【高見山地】古道と峠はどこだの大定越

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わりばし
記事: 1771
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【高見山地】古道と峠はどこだの大定越

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2024年4月20日(土)
【山 域】高見山地
【コース】大淀川P8:21---9:20下向---10:20大定峠---11:20大淀川P

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.403989/13 ... z0r0s0m0f1
【メンバー】単独

 国道166号線は櫛田川に沿って飯高町七日市から乙栗子に大きく回り込むようにつけられているが、紀州街道は七日市上り集落のはずれからP437の鞍部を越えて乙栗子下向集落につながっていた。下向側には道が残っているようなので、上りから山越えをすることにした。

P437の鞍部
P437の鞍部

 法面が修復された旧道より林道が続いている。はるか下を櫛田川が流れ、ここにそそぐ支流が大淀川で、ここから大定峠の名はついたようだ。林道が堰堤の谷に出合う所から道を進むが堰堤を過ぎたあたりで消え、道のありそうな堰堤の谷の右岸に取りつく。ヤブの斜面を木の根だよりで尾根まで上ると道が出てきた。植林の杣道だったようで尾根芯をはずして道はつけられているが、歩く人はおらずヤブになっている所が多い。トラバースしながら切通になっているP437の鞍部に着くが、古道の峠といった感じはない。周辺を探してもあるはずの役の行者の祠が無い。峠の場所がずれているのかなと下向方面に下っていくと道幅も広がり立派な道になってきた。時代が進んだとはいえ紀州徳川藩の参勤交代の道だけにこうでなくちゃいけない。道に古い緑のサイダー瓶が落ちている。瓶底に宝の大きな逆エンボス文字があり、明治42年に宝塚鉱泉合資会社が販売したタカラサイダーだ。明治22年頃ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏が宝塚市で炭酸鉱泉を発見し販売がはじまった。CMで見かけるウィルキンソン炭酸水はここからきている。完品の状態のいいものを拾った。道を下っていくと下向に着いてしまい、民家の裏に出た。

タカラサイダー瓶
タカラサイダー瓶

 ゴミを燃やしている老人に話を聞くと、峠の祠には小学校の頃に行ったことがあり当時は祭りもしていたそうだ。この話を聞いて、もう一度上り返すことにした。紀州街道は、下向から二俣に向けて東に延びた途中で切れている道沿いから上ったようなので、広い道をもどり紀州街道と交差する尾根のあたりを探る。このあたりにおれん茶屋があったようなので探るが目印となる大岩が見つからない。探していると少し上に広い道があるので、追うと祠のある大定峠に着いた。峠は鞍部の上の尾根が広がった場所を越えていた。

乙栗子側の道
乙栗子側の道

 役行者の祠と常夜灯がある。祠は建て替えられたようで、以前の瓦吹の祠の瓦が横に片付けられていた。常夜灯は施主は本陣のあった七日市の人だ。少し広くなった峠にはシャクナゲが咲き、風も通り心地よい。たくさんの人たちが休憩する場所として広い尾根を選んだのだろう。峠を九十九折になって下っている。鹿よけネットに邪魔されるが、どうにかくぐりぬける。古道はしっかりとつながって小尾根を使って堰堤の谷に下っていく。峠からは黄色とピンクのテープが案内してくれる。尾根を九十九折を使いながらゆっくりと高度を下げていくしっかりとした溝道でここに間違いない。堰堤の谷に降りると、時たま尾根上に溝道が顔を出す感じになる。道は落ちている所もあるので適当に下っていくと朝歩いた林道に出た。

大定峠
大定峠
七日市側の道
七日市側の道

 大定越は今下ってきた道で峠を越え、広い杣道をおれん茶屋の尾根まで歩き、ここから二俣に下り東に延びた途中で切れている道につながるようだ。峠の役行者の祠には正月にかけ替えられた注連縄としきみが進ぜてあり、今でも訪れる人はいる。
シュークリーム
記事: 2067
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【高見山地】古道と峠はどこだの大定越

投稿記事 by シュークリーム »

わりばしさん,おはようございます。
相変わらず消えた峠道の探索をされていますね。


 国道166号線は櫛田川に沿って飯高町七日市から乙栗子に大きく回り込むようにつけられているが、紀州街道は七日市上り集落のはずれからP437の鞍部を越えて乙栗子下向集落につながっていた。下向側には道が残っているようなので、上りから山越えをすることにした。

ちょうど和歌山街道を歩いてみようと思っていて,県庁へ行って無料で配布している街道ウオーキングマップを手に入れたところでした。
確かにこの辺り,ルートが不明となっていて点線になっていますね。


道に古い緑のサイダー瓶が落ちている。瓶底に宝の大きな逆エンボス文字があり、明治42年に宝塚鉱泉合資会社が販売したタカラサイダーだ。明治22年頃ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏が宝塚市で炭酸鉱泉を発見し販売がはじまった。CMで見かけるウィルキンソン炭酸水はここからきている。完品の状態のいいものを拾った。道を下っていくと下向に着いてしまい、民家の裏に出た。

わりばしさんが好きな古い瓶ですね。もうだいぶコレクションがたまったでしょう。奥さん,文句言ってないですか?

