【南伊勢】笠木越(かちんぽうの道)と大皇神社

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わりばし
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登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【南伊勢】笠木越(かちんぽうの道)と大皇神社

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2024年3月2日(土)
【山 域】南伊勢
【コース】報徳診療所前8:01---11:25笠木峠---13:30大皇神社
【メンバー】単独

 北畠氏が治めていた南伊勢から塩と魚を吉野に運んだ道がある。古和浦の古和一族から大台町粟谷の霊符山太陽寺を経て、櫛田川沿筋の和歌山街道に出て高見峠越で吉野に向かった。その中で大台町の宮川筋から大紀町の大内山川筋に乗越す笠木峠を越える峠路を歩くことにした。

 山海の郷紀勢に駐車しJR伊勢柏崎6時39分発の列車に乗る。土曜日なのでだれも乗らないのだろうなと思っていたが、高校生がたくさん乗ってくる。この列車をのがすと2時間後にしか来ない。駅前の南伊勢町営バスの時刻表を見ると古和浦に向かう路線だけが載っている。現在でも古和浦の玄関口として柏崎は位置づけられているようだ。三瀬谷駅で降りて7時45分発の大台町営バスに乗り報徳診療所前で下車した。

 宮川を渡り薗集落の奥にある奥伊勢フォレストピアに向かう。つり橋で対岸に渡り林道に入っていく。323標高点のある尾根の末端から取りつく。笠木越の道は古代からつづく道だが国土地理院の地図には載っていない。


かさぎこへ道標
かさぎこへ道標

 登り口には左「かさぎごへ」の道標があり魚の道(かちんぽ道)として使われていたという説明書きがある。徒歩荷カチニの担い棒のことで、太陽寺から三条山の鞍部を越える田引越につながっている。炭窯跡から上りだすとシダにおおわれた部分もあるが道はゆるやかに上って行く。尾根芯を少し外して歩きやすいように道をつけている。稜線付近は自然林が残っており明るい尾根を古道が続いている。薗区とペイントされた木が何本かあり薗区の共有林になっているようだ。道はP516の山腹をトラバースして鞍部につながる。P516には清水谷の高とワワ越のプレートがかかっていた。

 南東に伸びる尾根を進み最後はP649の南の鞍部に向かうように道はつけられている。稜線には歩きやすい道が続き、時折アガリコの木が出てくる。アガリコは炭焼き用の木材を調達するために木の下部で伐採した後、そこから適度な太さの木が何本か育った木のことだ。炭焼きの盛んな場所でよく見かける。本来は、もっとあったのだろうが植林のために稜線上にしか残っていない。南の鞍部への上りは九十九折の道跡が残っていた。

笠木峠の地蔵
笠木峠の地蔵

 鞍部に着くとP678の笠木の高と笠木峠への分岐だった。笠木峠には紀勢町未整備と記されてあり、道は簿妙な感じでトラバースし広く開けた場所に出た。峠かと思い探るがここではないようだ。さらにトラバースし木が生えている嵓を目指す。魚の道の赤テープがあり、先に進むと峠に着いた。暗い植林の中で笠木峠に光が差しており光の中に天保14年(1843年)に祀られた地蔵があった。P678から東に延びる尾根を乗越す形の峠で、笠木川の源頭部になり植林地になるまでは明るい気持ちの良い場所だったのだろう。朝早かったので、ここで昼食を取った。

笠木峠
笠木峠

 峠からは弓張林道の登山口に向かって下っていく。植林地の中なのではっきりしなので広がった谷筋から下った。中州のようになっている場所に行くと炭窯跡があり、ここに古道は続いていた。峠からは平たん地を経由して下るように道はつけられていて、黄色テープをたどればよかったようだ。窯跡から下ると左岸に杣道がきているのでここを進む。谷筋は連瀑になっていてこれを避けて道はつけられていた。峠から薗越という看板が出てくる。笠木から見ると薗越で薗から見ると笠木越になり意味は同じだ。ただ国土地理院にある薗越とは場所が違う。

笠木木屋の山の神
笠木木屋の山の神

 林道を歩き笠木集落を通るといくつかの山の神が祀られている。その中で祠の前に注連縄を渡し、その先の木の枝に小さい注連縄がかかっていた山の神が気になった。柏崎には、木地師の南伊勢の中心になる大皇神社があるので、寄ってみた。承久2年(1220年)に小椋助之丞らが飯南郡川俣谷を越えて大皇神社を勧請したようだ。石段を上がっていくと菊の紋章が中央に掲げられた社殿と杉の大木が両側に立っており風格を感じさせる。社殿造営の寄進者の芳名は木地集落ごとに記載されていた。注連小路木屋、古和河内木屋、垣内後木屋、長野木屋、宮ノ上木屋、笠木木屋、沖田・上野木屋、錦木屋、横谷木屋の名前があった。北畠家より「宮川から8合目以上の所にある大きな木は伐採自由であるぞよ」という安堵状が出ており柏崎文書と呼ばれている。笠木集落の山の神の注連縄も木地師の伝統に基づくものかもしれない。

