【高見山地】局ヶ岳8の字周回
Posted: 2025年4月08日(火) 05:00
【日 付】2025年4月5日(土)
【山 域】高見山地
【コース】局ヶ岳神社P8:15---9:35局ヶ岳---10:42一の宮---12:30局ヶ岳---13:50局ヶ岳神社P
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.461737/13 ... z0r0s0m0f1
局ヶ岳の南麓には木地小屋があり川俣谷の木地師の拠点となっていた。集落には二つの伝承が残されている。ひとつは、紀州徳川家の参勤交代や伊勢参りの途上で和歌山街道を通る際、必ず乗り物を降り、歩いて通過した。また、大名行列の槍持ちは矛先を伏せ、行列の者は木地小屋に鎮座する木地氏の祖とされる惟喬親王に敬意を払ったというもの。もうひとつは木地小屋に生まれた「怪力専故」の伝承になる。どちらも大名行列にかかわった逸話なのがおもしろい。
『怪力専故の足跡』
昔、木地小屋に体の弱い専故という名の子どもがおった。心配した両親のすすめで、岳山の神さんにお願いして、千人力の力を与えてもらった。それからは、村人から怪力専故とよばれるようになった。専故は心のやさしい人に育ち、たたりがあると怖れられていた大きな栃の木を切り倒したり、お殿様の行列の前にたちはだかって動こうとしない大牛を差し上げて、道端に寄せるなど、みんなのために力を尽くしていた。この石のくぼみは、専故が足を踏ん張った時にできたもので、昔から怪力専故の足跡と呼ばれている。登山口に向かう道沿いに今も残っている。
桜が満開の局ヶ岳神社の横には自然石の祠に祀られた山の神があり、こちらの方が古そうだ。駐車地より新道を進み、山道に入る。道は整備されており、下部は炭焼窯をつなぐ道を使っている。途中から立派な九十九折れの道が続き、岩を削った場所もあり大規模なものだ。登山道はショートカットするようにつけられており、元々の九十九折れの道は何に使われていたのだろうか。旧小峠を過ぎ山頂に着く。山頂からは高見山から大洞山まで北畠氏の拠点だった多気御所を中心に美杉が見渡せる。
局ヶ岳から立川に向かって下る。その先に奥峠があり、伊勢古道を使って丹生俣に出ると多気は近い。この痕跡を確かめるためだ。山頂部を下り植林に入ると、健脚コースとの分岐で破線道の本コースを下る。尾根を難なく下っていき川俣谷の宮前と櫃坂番所のあった奥峠を結ぶ山路として問題ない。現在の国道368号線の口峠のルートは江戸時代に出来たルートで、それまでは奥峠から丹生俣に抜ける伊勢古道が伊勢本街道のルートだった。
下りきると立川に出会い、手前の丘に一宮の鳥居と社がある。局ヶ岳には市岐嶋姫命が祀られていて麓の宮平(栗又)には一の宮があった。「あるとき一人の局(女官)が祈願のためか、一の宮から険しい山路を分け入り、奥の宮に参籠してふたたび姿を見せなかったという。だが、局の執念は山中にとどまった。その後、山小屋に入って働く木こり達は、しとしとと雨の降る夜、山上に美しい局の姿を見るようになったという。」という伝承があり。今いる場所が宮平で、山頂には奥の宮があり、この物語から局ヶ岳の名がつけられたようだ。山頂の祠跡は奥の宮だったようだ。
一の宮が健脚コースの分岐になっており、上り返す。健脚コースは沢筋の炭焼窯をつなぐ道を下部で使っており、沢登りの巻き道のような感じだが道は続いている。林道に出て再び山に入った所に湯飲み茶わんが12個きれいに並んでいる。朽ちた看板や説明書きがあるので読むと、「終戦直前の昭和20年3月に海軍軍用輸送機がここに墜落し昭和54年に全搭乗員の身元がわかり現地供養が行われた。」という新聞記事が貼ってあった。12名の搭乗員の中には、中曽根康弘首相の弟もおり、中曽根氏が遺族代表の挨拶を行ったと書いてあった。手を合わせ、尾根を進むとやせ尾根が出てきた。木の根頼りの急な尾根を登っていくがこれが長い。なかなか終わってくれないなあと嫌になってきたあたりで本コースに合流し、ひと上りで山頂にもどった。
局ヶ岳は西の嶽山と川上若宮八幡宮では呼ばれている。東の嶽山と呼ばれる高見山との間にある川上十三峰を神体山としており修験の行場となる磐座が点在している。山頂からは来た道を戻り、小峠から旧道を下る。整備された道を下ると下部で磐座に古木がからんだ大岩が見える。下ると磐座に向けて石積みの坂道がつけられている。旧道では石積みは見なかったので、ここは特別なのだろう。山の神か修験の行場だったようだ。帰りに宮前のはずれの小山にお堂があるので、見に行くと。不動明王が祀られていた。局ヶ岳が修験の行場として栄えたころの名残だろう。健脚コースのやせ尾根も当時は行場として使われていたのかもしれない。
