【江越美国境】 三国岳の女神さまは、厳しく優しく、冷たく温かで
Posted: 2024年2月22日(木) 18:38
【日 付】 2024年2月13日
【山 域】 夜叉丸、三国岳周辺
【天 気】 晴れ
【コース】 広野ダム~夜叉ケ池登山口~夜叉丸~三国岳~・965~1010ピーク
~・542~林道~P
7時半。やっとカツラの巨樹とご対面できた。
前日の雨は、南越前町の大門から日野川上流では雪だった。登山口まで一時間半はかかりそうだ。
三周ケ岳の時の反省もあり、広野ダムに駐車して、今日は、すぐに身支度をして、ヘッドランプを付けて出発した。
スノーシューを履き、新雪の積もった林道を、高揚感に包まれ勢いよく歩き始めたが、足首上ほどの潜りでも、
やはり締まった雪より一歩に負担がかかる。
次第に歩みが遅くなり、1時間40分近くかかったが、2時間ぐらい歩いたような気分になっていた。
ドサッとリュックを降ろし、樹の下で朝ご飯のパンをかじる。仰ぎ見た越美、江越国境稜線は、白銀色に輝いている。
見事な霧氷だ。朝の光を浴びて、これでもかというくらいに輝いている。あぁ、とため息が出る。
わたしは、あのうつくしく儚い世界に立つことができるのだろうか。ふいにかなしくなり、鼻の奥がツーンとなり、
あわてて味のしなくなったパンをどんどんと飲み込む。余計なことを考えないよう、出かかった思いも飲み込む。
最後に熱いお湯をゆっくりと味わったら落ち着いた。一歩一歩落ち着いて着実に歩いていこう。
そう思うと、すぅっと穏やかな力が湧いてきた。
橋を渡り、お願いします、とちいさく呟いて、夜叉ケ池夜叉丸に向かう尾根に踏み込む。
斜面を見て、スノーシューの方がいいと思ったが、いざ登り始めると、急斜面を覆う雪は全く締まっていなくて、
ズボズボ潜りズルズルと滑る。木を掴み、雪に手を突っ込み、四つ足歩行でしか登れない。
こんなに潜って滑るのなら、アイゼンの方が歩きやすかった。でも、履き替えられる場所がない。
失敗した、と思うが、でも大丈夫、となだめ、滑り落ちて行かぬようよう慎重に、一歩また一歩と歩みを重ねていく。
記憶は時に厄介だ。登っても登っても傾斜は緩くならない。こんなに急傾斜が続いたっけ?と不安になる。
間違いようのない尾根なのに。
どのくらい時間がかかったのだろう。ひと息つける傾斜になりほっとする。でも、標高を確認して、がっかりする。
まだ標高750m。夜叉ケ池まで350mもある。
そして、「まだ」と「も」と思った時点で、夜叉ケ池は諦めた、というより、無理だと判断した。
白雪姫さまがお眠りになる夜叉ケ池を訪ね、かっこいい雪稜を登り夜叉丸の山頂に立とうと思っていたが、とんでもない。
この雪質のラッセルでは、トラバース地点までまだまだ時間がかかる。
傾斜が落ち着いても、雪質は落ち着いてくれない。
三周ヶ岳と同様、今日もよいしょ、よいしょと自分を励ましながらの登りが続いていく。
でも、やはり、一歩一歩の歩みは着実だ。いつしかまわりは雪を纏った風格のあるブナが立ち並ぶ尾根となり、
標高1100mで、ふんわりとした雪原に出た。あたりの木々はまっ白な霧氷で覆われている。
あぁ、間に合ったのね。満面の笑みがこぼれる。ここから右の夜叉丸山頂に至る尾根へとトラバースしていく。
山頂まであと100m。もう少しだ。ところが、このやさしい地形のやさしく光る雪が、明るくなったこころを挫かせた。
膝下まで潜る重い雪。すぐ横の尾根になかなか登れない。あぁ、今日は余計なものを持ってきてしまった。
