【北アルプス】 「十石峠の麓から」を胸に、深雪の十石山へ分け入って
Posted: 2025年1月14日(火) 22:47
【日 付】 2024年12月25日
【山 域】 北アルプス十石山周辺
【天 候】 晴れのち曇り
【メンバー】夫 sato
【コース】 白骨温泉⇔東尾根2200m地点
「どうする?」
「どうしよう?」
真っ白な雪をたっぷりと纏った深緑の森は、まだまだ続くだろう。
十石峠小屋の物語がこころに刻まれて30年。訪れる時が来たのだと唐突に思い、白骨温泉にやって来たけれど、
今回はご縁が無かったのだ。
「あそこの日溜りで休憩して戻ろうか」
「よし、そうしよう」
木立の間から覗く、穏やかに輝くちいさな水色の空から吹いてきた澄み切った風が、するっとからだを通り抜け、
こころの奥がふわりと揺れる。
「いや、ご縁に導かれてここまで来たのね」
続いて湧き上がってきた感情をしみじみと嚙みしめる。
乗鞍岳から北へ安房峠へと至る稜線上に建つ十石峠小屋の存在を知ったのは、大学を卒業し、
社会人として働き数年が過ぎた頃、漠然とした不安と焦りが大きくなり、辞め時なのだと感じて退職をして、
何かを求めるように日本の山やネパール、タイを旅して過ごし、しばらくたった時だった。
生き方を模索しているわたしを心配してくださったのだろう。人生の師と仰いでいた20歳年上の憧れの女性から、
今度の休日、乗鞍高原にある友人の友人が営むパン屋さんでお手伝いをしてみないかとお声を掛けられた。
石窯でパンを焼いているお店で、夜は、手作りの丸太小屋に泊まらせていただけるという。
どんな方が、どんないきさつで、山の中でパン屋さんを始めたのだろう。
お会いしてみたい気持ちに駆られ、是非お願いしますと申し上げていた。
指定された日の朝、お泊り道具を持ってお店に伺うと、やさしい笑顔のおじさんが迎えてくださった。
自己紹介で、ヒマラヤ8000m級の峰に登られた方だと知る。何で山屋さんがパン屋さんに。
ドキドキしながらパン作りが始まった。
従業員の方から教えていただきながらパンの成形のお手伝いをさせていただき、
夜は、パン屋さんご家族が暮らすログハウスにご招待されてご飯をご馳走になり、隣に建つ丸太小屋で寝させていただいた。
翌日の午前中もパンの成形をさせていただく。前日よりほんの少し慣れてうれしかった。
お昼前に作業は終了して、帰宅する前、またご家族とご飯をご一緒させていただいた。
見も知らぬ若造に、こんなにも温かく自然に接してくださるご家族の懐の深さに涙が出そうになった。
ふたりのかわいい娘さんも私と遊んでくれる。これからもお世話になることが出来たら、と思った。
前夜おっしゃってくださった「ここで働いてみないか」というありがたいお言葉が頭の中をこだまする。
あちこちの山に登り、旅を続けた末に、乗鞍という地に出会い、ここで生きることを決められたご家族が眩しくうらやましくもあった。
ここで、いろいろ学び生きていけたら・・・。
でも、食事をいただいた後、何故なのだろう、わたしは、頭を下げて「ごめんなさい。やっぱり旅に出たいです」とお伝えしていた。
すると「そうよ」と、間髪を入れずに、奥さまのからりと明るい声が、強くやさしくわたしを包みこんだ。
「まだ人生を決める必要はないわよ。いろいろな世界を旅するのは素敵なことよ」
お別れ際に、ご主人が一冊の本と地形図のコピーを持ってきて、ここに仲間達と小屋を作ったのだと教えてくださり、
餞別とおっしゃって、お金まで添えて手渡してくださった。
「十石峠の麓から」は、ぐるぐるしているわたしのこころに訴えてきて、ふと思い出す度に読み返していた。
でも、パン屋さんとお仲間が5年の準備期間を要し、全国の250人余りの有志の方々と3年間かけて再建した十石小屋に、
向かうことはなかった。ご家族にお礼を申し上げよう、十石小屋を訪れよう、と思いながら、数十年の年月が過ぎていた。
何年か前に気になって、パン屋さんを調べてみると閉店されていて建物の所有者も別の方になっていた。
あぁ、と悔やんだ。でも、やはりその後も小屋に足が向かうことはなく、何かの拍子に本棚から取り出しては、
