【高見山地】白猪山石尊大権現と六部供養塔
Posted: 2025年3月23日(日) 06:30
【日 付】2025年3月20日(祝)
【山 域】高見山地
【コース】夏明登山口8:30---10:05白猪山---11:05都登山口---12:40夏明登山口
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.493718/13 ... z0r0s0m0f1
六十六部とは、六部ともいわれ、法華経を書写し、それを日本全国六十六州の神社仏閣の霊場に奉納して廻る行脚僧のことである。その廻国巡礼の証とされる石塔「廻国供養塔」が、全国津々浦々に残されている。伊勢本街道では長谷寺と伊勢神宮を交互に巡礼した供養塔が街道沿いに数多く残されている。
白猪山二ノ峰に六部巡礼塔がある事を知り、見に行くことにした。石の芸術といわれている120段の強固な石積みが続く深野だんだん田を上っていく。深野地区は白猪山南麓に位置し、北畠氏の重要な拠点であることから、白猪山の西にのろし場があり、見張りにつめていた食料確保のために棚田が開墾されたと伝えられている。
夏明集落のはずれには、鳥居に夏明組と書かれた先には山の神と唐戸岩の祠があり、近くの小屋には多数の石仏が集められおり何体かの大日如来があった。夏明登山口よりコンクリートで補強された道を進むと炭窯跡が出てきてその先に御所平への分岐がある。この道を稜線まで詰めあがると標高800mの御所平につき、のろし場があったと言われている。北畠氏の本拠地多気への連絡に使われていたのだろう。
不動滝はせり出した岩から水が落ちており落下点には程よい場所があり滝行にはもってこいといった滝で、多くの修験者がここで水に打たれたことだろう。道は谷筋から尾根に上がると、旧石尊社跡の分岐があり尾根筋にあるようだ。石尊大権現を祀る社のことで、江戸時代に神奈川の大山寺より迎えて、白猪山石尊大権現として祀った。尾根を下っていくと大岩が出てきて2つ目の大岩の下に石積みと石段がある。このあたりには大岩がいくつもあるので、この場所を磐座として石尊大権現を建立したのだろう。登山道に戻り少し行くと不動祠で、石造りの小さな祠と灯篭があり、谷側に下ると不動滝に戻る。
先の二ノ峰には二段の強固な石積みの上に石尊大権現が祀られていた。たくさんの人が参れるという利点はあるが、磐座の無いピークで本来の意味合いは薄らいだように思う。本尊は不動明王と書いてある。隣に「南無妙法蓮華経」と刻まれた六部供養塔があり、松阪の鈴木治右衛門昭成が天保6年(1835年)に立てたと書いてある。街道筋ではない山頂付近に立てて世の平安を願ったのだろうか。山頂までピストンして二ノ峰に戻り、谷・都方面に下山する。夏明道は石尊大権現までコンクリートの道が続いていたが、こちらは昔の溝道がそのまま残っている。自然林のまじった明るい山道で気持ちがいいい。矢下道の分岐には「左谷ニ至ル 大石駅約47粁」と書いてあるコンクリートの道標がある。粁はkmのことで、ここから大石まで4.7kmあるという意味らしい。大石駅は60年前には無くなっているので、それ以前に立てられたようだ。次に山道との分岐が出てきた。ここにはコンクリート杭の横に自然石に同じ文字が刻まれている。こちらは松坂・津・伊勢方面からの参拝者の多かった江戸時代のもののようだ。尾根を下っていくと大きな家が出てきた。地図を見ると廃村になっている大城集落への分岐で大八車が通れるコンクリートの道が続いている。登山道は都集落に向けてトラバースしていく。紅白の梅や建物のあった石垣に茶畑の跡と里山の空気が濃くなる。谷川沿いに下り谷集落に入っていく。ここの石積みも夏明と同じくほれぼれする美しさがある。集落の入口に大日堂があり大日如来が祀られていた。
谷川に矢下川が合流したあたりで矢下川の道を上っていく。この道も昔の参詣道のようで例のコンクリート杭がある。矢下集落も山越えすると近いが川沿いに遡るとなると距離がある。途中に大石牛とかかれた幟と牛舎が2か所あった。牛の鳴き声がしないので、いないのかと思っていたら大きな松坂牛の黒牛がゆったりと座っていた。深野地区が松坂牛の発祥の地だけに大石牛も高そうだ。幟には北畠の家紋がついている。この地域を治めていた大石氏が北畠の家臣であったからだろう。
矢下は深野地区の中でも過疎化が進んでいる。集落の最上部にある林光寺には十一面観音が祀られていた。石尊大権現は神仏習合の神で、本尊は不動明王と書かれていたが、本地仏は十一面観音だ。寺の前から参拝道は続いており矢下の寺と白猪山石尊大権現とのつながりを感じる。
峠を越えると夏明に入り駐車地近くには石尊大権現の石灯籠があり、石の道標が置かれている。「右 大いし、やおろし 左 石そん さか内」と書かれている。参拝者に向けての道標だが、白猪山への道が阪内への山越えの道として使われていたことがわかる。国道の合流地点に大きな石碑があるので見に行くと「石そん大権現」と深く刻まれており、石尊大権現が参拝者で賑わっていたことを改めて感じた。
石尊大権現と北畠氏の時代は重ならないが、北畠の時代から続く修験道の流れが下地にあるように思う。明治の廃仏毀釈で、神奈川の石尊大権現は廃されており、全国でも大日堂の取りつぶしが相次いだ。こうした時代を経て石尊大権現や大日堂が地域の人達に守られている意味は大きい。