リュックが重く感じられ、折り畳み傘とチェーンスパイクを、何で入れっぱなしにしていたのだろう、と後悔する。
よたよたと尾根に乗ると、煌めく霧氷の回廊が出迎えてくれた。足は遅々としているのにこころは忙しい。
また、ぱぁっと光が差しこんで、よろこびに包まれる。頑張ってよかった。青い空もすぐ上に広がっている。
1212m夜叉丸。11時、遮るものがない純白の山頂に辿り着いた。
年末に訪れた三周ヶ岳が目の前に、神々しいまでの白い光を放ち鎮座されている。ふるふるふると微かに揺れていた雪原には、
ナイフの刃のような雪庇が見られる。眼下のまっ白な雪で埋もれた夜叉ケ池は、うつくしい霧氷で縁どられている。
見上げた空は青く澄み渡り、遥かアルプスの峰々まで望む。
足は疲れている。ここでゆっくりと絶景を楽しみ、煌めく雪稜を下り、夜叉ケ池に行こうかな。
霧氷の池は次いつ出会えるか分からない・・・。あまりにも素晴らしい風景を前に、こころは振り子状態に。
時間も気になっていた。この雪をラッセルしながら三国岳まで行き、16時までに林道に下れるか。
重い雪で下りも楽ではないだろう。
地図を広げ、くの字に曲がる越美国境稜線と、緩やかに延びる江越国境稜線を何度か目で往復する。
そして、ごくりと唾を飲み顔を上げる。
静かに眼差しを向けた三国岳は、まっさらな雪と一面の霧氷で白藍色に煌めいていた。
びっくりするくらい冷たく温かく煌めいていた。足元から・1206への白く滑らかな稜線は、眩ゆいばかり。
胸がきゅっと締め付けられる。ピタリと振り子が止まる。あぁ、わたしは、ずっと、三国岳の女神さまにお会いしたかったのだ。
距離はそれほどない。1時間半で辿り着けるか。2時間かかっても13時。下りの江越国境稜線は歩いたことがある。
もう一度三国岳を見つめる。女神さまが微笑んでくださったような気がした。
無積雪期はササで覆われた稜線は、雪の魔法でうつくしき純白の天空の道に。
そしてその道には、昨日の雪と風によって、ちいさな、でもきりりとした雪庇が描かれている。
なんて素敵なのだろう。つい今しがたまで悩んでいたのが嘘のように、からだじゅうに力がみなぎる。
さぁ行こう。天空の道に足跡を刻んでいく。
樹氷の木々の間を抜けると1206ピーク。
この広い台地からの眺望も素晴らしい。ここから、110mあまり下り、同じだけ登ったら三国岳山頂だ。
おおきなおおきな三国岳が、艶やかな雪原の向こうでわたしを見つめている。
今日、やっと目の前でお姿を拝むことが出来ました。今から参りますね。夢見ていたお姿、
しかも新雪と霧氷を纏ったお姿にお会いできるなんて、わたしはしあわせ者です。
手を合わせ、歩みを進めて行く。
鞍部に近づくと尾根は広がりを見せ、やわらかにうねる雪原となる。雪が締まっていたら駆け出したくなるような牧歌的な風景。
この夢のような雪原を自由に駆け回るウサギがうらやましい。ご飯を求めて探し回っているのかもしれないが。
艶やかな雪原に並ぶ、もこもことわたあめのような雪を纏った木々をうっとりと眺めながら一歩を重ねていると、
青い光が目を射った。
12時35分。近江と越前と美濃の境の地、三国ケ岳の夢見た光に満ちた山頂に立っていた。
三度目の山頂。三度目にして、女神さまは、ひとりで訪ねてきたわたしを、やさしく包みこんでくださった。
初めて訪れたのは、8年前の3月にKさんと岩谷川から・542の尾根を辿って。
二度目は5年前の2月に夫と近江側の田戸から谷山に登って。どちらも山頂は霧の中だった。
