【高見山地】真福院より大洞山・尼ヶ岳
Posted: 2023年12月11日(月) 19:24
【日 付】2023年12月9日(土)
【山 域】高見山地
【コース】真福院駐車場7:45---8:45大洞山---10:15尼ヶ岳---12:45真福院駐車場
【メンバー】単独
北畠氏の多気御所の奈良・吉野・伊賀方面の守りであった三多気に向かう。三多気は本来「御嶽」という修験集落だった。北畠氏の祈願所であった真福院を中心にして集落が出来ている。
真福院の参道に入ると梵字が刻まれた種子碑が並んでいる。大日如来を表したものがいくつかあり、阿弥陀三尊や地蔵三尊を表したものもある。すべて大洞石の自然石に刻まれた鎌倉時代中期のものだ。750年前の碑だが、刻まれた字は今でも読めるし蓮華座の線刻もはっきりわかるのには驚いた。地元の大洞石は丈夫なんだと改めて感じた。山門への石段の途中には杉の大木が両側からとうせんぼしており、この間を通って進んでいく。この左には樹齢1000年以上と言われている大ケヤキが鎮座している。山門を過ぎ上って行くと蔵王堂で蔵王権現が祀られている。大日如来も蔵王権現も修験道を代表する神仏だ。蔵王堂の入口には6つもの小型の鳥居が立てかけてあった。神仏習合の時代が長かっただけに当然かとも思うが、どういう意味なんだろう。
大洞山に登って行くが、東海自然歩道になっていて、違和感ありありの山歩きだ。急な上りでは石段が限りなく続いている。大洞石がたくさん現地調達できるので、わかるのだが、山になじんでいない。先週登った倶留尊山と高槻山が目の前に広がりだすと頂上は近い。大洞山の雌岳に着くが、期待していた石仏は無い。雄岳からは尼ヶ岳が眼下に見え、富士講の石碑が富士山に向けて立てかけてあった。江戸時代に「江戸八百八講」と呼ばれた富士講の教祖的存在の食行身禄は、美杉で生まれており、その影響なのだろう。
四の峰・三の峰を経て尾根を下り、林道沿いに進むと倉骨峠だ。映画「ウッジョブ神去なあなあ日常」のクライマックスシーンに大木で滑り下りた場所だ。よく踏まれた植林の道を歩き、二の峰・一の峰を経てオオタワで休憩。〇の峰という数唱の付いた山名は三峰山にもあり修験道の行場で使われる名前のようだ。オオタワは八知と下太郎生を結ぶ峠で鞍部になっている。飯高でも鞍部のことをタウと呼んでいるので、昔はこう呼んでいたのかもしれない。台高付近では、辻(交差点)嵓(岩場)など昔の言葉が残り今も使われている。オオタワには四角に囲まれた石垣が2つ残されており、石仏が昔は祀ってあったようだ。
伊賀側に大きく開けて見通しのよい尼ヶ岳に到着。上野盆地が正面に見え反対側には度会の風力発電の鉄塔が数多く見えた。通称で伊賀富士と呼ばれる山頂には石仏が上野盆地を向いて立っている。髪を結う宝冠のようなものがあるので大日如来だろう。
不釣り合いな階段を下りていくと東海自然歩道に合流しトラバース道で来た道をもどる。倉骨峠からは東海自然歩道になっている石畳道を進む。苔むした大洞石の石畳が敷き詰められた水平道で、これまでのような違和感を感じない。山になじんでいるのだ。不思議に思いながら歩いていくと、道の上に石積みが見える。念のために確かめに行くと炭焼窯跡だった石畳道の先にも窯跡が出てくる。どうやら炭焼窯をつなぐ杣道を使って石畳道は作られたようだ。どうりで山になじんでいるはずだ。
真福院に向けて植林地を下っていくと大規模な石積みが続いている。何か建物でも立っていたようだ。この谷を下ると真福院につながるので宿坊でもあったのかもしれない。駐車地の先から三多気の桜並木が続いている。1.5kmに及ぶ並木は真福院の参道で修験集落の規模の大きさがわかる。
