【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

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シュークリーム
記事: 2065
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

投稿記事 by シュークリーム »

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【 日 付 】2024年1月23日(火)〜 26日(金)
【メンバー】単独

「枯木灘」は紀伊半島南西部に存在する海岸線の名称であり,中上健次の小説のタイトルともなっている。小説「枯木灘」は中上健次の数多くの作品の中でも最高傑作と思う。今回,熊野古道大辺路ルートとして紀伊田辺から田子までを歩いたが,ここは中上健次の紀行文「紀州 木の国・根の国物語」の舞台ともなっており,図らずも中上健次を偲びながらの街道歩きとなった。

出発の1週間前になって,ちょうど計画した期間に今冬一番の寒気が流れ込み,暖かいと期待した南紀も予想外の低温になるらしいことがわかってきた。寒そうだが,天気予報には晴れマークが付いている。気温が低いことだけで計画を中止するのはどうかと思い,とりあえず出かけることにした。

1月23日(火) 歩行距離 14.1 km
【 天 候 】晴れ時々曇り
【 ルート】津新町駅 6:33 ---🚃--- 11:21 紀伊田辺駅 11:26 --- 11:42 闘鶏神社 --- 14:12 山王橋 --- 15:42 紀伊富田駅 17:11 ---🚃--- 17:34 周参見駅(泊)

近鉄津新町駅を早朝に出,近鉄とJRを乗り継いで,11時21分に紀伊田辺駅に着く。まずは大辺路の出発点である闘鶏神社にお参りし,旅の安全を祈る。神社横の無料休憩所に熊野古道の地図入り小冊子が置いてあったのでいただいていく。

この日は行程の大部分が車道歩き。道は紀勢本線に沿って続き,田辺の次が紀伊新庄,その次の駅は朝来。中上健次の「紀州」によると「あっそ」とふりがなが付されている。一体に,このあたりの地名の漢字はあて字のようなものが多い。例えば,富田と書いて「とんだ」と発音する。

朝来の市街地を過ぎ,富田川で山王橋を渡る。山王橋は増水時には橋自体が水の下になる潜水橋である。潜水橋を渡るのは初めてなので楽しかった。四国の四万十川には潜水橋が多いが,紀州では珍しい気がする。
山王橋(沈下橋)
山王橋(沈下橋)
この後は国道42号線をひたすら歩いて,午後3時42分に紀伊富田駅に到着。歩いている間は寒さを感じなかったが,吹き抜けの駅舎で1時間半じっと待っている間に強風に吹かれて体が冷えてしまう。ようやく電車の中に入るとその暖かさがひどく気持ちよかった。周参見駅で下車,今回の旅のベースキャンプである駅近くの元国民宿舎にチェックインする。アルカリ度が強いまったりした温泉がひどく気持ちよかった。

1月24日(水) 歩行距離 20.3 km
【 天 候 】晴れ時々曇り
【 ルート】周参見駅 7:13 ---🚃--- 7:35 紀伊富田駅 7:43 --- 10:10 安居辻松峠 --- 11:56 安居の渡し場 --- 13:15 紀伊日置駅 14:17 ---🚃--- 14:25 周参見駅(泊)

大急ぎで朝食を食べて,電車で昨日の終了点の紀伊富田駅に移動する。天気予報通り気温は低く,強風が吹いている。早めに切り上げて,宿の温泉でまったりしたいものだ。

今日は富田坂越えのルートである。富田坂の山中に入ると風がさえぎられ,心地がいい。風さえ吹かなければ気温が低くてもそれほど寒さを感じない。山中では山の方から吹き流されてくる雪がちらほら舞っているが,地面を濡らすほどのこともなく,風情があっていい。

標高400mほども登ると道はよく整備された平坦路になり,気持ちがいい。やはり車道歩きよりはよっぽど快適だ。安居辻松峠を越えると,道は林道になり,林道を下り切ると日置(ひき)川に突き当たる。安居の集落を突っ切ると安居の渡し場である。

