【野坂山地】 ちいさくなったおおきな背中を追いかけて 2 コアジサイ咲く野坂岳へ
Posted: 2024年6月26日(水) 19:50
【日 付】 2024年6月9日
【山 域】 野坂山地 野坂岳
【天 候】 曇り 風強し
【メンバー】 母 sato
【コース】 いこいの森から往復
時折、ぱぁっと小糠雨が舞い落ちる薄灰色の空をチラチラと眺め、ため息をつきながら車を走らせ敦賀の町に入ると、
つやつやとした翠色の山並みが目に飛び込んだ。雨もすっかりと止んでいる。
水気を含んだ空気は、微かに青みを帯びて澄み渡り、その中に浮かぶ山の木々の煌きがぽっとこころを照らす。
「やっぱり、今日でよかった」ほっと気分が落ち着く。
半月ほど前、母から、北陸新幹線に乗って敦賀に行き、野坂岳に登ってみたいと電話があり、
では、6月最初の週末に行こうと即座に決めた。
昨年、金剛山と六甲山に行きたいと電話があり、交通手段を考えるね、と返事をしてぐずぐずしている間に、
ふたつとも日帰りでひとりで行ってしまい、えぇっ?と驚くのと同時にさみしさを感じたからだ。
一週間前の予報では、土曜日が曇り時々晴れで日曜日は朝小雨。土曜日だなと思っていたのに数日前に電話で聞いたら、
弟から土曜日に庭木の剪定をしに来ると連絡があったから日曜日の指定席を買ったという。
私より弟なのね、とこころの中でちょっとすねたりもしていた。
でも雨も止んだ。昨日はお天気はよかったけれど暑くて靄っていた。
今日は涼しくて空気も澄んでいる。よかった、よかった、と頷きながら、敦賀駅へと向かう。
9時34分、6時41分に大宮から乗った東京駅6時16分発の北陸新幹線が到着した。
ぽつぽつと乗客が改札口に向かってくる。でも、母の姿はない。2年前、安曇川駅で待ち合わせをした時には、まっ先に出てきたのに。
トイレに行っているのかな、と思い始めた時、初めて見るムラサキヤシオのような鮮やかな赤紫色のリュックを背負い、
2年前と同じレモン色と若草色のチェックのシャツを羽織り淡いピンク色の帽子を被った母が、ふらりと姿を現した。
「お母さん、こっち」
思わず叫んでしまう。
「あぁ、さとちゃん。どっちにいったらいいのか迷っちゃって。改札口まで長いし。動く歩道があってよかったわ」
照れくさそうに笑いながら改札口を出て、前のめりになって立つわたしの顔をふわっと見つめた。
コンビニでおにぎりとパンを買い、車に乗っていこいの森に向かっていると、母は「野坂岳は敦賀富士と呼ばれていて・・・」
と野坂岳の説明をし始めた。分県登山ガイドの「福井県の山」を読みこんできたという。わたしと違い勉強好きの母らしい。
登山口に車を置くと、看板を見て「ここから山頂までコースタイムで2時間半よ。帰りの新幹線は16時11分発。
今、10時20分だから頂上に着かなくても13時には下り始めるわね」と言い、
歩くと暑くなりそう、と羽織っていたシャツを脱ぎ、今年の母の日に送ったボーダーシャツ姿になって歩き始めた。
リュックは誕生日に送ったモンベルのギフトカードにお金を足して買ったという。
ちいさくなってシャツとリュックの大きさが目立つ後ろ姿にこみあげてくるものを感じながら、後を追って行く。
トチの木地蔵までは、谷沿いの緩やかな道が続いていく。
「こういう道だったら大丈夫なのよね」
「蛇谷ヶ峰からの下りはズルズルの急こう配だったね」
「登りはいいけれど、年と共に、下りが思うように歩けなくなってくるのよ。あと木の根っこが嫌」
しっかりとした足取りで歩きながら「年を取るといろいろなことが難しくなるのよ」と繰り返す。
「お母さん、上を見て」
「あっ、ガイドブックに書いてあったトチの木地蔵ね。こんなところに祀られているのね」
「ここから尾根に入るよ」
大丈夫。この先も道はしっかりとしている。
「ねぇ。敦賀の町が見えるよ」
「あれが敦賀なのね。海も見えるわ」
ゆっくり景色を見ながら登っていると、若い男女のグループがやってきてわたし達を抜いていった。
三人の背中を眺める、むかしは登りで抜かされることがなかったという母。
