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【伊勢本街道】櫛田川を最初の一滴から辿る旅の終焉(田丸〜小片野)

Posted: 2024年6月28日(金) 15:54
by シュークリーム
櫛田川
櫛田川
【 日 付 】2024年6月26日(水)
【メンバー】単独
【 天 候 】曇り時々晴れ
【 ルート】近鉄津新町駅 6:10 ---🚃--- 6:12 津駅 6:26 ---🚃--- 7:09 JR田丸駅 7:16 ---9:55 相可高校前バス停 10:05 --- 11:38 津留の渡し場 --- 11:56 上茅原 12:32 --- 13:01 小片野バス停 13:40 ---🚌--- 14:20 松阪駅 14:33 ---🚃--- 14:52 近鉄津新町駅
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ようやく梅雨入りとなった最初の週,最高気温が30度を超えたら街道歩きから沢遊びに移行するつもりだったのだが,まだ梅雨も本格的ではなく,曇り空で最高気温は30度を超えないようなので伊勢本街道を歩くことにした。

津新町駅から近鉄電車で津駅に行き,津駅でJRに乗り換え,多気駅で参宮線に乗り換えると1時間弱で田丸駅に着く。多気駅以降は伊勢の高校に通う高校生が乗り込んで車内は賑やかになる。宇治山田商業は野球の強豪校で,真っ黒に日焼けした野球部員なども乗っている。

乗り込む大勢の高校生とすれ違うように田丸駅に一人降りると,無人の駅舎には誰もいなくなる。駅から少し歩いて田丸城跡に出る。田丸城は1336年に北畠親房が南朝側の拠点として築いたのが最初で,その後,1569年に織田信雄が城主となり,天守などを築いている。江戸時代には紀州藩領となり,明治まで続いている。
田丸城跡
田丸城跡
石垣などは残っているので見学していこうかと思ったが,城内は中学校の校舎になっているようで,中学生が登校していくので,邪魔にならないように遠慮して通り過ぎる。

田丸は熊野街道と伊勢本街道との合流地点になっており,またここから熊野街道を西に行ったところの野中の集落では和歌山別街道が合流している。そのため,田丸には各地からの伊勢詣での旅人が集まり,江戸時代には宿場町として賑わったらしい。
道標
道標
伊勢本街道の始点には,「右 松阪道,左 はせ道」と書かれた真新しい石標が立っている。ここを左に入って,伊勢本街道を進む。道は舗装路であるが,車の通りは少なく,ホッとするところである。

余談だが,先日6月10日から14日の5日間をかけて,群馬県高崎から長野県下諏訪まで中山道を歩いてきた。中山道や東海道は昔からの交通の主要路線であり,かなりの部分が交通量の激しい国道と重なっている。そのため,宿場跡や峠越えのルートを除き,トラックなどが走る国道脇を歩くことが多く,そのような場所ではトラックに怯えながら歩くことになる。その点,伊勢本街道などは昔ながらの道が残っており,中山道や東海道を歩いた直後の身にとってはホッとできる。

道は参宮線の北側を西に向かって続いている。雑木林の中の道の進行方向に軽トラックが止まった。中から出てきたのは蜂に対する防御服に身を包んだ人物だった。一目で養蜂家とわかったので,「養蜂をしているんですか?」と聞くと,「そうです」と答えが返ってくる。網の中の顔は意外に若く,30台くらいだろうか。物腰が柔らかく,高い教育を受けてきた人物のように思われた。「この奥なんですか?」。「そうです」。三重県で養蜂家を見かけることはまれなので,いろいろ聞きたかったのだが,仕事の邪魔になっても申し訳ないので,そのまま別れた。歩いていると色々な人に会うものである。