【山 域】高見山地
【コース】真福院駐車場7:45---8:45大洞山---10:15尼ヶ岳---12:45真福院駐車場
【メンバー】単独
北畠氏の多気御所の奈良・吉野・伊賀方面の守りであった三多気に向かう。三多気は本来「御嶽」という修験集落だった。北畠氏の祈願所であった真福院を中心にして集落が出来ている。
真福院の参道に入ると梵字が刻まれた種子碑が並んでいる。大日如来を表したものがいくつかあり、阿弥陀三尊や地蔵三尊を表したものもある。すべて大洞石の自然石に刻まれた鎌倉時代中期のものだ。750年前の碑だが、刻まれた字は今でも読めるし蓮華座の線刻もはっきりわかるのには驚いた。地元の大洞石は丈夫なんだと改めて感じた。山門への石段の途中には杉の大木が両側からとうせんぼしており、この間を通って進んでいく。この左には樹齢1000年以上と言われている大ケヤキが鎮座している。山門を過ぎ上って行くと蔵王堂で蔵王権現が祀られている。大日如来も蔵王権現も修験道を代表する神仏だ。蔵王堂の入口には6つもの小型の鳥居が立てかけてあった。神仏習合の時代が長かっただけに当然かとも思うが、どういう意味なんだろう。
大洞山に登って行くが、東海自然歩道になっていて、違和感ありありの山歩きだ。急な上りでは石段が限りなく続いている。大洞石がたくさん現地調達できるので、わかるのだが、山になじんでいない。先週登った倶留尊山と高槻山が目の前に広がりだすと頂上は近い。大洞山の雌岳に着くが、期待していた石仏は無い。雄岳からは尼ヶ岳が眼下に見え、富士講の石碑が富士山に向けて立てかけてあった。江戸時代に「江戸八百八講」と呼ばれた富士講の教祖的存在の食行身禄は、美杉で生まれており、その影響なのだろう。
四の峰・三の峰を経て尾根を下り、林道沿いに進むと倉骨峠だ。映画「ウッジョブ神去なあなあ日常」のクライマックスシーンに大木で滑り下りた場所だ。よく踏まれた植林の道を歩き、二の峰・一の峰を経てオオタワで休憩。〇の峰という数唱の付いた山名は三峰山にもあり修験道の行場で使われる名前のようだ。オオタワは八知と下太郎生を結ぶ峠で鞍部になっている。飯高でも鞍部のことをタウと呼んでいるので、昔はこう呼んでいたのかもしれない。台高付近では、辻(交差点)嵓(岩場)など昔の言葉が残り今も使われている。オオタワには四角に囲まれた石垣が2つ残されており、石仏が昔は祀ってあったようだ。
伊賀側に大きく開けて見通しのよい尼ヶ岳に到着。上野盆地が正面に見え反対側には度会の風力発電の鉄塔が数多く見えた。通称で伊賀富士と呼ばれる山頂には石仏が上野盆地を向いて立っている。髪を結う宝冠のようなものがあるので大日如来だろう。
不釣り合いな階段を下りていくと東海自然歩道に合流しトラバース道で来た道をもどる。倉骨峠からは東海自然歩道になっている石畳道を進む。苔むした大洞石の石畳が敷き詰められた水平道で、これまでのような違和感を感じない。山になじんでいるのだ。不思議に思いながら歩いていくと、道の上に石積みが見える。念のために確かめに行くと炭焼窯跡だった石畳道の先にも窯跡が出てくる。どうやら炭焼窯をつなぐ杣道を使って石畳道は作られたようだ。どうりで山になじんでいるはずだ。
真福院に向けて植林地を下っていくと大規模な石積みが続いている。何か建物でも立っていたようだ。この谷を下ると真福院につながるので宿坊でもあったのかもしれない。駐車地の先から三多気の桜並木が続いている。1.5kmに及ぶ並木は真福院の参道で修験集落の規模の大きさがわかる。
【高見山地】日神不動院より倶留尊山・高槻山