【高見山地】三多気と太郎生をつなぐ蔵王堂
Posted: 2024年12月09日(月) 04:46
【日 付】2024年12月7日(土)
【山 域】高見山地
【コース】三多気駐車場9:15---10:25西蔵王堂---10:50ラーメン山
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.528798/13 ... z0r0s0m0f1
『美杉村のはなし』という民話集には「焼け焦げた地蔵さん」「落ちていた蔵王権現」「殿さん馬から落ちる」という昔話があり大洞山中腹にある西蔵王堂の話が出てくる。明治21年の地図には太郎生から老ヶ野につながる道と三多気の真福院につながる道が載っており、老ヶ野への道は林道になっている。真福院からの道が残っていそうなので探索に出かけた。
三多気は桜の名所で、昔は御嶽という修験集落だった。修験道の開祖役行者が蔵王権現を感得し桜の木に刻んだことから御神木として植えられたのが三多気の桜で、吉野の桜と同じ理由だ。駐車場前の城山公園は北畠氏の御嶽城跡で真福院は北畠氏の祈願所だった。
桜並木の参道の中ほどの右手に線刻の蓮華座に大日如来の「アン」の種子が彫られた自然石塔婆があり、修験集落の面影を残している。真福院参道前には鎌倉時代の宝篋印塔に自然石塔婆がある。ここで大洞山登山道と分かれて車道を少し進んだ後、山道に入る。
山道は植林の杣道として使われており、ウインチの部品が置かれている。道は高低差が少ないように尾根の中腹を巻きながらつけられており古道をそのまま使っている。別荘地に向かう乗越に雷岩という変形に割れた大岩があった。林道に合流したあとドン突きに見える農作業小屋の裏手から山道は続き別荘地に合流する。
別荘地内を県境稜線越えの破線道に向けて進み山道に入る。ここも植林の杣道として使われており問題ない。自然林の開けた場所に着くと蔵王公園で、戦時中に伐採されるまでは桜の名所であったようだ。下った所にある西蔵王堂は真福院の末寺なので、御神木として植えられたのだろう。
黄葉散る公園には「右 山田松阪道 左 津八知道」と彫られた道標がある。歩いてきた破線道が山田松阪道で合流してくる近畿自然歩道が津八知道を使っている。北畠の本拠地多気と伊賀を結ぶ幹線道として使われていただけに交通量も多く、それだけにいくつかの民話の題材として西蔵王堂が使われたのだろう。少し下ると石仏が納められていた四角に囲まれた大きな石垣があった。尼ヶ岳鞍部で八知から太郎生に乗越すオオタワで見たのと同じだ。
太郎生側にしばらく下ると西蔵王堂に着く。常庵寺という真福院の末寺で真福院の西方に位置することから西蔵王と呼ばれ、延宝6年(1678年)、真福院中興裕栄の弟子栄秀または弟快裕の草創と伝えられている。境内には江戸時代の石仏や灯篭が並んでる。鳥居をくぐった西蔵王堂の灯篭には御神燈と刻まれている。神仏習合の色濃く残る寺院だった。
「落ちていた蔵王権現」「殿さん馬から落ちる」は本尊の蔵王権現の黄金の冠にまつわる話で、「焼け焦げた地蔵さん」は弘法大師の石像の話になる。その中で、「本尊の蔵王菩薩は女神で三姉妹だった。西蔵王権現の権現が一番上で、中が真福院の蔵王権現、末が吉野の蔵王権現で、いずれも退け劣らぬ女神さん。」という話が出てくる。
整備された近畿自然歩道を進むと、自転車をデポしておいた登山口に着いた。太郎生南出のドン突きの民家に行列がある。ラーメン山という人気店だった。自転車で御杖経由で三多気に戻るが、かなりの遠回りで、途中には渓谷の名張川が流れており何度も渡らねばならない。旧道が山越えをしていたのもうなづける。
【山 域】高見山地
【コース】三多気駐車場9:15---10:25西蔵王堂---10:50ラーメン山
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.528798/13 ... z0r0s0m0f1
『美杉村のはなし』という民話集には「焼け焦げた地蔵さん」「落ちていた蔵王権現」「殿さん馬から落ちる」という昔話があり大洞山中腹にある西蔵王堂の話が出てくる。明治21年の地図には太郎生から老ヶ野につながる道と三多気の真福院につながる道が載っており、老ヶ野への道は林道になっている。真福院からの道が残っていそうなので探索に出かけた。
三多気は桜の名所で、昔は御嶽という修験集落だった。修験道の開祖役行者が蔵王権現を感得し桜の木に刻んだことから御神木として植えられたのが三多気の桜で、吉野の桜と同じ理由だ。駐車場前の城山公園は北畠氏の御嶽城跡で真福院は北畠氏の祈願所だった。
桜並木の参道の中ほどの右手に線刻の蓮華座に大日如来の「アン」の種子が彫られた自然石塔婆があり、修験集落の面影を残している。真福院参道前には鎌倉時代の宝篋印塔に自然石塔婆がある。ここで大洞山登山道と分かれて車道を少し進んだ後、山道に入る。
山道は植林の杣道として使われており、ウインチの部品が置かれている。道は高低差が少ないように尾根の中腹を巻きながらつけられており古道をそのまま使っている。別荘地に向かう乗越に雷岩という変形に割れた大岩があった。林道に合流したあとドン突きに見える農作業小屋の裏手から山道は続き別荘地に合流する。
別荘地内を県境稜線越えの破線道に向けて進み山道に入る。ここも植林の杣道として使われており問題ない。自然林の開けた場所に着くと蔵王公園で、戦時中に伐採されるまでは桜の名所であったようだ。下った所にある西蔵王堂は真福院の末寺なので、御神木として植えられたのだろう。
黄葉散る公園には「右 山田松阪道 左 津八知道」と彫られた道標がある。歩いてきた破線道が山田松阪道で合流してくる近畿自然歩道が津八知道を使っている。北畠の本拠地多気と伊賀を結ぶ幹線道として使われていただけに交通量も多く、それだけにいくつかの民話の題材として西蔵王堂が使われたのだろう。少し下ると石仏が納められていた四角に囲まれた大きな石垣があった。尼ヶ岳鞍部で八知から太郎生に乗越すオオタワで見たのと同じだ。
太郎生側にしばらく下ると西蔵王堂に着く。常庵寺という真福院の末寺で真福院の西方に位置することから西蔵王と呼ばれ、延宝6年(1678年)、真福院中興裕栄の弟子栄秀または弟快裕の草創と伝えられている。境内には江戸時代の石仏や灯篭が並んでる。鳥居をくぐった西蔵王堂の灯篭には御神燈と刻まれている。神仏習合の色濃く残る寺院だった。
「落ちていた蔵王権現」「殿さん馬から落ちる」は本尊の蔵王権現の黄金の冠にまつわる話で、「焼け焦げた地蔵さん」は弘法大師の石像の話になる。その中で、「本尊の蔵王菩薩は女神で三姉妹だった。西蔵王権現の権現が一番上で、中が真福院の蔵王権現、末が吉野の蔵王権現で、いずれも退け劣らぬ女神さん。」という話が出てくる。
整備された近畿自然歩道を進むと、自転車をデポしておいた登山口に着いた。太郎生南出のドン突きの民家に行列がある。ラーメン山という人気店だった。自転車で御杖経由で三多気に戻るが、かなりの遠回りで、途中には渓谷の名張川が流れており何度も渡らねばならない。旧道が山越えをしていたのもうなづける。
【高見山地】三多気と太郎生