参宮線の線路を越えて西へ進み,さらに紀勢本線の線路を越えると相可(おうか)の町である。この町も昔の宿場町だったようで,昔ながらの宿場町の面影が残っている。相可高校前のバス停のベンチに座って一休み。相可高校はたしか昔は農業高校だったと思うのだが。食物調理科という科があり,この科の生徒が中心になって運営している「まごの店」という高校生レストランが安価で味が良いという評判で,高校自体の人気も高いと聞いている。
相可の道標
相可の道標
相可の街並み
相可の街並み
このあと,伊勢本街道は櫛田川を右に見ながら川に沿って西に向かっている。伊勢自動車道と交差する手前に光法池というハス池があり,ちょうどハスの花が綺麗に咲いている。
光法池のハス
光法池のハス
伊勢自動車道のガード下をくぐり,伊勢本街道はさらに西進している。しばらく行くと津留の渡し場。今は立派な橋がかかっているが,江戸時代には渡し船で櫛田川を渡ったらしい。和歌山街道は高見峠を越えたあと,一貫して櫛田川の左岸を通っているが,小片野で伊勢本街道が分岐し,津留の渡し場で川を渡って伊勢神宮まで右岸をそのまま通ることになる。
津留の渡し場付近
津留の渡し場付近
朝のうちは薄曇りで陽光が遮られ,適度な風が吹いていることもあって暑さを感じなかったのだが,徐々に青空が広がってきて,お昼頃には結構暑くなってきた。気温は30度ほどもあるだろうか。上茅原で木陰を見つけて一休みすることにする。今日の終着点である小片野まではあと30分ほどだろう。時間も早いのでのんびりしていこう。街道歩きもいいが,暑い時期はアスファルトからの照り返しもあって厳しい。。

上茅原から小さな峠を越えると国道166号線に合流し,そこから歩いてすぐで小片野のバス停だった。まだ午後1時である。40分ほど待って1時35分のバスで松阪に帰る。いつもは空いているはずのバスだが,期末試験の最中らしく飯南高校の高校生でバスは満員だった。

今年春から思いついて和歌山街道を歩き,さらに今回伊勢本街道の一部を歩いた。歩き始めた頃は全く気づいていなかったのだが,この旅は櫛田川の源流から河口近くまでを辿る旅として一貫したテーマを持っていたのだった。櫛田川は飯高の山中を集水域として伊勢湾に流れ込む川である。

その源流域には,支流である蓮川の上流域の中の谷,奥の平谷,千石谷,ヌタハラ谷,木屋谷川,そして木梶川の源流の谷,三峰山から流れ出るわさび谷など,沢ノボラーとして自分自身の目で最初のひとしずくを確認した多くの谷々がある。それらの水を集めた櫛田川を眺めながら上流域から河口近くまで歩き通すことができた今回の旅は,最初は全く意図しなかったものにしろ,終わってみるとそれなりに共通のテーマに貫かれた歩き旅であった。

高見峠は紀伊半島の分水嶺であり,そこから東に流れ出る水は櫛田川として伊勢湾に注ぎ,西に流れ出る水は吉野川から紀ノ川となって瀬戸内海に注ぐ。近いうちに機会を見つけて和歌山街道を高見山から和歌山城下まで歩いてみようと思っている。紀ノ川を最初の一滴から辿るまた別の旅になるに違いない。

Re: 【伊勢本街道】櫛田川を最初の一滴から辿る旅の終焉(田丸〜小片野)

Posted: 2024年6月30日(日) 05:55
by わりばし
おはようございます、シュークリームさん。

乗り込む大勢の高校生とすれ違うように田丸駅に一人降りると,無人の駅舎には誰もいなくなる。駅から少し歩いて田丸城跡に出る。田丸城は1336年に北畠親房が南朝側の拠点として築いたのが最初で,その後,1569年に織田信雄が城主となり,天守などを築いている。江戸時代には紀州藩領となり,明治まで続いている。