二度目に訪れた時、すべての境がぼんやりにじんだ世界に立ち、ここから延びていく国境の尾根、ここから始まる水の旅、
そして灰色のベールの向こうに広がる風景をこころに描いていた。そして、いつか、またこの地に立った時、
吸い込まれていきそうな青空に、これらの絵を張り付け、目の前に広がる風景と見比べようと思った。
あの時どんな絵を描いていたのだろう。今、妙なる世界に立ち、すべて忘れてしまっていた。
ただただ、女神さまからの祝福にこころ震わすわたしがいるだけだった。
時は静かに刻まれていく。気が付くと出発時間がきていた。もう少し佇んでいたいが、えいと立ち上がる。
じきに消えてしまう、うつくしき稜線に刻まれたわたしの足跡ひとつひとつを目に焼き付け、南のまっ白な左千方にご挨拶をして、
ふわりとした雪を掬い上げ、口一杯にほおばり、厳しく優しく、冷たく温かな女神さまの息吹を胸に、
北西に広がる大雪原へと下っていく。
この一帯も、しみじみと素敵な風景が広がっている。ゆるゆると広がる雪原のどこを歩こうか迷ってしまう。
でも、こちらは、気を付けなければならない。ちいさな尾根と谷が入り組み、足の向くままに進んで行ったらえらい目に合う。
と認識していても、のびやかなうつくしい風景に気を取られ、進むべき尾根の隣の尾根を歩いていた。
膝まで潜り谷に降りての登り返しがしんどい。
標高1030m付近で一本の尾根の形になり、これで迷わない、と思うのと同時に、いよいよ下ってしまうのだな、
と少しさみしくなる。
・965では、純白の上谷山に目が吸い込まれていきそうになった。今日の上谷山もさぞかしうつくしいだろう。
家を出る前に思い描いていた周遊コースを思い出し、欲張りだった自分にちょっとおかしくなる。
雪山は、その時々、姿も、雪質も異なる。どんな状態かは来てみないと分からない。
昨日は、すうっと歩けても、今日は、とんでもない、ということも珍しくはない。
この先の鞍部から、1010mまでの70mの登り返しが、疲れた足にはこたえる。
14時45分、尾根の分岐に到着。もちろん西には進まず北を向く。
8年前、わぁ、とこころ躍らせ、駆け下りて行った素晴らしいブナの森は、ズボズボの雪で、足を上げるのにひと苦労。
森の物語を語るようなおおきなブナを見上げながら、ゆっくりと下っていく。
・542手前の鞍部で林道へと降りていく。行きにここから下るのが一番楽かな、と確認済みだ。
でも実際は、踏み抜きの繰り返しで思うように進めない。林道に出た時には、手袋も靴もずぶ濡れになっていた。
はぁ、と息をつき雪道を見ると、そこには白いラインが引かれていた。スノーモービルの轍だった。
帰りは、より雪が緩み行きよりもしんどいな、と思っていたので有難かった。
轍を辿りながら、1時間ちょっとで駐車地まで戻ることが出来た。
朝、駐車地に積もっていた雪は、きれいさっぱりと融けていた。まわりの山肌もぽつぽつと茶色い地面が出ている。
わたしが旅した白藍色の世界は夢だったのか。ぼんやり黒々とした木が立ち並ぶ山の上に広がる黄みを帯びた空を見上げていると、
ふつふつと思いが湧き上がり頬が熱くなる。胸に仕舞った三国岳の女神さまの息吹が熱を持つ。
そして、あぁ、そうだったのだ、とあらためて感じ入る。
初めて訪れた時から8歳、次に訪れた時から5歳の年を取り、それだけ体力は落ちてしまったけれど、
その間いろいろ学び失敗もしてきたわたしが、ひとりでふぅふぅ言いながら雪を踏み固め歩いている姿を、