「年を取るといろいろなことが難しくなる」という母の気持ちを思いしんみりとなる。
「わぁ、コアジサイがたくさん咲いているよ」
「ほんとね。きれいな紫色。関東の山のコアジサイは白っぽいのだけど」
見事なコアジサイの回廊に、ぱぁっとふたりの顔が華やぐ。そして、2年前もそうだったな、と思い出す。
コアジサイを見てしんみりとした気持ちが吹き飛んだ。会話も同じ。母は覚えているだろうか。
ヤマボウシやエゴ、タンナサワフタギの白い花々も現れた。
「きれいねぇ」
「うん、きれいだね」
「この時期に咲く花は、曇り空が似合うわね。歩くのも曇っていた方が楽」
「そうだね」
緑の海に木々の白い花、コアジサイの薄紫色の花が浮かぶ、透き通った静けさに満ちた6月の曇天の野坂岳に、
母とわたし、ふたりのしみじみとした声が流れていく。今日でよかったとあらためて思う。
どこかで休憩しようと思ったが、お地蔵さまが祀られた一ノ岳でも、ブナの森の二ノ岳でも、
母は休まなくてもいいと言って進んでいった。三ノ岳からの急坂もおしゃべりしながら止まらずに登っていく。
ひとりの時は、滅多に休まないと聞いていたけれど、びっくりだ。母のお友達の話を聞いているうちに避難小屋が見えた。
時計を見ると12時半。
「お母さん、すごいね。コースタイムより20分も早いよ」
「休まなかったからよ」と言いながら、母もにっこり。
山頂は強風が吹き荒れていた。景色を眺めながら休憩をしたかったけれど無理。
避難小屋でご飯を食べようと戻ろうとしたが、このまま山頂を後にしてしまうのが、なんだかかなしくなり
「お母さん、記念撮影をしよう」と言ってみた。
「どこに立ったらいい?」と聞かれて、ちょっとびっくりした。
デジカメの時代になってから写真を撮るのをやめた母。しわだらけの顔の写真なんか見たくない、と言っていたのに。
30年ぶりの記念撮影。強風とうれしさで手が震え、なかなかピントが合わなくて「もうちょっと待ってぇ」と何度も叫んでしまう。
嶽権現さまを祀る祠が置かれた避難小屋に入り、おにぎりとパンの簡単な昼食を済ませると、
母は小屋内を興味深げに眺めていた。雪の野坂岳の写真を見て、こんなに雪が積もるのねと驚く。
うつくしい雪の野坂岳を見せてあげたかったな、とせつなくなる。
13時。予定通りに下り始める。下りも話題は大学時代からの母のお友達の近況。
さみしいね、さみしいね、とふたりで言いながら下っていく。
さみしくて、コアジサイの回廊を歩く母の後ろ姿を、気づかれないようにそっと写真に収めてしまう。
下りもノンストップ。15時ちょうどに駐車場に戻って来た。
「お母さん、すごいね。金剛山も六甲山もびっくりだけど、日帰りで敦賀まで行って山に登ってきたってお友達に話したらびっくりするよ」
「真夏の暑さだったらばてて頂上まで行けなかったかも。風があって涼しくてよかった。まぁ、でもまだ歩けるかなと安心したわ」
山頂が目的ではないけれど、山頂に行けてほんとうによかったと思う。
新幹線の時間には十分間に合う。ゆっくり運転しながら駅へと向かう。
「帰りも白山は見えるかしら。白山には登れずじまいだったわ」
窓の外を眺めながら、ぽつりと母が呟く。
千葉からは遠い白山。北陸新幹線が開通した今は、大宮駅から金沢駅まで2時間、福井駅は2時間35分で着くそうだ。
胸がきゅっと締め付けられたが、そうだ、と気が付く。小松駅か福井駅から白山を眺める山には登れるではないか。
「ねぇ、お母さん。今度は小松か福井駅で待ち合わせしよう。白山が見える山がいろいろとあるよ」
「そうなの?私も、あと2年、85歳までは歩く予定よ」
あと2年という響きが鼻の奥を刺激する。
立体駐車場に着いた。
まだ時間があるけれど、今日もプラットホームで待つという。改札口まで一緒に歩く。
「じゃあ、今度は福井駅か小松駅でね」
「じゃあね」
母は、それ以上何も言わず、でも、にこりと笑い、手を振って、すっと改札口の向こうに消えて行った。
出てきた時に見た、ふらりとした姿がうそのようにまっすぐに。