城は以前よりあって北畠親房が再建したようです。

石垣などは残っているので見学していこうかと思ったが,城内は中学校の校舎になっているようで,中学生が登校していくので,邪魔にならないように遠慮して通り過ぎる。

玉城中学ですね。
玉城の人にとっては、田丸城は郷土自慢のチャンピオンです。
城内に学校を設置するのは全国にありますね。
教育立国を目指した時期です。
三重大の教育学部も昔はそうでしたね。


伊勢本街道の始点には,「右 松阪道,左 はせ道」と書かれた真新しい石標が立っている。ここを左に入って,伊勢本街道を進む。道は舗装路であるが,車の通りは少なく,ホッとするところである。

「はせ道」といわれるぐらい長谷寺の持つ意味合いが大きかった時代があったんですね。
この道は長谷寺と近長谷寺(多気町)を結ぶ道でもあります。
ちなみに津の長谷山にあるのが遠長谷寺で、みんなご本尊は十一面観音です。

余談だが,先日6月10日から14日の5日間をかけて,群馬県高崎から長野県下諏訪まで中山道を歩いてきた。中山道や東海道は昔からの交通の主要路線であり,かなりの部分が交通量の激しい国道と重なっている。そのため,宿場跡や峠越えのルートを除き,トラックなどが走る国道脇を歩くことが多く,そのような場所ではトラックに怯えながら歩くことになる。その点,伊勢本街道などは昔ながらの道が残っており,中山道や東海道を歩いた直後の身にとってはホッとできる。

そうですね。
開発されていないというか。
これが、三重の街道のいいところです。


道は参宮線の北側を西に向かって続いている。雑木林の中の道の進行方向に軽トラックが止まった。中から出てきたのは蜂に対する防御服に身を包んだ人物だった。一目で養蜂家とわかったので,「養蜂をしているんですか?」と聞くと,「そうです」と答えが返ってくる。網の中の顔は意外に若く,30台くらいだろうか。物腰が柔らかく,高い教育を受けてきた人物のように思われた。「この奥なんですか?」。「そうです」。三重県で養蜂家を見かけることはまれなので,いろいろ聞きたかったのだが,仕事の邪魔になっても申し訳ないので,そのまま別れた。歩いていると色々な人に会うものである。

南伊勢方面ではちみつを売っている人もいるので、このあたりを季節に合わせて移動してるのかな。

参宮線の線路を越えて西へ進み,さらに紀勢本線の線路を越えると相可(そうか)の町である。この町も昔の宿場町だったようで,昔ながらの宿場町の面影が残っている。相可高校前のバス停のベンチに座って一休み。相可高校はたしか昔は農業高校だったと思うのだが。食物調理科という科があり,この科の生徒が中心になって運営している「まごの店」という高校生レストランが安価で味が良いという評判で,高校自体の人気も高いと聞いている。

相可高校は農業科からコースになっちゃいましたが
松阪牛は育ててるみたいです。


伊勢自動車道のガード下をくぐり,伊勢本街道はさらに西進している。しばらく行くと津留の渡し場。今は立派な橋がかかっているが,江戸時代には渡し船で櫛田川を渡ったらしい。和歌山街道は高見峠を越えたあと,一貫して櫛田川の左岸を通っているが,小片野で伊勢本街道が分岐し,津留の渡し場で川を渡って伊勢神宮まで右岸をそのまま通ることになる。

ここに津留の渡し場があるんですね。
行ってみようっと。


その源流域には,支流である蓮川の上流域の中の谷,奥の平谷,千石谷,ヌタハラ谷,木屋谷川,そして木梶川の源流の谷,三峰山から流れ出るわさび谷など,沢ノボラーとして自分自身の目で最初のひとしずくを確認した多くの谷々がある。それらの水を集めた櫛田川を眺めながら上流域から河口近くまで歩き通すことができた今回の旅は,最初は全く意図しなかったものにしろ,終わってみるとそれなりに共通のテーマに貫かれた歩き旅であった。