ここは「安居の渡し保存会」によってボランティアで渡し船が運営されていたが,出発直前にネットでチェックすると,2023年1月から休止しているらしい。今年の2月から土,日,祝日に限って再開するらしいが,この時点では渡しは休止している。
安居の渡し場
安居の渡し場
地図を見る限り迂回路はなさそうだ。安居の渡し場から南へ6キロ下るとJRの紀伊日置駅があることが分かったので,ここから電車で周参見に帰ることにする。日置川の右岸をひたすら南に下る。日置川は熊野川を小さくした感じで,広い河原を水が蛇行して流れており,雰囲気がいい。
日置川と田野井集落
日置川と田野井集落
5キロほど歩き,JRの線路近くに来ると田野井という集落がある。中上健次の小説「鳳仙花」では主人公のフサの母親であるトミの実家が,日置の田の井ということになっており,おそらくこの集落を念頭に置いているのだろう。トミは出会った木馬引きと駆け落ちして古座に来,そこでフサが生まれることになる。田野井の集落で日置川は東に向きを変え,川に沿って1キロほど降ると紀伊日置駅だった。

気温は昨日よりも低いようで,吹きさらしの駅舎で一時間電車を待っている間に,手袋をしていても手がかじかんでしまった。

1月25日(木) 歩行距離 12.4 km
【 天 候 】晴れ
【 ルート】周参見駅 8:36 ---🚃--- 8:45 見老津駅 8:46 --- 8:56 長井坂東口 --- 10:56 長井坂西口 --- 11:10 和深川王子神社 --- 13:17 周参見(泊)

今期最強寒波の影響で,暖かいはずの周参見でも朝から雪がちらついている。事前の計画では田子(たこ)まで約25キロ歩く予定だったのだが,こんな寒中を無理して歩いても楽しくないので,計画を変更して見老津(みろづ)から周参見までの約12キロでやめておくことにする。

吹きさらしの駅で長いこと待つのはもうこりごりなので,先に電車で見老津まで行き,周参見に帰ることにする。JR見老津駅に降りるとそこは枯木灘だった。東へ歩くとすぐに長井坂の登り口。街道とは思えないような急登である。まあいい。昔の熊野古道をそのまま忠実に辿っているわけでもないのだろう。
長井坂
長井坂
標高差200mの急登を登りきると舗装された林道にで,その後はゆるやかな登りに変わる。ゆるやかな登り道は山腹道で,北風が遮られて気持ちがい。左側を見下ろすと眼下に枯木灘が見えている。
P1250059.jpg
長井坂を下ると国道42号線に出,さらに道標に従って国道脇から右側斜面に入ると,旧街道とは思えないような荒れた斜面が続き,標高にして100mほども登らされる。上から眺めると下に広大な太陽発電施設が建設されており,どうもこの施設のためにルートが迂回させられたらしい。世界文化遺産をこんな風に勝手に現状変更していいのだろうか。

再び国道に戻り,しばらく歩くと周参見だった。

1月26日(金) 歩行距離 13.9 km
【 天 候 】晴れ
【 ルート】周参見駅 8:36 ---🚃--- 8:45 見老津駅 8:55 --- 9:41 道の駅周参見 10:03 --- 10:11 江住駅 --- 12:33 和深駅 --- 13:31 田子駅 14:52 ---🚃--- 16:12 新宮駅 17:31 ---🚃--- 19:53 津駅

電車で昨日の始点の見老津に着く。今シーズン最強寒波も過ぎ去ったようで,朝から南紀らしい陽光が降り注いでいる。今日は楽しいハイキングになりそうだ。駅の目の前には枯木灘が広がっている。
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前日までの峠越えとは趣を変えて,この日は海岸沿いを歩く1日になった。1時間ほど歩くと道の駅周参見。ここで昼食用のサンマ寿司を買う。このあたりからずっといわゆる「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸地形が続くようになる。隆起海床というものだそうで,深い海で堆積した地層が隆起によって海面に現れたものらしい。
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また,「平見」とついた地名が多くなる。「平見」というのは海岸の隆起によって作られた海岸段丘によって形成された地形で,この辺りでは海岸から20〜30mほど上がったところに平地があり,ここに集落が形成されている。街道はこの平見と海岸沿いの道を何度もアップダウンしながらつけられている。

