【高見山地】矢頭山・仁王峠・神宮寺奥の院跡 北畠氏につながる峠路
Posted: 2023年10月22日(日) 17:04
【日 付】2023年10月21日(土)
【山 域】高見山地
【コース】矢頭中宮駐車場7:15---9:00矢頭山---10:15寺ヶ谷出合---11:15奥の院跡---12:45矢頭中宮駐車場
【メンバー】単独
伊勢国司として250年間南伊勢を治めた北畠氏は多気御所(美杉)に拠点を置き、関所などの重要な所には修験寺院や御所や道場という山伏達の集まる場を設けていた。矢頭山の峠路には波瀬御所があり仁王峠には関所が設けられ仁王門があったのだろう。
矢頭トンネル横の駐車場より旧道を進むとすぐに波氐神社の中宮がある。役の小角が二本の白羽の矢が山の峰をかすめ麓に降下したことから矢頭山と名付け蔵王権現を祀ったそうだ。大杉の立ち並ぶ石段を登ると石の祠があった。途中の山道につながる場所に二本の石柱が門のように並んでおり結界なのだろう。江戸時代まではここから山頂の奥宮までは女人禁制だった。
登山口の先にある不動滝の矢印から入る。道はあるがあまり歩かれていないようだ。不動の滝が見えてきた、1段目と2段目を巻きスラロームのように水が流れ落ちる3段目に着く。左の岩には磨崖仏が2体掘られている。滝側に不動明王、手前に石仏だ。矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味を深く刻み込んでいると思うのだが。
ここから登山道に入ると御峯道と刻まれた石柱があり、整備された道を進むと最初の頂上に到着。大日拝展望台(牛ヶ嶽)には秋葉大権現の石碑があるが、この峰の本尊は大日如来だ。大日如来は太陽の化身なのでここから日の出・日の入の姿を眺めたのだろう。現在は植林の合間から見る事しかできない。不動滝の源頭にあたる不動ヶ嶽は不動明王が本尊になる。大岩の行場のような場所や痩せ尾根もあるがロープで整備されており問題ない。山頂には矢頭蔵王権現の石祠があり奥社になる。蔵王権現は修験道の本尊で、明治維新までは全山に数千本の老杉が茂る修行の場であった。仁王峠まで下ると柔和な笑顔の地蔵が出迎えてくれた。切通しに関所があったのだろうか。
旧道を駐車地まで下り、その先の寺ヶ谷に向かう。寺ヶ谷には北畠氏が南朝の中核であった南北朝時代(1390年)に開山し明治の神仏分離で神宮寺が統合されるまで610年間続いた奥の院跡が残っている。地元の郷土文化研究会がテープをつけてくれているが、ほとんど歩かれていない。道があったとは思えない所を歩いていくと堰堤が出てきた。左の階段を使って越えると神宮寺跡登り口という看板が出てくる。ただ、微妙な感じでテープがつけられているのと歩く人もいないようでわかりにくい。沢筋をそのまま行った方が楽そうだ。小滝を巻き進んでいくと谷は広がるが植林の暗い谷だ。連続するナメを登りきると少し開けた感じになる。ただその先は谷が狭まっている。ここに寺跡という矢印が書かれた青杭がある。ここから谷筋を離れ西に向かう尾根を登ると目印の黄色テープがあり中腹に炭窯跡がある。ここを右にトラバースしていくと奥の院跡だが、倒木が邪魔して石仏が見えない。気づかずに稜線まで登ってしまったので、尾根を回り込むようにして下っていくと平地が見える。着くと磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。奥の院跡は植林の中の平らな窪地で沢沿いの青杭の西にある枯谷の上部になる。植林前は沢筋から建造物も見えただろう。
矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。修験の修行の場として使われいたのだろう。これだけのものが森の中に静かに眠っているとは思ってもみなかった。波氐神社の中宮も神仏分離以前は神宮寺が祭祀をしており奥の院とは同じ寺社になる。矢頭山を下り佐田峠を越えれば飯福田寺で、修験の山伏が縦横無尽に駆けめぐった山域だったのだろう。
