【櫛田川流域】江戸時代の土木文化遺産「立梅用水」を辿る
Posted: 2024年7月02日(火) 15:06
歩いた日から日数が経過していることもあり,このレポは書かずに置こうと思っていたのだが,櫛田川流域の旅を終えてやはり記録として残しておきたくなって書くことにした。
5月30日に和歌山別街道を多気町野中から飯南町粥見まで歩いた。途中,丹生大師がある丹生の里で立梅(たちばい)用水記念館(西村彦左衛門生家)に寄って,立梅用水を初めて知った。 江戸時代後期,丹生村は櫛田川よりも高い土地にあるため,長年水不足に苦しんでいた。丹生村の地主である西村彦左衛門はこの窮状を救うため,紀州和歌山藩に何度も用水路の建設を嘆願し,最初の嘆願から15年ののち,3年の難工事で1823年にようやく完成した。
この立梅用水は,今の飯南町粥見で櫛田川の水を取水し,28キロの用水路を建設,自然の勾配を利用して丹生まで送水したものである。立梅用水は200年間修復をしながら維持され,現在もなお立梅用水土地改良区が中心になって維持管理している。今回はこの立梅用水を取水口から丹生に至るまで,上流,中流,下流域に分けて歩いてみることにした。
【 日 付 】2024年6月5日(水)
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート】道の駅茶倉 8:10 --- 8:30 立梅用水取水口 --- 9:11 道の駅茶倉 ---
--- 9:30 多気町波多瀬 元丈の里 --- 10:19 岩清水 --- 11:00 薬草園 --- 11:23 駐車地 ---
--- 11:47 勢和図書館 --- 立梅用水散策 --- 13:17 駐車地 ---
--- 14:05 丹生大師 --- 14:50 素掘りトンネル --- 15:18 駐車地
道の駅茶倉に車を止め,茶倉橋を渡って取水口を見に行く。赤く塗られた立派な茶倉橋を渡ると,エバーグレイズ香肌峡というグランピング施設がある。この前までリバーサイド茶倉と呼ばれていた施設が,事業者が変わって今年3月にリニューアルオープンしたらしい。朝早いせいか,あるいはオープンしてから間がないせいか,人影は少ない。
取水堰はこの施設のすぐ横にある。取水口だけ確認しておく。江戸時代の取水堰はここから約150m下流にあり,現在の堰は大正時代に築かれたものらしい。再び茶倉橋を渡って道の駅に戻る。
車で波多瀬橋を渡って,多気町波多瀬の元丈の里という施設の駐車場に車を止めさせてもらう。烏岳の登山口にもなっている静かな山里である。車を降りると,すぐ脇を立梅用水が通っている。取水口から何キロほど下流になるのだろうか。幅,深さとも1mほどの水路のほぼ一杯に大量の水が流れている。子供はもちろん,大人でも落ちると流されてしまうような水量である。そのためか,人が落ちないようにずっとフェンスが設置してある。 用水に沿って上流側に歩いていく。用水管理のためだろう,用水脇にはずっと小道が通っている。中部電力の波多瀬発電所がある。立梅用水は農繁期には農業用水として使われるが,農閑期には全て水力発電に使われ,その金が用水の維持管理に使われているらしい。 帰り道で波多瀬の東側にある中山薬草樹公園に寄っていく。波多瀬は江戸中期に本草学の祖といわれた野呂元丈の生まれ故郷で,それを記念して薬草園が作られたらしい。今でも誰かが管理しているのであろう。一つ一つの薬草に名札がつけられて薬草園の程を成している。薬草園の隣には元丈の館という建物があったが,休館中らしく誰もいなかった。