雨島の木ノ本神社から海岸に下りる南向き斜面に腰を据えて,「鬼の洗濯板」を眺めながら道の駅で買ったサンマ寿司を食べる。もう風はなく,南紀の陽光が惜しげもなく降り注いでいる。これが今回期待した街道歩きだったのだが,最終日にしてようやく思ったような歩きになった。終着点の田子駅まではあと1時間ちょっとだろう。急ぐ必要は少しもない。

13時30分,田子駅着。小さな駅舎がポツンとあるだけの小さな駅だった。風もなく暖かいホームに座り込んで3時間に1本の電車を待つ。時間通りに来た電車は新宮駅行き。終点の新宮で1時間半ほど待ち,名古屋駅行きの特急南紀に乗って帰った。

あとがき

熊野古道は2004年前にユネスコの世界文化遺産に指定され,日本人だけでなく,欧米を中心とした世界各国からのハイカーが数多く訪れる巡礼の道になっている。しかし,熊野古道の中心である中辺路は兎も角として,伊勢路の特に紀伊長島から熊野までの区間は浦々をつなぐルートとして,昭和初期まで住民に実際に使われていた生活道路の側面が大きいように思われる。今回,初めて大辺路を歩く機会を得たが,やはり同じような印象を得た。今回の旅は自分の両親や祖父母が生きた時代の風景を偲びながら歩く旅になった。また,この地は中上健次の小説の舞台になった場所でもあり,小説に出てくる地名をなぞりながらの旅ともなった。

今回は途中の田子までで終了したが,次回は中上健次の故郷であり,小説の主舞台である新宮を目指しての旅となる。次回の旅も印象の深い歩きになることを確信している。
最後に編集したユーザー シュークリーム [ 2024年2月01日(木) 09:03 ], 累計 2 回
                         @シュークリーム@
アバター
わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、シュークリームさん。

「枯木灘」は紀伊半島南西部に存在する海岸線の名称であり,中上健次の小説のタイトルともなっている。小説「枯木灘」は中上健次の数多くの作品の中でも最高傑作と思う。今回,熊野古道大辺路ルートとして紀伊田辺から田子までを歩いたが,ここは中上健次の紀行文「紀州 木の国・根の国物語」の舞台ともなっており,図らずも中上健次を偲びながらの街道歩きとなった。

いいですね。「熊野」に入られましたか。

この日は行程の大部分が車道歩き。道は紀勢本線に沿って続き,田辺の次が紀伊新庄,その次の駅は朝来。中上健次の「紀州」によると「あっそ」とふりがなが付されている。一体に,このあたりの地名の漢字はあて字のようなものが多い。例えば,富田と書いて「とんだ」と発音する。

このあたりだと大昔の呼び方が残っているのかもしれませんね。
それに漢字をあてたのかも。


朝来の市街地を過ぎ,富田川で山王橋を渡る。山王橋は増水時には橋自体が水の下になる潜水橋である。潜水橋を渡るのは初めてなので楽しかった。四国の四万十川には潜水橋が多いが,紀州では珍しい気がする。

なぜか飯南・飯高には多いですね。
ドラマ「下克上球児」にも出てきました。


5キロほど歩き,JRの線路近くに来ると田野井という集落がある。中上健次の小説「鳳仙花」では主人公のフサの母親であるトミの実家が,日置の田の井ということになっており,おそらくこの集落を念頭に置いているのだろう。トミは出合った木馬引きと駆け落ちして串本に来,そこでフサが生まれることになる。田野井の集落で日置川は東に向きを変え,川に沿って1キロほど降ると紀伊日置駅だった。