ページをめくっているだけだった。
2024年もひと月を切ったある日、カレンダーを見ていたら、夫が、2月に乗鞍高原のスノーシューツアーの仕事があり、
年内に下見に出かけると話しかけて来た。その時「あっ、今だ」と思ったのだった。
「一緒に行く。十石山にも行っていい?」と勢いよく返事をして提案していた。
夫は、急に何で十石山なの?という顔をしていたが、はいはい、と応えてくれた。
この冬は、雪が多く降るとの予報だけど、この一帯もここ数日結構な雪が降ったようだ。
宵闇が迫る中、到着した白骨温泉は、雪国情緒たっぷりだった。
観光駐車場で車中泊させていただき、まだ夜の明けぬ5時10分に歩き始める。
どこから尾根に取り付こうか。いただいた地形図には、林道が・1567ピーク北尾根を乗越して谷を横切った地点に、
Pマークが書かれているが、お宿の裏から破線が記されているのでここから登ることにする。
スノーシューを履き一歩を踏み出すと、ずぼっと膝まで潜った。初っ端からこんなに潜るということは・・・。
夫もわたしも同じことを考えたと思うが「潜るねぇ」「まっ直ぐに登れないねぇ」と無邪気に笑いながら、
わたしたちの好きな「まっさらな雪」との時間が始まった。
山頂までの標高差は1120m余り。現在の時刻は5時半。タイムリミットは13時。
単純計算で、休憩時間を入れずに1時間に150m登ってぎりぎり。休憩を入れると200m近く登らなければ辿り着けない。
最初の尾根からトラバースに入るあたりからヘッドランプ無しで歩けるようになり、
次の尾根の取りつきに着いた時には、早くも1時間以上が経っていた。ここから破線を外れ尾根を直登することに決めていた。
標高1600mぐらいまでは、踏み抜いて太ももまで潜ったりしながらも、ゆっくり同じようなペースで登ることが出来たが、
その先急こう配になると、雪を崩して足場を作ってからしか登れない。そして、足場を作ってもズルッと何度も滑り落ちる。
そのうち、夫が足の付け根の痛みを訴えた。12月上旬に白内障の手術をしてからお籠りしていて、
22日に軽い山を歩いただけなので、からだが鈍ってしまったという。
「どうする?」と聞くと「行こう」と言うので、わたしがメインで先頭になり、ノロノロと歩みを進めていく。
標高1710mで急坂からは解放されたが、膝上まで潜っているので、1810mのトラバースがまたしんどい。
この時点で、休憩無しで1時間に200m登らなければ辿り着けない計算に。
急坂を登り終えてからはずっと針葉樹の森。展望地も無く、わっとうれしくなるような地形も現われず、
ひたすら深緑色の森が続いていく。
「あぁ、地味だなぁ」と夫が笑う。
「今日はクリスマス。クリスマスっぽい風景じゃない。絵本に描かれているようなたっぷりの雪で覆われた深い森を歩いているみたい」
とわたしも笑う。
12時半を回った。
「どうする?」とまた夫に聞いてみる。
「どうしよう」と夫はわたしに判断を委ねる。
深い森の中、すぐ上に気持ちよさそうな日溜りが出来ている。ここでゆっくり休みたい。
そして帰ろう。
標高2200mあまり。わたし達の到達地。そのままではしゃがめないので、雪を踏み固めてベンチを作り腰を下ろす。
「雪のアルプスは簡単には登らせてくれないよなぁ」
パンをかじりながら、登れなかった山、山頂に辿り着けなかった山の思い出話に花が咲く。
「アルプスだけじゃないよ。比良でも大変だったよ」
そう、そう。何年か前の冬、しんしんと雪降る中、ワンゲル新道から釈迦ケ岳に向かったけれど、
どんどんと雪が降り積もっていき、リフト道との合流点でタイムリミット。
リフト道を下り始めたものの、太ももまで潜りなかなか進めない。
やっとのことで車を停めたバイバスの高架下に戻りひと安心と思ったが、ここからがさらに大変だった。
大雪でバイパスは通行止め。国道は大渋滞で動かない。帰宅したのは日付が変わった3時過ぎ。
30分以内で帰宅できるはずが10時間以上も車の中に閉じ込められた。
「今日の登りも面白かったよ。さぁ下ろうか」
寒くなったので腰を上げる。