【山 域】高見山地
【コース】夏明登山口8:30---10:05白猪山---11:05都登山口---12:40夏明登山口
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.493718/13 ... z0r0s0m0f1
六十六部とは、六部ともいわれ、法華経を書写し、それを日本全国六十六州の神社仏閣の霊場に奉納して廻る行脚僧のことである。その廻国巡礼の証とされる石塔「廻国供養塔」が、全国津々浦々に残されている。伊勢本街道では長谷寺と伊勢神宮を交互に巡礼した供養塔が街道沿いに数多く残されている。
白猪山二ノ峰に六部巡礼塔がある事を知り、見に行くことにした。石の芸術といわれている120段の強固な石積みが続く深野だんだん田を上っていく。深野地区は白猪山南麓に位置し、北畠氏の重要な拠点であることから、白猪山の西にのろし場があり、見張りにつめていた食料確保のために棚田が開墾されたと伝えられている。
夏明集落のはずれには、鳥居に夏明組と書かれた先には山の神と唐戸岩の祠があり、近くの小屋には多数の石仏が集められおり何体かの大日如来があった。夏明登山口よりコンクリートで補強された道を進むと炭窯跡が出てきてその先に御所平への分岐がある。この道を稜線まで詰めあがると標高800mの御所平につき、のろし場があったと言われている。北畠氏の本拠地多気への連絡に使われていたのだろう。
不動滝はせり出した岩から水が落ちており落下点には程よい場所があり滝行にはもってこいといった滝で、多くの修験者がここで水に打たれたことだろう。道は谷筋から尾根に上がると、旧石尊社跡の分岐があり尾根筋にあるようだ。石尊大権現を祀る社のことで、江戸時代に神奈川の大山寺より迎えて、白猪山石尊大権現として祀った。尾根を下っていくと大岩が出てきて2つ目の大岩の下に石積みと石段がある。このあたりには大岩がいくつもあるので、この場所を磐座として石尊大権現を建立したのだろう。登山道に戻り少し行くと不動祠で、石造りの小さな祠と灯篭があり、谷側に下ると不動滝に戻る。
先の二ノ峰には二段の強固な石積みの上に石尊大権現が祀られていた。たくさんの人が参れるという利点はあるが、磐座の無いピークで本来の意味合いは薄らいだように思う。本尊は不動明王と書いてある。隣に「南無妙法蓮華経」と刻まれた六部供養塔があり、松阪の鈴木治右衛門昭成が天保6年(1835年)に立てたと書いてある。街道筋ではない山頂付近に立てて世の平安を願ったのだろうか。山頂までピストンして二ノ峰に戻り、谷・都方面に下山する。夏明道は石尊大権現までコンクリートの道が続いていたが、こちらは昔の溝道がそのまま残っている。自然林のまじった明るい山道で気持ちがいいい。矢下道の分岐には「左谷ニ至ル 大石駅約47粁」と書いてあるコンクリートの道標がある。粁はkmのことで、ここから大石まで4.7kmあるという意味らしい。大石駅は60年前には無くなっているので、それ以前に立てられたようだ。次に山道との分岐が出てきた。ここにはコンクリート杭の横に自然石に同じ文字が刻まれている。こちらは松坂・津・伊勢方面からの参拝者の多かった江戸時代のもののようだ。尾根を下っていくと大きな家が出てきた。地図を見ると廃村になっている大城集落への分岐で大八車が通れるコンクリートの道が続いている。登山道は都集落に向けてトラバースしていく。紅白の梅や建物のあった石垣に茶畑の跡と里山の空気が濃くなる。谷川沿いに下り谷集落に入っていく。ここの石積みも夏明と同じくほれぼれする美しさがある。集落の入口に大日堂があり大日如来が祀られていた。
谷川に矢下川が合流したあたりで矢下川の道を上っていく。この道も昔の参詣道のようで例のコンクリート杭がある。矢下集落も山越えすると近いが川沿いに遡るとなると距離がある。途中に大石牛とかかれた幟と牛舎が2か所あった。牛の鳴き声がしないので、いないのかと思っていたら大きな松坂牛の黒牛がゆったりと座っていた。深野地区が松坂牛の発祥の地だけに大石牛も高そうだ。幟には北畠の家紋がついている。この地域を治めていた大石氏が北畠の家臣であったからだろう。
矢下は深野地区の中でも過疎化が進んでいる。集落の最上部にある林光寺には十一面観音が祀られていた。石尊大権現は神仏習合の神で、本尊は不動明王と書かれていたが、本地仏は十一面観音だ。寺の前から参拝道は続いており矢下の寺と白猪山石尊大権現とのつながりを感じる。
峠を越えると夏明に入り駐車地近くには石尊大権現の石灯籠があり、石の道標が置かれている。「右 大いし、やおろし 左 石そん さか内」と書かれている。参拝者に向けての道標だが、白猪山への道が阪内への山越えの道として使われていたことがわかる。国道の合流地点に大きな石碑があるので見に行くと「石そん大権現」と深く刻まれており、石尊大権現が参拝者で賑わっていたことを改めて感じた。
石尊大権現と北畠氏の時代は重ならないが、北畠の時代から続く修験道の流れが下地にあるように思う。明治の廃仏毀釈で、神奈川の石尊大権現は廃されており、全国でも大日堂の取りつぶしが相次いだ。こうした時代を経て石尊大権現や大日堂が地域の人達に守られている意味は大きい。
【高見山地】白猪山石尊大権現と六部供養塔