【高見山地】下川番所峠路の再探索と雨乞山
Posted: 2025年8月16日(土) 05:38
【日 付】2025年8月13日(水)
【山 域】高見山地
【コース】多気峠7:30---9:30仲山神社---11:55雨乞山---13:00多気峠
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.541066/13 ... z0r0s0m0f1
北畠氏の本拠地美杉町多気を守る8つの番所の中で下川番所の峠路の探索が不十分なので、再度探索に出かけた。下川番所は下之川角原の住人四角六兵衛江同重兵衛門が監視をしており、峠は多気峠とも桜峠とも呼ばれていた。
下之川浄水場に駐車し番所のあった多気峠まで車道を歩く。車道で寸断されているが多気に向かう野登瀬側と山側に溝道が通っている。切通や九十九折をくしして山腹をトラバースし車道に出た。車道の向かいに続く道の両側には石積みが並び昔は耕作地だった。水の流れる沢筋には峠付近まで耕作地の石積みが続くことが多く山間の集落の生活がしのばれる。峠から浄水場あたりまで古道をたどれた。古道は車道沿いに進み途中から戸木に向かう。
戸木道との分岐には室町時代の多気峠地蔵があったが今は無く、「道幅2m通行困難」という看板があるのみだ。戸木の集落に入っていくと軒先を車道が通り、核心部のヘアピンの部分はとてもじゃないが通れない。この車道のおかげで昔の集落の面影をそのまま残している。戸木から雨乞山登山口方面に上っていくと大日の石仏があり、その先に塚原卜伝屋敷跡がある。剣聖と呼ばれた卜伝は弘治年間に2度南伊勢を訪れその際にこの地を住居にしたと言われ、八代北畠具教に剣を教え奥義「一(ひとつ)の大刀(たち)」を授けたと伝えられている。
戸木道を下っていくと仲山神社に突き当たる。仲山神社は北畠以前よりある古社で北畠氏の戦勝祈願所だった。歩いてみると下之川が仲山神社を中心に形作られたことがわかる。不動の口辻の道標には「右上小川道 左竹原・川上道」と彫られており、このまま真っ直ぐに峠越えすると白口番所下の上小川に着き、八手俣川沿いに下ると竹原、多気を経て雲出川を上ると川上に至る事を示している。
塚原ヒストリーパークのオートキャンプ場の裏山に椿原城があり八手俣川対岸の三谷城と相対して下之川を守っていた。キャンプ場の終点付近の尾根岬を国祖丸山と言い二代北畠顕(あき)能(よし)の墓とされているが、わからなかった。奥の三俣まで林道を進むと雨乞山方面の尾根が伐採されている。植林が残っている中俣と左俣の間の尾根を上る。稜線に出てすぐに白口峠の分岐で、雨乞山へ植林を黙々と上った。雨乞山は多気御所の鬼門に当たり、山頂に経を埋め、祈祷したとから経ヶ峰とも呼ばれ、麓に北畠氏の菩提寺金剛宝寺があった。髯山の狼煙場から多気御所は見えないので、その中継点の狼煙場があったとも考えられている。時代を経て、干ばつの時村人が山上に登り、幟をたて火を焚き「雨ふれたもれ雨ふれたもれ」と踊りまわって雨乞したので雨乞山と言われるようになった。
白口に下る破線道にはテープがあるが多気峠方面には無く、地図の下りやすい尾根をつないでいくと古道の九十九折の場所に出た。北畠の時代、下之川は多気についで大きな集落だっただけに北畠氏の痕跡をそこかしこで見ることが出来た。過疎が進みこの痕跡も時代とともに埋もれつつある。
【山 域】高見山地
【コース】多気峠7:30---9:30仲山神社---11:55雨乞山---13:00多気峠
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.541066/13 ... z0r0s0m0f1
北畠氏の本拠地美杉町多気を守る8つの番所の中で下川番所の峠路の探索が不十分なので、再度探索に出かけた。下川番所は下之川角原の住人四角六兵衛江同重兵衛門が監視をしており、峠は多気峠とも桜峠とも呼ばれていた。
下之川浄水場に駐車し番所のあった多気峠まで車道を歩く。車道で寸断されているが多気に向かう野登瀬側と山側に溝道が通っている。切通や九十九折をくしして山腹をトラバースし車道に出た。車道の向かいに続く道の両側には石積みが並び昔は耕作地だった。水の流れる沢筋には峠付近まで耕作地の石積みが続くことが多く山間の集落の生活がしのばれる。峠から浄水場あたりまで古道をたどれた。古道は車道沿いに進み途中から戸木に向かう。
戸木道との分岐には室町時代の多気峠地蔵があったが今は無く、「道幅2m通行困難」という看板があるのみだ。戸木の集落に入っていくと軒先を車道が通り、核心部のヘアピンの部分はとてもじゃないが通れない。この車道のおかげで昔の集落の面影をそのまま残している。戸木から雨乞山登山口方面に上っていくと大日の石仏があり、その先に塚原卜伝屋敷跡がある。剣聖と呼ばれた卜伝は弘治年間に2度南伊勢を訪れその際にこの地を住居にしたと言われ、八代北畠具教に剣を教え奥義「一(ひとつ)の大刀(たち)」を授けたと伝えられている。
戸木道を下っていくと仲山神社に突き当たる。仲山神社は北畠以前よりある古社で北畠氏の戦勝祈願所だった。歩いてみると下之川が仲山神社を中心に形作られたことがわかる。不動の口辻の道標には「右上小川道 左竹原・川上道」と彫られており、このまま真っ直ぐに峠越えすると白口番所下の上小川に着き、八手俣川沿いに下ると竹原、多気を経て雲出川を上ると川上に至る事を示している。
塚原ヒストリーパークのオートキャンプ場の裏山に椿原城があり八手俣川対岸の三谷城と相対して下之川を守っていた。キャンプ場の終点付近の尾根岬を国祖丸山と言い二代北畠顕(あき)能(よし)の墓とされているが、わからなかった。奥の三俣まで林道を進むと雨乞山方面の尾根が伐採されている。植林が残っている中俣と左俣の間の尾根を上る。稜線に出てすぐに白口峠の分岐で、雨乞山へ植林を黙々と上った。雨乞山は多気御所の鬼門に当たり、山頂に経を埋め、祈祷したとから経ヶ峰とも呼ばれ、麓に北畠氏の菩提寺金剛宝寺があった。髯山の狼煙場から多気御所は見えないので、その中継点の狼煙場があったとも考えられている。時代を経て、干ばつの時村人が山上に登り、幟をたて火を焚き「雨ふれたもれ雨ふれたもれ」と踊りまわって雨乞したので雨乞山と言われるようになった。
白口に下る破線道にはテープがあるが多気峠方面には無く、地図の下りやすい尾根をつないでいくと古道の九十九折の場所に出た。北畠の時代、下之川は多気についで大きな集落だっただけに北畠氏の痕跡をそこかしこで見ることが出来た。過疎が進みこの痕跡も時代とともに埋もれつつある。
【日 付】2025年8月13日(水)