ここでしたか。
小説「鳳仙花」は好きな作品です。
木馬引きの描写があり、昔の新宮の雰囲気も伝わってきて親近感が持てます。


標高差200mの急登を登りきると舗装された林道にで,その後はゆるやかな登りに変わる。ゆるやかな登り道は山腹道で,北風が遮られて気持ちがい。左側を見下ろすと眼下に枯木灘が見えている。

枯木灘かあ。
昔は新宮と真逆に思えるぐらいの経済格差だったんだろうな。


長井坂を下ると国道42号線に出,さらに道標に従って国道脇から右側斜面に入ると,旧街道とは思えないような荒れた斜面が続き,標高にして100mほども登らされる。上から眺めると下に広大な太陽発電施設が建設されており,どうもこの施設のためにルートが迂回させられたらしい。世界文化遺産をこんな風に勝手に現状変更していいのだろうか。

過疎の集落に行くと太陽発電施設が多いです。
風力発電所も飯高だけでなく、嬉野と美杉の境のあたりでも話があるようで
集落のバス停に「風力発電いらない」のプラカードを掲げたぬいぐるみが何か所かに置かれていました。


熊野古道は2004年前にユネスコの世界文化遺産に指定され,日本人だけでなく,欧米を中心とした世界各国からのハイカーが数多く訪れる巡礼の道になっている。しかし,熊野古道の中心である中辺路は兎も角として,伊勢路の特に紀伊長島から熊野までの区間は浦々をつなぐルートとして,昭和初期まで住民に実際に使われていた生活道路の側面が大きいように思われる。今回,初めて大辺路を歩く機会を得たが,やはり同じような印象を得た。今回の旅は自分の両親や祖父母が生きた時代の風景を偲びながら歩く旅になった。また,この地は中上健次の小説の舞台になった場所でもあり,小説に出てくる地名をなぞりながらの旅ともなった。

私も最近は「昭和初期まで住民に実際に使われていた生活道路」をよく歩きます。
こうした形で残っているのが本来のあり方なんだろうなあ。


今回は途中の田子までで終了したが,次回は中上健次の故郷であり,小説の主舞台である新宮を目指しての旅となる。次回の旅も印象の深い歩きになることを確信している。

新宮いいですよ。
息子のツレが新宮に住んでいて
2月6日の火祭り(神倉神社のお燈まつり)で松明持って石段を駆け下ります。
1週間まえより白いものしか食べちゃいけないそうで
ご飯・豆腐・大根・牛乳といった感じです
透明な日本酒も大丈夫だと言っていました。

帰りに荒尾成文堂に寄ってくださいね。

映画なら「千年の愉楽」です。

                              わりばし
シュークリーム
記事: 2065
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

投稿記事 by シュークリーム »

わりばしさん,おはようございます。レスありがとうございます。

いいですね。「熊野」に入られましたか。

中上健次の小説はわりばしさんに紹介していただいてから読み始めました。数少ない「熊野」を舞台にした小説。気がついたらずいぶんたくさん読んでいました。

このあたりだと大昔の呼び方が残っているのかもしれませんね。
それに漢字をあてたのかも。


はい,周参見とか見老津などもあて字っぽいですね。あと,尾呂志なんかもね。

ここでしたか。
小説「鳳仙花」は好きな作品です。
木馬引きの描写があり、昔の新宮の雰囲気も伝わってきて親近感が持てます。


はい,「鳳仙花」はいいですね。昭和初期の新宮の雰囲気がよくわかります。
中上健次の年表を見てみると,芥川賞をとった「岬」を書いたのが1976年,「枯木灘」1977年,「紀州木の国根の国物語」が1978年,鳳仙花が1980年となっています。この頃が中上健次の最盛期じゃないでしょうか。

