【 日 付 】2025年7月31日(木)
【 山 域 】 尾鷲
【メンバー】k子
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】9:00 R42矢ノ川峠昭和道入口(駐車)ー9:40 第2隧道ー10:13 傳唐大橋ー10:18 第3隧道ー10:40第4隧道ー11:14 矢ノ川隧道ー10:29 明治道入口ー11:13 小坪-12:20 二ツ木屋分岐ー13:21 明治道入口ー14:11駐車地
連日猛暑が続く中、クーラーの部屋に籠っていては体力が落ちる
と言っても北や南アルプスには頻繁には通えない、先日は上高地の避暑地にいったばかり。
近くの鈴鹿は低山で暑すぎ、台高方面も考えたが、悩んだ末に尾鷲の秘境巡りで落ち着いた。
尾鷲の秘境ガイドブックに、
「東紀州の陸路で最大の難所とされた、尾鷲と木本(熊野市)を結ぶ矢ノ川峠道。
デンガラ越えの江戸道、日本初のロープーウエイで結ばれた明治道、国鉄バスがつないだ昭和道が残されており
往時が偲ばれます。矢ノ川沿いの滝巡りも楽しめます。」
と紹介されている。
ガイドブックのうしろについているエリアマップをコピーしてK子と出掛けた。
矢ノ川は「やのこ」と読みます。
昭和道入口から広い道を歩き40分ほどで第1隧道到着。
途中で出会った虫取りに訪れた人が「入口が崩れているので注意してください、との通りにずいぶん激しく崩れている。
しかし人が通る分だけがきれいに岩をどかしてあり、通り抜けるにはそれほど大したこともなく歩ける。
隧道は素掘の隧道、高さも約7mはあるだろう、道幅もバスが通っていたので6mはある。長さは約30m程度。
第2隧道、第1隧道から約20分で到着、幅と高さは第1隧道と同じm長さは20m程度か。
コンクリートで覆われていて見た目は新しく感じる、いつ頃に素掘からコンクリートを巻いたのか?
第3隧道は素掘の岩肌が見応えある、長さは短いので中にも外からの光が差す。
堂々とした隧道、昭和初期の素掘だが今も立派に健在、岩を穿った感じが存在感満点。
第4隧道は切通の中央に掘られている、苔むした壁が長い歴史を感じる、ここもまだしっかりと健在だ。
第5隧道は5本の隧道の中でも一番立派な顔でコンクリートで固められている。
正面上部の「矢ノ川隧道」の扁額が誇らしい。道具や機械が今の時代ほど揃わない時代に掘られた素掘の隧道、当時の工事に携わった人々を想うと隧道にかける気概が感じられる。
矢ノ川峠昭和道は、昭和11年、5本の隧道を開削して矢ノ川沿いの峠道を行く道として開通された。
省営バス紀南線が定期運航し、ボンネット型のバスが尾鷲ー熊野間を2時間45分で結ばれていた。 戦後も国鉄バスとして廃止となる昭和34年まで、雨の日も雪の日も急カーブと断崖絶壁の続く悪路を走っていた。人々の夢と希望、喜び、悲しみを乗せて走り続けた。 昭和43年に国道42号線が開通し、尾鷲ー熊野間は、大又トンネル、矢ノ川トンネルを抜けて45分で結ばれていた。
seiichi
【 尾鷲 】矢ノ川峠昭和道の隧道探索
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【 尾鷲 】矢ノ川峠昭和道の隧道探索
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- 矢ノ川周回ログ20250731s.jpg (26.15 KiB) 閲覧された回数 4215 回
Re: 【 尾鷲 】矢ノ川峠昭和道の隧道探索
seiichiさん、こんにちは~
精力的な山遊び、今回は古道のトンネル探検でしたか!
私、酷暑に負けて家籠りしております(@_@。
台風のせいかもしれないけれど、なんだかやっと雨模様になって猛暑も和らぎそうですね? 動かないと足腰も衰退の一途ですから、そろそろどこかに出かけてみようかな?と思ってます。
「やのこ」と読むんですね。添付していただいてる地図で位置を見つけ、地形図で拡大してみると古道の周回ルートに4か所の隧道マークを見つけました。
スタートは国道の道路水準点122.5マークのあたりのようですが、古道入り口の水準点257.1までは国道歩きだったんでしょうか?
そうそう、夏の終わりには木曽駒へ予定されてるとか? 私も体力と相談してですが人生ラストのチャレンジをと妄想してます。木曽側のコガラからのルートです(福島Bルート)。ここ数年、何回か挑戦しているのですが、涙の途中撤退ばかりです。(>_<)
またどこかへご一緒できたら嬉しいですね。
~びわ爺
精力的な山遊び、今回は古道のトンネル探検でしたか!