【山 域】高見山地
【コース】局ヶ岳神社P8:15---9:35局ヶ岳---10:42一の宮---12:30局ヶ岳---13:50局ヶ岳神社P
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.461737/13 ... z0r0s0m0f1
局ヶ岳の南麓には木地小屋があり川俣谷の木地師の拠点となっていた。集落には二つの伝承が残されている。ひとつは、紀州徳川家の参勤交代や伊勢参りの途上で和歌山街道を通る際、必ず乗り物を降り、歩いて通過した。また、大名行列の槍持ちは矛先を伏せ、行列の者は木地小屋に鎮座する木地氏の祖とされる惟喬親王に敬意を払ったというもの。もうひとつは木地小屋に生まれた「怪力専故」の伝承になる。どちらも大名行列にかかわった逸話なのがおもしろい。
『怪力専故の足跡』
昔、木地小屋に体の弱い専故という名の子どもがおった。心配した両親のすすめで、岳山の神さんにお願いして、千人力の力を与えてもらった。それからは、村人から怪力専故とよばれるようになった。専故は心のやさしい人に育ち、たたりがあると怖れられていた大きな栃の木を切り倒したり、お殿様の行列の前にたちはだかって動こうとしない大牛を差し上げて、道端に寄せるなど、みんなのために力を尽くしていた。この石のくぼみは、専故が足を踏ん張った時にできたもので、昔から怪力専故の足跡と呼ばれている。登山口に向かう道沿いに今も残っている。
桜が満開の局ヶ岳神社の横には自然石の祠に祀られた山の神があり、こちらの方が古そうだ。駐車地より新道を進み、山道に入る。道は整備されており、下部は炭焼窯をつなぐ道を使っている。途中から立派な九十九折れの道が続き、岩を削った場所もあり大規模なものだ。登山道はショートカットするようにつけられており、元々の九十九折れの道は何に使われていたのだろうか。旧小峠を過ぎ山頂に着く。山頂からは高見山から大洞山まで北畠氏の拠点だった多気御所を中心に美杉が見渡せる。
局ヶ岳から立川に向かって下る。その先に奥峠があり、伊勢古道を使って丹生俣に出ると多気は近い。この痕跡を確かめるためだ。山頂部を下り植林に入ると、健脚コースとの分岐で破線道の本コースを下る。尾根を難なく下っていき川俣谷の宮前と櫃坂番所のあった奥峠を結ぶ山路として問題ない。現在の国道368号線の口峠のルートは江戸時代に出来たルートで、それまでは奥峠から丹生俣に抜ける伊勢古道が伊勢本街道のルートだった。
下りきると立川に出会い、手前の丘に一宮の鳥居と社がある。局ヶ岳には市岐嶋姫命が祀られていて麓の宮平(栗又)には一の宮があった。「あるとき一人の局(女官)が祈願のためか、一の宮から険しい山路を分け入り、奥の宮に参籠してふたたび姿を見せなかったという。だが、局の執念は山中にとどまった。その後、山小屋に入って働く木こり達は、しとしとと雨の降る夜、山上に美しい局の姿を見るようになったという。」という伝承があり。今いる場所が宮平で、山頂には奥の宮があり、この物語から局ヶ岳の名がつけられたようだ。山頂の祠跡は奥の宮だったようだ。
一の宮が健脚コースの分岐になっており、上り返す。健脚コースは沢筋の炭焼窯をつなぐ道を下部で使っており、沢登りの巻き道のような感じだが道は続いている。林道に出て再び山に入った所に湯飲み茶わんが12個きれいに並んでいる。朽ちた看板や説明書きがあるので読むと、「終戦直前の昭和20年3月に海軍軍用輸送機がここに墜落し昭和54年に全搭乗員の身元がわかり現地供養が行われた。」という新聞記事が貼ってあった。12名の搭乗員の中には、中曽根康弘首相の弟もおり、中曽根氏が遺族代表の挨拶を行ったと書いてあった。手を合わせ、尾根を進むとやせ尾根が出てきた。木の根頼りの急な尾根を登っていくがこれが長い。なかなか終わってくれないなあと嫌になってきたあたりで本コースに合流し、ひと上りで山頂にもどった。
局ヶ岳は西の嶽山と川上若宮八幡宮では呼ばれている。東の嶽山と呼ばれる高見山との間にある川上十三峰を神体山としており修験の行場となる磐座が点在している。山頂からは来た道を戻り、小峠から旧道を下る。整備された道を下ると下部で磐座に古木がからんだ大岩が見える。下ると磐座に向けて石積みの坂道がつけられている。旧道では石積みは見なかったので、ここは特別なのだろう。山の神か修験の行場だったようだ。帰りに宮前のはずれの小山にお堂があるので、見に行くと。不動明王が祀られていた。局ヶ岳が修験の行場として栄えたころの名残だろう。健脚コースのやせ尾根も当時は行場として使われていたのかもしれない。
【高見山地】局ヶ岳8の字周回