【南伊勢】神宮の裏鬼門 龍仙山と五ヶ所浅間山
Posted: 2024年7月30日(火) 15:34
【日 付】2024年7月27日(土)
【山 域】南伊勢
【コース】船越公民館7:45---9:20龍仙山---11:00船越公民館
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.355518/13 ... z0r0s0m0f1
伊勢神宮の裏鬼門になる五ヶ所の龍仙山に行く。海沿いの船越公民館に駐車し集落の小道を上っていくと船越浅間神社の矢印があり寄る。鳥居の奥にコンクリートの祠があり智拳印を組んだ大日如来の立像の石仏が安置されていた。南勢中学校の裏山を進むとみかん畑の仕事道に入る。道は分岐し縦横に広がっているが、南勢テクテク会のオレンジの道標が導いてくれる。南東斜面は日当たりが良いのだが、水が無いようで昔の甕に始まりさまざまな大きさの貯水池が乱立している。ほとんどが現役で使われている。
九十九折の道の途中には水源地に石積みがあり龍の形の注連縄が張ってあった。しばらく上ると鳥居があり不動尊と役行者がそれぞれ自然石で組んだ祠に安置されていた。視界が開け、リアス式海岸に囲まれた五ヶ所湾と点在する集落がわかる。丸く広がる熊野灘が大きく包み込んでいる。ここは海風が通るので、日陰にいると心地よく、ぼっーと海を眺めていた。山頂には大日如来が伊勢神宮を背に置かれていた。龍仙山は伊勢神宮の裏鬼門とされ龍で鬼門を守っているようだ。先週登った八大龍王は北畠の時代に飯盛寺が裏鬼門を守るために置かれた場所になる。こちらも龍で鬼門を守ったようで、鬼門には龍が効くらしい。
山頂から不動尊を通り北西尾根を下る。分岐からP312に向かうが、そのまま進めば内瀬集落や伊勢路集落につながる尾根道になる。鉄塔をすぎた鞍部から船越中ノ谷に向けて下っていく。内瀬越の道は内瀬と船越を結ぶ生活道だったようで幅の広い切通もある。海沿いの県道が出来るまでは安全な尾根道が貴重な交通路だった。中ノ谷には水源があり石積みが何重にも重なり、昔は棚田や段々畑の耕作地だったようだ。道沿いに進むと船越の集落に入って行った。船越も五ヶ所も同様だが、集落には赤みがかった大きな石を積み上げた石垣を持つ家が何軒かあり、五ヶ所城のあったころの名残だろうかと思いをはせる。
駐車地を愛洲の館に移し、富士山の形をした五ヶ所浅間山に登る。県道からみかん畑の仕事道にそって上って行く。山頂の鳥居からは五ヶ所の街並みが手に取るようにわかる。東屋のような形をした祠には大日如来が祀ってある。四方に智拳印を組んだ大日如来が彫られておりどこからでも拝めるようになっている。この形の浅間碑を初めて見た。江戸時代初期の物でこのあたりでは最も古い。隣の松には竹幣がくくりつけてあり、ここなら五ヶ所の街からも竹幣を眺めることができそうだ。宝永山に見立てた石灰岩も置かれていた。富士山に宝永4年の大噴火で生まれた宝永火山の事で、南伊勢の浅間信仰で宝永山を祀っているのは珍しい。帰りに愛洲の館と五ヶ所城跡に寄り五ヶ所城主の愛洲氏が発行した「竈方法度」を見た。
【山 域】南伊勢
【コース】船越公民館7:45---9:20龍仙山---11:00船越公民館
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.355518/13 ... z0r0s0m0f1
伊勢神宮の裏鬼門になる五ヶ所の龍仙山に行く。海沿いの船越公民館に駐車し集落の小道を上っていくと船越浅間神社の矢印があり寄る。鳥居の奥にコンクリートの祠があり智拳印を組んだ大日如来の立像の石仏が安置されていた。南勢中学校の裏山を進むとみかん畑の仕事道に入る。道は分岐し縦横に広がっているが、南勢テクテク会のオレンジの道標が導いてくれる。南東斜面は日当たりが良いのだが、水が無いようで昔の甕に始まりさまざまな大きさの貯水池が乱立している。ほとんどが現役で使われている。
九十九折の道の途中には水源地に石積みがあり龍の形の注連縄が張ってあった。しばらく上ると鳥居があり不動尊と役行者がそれぞれ自然石で組んだ祠に安置されていた。視界が開け、リアス式海岸に囲まれた五ヶ所湾と点在する集落がわかる。丸く広がる熊野灘が大きく包み込んでいる。ここは海風が通るので、日陰にいると心地よく、ぼっーと海を眺めていた。山頂には大日如来が伊勢神宮を背に置かれていた。龍仙山は伊勢神宮の裏鬼門とされ龍で鬼門を守っているようだ。先週登った八大龍王は北畠の時代に飯盛寺が裏鬼門を守るために置かれた場所になる。こちらも龍で鬼門を守ったようで、鬼門には龍が効くらしい。
山頂から不動尊を通り北西尾根を下る。分岐からP312に向かうが、そのまま進めば内瀬集落や伊勢路集落につながる尾根道になる。鉄塔をすぎた鞍部から船越中ノ谷に向けて下っていく。内瀬越の道は内瀬と船越を結ぶ生活道だったようで幅の広い切通もある。海沿いの県道が出来るまでは安全な尾根道が貴重な交通路だった。中ノ谷には水源があり石積みが何重にも重なり、昔は棚田や段々畑の耕作地だったようだ。道沿いに進むと船越の集落に入って行った。船越も五ヶ所も同様だが、集落には赤みがかった大きな石を積み上げた石垣を持つ家が何軒かあり、五ヶ所城のあったころの名残だろうかと思いをはせる。
駐車地を愛洲の館に移し、富士山の形をした五ヶ所浅間山に登る。県道からみかん畑の仕事道にそって上って行く。山頂の鳥居からは五ヶ所の街並みが手に取るようにわかる。東屋のような形をした祠には大日如来が祀ってある。四方に智拳印を組んだ大日如来が彫られておりどこからでも拝めるようになっている。この形の浅間碑を初めて見た。江戸時代初期の物でこのあたりでは最も古い。隣の松には竹幣がくくりつけてあり、ここなら五ヶ所の街からも竹幣を眺めることができそうだ。宝永山に見立てた石灰岩も置かれていた。富士山に宝永4年の大噴火で生まれた宝永火山の事で、南伊勢の浅間信仰で宝永山を祀っているのは珍しい。帰りに愛洲の館と五ヶ所城跡に寄り五ヶ所城主の愛洲氏が発行した「竈方法度」を見た。