【高見山地】深野棚田よりあららぎ道
Posted: 2025年6月09日(月) 05:18
【日 付】2025年6月7日(土)
【山 域】高見山地
【コース】深野棚田9:00---11:10鞍部---12:30蘭神社---15:15深野棚田
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.501818/13 ... z0r0s0m0f1
蘭神社への参拝道を示す「あららぎ道」の道標は多く残されている。北畠氏の本拠地だった多気から松阪に抜ける最短ルートとして使われていたのは知っていたが。櫛田川沿いにもいくつかあり、山越えをして蘭に至る道があるようなので探索に出かけた。
深野棚田は室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓された棚田で、山の斜面に石積みが120段ほど連なっている。駐車場より夏明登山口の反対側の村はずれにある大日如来を見に行く。ひときわ高く積まれた庚申の石積みの祠には、真ん中に役行者、右に青面金剛、左に仏師の石像が祀られていた。林道を進むと、夏明組と書かれた鳥居の奥に山の神と唐戸岩の木の祠が建っていた。唐戸岩の祠の裏には注連縄のかけられた大岩があり唐戸岩のようだ。奥の小屋には大日如来と石祠を正面に9体の石仏が並んでいる。小屋にも鳥居にも男女のシンボルを表す陽石と陰石が置かれていた。
鳥居近くの桜の木には竹に御弊がつけられている。地元の人に聞くと「夏明・長野・鍛治屋瀬・神路山の上深野4集落の浅間さんで、持ち回りで浅間祭りを今も行っている。これとは別に冬には夏明の山の神神事もおこなっている。」との事だった。
赤坂峠を越え神路山のはずれの「右あららぎ」の道標より取りつく。立派な溝道が続いており、谷に下る道との分岐にはあららぎ道の道標が2か所立っていた。驚いたのは石畳道の区間が2か所あった事だ。深野にあった眼科医院に通うために一志方面の人たちが通ったことから「目医者みち」と呼ばれただけのことはある。明治時代には電報配達の人が山を越え、昭和30年頃まで牛が通っていたそうだ。
尾根の分岐に各家山林入口の看板があり「源兵衛・儀兵衛・兵四郎・儀八・与曽兵衛・治右衛門・長助・宇助・惣助分家」と屋号で書かれている。尾根が立ってきてどうするのかと思うと道はトラバースしながら大きく九十九折を切りながら難なく越えていった。破線道はP810には上らずに斜面をトラバースしながら鞍部を目指している。このトラバース道だけは自然に帰りつつあり、今や牛は通れない。
鞍部から下る蘭側の谷はゆるやかですぐに林道につながる。柚原が見える分岐には石仏と「右山みち」の道標があった。柚原には中世の墓になる宝篋印塔3基が残されており、柚原城があった。山みちから蘭神社の谷に向け山越えする。破線道は稜線下までZTVの林道がつけられており楽勝かと思いきや、林道終点だった。破線道は残っているだろうと下るが、道は残っていない。尾根筋で途中まで下り最後は小谷から川筋に軟着陸した。目的地の蘭神社の先の分岐には。「右あららぎ道 左たげ道」の道標があり、多気につながるもう一つのあららぎ道がきていた。車道では蘭神社はどん付きの終点になるが、山越えが当たり前だった頃には多気・飯南・松阪につながる交通の要衝だった。
自転車で峠を2つ越えるアップダウンだらけの20kmの道のりが待っていた。
【山 域】高見山地
【コース】深野棚田9:00---11:10鞍部---12:30蘭神社---15:15深野棚田
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.501818/13 ... z0r0s0m0f1
蘭神社への参拝道を示す「あららぎ道」の道標は多く残されている。北畠氏の本拠地だった多気から松阪に抜ける最短ルートとして使われていたのは知っていたが。櫛田川沿いにもいくつかあり、山越えをして蘭に至る道があるようなので探索に出かけた。
深野棚田は室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓された棚田で、山の斜面に石積みが120段ほど連なっている。駐車場より夏明登山口の反対側の村はずれにある大日如来を見に行く。ひときわ高く積まれた庚申の石積みの祠には、真ん中に役行者、右に青面金剛、左に仏師の石像が祀られていた。林道を進むと、夏明組と書かれた鳥居の奥に山の神と唐戸岩の木の祠が建っていた。唐戸岩の祠の裏には注連縄のかけられた大岩があり唐戸岩のようだ。奥の小屋には大日如来と石祠を正面に9体の石仏が並んでいる。小屋にも鳥居にも男女のシンボルを表す陽石と陰石が置かれていた。
鳥居近くの桜の木には竹に御弊がつけられている。地元の人に聞くと「夏明・長野・鍛治屋瀬・神路山の上深野4集落の浅間さんで、持ち回りで浅間祭りを今も行っている。これとは別に冬には夏明の山の神神事もおこなっている。」との事だった。
赤坂峠を越え神路山のはずれの「右あららぎ」の道標より取りつく。立派な溝道が続いており、谷に下る道との分岐にはあららぎ道の道標が2か所立っていた。驚いたのは石畳道の区間が2か所あった事だ。深野にあった眼科医院に通うために一志方面の人たちが通ったことから「目医者みち」と呼ばれただけのことはある。明治時代には電報配達の人が山を越え、昭和30年頃まで牛が通っていたそうだ。
尾根の分岐に各家山林入口の看板があり「源兵衛・儀兵衛・兵四郎・儀八・与曽兵衛・治右衛門・長助・宇助・惣助分家」と屋号で書かれている。尾根が立ってきてどうするのかと思うと道はトラバースしながら大きく九十九折を切りながら難なく越えていった。破線道はP810には上らずに斜面をトラバースしながら鞍部を目指している。このトラバース道だけは自然に帰りつつあり、今や牛は通れない。
鞍部から下る蘭側の谷はゆるやかですぐに林道につながる。柚原が見える分岐には石仏と「右山みち」の道標があった。柚原には中世の墓になる宝篋印塔3基が残されており、柚原城があった。山みちから蘭神社の谷に向け山越えする。破線道は稜線下までZTVの林道がつけられており楽勝かと思いきや、林道終点だった。破線道は残っているだろうと下るが、道は残っていない。尾根筋で途中まで下り最後は小谷から川筋に軟着陸した。目的地の蘭神社の先の分岐には。「右あららぎ道 左たげ道」の道標があり、多気につながるもう一つのあららぎ道がきていた。車道では蘭神社はどん付きの終点になるが、山越えが当たり前だった頃には多気・飯南・松阪につながる交通の要衝だった。
自転車で峠を2つ越えるアップダウンだらけの20kmの道のりが待っていた。
【高見山地】深野棚田よりあららぎ道