私、酷暑に負けて家籠りしております(@_@。
台風のせいかもしれないけれど、なんだかやっと雨模様になって猛暑も和らぎそうですね? 動かないと足腰も衰退の一途ですから、そろそろどこかに出かけてみようかな?と思ってます。
「やのこ」と読むんですね。添付していただいてる地図で位置を見つけ、地形図で拡大してみると古道の周回ルートに4か所の隧道マークを見つけました。
スタートは国道の道路水準点122.5マークのあたりのようですが、古道入り口の水準点257.1までは国道歩きだったんでしょうか?
3つの「道」と矢ノ川の滝巡り…どれも行ってみたくなります。尾鷲の秘境ガイドブックに、 「東紀州の陸路で最大の難所とされた、尾鷲と木本(熊野市)を結ぶ矢ノ川峠道。デンガラ越えの江戸道、日本初のロープーウエイで結ばれた明治道、国鉄バスがつないだ昭和道が残されており往時が偲ばれます。矢ノ川沿いの滝巡りも楽しめます。」と紹介されている。
写真を見ても崩れ具合が歴然ですね! 通り抜け中にカムチャッカ沖クラスの大地震が起こったら…と思ったら、ちょっと涼しくなりました。(^_-)昭和道入口から広い道を歩き40分ほどで第1隧道到着。
途中で出会った虫取りに訪れた人が「入口が崩れているので注意してください、との通りにずいぶん激しく崩れている。
2時間45分がR42開通で45分に短縮。いまは高速道路でもっと早くなったでしょうね。矢ノ川道を歩いたら何時間かかるかなぁ? そのうちシュークリさんが踏破されるかも(^_-)-☆省営バス紀南線が定期運航し、ボンネット型のバスが尾鷲ー熊野間を2時間45分で結ばれていた。 戦後も国鉄バスとして廃止となる昭和34年まで、雨の日も雪の日も急カーブと断崖絶壁の続く悪路を走っていた
そうそう、夏の終わりには木曽駒へ予定されてるとか? 私も体力と相談してですが人生ラストのチャレンジをと妄想してます。木曽側のコガラからのルートです(福島Bルート)。ここ数年、何回か挑戦しているのですが、涙の途中撤退ばかりです。(>_<)
またどこかへご一緒できたら嬉しいですね。
~びわ爺
Re: 【 尾鷲 】矢ノ川峠昭和道の隧道探索
びわ爺さん、おはようございます。
今朝の天気予報では、今日は今年一番の暑さ、気温40度以上が各地で発生する。との事ですね。
私はパートの仕事で一日の半分は炎天下で歩いています、そのおかげで暑さもすっかり慣れて元気満点です。
今回の矢ノ川隧道巡りは、当初の計画は隧道3つの探索あとは、展望の良い矢ノ川峠に行ってピストンだったのです。
廃道で分岐点を見過ごして気がついたら周回コースするべき道を歩いていました。
親子のクマ3匹を遠くに見つけましたが無事に通りすぎました。
木曽駒、コガラルートは知らないので後で調べてみようと思います。
秋の紅葉は是非ともいい所に行きましようね。
seiichi
今朝の天気予報では、今日は今年一番の暑さ、気温40度以上が各地で発生する。との事ですね。
私はパートの仕事で一日の半分は炎天下で歩いています、そのおかげで暑さもすっかり慣れて元気満点です。
今回の矢ノ川隧道巡りは、当初の計画は隧道3つの探索あとは、展望の良い矢ノ川峠に行ってピストンだったのです。
廃道で分岐点を見過ごして気がついたら周回コースするべき道を歩いていました。
親子のクマ3匹を遠くに見つけましたが無事に通りすぎました。
木曽駒、コガラルートは知らないので後で調べてみようと思います。
秋の紅葉は是非ともいい所に行きましようね。
seiichi
Re: 【 尾鷲 】矢ノ川峠昭和道の隧道探索
seiichiさん、こんにちは。
矢ノ川峠の旧道を歩かれたんですね。
中上健次の小説「岬」に、主人公秋幸の姉芳子が15歳の時に新宮から名古屋に奉公に出たという記述があります。その時に、「汽車で木之本に行き、バスに乗り換えて、矢ノ子峠(漢字は原文のまま)越して、また尾鷲で汽車に乗る」と書いてあります。その年代ははっきりしませんが、芳子の年齢などから昭和20年代のようです。この記述がずっと頭に残っていて、seiichiさんのレポを読みながらその様子を夢想していました。写真を見るとその情景がもっとリアルに感じられます。
ちなみに、紀勢線が全線開通したのが、昭和34年ですので、木之本と尾鷲を行き来するには矢ノ子峠を越えるしかなかったんですね。
矢ノ川峠の旧道を歩かれたんですね。
中上健次の小説「岬」に、主人公秋幸の姉芳子が15歳の時に新宮から名古屋に奉公に出たという記述があります。その時に、「汽車で木之本に行き、バスに乗り換えて、矢ノ子峠(漢字は原文のまま)越して、また尾鷲で汽車に乗る」と書いてあります。その年代ははっきりしませんが、芳子の年齢などから昭和20年代のようです。この記述がずっと頭に残っていて、seiichiさんのレポを読みながらその様子を夢想していました。写真を見るとその情景がもっとリアルに感じられます。
ちなみに、紀勢線が全線開通したのが、昭和34年ですので、木之本と尾鷲を行き来するには矢ノ子峠を越えるしかなかったんですね。
@シュークリーム@
Re: 【 尾鷲 】矢ノ川峠昭和道の隧道探索
シュークリームさん、こんばんわ。
中上健次の「岬」は読んだことありませんが、
昭和20年当時の新宮から名古屋への交通手段として、木之本まで汽車、そしてバスで尾鷲、尾鷲からまた汽車。
まさしく矢ノ川峠を国鉄バスに乗って尾鷲に辿り着いていた記述が書かれているのですね。
昭和20年当時はまだ国鉄の線路が熊野と尾鷲を結んでいなくて国鉄バスによって繋がっていたのですね。
私も機会あれば「岬」を読んでみたくなりました。
石井あつ子さんの「廃道を歩く」という本は読んだことありますか?