sato
【山 域】 野坂山地 野坂岳
【天 候】 曇り 風強し
【メンバー】 母 sato
【コース】 いこいの森から往復
時折、ぱぁっと小糠雨が舞い落ちる薄灰色の空をチラチラと眺め、ため息をつきながら車を走らせ敦賀の町に入ると、
つやつやとした翠色の山並みが目に飛び込んだ。雨もすっかりと止んでいる。
水気を含んだ空気は、微かに青みを帯びて澄み渡り、その中に浮かぶ山の木々の煌きがぽっとこころを照らす。
「やっぱり、今日でよかった」ほっと気分が落ち着く。
半月ほど前、母から、北陸新幹線に乗って敦賀に行き、野坂岳に登ってみたいと電話があり、
では、6月最初の週末に行こうと即座に決めた。
昨年、金剛山と六甲山に行きたいと電話があり、交通手段を考えるね、と返事をしてぐずぐずしている間に、
ふたつとも日帰りでひとりで行ってしまい、えぇっ?と驚くのと同時にさみしさを感じたからだ。
一週間前の予報では、土曜日が曇り時々晴れで日曜日は朝小雨。土曜日だなと思っていたのに数日前に電話で聞いたら、
弟から土曜日に庭木の剪定をしに来ると連絡があったから日曜日の指定席を買ったという。
私より弟なのね、とこころの中でちょっとすねたりもしていた。
でも雨も止んだ。昨日はお天気はよかったけれど暑くて靄っていた。
今日は涼しくて空気も澄んでいる。よかった、よかった、と頷きながら、敦賀駅へと向かう。
9時34分、6時41分に大宮から乗った東京駅6時16分発の北陸新幹線が到着した。
ぽつぽつと乗客が改札口に向かってくる。でも、母の姿はない。2年前、安曇川駅で待ち合わせをした時には、まっ先に出てきたのに。
トイレに行っているのかな、と思い始めた時、初めて見るムラサキヤシオのような鮮やかな赤紫色のリュックを背負い、
2年前と同じレモン色と若草色のチェックのシャツを羽織り淡いピンク色の帽子を被った母が、ふらりと姿を現した。
「お母さん、こっち」
思わず叫んでしまう。
「あぁ、さとちゃん。どっちにいったらいいのか迷っちゃって。改札口まで長いし。動く歩道があってよかったわ」
照れくさそうに笑いながら改札口を出て、前のめりになって立つわたしの顔をふわっと見つめた。
コンビニでおにぎりとパンを買い、車に乗っていこいの森に向かっていると、母は「野坂岳は敦賀富士と呼ばれていて・・・」
と野坂岳の説明をし始めた。分県登山ガイドの「福井県の山」を読みこんできたという。わたしと違い勉強好きの母らしい。
登山口に車を置くと、看板を見て「ここから山頂までコースタイムで2時間半よ。帰りの新幹線は16時11分発。
今、10時20分だから頂上に着かなくても13時には下り始めるわね」と言い、
歩くと暑くなりそう、と羽織っていたシャツを脱ぎ、今年の母の日に送ったボーダーシャツ姿になって歩き始めた。
リュックは誕生日に送ったモンベルのギフトカードにお金を足して買ったという。
ちいさくなってシャツとリュックの大きさが目立つ後ろ姿にこみあげてくるものを感じながら、後を追って行く。
トチの木地蔵までは、谷沿いの緩やかな道が続いていく。
「こういう道だったら大丈夫なのよね」
「蛇谷ヶ峰からの下りはズルズルの急こう配だったね」
「登りはいいけれど、年と共に、下りが思うように歩けなくなってくるのよ。あと木の根っこが嫌」
しっかりとした足取りで歩きながら「年を取るといろいろなことが難しくなるのよ」と繰り返す。
「お母さん、上を見て」
「あっ、ガイドブックに書いてあったトチの木地蔵ね。こんなところに祀られているのね」
「ここから尾根に入るよ」
大丈夫。この先も道はしっかりとしている。
「ねぇ。敦賀の町が見えるよ」
「あれが敦賀なのね。海も見えるわ」
ゆっくり景色を見ながら登っていると、若い男女のグループがやってきてわたし達を抜いていった。
三人の背中を眺める、むかしは登りで抜かされることがなかったという母。
「年を取るといろいろなことが難しくなる」という母の気持ちを思いしんみりとなる。