往復でも下りは自分のトレースを踏まない、なんて偉そうなことを言っているけれど、
深雪ではしっかりとトレースを踏んでいる。
標高1700mからは、破線道を辿り北側の尾根から下って林道に出る。
まだラッセルが続いていくと思っていたが、なんと林道は除雪されていた。
雪の重みから解放されてふわふわとした足取りになると、夫の頭の中は、いきなり仕事の段取りモードになってしまった。
ちょっと待ってよ。ちょっと聞いてよ。わたし達の到達地で包まれた思いを。
・・・人と人との出会いはほんとうに不思議。偶然の積み重ねでありながら運命を感じる出会いがあり、人生の契機となったりする。
そして、離れてしまっても、普段すっかり忘れてしまっていても、影響を受け続けていたりする。
中国の青海省でわたしたちが出会ったのも、パン屋さんご家族に出会い、9月に旅に出る決意が固まったから。
一緒に旅するようになり、その後京都で暮らし、山とうみに惹かれ近江の地に移り住み、いろいろありながらも、
今、こうして、好きなお山を仕事の場として日々を送り、食べていくことが出来、遊ばせていただくことが出来るのも、
悶々と悩んでいた20代の頃に出会った方々から教わったことが根幹にある。
世間一般の人生観価値観にとらわれず、自分自身の暮らし、生き方を大切にしている40代50代の方々と出会い、
いろいろな生き方があっていいのだと力をいただき、あらたな一歩を踏み出せた。
その後、まわりからあれこれと言われても、わたし達はわたし達と思うことが出来た。
そうして暮らしていたら、いい出会いに恵まれ、ご縁も繋がっていった。親には心配をかけさせてしまったけれど。
いろいろなことを思い出したよ。
今日、数十年間気になっていた十石山を一緒に歩くことが出来てよかった。
しかも、山頂に辿り着けないと分かっていながら7時間以上もラッセルして・・・
夫の話を遮って、こう話したかった。
が、鼻水をたらして仕事の話をしている間抜けな顔を見て可笑しくなり、けらけら笑っているうちに、
まぁいいか、という気分になり、こころの中にそっとしまいこんだ。
sato
【山 域】 北アルプス十石山周辺
【天 候】 晴れのち曇り
【メンバー】夫 sato
【コース】 白骨温泉⇔東尾根2200m地点
「どうする?」
「どうしよう?」
真っ白な雪をたっぷりと纏った深緑の森は、まだまだ続くだろう。
十石峠小屋の物語がこころに刻まれて30年。訪れる時が来たのだと唐突に思い、白骨温泉にやって来たけれど、
今回はご縁が無かったのだ。
「あそこの日溜りで休憩して戻ろうか」
「よし、そうしよう」
木立の間から覗く、穏やかに輝くちいさな水色の空から吹いてきた澄み切った風が、するっとからだを通り抜け、
こころの奥がふわりと揺れる。
「いや、ご縁に導かれてここまで来たのね」
続いて湧き上がってきた感情をしみじみと嚙みしめる。
乗鞍岳から北へ安房峠へと至る稜線上に建つ十石峠小屋の存在を知ったのは、大学を卒業し、
社会人として働き数年が過ぎた頃、漠然とした不安と焦りが大きくなり、辞め時なのだと感じて退職をして、
何かを求めるように日本の山やネパール、タイを旅して過ごし、しばらくたった時だった。
生き方を模索しているわたしを心配してくださったのだろう。人生の師と仰いでいた20歳年上の憧れの女性から、
今度の休日、乗鞍高原にある友人の友人が営むパン屋さんでお手伝いをしてみないかとお声を掛けられた。
石窯でパンを焼いているお店で、夜は、手作りの丸太小屋に泊まらせていただけるという。
どんな方が、どんないきさつで、山の中でパン屋さんを始めたのだろう。
お会いしてみたい気持ちに駆られ、是非お願いしますと申し上げていた。
指定された日の朝、お泊り道具を持ってお店に伺うと、やさしい笑顔のおじさんが迎えてくださった。
自己紹介で、ヒマラヤ8000m級の峰に登られた方だと知る。何で山屋さんがパン屋さんに。
ドキドキしながらパン作りが始まった。
従業員の方から教えていただきながらパンの成形のお手伝いをさせていただき、