いい歩きができましたね。
お疲れさまでした。

                                 わりばし

Re: 【伊勢本街道】櫛田川を最初の一滴から辿る旅の終焉(田丸〜小片野)

Posted: 2024年6月30日(日) 11:14
by シュークリーム
わりばしさん,おはようございます。
山レポのための板に少々畑違いの街道歩きレポはどうかと思いながら,遠慮しいしい書いたレポにレスいただいて嬉しいです。ありがとうございます。

わりばしさんの最近の古峠歩きのレポ,超マニアックすぎてなかなかレスしずらくて,失礼しています。伊勢本街道歩きでそのうちあの近くは通ると思うので,また参考にさせていただきます。


城は以前よりあって北畠親房が再建したようです。

そうですか。あのあたりから美杉町一帯は南北朝時代に北畠氏が領有したところですよね。
私はあまり詳しくないですが,また機会があったら勉強してみたいと思います。
織田信雄も戦国時代の脇役として名前は知っているのですが,その一生についてはよく知りません。伊勢にゆかりのある人ですので,こちらもきっかけがあったら勉強してみたいと思っています。


玉城中学ですね。
玉城の人にとっては、田丸城は郷土自慢のチャンピオンです。
城内に学校を設置するのは全国にありますね。
教育立国を目指した時期です。
三重大の教育学部も昔はそうでしたね。


そうだったらしいですね。
私の学生時代には教育学部はすでに現在の場所に移っていました。
金沢大学は,私の子供の時代には金沢城内にあったのですが,いまは郊外の山の方に移転してしまって,昔の風情はなくなってしまいました。


「はせ道」といわれるぐらい長谷寺の持つ意味合いが大きかった時代があったんですね。
この道は長谷寺と近長谷寺(多気町)を結ぶ道でもあります。
ちなみに津の長谷山にあるのが遠長谷寺で、みんなご本尊は十一面観音です。


そうですか,それで長谷山なんですね。
この前,和歌山別街道を歩いた時に近長谷寺の近くを通ったんですが,暑かったので寄り道せずにそのまま通り過ぎてしまいました。そのうち行ってみたいですね。

そうですね。
開発されていないというか。
これが、三重の街道のいいところです。


三重県は伊勢神宮があるおかげで,伊勢神宮からいろいろな街道が放射状に伸びています。と言うか,いろいろな街道が伊勢神宮めがけて収束していると言ってもいいかもしれません。
おかげで三重県にはいろいろな街道があって,街道パラダイスと言っていいかもしれません。


南伊勢方面ではちみつを売っている人もいるので、このあたりを季節に合わせて移動してるのかな。

そうですか,その人も移動しているのかな?

相可高校は農業科からコースになっちゃいましたが
松阪牛は育ててるみたいです。


一応,三重大学の農場でも松阪牛を育てています。

ここに津留の渡し場があるんですね。
行ってみようっと。


はい,この辺りは川幅が狭くなっていて,船で渡すにはちょうどよかったのかもしれません。

いい歩きができましたね。
お疲れさまでした。


ありがとうございます。
私は三重県にはIターン組なので,少し離れた目線で見られて面白いかもしれないですね。

Re: 【伊勢本街道】櫛田川を最初の一滴から辿る旅の終焉(田丸〜小片野)

Posted: 2024年6月30日(日) 12:19
by グー(伊勢山上住人)
20240629-18.jpg



シューさん、こんにちは。

三重県で養蜂家を見かけることはまれなので,

養蜂の箱が並んでいるのは白米城の麓とか頂山の登山口で見ました。
zippさんは養蜂の手伝いをしているそうです。
田舎の地蔵堂の床下にミツバチが出入りしていたので
従弟が近くに巣箱を置いたら入ったそうです。おすそ分けゲットできるかな?
通さんはアナフィラキシーショックをものともせず、命を懸けていますね。

