないですね。

まあ、そんなもんです。前の日に登っておいてよかったですね。
 
 ひらゆの森で汗を流し、新しく繋がった東海環状自動車道で養老IC~大桑で帰って来ました。

私も蕪山の帰りにその日に開通したばかりの道を通りました。近道なのかそうでないかは微妙ですね。
ほとんど1車線なので、前に遅いのが走ってたら抜くに抜けないし。 :mrgreen:


 皆さんは山のベテランなので、ご存じだとは思いますが、私がネットや本で読んだ播隆上人関係の史実を記します。

みなさん、長い間山を登ってても詳しいことは知らない人が大半だと思いますよ。
わかりやすく整理していただきありがとうございます。

  1968年6月     槍ヶ岳開山 フィクション(新田次郎著)史実とはまったくかけ離れたものである

          新田次郎の書いた出家の動機が、百姓一揆にまきこまれ、誤って自分の妻を槍で刺し殺してしまって、呵責の
          念から出家したというもので、これを読んだ寺院の方々は「殺人をおかして出家とはとんでもないことだ、
          念仏行者の播隆は生涯独身であったから妻も存在し得ないことだ」と大変立腹されたと
          ある寺院の方は直接抗議の手紙を出されたそうです

フィクションとはいえ、こんなとんでもない書き方をされたらたまったもんじゃないですね。

                 山日和

Re: 【北アルプス】槍ヶ岳で播隆祭

Posted: 2025年9月16日(火) 17:57
by むらまさ
山日和さん、こんにちは。
 レスありがとうございます。誰からもレス無しかもと思ってました!
槍ヶ岳は高校の夏合宿以来53年も登ってません。
 高校や大学の山岳部で槍ヶ岳に登った人は何度も登らないですよね、何でか?魅力ないんですかね?

 横尾から一ノ俣までの間で20m位先で1.5m位のクマが沢から山に移動して行きました。 
 初めてクマ見ました!見れました!もう少し小さかったかも?

最近はアルプスでもよく見られるようですね。こないだは鹿島槍の山頂付近にも現れたそうです。
相手がクマだとシャッター押してと頼むわけにもいきませんね。
 沢から山へ登山道横切っただけなので、一瞬でした。同行者は見れなかったと!

 途中播隆上人らが、参籠したという播隆窟(坊主の岩小屋)に寄り、
 播隆石造(若かった上条嘉門治が担ぎあげた)と中の祠を参拝しました。

服装も装備も貧弱だった時代に、まだ道なき道の槍ヶ岳に向かうという執念が凄いですね。
体力不足で行動不能になって救助要請する人が頻発する今日この頃、昔の人は強いです。
 一応山に詳しい案内人が居ますが、ビブラムソールもゴアテックスないですしね。
 播隆上人は本当にすごい方だったと思います。

 12時前に槍ヶ岳山荘着でチェックインしてからサブザックで槍ヶ岳登頂しました。
 登りは人が少なく、途中休む暇がありませんでした。
 山頂の祠の扉は残念な程傷んでました!中の仏像はどうなったのでしょうか?

混雑してる方が休み休み登れるということ?すんなり行ける方が精神衛生上いいじゃないですか。

 私は待てるタイプなので!下りは渋滞でそのころには登りも大渋滞になっていました。
祠はずいぶん傷んでますね。修理するまで仏像はどこかへ移動されたのかな?
 最初の祠の仏像は盗難されたようです。この祠になってから中に何を安置されていたのか?です。

 9時から食堂で、1ドリンク槍ヶ岳山荘グループ穂苅社長のサービスです。
 穂苅三寿雄さんがガラス乾板で撮影された装業80周年記念のフォトカードを頂きました。

穂苅が帆苅になってますよ。下の方もほぼ帆苅になってるので修正しといて下さいね。
 ご指摘ありがとうございます。苅ばかり気にしてました。

 又特別ゲストで松本協立病院で登山者検診をされている市川智英先生から、山の遭難第3位の心筋梗塞の詳しいお話を聞きました。
 TVマウンテンドクターの医療監修をされたといわれてました。

そうなんですか。知らなかった。マウンテンドクターでも山小屋の大将が心筋梗塞で倒れてましたね。
 心筋梗塞の症状も直接心臓が痛くならないようです。
 なるべく早く手術が必要なので、歩けても歩けないと言ってヘリを要請した方が良いそうです。

翌朝も天気良ければ登ろうと起きたら強風とガスで、山の天気は判らないですね。
まあ、そんなもんです。前の日に登っておいてよかったですね。
 昼に槍ヶ岳山荘に着いたので余裕で登れました。
 
ひらゆの森で汗を流し、新しく繋がった東海環状自動車道で養老IC~大桑で帰って来ました。
私も蕪山の帰りにその日に開通したばかりの道を通りました。近道なのかそうでないかは微妙ですね。
ほとんど1車線なので、前に遅いのが走ってたら抜くに抜けないし。

 日曜夕方でしたが、渋滞はまったくありませんでした。

皆さんは山のベテランなので、ご存じだとは思いますが、私がネットや本で読んだ播隆上人関係の史実を記します。
みなさん、長い間山を登ってても詳しいことは知らない人が大半だと思いますよ。
わかりやすく整理していただきありがとうございます。
 私も整理してやっと頭に入ったので良かったです。

  1968年6月     槍ヶ岳開山 フィクション(新田次郎著)史実とはまったくかけ離れたものである

          新田次郎の書いた出家の動機が、百姓一揆にまきこまれ、誤って自分の妻を槍で刺し殺してしまって、呵責の
          念から出家したというもので、これを読んだ寺院の方々は「殺人をおかして出家とはとんでもないことだ、
          念仏行者の播隆は生涯独身であったから妻も存在し得ないことだ」と大変立腹されたと
          ある寺院の方は直接抗議の手紙を出されたそうです

フィクションとはいえ、こんなとんでもない書き方をされたらたまったもんじゃないですね。
 新田次郎が槍ヶ岳開山を出版したことで、播隆上人が多くの人に知られる事になったとは良かったのではないかと!
 ただその内容を史実として勘違いしないように私は、史実の槍ヶ岳開山を読んで何がフィクションなのかを知りました。