車に乗り,多気町朝柄の勢和図書館近くの駐車場に車を止める。この辺りは旧勢和村の中心地だったようで,勢和小・中学校や図書館,駐在所などがある。丘の上に流れる立梅用水を上流側に歩いていく。水量は波多瀬の半分かそれ以下に減っている。途中で農業用水として取水されているのだろう。用水は自然の勾配を巧妙に利用して,町をぐるっと回り込むように通っている。江戸時代にどうやってこのような巧妙なルートを設計できたのだろうか。町をほぼ半周し,駐車地に戻った。 車で最後の目的地丹生に向かう。丹生大師の前にある「ふれあいの館」というところの駐車場に車を止め歩き始める。丹生集落には立梅用水沿いにアジサイが植えられ,アジサイ祭りが毎年開かれているらしい。このアジサイ祭りが次の週末の6月9日に開かれるそうで,地元の方がテントを立てたりして準備をしている。 立梅用水を記念しての行事のようで,集落の子供達への教育的意味もあるらしい。アジサイ祭りでは素掘りのトンネルを小さな舟で通り抜けるイベントもあるらしく,機会があればそれに乗って素掘りトンネルの内部を見学したいと思ったが,土日は忙しいので諦めることにした。 用水に沿って散策する。水量はさらに減って,流れは大人しくなっている。丹生は水銀の産地であり,水銀鉱山の坑道と立梅用水の素掘りトンネルとが交差する場所もあるらしい。水銀鉱山の坑道入り口を見てみたが,人一人が腹ばいでようやく勧めるような狭い坑道で,当時の劣悪な環境が想像された。 機械力が全くない江戸時代に,人力のみでトンネルを掘ることの困難さを考えさせられた。素掘りトンネルの手前で折り返し,駐車地に戻り,帰途に着いた。
人間,歩いていれば誰かにあるいは何かに遭遇する。自分はそんな出会いを求めて歩いているのかもしれない。立梅用水はそんな出会いの一つだった。三重県に住んでいながら地元のことをあまりにも知らないことに今更ながら気付かされた。今から200年も前に作られた用水路を今でも補修しながら大切に使っている。アジサイ祭りというイベントを使って地元の子供達に用水の歴史を教えている。そんな大切なことを知ることができた1日だった。
用水路の勾配は1000分の1から2000分の1だという。つまり1キロ先で0.5〜1.0m下がるような勾配を,自然の地形を利用しながら作り出している。江戸時代後期にどのようにしてそのようなルートを設定し,どのようにして掘ったのだろうか。素人の私には想像することが難しい。江戸時代の技術水準は今の私が想像するよりもずっと高かったのかもしれない。
5月30日に和歌山別街道を多気町野中から飯南町粥見まで歩いた。途中,丹生大師がある丹生の里で立梅(たちばい)用水記念館(西村彦左衛門生家)に寄って,立梅用水を初めて知った。 江戸時代後期,丹生村は櫛田川よりも高い土地にあるため,長年水不足に苦しんでいた。丹生村の地主である西村彦左衛門はこの窮状を救うため,紀州和歌山藩に何度も用水路の建設を嘆願し,最初の嘆願から15年ののち,3年の難工事で1823年にようやく完成した。
この立梅用水は,今の飯南町粥見で櫛田川の水を取水し,28キロの用水路を建設,自然の勾配を利用して丹生まで送水したものである。立梅用水は200年間修復をしながら維持され,現在もなお立梅用水土地改良区が中心になって維持管理している。今回はこの立梅用水を取水口から丹生に至るまで,上流,中流,下流域に分けて歩いてみることにした。
【 日 付 】2024年6月5日(水)
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート】道の駅茶倉 8:10 --- 8:30 立梅用水取水口 --- 9:11 道の駅茶倉 ---
道の駅茶倉に車を止め,茶倉橋を渡って取水口を見に行く。赤く塗られた立派な茶倉橋を渡ると,エバーグレイズ香肌峡というグランピング施設がある。この前までリバーサイド茶倉と呼ばれていた施設が,事業者が変わって今年3月にリニューアルオープンしたらしい。朝早いせいか,あるいはオープンしてから間がないせいか,人影は少ない。