過疎の集落に行くと太陽発電施設が多いです。
風力発電所も飯高だけでなく、嬉野と美杉の境のあたりでも話があるようで
集落のバス停に「風力発電いらない」のプラカードを掲げたぬいぐるみが何か所かに置かれていました。


田んぼや畑をつぶして太陽光発電施設がよく作られていますね。米を作るよりはそっちに土地を貸す方が儲かるんでしょうが。複雑な心境です。

私も最近は「昭和初期まで住民に実際に使われていた生活道路」をよく歩きます。
こうした形で残っているのが本来のあり方なんだろうなあ。


熊野古道は平安時代の巡礼路という触れ込みになっていますが,どういう理由付けにしろ近世まで生活道路として使われていた道を保存できるのはいいことだと思います。

新宮いいですよ。
息子のツレが新宮に住んでいて
2月6日の火祭り(神倉神社のお燈まつり)で松明持って石段を駆け下ります。
1週間まえより白いものしか食べちゃいけないそうで
ご飯・豆腐・大根・牛乳といった感じです
透明な日本酒も大丈夫だと言っていました。


去年,新宮で中上健次巡りをしてきました。
中上健次が生まれた「路地」のあたりとか,浮島,遊郭のあった大王地などを歩いてきました。
「路地」の裏の山などは削られてすっかり様子が変わっていますけど,なんとなく空気感がわかります。


帰りに荒尾成文堂に寄ってくださいね。

以前,一緒に行った本屋さんですね。

映画なら「千年の愉楽」です。

寺島しのぶですか。
わりばしさんの女性の好みがよくわかります。
そういえば奥さんの雰囲気が寺島しのぶに似ているような・・・
                         @シュークリーム@
tsubo
記事: 192
登録日時: 2023年3月07日(火) 13:27
お住まい: 和歌山県

Re: 【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

投稿記事 by tsubo »

シュークリームさん、こんにちは。
ようこそ南紀へ!
と書いたものの、実は私大辺路はほとんど歩いたことがありません。

「枯木灘」は紀伊半島南西部に存在する海岸線の名称であり,中上健次の小説のタイトルともなっている。小説「枯木灘」は中上健次の数多くの作品の中でも最高傑作と思う。今回,熊野古道大辺路ルートとして紀伊田辺から田子までを歩いたが,ここは中上健次の紀行文「紀州 木の国・根の国物語」の舞台ともなっており,図らずも中上健次を偲びながらの街道歩きとなった。


枯木灘、南紀の海は明るく輝いているイメージなのに、私にはこの名前が寒々しく思えてしまいます。
たまたま電車で通った時に曇り空だったせいかもしれないけど、潮岬は明るいイメージなのに、すさみはどんよりしたイメージを持っています。

出発の1週間前になって,ちょうど計画した期間に今冬一番の寒気が流れ込み,暖かいと期待した南紀も予想外の低温になるらしいことがわかってきた。寒そうだが,天気予報には晴れマークが付いている。気温が低いことだけで計画を中止するのはどうかと思い,とりあえず出かけることにした。
以前、暖かさが売りのすさみでは最低気温が氷点下になったら宿泊代が半額になったそうです。
今はやっていないのかな。もし、やっているなら寒くなる時こそ狙い目かもしれませんね。

この日は行程の大部分が車道歩き。道は紀勢本線に沿って続き,田辺の次が紀伊新庄,その次の駅は朝来。中上健次の「紀州」によると「あっそ」とふりがなが付されている。一体に,このあたりの地名の漢字はあて字のようなものが多い。例えば,富田と書いて「とんだ」と発音する。
すさみ、えすみ、みろづ、わぶか・・・このあたりの地名は独特のものを感じます。

朝来の市街地を過ぎ,富田川で山王橋を渡る。山王橋は増水時には橋自体が水の下になる潜水橋である。潜水橋を渡るのは初めてなので楽しかった。四国の四万十川には潜水橋が多いが,紀州では珍しい気がする。
古座川にもあります。私は車から見ただけで渡ったことはないけど。今度行ったら渡ってみようと思います。

