【高見山地】髯山の大日如来と矢頭山の蔵王権現
Posted: 2025年7月21日(月) 05:33
【日 付】2025年7月19日(土)
【山 域】高見山地
【コース】髯山登山口8:00---9:00髯山---11:30矢頭山---14:00清水峠---14:30髯山登山口
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.561354/13 ... z0r0s0m0f1
北畠氏の時代の狼煙場がある髯山から矢頭山を越え矢頭峠に下り清水峠を越えて八の字周回をすることにした。嬉野小原の垣内林道分岐に駐車し髯山登山道を進むと垣内集落が土石流で流された時の供養塔が立っている。家屋は無いが、宅地の裏に祠が祀ってあったり畑の石垣に石仏を祀っていた石組が残っていたりする。林道から山道に入り鉄塔を過ぎると髯山だった。
髯山(ひげやま)は火揚山(ひあげやま)がなまってこう呼ばれたと地元で言われている。別名は篝嶽(かがりたけ)ともいわれ、北畠氏の時代に山頂で篝火(かがりび)を焚いて四方との連絡をとった所だった。多気の篝嶽で焚かれた狼煙(ろうえん)を髯山で受け、後山の黒米城、阿坂城、堀坂山へと伝わり、南勢の玉城城や大湊等の拠点に通じたようだ。山頂からは黒米城、阿坂城、堀坂山、大湊が見える。三方を石垣で囲まれた狼煙場(のろしば)が黒米城に向けて口を開けている。そして山頂には大日如来の銅像が祀られていた。
髯山から清水峠に向かって下るが、急な岩尾根のロープ場が続きロープが無ければ登山道とは思えない感じだ。大きな磐座が出てきたので回り込むと祠のように組まれた行者岩で、前の谷に一枚岩から流れ落ちる滝があり修験の行場だったようだ。尾根が落ち着きだすと清水峠に着いた。峠を上り返し矢頭山南西尾根に取りつく。植林の中を道は続いているが、真っ直ぐな尾根ではないので支尾根に注意しながら進む。嵓が出だすと頂上部は近い。岩尾根を挟むようにロープが両側に張ってある場所に出た、見覚えがあり矢頭山登山道に合流したようだ。ロープの張られた嵓を越えていくと山頂に着いた。
矢頭山は役行者が二本の白羽の矢が山をかすめたことから名がつけられ蔵王権現を祀った。蔵王権現の祠があり、矢頭山一帯は修験の行場が連なる地域になる。急な下りも整備されているので問題ないが、最後の延々と続く階段は歩きにくく閉口した。降り立った矢頭峠は北畠氏の関所があった所で優し気に微笑んでいる地蔵が置かれている。山口集落に下っていく道端に「南無地蔵菩薩」「南無阿弥陀仏」と彫られた石柱があった。
八手俣川沿いに中町まで歩き、清水峠への道に入る。現在の県道はP462を左から巻いているが谷沿いに右から巻いているのが昔からの道になる。古道をたどると三重県の標柱がたくさんあり、県道であったころの名残だろう。とはいうものの林道ではなくただの山道だ。清水峠の直下には台座に座った石仏と地蔵の石像が置かれていた。
峠から嬉野小原に下り中村川沿いに上っていくと石積の上に自然石の石仏が置かれている。「大日」と書かれており大日如来の石仏だ。小原の下流部にも灯篭や石仏、祠、五輪塔などが集められている所がある。明治の廃仏毀釈の際に集めたようだが、ここにも大日の石仏に阿修羅を納めた石祠があった。
清水峠をはさんで美杉町下之川の流域と嬉野小川町の流域を歩いた。矢頭山に伊勢山上という修験の中心地だけあって、髯山だけでなく山麓の集落にも修験道の色合いが深く刻まれていた。
【山 域】高見山地
【コース】髯山登山口8:00---9:00髯山---11:30矢頭山---14:00清水峠---14:30髯山登山口
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.561354/13 ... z0r0s0m0f1
北畠氏の時代の狼煙場がある髯山から矢頭山を越え矢頭峠に下り清水峠を越えて八の字周回をすることにした。嬉野小原の垣内林道分岐に駐車し髯山登山道を進むと垣内集落が土石流で流された時の供養塔が立っている。家屋は無いが、宅地の裏に祠が祀ってあったり畑の石垣に石仏を祀っていた石組が残っていたりする。林道から山道に入り鉄塔を過ぎると髯山だった。
髯山(ひげやま)は火揚山(ひあげやま)がなまってこう呼ばれたと地元で言われている。別名は篝嶽(かがりたけ)ともいわれ、北畠氏の時代に山頂で篝火(かがりび)を焚いて四方との連絡をとった所だった。多気の篝嶽で焚かれた狼煙(ろうえん)を髯山で受け、後山の黒米城、阿坂城、堀坂山へと伝わり、南勢の玉城城や大湊等の拠点に通じたようだ。山頂からは黒米城、阿坂城、堀坂山、大湊が見える。三方を石垣で囲まれた狼煙場(のろしば)が黒米城に向けて口を開けている。そして山頂には大日如来の銅像が祀られていた。
髯山から清水峠に向かって下るが、急な岩尾根のロープ場が続きロープが無ければ登山道とは思えない感じだ。大きな磐座が出てきたので回り込むと祠のように組まれた行者岩で、前の谷に一枚岩から流れ落ちる滝があり修験の行場だったようだ。尾根が落ち着きだすと清水峠に着いた。峠を上り返し矢頭山南西尾根に取りつく。植林の中を道は続いているが、真っ直ぐな尾根ではないので支尾根に注意しながら進む。嵓が出だすと頂上部は近い。岩尾根を挟むようにロープが両側に張ってある場所に出た、見覚えがあり矢頭山登山道に合流したようだ。ロープの張られた嵓を越えていくと山頂に着いた。
矢頭山は役行者が二本の白羽の矢が山をかすめたことから名がつけられ蔵王権現を祀った。蔵王権現の祠があり、矢頭山一帯は修験の行場が連なる地域になる。急な下りも整備されているので問題ないが、最後の延々と続く階段は歩きにくく閉口した。降り立った矢頭峠は北畠氏の関所があった所で優し気に微笑んでいる地蔵が置かれている。山口集落に下っていく道端に「南無地蔵菩薩」「南無阿弥陀仏」と彫られた石柱があった。
八手俣川沿いに中町まで歩き、清水峠への道に入る。現在の県道はP462を左から巻いているが谷沿いに右から巻いているのが昔からの道になる。古道をたどると三重県の標柱がたくさんあり、県道であったころの名残だろう。とはいうものの林道ではなくただの山道だ。清水峠の直下には台座に座った石仏と地蔵の石像が置かれていた。
峠から嬉野小原に下り中村川沿いに上っていくと石積の上に自然石の石仏が置かれている。「大日」と書かれており大日如来の石仏だ。小原の下流部にも灯篭や石仏、祠、五輪塔などが集められている所がある。明治の廃仏毀釈の際に集めたようだが、ここにも大日の石仏に阿修羅を納めた石祠があった。
清水峠をはさんで美杉町下之川の流域と嬉野小川町の流域を歩いた。矢頭山に伊勢山上という修験の中心地だけあって、髯山だけでなく山麓の集落にも修験道の色合いが深く刻まれていた。
【高見山地】髯山の大日如来と矢頭山の蔵王権現