夜は、パン屋さんご家族が暮らすログハウスにご招待されてご飯をご馳走になり、隣に建つ丸太小屋で寝させていただいた。
翌日の午前中もパンの成形をさせていただく。前日よりほんの少し慣れてうれしかった。
お昼前に作業は終了して、帰宅する前、またご家族とご飯をご一緒させていただいた。
見も知らぬ若造に、こんなにも温かく自然に接してくださるご家族の懐の深さに涙が出そうになった。
ふたりのかわいい娘さんも私と遊んでくれる。これからもお世話になることが出来たら、と思った。
前夜おっしゃってくださった「ここで働いてみないか」というありがたいお言葉が頭の中をこだまする。
あちこちの山に登り、旅を続けた末に、乗鞍という地に出会い、ここで生きることを決められたご家族が眩しくうらやましくもあった。
ここで、いろいろ学び生きていけたら・・・。
でも、食事をいただいた後、何故なのだろう、わたしは、頭を下げて「ごめんなさい。やっぱり旅に出たいです」とお伝えしていた。
すると「そうよ」と、間髪を入れずに、奥さまのからりと明るい声が、強くやさしくわたしを包みこんだ。
「まだ人生を決める必要はないわよ。いろいろな世界を旅するのは素敵なことよ」
お別れ際に、ご主人が一冊の本と地形図のコピーを持ってきて、ここに仲間達と小屋を作ったのだと教えてくださり、
餞別とおっしゃって、お金まで添えて手渡してくださった。
「十石峠の麓から」は、ぐるぐるしているわたしのこころに訴えてきて、ふと思い出す度に読み返していた。
でも、パン屋さんとお仲間が5年の準備期間を要し、全国の250人余りの有志の方々と3年間かけて再建した十石小屋に、
向かうことはなかった。ご家族にお礼を申し上げよう、十石小屋を訪れよう、と思いながら、数十年の年月が過ぎていた。
何年か前に気になって、パン屋さんを調べてみると閉店されていて建物の所有者も別の方になっていた。
あぁ、と悔やんだ。でも、やはりその後も小屋に足が向かうことはなく、何かの拍子に本棚から取り出しては、
ページをめくっているだけだった。
2024年もひと月を切ったある日、カレンダーを見ていたら、夫が、2月に乗鞍高原のスノーシューツアーの仕事があり、
年内に下見に出かけると話しかけて来た。その時「あっ、今だ」と思ったのだった。
「一緒に行く。十石山にも行っていい?」と勢いよく返事をして提案していた。
夫は、急に何で十石山なの?という顔をしていたが、はいはい、と応えてくれた。
この冬は、雪が多く降るとの予報だけど、この一帯もここ数日結構な雪が降ったようだ。
宵闇が迫る中、到着した白骨温泉は、雪国情緒たっぷりだった。
観光駐車場で車中泊させていただき、まだ夜の明けぬ5時10分に歩き始める。
どこから尾根に取り付こうか。いただいた地形図には、林道が・1567ピーク北尾根を乗越して谷を横切った地点に、
Pマークが書かれているが、お宿の裏から破線が記されているのでここから登ることにする。
スノーシューを履き一歩を踏み出すと、ずぼっと膝まで潜った。初っ端からこんなに潜るということは・・・。
夫もわたしも同じことを考えたと思うが「潜るねぇ」「まっ直ぐに登れないねぇ」と無邪気に笑いながら、
わたしたちの好きな「まっさらな雪」との時間が始まった。
山頂までの標高差は1120m余り。現在の時刻は5時半。タイムリミットは13時。
単純計算で、休憩時間を入れずに1時間に150m登ってぎりぎり。休憩を入れると200m近く登らなければ辿り着けない。
最初の尾根からトラバースに入るあたりからヘッドランプ無しで歩けるようになり、
次の尾根の取りつきに着いた時には、早くも1時間以上が経っていた。ここから破線を外れ尾根を直登することに決めていた。
標高1600mぐらいまでは、踏み抜いて太ももまで潜ったりしながらも、ゆっくり同じようなペースで登ることが出来たが、
その先急こう配になると、雪を崩して足場を作ってからしか登れない。そして、足場を作ってもズルッと何度も滑り落ちる。
そのうち、夫が足の付け根の痛みを訴えた。12月上旬に白内障の手術をしてからお籠りしていて、
22日に軽い山を歩いただけなので、からだが鈍ってしまったという。