長井坂を下ると国道42号線に出,さらに道標に従って国道脇から右側斜面に入ると,旧街道とは思えないような荒れた斜面が続き,標高にして100mほども登らされる。上から眺めると下に広大な太陽発電施設が建設されており,どうもこの施設のためにルートが迂回させられたらしい。世界文化遺産をこんな風に勝手に現状変更していいのだろうか。

えっ、そうなんですか!?
那智勝浦町でも休耕田にメガソーラーを作る計画があった時、地元住民は大反対でしたが、土地の持ち主は売りたい。
私は農業委員をしているのですが、その土地が熊野古道に近いということで、農業委員会ではすんなりとは許可をしませんでした。
許可が下りる前になんとか町の条例を変えて、いろいろと厳しい条件が付けられました。結局許可されたけど。

また,「平見」とついた地名が多くなる。「平見」というのは海岸の隆起によって作られた海岸段丘によって形成された地形で,この辺りでは海岸から20〜30mほど上がったところに平地があり,ここに集落が形成されている。街道はこの平見と海岸沿いの道を何度もアップダウンしながらつけられている。
太地町にも平見というところがあります。紀伊半島は平野が少ないからこうしたところに住むようになるんですね。

13時30分,田子駅着。小さな駅舎がポツンとあるだけの小さな駅だった。風もなく暖かいホームに座り込んで3時間に1本の電車を待つ。時間通りに来た電車は新宮駅行き。終点の新宮で1時間半ほど待ち,名古屋駅行きの特急南紀に乗って帰った。
あら、新宮で1時間半待ったんですか。連絡いただければお会いできたかもしれませんね。

大辺路は一部しか世界遺産に登録されていません。が、大辺路刈り開き隊という有志の方たちが手入れしてくださった道です。
知人にもそのメンバーがいました。今はもう活動していないのかな。
道は歩かれてこそ道ですね。

今回は途中の田子までで終了したが,次回は中上健次の故郷であり,小説の主舞台である新宮を目指しての旅となる。次回の旅も印象の深い歩きになることを確信している。
次は新宮までですか。
私も一時期中上健次の本を何冊か読みました。新宮のあのあたりのことかとかあのスーパーのことかとか思いながら読みました。
すっかり変わってしまいましたね。
そういえば息子が小学校の時の担任の先生が新宮高校で同級生だったそうです。聞いたらおとなしくてあまり目立たない生徒だったと言っていました。
新宮にはシュークリームのおいしいケーキ屋さんもありますよ。
時間つぶしには新宮市図書館がおすすめです。
新しい丹鶴ホールの中にあります。熊野川の眺めがいいです。
もちろん、中上健次や熊野地方の本がたくさんそろえてありますよ。
いい旅になりますように。

tsubo
シュークリーム
記事: 2065
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

投稿記事 by シュークリーム »

シュークリームさん、こんにちは。
ようこそ南紀へ!
と書いたものの、実は私大辺路はほとんど歩いたことがありません。


tsuboさん,おはようございます。レスありがとうございます。
和歌山といえばtsuboさんだよなと思いながら歩いていました。


枯木灘、南紀の海は明るく輝いているイメージなのに、私にはこの名前が寒々しく思えてしまいます。
たまたま電車で通った時に曇り空だったせいかもしれないけど、潮岬は明るいイメージなのに、すさみはどんよりしたイメージを持っています。

海からの潮風が強くて海岸沿いの木が枯れてしまうことからこのような名前がついたと聞いていますので,イメージとしては寒々しいのだろうと思います。
でも,北の方から来ると陽光が降り注いでいて,明るいですけどね。
周参見の海岸に周参見浦という波の強い場所があって,昔からそのあたりでたくさんの難破船が出たそうです。
また,「すさみ」の地名は「荒ぶ」からきているそうで,波の荒いイメージですね。
いずれも,中上健次の「紀州」に書いてありました。


