【伊賀街道】長野峠越えの道 旧美里村平木〜伊賀上野
Posted: 2024年10月25日(金) 18:33
伊賀街道は藤堂藩の主城である津城と支城の伊賀上野城をつなぐ官道として整備された街道である。私の自宅のすぐ近くを通っているが,昔は自分がこのような街道を歩く事になるとは全く想像もしていなかった。時代によって人も変わるのである。津から平木までは1週間前の10月17日に歩いたので,その続きとして平木から伊賀上野まで歩く事にした。
【 日 付 】2024年10月23日(木) 歩行距離 26.1 km
【メンバー】単独
【 天 候 】曇り
【 ルート】津 8:03 ---
--- 平木 9:45 --- 10:35 長野峠 --- 11:48 平松宿 --- 14:16 平田宿 --- 16:25 伊賀鉄道広小路駅 16:34 ---
--- 18:00 近鉄津新町駅
終点,平木バス停でバスを降りる。平木は伊賀街道の伊勢側の最後の集落である。ここから伊勢側に少し戻ると伊勢側の最初の宿場長野宿がある。伊賀街道のほとんどのコースは今では国道163号線になっているので,国道を長野峠に向かって歩き始める。国道には歩道はなく,路肩もほとんどない。山間部だが意外に交通量が多く,時々大型トラックも走っているので,快適ではない。すれ違うトラックに脅かせられながら30分ほども歩き,長野トンネルの手前で左の旧国道に入ってようやくホッとした。 伊賀街道は旧国道に入ってすぐの犬塚地蔵の左側から長野峠に向かって続いている。ここから峠まで標高差150mほどだろう。昔は舗装されていたようだが,今では自然に還りつつある山道を登って行くと前方に舗装された林道が見え,その林道への階段を登ると長野峠だった。この林道は昔辿った事があるが,たしか風力発電施設を作るための林道だった気がする。
標識も何もない峠を越え,滅多に人が歩かないような荒れた山道を下って行くと旧国道に出た。藤堂藩では伊賀上野城を守るために伊賀に入る峠道の整備をわざとしなかったらしい。おそらく津城が敵に襲われた時に,伊賀上野城に立てこもり外敵から守るための守りの地だったのだろう。
長野峠は紀伊半島の分水嶺である。伊勢側に湧き出る水は長野川から雲出川となり伊勢湾に注ぐ。伊賀側に湧く水は服部川から木津川となり,最後には淀川となって大阪湾に注ぐ。伊賀街道はこの服部川を眺めながら伊賀上野まで歩く事になる。 旧国道から国道163号線に出,またしばらく車に怯えながらの歩きになる。しばらくぶりで国道を右にそれ,突き当たりを直角に左折すると平松宿だった。伊賀側の最初の宿場である。南北に突き抜ける街道を見るとちょっと違和感を感じる。通常,古街道というのは緩やかに屈曲しているのだが,ここの宿場は現在の道のようにまっすぐである。ここから少し上流の元町宿が火事になり,17世紀末に新たに宿場として整備されたという歴史のせいかもしれない。 しばらく国道沿いに旧街道を歩き,また国道に戻ってしばらく歩くと,右側に大山田中学校。中学校を過ぎて旧街道に入ると2番目の宿平田宿だった。ここには伊賀市役所大山田支所(旧大山田村役場)があり,旧大山田村の中心地だったようだ。昔の宿場の雰囲気がよく残っている。 宿場の中には「つばや」という老舗の和菓子屋さんもあり,たしかここのご主人は5代目だったような。何かお土産に買っていこうかと思ったが,小さなトレランザックには入りそうにないので諦める。その他にも「梅屋」という旅館があったり,「東天紅」という日本酒の看板をかかげた酒屋があったり,昔の風情をそこここに残していて,いい宿場である。 平田宿を過ぎるとガイドブック上の伊賀街道は国道沿いの道と服部川左岸の道の二つに分かれる。もちろん国道ではない道を選ぶ。