【奥越】 真名川ダムから荒島岳へ あの日置いてきたこころを拾いに出かけて
Posted: 2025年4月11日(金) 11:24
【日 付】 2025年3月19日
【山 域】 奥越 荒島岳周辺
【天 候】 晴れ
【メンバー】 夫 sato
【コース】 真名川ダム~△1119・9持篭谷山~・1209~荒島岳~小荒島岳~
中出登山口~真名川ダムP
うっすらと白み始めた空を見上げ、うん、と頷き、車中泊していた道の駅荒島の郷を出発し真名川ダムへと向かう。
佐開の集落を過ぎ、五条方発電所の辺りに来ると路面に雪が出てきた。昨日からの雨は、ここでは夜は雪だったのだ。
ダムまで行けるのか心配になりながら、ゆっくりと車を走らせていくが、積雪は数センチに留まり、
トンネルを抜け無事ダムの駐車場に駐車することができ、ほっとする。そして、外に出て、あっ、と息を呑んだ。
持篭谷を囲む山が、えも言われぬ鉛白色に光っている。
一面霧氷に覆われている!
人は物語を持った存在であり、物語を求めてしまう存在。あの日から4年。あの日登ることが出来なくて、
その後も機会に恵まれなかったのは、今日という日が来ることになっていたからなのだ、と早速ストーリーを持たせてしまう。
6時ちょうど、スノーシューを履いて雪の積もったダムの橋を渡り始める。新雪でふくらはぎの下ぐらいまで潜る。
山中に入り、ズルズルと滑りながら急こう配の斜面を登りきると、自然林の広々としたまっ白な尾根に出た。
木々も全身に雪を纏ってまっ白。もうお彼岸、新雪は味わえないだろうなぁと思っていたら見事な雪景色。
わぁと気持ちが昂る。一方、夫はというと、くしゃみを連続して調子が今一つという感じ。
荒島岳に行こうと言ったのはわたしだ。ラッセルはわたしがするね、と言って前を行く。
ふくらはぎの上まで潜るようになったが、まっさらな雪に足跡を刻むのがうれしくて、足も順調に動いてくれる。
広い尾根がさらに広がっていくとあたりはブナの森に。
たっぷりの雪でやわらかにうねる雪面と霧氷のブナの木々に見とれていると太陽が昇ってきた。
しんと静まり返った森が、ぶるっと微かにふるえ、純白の光彩を放ち始める。
「わぁ」まだまだ先は長いのに、刹那の輝きを浴び、暫しの間動けなくなってしまう。
はやる気持ちと去り難い気持ちに包まれながら歩みを進めていくと、視界が開け、雪稜に出た。
歩きながら、さらに感動的な風景を思い描いていた。さらに感動するわたしを思い描いていた。
でも、おおいなる自然は、ちっぽけなわたしの陳腐な想像を超える壮観な世界を描いてくださっていた。
足元から縫ヶ原山へと延びる稜線を覆う灌木は、まっさらな雪で埋め尽くされ、眼下に広がる大野盆地も一面の雪。
見渡す山々は全面霧氷で飾られている。
そして、全てが、透き通った青空の色を吸い込んだように白縹色に染まり、きらきらと煌めいている。
砦のように延びる尾根の奥に鎮座する荒島岳は、何という神々しさなのだろう。須弥山のよう、と思ってしまう。
こころ震えながら滑らかに波打つ雪稜を進んでいく。
彼方に鎮座していた荒島岳が、より高くより大きくなっていく。
いよいよ、気高きお姿が真正面に。
1209mジャンクションピークに到着した。10時。出発してから4時間が経っていた。
目の前に繰り広げられる風景に酔いしれ時間を忘れていたが、深雪で結構時間がかかっていた。
どうしよう。限られた時間という現実が頭の中を渦巻く。
縫ヶ原山も見事な霧氷。西尾根に張り出した雪庇もさぞかしうつくしいだろう。地図も持っている。
何より夫の調子が上がらない。縫ヶ原山にしようか。夢見続けた南稜を眼前にして迷いが出てしまう。