以前、暖かさが売りのすさみでは最低気温が氷点下になったら宿泊代が半額になったそうです。
今はやっていないのかな。もし、やっているなら寒くなる時こそ狙い目かもしれませんね。


そうですか。初耳でした。
今回,最低気温が氷点下近くに下がっていたので,本当だったらラッキーだったですけど。


すさみ、えすみ、みろづ、わぶか・・・このあたりの地名は独特のものを感じます。

そうですね。地名が面白いなと感じました。三重県側の「おろし」という地名も面白いですね。
きっと,調べてみるとこの辺りの考察をしている記録もあるんでしょうけどね。


古座川にもあります。私は車から見ただけで渡ったことはないけど。今度行ったら渡ってみようと思います。

そうですか,古座川も面白そうですね。
機会があったら川を辿ってみたいと思っています。


えっ、そうなんですか!?
那智勝浦町でも休耕田にメガソーラーを作る計画があった時、地元住民は大反対でしたが、土地の持ち主は売りたい。
私は農業委員をしているのですが、その土地が熊野古道に近いということで、農業委員会ではすんなりとは許可をしませんでした。
許可が下りる前になんとか町の条例を変えて、いろいろと厳しい条件が付けられました。結局許可されたけど。


私の実家は能登の方で,この前の地震があったところですけど,土地を売ろうにも買い手がいなくて困っています。
環境云々と言っていますけど,現実問題,買ってくれる人が出てきたら売ってしまうでしょうねえ。


太地町にも平見というところがあります。紀伊半島は平野が少ないからこうしたところに住むようになるんですね。

三重県側は逆に土地が沈下してできた景観なので,感じが全然違うなと思って歩きました。
浦と浦をつなぐ道などは,三重県側の方が厳しいですね。


大辺路は一部しか世界遺産に登録されていません。が、大辺路刈り開き隊という有志の方たちが手入れしてくださった道です。
知人にもそのメンバーがいました。今はもう活動していないのかな。
道は歩かれてこそ道ですね。


そうなんですか。全部が世界遺産かと思っていました。
どんな理由付けをするにしても,昔の生活道路を維持するのはそれなりに意義のあることだと思います。まあ,私たちのような外部の人間の郷愁なのかもしれませんが。


次は新宮までですか。
私も一時期中上健次の本を何冊か読みました。新宮のあのあたりのことかとかあのスーパーのことかとか思いながら読みました。
すっかり変わってしまいましたね。
そういえば息子が小学校の時の担任の先生が新宮高校で同級生だったそうです。聞いたらおとなしくてあまり目立たない生徒だったと言っていました。
新宮にはシュークリームのおいしいケーキ屋さんもありますよ。
時間つぶしには新宮市図書館がおすすめです。
新しい丹鶴ホールの中にあります。熊野川の眺めがいいです。
もちろん、中上健次や熊野地方の本がたくさんそろえてありますよ。
いい旅になりますように。


中上健次の「鳳仙花」などに木馬引きのことがよく出てきます。
私は能登の田舎の生まれなので,小さな頃に実際に材木を引いている木馬を見たことがあります。炭焼き小屋も現役で稼働していました。
南紀の近世に郷愁を感じるのはその頃の自分への郷愁なのかもしれないと思ったります。
                         @シュークリーム@
yamaneko0922
記事: 539
登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
お住まい: 京都市左京区

Re: 【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

投稿記事 by yamaneko0922 »

シュークリームさん

ご無沙汰しております。
昨年の5月の連休に高野山から那智まで小辺路と中辺路を繋いで縦走したのですが、京都への長い帰路で陽光を反差する那智の海を眺めながら、次は大辺路を縦走したいものだ・・・と計画を温めておりました。参考にさせて頂くことが少なからずありそうで、興味深く読ませて頂きました。
宿泊先は周参見に泊まるという方法が良さそうですね。