取水堰はこの施設のすぐ横にある。取水口だけ確認しておく。江戸時代の取水堰はここから約150m下流にあり,現在の堰は大正時代に築かれたものらしい。再び茶倉橋を渡って道の駅に戻る。
車で波多瀬橋を渡って,多気町波多瀬の元丈の里という施設の駐車場に車を止めさせてもらう。烏岳の登山口にもなっている静かな山里である。車を降りると,すぐ脇を立梅用水が通っている。取水口から何キロほど下流になるのだろうか。幅,深さとも1mほどの水路のほぼ一杯に大量の水が流れている。子供はもちろん,大人でも落ちると流されてしまうような水量である。そのためか,人が落ちないようにずっとフェンスが設置してある。 用水に沿って上流側に歩いていく。用水管理のためだろう,用水脇にはずっと小道が通っている。中部電力の波多瀬発電所がある。立梅用水は農繁期には農業用水として使われるが,農閑期には全て水力発電に使われ,その金が用水の維持管理に使われているらしい。 帰り道で波多瀬の東側にある中山薬草樹公園に寄っていく。波多瀬は江戸中期に本草学の祖といわれた野呂元丈の生まれ故郷で,それを記念して薬草園が作られたらしい。今でも誰かが管理しているのであろう。一つ一つの薬草に名札がつけられて薬草園の程を成している。薬草園の隣には元丈の館という建物があったが,休館中らしく誰もいなかった。
車に乗り,多気町朝柄の勢和図書館近くの駐車場に車を止める。この辺りは旧勢和村の中心地だったようで,勢和小・中学校や図書館,駐在所などがある。丘の上に流れる立梅用水を上流側に歩いていく。水量は波多瀬の半分かそれ以下に減っている。途中で農業用水として取水されているのだろう。用水は自然の勾配を巧妙に利用して,町をぐるっと回り込むように通っている。江戸時代にどうやってこのような巧妙なルートを設計できたのだろうか。町をほぼ半周し,駐車地に戻った。 車で最後の目的地丹生に向かう。丹生大師の前にある「ふれあいの館」というところの駐車場に車を止め歩き始める。丹生集落には立梅用水沿いにアジサイが植えられ,アジサイ祭りが毎年開かれているらしい。このアジサイ祭りが次の週末の6月9日に開かれるそうで,地元の方がテントを立てたりして準備をしている。 立梅用水を記念しての行事のようで,集落の子供達への教育的意味もあるらしい。アジサイ祭りでは素掘りのトンネルを小さな舟で通り抜けるイベントもあるらしく,機会があればそれに乗って素掘りトンネルの内部を見学したいと思ったが,土日は忙しいので諦めることにした。 用水に沿って散策する。水量はさらに減って,流れは大人しくなっている。丹生は水銀の産地であり,水銀鉱山の坑道と立梅用水の素掘りトンネルとが交差する場所もあるらしい。水銀鉱山の坑道入り口を見てみたが,人一人が腹ばいでようやく勧めるような狭い坑道で,当時の劣悪な環境が想像された。 機械力が全くない江戸時代に,人力のみでトンネルを掘ることの困難さを考えさせられた。素掘りトンネルの手前で折り返し,駐車地に戻り,帰途に着いた。
人間,歩いていれば誰かにあるいは何かに遭遇する。自分はそんな出会いを求めて歩いているのかもしれない。立梅用水はそんな出会いの一つだった。三重県に住んでいながら地元のことをあまりにも知らないことに今更ながら気付かされた。今から200年も前に作られた用水路を今でも補修しながら大切に使っている。アジサイ祭りというイベントを使って地元の子供達に用水の歴史を教えている。そんな大切なことを知ることができた1日だった。
用水路の勾配は1000分の1から2000分の1だという。つまり1キロ先で0.5〜1.0m下がるような勾配を,自然の地形を利用しながら作り出している。江戸時代後期にどのようにしてそのようなルートを設定し,どのようにして掘ったのだろうか。素人の私には想像することが難しい。江戸時代の技術水準は今の私が想像するよりもずっと高かったのかもしれない。
立梅(たちばい)用水記念館(西村彦左衛門生家)に寄って,立梅用水を初めて知った。