大皇神社
大皇神社

柏崎には北畠の城があり、周囲には北畠と友好関係にある木地集落が点在し木地集落の南伊勢の総本山になる大皇神社がある。
柏崎を見守る行者山には役行者が祀られていて修験の匂いも残っている。
南北朝時代の北畠氏を知るうえでおもしろい場所だと思いながら帰路についた。
最後に編集したユーザー わりばし [ 2024年3月07日(木) 05:18 ], 累計 2 回
グー(伊勢山上住人)
記事: 2227
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【南伊勢】笠木越(かちんぽうの道)と大皇神社

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

わりばしさん、こんばんは。
また難解なレポを上げてくれましたね。
レスしようかどうか迷ったけれど、暇だから書こうかな。

JR伊勢柏崎6時39分発の列車に乗る。
三瀬谷駅で降りて7時45分発の大台町営バスに乗り


なんと!自転車のデポじゃなくって公共交通機関にいっぱい乗るんだ。
そんなに遠いトコから歩いて戻ってこられるのだろうか?

323標高点のある尾根の末端から取りつく。

取り付き口は確認できました。

徒歩荷カチニの担い棒のこと

??
「とほにかちに」と読むの?
「とほにりきちに」と読むの?
「天秤棒」のことだとは分かるのだけど。

太陽寺から三条山の鞍部を越える田引越

「田引越」か。ヤブ漕ぎをしてみようかな。

道はP516の山腹をトラバースして鞍部につながる。P516には清水谷の高とワワ越のプレートがかかっていた。

???
P516の山腹をトラバースしたら、P516の山頂は踏まないのでしょ?
鞍部から山頂をピストンしたの? 無駄なエネルギーを使うのですね。

最後はP649の南の鞍部に向かうように道はつけられている。

ここも山腹をトラバースですよね?
P649のプレートを確認しにピストンしたの?

笠木峠 P678から東に延びる尾根を乗越す形の峠で

正確には分からないけど大体の位置は分かります。

笠木から見ると薗越で薗から見ると笠木越になり意味は同じだ。

名古屋市北東の守山市(現守山区)から飯高町粟野まで
中学・高校生の頃、自転車で何回か往復しました。
その頃地形図を買ったのですが国道166号線が
三重県なのに「和歌山街道」奈良県なのに「伊勢街道」
ナンデカナ?と不思議に思っていました。

笠木集落の山の神の注連縄も木地師の伝統に基づくものかもしれない。

地形図で辿ればそんなにも長距離ではなかったですね。
マナコ谷に置き車をして、ヌタウ登山口まで移動するようなものですね。

まだまだ延々と続きがありそうです。


                グー(伊勢山上住人)
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【南伊勢】笠木越(かちんぽうの道)と大皇神社

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、グーさん。

また難解なレポを上げてくれましたね。
レスしようかどうか迷ったけれど、暇だから書こうかな。


お付き合いいただきありがとうございます。
笠木峠の歴史は古く
「縄文―弥生中期の物とみられる石鏃(全長約1・3センチ)と、古墳―飛鳥奈良時代とみられる須恵器片(縦約4センチ、横約4・5センチ)、江戸時代以前とみられる数センチ大の土師(はじ)器片など10点。」が発見されています。

JR伊勢柏崎6時39分発の列車に乗る。
三瀬谷駅で降りて7時45分発の大台町営バスに乗り


なんと!自転車のデポじゃなくって公共交通機関にいっぱい乗るんだ。
そんなに遠いトコから歩いて戻ってこられるのだろうか?


自転車で戻るには難しい距離でして
久々に公共交通機関でつなぎました。


323標高点のある尾根の末端から取りつく。

取り付き口は確認できました。

ここには案内板がありますが、フォレストピア内には笠木越の案内はありません。

徒歩荷カチニの担い棒のこと

??
「とほにかちに」と読むの?
「とほにりきちに」と読むの?
「天秤棒」のことだとは分かるのだけど。


「徒歩荷」で「かちに」と読むのかな?

かちんぽうの道
かちんぽうの道

太陽寺から三条山の鞍部を越える田引越

「田引越」か。ヤブ漕ぎをしてみようかな。

櫛田川の難所をワープするために田引越は奈良に行くルートとして大昔から使われていたようです。
ぜひ行ってみてください。


道はP516の山腹をトラバースして鞍部につながる。P516には清水谷の高とワワ越のプレートがかかっていた。

???
P516の山腹をトラバースしたら、P516の山頂は踏まないのでしょ?
鞍部から山頂をピストンしたの? 無駄なエネルギーを使うのですね。


ここはピストンしました。
あまり歩かれてない感じでしたが・・


最後はP649の南の鞍部に向かうように道はつけられている。

ここも山腹をトラバースですよね?
P649のプレートを確認しにピストンしたの?