わたしにとって荒島岳は、ある時から他の山とは違う特別な思いを持つ山となり、南稜も強い感情を抱く雪稜となった。
ある時とは、父が亡くなった時である。特別な思いとは、物語を感じ、さらに物語を求めてしまうと言い換えられる。
そして物語を求め、呆然とする出来事に見舞われ、より物語を感じてしまう山となった。
始まりは、4年前の2月6日、山日和さんとの縫ケ原山周回の山旅で、ここジャンクションピークに立った時に遡る。
うつくしい曲線を描きながら荒島岳山頂へと続いていく雪稜にこころを奪われた。
それから3週間後の2月28日、物語が動き始める。この日、お客様と勝原から荒島岳に登る機会に恵まれた。
青い空が広がるまっ白な山頂に立つことができ、よかったと喜びあった。
下る前、そっと純白に煌めく南稜を見下ろした。その時、来月早々にこの稜線を歩き、またこの地に立つのだと思った。
胸が高鳴り、また参ります、とこころの中で手を合わせ山頂を後にした。
何かよくないことが起こった時、直前のことを振り返り、根拠はなくても「あれは虫の知らせだったのかな」と思うことがある。
下山して車の運転していた時のお客様との会話は、まさに「虫の知らせ」だったのかな、と思ってしまう。
楽しい山旅だったのに山の話はせずに、何故かお互いの家族のこと、特に父親のことを延々と話していたのだ。
それまでプライベートなことは話したことがなかったのに、2時間ぐらい止め処なく。
最後に、明日のことは誰にも分からないですね、親は老いている、会える時に会っておかなければ、
会えなくても連絡は取り合いたいですよね、老いた親と後悔しない思い出を重ねたいですよね、などと言いながらお別れした。
帰宅してから、さらに父のことをいろいろと思い出していた。
父とは2年会っていないし電話で話もしていない。よし明日電話しようと思った。
でも翌日、電話するはずだったのに、時間は十分にあったのに、まぁその内にと思ってしまい、かけずに終わり寝てしまった。
その日の晩から次の日にかけての夜中、父は脳梗塞を起こし意識を失った。
会える時に会っておかなければ、と話した2日後の3月2日、父と再会した。でも、こんな形で再会するなんて。
病院のベットに寝ていた父は、いくら呼びかけても無反応で、ぐーぐーといびきをかいているばかりだった。
3月4日、父は一度も目を覚まさずに亡くなった。
「老いた親と後悔しない思い出を重ねたいですよね」と軽々しく言っていたわたしは、大馬鹿者だった。
自宅に戻ると、あぁ、わたしは、父が亡くなる以前のわたしには戻れず、
以後を生きていくしかないのだという悲しみで胸が張り裂けそうになった。
父が倒れる直前、荒島岳で希望に満ちていたわたしはもういないのだ、と部屋の窓から空を見上げて思った。
人は苦しみや悲しみに直面した時、何故?と問い、意味や理由を求めてしまう。
自分の中で物語を作らずにはいられなくなるのだと思う。わたしも出鱈目でも物語が欲しかったのだろう。
荒島岳に登るのだという思いに駆り立てられ、何日か後の夜明け前、真名川ダムへと向かっていた。
そして、ダムの駐車場で縁石に乗り上げてしまい、弾みで溝に落ちてしまうという事故を起こした。
呆然となった。神様は何て意地悪なのだろうと思った。
でも、数時間後にレッカー車が来た頃には、悲しくて落ち込んでいたけれど、意味というか納得みたいなものを感じていた。
納得するために物語を作っていた。
数日前から歯が痛くなり、どんどんと痛みが増し、鎮痛剤を飲んで車を運転していた。
精神状態もちょっとおかしかったのだろう。こんな状態で、ひとりで雪山に分け入るのは危険だ。