 ゴミを燃やしている老人に話を聞くと、峠の祠には小学校の頃に行ったことがあり当時は祭りもしていたそうだ。この話を聞いて、もう一度上り返すことにした。紀州街道は、下向から二俣に向けて東に延びた途中で切れている道沿いから上ったようなので、広い道をもどり紀州街道と交差する尾根のあたりを探る。このあたりにおれん茶屋があったようなので探るが目印となる大岩が見つからない。探していると少し上に広い道があるので、追うと祠のある大定峠に着いた。峠は鞍部の上の尾根が広がった場所を越えていた。

ウオーキングマップを見ると西側の方が道が残っていそうなので,西側から登った方が道が見つけやすそうですね。

 大定越は今下ってきた道で峠を越え、広い杣道をおれん茶屋の尾根まで歩き、ここから二俣に下り東に延びた途中で切れている道につながるようだ。峠の役行者の祠には正月にかけ替えられた注連縄としきみが進ぜてあり、今でも訪れる人はいる。

お疲れさんでした。
櫛田川沿いに歩くとかなりの遠回りになるので,峠越えのルートにしたんでしょうねえ。
私もそのうち行ってみます。
                         @シュークリーム@
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わりばし
記事: 1771
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【高見山地】古道と峠はどこだの大定越

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、シュークリームさん。

 国道166号線は櫛田川に沿って飯高町七日市から乙栗子に大きく回り込むようにつけられているが、紀州街道は七日市上り集落のはずれからP437の鞍部を越えて乙栗子下向集落につながっていた。下向側には道が残っているようなので、上りから山越えをすることにした。

ちょうど和歌山街道を歩いてみようと思っていて,県庁へ行って無料で配布している街道ウオーキングマップを手に入れたところでした。
確かにこの辺り,ルートが不明となっていて点線になっていますね。


道は堰堤工事で寸断されちゃったみたいです。
峠からは黄色・ピンクテープを追っていくと辿れます。


役の行者
役の行者

道に古い緑のサイダー瓶が落ちている。瓶底に宝の大きな逆エンボス文字があり、明治42年に宝塚鉱泉合資会社が販売したタカラサイダーだ。明治22年頃ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏が宝塚市で炭酸鉱泉を発見し販売がはじまった。CMで見かけるウィルキンソン炭酸水はここからきている。完品の状態のいいものを拾った。道を下っていくと下向に着いてしまい、民家の裏に出た。

わりばしさんが好きな古い瓶ですね。もうだいぶコレクションがたまったでしょう。奥さん,文句言ってないですか?

大正時代頃は緑や青の瓶も多いので嫁は花生けに使っています。
結構いい感じです。
青の佃煮の瓶なん映えますよ。


櫛田川
櫛田川

 ゴミを燃やしている老人に話を聞くと、峠の祠には小学校の頃に行ったことがあり当時は祭りもしていたそうだ。この話を聞いて、もう一度上り返すことにした。紀州街道は、下向から二俣に向けて東に延びた途中で切れている道沿いから上ったようなので、広い道をもどり紀州街道と交差する尾根のあたりを探る。このあたりにおれん茶屋があったようなので探るが目印となる大岩が見つからない。探していると少し上に広い道があるので、追うと祠のある大定峠に着いた。峠は鞍部の上の尾根が広がった場所を越えていた。

ウオーキングマップを見ると西側の方が道が残っていそうなので,西側から登った方が道が見つけやすそうですね。

下向から二俣に向けて東に延びた途中で切れている道から取りつくのが正解のように思います。
帰りをどうするかという問題は残りますが・・・
私は下向に自転車をデポしておいたのですが、結局使わずじまいでした。
:mrgreen:

波瀬本陣跡
波瀬本陣跡

 大定越は今下ってきた道で峠を越え、広い杣道をおれん茶屋の尾根まで歩き、ここから二俣に下り東に延びた途中で切れている道につながるようだ。峠の役行者の祠には正月にかけ替えられた注連縄としきみが進ぜてあり、今でも訪れる人はいる。

お疲れさんでした。
櫛田川沿いに歩くとかなりの遠回りになるので,峠越えのルートにしたんでしょうねえ。
私もそのうち行ってみます。


3倍ぐらいかかります。
当時は1時間あれば峠越えできたでしょうね。
また、行ってみてください。

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