「枯木灘」を含め、中上健二は読んだことがなかったので、縦走する前にはいくつか読んでみたいと思います。教えて頂き、有難うございました。

南紀にも沈下橋があるのですね。このお写真を拝見しただけでも、大辺路を歩くモーチヴェーションが高まります。
昨年、高知に開催された学会に招聘されたので、いくつか四国の山をめぐると同時に沈下橋巡りをしていたのですが、川面近くを歩くことの出来る愉しさだけでなく、対岸との往来に対する人々の想いが端を特別なものにしているように思われます。
ちなみに京都の木津川にも「潜没橋」と「恋路橋」という二本の沈下橋がありますね。

小辺路は縦走する人が多くて、熊野大社から那智までの中辺路に入った途端に人と出遭わなくなってホッとした憶えがあります。
小辺路は確かに外国人のハイカーも多くて、少し前(昨年の4月)には巡礼に来られたというアメリカ人女性が行方不明となる遭難事故がおきていました。その後、見つかったという記事が出ていないので、相変わらず行方不明のままなのかもしれません。

大辺路歩きが実現出来たら、ご報告させて頂きたい思います。
山猫 🐾
シュークリーム
記事: 2065
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【熊野古道大辺路】厳寒の枯木灘をゆく

投稿記事 by シュークリーム »

山猫さん,おはようございます。お忙しそうですね。年齢から言っても仕事に油がのった時期だと思いますので,忙しいのもよくわかります。まあ,忙しい間を縫って山へ行くのも乙なもんですが。

昨年の5月の連休に高野山から那智まで小辺路と中辺路を繋いで縦走したのですが、京都への長い帰路で陽光を反差する那智の海を眺めながら、次は大辺路を縦走したいものだ・・・と計画を温めておりました。参考にさせて頂くことが少なからずありそうで、興味深く読ませて頂きました。
宿泊先は周参見に泊まるという方法が良さそうですね。


はい,読ませていただきました。高野山から那智まで3日間で歩いてしまうというのは山猫さんらしいですね。
周参見にある元国民宿舎の宿はおすすめです。一人でも泊まれて,料金も安いです。温泉がとりわけいいですね。穴場だと思いました。


「枯木灘」を含め、中上健二は読んだことがなかったので、縦走する前にはいくつか読んでみたいと思います。教えて頂き、有難うございました。

多くは新宮の「路地」が舞台ですが,往時の新宮界隈の雰囲気がわかって面白いです。評価は人によって分かれると思いますが。

南紀にも沈下橋があるのですね。このお写真を拝見しただけでも、大辺路を歩くモーチヴェーションが高まります。
昨年、高知に開催された学会に招聘されたので、いくつか四国の山をめぐると同時に沈下橋巡りをしていたのですが、川面近くを歩くことの出来る愉しさだけでなく、対岸との往来に対する人々の想いが端を特別なものにしているように思われます。
ちなみに京都の木津川にも「潜没橋」と「恋路橋」という二本の沈下橋がありますね。


そうですか。この前,家内と一緒に四国を旅行した時に,四万十川で沈下橋をたくさん見ました。一度歩いてみたいと思っていたら思いがけず紀州で実現できました。

小辺路は縦走する人が多くて、熊野大社から那智までの中辺路に入った途端に人と出遭わなくなってホッとした憶えがあります。
小辺路は確かに外国人のハイカーも多くて、少し前(昨年の4月)には巡礼に来られたというアメリカ人女性が行方不明となる遭難事故がおきていました。その後、見つかったという記事が出ていないので、相変わらず行方不明のままなのかもしれません。


大型連休の頃はそうなんでしょうねえ。以前,大型連休の時に大峰の奥掛け道を歩いたんですが,避難小屋が満員だったそうです。私はテント泊だったのでよかったですけど。
11月に中辺路を歩いた時は外国人のハイカーでいっぱいでした。


大辺路歩きが実現出来たら、ご報告させて頂きたい思います。

楽しみにしています。
                         @シュークリーム@
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