危機感を覚えた父が、歯痛を酷くさせて山を止めさせようとしたけれどだめで、最後の手段として事故を起こさせたのかな、と。
「お父さん、山に登っていたら取り返しのつかないことになっていたかもね。ありがとね。いつか、もっとまっ白な時に登るね」
ぼんやりと霞んだ水色の空に浮かぶまだら雪の山並みを仰ぎ見てダムを後にした。
あの日以前とあの日以後。荒島岳は、父が亡くなった日前後のわたしのこころを感じる、父を感じる、物語を感じるお山なのである。
夫は、わたしの思いは知らない。荒島岳への思いもない。雪が深いなぁともぼやいている。
縫ヶ原山にしよう、と言うのではと思った。
ところが「あと3時間。タイムリミットの13時にはなんとか着けそうかな」と言って、勢いよく南稜へと足を踏み込んだ。
今まで後ろを歩くだけだったのに。いきなりの変わりようにびっくりするが、よし、とうれしさに包まれ、
憧れの白き雪稜にわたしも飛び込んでいく。
今シーズンの積雪量は膨大だ。その上にまとまった新雪が積もり、稜線は大波のような雪庇が続いていく。
その先には光り輝く荒島岳。圧巻な風景に圧倒され、すごいとしか言葉が出て来ない。
青空とたっぷりの新雪と霧氷が織りなす、この時期奇跡のような風景の中に足跡を刻ませていく。
しかし、どんなに風景がうつくしくても足元は甘くない。滑らかで気持ちよさそうに見える雪面も足を置けばズボリと潜る。
雪穴やクラックも潜んでいる。膝下ラッセルで、時にふとももまで踏み抜き牛歩の歩み。
11時に・1191に着いたが、ここはジャンクションピークより標高が低い。時間が気になってくる。
・1265手前からは、カリカリの箇所が出てくるようになり、ちょっと息抜き出来るが、そのあとは膝まで潜り、
より足が重くなることの繰り返しに。
広大な二重山稜のような不思議な地形が現れた。ここはどこなのだろう。青と白の荘厳な世界に迷い込んだような感覚になる。
標高1000mを少し越えた地にいるのが信じられない。
標高1300mを越えたあたりで、この先カリカリの急斜面が出てくると心配なのでアイゼンに履き替える。
でも途端に太もも近くまで潜ってしまう。
「ササの無さそうなところを歩いて」という夫の声が聞こえたが、雪の下は一面ササだろう。
振り向くと夫は腰まで潜ってもがいていた。これは無理だ。
何とかスノーシューに履き直して、頻繁に先頭を交代しながら一歩を踏みしめていく。
傾斜が増してきた。カリカリの箇所はなく膝ラッセルが続いていく。
時間はどんどんと過ぎていく。そして、あっという間にタイムリミットの13時になってしまった。
でも、GPSで現在地を確認すると山頂まで100mを切っている。あともう少しだ。進もう。
根性で足を上げる。
登山者の姿が見えた。
傾斜が緩くなり、すぅっと潜りが浅くなり、純白の連峰が目を射った。あぁ白山!
13時18分、1523.4mの山頂に到達した。
お互いの第一声は「ラッセル頑張ってよかったぁ」
女神さまのご褒美のような大絶景の真ん中で、にこりと笑う。
さて、これからどうしようか。
南稜を戻るか、小荒島岳の方に進むか。南稜は、この雪だとジャンクションピークまで行きと同じくらい時間がかかりそうだ。
中出までは3時間。そこからダムまで2時間ぐらいか。
小荒島岳を見ると誰も歩いていないようだ。シャクナゲ平へも一本のラインが続いているだけ。きれいな雪面を楽しめる。
中荒島岳にかけてのダイナミックな雪稜も味わいたい。
ふたりとも考えは同じだった。
車道なら日が暮れてしまっても大丈夫。ちょっとゆっくりしよう。風もほとんどない。
ドカッと腰を下ろして、パンをほおばりながら、至福の風景をこころに刻む。