服部川の河原は広く,在来種のススキと外来種のセイタカアワダチソウが同じ場所を争っている。一時はセイタカアワダチソウに押され消えかかっていたススキだが,自家中毒で弱体化したセイタカアワダチソウに代わって再びススキが勢力を伸ばしつつあるようだ。この場所ではどうなのだろう。心情的には日本在来のススキに勝ってほしい気がするが。 民家を過ぎると,服部川沿いの道は地道になり,斜面に露出した大岩の表面にたくさんの磨崖仏が彫られている。この近くの霊山には頂上に大規模な山岳寺院の跡があり,この辺りが山岳宗教の一大中心地であったことがわかる。これらの磨崖仏はおそらくその時代に掘られたものだろう。今は訪れる人もなく,コケに埋没しつつある。
地道が再び舗装路になると国道163号線に出,その近くに荒木又右衛門生誕地といと書かれた石碑があった。国道を横切り,服部川の左岸を伊賀上野の中心に向かって歩いていく。近くの小学校の下校時間なのだろう,小学生が集団下校していく。再び国道を横切るともうそこは伊賀上野の市街地だった。芭蕉路と名付けられた通りは古い町並みを残す落ち着いた街だった。まだ午後4時というのにもううす暗くなってきている。 通りの奥の三叉路になったところに「伊賀街道起点の地」と書かれた真新しい石碑と,その隣に「京大阪ならいせ道」と書かれた石碑がある。大阪・京都・奈良と伊勢の関宿を結ぶ街道として大和街道があるが,ここが大和街道と伊賀街道の分岐点なのだろう。
そこから少し進むと伊賀鉄道「広小路」駅だった。もう周りはかなり薄暗くなってきているので,今日はここで歩き納めにしよう。近鉄の伊賀神戸駅に向かう電車の車中には帰宅途中なのであろう,近くの上野高校や伊賀白鳳高校の生徒が乗って賑わっている。
伊賀は能楽の祖である観阿弥,世阿弥や芭蕉などを輩出した文化の香り高い地である。もちろん,伊賀忍者の故地でもある。伊賀は山間の地であるが,街道が集中する地でもあり,古い時代からそれらの街道を通っていろいろな文化が流入してきたのだろう。それらの文化がこの静かな盆地で熟成されて新たな日本の伝統文化を生み出したのかもしれない・・・そんなことを考えながら,今日の街道歩きを終わることにした。
【 日 付 】2024年10月23日(木) 歩行距離 26.1 km
【メンバー】単独
【 天 候 】曇り
【 ルート】津 8:03 ---
終点,平木バス停でバスを降りる。平木は伊賀街道の伊勢側の最後の集落である。ここから伊勢側に少し戻ると伊勢側の最初の宿場長野宿がある。伊賀街道のほとんどのコースは今では国道163号線になっているので,国道を長野峠に向かって歩き始める。国道には歩道はなく,路肩もほとんどない。山間部だが意外に交通量が多く,時々大型トラックも走っているので,快適ではない。すれ違うトラックに脅かせられながら30分ほども歩き,長野トンネルの手前で左の旧国道に入ってようやくホッとした。 伊賀街道は旧国道に入ってすぐの犬塚地蔵の左側から長野峠に向かって続いている。ここから峠まで標高差150mほどだろう。昔は舗装されていたようだが,今では自然に還りつつある山道を登って行くと前方に舗装された林道が見え,その林道への階段を登ると長野峠だった。この林道は昔辿った事があるが,たしか風力発電施設を作るための林道だった気がする。
標識も何もない峠を越え,滅多に人が歩かないような荒れた山道を下って行くと旧国道に出た。藤堂藩では伊賀上野城を守るために伊賀に入る峠道の整備をわざとしなかったらしい。おそらく津城が敵に襲われた時に,伊賀上野城に立てこもり外敵から守るための守りの地だったのだろう。