ここはピストンせずにトラバースのみです。

笠木峠 P678から東に延びる尾根を乗越す形の峠で

正確には分からないけど大体の位置は分かります。

トラバースしながら支尾根を乗越す形の峠です。

笠木峠近くの嵓
笠木峠近くの嵓

笠木から見ると薗越で薗から見ると笠木越になり意味は同じだ。

名古屋市北東の守山市(現守山区)から飯高町粟野まで
中学・高校生の頃、自転車で何回か往復しました。
その頃地形図を買ったのですが国道166号線が
三重県なのに「和歌山街道」奈良県なのに「伊勢街道」
ナンデカナ?と不思議に思っていました。

今のように情報が行き交う時代ではないので
利用頻度の多い人の呼び方になります。
鈴鹿山脈でも峠の名前が2つあるのはよくありましたが・・
地図になる際にどちらかに統一されちゃいましたね。


笠木集落の山の神の注連縄も木地師の伝統に基づくものかもしれない。

北畠の城が柏崎にあり
北畠と友好関係にある木地集落が点在し
木地集落の南伊勢の総本山なる大皇神社も柏崎です。
柏崎を見守る行者山には役行者が祀られていて
おもしろい場所だと思いますが。


行者山
行者山

まだまだ延々と続きがありそうです。

今後もおつきあいよろしくお願いします。 :mrgreen:
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【南伊勢】古和越と桧尾越(塩の道)

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2024年3月9日(土)
【山 域】南伊勢
【コース】胡桃8:13---9:22桧尾峠---10:18古和峠---10:50胡桃
【メンバー】単独

 笠木峠を越えた柏崎から古和河内川に沿って走り胡桃集落のパン屋の前の空き地に駐車する。山を越えた南島には竃と名のつく集落が7つあり、塩窯を持ち製塩を生業としていた。この塩を南北朝時代に吉野に運んだ峠路を歩いくことにした。

 胡桃の道が北に湾曲している所に桧尾峠への破線道が降りてきている。登り口は荒れた感じだが上るにつれしっかりとしてくる。尾根の溝道を上ると谷を巻く水平道となり炭窯跡がある。林道に出てからは旧道を併用しながら桧尾峠に着いた。ここを下ると神崎浦で北畠氏とともに南朝方についた加藤氏の本拠地で、子孫は仙宮神社の宮司を代々受け継いでいる。明治以前は仙宮神社、仙宮院(寺)を司っており、仙宮院大日堂の本尊は大日如来で仙宮神社とともに修験道の拠点として存在した。


桧尾越の道
桧尾越の道

 尾根にそって上り、桧尾越山をすぎたあたりに九鬼山林と刻まれた石の境界杭ある。調べるとゴマ油の九鬼産業がこのあたりで山林管理をおこなっていた。尾根筋にはアガリコの木が次から次へと出てくる。木を下部で伐採した後に、そこから適度な太さの木が何本か育った木のことで、薪に使われた。竃方集落に対して北畠氏が塩を焼く時に必要な薪の山、燃料山の保証をしていた名残なのかもしれない。現在でも2年に1度の竈方祭りで、北畠氏から拝領した焚き木山の安堵状の受け渡し式が行われている。

古和峠の馬頭観音
古和峠の馬頭観音

 寒谷ノ頭のあたりからは熊野灘が大きく見え、下りきると古和峠に着く。古和峠は寒谷ノ頭と寒谷山の鞍部にあたる破線道が通っている場所で国土地理院の古和峠の場所とは違う。峠の石の祠には馬頭観音が祀られており交易の路であったことがわかる。

古和越の九十九折の道
古和越の九十九折の道

 胡桃集落に向けて破線道はきれいに続いている。九十九折をくしして難なく下れるように道はつけてあり高低差を感じない。沢音が近づくとゆるやかに真っすぐに下っていく。古道は途中でわかにくくなったり、崩れてしまっていることが多いが、古和越の道は峠から林道終点まで完璧に残っている。歩く人のいなくなった道がこの状態で待っていてくれるとは思ってもみなかった。

古和越の地蔵菩薩
古和越の地蔵菩薩

 林道終点の巨大な祠には「古和浦七十丁」と彫られた地蔵さんが祀られていた。古和浦の甘露寺には北畠氏が古和一族に本領安堵するという安堵状が古和文書として残っており、港の高台には古和一族軍忠碑がある。

古和一族の碑
古和一族の碑

 帰りに柏崎の里村商店で「千里一」という酒を買った。その時に店主の祖父が戦時中に美杉の川上八幡宮まで笠木峠を越えて日帰りで参りに行ったという話を聞いた。笠木峠を越え宮川筋に出、田引峠を越えて櫛田川筋に出て若宮峠を経て行ったのだろう。夜道でも歩ける状態の山路だったにしても、山越えの路の広がりに驚かされる。
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