13時40分、スノーシューを履いたままシャクナゲ平に向かって下り始める。
何回か歩いたことがあるけれど、スノーシューで歩くのは初めてだ。
こちらの雪稜も目を見張るばかりだった。
麓から日帰りで、こんなにもゾクゾクする天空の白き峰を味わえるのだから人気があるのも当然だ。
どれだけの雪が積もっているのだろう。なんてこころ躍る雪稜なのだろう。まっさらな雪面を駆け下りる。
でも、ここにも落とし穴が潜んでいる。ふたりともズボッと踏み抜き、その下の空洞を見て怖くなり、トレース頼りとなる。
シャクナゲ平から先は、やはり誰も歩いていなかった。
南稜よりも潜らず、気持ちに余裕が出来たので、小荒島岳で最後の展望を楽しむ。
ここからは一気に下っていく。標高1070mから登山道から外れ、△1040.2の鞍部手前から谷を下りながら尾根に乗り、
登山道のあたりに復帰する。最後は谷をひたすら下っていく。
予定通り、15時30分過ぎ、中出登山口に降り立つことが出来た。
ここからは雪の無い車道歩きだ。夫がグーグルで距離を確認して、ダムまで8キロ以上あることが分かったが、
スノーシューを脱いで足が軽くなったので大丈夫。中出の集落に出て、木落、佐開と集落を結ぶ道を歩いていく。
まっ白な田んぼと集落の風景がしみじみとうつくしく、銀杏峰や浄法寺山方面の山並みも見渡せて楽しく歩ける。
リュックを背負って田舎道を何キロも歩いていたよね。あちこちを旅していた頃のことも思い出し、話も弾む。
真名川に架かる橋を渡り、国道に出た。五条方発電所あたりから路面を覆っていた雪もすっかりと融けている。
砕石所が見えた。4年前、事故の後保険会社と連絡を取るのに、ここまで降りてきて電話をかけていた。
トンネルが見えた。抜けるとダムだ。
18時35分。薄暗くなったが、ヘッドランプ無しで戻ってくることができた。
車は来ないだろう。明るいトンネル出口で荷物の片づけをすることにして、リュックを置いてひとり駐車地に向かう。
愛車のドアを開ける前、瞑色の空に浮かぶ白い山並みを仰ぎ見る。
わたしは、今、なんて晴れ晴れとした気持ちでいるのだろう、とうれしさがこみ上げる。道中もそうだった。
感傷にひたりながら歩くのかな、山頂では感涙にむせぶのかなと思ったが、
ただただ、今、この瞬間に感動し、驚き、楽しんでいた。今日だけではない。父が亡くなってからも、思いっきり山を楽しんできた。
「あの日以前も以後も、わたしはわたし。変わらないね、お父さん」
これからも荒島岳は、父を感じる特別の山であり続けるだろう。
あの日以前あの日以後を超え、全てを包み込むおおいなる存在として。
ぶるっと震えが来た。寒い!夫を待たせている!
急いで車に乗り込んでエンジンをかけて、路面をゆっくりと見渡し、障害物がないのを確認して、そっとアクセルを踏む。
ここでまた事故を起こしたら喜劇だ。
sato
【山 域】 奥越 荒島岳周辺
【天 候】 晴れ
【メンバー】 夫 sato
【コース】 真名川ダム~△1119・9持篭谷山~・1209~荒島岳~小荒島岳~
中出登山口~真名川ダムP
うっすらと白み始めた空を見上げ、うん、と頷き、車中泊していた道の駅荒島の郷を出発し真名川ダムへと向かう。
佐開の集落を過ぎ、五条方発電所の辺りに来ると路面に雪が出てきた。昨日からの雨は、ここでは夜は雪だったのだ。
ダムまで行けるのか心配になりながら、ゆっくりと車を走らせていくが、積雪は数センチに留まり、
トンネルを抜け無事ダムの駐車場に駐車することができ、ほっとする。そして、外に出て、あっ、と息を呑んだ。
持篭谷を囲む山が、えも言われぬ鉛白色に光っている。
一面霧氷に覆われている!