その本のなかで「矢ノ川峠の昭和道・明治道」として紹介されています。
石井あつ子さんは一般人ですが、あるきっかけで廃道の魅力に取りつかれて日本全国の廃道を自分の足で歩いて回っています。
その本の中で、「東日本なら万世大路。西日本なら矢ノ川峠」とあり、横綱級の廃道を挙げるならいつの間にか「万世と矢ノ川」と答えるようになったとの事です。
また、「昭和11年~34年の23年間、尾鷲と熊野市の駅を結ぶ唯一の陸上公交通機関だった国鉄バス紀南線のルート・・・尾鷲駅~熊野市駅までは廃道を含む45kmを一日で歩く・・・」とあり、
平成29年9月24日に5時30分から尾鷲駅を出発、国道42号線を南下して矢ノ川峠・・・」と実際に歩いています。
廃道を歩くイベントだったらしいですが、もしまたこのようなイベントがあれば是非参加してみたいですね。
最初の投稿記事に付けた写真に矢ノ川隧道の写真を貼るつもりが第二隧道の写真を二枚つけてしまったので、
あらためて「矢ノ川隧道」の写真を貼っておきます。
この隧道の扁額は立派で、扁額の左側に「丙子初夏 三重県知事 富田次郎書」と小さく書かれているらしいです。
もしシュークリームさんが訪問することがあれば是非確認すれば楽しいかと思います。
私は秋になれば展望の利く矢ノ川峠を高峰山ピストンで行こうかと考えています。
矢ノ川隧道をパスするなら熊野からのアクセスが便利との情報ありです。
seiichi
中上健次の「岬」は読んだことありませんが、
昭和20年当時の新宮から名古屋への交通手段として、木之本まで汽車、そしてバスで尾鷲、尾鷲からまた汽車。
まさしく矢ノ川峠を国鉄バスに乗って尾鷲に辿り着いていた記述が書かれているのですね。
昭和20年当時はまだ国鉄の線路が熊野と尾鷲を結んでいなくて国鉄バスによって繋がっていたのですね。
私も機会あれば「岬」を読んでみたくなりました。
石井あつ子さんの「廃道を歩く」という本は読んだことありますか?
その本のなかで「矢ノ川峠の昭和道・明治道」として紹介されています。
石井あつ子さんは一般人ですが、あるきっかけで廃道の魅力に取りつかれて日本全国の廃道を自分の足で歩いて回っています。
その本の中で、「東日本なら万世大路。西日本なら矢ノ川峠」とあり、横綱級の廃道を挙げるならいつの間にか「万世と矢ノ川」と答えるようになったとの事です。
また、「昭和11年~34年の23年間、尾鷲と熊野市の駅を結ぶ唯一の陸上公交通機関だった国鉄バス紀南線のルート・・・尾鷲駅~熊野市駅までは廃道を含む45kmを一日で歩く・・・」とあり、
平成29年9月24日に5時30分から尾鷲駅を出発、国道42号線を南下して矢ノ川峠・・・」と実際に歩いています。
廃道を歩くイベントだったらしいですが、もしまたこのようなイベントがあれば是非参加してみたいですね。
最初の投稿記事に付けた写真に矢ノ川隧道の写真を貼るつもりが第二隧道の写真を二枚つけてしまったので、
あらためて「矢ノ川隧道」の写真を貼っておきます。
この隧道の扁額は立派で、扁額の左側に「丙子初夏 三重県知事 富田次郎書」と小さく書かれているらしいです。
もしシュークリームさんが訪問することがあれば是非確認すれば楽しいかと思います。
私は秋になれば展望の利く矢ノ川峠を高峰山ピストンで行こうかと考えています。
矢ノ川隧道をパスするなら熊野からのアクセスが便利との情報ありです。
seiichi
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