歩いていると色々な人に会うものである。

いろいろな人に出合えるのはいいですね。

紀勢本線の線路を越えると相可(そうか)の町である。

「相可」は発音では「おーか」ふりがなは「おうか」です。

和歌山街道は小片野で伊勢本街道が分岐し,津留の渡し場で川を渡って伊勢神宮まで右岸をそのまま通ることになる。

皆さんよく勉強していますね。グーは社会科は苦手科目です。

お昼頃には結構暑くなってきた。上茅原で木陰を見つけて一休みすることにする。

山頭火の世界ですね。

沢ノボラーとして自分自身の目で最初のひとしずくを確認した多くの谷々がある。
上流域から河口近くまで歩き通すことができた今回の旅は,
終わってみるとそれなりに共通のテーマに貫かれた歩き旅であった。


源流はお得意分野。河口近くまで自分の足で歩き感慨深いでしょうね。
川幅80mの飛騨川でも「沢登り」なんですね。
100mのロープを引っ張って泳いで横断するって、考えられない。

近いうちに機会を見つけて和歌山街道を高見山から和歌山城下まで歩いてみようと思っている。紀ノ川を最初の一滴から辿るまた別の旅になるに違いない。

つぎつぎに歩いてみたい街道が出てきますね。
高見山から和歌山城下までは「伊勢街道」「大和街道」と名前が変わります。
報告を楽しみに待っています。


              グー(伊勢山上住人)

Re: 【伊勢本街道】櫛田川を最初の一滴から辿る旅の終焉(田丸〜小片野)

Posted: 2024年7月01日(月) 10:17
by シュークリーム
グーさん,おはようございます。レスありがとうございます。
グーさんのレポがしばらく上がっていなかったので,どうしているのかなと思っていました。仕事の引き継ぎで忙しかったのかな?


養蜂の箱が並んでいるのは白米城の麓とか頂山の登山口で見ました。
zippさんは養蜂の手伝いをしているそうです。
田舎の地蔵堂の床下にミツバチが出入りしていたので
従弟が近くに巣箱を置いたら入ったそうです。おすそ分けゲットできるかな?
通さんはアナフィラキシーショックをものともせず、命を懸けていますね。


そうですか。見かけないだけで意外とあちこちで養蜂をしているのかな?
そういえば,芸濃町の私の知り合いの実家が養蜂家だったですね。


いろいろな人に出合えるのはいいですね。

はい,自分で動いているといろいろな人や出来事に出会います。山を歩いているよりもそのような機会は多いでしょうね。私が街道を歩く理由もその辺にあります。

「相可」は発音では「おーか」ふりがなは「おうか」です。

そうだったですね。振り仮名を打つ時になんか違和感を感じてました。
本文を訂正しときました。ご指摘ありがとうございます。


皆さんよく勉強していますね。グーは社会科は苦手科目です。

わりばしさんの影響かな?
わりばしさんほどマニアックじゃないけど,歩いている場所がニアミスしています。


山頭火の世界ですね。

漂泊の俳人ですね。
私は山頭火の作品を読んだことがないし,よく知らないのですが,今度勉強してみます。


源流はお得意分野。河口近くまで自分の足で歩き感慨深いでしょうね。
川幅80mの飛騨川でも「沢登り」なんですね。
100mのロープを引っ張って泳いで横断するって、考えられない


ネットや新聞に書いてあることがどこまで本当かわからないですけどね。
映像で見る限り,あれだけ川幅と水量がある川をロープを引っ張って横断することはほぼ不可能だと思いますけど。もし本当にそれをやってたんだったら流されて当然だと思いますが。


つぎつぎに歩いてみたい街道が出てきますね。
高見山から和歌山城下までは「伊勢街道」「大和街道」と名前が変わります。
報告を楽しみに待っています。


伊勢本街道も歩いてみたいし,東海道はまだ積み残しがあるし,古座街道や熊野古道小辺路も歩きたいし,まだまだ歩きたいところがいっぱいです。いつ山に戻れるんだろうか。