人は物語を持った存在であり、物語を求めてしまう存在。あの日から4年。あの日登ることが出来なくて、
その後も機会に恵まれなかったのは、今日という日が来ることになっていたからなのだ、と早速ストーリーを持たせてしまう。
6時ちょうど、スノーシューを履いて雪の積もったダムの橋を渡り始める。新雪でふくらはぎの下ぐらいまで潜る。
山中に入り、ズルズルと滑りながら急こう配の斜面を登りきると、自然林の広々としたまっ白な尾根に出た。
木々も全身に雪を纏ってまっ白。もうお彼岸、新雪は味わえないだろうなぁと思っていたら見事な雪景色。
わぁと気持ちが昂る。一方、夫はというと、くしゃみを連続して調子が今一つという感じ。
荒島岳に行こうと言ったのはわたしだ。ラッセルはわたしがするね、と言って前を行く。
ふくらはぎの上まで潜るようになったが、まっさらな雪に足跡を刻むのがうれしくて、足も順調に動いてくれる。
広い尾根がさらに広がっていくとあたりはブナの森に。
たっぷりの雪でやわらかにうねる雪面と霧氷のブナの木々に見とれていると太陽が昇ってきた。
しんと静まり返った森が、ぶるっと微かにふるえ、純白の光彩を放ち始める。
「わぁ」まだまだ先は長いのに、刹那の輝きを浴び、暫しの間動けなくなってしまう。
はやる気持ちと去り難い気持ちに包まれながら歩みを進めていくと、視界が開け、雪稜に出た。
歩きながら、さらに感動的な風景を思い描いていた。さらに感動するわたしを思い描いていた。
でも、おおいなる自然は、ちっぽけなわたしの陳腐な想像を超える壮観な世界を描いてくださっていた。
足元から縫ヶ原山へと延びる稜線を覆う灌木は、まっさらな雪で埋め尽くされ、眼下に広がる大野盆地も一面の雪。
見渡す山々は全面霧氷で飾られている。
そして、全てが、透き通った青空の色を吸い込んだように白縹色に染まり、きらきらと煌めいている。
砦のように延びる尾根の奥に鎮座する荒島岳は、何という神々しさなのだろう。須弥山のよう、と思ってしまう。
こころ震えながら滑らかに波打つ雪稜を進んでいく。
彼方に鎮座していた荒島岳が、より高くより大きくなっていく。
いよいよ、気高きお姿が真正面に。
1209mジャンクションピークに到着した。10時。出発してから4時間が経っていた。
目の前に繰り広げられる風景に酔いしれ時間を忘れていたが、深雪で結構時間がかかっていた。
どうしよう。限られた時間という現実が頭の中を渦巻く。
縫ヶ原山も見事な霧氷。西尾根に張り出した雪庇もさぞかしうつくしいだろう。地図も持っている。
何より夫の調子が上がらない。縫ヶ原山にしようか。夢見続けた南稜を眼前にして迷いが出てしまう。
わたしにとって荒島岳は、ある時から他の山とは違う特別な思いを持つ山となり、南稜も強い感情を抱く雪稜となった。
ある時とは、父が亡くなった時である。特別な思いとは、物語を感じ、さらに物語を求めてしまうと言い換えられる。
そして物語を求め、呆然とする出来事に見舞われ、より物語を感じてしまう山となった。
始まりは、4年前の2月6日、山日和さんとの縫ケ原山周回の山旅で、ここジャンクションピークに立った時に遡る。
うつくしい曲線を描きながら荒島岳山頂へと続いていく雪稜にこころを奪われた。
それから3週間後の2月28日、物語が動き始める。この日、お客様と勝原から荒島岳に登る機会に恵まれた。
青い空が広がるまっ白な山頂に立つことができ、よかったと喜びあった。
下る前、そっと純白に煌めく南稜を見下ろした。その時、来月早々にこの稜線を歩き、またこの地に立つのだと思った。
胸が高鳴り、また参ります、とこころの中で手を合わせ山頂を後にした。
何かよくないことが起こった時、直前のことを振り返り、根拠はなくても「あれは虫の知らせだったのかな」と思うことがある。
下山して車の運転していた時のお客様との会話は、まさに「虫の知らせ」だったのかな、と思ってしまう。
楽しい山旅だったのに山の話はせずに、何故かお互いの家族のこと、特に父親のことを延々と話していたのだ。
それまでプライベートなことは話したことがなかったのに、2時間ぐらい止め処なく。
最後に、明日のことは誰にも分からないですね、親は老いている、会える時に会っておかなければ、
会えなくても連絡は取り合いたいですよね、老いた親と後悔しない思い出を重ねたいですよね、などと言いながらお別れした。
帰宅してから、さらに父のことをいろいろと思い出していた。
父とは2年会っていないし電話で話もしていない。よし明日電話しようと思った。