女神さまはご覧になり、山頂に立つまで、あの煌く霧氷を残してくださったのだと。
sato
【山 域】 夜叉丸、三国岳周辺
【天 気】 晴れ
【コース】 広野ダム~夜叉ケ池登山口~夜叉丸~三国岳~・965~1010ピーク
~・542~林道~P
7時半。やっとカツラの巨樹とご対面できた。
前日の雨は、南越前町の大門から日野川上流では雪だった。登山口まで一時間半はかかりそうだ。
三周ケ岳の時の反省もあり、広野ダムに駐車して、今日は、すぐに身支度をして、ヘッドランプを付けて出発した。
スノーシューを履き、新雪の積もった林道を、高揚感に包まれ勢いよく歩き始めたが、足首上ほどの潜りでも、
やはり締まった雪より一歩に負担がかかる。
次第に歩みが遅くなり、1時間40分近くかかったが、2時間ぐらい歩いたような気分になっていた。
ドサッとリュックを降ろし、樹の下で朝ご飯のパンをかじる。仰ぎ見た越美、江越国境稜線は、白銀色に輝いている。
見事な霧氷だ。朝の光を浴びて、これでもかというくらいに輝いている。あぁ、とため息が出る。
わたしは、あのうつくしく儚い世界に立つことができるのだろうか。ふいにかなしくなり、鼻の奥がツーンとなり、
あわてて味のしなくなったパンをどんどんと飲み込む。余計なことを考えないよう、出かかった思いも飲み込む。
最後に熱いお湯をゆっくりと味わったら落ち着いた。一歩一歩落ち着いて着実に歩いていこう。
そう思うと、すぅっと穏やかな力が湧いてきた。
橋を渡り、お願いします、とちいさく呟いて、夜叉ケ池夜叉丸に向かう尾根に踏み込む。
斜面を見て、スノーシューの方がいいと思ったが、いざ登り始めると、急斜面を覆う雪は全く締まっていなくて、
ズボズボ潜りズルズルと滑る。木を掴み、雪に手を突っ込み、四つ足歩行でしか登れない。
こんなに潜って滑るのなら、アイゼンの方が歩きやすかった。でも、履き替えられる場所がない。
失敗した、と思うが、でも大丈夫、となだめ、滑り落ちて行かぬようよう慎重に、一歩また一歩と歩みを重ねていく。
記憶は時に厄介だ。登っても登っても傾斜は緩くならない。こんなに急傾斜が続いたっけ?と不安になる。
間違いようのない尾根なのに。
どのくらい時間がかかったのだろう。ひと息つける傾斜になりほっとする。でも、標高を確認して、がっかりする。
まだ標高750m。夜叉ケ池まで350mもある。
そして、「まだ」と「も」と思った時点で、夜叉ケ池は諦めた、というより、無理だと判断した。
白雪姫さまがお眠りになる夜叉ケ池を訪ね、かっこいい雪稜を登り夜叉丸の山頂に立とうと思っていたが、とんでもない。
この雪質のラッセルでは、トラバース地点までまだまだ時間がかかる。
傾斜が落ち着いても、雪質は落ち着いてくれない。
三周ヶ岳と同様、今日もよいしょ、よいしょと自分を励ましながらの登りが続いていく。
でも、やはり、一歩一歩の歩みは着実だ。いつしかまわりは雪を纏った風格のあるブナが立ち並ぶ尾根となり、
標高1100mで、ふんわりとした雪原に出た。あたりの木々はまっ白な霧氷で覆われている。
あぁ、間に合ったのね。満面の笑みがこぼれる。ここから右の夜叉丸山頂に至る尾根へとトラバースしていく。
山頂まであと100m。もう少しだ。ところが、このやさしい地形のやさしく光る雪が、明るくなったこころを挫かせた。
膝下まで潜る重い雪。すぐ横の尾根になかなか登れない。あぁ、今日は余計なものを持ってきてしまった。
リュックが重く感じられ、折り畳み傘とチェーンスパイクを、何で入れっぱなしにしていたのだろう、と後悔する。