「わぁ、コアジサイがたくさん咲いているよ」
「ほんとね。きれいな紫色。関東の山のコアジサイは白っぽいのだけど」
見事なコアジサイの回廊に、ぱぁっとふたりの顔が華やぐ。そして、2年前もそうだったな、と思い出す。
コアジサイを見てしんみりとした気持ちが吹き飛んだ。会話も同じ。母は覚えているだろうか。
ヤマボウシやエゴ、タンナサワフタギの白い花々も現れた。
「きれいねぇ」
「うん、きれいだね」
「この時期に咲く花は、曇り空が似合うわね。歩くのも曇っていた方が楽」
「そうだね」
緑の海に木々の白い花、コアジサイの薄紫色の花が浮かぶ、透き通った静けさに満ちた6月の曇天の野坂岳に、
母とわたし、ふたりのしみじみとした声が流れていく。今日でよかったとあらためて思う。
どこかで休憩しようと思ったが、お地蔵さまが祀られた一ノ岳でも、ブナの森の二ノ岳でも、
母は休まなくてもいいと言って進んでいった。三ノ岳からの急坂もおしゃべりしながら止まらずに登っていく。
ひとりの時は、滅多に休まないと聞いていたけれど、びっくりだ。母のお友達の話を聞いているうちに避難小屋が見えた。
時計を見ると12時半。
「お母さん、すごいね。コースタイムより20分も早いよ」
「休まなかったからよ」と言いながら、母もにっこり。
山頂は強風が吹き荒れていた。景色を眺めながら休憩をしたかったけれど無理。
避難小屋でご飯を食べようと戻ろうとしたが、このまま山頂を後にしてしまうのが、なんだかかなしくなり
「お母さん、記念撮影をしよう」と言ってみた。
「どこに立ったらいい?」と聞かれて、ちょっとびっくりした。
デジカメの時代になってから写真を撮るのをやめた母。しわだらけの顔の写真なんか見たくない、と言っていたのに。
30年ぶりの記念撮影。強風とうれしさで手が震え、なかなかピントが合わなくて「もうちょっと待ってぇ」と何度も叫んでしまう。
嶽権現さまを祀る祠が置かれた避難小屋に入り、おにぎりとパンの簡単な昼食を済ませると、
母は小屋内を興味深げに眺めていた。雪の野坂岳の写真を見て、こんなに雪が積もるのねと驚く。
うつくしい雪の野坂岳を見せてあげたかったな、とせつなくなる。
13時。予定通りに下り始める。下りも話題は大学時代からの母のお友達の近況。
さみしいね、さみしいね、とふたりで言いながら下っていく。
さみしくて、コアジサイの回廊を歩く母の後ろ姿を、気づかれないようにそっと写真に収めてしまう。
下りもノンストップ。15時ちょうどに駐車場に戻って来た。
「お母さん、すごいね。金剛山も六甲山もびっくりだけど、日帰りで敦賀まで行って山に登ってきたってお友達に話したらびっくりするよ」
「真夏の暑さだったらばてて頂上まで行けなかったかも。風があって涼しくてよかった。まぁ、でもまだ歩けるかなと安心したわ」
山頂が目的ではないけれど、山頂に行けてほんとうによかったと思う。
新幹線の時間には十分間に合う。ゆっくり運転しながら駅へと向かう。
「帰りも白山は見えるかしら。白山には登れずじまいだったわ」
窓の外を眺めながら、ぽつりと母が呟く。
千葉からは遠い白山。北陸新幹線が開通した今は、大宮駅から金沢駅まで2時間、福井駅は2時間35分で着くそうだ。
胸がきゅっと締め付けられたが、そうだ、と気が付く。小松駅か福井駅から白山を眺める山には登れるではないか。
「ねぇ、お母さん。今度は小松か福井駅で待ち合わせしよう。白山が見える山がいろいろとあるよ」
「そうなの?私も、あと2年、85歳までは歩く予定よ」
あと2年という響きが鼻の奥を刺激する。
立体駐車場に着いた。
まだ時間があるけれど、今日もプラットホームで待つという。改札口まで一緒に歩く。
「じゃあ、今度は福井駅か小松駅でね」
「じゃあね」
母は、それ以上何も言わず、でも、にこりと笑い、手を振って、すっと改札口の向こうに消えて行った。
出てきた時に見た、ふらりとした姿がうそのようにまっすぐに。
sato
昨年、金剛山と六甲山に行きたいと電話があり、交通手段を考えるね、と返事をしてぐずぐずしている間に、