でも翌日、電話するはずだったのに、時間は十分にあったのに、まぁその内にと思ってしまい、かけずに終わり寝てしまった。
その日の晩から次の日にかけての夜中、父は脳梗塞を起こし意識を失った。
会える時に会っておかなければ、と話した2日後の3月2日、父と再会した。でも、こんな形で再会するなんて。
病院のベットに寝ていた父は、いくら呼びかけても無反応で、ぐーぐーといびきをかいているばかりだった。
3月4日、父は一度も目を覚まさずに亡くなった。
「老いた親と後悔しない思い出を重ねたいですよね」と軽々しく言っていたわたしは、大馬鹿者だった。
自宅に戻ると、あぁ、わたしは、父が亡くなる以前のわたしには戻れず、
以後を生きていくしかないのだという悲しみで胸が張り裂けそうになった。
父が倒れる直前、荒島岳で希望に満ちていたわたしはもういないのだ、と部屋の窓から空を見上げて思った。
人は苦しみや悲しみに直面した時、何故?と問い、意味や理由を求めてしまう。
自分の中で物語を作らずにはいられなくなるのだと思う。わたしも出鱈目でも物語が欲しかったのだろう。
荒島岳に登るのだという思いに駆り立てられ、何日か後の夜明け前、真名川ダムへと向かっていた。
そして、ダムの駐車場で縁石に乗り上げてしまい、弾みで溝に落ちてしまうという事故を起こした。
呆然となった。神様は何て意地悪なのだろうと思った。
でも、数時間後にレッカー車が来た頃には、悲しくて落ち込んでいたけれど、意味というか納得みたいなものを感じていた。
納得するために物語を作っていた。
数日前から歯が痛くなり、どんどんと痛みが増し、鎮痛剤を飲んで車を運転していた。
精神状態もちょっとおかしかったのだろう。こんな状態で、ひとりで雪山に分け入るのは危険だ。
危機感を覚えた父が、歯痛を酷くさせて山を止めさせようとしたけれどだめで、最後の手段として事故を起こさせたのかな、と。
「お父さん、山に登っていたら取り返しのつかないことになっていたかもね。ありがとね。いつか、もっとまっ白な時に登るね」
ぼんやりと霞んだ水色の空に浮かぶまだら雪の山並みを仰ぎ見てダムを後にした。
あの日以前とあの日以後。荒島岳は、父が亡くなった日前後のわたしのこころを感じる、父を感じる、物語を感じるお山なのである。
夫は、わたしの思いは知らない。荒島岳への思いもない。雪が深いなぁともぼやいている。
縫ヶ原山にしよう、と言うのではと思った。
ところが「あと3時間。タイムリミットの13時にはなんとか着けそうかな」と言って、勢いよく南稜へと足を踏み込んだ。
今まで後ろを歩くだけだったのに。いきなりの変わりようにびっくりするが、よし、とうれしさに包まれ、
憧れの白き雪稜にわたしも飛び込んでいく。
今シーズンの積雪量は膨大だ。その上にまとまった新雪が積もり、稜線は大波のような雪庇が続いていく。
その先には光り輝く荒島岳。圧巻な風景に圧倒され、すごいとしか言葉が出て来ない。
青空とたっぷりの新雪と霧氷が織りなす、この時期奇跡のような風景の中に足跡を刻ませていく。
しかし、どんなに風景がうつくしくても足元は甘くない。滑らかで気持ちよさそうに見える雪面も足を置けばズボリと潜る。
雪穴やクラックも潜んでいる。膝下ラッセルで、時にふとももまで踏み抜き牛歩の歩み。
11時に・1191に着いたが、ここはジャンクションピークより標高が低い。時間が気になってくる。
・1265手前からは、カリカリの箇所が出てくるようになり、ちょっと息抜き出来るが、そのあとは膝まで潜り、
より足が重くなることの繰り返しに。
広大な二重山稜のような不思議な地形が現れた。ここはどこなのだろう。青と白の荘厳な世界に迷い込んだような感覚になる。
標高1000mを少し越えた地にいるのが信じられない。
標高1300mを越えたあたりで、この先カリカリの急斜面が出てくると心配なのでアイゼンに履き替える。
でも途端に太もも近くまで潜ってしまう。
「ササの無さそうなところを歩いて」という夫の声が聞こえたが、雪の下は一面ササだろう。
振り向くと夫は腰まで潜ってもがいていた。これは無理だ。
何とかスノーシューに履き直して、頻繁に先頭を交代しながら一歩を踏みしめていく。
傾斜が増してきた。カリカリの箇所はなく膝ラッセルが続いていく。
時間はどんどんと過ぎていく。そして、あっという間にタイムリミットの13時になってしまった。
でも、GPSで現在地を確認すると山頂まで100mを切っている。あともう少しだ。進もう。
根性で足を上げる。
登山者の姿が見えた。
傾斜が緩くなり、すぅっと潜りが浅くなり、純白の連峰が目を射った。あぁ白山!