よたよたと尾根に乗ると、煌めく霧氷の回廊が出迎えてくれた。足は遅々としているのにこころは忙しい。
また、ぱぁっと光が差しこんで、よろこびに包まれる。頑張ってよかった。青い空もすぐ上に広がっている。
1212m夜叉丸。11時、遮るものがない純白の山頂に辿り着いた。
年末に訪れた三周ヶ岳が目の前に、神々しいまでの白い光を放ち鎮座されている。ふるふるふると微かに揺れていた雪原には、
ナイフの刃のような雪庇が見られる。眼下のまっ白な雪で埋もれた夜叉ケ池は、うつくしい霧氷で縁どられている。
見上げた空は青く澄み渡り、遥かアルプスの峰々まで望む。
足は疲れている。ここでゆっくりと絶景を楽しみ、煌めく雪稜を下り、夜叉ケ池に行こうかな。
霧氷の池は次いつ出会えるか分からない・・・。あまりにも素晴らしい風景を前に、こころは振り子状態に。
時間も気になっていた。この雪をラッセルしながら三国岳まで行き、16時までに林道に下れるか。
重い雪で下りも楽ではないだろう。
地図を広げ、くの字に曲がる越美国境稜線と、緩やかに延びる江越国境稜線を何度か目で往復する。
そして、ごくりと唾を飲み顔を上げる。
静かに眼差しを向けた三国岳は、まっさらな雪と一面の霧氷で白藍色に煌めいていた。
びっくりするくらい冷たく温かく煌めいていた。足元から・1206への白く滑らかな稜線は、眩ゆいばかり。
胸がきゅっと締め付けられる。ピタリと振り子が止まる。あぁ、わたしは、ずっと、三国岳の女神さまにお会いしたかったのだ。
距離はそれほどない。1時間半で辿り着けるか。2時間かかっても13時。下りの江越国境稜線は歩いたことがある。
もう一度三国岳を見つめる。女神さまが微笑んでくださったような気がした。
無積雪期はササで覆われた稜線は、雪の魔法でうつくしき純白の天空の道に。
そしてその道には、昨日の雪と風によって、ちいさな、でもきりりとした雪庇が描かれている。
なんて素敵なのだろう。つい今しがたまで悩んでいたのが嘘のように、からだじゅうに力がみなぎる。
さぁ行こう。天空の道に足跡を刻んでいく。
樹氷の木々の間を抜けると1206ピーク。
この広い台地からの眺望も素晴らしい。ここから、110mあまり下り、同じだけ登ったら三国岳山頂だ。
おおきなおおきな三国岳が、艶やかな雪原の向こうでわたしを見つめている。
今日、やっと目の前でお姿を拝むことが出来ました。今から参りますね。夢見ていたお姿、
しかも新雪と霧氷を纏ったお姿にお会いできるなんて、わたしはしあわせ者です。
手を合わせ、歩みを進めて行く。
鞍部に近づくと尾根は広がりを見せ、やわらかにうねる雪原となる。雪が締まっていたら駆け出したくなるような牧歌的な風景。
この夢のような雪原を自由に駆け回るウサギがうらやましい。ご飯を求めて探し回っているのかもしれないが。
艶やかな雪原に並ぶ、もこもことわたあめのような雪を纏った木々をうっとりと眺めながら一歩を重ねていると、
青い光が目を射った。
12時35分。近江と越前と美濃の境の地、三国ケ岳の夢見た光に満ちた山頂に立っていた。
三度目の山頂。三度目にして、女神さまは、ひとりで訪ねてきたわたしを、やさしく包みこんでくださった。
初めて訪れたのは、8年前の3月にKさんと岩谷川から・542の尾根を辿って。
二度目は5年前の2月に夫と近江側の田戸から谷山に登って。どちらも山頂は霧の中だった。
二度目に訪れた時、すべての境がぼんやりにじんだ世界に立ち、ここから延びていく国境の尾根、ここから始まる水の旅、