「どうする?」と聞くと「行こう」と言うので、わたしがメインで先頭になり、ノロノロと歩みを進めていく。
標高1710mで急坂からは解放されたが、膝上まで潜っているので、1810mのトラバースがまたしんどい。
この時点で、休憩無しで1時間に200m登らなければ辿り着けない計算に。
急坂を登り終えてからはずっと針葉樹の森。展望地も無く、わっとうれしくなるような地形も現われず、
ひたすら深緑色の森が続いていく。
「あぁ、地味だなぁ」と夫が笑う。
「今日はクリスマス。クリスマスっぽい風景じゃない。絵本に描かれているようなたっぷりの雪で覆われた深い森を歩いているみたい」
とわたしも笑う。
12時半を回った。
「どうする?」とまた夫に聞いてみる。
「どうしよう」と夫はわたしに判断を委ねる。
深い森の中、すぐ上に気持ちよさそうな日溜りが出来ている。ここでゆっくり休みたい。
そして帰ろう。
標高2200mあまり。わたし達の到達地。そのままではしゃがめないので、雪を踏み固めてベンチを作り腰を下ろす。
「雪のアルプスは簡単には登らせてくれないよなぁ」
パンをかじりながら、登れなかった山、山頂に辿り着けなかった山の思い出話に花が咲く。
「アルプスだけじゃないよ。比良でも大変だったよ」
そう、そう。何年か前の冬、しんしんと雪降る中、ワンゲル新道から釈迦ケ岳に向かったけれど、
どんどんと雪が降り積もっていき、リフト道との合流点でタイムリミット。
リフト道を下り始めたものの、太ももまで潜りなかなか進めない。
やっとのことで車を停めたバイバスの高架下に戻りひと安心と思ったが、ここからがさらに大変だった。
大雪でバイパスは通行止め。国道は大渋滞で動かない。帰宅したのは日付が変わった3時過ぎ。
30分以内で帰宅できるはずが10時間以上も車の中に閉じ込められた。
「今日の登りも面白かったよ。さぁ下ろうか」
寒くなったので腰を上げる。
往復でも下りは自分のトレースを踏まない、なんて偉そうなことを言っているけれど、
深雪ではしっかりとトレースを踏んでいる。
標高1700mからは、破線道を辿り北側の尾根から下って林道に出る。
まだラッセルが続いていくと思っていたが、なんと林道は除雪されていた。
雪の重みから解放されてふわふわとした足取りになると、夫の頭の中は、いきなり仕事の段取りモードになってしまった。
ちょっと待ってよ。ちょっと聞いてよ。わたし達の到達地で包まれた思いを。
・・・人と人との出会いはほんとうに不思議。偶然の積み重ねでありながら運命を感じる出会いがあり、人生の契機となったりする。
そして、離れてしまっても、普段すっかり忘れてしまっていても、影響を受け続けていたりする。
中国の青海省でわたしたちが出会ったのも、パン屋さんご家族に出会い、9月に旅に出る決意が固まったから。
一緒に旅するようになり、その後京都で暮らし、山とうみに惹かれ近江の地に移り住み、いろいろありながらも、
今、こうして、好きなお山を仕事の場として日々を送り、食べていくことが出来、遊ばせていただくことが出来るのも、
悶々と悩んでいた20代の頃に出会った方々から教わったことが根幹にある。
世間一般の人生観価値観にとらわれず、自分自身の暮らし、生き方を大切にしている40代50代の方々と出会い、
いろいろな生き方があっていいのだと力をいただき、あらたな一歩を踏み出せた。
その後、まわりからあれこれと言われても、わたし達はわたし達と思うことが出来た。
そうして暮らしていたら、いい出会いに恵まれ、ご縁も繋がっていった。親には心配をかけさせてしまったけれど。
いろいろなことを思い出したよ。
今日、数十年間気になっていた十石山を一緒に歩くことが出来てよかった。
しかも、山頂に辿り着けないと分かっていながら7時間以上もラッセルして・・・
夫の話を遮って、こう話したかった。
が、鼻水をたらして仕事の話をしている間抜けな顔を見て可笑しくなり、けらけら笑っているうちに、
まぁいいか、という気分になり、こころの中にそっとしまいこんだ。
sato
「いや、ご縁に導かれてここまで来たのね」