13時18分、1523.4mの山頂に到達した。
お互いの第一声は「ラッセル頑張ってよかったぁ」
女神さまのご褒美のような大絶景の真ん中で、にこりと笑う。
さて、これからどうしようか。
南稜を戻るか、小荒島岳の方に進むか。南稜は、この雪だとジャンクションピークまで行きと同じくらい時間がかかりそうだ。
中出までは3時間。そこからダムまで2時間ぐらいか。
小荒島岳を見ると誰も歩いていないようだ。シャクナゲ平へも一本のラインが続いているだけ。きれいな雪面を楽しめる。
中荒島岳にかけてのダイナミックな雪稜も味わいたい。
ふたりとも考えは同じだった。
車道なら日が暮れてしまっても大丈夫。ちょっとゆっくりしよう。風もほとんどない。
ドカッと腰を下ろして、パンをほおばりながら、至福の風景をこころに刻む。
13時40分、スノーシューを履いたままシャクナゲ平に向かって下り始める。
何回か歩いたことがあるけれど、スノーシューで歩くのは初めてだ。
こちらの雪稜も目を見張るばかりだった。
麓から日帰りで、こんなにもゾクゾクする天空の白き峰を味わえるのだから人気があるのも当然だ。
どれだけの雪が積もっているのだろう。なんてこころ躍る雪稜なのだろう。まっさらな雪面を駆け下りる。
でも、ここにも落とし穴が潜んでいる。ふたりともズボッと踏み抜き、その下の空洞を見て怖くなり、トレース頼りとなる。
シャクナゲ平から先は、やはり誰も歩いていなかった。
南稜よりも潜らず、気持ちに余裕が出来たので、小荒島岳で最後の展望を楽しむ。
ここからは一気に下っていく。標高1070mから登山道から外れ、△1040.2の鞍部手前から谷を下りながら尾根に乗り、
登山道のあたりに復帰する。最後は谷をひたすら下っていく。
予定通り、15時30分過ぎ、中出登山口に降り立つことが出来た。
ここからは雪の無い車道歩きだ。夫がグーグルで距離を確認して、ダムまで8キロ以上あることが分かったが、
スノーシューを脱いで足が軽くなったので大丈夫。中出の集落に出て、木落、佐開と集落を結ぶ道を歩いていく。
まっ白な田んぼと集落の風景がしみじみとうつくしく、銀杏峰や浄法寺山方面の山並みも見渡せて楽しく歩ける。
リュックを背負って田舎道を何キロも歩いていたよね。あちこちを旅していた頃のことも思い出し、話も弾む。
真名川に架かる橋を渡り、国道に出た。五条方発電所あたりから路面を覆っていた雪もすっかりと融けている。
砕石所が見えた。4年前、事故の後保険会社と連絡を取るのに、ここまで降りてきて電話をかけていた。
トンネルが見えた。抜けるとダムだ。
18時35分。薄暗くなったが、ヘッドランプ無しで戻ってくることができた。
車は来ないだろう。明るいトンネル出口で荷物の片づけをすることにして、リュックを置いてひとり駐車地に向かう。
愛車のドアを開ける前、瞑色の空に浮かぶ白い山並みを仰ぎ見る。
わたしは、今、なんて晴れ晴れとした気持ちでいるのだろう、とうれしさがこみ上げる。道中もそうだった。
感傷にひたりながら歩くのかな、山頂では感涙にむせぶのかなと思ったが、
ただただ、今、この瞬間に感動し、驚き、楽しんでいた。今日だけではない。父が亡くなってからも、思いっきり山を楽しんできた。
「あの日以前も以後も、わたしはわたし。変わらないね、お父さん」
これからも荒島岳は、父を感じる特別の山であり続けるだろう。
あの日以前あの日以後を超え、全てを包み込むおおいなる存在として。
ぶるっと震えが来た。寒い!夫を待たせている!
急いで車に乗り込んでエンジンをかけて、路面をゆっくりと見渡し、障害物がないのを確認して、そっとアクセルを踏む。
ここでまた事故を起こしたら喜劇だ。
sato
人は物語を持った存在であり、物語を求めてしまう存在。あの日から4年。あの日登ることが出来なくて、