そして灰色のベールの向こうに広がる風景をこころに描いていた。そして、いつか、またこの地に立った時、
吸い込まれていきそうな青空に、これらの絵を張り付け、目の前に広がる風景と見比べようと思った。
あの時どんな絵を描いていたのだろう。今、妙なる世界に立ち、すべて忘れてしまっていた。
ただただ、女神さまからの祝福にこころ震わすわたしがいるだけだった。
時は静かに刻まれていく。気が付くと出発時間がきていた。もう少し佇んでいたいが、えいと立ち上がる。
じきに消えてしまう、うつくしき稜線に刻まれたわたしの足跡ひとつひとつを目に焼き付け、南のまっ白な左千方にご挨拶をして、
ふわりとした雪を掬い上げ、口一杯にほおばり、厳しく優しく、冷たく温かな女神さまの息吹を胸に、
北西に広がる大雪原へと下っていく。
この一帯も、しみじみと素敵な風景が広がっている。ゆるゆると広がる雪原のどこを歩こうか迷ってしまう。
でも、こちらは、気を付けなければならない。ちいさな尾根と谷が入り組み、足の向くままに進んで行ったらえらい目に合う。
と認識していても、のびやかなうつくしい風景に気を取られ、進むべき尾根の隣の尾根を歩いていた。
膝まで潜り谷に降りての登り返しがしんどい。
標高1030m付近で一本の尾根の形になり、これで迷わない、と思うのと同時に、いよいよ下ってしまうのだな、
と少しさみしくなる。
・965では、純白の上谷山に目が吸い込まれていきそうになった。今日の上谷山もさぞかしうつくしいだろう。
家を出る前に思い描いていた周遊コースを思い出し、欲張りだった自分にちょっとおかしくなる。
雪山は、その時々、姿も、雪質も異なる。どんな状態かは来てみないと分からない。
昨日は、すうっと歩けても、今日は、とんでもない、ということも珍しくはない。
この先の鞍部から、1010mまでの70mの登り返しが、疲れた足にはこたえる。
14時45分、尾根の分岐に到着。もちろん西には進まず北を向く。
8年前、わぁ、とこころ躍らせ、駆け下りて行った素晴らしいブナの森は、ズボズボの雪で、足を上げるのにひと苦労。
森の物語を語るようなおおきなブナを見上げながら、ゆっくりと下っていく。
・542手前の鞍部で林道へと降りていく。行きにここから下るのが一番楽かな、と確認済みだ。
でも実際は、踏み抜きの繰り返しで思うように進めない。林道に出た時には、手袋も靴もずぶ濡れになっていた。
はぁ、と息をつき雪道を見ると、そこには白いラインが引かれていた。スノーモービルの轍だった。
帰りは、より雪が緩み行きよりもしんどいな、と思っていたので有難かった。
轍を辿りながら、1時間ちょっとで駐車地まで戻ることが出来た。
朝、駐車地に積もっていた雪は、きれいさっぱりと融けていた。まわりの山肌もぽつぽつと茶色い地面が出ている。
わたしが旅した白藍色の世界は夢だったのか。ぼんやり黒々とした木が立ち並ぶ山の上に広がる黄みを帯びた空を見上げていると、
ふつふつと思いが湧き上がり頬が熱くなる。胸に仕舞った三国岳の女神さまの息吹が熱を持つ。
そして、あぁ、そうだったのだ、とあらためて感じ入る。
初めて訪れた時から8歳、次に訪れた時から5歳の年を取り、それだけ体力は落ちてしまったけれど、
その間いろいろ学び失敗もしてきたわたしが、ひとりでふぅふぅ言いながら雪を踏み固め歩いている姿を、
女神さまはご覧になり、山頂に立つまで、あの煌く霧氷を残してくださったのだと。
sato