長野峠は紀伊半島の分水嶺である。伊勢側に湧き出る水は長野川から雲出川となり伊勢湾に注ぐ。伊賀側に湧く水は服部川から木津川となり,最後には淀川となって大阪湾に注ぐ。伊賀街道はこの服部川を眺めながら伊賀上野まで歩く事になる。 旧国道から国道163号線に出,またしばらく車に怯えながらの歩きになる。しばらくぶりで国道を右にそれ,突き当たりを直角に左折すると平松宿だった。伊賀側の最初の宿場である。南北に突き抜ける街道を見るとちょっと違和感を感じる。通常,古街道というのは緩やかに屈曲しているのだが,ここの宿場は現在の道のようにまっすぐである。ここから少し上流の元町宿が火事になり,17世紀末に新たに宿場として整備されたという歴史のせいかもしれない。 しばらく国道沿いに旧街道を歩き,また国道に戻ってしばらく歩くと,右側に大山田中学校。中学校を過ぎて旧街道に入ると2番目の宿平田宿だった。ここには伊賀市役所大山田支所(旧大山田村役場)があり,旧大山田村の中心地だったようだ。昔の宿場の雰囲気がよく残っている。 宿場の中には「つばや」という老舗の和菓子屋さんもあり,たしかここのご主人は5代目だったような。何かお土産に買っていこうかと思ったが,小さなトレランザックには入りそうにないので諦める。その他にも「梅屋」という旅館があったり,「東天紅」という日本酒の看板をかかげた酒屋があったり,昔の風情をそこここに残していて,いい宿場である。 平田宿を過ぎるとガイドブック上の伊賀街道は国道沿いの道と服部川左岸の道の二つに分かれる。もちろん国道ではない道を選ぶ。服部川の河原は広く,在来種のススキと外来種のセイタカアワダチソウが同じ場所を争っている。一時はセイタカアワダチソウに押され消えかかっていたススキだが,自家中毒で弱体化したセイタカアワダチソウに代わって再びススキが勢力を伸ばしつつあるようだ。この場所ではどうなのだろう。心情的には日本在来のススキに勝ってほしい気がするが。 民家を過ぎると,服部川沿いの道は地道になり,斜面に露出した大岩の表面にたくさんの磨崖仏が彫られている。この近くの霊山には頂上に大規模な山岳寺院の跡があり,この辺りが山岳宗教の一大中心地であったことがわかる。これらの磨崖仏はおそらくその時代に掘られたものだろう。今は訪れる人もなく,コケに埋没しつつある。
地道が再び舗装路になると国道163号線に出,その近くに荒木又右衛門生誕地といと書かれた石碑があった。国道を横切り,服部川の左岸を伊賀上野の中心に向かって歩いていく。近くの小学校の下校時間なのだろう,小学生が集団下校していく。再び国道を横切るともうそこは伊賀上野の市街地だった。芭蕉路と名付けられた通りは古い町並みを残す落ち着いた街だった。まだ午後4時というのにもううす暗くなってきている。 通りの奥の三叉路になったところに「伊賀街道起点の地」と書かれた真新しい石碑と,その隣に「京大阪ならいせ道」と書かれた石碑がある。大阪・京都・奈良と伊勢の関宿を結ぶ街道として大和街道があるが,ここが大和街道と伊賀街道の分岐点なのだろう。
そこから少し進むと伊賀鉄道「広小路」駅だった。もう周りはかなり薄暗くなってきているので,今日はここで歩き納めにしよう。近鉄の伊賀神戸駅に向かう電車の車中には帰宅途中なのであろう,近くの上野高校や伊賀白鳳高校の生徒が乗って賑わっている。
伊賀は能楽の祖である観阿弥,世阿弥や芭蕉などを輩出した文化の香り高い地である。もちろん,伊賀忍者の故地でもある。伊賀は山間の地であるが,街道が集中する地でもあり,古い時代からそれらの街道を通っていろいろな文化が流入してきたのだろう。それらの文化がこの静かな盆地で熟成されて新たな日本の伝統文化を生み出したのかもしれない・・・そんなことを考えながら,今日の街道歩きを終わることにした。
シュークリさん、お元気そうで何よりです。