帰りに寄った波瀬御所(城)からは矢頭山が正面に見えた。
【山 域】高見山地
【コース】矢頭中宮駐車場7:15---9:00矢頭山---10:15寺ヶ谷出合---11:15奥の院跡---12:45矢頭中宮駐車場
【メンバー】単独
伊勢国司として250年間南伊勢を治めた北畠氏は多気御所(美杉)に拠点を置き、関所などの重要な所には修験寺院や御所や道場という山伏達の集まる場を設けていた。矢頭山の峠路には波瀬御所があり仁王峠には関所が設けられ仁王門があったのだろう。
矢頭トンネル横の駐車場より旧道を進むとすぐに波氐神社の中宮がある。役の小角が二本の白羽の矢が山の峰をかすめ麓に降下したことから矢頭山と名付け蔵王権現を祀ったそうだ。大杉の立ち並ぶ石段を登ると石の祠があった。途中の山道につながる場所に二本の石柱が門のように並んでおり結界なのだろう。江戸時代まではここから山頂の奥宮までは女人禁制だった。
登山口の先にある不動滝の矢印から入る。道はあるがあまり歩かれていないようだ。不動の滝が見えてきた、1段目と2段目を巻きスラロームのように水が流れ落ちる3段目に着く。左の岩には磨崖仏が2体掘られている。滝側に不動明王、手前に石仏だ。矢頭山の登る人のほとんどが修験の行場になる磨崖仏を見ていない。この山の意味を深く刻み込んでいると思うのだが。
ここから登山道に入ると御峯道と刻まれた石柱があり、整備された道を進むと最初の頂上に到着。大日拝展望台(牛ヶ嶽)には秋葉大権現の石碑があるが、この峰の本尊は大日如来だ。大日如来は太陽の化身なのでここから日の出・日の入の姿を眺めたのだろう。現在は植林の合間から見る事しかできない。不動滝の源頭にあたる不動ヶ嶽は不動明王が本尊になる。大岩の行場のような場所や痩せ尾根もあるがロープで整備されており問題ない。山頂には矢頭蔵王権現の石祠があり奥社になる。蔵王権現は修験道の本尊で、明治維新までは全山に数千本の老杉が茂る修行の場であった。仁王峠まで下ると柔和な笑顔の地蔵が出迎えてくれた。切通しに関所があったのだろうか。
旧道を駐車地まで下り、その先の寺ヶ谷に向かう。寺ヶ谷には北畠氏が南朝の中核であった南北朝時代(1390年)に開山し明治の神仏分離で神宮寺が統合されるまで610年間続いた奥の院跡が残っている。地元の郷土文化研究会がテープをつけてくれているが、ほとんど歩かれていない。道があったとは思えない所を歩いていくと堰堤が出てきた。左の階段を使って越えると神宮寺跡登り口という看板が出てくる。ただ、微妙な感じでテープがつけられているのと歩く人もいないようでわかりにくい。沢筋をそのまま行った方が楽そうだ。小滝を巻き進んでいくと谷は広がるが植林の暗い谷だ。連続するナメを登りきると少し開けた感じになる。ただその先は谷が狭まっている。ここに寺跡という矢印が書かれた青杭がある。ここから谷筋を離れ西に向かう尾根を登ると目印の黄色テープがあり中腹に炭窯跡がある。ここを右にトラバースしていくと奥の院跡だが、倒木が邪魔して石仏が見えない。気づかずに稜線まで登ってしまったので、尾根を回り込むようにして下っていくと平地が見える。着くと磨崖仏の前に石像などは集められていた。植林の際にかためたようだ。奥の院跡は植林の中の平らな窪地で沢沿いの青杭の西にある枯谷の上部になる。植林前は沢筋から建造物も見えただろう。
矢頭山神宮寺と刻まれた石灯籠、蔵王権現の磨崖仏、大日如来の石仏、役の小角の石像、明和4年(1767年)と刻まれた石碑がきれいに残っている。修験の修行の場として使われいたのだろう。これだけのものが森の中に静かに眠っているとは思ってもみなかった。波氐神社の中宮も神仏分離以前は神宮寺が祭祀をしており奥の院とは同じ寺社になる。矢頭山を下り佐田峠を越えれば飯福田寺で、修験の山伏が縦横無尽に駆けめぐった山域だったのだろう。
帰りに寄った波瀬御所(城)からは矢頭山が正面に見えた。
波瀬御所 仁王峠